同調圧力(下)
~子どもたちの「つながりたい」気持ち~
☆初めに☆
二回の記事を通して、ありがちな「村社会」や「天皇制」への批判を検証したつもりです。「同調」そのものは肯定的にとらえるというのが、私のモチベーションです。音楽の協和音も不協和音も、揺らぎながら快適な「同調」を目指します。いま流通している「同調」は、強迫的(「脅迫的」ではありません)なものとして、つまり「あるべきものとして」語られています。そこには協和も不協和もない、あるのは同一歩調=同調という息苦しい世界です。
でも、子どもたちの陰湿で残忍な行動は、積極的なものを動機として持っている。私は前からそう言ってきました。子どもたちの間で、この「同調」がどのような経過をたどり、どのような形になっているのか、実態を見ながらもう一度振り返ってみます。子どもたちはやっぱり信じられると思っています。彼らが「被害者」だとすることからは、何も生まれません。
1 「ネクラ」と「プロフ」
1990年代に入ると、ギャルの向こうを張った「コギャル」が街に姿を現す。彼女たちの「三種の神器」は、ポケベルとたまごっち、そしてプリクラだった。このプリクラこそ、自分が他人とつながり承認される世界だった。それから10年余りが過ぎると、携帯アプリ「プロフ」が、子どもたちの間に広まる。子どもたちはこの機能を活用し、自分のプロフィールを発信する。手軽で新たなツールが、承認を求めて躍動した。自撮りのヌードが拡散したりもした。子どもたちは承認を求めて、自身を開放しようとしたが、つながりは稀薄なものだった。どうしてそこまで彼女たちは、承認を希求したのだろう。
これ以前に彼女たちは、強烈な「協調性」のフィルターを通過していた。「ネクラ」というフィルターだ。1980年代初頭のある日、子どもたちの会話に「クライね」という言葉が登場する。これはすさまじい勢いで拡がった。お陰で子どもたちはみんな、大げさなリアクションをしないといけなくなり、友だちには同伴しなければならなくなった。少し前まではひとりでぼんやりいても、友人は「なにセイシュンしてるの?」などとからかった。関わりはやんわりと、風のようにそばを優しく通りすぎた。しかしもう、本も窓の外の景色も胸の内も、行けない場所になった。一体何が起こったのか。おそらく子どもたちはこの頃、つながりたいのにつながれないという、もどかしい焦りに似た気持ちでいた。新幹線は時速300㎞営業が目前だったし、家庭のダイニングには「冷蔵庫にあるのをチンしてね」というメモが置かれるようになった。「同情するならカネをくれ 」と叫んだドラマ『家なき子』もこの時期である。社会のスピードも人々の分断もすさまじかった。こんな時に発生した、子どもたちの言葉であり行動だった。ここには止むに止まれぬ事情が横たわっている。
つながっていたかったという子どもたちは、「つながらないことを許さない」気持ちを育て、本当は「ありもしないつながり」を求めるようになったのだ。つながり欲求と承認欲求は、境を見せることなく膨(ふく)れ上がった。
2 リアルな「つながり」と「承認」
学校に行きたくない生徒は、家にもいられなかった。家が厳しかったからだ。生活上の事細かなこともそうだったし、進路も「上」を目指すように言われる。そこで彼女は登校したあと、トイレに籠(こ)もることにした。具合が悪いからと、トイレに向かう。そこでスマホに浸(ひた)る。とりあえず学校には来ているのである。しかし、これが露顕(ろけん)しないはずがない。事実を知った親は、クラスで「いじめ」があって学校を嫌がってるのではないか、しがみつくように理由を求める。しかし高校の行き先まで強いる親に、子どもは心を開くわけがない。初め担任は「友だち」を保健室やトイレへと、お迎えに行かせる。しかし何の関わりもない人間が、相手を動かすことが出来ないのは道理だ。担任が動く。これが関わりであり、やがて「つながり」へと変わる。彼女は少しずつ口を開く。教室に「戻る」かどうかと関係なく、保健室とトイレを媒介に二人は対話を続けている。彼女の中で、静かに「つながり」と「承認」という事態が、同時に進行している。「つながり」も「承認」も見えるものであり、確かな肌触りを持っている。
☆後記☆
子ども食堂「うさぎとカメ」、親子の嬉しそうな顔がたくさんでした。嬉しいです。
フードバンクからの品々です。
ただいま奮闘中、調理担当スタッフの様子です。早くからたくさんの人が来たもので、作るのが追い付かず待ってもらいました。
このハンバーグ、大きさ伝わるでしょうか。高級牛肉なんです。私たちも食べたかった!
☆☆
私の実家で本籍地でもある、栃木の足利がずい分な様子です。10年ぶりぐらいでしょうか、電話を入れました。ダレだんべぇと思ったよという、懐かしい上州訛(なま)りでした。燃えている山が少し離れた場所だとは分かったのですが、いやあ煙と臭いがひどくてさぁと言うのでした。もうシャッターばかりの通りになっちまったけど、煙で道の向こうが見えねえのさ、と。まだ消火の見通しが立たないと、今朝のニュースでした。
☆☆
前号「1998~2017年」を「10年」の隔たりとしたのは間違いでした。「20年」ですね。引き算が苦手なもので、すみません。