実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

おい、そこのバイク!  実戦教師塾通信三百三十七号

2013-11-27 10:59:30 | 福島からの報告
 いわきの秋(下)

      ~「世の中そんなもん」か?~


 1 被災者の通った道


 市内駅前の大型スーパーに「ニイダヤ」の干物を置くイベントが実現した。でも、イベント当日(とうじつ)土、日曜の売り上げは、
「それほど思わしくねえんだけどよ」
と、社長の顔は「明日も知れない」会社のことで曇(くも)りがちである。
「でも、これからもウチの品物をおいてくれそうな感じだし」
と、希望を言うことも忘れなかった。他のお店で置いてくれるという話も出てきたという。でも、この号はそんなこんなの暗い話だ。

 社長は全壊(ぜんかい)した自宅に住んでいる。「全壊」とは、姿も形もないのを指(さ)すわけではない。建て直さないことには住めない、または危険である、という状態も「全壊」とされる。社長の自宅はなんとか形を保っていて、そこに住み続けている。しかし、建て直すか引っ越すかしないといけない。来月の24日に、例の復興住宅の申し込みが終わる。
「それまでは今の家をまっさらに片づけないと申し込めない」
と、社長が言うのだ。そうだっただろうか。社長の家は、下水管が割れて修理した。そこだけ緊急(きんきゅう)に修理したのだ。しかし、その修理代は国や自治体(じちたい)の支援制度を利用した。それは、
「修理してまたそこで暮(く)らす」
ことが前提(ぜんてい)となった制度のお金だ。それを利用したものが、復興住宅に申し込めるのだろうか。
 残酷(ざんこく)と言えば残酷なものだ。これでこのまま復興住宅に移った場合は、「支援金の『不正受給(じゅきゅう)』」となる。または、それを避(さ)けるためにも、復興住宅に申し込むことを断念(だんねん)するということになる。
 合点(がてん)が行かないことが、まだ社長の口から出てくる。なにをやっていたんだ、と思うと同時に、先に私の方で気がついて、どうして何か言えなかったか、とも思った。今はいわき市でも住居(じゅうきょ)の取り壊(こわ)しに金がかかる。そんなのは当たり前のことだ。でも覚えていると思うが、震災後、
「この住居を壊すことを許可します」
の貼(は)り紙のあった住居は、無料で自治体が更地(さらち)に戻した。私たちボランティアもその解体に立ち会い、お手伝いをした。その「無料」の期限は、秋から冬まで延長(えんちょう)になったと記憶(きおく)している。被災者が多忙(たぼう)で、また心労が重なっている、という配慮(はいりょ)から出された延長の策(さく)である。あの時、私たちはそのぐらい当たり前だと思ったり、良かったと思ったりした。社長はその手続きをしないまま時を過ごした。

 震災後の生活再建の混乱は、罹災(りさい)したことを証明する煩雑(はんざつ)な手続きに始まった。また、自宅が全壊(ぜんかい)か半壊かの審査(しんさ)のため、
「現状保存とする。動かしてはいけない」
という指示が出たので、被災者はいくら待っても来ない審査を待った。その間は修理はもちろんのこと、なんと撤去(てっきょ)の申請(しんせい)も出来ない。その間をぬって、せっかくの水の配給(はいきゅう)がある時は出向かないといけない。生活再建ばかりでなく、生活の維持(いじ)をしないといけない。つまり、被災者は「生活しないといけなかった」のだ。そんな混乱と疲労の中で、どうしようか、もしかしたらどうにかならないだだろうかと迷い、あるいはそんなことすらも忘れたまま、とうとう全壊した家を、壊れたまま抱(かか)えることになってしまった人も多い。私はそんな人を、目の前で見ているような気持ちになった。


 2 「世の中そんなもんだよ」

 居酒屋(いざかや)で、社長は何度も、
「世の中そんなもんだよ」
と、こぼした。復興住宅への入居(にゅうきょ)が危うい、自宅の解体に費用が発生することや、そして何より干物工場の停滞(ていたい)など、打ち続くパンチに口は重いのだ。私は、
「やるだけのことはやってみようよ。それからでも遅くない」
と、大した励(はげ)ましにはならないのは分かっていても言う。私なりにこれからでも出来ることはある。それはそれで、気の毒だが、社長は自分自身のミスにいつか向き合わないといけない。
「防潮堤(ぼうちょうてい)もどんどん出来てっけどよ」
話が堤防の話になった。
「あんなもん、簡単に津波は越えて来るぞ」
その通りだ。防潮堤は7,2mをさらに嵩(かさ)上げして、8,2mの高さとなる。
        
これがつい先日の夏井川河口(かこう)付近の様子だ。7,2mなんてこんなものだ。そして、以前も掲載(けいさい)したが、それより半年前の同じ場所の工事の様子だ。いつの間にかの、そしてあっと言う間の現実だ。
        
 地元の商工会と漁協(ぎょきょう)相手の説明会に参加した社長は、
「どうして堤防なんてむだなことするんだ」
「だったら、高台に続く立派な避難(ひなん)用の道路を作るべきだ」
と『思った』そうだ。
「思っただけじゃしょうがねえだろ。言わなきゃ」
と私は言う。
「言ってもむだだよ。世の中そんなもんだよ」
また始まった。
「むだかどうか分かんねえだろ。そんな世の中が変わんねえぞ」
私は言ったが、
「商売やってっとさ、なかなか言えねえもんだよ」
と社長が言う。私は舌打ち(したうち)して引き下がるしかない。
 ぶりのあら汁がおいしかった。


 3 「おい、そこのバイク!」

 その帰り道だった。社長の運転する私たちの車の前に、赤色灯(せきしょくとう)を回しているパトカーがいた。交差点で止まったので、緊急出動ではないパトロールだ。すると、その右側の右折(うせつ)ラインに、走り屋っぽいバイクが止まった。半キャップ(野球帽のようなメット)をかぶった若いのが運転するバイクのナンバーが折り曲げてある。
「おい、注意しろよ。ナンバー折れてんだろ!」
なんだか社長の威勢(いせい)がいきなりよくなり、パトカーまで聞こえるわけはないのだがそう言った。私は、
「さっきまで今の警官はサラリーマンに成り下がったって言ってたくせに」
と、いきなり元気になったもと警官の社長にチャチャをいれる。
「そんな細かいことで、今のパトカーいちいちやんねえよ」
と、今度は私が社長に言う番だ。
「世の中そんなもんだよ」
 すると、だ。なんと、パトカーのマイクが叫んだ。
「おい、そこのバイク! ナンバーが曲がってる。直しなさい!」
いやあ、驚いた。若いのは知らんぷりだ。すると、今度はさらにきついボリュームで、
「聞こえないのか! ナンバーを直しなさい! 分かったのか!」
今度は、若いのがそちらを向き、頭を何度も下げている。とばっちりを受けた感じだが、私たちの車まで若いのは頭を何度も下げた。驚いたあと、私は笑った。いや笑った。そして社長に言った。
「おい、あきらめるなよ。『世の中そんなもん』じゃねえってことよ」
「やらないうちにあきらめて、分かった風な顔するなって」
今度は社長が舌打ちをした。


 ☆☆
予算が足りないとか、水をさすようなうわさもありましたが、楽天の優勝パレード、良かったですねえ。なんか、ロンドンオリンピックの時の銀座凱旋(がいせん)パレードを思い出しました。里田まいは、下の道路から一般のファンといっしょに声援(せいえん)を送ったそうですね。あの人、いいですね。優勝した時の言葉も、選手や監督への感動と感謝(かんしゃ)だけで、当事者が使う「応援をありがとう」を言わない(まあ、少しは言ってるのかも)。あくまでファンのひとりなんですよねえ。感心するなあ。

 ☆☆
福島の選挙(広野町・二本松)、また現職が負けましたね。その原因として、
「彼ら(現職)は懸命(けんめい)に事故対策に取り組んでいると思うが、事故の規模(きぼ)に追いついていない。……住民の苦しみがそれを上回っている」
と的確なことを言ったのは、福島県の前知事・佐藤栄佐久氏です(昨日の東京新聞)。双葉町の前井戸川町長はまさしくそんな人だったと思います。まあ、しょうもないどっかの市長もいましたけれど。

楢葉の明日  実戦教師塾通信三百三十六号

2013-11-24 12:03:27 | 福島からの報告
 いわきの秋(上)

      ~楢葉の明日~


 1 広野直販所(ちょくはんじょ)


 第8仮設に着いたのは夕方だった。集会所に入った私を見て、牧場主さんは、イヨっと言ってから、
「どうだった? 広野の米は」
と聞いてきた。私が広野の米を求めて行ったのを覚えていてくれたのだ。
 ニュースで見て、町役場まで生産農家を教えてもらいに行ったことを報告したと思う。もう9月のことだ。あのあと、町役場からの紹介(しょうかい)なのだろう、個人の生産農家らしい人から丁寧(ていねい)な手紙が届いたのは今月の半(なか)ばだった。なので今回、私はその農家を訪(おとず)れたのだ。これがけっこうな手間(てま)だったが、面白かった。
 農協が分からず、以前まだ広野町の半分が警戒(けいかい)区域だった時たずねたタクシーの営業所を訪れた。私の話を聞いた受付の女の人が、私を追いかけるように入ってきた運転手を指して、
「この人が今から駅まで人を迎(むか)えに行くから、くっついていくといいよ。途中(とちゅう)に農協があるんだよ」
と言ってくれた。運転手さんはわざわざ農協の中まで入って案内してくれた。気持ちのいいことが続く。
 まあ残念ながら、農協の知っている生産農家ではなかったのだが、多分ここなら分かる、と道路沿いの直販所を教えられた。すぐ近くだった。以前は公園や農産物の加工場があったのだろう、そこには広大(こうだい)な敷地がひらけていた。そのほとんどが今は駐車場(ちゅうしゃじょう)で、そこにぎっしりと車が敷きつめられていた。その彼方(かなた)に、海のそばの火力発電所の煙突(えんとつ)がそびえていた。
        
「なんだかよ、ここで集合してからバスで現場(原発)まで行くみてえだ」
直販所に詰(つ)めていたおばちゃんたちが、広大な駐車場に車がいっぱいいるわけを説明(せつめい)してくれた。作業員がやってくる朝と、帰る時間の夕方の車の渋滞(じゅうたい)は、もうすごいもんだよ、と言うのだ。
 米のことを聞くと、今日の分はみんな売れてちゃってさ、と笑顔(えがお)で言う。私あてに来た手紙の封筒(ふうとう)を見せたが、その農家の方は今日いないというのだ。柏からわざわざ来たのかい、と気の毒そうに、でも嬉(うれ)しそうに言った。私は配送の手続きだけすることになった。
「でも良かったですね。米を作って売ることになって」と私は言った。
「ホントだよ。小学校も始まったしね」
と相手のおばちゃんが答えた。子どもたちはいわき市内からスクールバスで通(かよ)っている。広いところですね、と私が外を眺(なが)めながら言うと、
「いいところだったんだけどねえ。公園ではいつもたくさんの子どもが遊んでてさ」
すぐ外の公園には雑草(ざっそう)が生え、さびの浮いた滑(すべ)り台やシーソーが風に吹かれていた。


 2 楢葉の明日

 私の話を聞いた牧場主さんは、いくらだった?と米の値段を聞いた。多分コシヒカリだが、10キロ4000円だった。
「少し高いな。肥料(ひりょう)や検査って、経費(けいひ)がかかってるからな」
と主さんは言った。検査は有料なのだ。少しばかり驚(おどろ)く。広野の現在の姿は、明日の楢葉の姿である。私は、どんな田んぼや牧場の未来があるのだろう、と主さんに聞いた。主さんは田んぼも持っているのだ。

①酪農(らくのう)
 畜産農家を、JA(農協)は広域(こういき)で経営していることを前に言ったと思う。東北農協として、牛乳を生産しているのだ。福島は福島県全体の牛乳としてラベルに刻印(こくいん)される。
「だから、会津の方からすれば不安なわけよ」
「もともと双葉地区に乳牛の農家は少なくてね」
そう主さんは話す。広野でひとつ、楢葉でふたつ、富岡でひとつ、という。
「だから、うちらの地域は県全体のためにも抜けて欲しいって声もあるんだな」
双葉地区の酪農家は、営業を放棄(ほうき)しろ、ということだ。私は思わずうなるのだが、主さんは、こんな時でも淡々(たんたん)と話している。
 米作りの話はこうだった。
②ゼラニウム
 この薬品を使って田んぼのセシウムを吸着(きゅうちゃく)していることは知っていると思う。こうすると、今まで丹精(たんせい)こめて作った土地をそのまま使えるからだそうだ。セシウムで汚れた表土(ひょうど)をはがすのでもなく、地面を30センチ裏返す(うらがえす)でもない、田んぼにゼラニウムをまくという方法をとった理由を私は初めて知った。
「この補償(ほしょう)ってのがよ、難しいんだな」
主さんが言う。営業補償として認められているのは5年間。その間にもとに戻さないと、あとは自分の持ち出しでやらないといけない。5年間はゼラニウムの補償もある、という意味だと私は思った。それ以降は線量がさがるまで自分でまかなうということになる。
「でもな、オレなんかのところのセシウムで汚された表土をはがすとなれば、海岸近くの地面に特有(とくゆう)なんだけどさ、下に石がすぐ出てくんだよ」
「じゃ、上に被(かぶ)せる土にどんなものを用意してくれるかって考えるとさ、なかなか難しいよ。粘土(ねんど)や赤土持って来られてもな」
国がどこまで補償する気があるのか、それが分からないんだな、主さんはやはり淡々と話すのだった。

 楢葉に予定している中間貯蔵施設(ちゅうかんちょぞうしせつ)は、現在、その選定した場所をボーリングなどの「調査」をしている段階だ。この施設建設の是非(ぜひ)を問う住民投票の実施(じっし)を町の議会では否決した。主さんはこの結果を、過半数の住民がいやだと言ったところで効力がないからじゃないか、と推測(すいそく)する。
 町の人たちは住民投票を実施するように署名(しょめい)運動を展開中である。


 ☆☆
紅葉が見頃(みごろ)ですねえ。体調が良かったら、本当は福島の帰りに茨城は袋田(ふくろだ)の紅葉を見たかったのです。残念。歳には勝てません。
写真は私のお世話いただいてる旅館「ふじ滝」の外。今年もいい色です。向こうが湯の岳。
         

 ☆☆
白鵬負けましたねえ。稀勢の里が立ち会いで勝ちを決めた、という印象です。「勝ったと思ってしまった」という白鵬の敗因の弁です。そうでしょうか。相手有利の左四つになって、明らかに白鵬はあせった。勝ちもあせったということです。勝ちにいったということです。
それにしても、今場所の白鵬の口の軽さが気になっているのは私だけなのでしょうか。場所前に言った、
「優勝を口に出せるのはオレくらいなものか」
とは、ジョークなのでしょうが、気になりました。
でも、今日の結果の善し悪しをおいて、横綱はまた戻って来るでしょう。そういうスケールを持っているはずです。

 ☆☆
今日は母の誕生日です。亡くなって3年。生きていれば95歳です。お花と大福を供(そな)えます。

優勝/楽天(上)  実戦教師塾通信三百三十五号

2013-11-20 10:08:33 | エンターテインメント
 優勝/楽天(上)

      ~信じられないことが起こった~


 1 「宿敵(ライバル)巨人」ではなく


 未(いま)だポストシーズンにあらず、私はそんな気持ちでいる。マー君のメジャーへの移籍(いせき)も、ましてはアジアリーグなんてなんの興味もわかない。
        
            週刊『フライデー』より
このシーンである。ここから一歩も出ないでいる。スポーツ紙を4つ買ったのだが、まだひとつしか読んでない。もったいない気がしているのだ。
 おそらくはとんでもないことが起こったのだ。二度とこの感動はない。このことはちゃんと書いておいたほうがいい。でないときっと後悔(こうかい)する、と私は相変わらず、勝手に思い込んでいる。こうしていても、次々と様々な出来事が泉のようにわき出て来る。
 印象に残ったインタビューがあった。楽天優勝翌日(よくじつ)の朝、NHKのニュースだったと思う。冷たい小雨が降る中、高齢(こうれい)の方にマイクが向けられていた。その方は、
「良かった。いいことなんか少しもないのに……感動した…」
最後の方は言葉を詰(つ)まらせながらマイクから顔を背け(そむけ)、仮設住宅に続く道に後ろ姿を見せて消えていった。興奮(こうふん)と感動をぶちまけた前夜の録画(ろくが)インタビューに混(ま)じって、次の朝の静かな被災地でのインタビューだった。
 「宿敵巨人」を相手にガブリ四つで戦った「闘将(とうしょう)星野」と、ずいぶん言われた。そのことを否定はしまい。本人だってそう言ってたし。でもやっぱり違う。少し考えれば分かることだ。楽天の目標は、なにを置いても「リーグ優勝」だったのだ。それなしに、打倒(だとう)巨人だと?なにを片腹(かたはら)痛いと言われかねない。星野監督が楽天に就任(しゅうにん)した最初の年が5位、次の年が4位である。巨人の後ろ姿が見えだしたのは、リーグ優勝が決まった9月26日だ。それまではそんな余裕(よゆう)などあるはずがない。
 そして、そんな楽天の優勝が、星野監督には思い入れの強いリーグ優勝なのだ。もちろん私たちも忘れていない。星野楽天とは、震災とともに生まれ、そして、進んできた球団だったのだ。


 2 「結果がすべて」ではなかった

 覚えているだろうか。9月26日(木)、楽天がリーグ優勝を決めた球場は西武ドームだった。この日、二位ロッテが破れ楽天が勝てば、楽天の優勝が決まることになっていた。日本ハムと札幌で対戦したロッテは、もつれにもつれ、土壇場(どたんば)の9回で日本ハムを猛追(もうつい)していた。この時楽天は、同じく7回で西武を逆転したあとの9回だった。つまり、田中マー君が登場した時、ロッテはまだ勝つ土俵の上にいた。この時点で楽天の優勝は未知の場所にいたのだ。そして一点差のマウンドで、マー君はワンアウトながら二塁と三塁にランナーを抱えて、サヨナラ負けのピンチだった。これを思い出せば、私たちは日本シリーズ最後の最後の、あの9回を重ねるはずだ。ここでサヨナラ負けを喫(きっ)したとしたら、一体どうなっていたのだろう。
       
            サンケイスポーツより
 星野監督の態度は一貫(いっかん)していたように思う。
「あいつ(田中)しかいないやろ」
「田中に感謝する気持ちで投げさしてる」
というものだったと思う。「信じてる」と言っていたのは、周辺だった気がする。結果がどうあれ、この態度は変わらなかったのではないか。日本シリーズ最後の7戦目で、好投した美馬から則本は7回8回とランナーを出した。でも、それは各回わずかひとりだった。前日、高校野球の「延長(えんちょう)再試合」並みの160球を投げたマー君を「胴上げ投手」にしようとしたら、
「9回のツーアウトからでいいと思った」(『フライデー』元阪神・金本のコメント)
のが普通である。または則本がランナーを出したあとでもいい。と、誰でも思う。しかし、違っていた。並々(なみなみ)ならぬ決意である。例のごとく、と言っては失礼だが、マー君はランナーを背負い、ホームランが出れば試合は振り出しに戻る、というシーンを迎(むか)えた。マー君が死んだら監督も死んでいた。土壇場で巨人が逆転したその時、待ってました、という連中はごまんといた。何せ星野采配(さいはい)はメチャクチャなのだ。そのことは誰も知っている。今だって北京五輪の時の悪夢(あくむ)をあげつらっては、どうしようもない、と星野監督のダメ出しをばらまいてるやつもいる通り、星野監督へのバッシングはどうにも止まらなかったに違いない。
「セオリーなしの采配」
「『情(じょう)』に流されて勝利はない」
「策に溺(おぼ)れた闘将」
「負けたら終わりでしょ」
等々。紙上やテレビはうなりをあげていたに違いない。しかし、これが勝ちとなった。星野采配は、
「マジック」となり、
「派手な演出」
となったのだ。
 この星野采配が、仮に裏目に出た時、野次馬の目線でなく、東北の目線だったらどうだっただろう。優勝を逃した瞬間は、評価がふたつに分かれたように思う。しかし、それは間もなくひとつの「感動/感謝」に収まりをつけたような気がする。それは結果がどうあれ、星野楽天が、東北の人たちが恋い焦(こ)がれ、そして待ち望んだ場所に導(みちび)いたからだ。


 ☆☆
「学校/子ども」のことを書くつもりでいたのですが、この楽天が頭を離れず、予定変更(へんこう)です。次の「下」は、お察しの通り、「震災」の頃の楽天・星野に戻ります。何度考えても、どう考えてもすごい。マー君が楽天球場に姿を現した時、大歓声(かんせい)で球場は揺れたといいます。病院の隣接(りんせつ)するこの球場では、鳴り物が禁止だったといいます。球団は病院や患者さんにどんな気遣い(きづかい)をしたのでしょうか。そして、患者さんたちの反応はどんなだったのでしょうか。ホントに知りたい。

 ☆☆
17日、福島市長選挙終わりましたね。またしても現職敗退(はいたい)。投票率が前回より10%アップしたのは、やはり双相地区でないという理由でしょう。それにしても現職を支持したのは自民・公明・社民です。まあどうせ、自民党は福島県では二分(にぶん)している状態ですから、票も割れたのでしょうが。いずれにせよ、これら三つの党の議員で、市議会の過半数を占(し)めるといいます。福島(市)、やっぱり大変です。

 ☆☆
新調したストーブの上でさつま芋を焼いてます。おいしいですね。こうすると美味しい焼き芋が簡単に出来るんだよと教えたら、やみつきになったよ、と喜んでくれた母をまた思い出します。しんしんと冬が近づいて来ますね。
前回、師走(しわす)ですね、とうっかり調子付いて書いてしまいましたが、まだですよ、と指摘(してき)されました。
もうすぐ師走ですね。

ドラゴンボール?  実戦教師塾通信三百三十四号

2013-11-17 11:59:28 | 武道
 勝負論Ⅳ

      ~ドラゴンボール?~


 1 偽装(ぎそう)


 食品偽装疑惑に腹を立てるより、その報道に腹を立てているのは私だけかと思ったら、あの映画監督・井筒和幸もそうだったので少し安心した。脂肪(しぼう)注入の霜降りステーキや中国産の「国産うなぎ」は告発されていいとしても、「鮮魚(せんぎょ)のムニエル」や「朝採りの野菜サラダ」なんて、そんなものまで告発されてるのだ。冷凍する前はおいしい魚だったら、解凍してもおいしいよきっとって思う。そりゃ刺身(さしみ)や寿司にするのは少し勘弁して欲しいとは思うが、シェフが心をこめたムニエル料理ならきっと美味しくなってる。それで充分と思う。それをなに?ということだ。まあ、その名に便乗(びんじょう)してべらぼうな値段をつけるってんならそれは別な話だが、朝採りの野菜かそうでないかでそんなに値段を変えてるとは思えないわけだ。「朝採りの野菜」ぐらいスーパーだってやってるぞ。どうせ我々は、今やちょっとやそっとで満足出来ない舌を持った民族なんだと思いあがってるんだから、もうひとつ、こじゃれた装い(よそおい)が必要なのだ。そんな程度の感覚だ。それを「こんなことでいいのか!」だって? お笑いだね。そしてまた大騒ぎして、窮屈(きゅうくつ)な社会を作り出してる。
 さて、次の写真を見てもらおう。
        

 よくやるアトラクションと言っていいが、女性の「気の力」で、大の男が次々と倒(たお)されるという場面だ。実はこれ、誰でもできる。部外者はこれを見て、大体がだまされ、まんまと「気の魔力」にとらわれる。しかし、これも「偽装」とは言えまい。人間は一定の条件のもとで、ある動きをする、か又は、そうせざるを得なくなる。写真の「人間将棋倒し(しょうぎだおし)」は、そんな例と言える。人間はまた反対に、ある状態では動きが出来なくなる、か又は、拘束(こうそく)された状態になる。たとえば、椅子(いす)に腰掛けた人が額(ひたい)をおさえられると、その人は立ち上がれない。
            
          吉本隆明・三好春樹『老いの現在進行形』より
まさしく「極め技(きめわざ)」なのだ。力で相手をねじ伏せるのも「技」ならば、力によらず相手を制圧することも「技」である。人間のこの不可思議で魅力的(みりょくてき)な世界を、私たちは「力」と「気」などと言ってきた。映画『スターウォーズ』の「パワー」と「フォース」は、まったくこのパクリである。
 この身体のしくみがあるから、「武術によるリハビリ」や「武道で介護」などというものが流行る(はやる)。西洋かぶれした私たちは、よく「かかとで着地し、つま先で蹴(け)る」のが正しい歩行だ、などと言われてその気になっている。腰とひざに負担となるこの歩行法について、もう少し研究者が啓発(けいはつ)して欲しいと、私は思っている。でも「胸をはって」歩くことは大事ですね。


 2 ドラゴンボール?

 楽天のマー君が第六戦で160球を投げた時も言われたが、次の日の第七戦に登場して球速が150キロを越えた時、
「いやあ信じられません」
「もう精神力ですね」
などと能天気なアナウンサーや解説者が言ってた。ピッチャー出身の解説者だったらまだ許せるが、ハンパもんのアナウンサーなんかに「精神力(気)」などと軽々しく言われたくないもんだ。せめて「理解不能の世界です」ぐらいに言って欲しかった。まったく分からないはずなんだから。岩のように腫(は)れ上がった肩で、折れそうになっているひじを使う状態とはどういうことを言うのか、私たちド素人(しろうと)に実感出来るはずがない。また言うけど、意地や根性で出来るもんなら、座禅(ざぜん)でも組むか、滝にでも打たれてろって。簡単な話、まず気力を使うには体力も必要なのだ。体力はともかく、気力だけでなんとかなるものではない。そして体力の使い方・気力の使い方には一定の道筋(みちすじ)がある。それを私たちは「武の道」とか「剣の道」とか言っているのだ。
 その名も「気」のつく「合気道」という武術・武道は、この「気」や「身体」の「道」を極めようとするべく生まれ発展した、と思われる。
        
    大東流合気の佐川幸義が技・弟子を投げ飛ばすというより、弟子が飛んでいく様子

        
       合気道の祖(そ)植芝盛平が、弟子に触(ふ)れることなく投げたところ
中国拳法では、この「気の力」に類したものを「発ケイ」と呼んでいる。ドラゴンボール言うところの「元気玉」である。
             

こんなことがあるのか。どうやらあるようだ。私も剛柔流・宗家の山口先生からてほどきを受けているうちに、信じられるようになった。例えば、レンガを三枚重ねてその真ん中、つまり二枚目だけを割るということが、いつか出来そうな気になっている。気味が悪いと言われそうだが、そんなことはない。大工さんが金づちを叩(たた)いて、中の木材に触れることなくピタリと固定したり、産婆(さんば)さんが、妊婦(にんぷ)のお腹にさわるだけで、中の赤ちゃんを動かしたりするのと同じようなことだと思えるのだ。


 3 身体の謎(なぞ)解きとして

 この「勝負論」だが、やはり一般の方にはしんどいところもあったようだ。でも、私たちが日頃お付き合いいただいている自分の「身体」というものは、まだまだ未解明(みかいめい)&未開である。大切なのはそこである。その部分を解明したいという武道が、健康法と言われる所以(ゆえん)である。私は筋トレや肉体改造というものがその近道だ、という考えややり方を必ずしも否定するものではない。しかし、私は一日十時間のトレーニングを一年間するよりは、一日30分のトレーニングを50年間続ける方がはるかに「道」は深まるし、極まると思えるのだ。いつか「上達論」としてまた続きをしたい。
 あれ、前回の続きはどうなったの、と言われそうだ。愚にもつかない「段位制度」のことは「上達論」を書く時に言うつもりである。前回の「危険回避(きけんかいひ)」をめぐって生まれた防具試合の傾向(けいこう)について言えば、武術・武道では意味がない。今一度『ドラゴンボール』の世界を思い起こしてもらいたい。防具をしていてもダメだということだ。中国は春秋の戦国時代、よろいを着たまま無傷(むきず)で死んでいる兵隊がたくさんいたそうである。「気」がよろいを通して、内臓をずたずたにしていたというのだ。この「気」の世界から言えば、防具や「寸止め」は意味をなさないのだ。


 ☆☆
この「勝負論」、面白いという方もいれば、まだ続ける気ですかと言う方もいて様々でした。でも、このブログの基調(きちょう)からすれば、二回分ぐらいで収めるのが良かったかな、と少しばかり反省。少しばかりためこんだ、子ども/学校の話にまた戻りたいと思ってます。

 ☆☆
メディアの「偽装たたき」もいやですが、あの山本太郎たたきもどうなんでしょうかね。野党も自信に満ちてやってます。まあ確かに山本太郎をほめられませんよ。でも、今年の4月28日に、沖縄復帰を祝う会で天皇皇后陛下を招いた席上での「万歳三唱」、あれでいいのかね。4月28日は沖縄にとって「屈辱(くつじょく)の日」と考える人も多く、政治的な論議となるものだった。どっちが正しいとか言っているのではない。まさに「政治的な場所」に天皇を巻き込んだ、そのことですよ。山本太郎であれだけ騒ぐ野党の連中、だったら原発についてももっと真剣みがあってもいいでしょ。

 ☆☆
大友克洋の『童夢』を買いにブックオフに行きました。ちょうど目の前に若者がいたんたですが、マンガを読んで泣いてるんです。スケートの羽生くんみたいな子が、あわてて涙を拭いてるんです。いいもの見たなあと思いました。
師走(しわす)ですね。

勝負論Ⅲ  実戦教師塾通信三百三十三号

2013-11-13 12:27:46 | 武道
 勝負論Ⅲ

       ~「危険回避(かいひ)」と「勝負回避」~


 1 「参(まい)ってたまるか」


 「勝負事」をしていて困ったことはないだろうか。相手が音(ね)を上げない時のことである。ドリブルで相手を難(なん)なくスルーしたら、相手が逆上(ぎゃくじょう)して殴って(なぐって)来るなんてのもよくあるが、ここは相撲(すもう)で言おう。押し出された相手が、土俵(どひょう)から出されてなお、押し出した向こうの相手を土俵の外に出そうと、技(わざ)を打つような場合だ。または、土俵上に投げられて、自分はすでに倒(たお)れているのに、相手をたぐって倒そうというような場合だ。勝負は終わっているのだが、相手が負けを認めない時だ。困ったものだ。こういうのを「(負け)意地を張る」というのだ。「意地」とはこんな時に使う言葉であって、下らんアナウンサーが、ちゃんとした技の応酬(おうしゅう)に対して「意地の張り合い」などと言ったりする。しかし、そういうものではない。相手が自分の未熟さを承諾(しょうだく)できずに「意地を張る」時、私たちは仕方なく少しばかり「荒療治(あらりょうじ)」をする。
 私自身の経験で言おう。いい大人の入門者である。基本もなんとか身について、少しばかり組み手(くみて:試合と思ってもらっていい)が出来るようになった。そうなれば私は、かかって来るように言う。この男は身体と気分が人一倍大きくはあった。しかし当たり前のことだが隙(すき)だらけである。簡単にみぞおちや顔面(がんめん)に私は突きを入れる。といっても、軽く抜いたり、平手でほっぺたを叩(たた)いたりする程度だ。普通、これで相手はハッとしたり、気がなえたりして終わる。しかし、そうならない時がある。この時がそうであった。私が平手打ちをやれば、相手からもちょうどいい間合い(距離のこと)にあるわけで、相手が平手打ちの意味を分からないか、認めない時、私を簡単に打ち込める。相手がこういう未熟者のとき、結構(けっこう)危ない。こういう時、こういう相手でも「参りました」と思わせるレベルで打ち込まないといけない。仕方なく、鼻血を出してもらったり、お腹をおさえてしゃがみ込んでもらうしかない。そして、
「かなり前から『終わっている』ことを分かってますか」
と講釈(こうしゃく)してあげないといけない。
 私は、柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみ)宗ノリ(むねのり)が、息子(むすこ)の十兵衛の左目を木刀でつぶしてしまったのを思い出す。柳生の幼少(ようしょう)時の稽古(けいこ)は、親子と言っても容赦(ようしゃ)のないものであった。しかしこの「事故」は、息子の十兵衛が父の再三(さいさん)の「もう終わっている」の忠告も聞かず打ち込んで行った結果なのではないか、と秘(ひそ)かに思っている。
       
       柳生家所蔵『影目録(かげもくろく)』より「山陰」
 ついでながらだが、この時十兵衛は、とっさに左目でなく、木刀の当たらなかった右目をおさえたと言われている。もはや大切なのは左の目ではなく、無事な右の目なのである、と本人が言うのを聞き、父の宗ノリは、
「ただ者ではない」
と思ったという、ウソとかホントか分からぬが、そんな話もある。
 一方、初心者をめった打ちして、
「(指導者に)逆らうとこういう目に会うのだ」
ということを、未だに多くのスポーツ関係者がやっているが、こんなものは「強さ」と「権威(けんい)」を取り違えた臆病者(おくびょうもの)のすることだ。
 またまたついでながら言っとくと、初心者に対する指導者の「謙虚(けんきょ)」な態度は、どんな指導者にも求められる。中学一年生に強引(ごういん)に言い聞かせるようなやつは、遅くも三年生になって復讐(ふくしゅう)される。当たり前だ。先生の、特に多くの「男性の指導者」ってやつは、
「初めになめられたらいかん」
なんて態度でいるから、結局見抜かれ、なめられる。いや、見捨てられる。ここは、
「稽古場(けいこば)は本場所のごとく、本場所は稽古場のごとく」
という双葉山の言葉をよくよく噛みしめるべきだ。


 2 「危険回避」がもたらしたもの

 十兵衛の例で分かるように、武道・格闘技において怪我(けが)はつきものである。スポーツ一般もそうだが、武道・格闘技はその目的が「相手を倒すこと」なのだ。相手を倒すことを目標としながら、でも稽古では相手も自分も怪我のないようにというのは、矛盾(むじゅん)であって、困難なことだ。
 そこで私たちは、用具(武器)を工夫した。あるいは「防具(ぼうぐ)」を採用した。そうしないと、重篤(じゅうとく)な怪我ばかりか、多くの死者を生んだからだ。木刀を竹刀(しない)に変え、防具を身につけた。そして「剣術」が「剣道」となったのは、江戸の後期だ。床に畳を採用したのは講道館(こうどうかん)の嘉納治五郎である。その結果、「柔術(じゅうじゅつ)」が「柔道」となったのは、明治のことだ。
             
 この写真は、大正時代に琉球(沖縄)で使っていたと言われる空手(唐手)の防具である。左側が、糸東流の祖(そ)摩文仁賢和である。この時も防具使用の善し悪し(よしあし)は議論され、あまり使われることはなかったようだ。ちなみに現在は、全空連(全日本空手道連盟)主催(しゅさい)の大会の多くで「メンホー(お面のこと)」が使われ、怪我の防止対策となっている。極真流は、このメンホーをつけないで試合をするが、手による顔面攻撃が「禁じ手」なので、必要がない。
 上達と「危険回避」をするための用具の工夫と防具の採用は、しかし、多くの欠陥(けっかん)を持っていた。相手を打ち砕く殲滅戦(せんめつせん)はともかく、「試合」と名がつくものは、一方か双方(そうほう)で危険を避(さ)けないといけない。それで「ストップ」をかけたり、「手加減(てかげん)」したりする。実は防具の登場によって、この「勝負の見極(みきわ)め」がひどく軽視(けいし)されることになった。何せ、防具でガードした頭を竹刀でなぐられたところで、痛くもかゆくもないのだ。相手が、
「参ってたまるか」
と思うのは道理である。そこで登場するのが、空手で言えば、
「今のは『急所(きゅうしょ)』に当たった(かどうか)」
なる判定である。防具がないと相手の身体に決定的なダメージを与える。しかし、防具があることで、相手は「負け」を分からない。
「参ってたまるか」
と思っている相手との試合は、ひどく汚い(きたない)上に、みっともない様相(ようそう)となる。その結果、頻繁(ひんぱん)な、
「やめ!」
の合図(あいず)が入るようになる。相撲の人気が衰(おとろ)えない原因のひとつは、この、
「やめ!」
がないからと思える。格闘技で勝負が区切れなく最後まで続くものを、私も相撲以外に知らない。多くの武道・格闘技が、「勝負の流れ」とは無縁(むえん)なところで展開されている。
 良くないことに、この、
「やめ!」
を、当たり前のことだが、試合当事者の知らない「審判(しんぱん)」がやっている。試合・大会が肥大化(ひだいか)し、どこでも通じる一定の規格(きかく)が必要となったからだ。その結果、「資格を必要とする」審判が登場する。昔、兵法・武道の「やめ!」は、
「勝負あった!」
という、自分の「信頼がおける」指導者の声だった。

 私は、ケンカを止められた生徒の言う、
「テメエは黙ってろ!」
という言葉を思い出してしまう。止める時機を誤るか、この生徒から信頼されていないという事実がないと、この言葉が出てこないからだ。


 ☆☆
「危険回避」は、いいことばかりではないのです。この言葉の含み(ふくみ)を理解してもらいたいです。武道におけるこの「危険回避の道」は、さらに多くの過ち(あやまち)をおかします。次回で「強さとはなにか」まで書けるといいな、と思ってます。引き続き読んでいただきたいです。この「武道」でも、みなさんけっこう読んでくださって嬉しいです。

 ☆☆
それにしても小泉さん、すごいですねえ。郵政民営化や規制緩和(かんわ)やらで、激しい合理化とすごい格差の日本を生んだ張本人(ちょうほんにん)です。でも、人々の心をつかむものを今でも持っているんですねえ。あの人は今、
「『経済』は国民の心をつかんでいない」
と言っているんですねえ。そして、脱原発党をたちあげるんじゃだめだ、
「ひとりでもやる、という気でいないとだめだ」
と言う。感心しますね。