実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

民族差別  実戦教師塾通信三百五十四号

2014-01-29 13:00:53 | 子ども/学校
 遠い子どもたち Ⅱ

     ~民族差別~


 1 「金子」「林」


 私が現役(げんえき)の時、授業でよくやった「実験」がある。在日(ざいにち)や朝鮮人の差別が世間(せけん)で話題になるたびによくやった。私は生徒たちに、彼らを自分が差別してると思いますか、とたずねる。してます、なんてのひとりもいない。私は、それを否定する。んなことない、みんな在日や韓国人を嫌いなんだよと私は続けて、じゃ簡単にそれを証明してみせるから、と続ける。
 今でこそ本名の「金」「林(リン)」を名乗る人もだいぶ出てきたが、彼らの多くが「金子」「林(はやし)」を名乗った。高校の時の友人は「張本」と言っていたが、本名は「張」であった。彼が私に「外国人登録証(とうろくしょう)」をみせて、
「これを携帯(けいたい)してないといけないんだ」
と言ったことを、今もはっきり覚えている。まあ確かに、日本に帰化(きか)していない外国人は、外国の人間であることを証明するものを持っている。おそらく友人はあの時、自分が「ふたつの名前」を持っていることの割り切れなさを言ったのだと思う。でもその時の私には、
「ずいぶんひどいことをする」
と思えたことだった。私はこの事実を、友人の「ふたつの国を抱える割り切れなさ」と、私のある種の「勘違い」が交錯(こうさく)したことだと、今なら思える。
 私は子どもたちに言う。
「だから『金』さんは『金子』さん、『林(リン)』さんは『林(はやし)』さんを名乗ることが多いみたいだよ」
すると、子どもたちがざわつきだす。となりに「金子」や「林」がいると、笑ったり指さしたり始めるのだ。そこで私は言う。
「ほら、何をうろたえているの? やっぱり朝鮮や韓国は嫌い?」
実験は終わりだ。大体いつもこんな感じである。結構この根は深い。
 でも、その反対のことも確認しておきたい。朝鮮半島での「日本嫌い」は、先の大戦ではじまったわけではない。それは「征韓論」(伊藤博文)や「朝鮮征伐」(秀吉)よりもずっと前の、神代(かみよ)の昔までさかのぼる。またそれは、日本が朝鮮を侵略(しんりゃく)した憎しみ(にくしみ)というより、日本を「下級民族」とする批判である。嘘だと思うなら、韓国の教科書や韓国の公文書(こうぶんしょ)を見るといい。民族には「優秀なもの」とそうでないものがあるという理念を、残念ながらそこに見ることが出来る。
 だから北朝鮮・韓国はいけない、と言ってるのではない。国際(民族)問題というものは単純にはいかない、入り組んでいるということぐらいはおさえたいのだ。


 2 誰でもいい

 「ヒロミ」を知っていると思う。「男」のタレントだ。「和子」という生徒もいた。これは「かずし」と読む。アジア(南方)の母を持つ生徒もいた。さて、ヒロミの小さいころを知らないが(って、あれは芸名かな?)、残った二人の生活は「普通」だった。女のような名前をついた生徒も、東南アジアの母を持つ生徒も楽しく学校生活を送って、そして卒業していった。
 群馬県桐生市の上村明子ちゃんの事件の時にも、事件の背後には、外国人の親のことがあるのではないか、と指摘(してき)した人がいた。そういった要因を「いじめ」の原因として取り上げる人がいるのだが、「ほぼ」関係がない。そのことが原因でいじめられることもあれば、そうでないこともある。「その時にはそれが原因となった」だけである。つまり、その相手をいじめる要素は、
「何でもよかった」。
そしてその相手は、
「誰でもよかった」
のだ。「外国人を差別していいのか」と私たちが熱くなったところで、それは「デブを差別していいのか」と言うのと同じく、それぞれいちいちわけを伝えて、子どもに分別(ふんべつ)を説いて聞かせるだけのものだ。つまるところ、
「人間みな平等」
という、子どもに言わせれば、
「だからそれがなに」
といったたぐいのものだ。子どもたちは別な葛藤(かっとう)を抱えている、そう思って間違いない。
 以前ここで、桐生市小学校の悲惨(ひさん)な明子ちゃんの事件を取り上げたときも書いたが、一番の原因は、あの時学級は崩壊(ほうかい)状態にあったことだ。あとでようやく明らかになったことで、たとえば給食はめいめいが勝手に食べる、授業も成立していなかった等がある。子どもたちの心は尋常(じんじょう)な状態ではなかった。担任がどう対処し管理職に相談していたのか、そして管理職もPTAの声で腰を上げるという当時の実態(じったい)は、まだ曖昧な(あいまいな)ままである。
 こんな時、子どもたちが自分を守るためにとる態度は限られている。

○規律が崩壊しているので、自分たちの規律を立てようとする
○ことの成り行きをうかがう
○この場が早く過ぎるようにと願う
○この場にいたくないと避(さ)けようとする

読み方ではみんな同じように見えるこの四つの間を、子どもたちは揺れ続ける。子どもたちはこんなつらい思いをする中で、不満とストレスが蓄積(ちくせき)していく。そしてここには同時に、
「みんなとともになのか、ひとりでなのか」
という「恐怖(きょうふ)」が張りついている。明子ちゃんは、
「ひとりになった」、あるいは、
「ひとりを選んだ」
のだ。分かるはずだが、こんな時の集団が「個人」を弾(はじ)き飛ばす力は、異様(いよう)と言ってもいい。「誰でもいい」という、行き場のない不満を抱えた集団は、ひとたび標的(ひょうてき)として選んだものに、容赦(ようしゃ)ない攻撃を加える。理由はなんでもいいのだ。そのたびに、そうかこんなこともあった、言えるぞとばかりに、それはこれでもかと続いたようだ。


 3 「自分を守る」「安心」

 ここまででも分かると思うが、前に掲(かか)げた子どもの四つの態度は、群馬桐生の事件の子どもたちに限って強(し)いられた態度ではない。また、桐生の子どもたちを襲(おそ)った危機も、彼らだけに降り注いだものではない。私たち全体に関わるものだ。しかし、彼ら子どもと私たちの違う点は、かれらが「子ども」である、ということだ。彼らが「未熟」であるということだ。「未熟」であるということは、

○選択肢(せんたくし)が狭い
○受け容(い)れる力が弱く、幅もない
○「肯定的(こうていてき)なひとり」を知らない
○待てない

のだ。それじゃいかん、またはひと頃流行してあっと言う間になくなった、
「ならんもんはならん」(NHK『八重の桜』中のセリフ)
なんて言ってもなんともならん。被災地の苦しみなどを取り出して説いて聞かせるバカもたくさんいるのである。だが大切なことは、そんな子どもたちが、大人から一方的に言われるばかりで、ちっとも自分たちのことを分かってもらえていないことだ。では子どもたちはなぜ言わないのかとか、何かあれば言えばいいのにとかではない。子どもたちは常日頃(つねひごろ)語っているはずだ。
「別に」→うるせえよ
「普通」→かまわないでください
子どもたちは十分に語っている。私たちを遠ざけ、私たちから遠い世界を私たちが読み解いて行くことが、私たちの仕事だと思える。


 ☆☆
ニュース見ましたか。楢葉町長の、「住民投票はする必要なし」で、町議会始まりましたね。これに先立ち二日前、同じく町長は「高濃度廃棄物(こうのうどはいきぶつ)の受けいれ拒否」を宣言(せんげん)しています。つまり、ひどいのは町に入れないから住民は黙って見てろ、ということなのでしょう。町議員がどう判定するのか、夕方には分かります。

 ☆☆
新刊『震災・学校・子ども』(三交社)が、来週の土曜(8日)に書店に並ぶようです。嬉しい。みなさんもぜひ読んで感想をお聞かせください。再び(4回目?)アドレス書いておきます。よろしくです。
kotoyori.masato@lilac.plala.or.jp
表紙です。
            

名護市・楢葉町 実戦教師塾通信三百五十三号

2014-01-27 12:51:30 | 福島からの報告
 名護市・楢葉町


 1 臨時町議会


「でも、住民が中間貯蔵施設(ちゅうかんちょぞうしせつ)に反対ってことはもう分かり切ってんだよなぁ」
牧場主さんが言う。
 新聞やテレビ(22日NHK『クローズアップ現代』)で、最近取り上げられるようになった楢葉町の中間貯蔵施設である。前書いたように、楢葉町住民有志は、住民投票請求に必要な町民の50分の1(126人)を大きく上回った2151人の署名(しょめい)を集めた。有権者全体の40パーセントに近い数字だ。これが県内のあちこち、そしてもっと遠いところへ避難(ひなん)した楢葉の住民から集まった。すごい数字なのだ。
「署名した人はみんな施設に反対で署名したんだからさ」
という牧場主さんだ。
 前回の町議会では、住民投票実施(じっし)を否決(ひけつ)した。町の議員は「住民投票必要なし」としたのだ。この29日(あさってだ)に招集(しょうしゅう)される臨時町議会は、住民の過半数とも言える請求をどうするか決める。まだ、施設反対なのではない。住民投票の実施をどうするか、を議論(ぎろん)する段階だ。こう書いてきても不思議に思える。「施設の是非(ぜひ)」ではない、「住民投票の是非」が問われるだけなのだ。
 前の町議会は住民投票に賛成が5人、反対が6人だった。わずかな差で決まったこの反対の理由を、なぜかメディアははっきり報道しない。


2 町会議員リコール

「反対しても無理だってことらしいな」
「だったら町の金をどっさり使って住民投票をやることねえってわけだ」

と、牧場主さんはこの理由について分析(ぶんせき)して見せる。分かるだろうか。

「国が建設すると決めたら、それには反対できない」

という貯蔵施設なのである。この点も報道は力を入れない。
「町のみなさんには納得(なっとく)してもらうため努力する」
とは、石原環境大臣が言ってることだが、どこにも考え直す、とは書いてない。
 もうこの先どうなるか、私でも分かる。
○臨時町議会で、住民投票実施が賛成多数で決まれば、楢葉住民は、中間貯蔵施設建設「反対」を決議する
○町と国は相いれない関係に入る
しかし、この臨時の議会で議員が住民投票実施「反対」を決議したら、

「住民は議員のリコールに入るだろうな」

と牧場主さんに言われないでも分かる。町の人たちの決意をみる気分だった。近々、佐藤知事が中間貯蔵施設建設の見通しについて、見解を出すという。
「国の言うことには従いましょう」
としか解(げ)せない沖縄の知事のようなことはしないだろう。線量の低い楢葉は、別な施設の建設、となるような気がしている。

「楢葉は線量が低いから建設反対、というのではまずい」
「じゃあ、線量の高い大熊・双葉ならいいのか、ということです」

なんていうバカを言ってたのは、環境副大臣のなんとかいう野郎だ(『クローズアップ現代』)。じゃあ、もっと線量の低い東京へ作れよ、だ。こういうトンマな野郎が建前(たてまえ)をおしゃべりしている。
 住民を無視する国の前に立ちはだかる住民、名護市のあとに楢葉町も続くのだろうか。
 臨時町議会、あさってである。


 3 その他

 児玉龍彦を座長とする楢葉の「除染検証委員会」は、
「住民の納得」
を目的とするらしい。「安全かどうか」が明確に出来ないから、という苦しい決断と思える。検証委員会はあと二回、3月が最終報告である。

「町が『帰還(きかん)宣言』を来年出すかその先かというのは大事なんだよ」
と、また牧場主さんはふっとつぶやく。あと二カ月足らずで震災から4年目に入る。それから一年たてば5年だ。 
 思い出そう。「5年以上帰れない」地域は「帰還困難区域」で、もっとも線量の高い地域である。賠償額(ばいしょうがく)がまったく違う。家屋・土地、すべて全額を賠償することになる。しかし、東電・国はそこで抵抗するだろう。そしてその時、国と東電は、
「楢葉町民のごね得」
という世論(せろん)をバックにするのだ。


 4「水道料金はいいことなかったよ」

「いやあ、山の上まで逃げたところで車が動かなくなってさ」
あの時、走って逃げた人ばかりではなかったのだ。
      
      写真は久之浜。高台からの海と町。流されずに残った家々。
「海水かぶりながら逃げたんだから、車もがんばったんだな」
「塩水がまずいらしいんだよ」
「山の上で息が絶(た)えたってことよ」
今でもこうして、顔を合わせれば津波の話だよ、そう集会所でおばちゃんたちが言う。いつも手作りの「おやつ」を持参(じさん)している。この日は高菜(たかな)の漬け物、大根とにんじんの酢の物、そして大根の煮物(にもの)。これは、ゆでた大根を味噌・醤油・砂糖でいためたものだ。
「心は少し固いぐらいでお湯からあげてよ」
それからいためるんだよ、と詳(くわ)しく教えてくれる。隠(かく)し味にリンゴをすりおろして入れると美味しい。だそうだ。カツオ節で和えて仕上げ。
 話の合間(あいま)に会長さんがグチともつかない話で入ってくる。仮設住宅の公共料金だ。
「電気は相手が東北電力じゃよ、お互いさまってことでしょうがねえ」
また繰り返すが、ここは東京電力ではない。サービスしろと言えないということだ。
「ガスはアラビアの財団が、この仮設に一世帯3万円を支援してくれてさ」
「入った人は、大体一年近くガス代がただになったんだよ」
「ところが、水道ってのはいわき市・いわき水道局の管轄(かんかつ)で」
「すぐに『被災者には配慮(はいりょ)します』って言うかと思うと違うんだ」
「この仮設が始まってからずっと言ってんのによ」
「やっとこの間の議会で取り上げたと思ったら」
「『法令・条例、そして平等という観点に照らして、水道料金は全員同じ』だとよ」
会長さんは、情けねえ話だろ、とこぼした。
 これには少しわけがある。海岸線の人たちは今までみんな、家庭排水を海に流していた。つまり「下水道使用料」というものに縁(えん)がなかった。ところが仮設住宅に入ると、この「下水道使用料」請求が始まり、水道料金は倍になった。それまで海に住んでいた人たちがびっくりした、という話である。

「昔みてえに、八幡様・お諏訪様にお参りにいきてえけどもよ、なにせ遠くなっちまってよ」
そうこぼすおばちゃんたちの顔は、笑っている。


 ☆☆
マー君、いよいよですね。特に「あこがれではなかった」ヤンキース。なんでもいい、あの吠(ほ)える姿が見れればいい。ニュースでタケシが、年俸(ねんぽう)から、
「一球あたり75万円」
と試算してましたね。すごい。この記者会見のあと、マー君はなじみの楽天球場に別れを告げています。この写真はきっと、スポーツ紙か地元紙しか載(の)らなかったんではないでしょうか。
             
           球場に深々と頭を下げるマー君(『福島民友』)

 ☆☆
今場所の白鵬はよかった。三日目ぐらいまでは少し汚い(きたない)取り組みも見えましたが、昨日の本割りと決定戦の両方を見て、改めて白鵬のすごさを見た思いです。明らかに本割りで負けた白鵬は追い込まれた。決定戦までの時間をどう過ごしていたのか。そして、あの決定戦です。本割りとまったく同じ立ち会いから、流れに逆らわないとったり。「横綱の意地」だと? 「いい相撲だった」と言いなさい。

大川小学校続報  実戦教師塾通信三百五十二号

2014-01-22 13:06:48 | 子ども/学校
 大川小学校検証委員会最終報告(案)


 1 「防災教育」必修(ひっしゅう)?


 大川小学校の事件は、学校的事故・事件の象徴(しょうちょう)である。前からそう言っている。これを私たちは今後に生かさないといけない。でないと死者が浮かばれない。そういう意味においても、学校的な出来事なのだ。
 海岸線での避難は、どの学校でも「走った」。しかし、大川小学校は、校庭での「50分間」のあと、生徒は「並んで/行進(早足)」した。このことが意味することは、学校側の判断の「正しさ」に、学校自身が執着(しゅうちゃく)したということだ。
「今さら走れるものか」
なのだ。仮に学校が間違っていた(のかもしれない)と思ったら、みんなを走らせたのは疑いがない。
 ではどうすれば良かったのか、と言われれば、今さらどうしようもないのだ。しかし、今後このようなことは学校で起きる、起きてしまう。そんなバカなことを繰り返さないためにも、その事件の因(よ)って立つことがらの検証をしないといけない。それが学校事故・事件への大切なスタンスだ。

 まず主要メディアと『河北新報』を頼(たよ)りに、その内容を点検してみた。
 この案に、
「教職員の迅速(じんそく)な意思決定がされれば、もっと早い避難(ひなん)が可能だった可能性がある」
と、盛り込まれることは事前に知らされていた。遺族(いぞく)の思いは、ここがスタートだったはずだ。ようやく始まったかもしれないとは、少し前のブログで書いた。しかし、どうやらこれはスタートではなく、ゴールになるようなのだ。「空白の50分間」への「なぜ?」は始まったばかりだった。にもかかわらず、あとは、
「教職員の危機意識の不足」
「学校の防災体制の甘さ」
「行政(ぎょうせい)の情報伝達の不十分さ」
などとある。「ハザードマップ」の不十分な理解、そして避難マニュアルのなかったことがその中心となっている。そして、対策のひとつになんと、
「大学で『防災教育』を必修にする」
という提言(ていげん)である。もう口をアングリと開けてしまう内容だ。この報告会で、たまらず席を外(はず)してしまう遺族もいたというが、そうなってしまうのも当然だ。
 たとえば、ひとつ目の、
「教職員の危機意識の不足」
これは、大川小学校に着任(ちゃくにん)して間もない職員が7割だったから、というものである。学校の地理的・(災害の)歴史的背景を知らないから、ということだ。しかし、だ。今どき職員が、ひとつの学校に10年も勤務するご時世(じせい)ではない。そして、行政は教職員に対して、早めに転勤(てんきん)を勧(すす)める。
「いろいろな職場を経験したほうがいいよ」
というのだ。それが一般的だ。教職員は着任してせいぜい3、4年で出て行く。それにも関わらず、この報告だ。私に言わせれば、この報告は「知らんぷりして何を言うのだ」ということだ。この連中は、世間がそこまでは知るまい、と思ってタカをくくっている。
 またハザードマップと避難マニュアルに関して、最初からずっと市も市教委も言っている。つまり、
「現場がこのマップや、避難マニュアルがないことを重要視していなかった」
「行政も啓発(けいはつ)しなかった」
「このマップも改訂(かいてい)する必要があった」等々。
しかし、以前書いたことの繰り返しになるが、この大川小学校よりさらに海岸線に位置し、津波で流出(りゅうしゅつ)した近くの相川小学校にも、この避難マニュアルはなかった。しかし、児童・教職員は緊急(きんきゅう)避難して、全員助かっているのだ。
 また繰り返すが、学校は、
「おおごとになることを恐(おそ)れる」
「『危機の回避』と『決断の回避』を混同する」
のだ。そして結果として、多くの、大きな事件になる。
 この大川小学校は、その後の経過も見事(みごと)と言えるほど、多くの学校事故・事件と似た姿をとっていく。
「おおごとになって」しまったというのに、
「これ以上『おおごと』にして欲しくない」
態度をとり続けるのだ。
 

 2 こちら(事務局)の判断だ

 と、ここまで書いたところで「最終報告案」がアップされた。140頁に及ぶその報告はしかし、ここまで書いたことに影響(えいきょう)を与えなかった。前半は、過去の自然災害やそれに対する学校や市そして県や、あろうことか国の対策やマニュアルの検討(けんとう)で費(つい)やされる。参加した遺族(いぞく)のじりじりした姿が目に見えるようだった。しかし、注目すべきことはたくさんあった。たとえば、防災無線は実は校庭の西側にあった。しかし、それが機能したのかどうかに関して、住民は、
「聞いていない/聞いた」
と、そういう意味では様々な言い方をしたらしい。そして、そのことを、
「そういう証言を得ている」
と報告書はいうのだ。すべからく、報告はこういう基調(きちょう)となっている。「広報車や消防の緊急警報(きんきゅうけいほう)を聞けた/聞けなかった」「校庭にラジオを持ち込んで聞いていた人がいる/いなかった」という、
「証言を得ている」
となっているのだ。
 同じ地域にある他の学校の報告は、
「防災無線(あるいは緊急警報)を聞き、避難した」
となっているのだが、大川小学校に関しては、「考察(こうさつ)」のくだりまで、その判断を留保(りゅうほ)する。そしてようやく、報告はその判断に踏み込む。
「市の広報車が校舎向こうを通ったため、警報を聞き取れなかった」
「学校の緊急災害用のラジオが持ち出せなかった」
とはいうものの、
「保護者持ち込みのラジオや、寄せられた情報から」
「津波の危険は予測(よそく)できたはず」
とし(以下報告案より抜粋(ばっすい))、

「危険に関する情報を得ながらも……軽視して大丈夫だと思い込もうとする傾向(けいこう)が生じ」
「動揺(どうよう)する児童や一部保護者を落ち着かせようとする…中で…楽観的(らっかんてき)思考をするようになった」

という考察をする。この報告の中で、きわめて数少ない適切なポイントと言える。
 さて、2011年6月の学校説明会のことだ。遺族のいう「スタコラサッサ説明会」というものだ。「一時間で切り上げます」という予告の通り、一時間で担当者が全員引き上げたのでこう呼ばれる。そして、遺族の、
「説明会はもうしないんですか」
の質問には、
「終わりです。もうしません」
と答えた説明会。この説明会に対して報告は、
「遺族の気持ちを大きく傷つけた」
とある。よくないのは、そのあとに、
「と思われる」
と加えていることだ。つまり、
「大きく傷つけたと思われる」
としているのだ。同じく、震災当日休んで学校にいなかった校長が、震災から6日後の、17日になるまで現場に顔を出さなかったことも同じだ。
「遺族を傷つけた『と思われる』」
なのだ。
 ここまで来れば、事故直後に児童や住民に聴き取りをしたメモを、担当者が廃棄(はいき)したことを、この報告がどう分析(ぶんせき)したかは、もうおして知るべしかと思う。
「市及び担当者が、記録(メモ)の重要性を認識していなかった」
である。
 今後の推移(すいい)を見守らないといけない。

 付け足すが、この前回、つまり第8回の検証委員会のあと、これも膨大(ぼうだい)な記者会見を拝見(はいけん)したところによれば、この事故のあと、校長と生き残った教務主任との間で、何度もメールのやりとりをしている。校長はそれを「削除(さくじょ)」している。渋井という記者がそのことを、
「(検証委員会はメールを)復旧(ふっきゅう)できるはずなのに、なぜしないのか」
と、果敢(かかん)に追及している。検証委員会事務局はそのことに対し、
「こちら(事務局)の判断です」「調査権限の問題がある」
と、何度も繰り返しているのだ。確認するが、これは教育委員会でも、学校でも市でもない。検証委員会メンバーの発言なのだ。
 ついでに、この記者会見の席上で、この会の委員長が、
「あなたはなにを笑っているんですか」
と、参加者から何度も指摘(してき)を受けている。
 
 今後の推移を見守らないといけない。


 ☆☆
どうでしょうか。これが大川小学校における「第三者」の、検証委員会の姿です。私たちは、全国の様々な第三者委員会の活動を見てきたと思うのですが、これは少し異例と思えました。柳田邦男がメンバーに入っていたので、期待していたのですが。彼はどうも途中から様子が変わったように思えました。これで終わりにしてはいけませんね。

 ☆☆
そんなわけで、今回は緊急に大川小学校の記事となりました。「遠い子どもたち」の続きは次号、いや次号は福島の報告になるかもなので、そのまた次になるかもしれません。どうぞ引き続きご愛読願います。

 ☆☆
穏(おだ)やかな日差しに誘(さそ)われて、手賀沼に足をのばしました。ベンチでパンを食べてたら、雀がよってくるんですよ。まったく逃げない。かわいいですねえ。雀って正式には「家雀」っていうの、知ってましたか。人間のそばでないと生きられないんですよ。森にはいませんものね。かわいい。

遠い子どもたちⅠ  実戦教師塾通信三百五十一号

2014-01-19 12:13:56 | 子ども/学校
 遠い子どもたちⅠ

     ~洋式トイレの男子たち~


 1 初めに


 暮れに出したブログで、電車の子どもたちの記事が人気だった。あのあと道々(みちみち)外国の子どもたちに出会うと、またあの子たちかと思うような気がして楽しい。
 その記事を読んだ『館山いじめ問題を考える会』の方から質問を受けている。ブログに寄せられたコメントを読んだ読者は分かっていると思う。直接その方(寅次郎さん)にコメントしようとも思ったが、えらく長くなりそうだったし、内容をこのブログの読者の皆さんにも共有していただきたいと思った。
 なので、4、5回にわたりそうなのだが、連載(れんさい)といたします。
 結論から書いてしまうが、この「差別」なる言葉で現在を裁定するのはとても難しい。まあ派遣(はけん)とか生活保護やらという問題まで拡げれば、また違ってくるかもしれない。でも、ここは子どもの問題に限定して考えてみたい。
 このタイトルの通り、今の子どもはずっと「遠くにいる」気がしている。たとえばそれは、この「差別」というカテゴリーでくくることを拒絶(きょぜつ)しているかのように見える。「拒絶」というと積極的なイメージを抱いてしまうので適当でないのかもしれない。しかし、結果として「差別」という現実を生んではいても、子どもたちの方にきっと「そんなつもりはない」。子どもたちはやはり「べつに」と言うのだ。じれったいと言おうが、そんなバカなと思おうが、そのことを私たちが承認出来なければ、私たちは子どもたちを理解出来る場所まで到達(とうたつ)出来ない。念のため断(ことわ)っておくが、これは「承認」であって、断じて「公認」ではない。
 子どもたちが「分からない」というのなら分からせないといけない、このままでいいはずがない、と思う人も多い。その通りである。私はもちろんのこと、これが「許されること」だとは言っていない。そして実際、学校現場で口角泡(こうかくあわ)を飛ばしてそう言う教員も多い。しかしそれでうまくいった試し(ためし)がない。「子どもを分からせる」前に、こちらが「子どもを分かってなかった」からだ。頭のいい子は、大人がいうことを頭で理解する。だが身体がついていかない。まして「頭の悪い子」は、端(はな)っからそんな「お話」は「生理的にうけつけない」。
 ずいぶん遠くにいる子どもたち。その距離(きょり)を確かめることはつらいことであっても、必要なことだ。そして、やはりそれは「次」への手だてとなるはずだ。


 2 トイレ

 「外国人差別」問題を取り上げ、展開するのは次回になる。ここはまず、子どもたちがどのくらい遠くにいるのか、というのを確かめる上で参考になることから始めたい。今回はトイレの話で終始(しゅうし)する。
 男子がトイレで個室の方を使って用を足(た)すことを知っているだろうか。もちろん「大きい」方ではない。それなら平和なのだが、なんと「小さい」方の用をするのだ。しかもここが重要な点だが、便座に座って用を足すのだ。断るが、この男子がそこで出すのは、「小便」なのだ! さらに断らないといけない。この男子が座る便座は「洋式」だ! 「立ちション」なる言葉は、近未来(きんみらい)、死語となってしまうのだろうか。この事実に私たちは怯(おび)えないわけにはいかない。これは平和な時代の出来事ではない。深刻(しんこく)な事態である。まれに男子が行列をしてトイレに並んでいる時があって、そんな時私だって空いている個室に侵入(しんにゅう)して、ちっちゃい方の用をすませることもある。ところが、事態はそんな甘っちょろいことではないようだ。まだ、メジャー化していないと思われるこの現象は検証する価値がある。
 女性諸氏(しょし)はご存知だろうか。男というものは、あのトイレの個室に入ることを、なぜか「恥(はじ)」と思っている。みんな全員、生きとし生けるものは全員することになっている生理的行為(こうい)であるにも関わらず、恥ずかしいのだ。より正確には公衆トイレの個室に入ることが恥ずかしいのである。自宅で恥ずかしいはずがない。でも、公衆トイレの場合は、公然と「ウ○コします」と不特定多数のみんなに表明したことになる。それが胸にうずくのが原因と思う。女子の場合は、全員どちらの用でも個室に入るわけで、そこは究明も追及もされないわけである。両者の違いは極めて(きわめて)大きい。これが公衆トイレでも、学校となれば、この「恥」はハンパな規模(きぼ)ではない。
 男子が用を足す時、そのために露出(ろしゅつ)する必要がある部分はわずかなものだ。それで男子のトイレ施設(しせつ)はあんなに無防備(むぼうび)なもので、必要かつ充分となっている。そんな男子が、個室に吸引(きゅういん)されている。つまり男子諸君が、今のままでは「防御(ぼうぎょ)できない」という判断を始めた、ということを意味する。ラーメンの有名店「一蘭」を思い出して欲しい。個室になった暖簾(のれん)をくぐると、両脇にさがった仕切りの向こうから、ヌッとラーメンが出される、あの方式である。安心してゆっくりラーメンを味わうことが出来る、という売り込み文句である。この「安心」がおそらく共通のキーワードなのだ。
 一昨年、田中真紀子が文部科学省の大臣になった時、
「真紀子さん、学校のトイレに行ってください」
なる要望が、新聞だったかネットで話題になったことを思い出す。ふだん家庭で洋式トイレの生活の子どもたちが、学校では一般的な和式トイレに困っている、というものだった。これはまあ女子の話と思っている。そして、同時期だと思うが、若い男子サラリーマンが、お昼をトイレで食べていることが話題になる。さらに逆上る(さかのぼる)と、このブログ上でも話題にしたことがあるが、学食(大学食堂)、または学内サロンで、グループでお昼を食べるかたわらで、ひとり弁当を食べる男子学生の存在。
 すべては「草食系」(2006年登場・2008年大ブレイク)男子の登場から顕著(けんちょ)に見えてきた現象だと思われる。男が自分の手作り弁当をやろうが水筒持参(じさん)しようが、恋愛怖(こわ)くて出来ませんだろうがいいのだが、その男子が、
「洋式トイレに座っておしっこ」
なのだ。学校現場情報によれば、この現象に一役(ひとやく)かっているのは、若き母親であるらしい。
「おしっこが周りに飛び散らないように」
という子どもへの申しつけである。


 3 「安心」を探して

 そろそろ結論である。まず、若い母親からわが子への「申しつけ」は、文化的な背景で考えれば、今となっては消滅(しょうめつ)した家庭の「小便器」の問題とも思える。息子やダンナの発射(はっしゃ)したものの名残(なごり)を感じつつ、自分がそのあとに腰掛けるという生活を迎(むか)えたのだ。そして同時に、そのことをおとなしく受け入れる「女」ではなくなったという現実でもある。
 しかし大切なことはその周辺の子どもの変化だ。小便ごときは外だったらあたり構(かま)わずやったというのは、もう博物館入りの話だ。少し前までだったら「とりあえずトイレ」で用をすました悪童は、母親の制止などかえりみず外に飛び出した。これが、まったくとは言わないが、姿を見せなくなる。子どもの数が減ったということだけでは片づかないことを、読者も分かるはずだ。
 今の子どもたちは、いつも「防御しないといけない」と感じている。そして、自分が「安心出来る」場所を探している。母親の申しつけオンリーで、男子どもが洋式トイレで「しゃがんでおしっこ」するわけがない。この男子どもは、
○なぜか「防がないといけない」
○なぜか「安心出来ない」
生活に追われているのだ。この「しゃがみ男子」はまだ少数だが、彼らが語っていることは雄弁(ゆうべん)だ。
 そして、この生活の障害になると感じた時、子どもたちは動きだす。だがもちろんそれは積極的なものではない。「べつに」「普通」「なんで?」と答える姿がそうだ。
 「いじめ」もそのひとつと思える。「正義」だの「人間として」なんていう言葉を振りかざす世界ではない。


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折に触れ、ここでも館山の問題を取り上げます。「考える会」及び遺族(いぞく)の方々の辛抱強く(しんぼうづよく)、大変な活動が今も続いています。このブログ295号の補足、続きをいつか書かないといけないと思っています。

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一方でこのシリーズは、あくまで子どもの現在の姿を出来るだけリアルに捕らえたいという思いで書いていきます。学校がする勘違いと混同を、油断すれば私たちもするのです。
あせらず怠(おこた)らず。「塞翁が馬」の気持ちで行こうと思っています。

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いよいよ名護市長選挙、投票日です。そして、先日お知らせしたように、南相馬の市長も今日ですよ。現職が落選を続けている福島の首長。どうなるのでしょう。そうだ、選挙へ行こう! ですよ。

くぐり抜ける  実戦教師塾通信三百五十号

2014-01-16 13:06:24 | 思想/哲学
 くぐり抜ける(新年その3)

   ~旧いものとの訣別(けつべつ)(下)~


 1 「くぐり抜けられなかった」綿矢りさ


 震災を「くぐり抜けられなかった」と思える端的(たんてき)なものをひとつ。

「いつか力尽きるから美しい。その美しさからは逃れられない」
こう書きだすのは、綿矢りさの『大地のゲーム』である。
             
発表は昨年の『新潮』三月号。単行本として発売されたのが、その半年後だ。今から一世紀近くの後、東京を襲った(おそった)大地震のあとに生き残った若者たちの物語。私は物語のこの最初の言葉を、深い悲しみをくぐり抜けたものの言葉だと思った。これがもちろん、東日本大震災をモチーフにしたものだということは言(げん)を待たない。物語ではこう続く。

「あのころと私は変わっただろうか。いや、変わっていない」
この一行も、自分自身を襲った悲しみがどこにも持ち出せない、整理のつかないものだ、という意味なのだと思った。この「変わっていない」なる一文を読者は覚えていてほしい。あとで書くが、綿矢ではない、こちらは高村薫の、「とくに」「なんとなく」という女子高校生の、変わっていないように見える生活の、実は「大きな変化」を見てもらいたいからだ。

 この『大地のゲーム』の方は、
「いまこの国で、人が死ぬのなんかめずらしくない」
「平和な日々をまだ思い出したくない。どうせ築(きず)いても、またすぐ壊(こわ)れるのかもしれないのだから」
「もうこうなっては未来はない、と信じ込めるほどの情景が、学館(がっかん)の屋上からみた景色(けしき)には広がっていた」
と、えんえん描写(びょうしゃ)を続けるのだが、私たちは戸惑う(とまどう)はずだ。こんな安っぽい「絶望」を、私たちは絶望と呼ばない。たとえばこの「こうなっては未来はない」ことが、読んだ人が思うのだったらいい。つまり、そう思わせる力が文章にあったのならいいのだ。しかし、作者の思い入れの強さばかりの文章ではないのか。綿矢は一体どうしたというのだ。あの『蹴りたい背中』(2004年年芥川賞)で見せた、さりげない空気の中の「静かな絶望」とでも言ったらいいのか、そんなリアルな世界を描いたあの力は、ここにはない。
             
 ここで私は、いつものように「震災をくぐり抜けてこなかったものはダメだ」と思わないわけにはいかない。繰り返すが、そうしないと人間として許されない、とかいうオセンチなことを言っているのではない。そうしてないものは「力がない」と言っている。
 しかし、綿矢は震災をくぐり抜けて来なかったのだろうか。実はそうではないのだ。


 2 高村薫

 その前に直木賞作家、高村薫について書かないといけない。綿矢りさもそうだが、関西在住である。二人とも阪神大震災、東日本大震災ともに関西で経験している。以前、ここで取り上げたかもしれないのだが、高村の短編で『同行死者』という秀作がある。路線バスが国道の交差点でタンクローリーにぶつかり、乗客15人が死ぬという事故の話。というより、通学で乗っていたそのバスに、たまたまその日乗らなかったため助かった女子高校生の話である。
 「なぜ」、この言葉が事故直後、彼女の周囲に溢(あふ)れる。どうしてあの日バスにのらなかったのか、どうしてバス停から高校とは反対側に歩いていったのか、どうして携帯電話の電源を切っていたのか等々。
 仕方なく彼女は答える。「べつに」「なんとなく」。私たちはこの時、若者言葉として公認の「べつに」「なんとなく」を思い出すはずだ。しかし、この時の彼女の「べつに」「なんとなく」は、「普通の女子高生」が使う「べつに」「なんとなく」とは違っている。本当にそうだったはずだからだ。
 このあと彼女は、いつもバスに同乗していた乗客を、新聞や報道ですこしずつ知ることとなる。そうしてその後、彼女はその人たちの住まいや暮らしまで、自分の足と目で確かめる。そして、いつのまにか自分自身が、あのバスの中で火だるまになっていく。しかしその頃、あれだけ騒いだ周囲は、もうバスの事故を忘れたかのような顔つきになっているのだ。彼女は、

「今度こそ、心から『べつに』と『なんとなく』を連発」

するのだ。
 震災からもうすぐ一年、という2012年の2月にこれは『新潮』で発表された。もちろん大震災を「くぐり抜けた」作品だ。先の綿矢りさの『大地のゲーム』で、唐突(とうとつ)に登場した、
「あのころと私は変わっただろうか。いや、変わっていない」
という言葉との違いは無惨なほどだ。高村と綿矢は、まったく違う場所にいる。高村は、震災やそれが生んだ被災地・被災者を、どのように受け入れることが出来るのかという叫びにも似た思いをここに横たえている。最後に作中の彼女がつぶやく、
「わたしには15人の死者たちが同行している。これは、父母には内緒(ないしょ)だ」
は圧巻(あっかん)だ。
 綿矢は、「頑張れ」「神様からの贈り物」「一つ一つが大切な命」などという掛け声の汚い(きたない)とさえ思える無意味さを言う。もちろん今回の大震災を書こうとしているのだ。しかし、
「世界の割れる音、見えない巨大な手に狂ったように開け閉めされる窓…略…床は波打ち天井(てんじょう)の照明は踊り出し、ぶつ切れて床に追突し割れる。…略…息ができず目も開けられず、……自分のものとは思えない叫び声」
これはいただけない、と思うのはわたしだけではあるまい。
 綿矢は震災と向き合って来なかったのか。違うのだ。


 3 気仙沼

 東日本大震災当日、京都で一晩中テレビに釘付けだった綿矢は、何かしないといけない思いでいた。そして、テレビが縁(えん)で、震災後間もない気仙沼の高校を訪れている。そこで授業をしている。確かにテレビでもそのことだったか、インタビューに応じていたと記憶(きおく)している。
 しかし、そこで何をしたとか、真剣だったとか、そういうことはいいのだ。はっきりしていることは、そんな綿矢がそのあとで発表したのが、この無惨とも言える作品だったということである。「21世紀終盤」という時代設定は、震災にストレートに向き合うのがこわかったからだろうか。違う。いまだ震災を「くぐり抜けた」思いを持てなかったからだ。震災がなんだったのか、なんなのかを探りあてる手がかりを持てずにいたからだ。しかし、そんな時「表現者」として出来ることは、ひとつしかない。「踏みとどまる」ことだ。ここまでしか書けない、またはまったく書けないという道に踏みとどまるしかないのだ。
 綿矢は、その道を選ばなかった、と思えた。しかし、「くぐり抜けていないものの姿」を見せた、という点では「仕事」をしたのかもしれない、とも思えた。


 ☆☆
仲間のお見舞いにいきました。交通事故の被害者です。病院の「映画を見る会」とやらが、300円で『ゴジラ』(1954年)をやるといいます。仲間は、ゴジラでいうとメカゴジラの世代です。わたしは白黒のスクリーンで銀座に現れ、山手線(?)の電車を襲う(おそう)ゴジラの世代です。もうたまりません。漁村の山間(やまあい)から顔を出す、ゴジラのリアルさがたまりません。海辺での出来事かと思っていたら、まさか東京まで来るのですよ。「想定外」は60年前に予告されていたんです。18日は病院の集会場らしい。うらやましい。

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それにしても、猪瀬知事の辞任がこんな風を吹かせようとは思いませんでしたね。自民都連、思惑(おもわく)と違ったんじゃないですかね。選挙というものにこんなに世間が熱くなったのは、いつ以来でしょうか。悪いことではありません。「地方の時代」とか言ってきた人たちは、どう反応してくれるやら、ですね。さて、小泉政務官て進次郎のことだったんですね。沖縄で名護の基地受け入れを演説したと思ったら、次は「舛添を支持する同義性なし」と来ましたよ。さて、どうなるんでしょうか。

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ホントに寒いですねえ。お日様がありがたい。昨日はストーブでチゲ鍋作りました。キムチが身体の中をあったかくしてくれて、冬はいいなあと思える瞬間です。でも、どうしても作り過ぎますね。