実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

震災と進行中の原発を前にして

2011-03-24 15:08:49 | 提案
はじめに

 大震災が起こらなかったら、私はこうしてブログを立ち上げなかった。震災が起こってすぐ、そして原発の事故があってすぐこの行動に移ろうと思った。その理由はおいおい言うことになるが、今私たちは地震から生き延びたことの意味や意義をきっとうまくつかめないでいる。一体なんだったのか、という過去のものでなく、今もこれからも進行する「震災というもの」について、私たちは準備をし、行動していきたい。


〈覚悟〉

 原発の事故が報道されてすぐ、私はもしもの時の備えを始めた。備えあれば憂いなし、のことわざ通りにはいかなかった。私は自分のなかで普段蓄えていたはずの〈覚悟〉が無惨に瓦解して別な感情に捕らわれていることに気付いた。〈覚悟〉とは似ても似つかない「あきらめ」の気持ちが大きく私を覆っていたからだ。こんなもの〈覚悟〉ではない!そう思ってメディア上の動きを見てみると、もう一つ〈覚悟〉というみかけを装った「やけになる」という態度を見いだした。絶望に支えられて、前者は「避けられない未来」を設定し、後者は「我執」にとらわれている。
 武蔵の「総じて武道の身において、常の身を武道の身とし、武道の身を常の身とすること肝要なり」(分かりやすくするため、一部表記を直している。特に「兵法」を「武道」と書き換えたことは心苦しい)という言葉は、自分にとって今一度噛みしめたい。


学校で

 私は千葉県柏市に在住である。子どもたち(生徒)の度肝の抜かれ方は一様ではなかった。もちろん私もだが、それは言った。
 私たちはいくつか忘れてならないことがある。地震という現場から一刻も逃れたい、と思いつつ(実際のところ、逃げ場とは厳密に言ってどこだったのか、という問題はおいておくが)、子どもたちをしっかり支えなければと、私たちの多くが思ったことである。それは、仕事やそのことにまつわる使命ということから出てきていると言える。しかし、少し考えれば自分があの時ひとりだったとして、同じような行動を取れたかどうか、ということである。私たちは子どもたちに支えられてこそ、腰も抜かさず、子どもたちに指示出来たということなのだ。まずはそのことをしっかり押さえておきたい。
 そしてもう一つは、我が塾生(この実戦教師塾に所属するメンバー)からすでに報告を受けているが、こんな時期だからこそ、という感じで「被災者が頑張っているというのに」とか「今そんなわがままでいいと思っているのか」という、被災者をかたに正義を語る先生がたくさん出てくるのだ。押さえておきたい一つ目のことを分かっていれば、こんな発言は出てこない。被災者の何を分かって言っているのか、という話は次回にゆずる。


 こんな形で出来れば週に二回か三回、この通信を出していきたい。