実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

小さな命の意味を  実戦教師塾通信五百六十七号

2017-09-29 11:20:38 | 子ども/学校
 小さな命の意味を考える
     ~佐藤和隆さんからのメッセージ~


 ☆初めに☆
「力をもらいました」
講演会のあとそう言った方は、いじめで子どもを亡くしたお父さんです。この日の講演が、これからの長い道のりをたどっていく上で「力になった」といいます。
「頑張ります」
お父さんは言った。
 また、いじめ事件を「考える会」の人たちも、多く参加いただいた。そして、県外の方からも多く参加いただいたことに、皆さんのこの問題への関心の高さを感じた次第です。
「(参加者は)50人ぐらいがいいな」
オレは話が下手だからなどと、佐藤さんはそんな言葉をもらしていました。それが私たちへの気づかいなのか本音だったのか、でもとにかく、私たちは出来るだけたくさんの人たちに、大川小学校の問題を知ってほしかった。


 子連れの方たちが多かった。定員(100人)にはわずか及ばなかったものの、佐藤さんのよどみない言葉は、会場の熱気とも思える空気を作ったようです。質問も全部受け付けることが出来ない、という予想外の結果も生みました。
 以下、講演会の報告とします。このブログで何度もとり上げたことは、あえて繰り返しません。悪しからず。特に後半、私の見解がちらかっておりますが、参考にしていただければ幸いです。

 1 謎の50分
 講演会は佐藤さんの、
「釜谷/長面(大川小学校の地区)に津波が来たのは知っていましたが、その時間、子どもたちは学校にいるので、私たちは安心していました」
という言葉で始まりました。学校は当然、正しい対応をしていると思っていたのです。
 河北(かほく)支所の公用車が、
「津波が松原を越えました、早く避難しなさい」
と、猛スピードで大川小学校横の県道を走り抜けた、と何度もこのブログで報告した松原。佐藤さんの持参した写真です。

津波あとの北上川河口です。手前が海です。左にあった数万本と言われる防風林は跡形もない。おそらく歴史ある松林は、地名となって定着していたようです。写真のずっと奥に見える橋が、新北上大橋。その左たもとに大川小学校があります。
 次の写真は津波前の写真です。さっきと逆方向で、小学校方面から海を見たものです。橋のたもとの、今度は右にあるオレンジ色の校舎が大川小学校。3キロ余り向こうが河口になります。津波で流された松原が見えます。

防災無線は避難を呼びかけ、そこからサイレンが鳴り響き、道では住民のトラックや広報車が全速力で通りすぎる。ラジオは校庭の朝礼台の上にありました。それが避難を呼びかけている。そして、子どもが「裏山へ逃げよう」と言っている。こんな騒然とした状況を想像してください。
 すでに到着していた2時50分発の石巻市のスクールバスが、敷地内に移動。早く出ないのかという、運転手の学校への問いかけは「らちがあかな」かった。運転手の無線交信が、当時は残っていました。

この図で分かるように、子どもたちが通用門から抜けて県道まで約190m。そしてそこからさらに150mほど行くと、三角地帯でした。一方、毎年低学年の子どもたちが椎茸刈りに行っていた裏山までは、約140m。
 橋のたもとにあるのが三角地帯です。実は大切なことがあります。そこに行くため抜ける通用門の幅は、わずか1mなのです。大変な思いをして通用門を抜けたあとに、子どもたちを津波が襲います。

 2 謎の向こう
 震災当日、有休で助かった校長が、6日後ようやく学校にやって来たこと、そして初めに言った言葉が「金庫はどこだ」だったこと、震災から一カ月が過ぎて、ようやく開かれた説明会で、助かったA教諭が机に伏せたまま何も答えなかったこと等、このブログで何度か報告しました。
「『顔を伏せる』というシナリオが出来ていた」
こと以外は。

雑誌『WiLL』10月号を皆さんに紹介しました。2012年11月3日、この当時、文科省・官房長だった前川喜平氏が音頭をとって開かれた、4者円卓会議のことは前回に紹介しました。

 講演会後の質疑応答です。
「人災であることは間違いないのに、何をもめてるんだ」
という初発の質問は、質問というより抗議でした。
「ハザードマップはなかったのか」
佐藤さんの答です。
『マップはありました。でも、正確だったかどうか。ああいうものには、不動産の価値が左右されるから、という力がかかるようです』
その後、「他の学校の避難計画はどうだったか」「地元出身の先生はいなかったのか」等の質問もありました。
 当日は控えた私ですが、ここで少し出しゃばらせてください。
 後半の冒頭で「大川小学校での50分間は、学校で毎日のように起こっている」と、私は言いました。しかし、講演会の参加者で、そのことを理解した人はほとんどいなかったはずです。また、講演会の目的は、
「大川小学校で一体何が起きていたのか」
だったので、あの程度で収めて良かった、私はそう思っています。でも、ここではもう少し語らないといけない、そう思ってこの話を続けます。

 空白の50分間、学校が何をしていたのか、数十年このような現場を経験してきた人間として、私はよく分かります。
 校庭で、
「ここにいていいのか」
という意見が出たのは間違いない。そこで「次」が話し合われます。裏山がいいのではないか、という意見も出たはずです。でも、見に行っていません。A教諭が当初、
「裏山に(見に行ったが)倒木があった」
と言っていた。でも、本当は木は倒れていませんでした。分かりますか。つまり見に行っていない。多分に、
「木が倒れていたらどうしよう」
だったのです。
 では、最終的に選んだ三角地帯に、もっと早くから、
「では、私が見てきます」とか、
「誰か見に行ってこい」
と、誰も言わなかった。私は今年の1月、橋のたもとから海を見てきました。校庭から走ってわずか一分。津波到達の10分以上前なら、すっかり水の干上がった川が、不気味に底を見せていた。そこへ一気に海水が逆流してくるのを、見た教師は悟ったことでしょう。そして7分前だったら、松原の向こうに高い波が見えた。
 津波の速さは、沖合ではジェット機並の速度です。沿岸に入っても、短距離走はオリンピックのアスリート並の速さといいます。でも、河口から大川小学校まで津波が到達するのに、津波が桐生君並の速さとしても、300秒=5分以上の猶予(ゆうよ)があった。要するに、
「誰か橋まで行って来い」あるいは、
「裏山まで行って見て来い」
が大切だった。これは何度でも出来た。50分あったのです。
 まだあります。スクールバスの運転手が、早く避難をと言ってもなぜダメだったのか。この時は、
「全員が乗れない!」
という議論になったのは間違いない。遠くから通学する子どもたち対象のバスです。全員が乗れない。
「じゃ、小さい子だけでも乗せましょう!」
「いや、1年生の中にすぐ近くの子もいる。迎えが来る!」
校庭の話し合いは、こうして続いた。
 分かりますか。学校というものは、
「子どもたち全員が、無事で、ケガもなく、冷静なこと」
そして、
「それらが、学校の指揮のもと行われなければいけない」
と思っています。その結果、実によく起こるのが、
「危機を回避しよう」
としていたのに、
「決断を回避する」
結果になることです。
 先生たちは必死で子どもたちを救おうとした。それは間違いない。それで村井知事も、
「先生たちを断罪することは出来ない」
と言うのです。
 でも違います。私は最後に、佐藤さんに答えてもらいました。
「『先生たちも死んでる。一生懸命やった先生を批判できるのか』という意見に、佐藤さんの見解を言ってください」
『先生も子どもたちも、同じバスに乗っていたと考えてください。そして事故にあった。でも、先生は乗客じゃない。運転手なんです。子どもたちを守らないといけない。子どもたちと同じではないんです』
他の学校が犠牲を出さなかったのは、住民の訴えや消防の呼びかけ、そして多くの情報に対して、決断する校長か、決断を迫った職員たちがいた。でも、それが出来ない時があることを、学校/教員は体質として抱えています。大川小学校の事件は、そのことを示しているのです。
「子どもを守るのが大人」
佐藤さんの言葉を、私たちはしっかり受け止めないといけません。


 ☆後記☆
アンケートの回収もとても良く、参加者皆さんの熱気が伝わって来ました。皆さんの怒りにも似た気持ちに触れて、
「大川小学校で一体何が起きていたのか」
知ってもらう、という当初の私たちの目的が、多少なりとも果たせたかな、と少し安堵(あんど)しております。
ありがとうございました。
また多大なカンパを、会場で、そして口座に振り込んでいただきまして、世話人一同驚き喜んでおります。
この場を借りて御礼申し上げます。
そして何より、仕事の都合をなんとかつけてやって来てくれた佐藤さん、来月は二回も公判を抱えて大変な中、駆けつけてくれた佐藤さんに、最後にお礼申し上げます。ありがとうございました。
 ☆ ☆
「オマエは暴走するから、少し控えなさい」
そうスタッフの面々から厳しく言われておりました。いつものようではいけない、そんな思いだったせいか、開始の場面と最後の部分、ずいぶんとノドがからみました。失礼しました。

秋がいよいよ本格的に深まるようです。慌ただしい選挙もありますね。皆さん、お身体大切に。
今日から福島に行ってきます。楢葉の渡部さん、待望の和牛の競(せ)りは少し先に延びたようです。

前略 前川喜平殿  実戦教師塾通信五百六十六号

2017-09-22 11:38:42 | 子ども/学校
 前略 前川喜平殿
     ~『WiLL』10月号~


 ☆初めに☆


     収穫の季節。もちろん手賀沼脇の田んぼです

講演会、早いもので明日となりました。大川小学校の仙台控訴審は、すでに6回を数えています。遺族が今どんな思いでいるのか、ということももちろんですが、大川小学校で一体何があったのかという前提の部分で、私たちにはまだまだ未知の部分が多いと思えます。
明日、遺族で原告の佐藤和隆さんから直接話をうかがえる、という機会を大切にしたいと思っています。

 1 「英雄」
 『WiLL』の今月号(10月号)に、佐藤和隆さんの『裏切りの文部官僚・前川喜平』と題する文が載っていることは、以前お知らせしました。読んでない方も多いと思います。今回の記事は、この雑誌原稿に触れたいと思います。明日の講演会の参考になるはずです。

 写真は、四者円卓会議後に、マイクを持って記者会見する前川氏

この原稿は、前川氏への手紙、という形をとっています。
「前略 前川喜平殿
あなたは加計学園問題で勇気を持って権力を糾弾(きゅうだん)した「英雄」として…………朝日新聞系列の雑誌『AERA』では、あなたは『国会で本当のことが言える。なんという解放感』と言っている。
 ところが、私の知っている実際のあなたは、どうも報道や、雑誌で語られている姿とは違うような気がしてならない」
こういう書き出しです。
 このあと、大川小学校での出来事が書かれますが、ここでは前川氏に関することに絞(しぼ)ろうと思います。

 2 委員の人選
 震災から一年半以上が過ぎて、第三者委員会立ち上げの動きが始まります。
「……あなたは官房長という肩書で石巻合同庁舎に来ましたね。…………その席上で、あなたは、
『学校管理下でこれだけの命を失ったのは他になく、国としても大川小の件を見過ごして、この東日本大震災の総括はできないと思っている…………その先の責任問題については、別のステージの問題だが、検証後………説明責任は、それぞれの責任においてしてもらう……』と話し、亀山市長は『わかった』と。
 この一連の発言を知って、我々は非常に期待感を抱いたものです」
問題は、この委員人選でした。遺族は、東北大学等、宮城県関連の人は選ばないでください、と前川氏に依頼。これは評論家・尾木直樹氏からの「地元でのつながりがあると、利権や利害が絡みやすい」というアドバイスがあったからだったそうです。前川氏は、この申し入れを了承したそうです。
「ところが…………あなたは、株式会社社会安全研究所を……検証委員会の事務局の候補だとして紹介しましたね。…………その代表である首藤由紀氏が会議の途中で招き入れられ自己紹介したときには、呆気(あっけ)にとられましたよ」
首藤由紀氏は東北大学出身者、父親は東北大学名誉教授の首藤伸夫氏です。そして、この父親である首藤伸夫氏が、検証委員会作業チームのリストにアップされていたのです。
「そのリストを見て、我々は抗議した。『どう考えても公正中立な検証を期待することはできない。どうか宮城県関連以外の専門家を探してきてくれないか』と。
 ところが、あなたは『津波で起きた事故だから津波工学の専門家が必要だ。ほかにこれ以上の人は思い当たりません』とにべもない。その後の記者会見でも、『一名の人選を除き、遺族の大きな異論はなかったと判断した』と説明した」
この文章のあとは、震災直後のおかしな経過や、その事実にまつわる村井知事の加担などに割(さ)かれます。ここも飛ばします。そしてこの原稿は、佐藤さんの切実な願いで、結ばれます。
「…………私は何も死んだ息子を返してほしい、などと言うつもりはありません。ただ、あなたは自己保身や、他人を引きずり下ろすことばかりせず、今一度、この大川小学校の問題を省みて、いささかなりとも次世代の子供の命のために教育行政を正すことに携(たずさ)わってほしい。
 そして、二度とあのような悲劇を引き起こさないでほしい。
 そうでなければ、津波で失われた、私の息子を含む七十四人の子供たちは、少しも浮かばれないと思うのです。   草々」
この記事を読む方の中には、
「オマエは遺族の一方的な思いを、事実と断じる自信があるのか」
と思う人もいるのは分かっています。ただひとつ、この原稿が発表されたあとも前川氏が沈黙していることを、私たちは押さえておいた方がいい、そう思います。


 ☆後記☆
今夜降り出す雨は、明日朝にはやむみたいで良かったです。皆さん、お誘い合わせの上、ぜひいらしてください。万が一、定員を大きく上回ったら入場制限になるんですが、そん時はすみません。あと、講演は対話形式なので、私が質問しながらの形で進めます。
よろしくお願いします。

    同じく手賀沼沿いの土手。彼岸花です。

 ☆ ☆
去年お世話になった小学校の運動会、見てきました。気がついた子どもたちがはしゃいでくれます。嬉しい。

体育祭で  実戦教師塾通信五百六十五号

2017-09-15 11:23:23 | 子ども/学校
 体育祭で
     ~過去を大切にするために~

 ☆初めに☆
「◇◇中学校の応援、琴寄センセイが作ったスタイルですよ」
そう言ってくれる先生が結構いるんです。耳にすれば、その気になっている私です。そして、今も子どもたちは元気にやってるかなと、たまに「母校」に出向いている私です。今年も久しぶりに、いくつかある「母校」のひとつを見学に行きました。

   見る人が見ればわかる、どこかの中学校

 「メイン」と言われる応援は、午後のスタート種目です。

      面倒なご時世ゆえ、かなりボカしました
子どもたちの顔は、この日を待ってた、この日のためにと輝いてました。嬉しいな。まだ幼さの残る顔は、若さと喜びに満ちていました。
紅組、良かったなあ。なぜか『一世風靡セピア』でした。

 1 シャツ出し
 体育祭見参のあとは、体育祭もしくは体育へのご意見である。思わず眉間(みけん)に縦ジワが寄る感じの報告や相談が、毎年のように入ってくる。今年もあった。
 多くの方はご存じと思うが、中学生の生活指導項目の中に、
「体操服はハーフパンツ(ジャージ)の中に入れないといけない」
というのがある。小学校の先生たちと話したこともあるが、
「議論になったことがありません」
と言う。当然なのだ。シャツいれる?んなのメンドクセエ、という子どもがいない(圧倒的少数)からだ。しかしこれが、自我とかいうものが目立つようになると、
「(夏は)暑いし」「ウザイし」「カッコわりいし」
となって来る。「自分の判断」を優先させるのである。そして教師の方は、目につく「不揃(ぞろ)い感」と、シャツ出し連中の「だらしな感」、そして「言うこと聞かない感」が我慢できない、という結果にあいなる。
 これらはホントにどうでもいいことなのである。だから、
「こんなことでどうしてそんなに熱くなるんですか?」
こう「真面目な」、つまりシャツを入れてる子に言われると、大体の教師は返す言葉がない。シャツ入れの理由は一応ある。
◇転倒や器具との接触という非常時にガードになる

バイクの教習で、長袖長ズボン着用を言うのと似てる。

◇体育をする時の緊張感が必要

体育をだらだらすれば、ケガもするというのである。

◇今までみんなやって来た

「今まで」とは、一年生(入学当時)の時のことを言ってる。

 どれをとっても、人生を語るような顔して注意するものではない。本当は先生たち、三つ目のことが一番気になってる。このままじゃ先がどうなるのだ、という不安も手伝って、先生たち、ここを譲りたがらない。
「サッカーの公式試合でも、審判は(シャツ入れを)指示している」
なんて意見を真面目に言う教師もいて、私もけっこう面倒な思いをした。少し一流アスリートのコスチュームを見てみよう。

     女子体操。もちろんワンピース。

 内村君のリーシャオペン。跳馬の時いつもハーフパンツ。練習時はシャツ出てる気がします。本番はこの形です。

  柔道。上着出てます、って道着ですから。帯、実は飾りです。
 で、女子陸上なんてお腹出してます。へそピアスもありってか。



 これがサッカー。みんな出てる。確かに、シャツ出しを注意する時期もあったようだ。ラフなプレーがあった時の証拠になる、という理由が上げられてもいた。結局、うっせえな、いちいちそんなこと気にしてたらプレーに集中出来ねえよ、というまっとうな結論に行き着いたみたいだ。

 2 一人歩きする建て前
 この体育祭に出向いた時、別に懐かしくない先生を見かけている。もちろん偉くなってて、お昼のパトロールにうろついていた。ので、私はサングラスを外して、にっこりと微笑みかけた。予想に違わず、慌てて落ち着かない様子をさらけだすこの人も、服装に厳しい先生だった。
 会えば、私が改まって話したい先生は五万といる。しかし実際会っても、正面から対してくれる「男」の先生はほとんどいない。「いいことはいい、悪いことは悪い」と言い続けてきた先生の、一体どこが悪かったのか。簡単なことだ。
◇指導する(出来る)対象がすべての生徒ではないことが露呈したから
◇そんな後でも、指導できる生徒にだけは、なぜか指導するから
である。
 ひとつ目はしょうがないっていうか、我慢できる。しかし、二つ目は良くない。もうこれは如何(いかん)ともしがたい。豪華版にどうしようもない。
 校内が荒れると、こういう事情は一気に露呈する。たとえば、校内で携帯orスマホをたしなんでる生徒の横をすごすごと歩く先生が、その向かった先で、ジャージの袖をまくった生徒を見かけると、
「オイ、袖がまくれている」
と注意する。信じられないことだが、それが出来る。こんなこと、お天道様(おてんとさま)だってご覧になってる。生徒が失望するのは、当たり前である。

 3 恥ずかしさを忘れてはマズイんです
 この馬脚(ばきゃく)を表した先生たちは、恥ずかしい過去を引き受けないといけない。それが「過去から学ぶ」ということだ。
 以前、一度とり上げたことだが、もう一度。
 中学校が荒れた。3年生(の一部)がやりたい放題だった。私服で校内を闊歩(かっぽ)し、携帯で校内外との連絡を取り合った。
 卒業式が終えた後、なぜか全員校庭に整列して校舎に向かい、
「ありがとうございましたァッ!」
とか叫ぶ、ホントに甘ったれた連中だった。え?じゃあオマエ(私)はこいつらとどう渡り合ったかって? 以前、インタビューの本に(雑誌にも)書きました。ここでは止めます。
 その後、新年度になって、つまり4月、驚くべきことが起こる。
「体操シャツを中に入れなさい!」
という先生たちの声が、校舎にこだましたのだ。恥ずかしかった。天皇の敗戦を告げる玉音放送のあと、太宰が「恥ずかしい」と言って伊豆の海に飛び込んだ、とかいう話を思い出した。たまらずある日、私は朝の職員打ち合わせで言った。
「先生方、恥ずかしくないんですか。この3月まで生徒からやりたい放題やられていた私たちが、面倒な生徒がいなくなったら、いきなり堂々と注意をしている。『学校を建て直すために私たちは立ち上がった』とでも言う気ですか。生徒たち、みんな分かってますよ。ホントに恥ずかしい」
 私たちが恥ずかしい過去から学ぶことはたくさんあった。
「私たちが『出来ること』と『するべきこと』を分けないといけない」
「出来もしないことを掲げれば、生徒は私たちに失望する」
「そのために、三年間通して指導できることに項目をしぼる」等々
私はそんな風に言ってきたつもりだ。

 最後に付け足し。今年の不愉快な報告のことだ。
「先生方、生徒にシャツ入れを言っている私たちは、率先して自分のシャツを入れた方がいいと思います」
と、職員に提言をしたという教師のこと。この教師は、シャツ入れをくだらない、としているのではない。
「先生方もちゃんとしましょう」
と言っている。学校的価値観を拡張したいようなのだ。この教師が、かつて「いざという時」みっともない姿をさらしたことを知る私としては、とても恥ずかしかった。のである。


 ☆後記☆
応援を見に行った中学校で、教え子たちがたくさん声をかけてくれました。もちろん、今は保護者として体育祭の見物に来ている。サングラスに帽子の私に気がついて、声をかけてくれるんです。近況を報告し合いました。幸せでした。

 ☆ ☆
泉田元知事、新潟県補選で、自民党の推薦を受けました。推薦する連中の「なりふり構わない」姿に唖然としたのもつかのま、受諾(じゅだく)とは! いや、驚きましたね。
「原発行政は国政から変えないといけない」
とは、泉田氏が言ったって? いやあ、たけしじゃないけど、お笑い芸人負けちゃいますって。

夏休み短縮  実戦教師塾通信五百六十四号

2017-09-08 11:41:16 | 子ども/学校
 夏休み短縮
     ~授業増とエアコンがもたらすもの~


麦わら帽子は もう消えた
田んぼの蛙は もう消えた
それでも待ってる 夏休み  (吉田拓郎『夏休み』)

  夏ではありません。収穫を間近にした手賀沼沿いの田んぼ

 1 「より良い教育」
 夏休みはいいな、また来るんだという子どもらしい感覚が大人になった今でもいとおしい、そんな歌である。と私たちは思っていたはずだ。小学校は音楽の教科書に載ったって本当なのだろうか。
 それが今となっては、拓郎のアンテナが、「夏休み」喪失(そうしつ)の流れを敏感にキャッチしていたと思える。しかしこの歌の、
「それでも待ってる」
というフレーズは、どこかで夏休みが「また来る」ことを信じている、まだ「夏休み」が生きている、という思いを歌っているようでもある。

 いつか来ると思ってたら、もう始まってた夏休み短縮。静岡県吉田町の学校では、今年「24日」にした夏休みを、来年は「16日」にするという! 「フロントランナー」を気取った大人どもの間抜けな顔が見える。理由が振るっている。町の言い分は(文科省も同じだが)、
◇教員の多忙化を解消する
◇授業の準備時間を確保する
◇質の高い教育を提供する
となっている。ひとつ目の項目なんて、小学生が読んで理解できるのか。「休みが減るのに忙しくなくなる」ってナニ?と思うよ。
 エアコンあるんだから「夏休みなし」がより良い状態のはずだが、そうはしない。本当はここをきちんと議論して結論を出さないといけなかった。エアコンを設置した社会が、
「いい教育を追求することがどうしていけないのか」
という学校的規範を膨(ふく)らませた事実だけは残った。

 では、冬休みが長い、北海道などの厳冬地域なのだが、一度として、
「ストーブあるし」
「道、雪かきしてあるし」
「冬休み短くていいんじゃないの」
と議論になったことがない。と思う。つまり、ずっと冬休みが長い。学校では、児童生徒は年間50日(標準)の長期休暇を取ることが決まっている、なんていうこともほとんどの人(教員)は知らないと思う。
 要するに、日本という風土にもたらされた数字だと、子どもたちの長期休暇を私たちは無意識に受け入れてきた。

 2 業者テスト
 今回の夏休み短縮ですぐに思い出した。読者の皆さんは知らないし、40~50代の教員でも忘れているに違いない。1992年のことだ。突然、埼玉県が高校入試から「業者テスト」を追放すると発表した。高校に生徒のテスト結果「偏差値」を提供するのは、受験競争そして学力という名の差別を助長する、まして民間業者に生徒の将来を預けるとは言語道断等々、というカッコのいいものだった。なにせ、大手テスト業者のエリアは広く、信頼性抜群だった。
 どこをとっても非の打ち所のない、埼玉県の決断を、誰も批判できなかった。今まで、学校の先生はテストの作成はおろか、採点さえもテストの業者にまかせていたのかと、先刻ご承知だったはずのメディアは、狂喜して批判を展開したのである。
 ではそのあとどうなったか。それまでやっていた定期テスト以外に、年間3~5回の実力テストを、中学校は作成/実施しないといけなくなった。高校への「合格指針」を明確にするためだ。「偏差値」はなくなったが、受験はなくなっていないのだ。私たちは、夏休みや放課後、市内レベルで集まって、テスト内容を検討した。
 行き場をなくしたテストの業者は今までの経験を生かし、独自に「外部テスト(会場テストなどとも呼ばれた)」をする。または塾や予備校とタイアップして、テストを実施。生徒がそこに行かないわけがない。そして、進路指導で「ここは少し無理」と学校が言うと、「いや、塾ではそう言ってない」といういさかいや揉め事が一気に増えた。
「だったら塾で願書書いてもらえや!」
みたいに、教員は職員室の天井(てんじょう)に叫んだりしたのである。

 3 夏休みでなく、授業減らしてや
 高校は「入学しても授業について来れない」生徒が出てきては困る。それで入試が実施される。当たり前だ。では、埼玉県の決断で教育に後光が差したかって、そんなわけがない。教師も生徒も、間違いなく忙しくなった。多くの傷を残したあと、業者テスト、結局復活した。
 さて、夏休みだ。これも肝心な部分が抜け落ちている。要するに「授業が増えた(る)」から授業日数を増やさないといけない、という部分だ。たとえば小学校6年生は、3年後には英語が年間35時間増える。これに対応するものが、
「授業日数を増やす」
である。んでもって「夏休み短縮」が登場する。
 世間の常識にならえば、英語増えるンならどっかを減らせよ、となる。一応どっかから(総合学習など)削ってもいいことになってる。でも、増減が差し引きゼロにはならない。圧倒的に増える。
 こういった強引な駆け引きは、
「子どもたちがこれからの世界で生きていくため必要だ」
という信念に支えられており、
「学習時間が増えることが悪いはずがない」
という妄想にとりつかれているからだ。
 子どもたちからは、この夏休み短縮、圧倒的に嫌われている。
「夏休みが短くなるんなら、クーラーいらない」
の子どもたちに、胸が熱くなる。

 エアコンと夏休み短縮にちなんだ変な出来事が、きっとこれから起こる。それまで私たちは手をこまねいているのだろうか。


 ☆後記☆
ホントにヤですね、エアコン。この夏もどうしようもない夜は、寝るときだけつけましたが、
「この家に来ると、頭がフラフラする」
とお客さんが言うくらい、私はエアコンをつけないんですよ。
学校にエアコン、取り返しのつかない出来事と私は思います。
「エアコン設置後の問題として、エアコンに適応できない子どもへの対応をしないといけない」
なんていう議員さんが出てくるし。メチャメチャですね。

こんな風景、わずか数十年前です。「外」としっかり触れ合っていた時代です。

 ☆ ☆
講演会まで、あと二週間となりました。今月号の『WiLL』に、講師の佐藤和隆さんが書いてます。加計学園追求のあの人、「前川喜平」氏への手紙なんですよ。もちろん内容は大川小学校のことです。ぜひ読んでください。

 ☆ ☆
藤井君、負けてもいますが、数日前、森内九段の対決を制したんですねえ。NHKは異例の生中継だったそうで、なんかいい。嬉しいです。

『プレイヤー』  実戦教師塾通信五百六十三号

2017-09-01 11:43:58 | エンターテインメント
 『プレイヤー』
     ~渋谷Bunkamuraにて「宗教」を観る~


 ☆初めに☆
舞台『プレイヤー』を観終わって、すぐこの一節を思い出しました。
「……実験でちゃんとほんとうの考えと、うその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も科学と同じようになる」(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』)




 1 「まれびと信仰」
 フランケンシュタインやドラキュラにはなくて、雪女や耳なし芳一にあるもの、それは「まれびと信仰」である。

     小泉八雲『雪女』より
少し付け加えておくが、最近の「都市伝説」とやら、この「まれびと信仰」と距離を置いているものが多い。残念である。

 前川知大の作品を、今までずいぶん見せてもらった。特筆すべきことはたくさんあるはずだが、私はいつも何か、ホッとできる感覚で見てきた。それは日本に特有と言われる「まれびと信仰」が、前川の舞台にあるからだ。
 よそからやって来る、そして「まれに」やって来る人たちに、私たちは昔から、恐れ/畏(おそ)れと、承認/歓迎の気持ち両方で迎えた。他界からやってくるものが持つ「不気味さ」よりは、他界の持つ「(霊)力」を、私たちは受け入れるのである。「まれびと」はある時、お月さまから降りてくるお姫様だったり、遠方からの突然の転校生だったりする。私たちは、それを「拒絶より承認」するのだ。
 他人の心臓(だったかな)を移植した患者が、突然、周囲ばかりでなく、本人にも予測不能な行動や言動を起こす(『奇ッ怪 その弐』)。おそらくは、現実界(自分の体)が他界(心臓の持ち主)と接触した結果、起こる。起こったことに驚き、しかし拒絶することをためらい、本人、周囲は悩む。
 前川は、心臓移植を批判しているのではない。そして、自分たちが選択したはずの手術を受け入れられずにいる人々を、蔑(ないがし)ろにしているのでもない。あくまで温かく、あくまで静かに見守っている。私は、今回の舞台『プレイヤー』でもそう思った。
 ちなみに少し、今回の舞台演出を書き留めておく。ひとつ、役者/演者が観客に背を向けて話すことが顕著だったこと。普通、舞台/役者は、客席に向かって開いていて、客席を包むようにする。でも、この舞台は違っていた。今回の舞台演出の要(かなめ)である、「劇中劇」がもたらす効果とともに、思わず演者と一体となり、ある時は前のめりに、ある時は一緒に奥へと歩いて行きそうな感覚を覚えた。

 2 知識と<信>
 さて、『プレイヤー』の話だ。
 本当は単純な話なのに、と刑事は思う。無残な姿の遺体は、どう見ても殺人事件である。それがすべてだ。そこから始めないといけない。しかし事態はそうならない。ガイシャ(被害者)は生きているだの、ガイシャと対話するための「瞑想(めいそう)」だのと、理解不能なことが続く。刑事はいらだちを募(つの)らせ、
「目を覚ましてください」
「一体どうしたんですか」
と、同僚刑事やガイシャの周辺に訴える。


「まれびと」が死者であれば、そしてそれが身近で大切な人であった時、私たちは「生物としての死」と、「人間としての死」がまったく違っていることに、愕然(がくぜん)とする。そして、うろたえる。
「なぜ(死んだ)!」
こんな時「客観的事実=死」は、なんの役にも立たない。
 「信じ(られ)ない」ゆえに、目の前に横たわる、または棺おけに収まっているものを、私たちは中身のない「ナキガラ(亡骸)」と呼んできたし、いまだにこの呼び名を捨てていない。死者は死んでいないからだ。
 さて、死者は「黄泉(よみ)の國」という地面の奥底に流れる泉に行くのだという考えを、柳田國男は承認したがらない。命は、山に暮らす人には空から、海に暮らす人々には、海からやって来る。土葬の歴史は、すこぶる短かったのだ。
 東日本大震災直後、友達や家族の名前を泣き叫ぶ女の子の姿を見ている。彼女は海に向かって叫んでいた。直接的には、津波があったからと言えるのだろうか。彼女たちは海で生まれ、育った。この時、遺体安置所に体があったかどうかも、そんなに問題ではないと思える。彼女は「海」に向かっていた。この詩的(「死的」でも「私的」でもない)葛藤を、私たちは懲(こ)りずに繰り返してきた。
 結ぼう。もっと広く深い場所へと、思想界の巨人が簡潔明瞭に語ってくれている。

「……知識的だということと迷妄(めいもう)だということが同在できるという体験は、自他にたいする不信と絶望をもたらした。また信と妄執(もうしつ)が同在できるというものだという認識は、信に対する不信をもたらした。…………知識が迷妄と同在できるということは、その下限で知識そのものを迷妄と同列におくものだ。…………また知識が迷妄と同在できるということは、その上限で、知識に迷妄・信・不信という心的な系列を解きほぐす浸透力を与えているに違いない」(吉本隆明『信の構造 第三巻』序から)

激しい変化に揉(も)まれる私たちだ。その中に繰り返し立ち現れる「変わらないもの」を、しかと捕らえたいと思うのである。


 ☆後記☆
終演後、楽屋で少しばかり映画『半落ち』(作・横山秀夫)の話になりました。私は迷わず「あの『なか落ち』は……」と言ったのですが、あと数日で51歳の誕生日を迎える教え子は、すかさず、
「先生、違います。それ、『はん落ち』です」
と指摘しました。そうだ、「なか落ち」ではマグロになってしまう。教え子は、優しく諭(さと)すような顔で笑ってて、口の片方だけで笑うなんてことはありませんでした。この日の「演技ではない」教え子の表情に、私はひどく幸福な気分になったのでした。

大阪の皆さん、大阪公演は昨日から今月の5日まで。静岡は同じく9・10日の両日公演です。ぜひ見てください。少し「舞台酔い」するかも知れませんよ。あ、もうチケットないか。

 ☆ ☆
始業式ですね。先生たちも昨日はずいぶんとブルーだったみたいです。子どもたちも大変だ。でも、体育祭が始まる! 嬉しいですね。これからしばらくは、毎日のようにサザンの『ホテル・パシフィック』を聞く私です。