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仙台いじめ事件  実戦教師塾通信四百六十六号

2015-10-23 13:25:32 | 子ども/学校
 仙台いじめ事件
     ~「誰が/オマエが悪い」と言う前に~


 1 空白の一年

 読者もご存じと思うが、昨年9月に自殺した仙台市立中学校生徒のことが、今になって公表された。この事件、とりわけ学校関係者には他人事ではない要素がたくさんある。ことは「自殺」のような重大な事態に限らない、という意味でだ。

○事件後、担任は「彼は転向した」とクラスの生徒に説明
○一方、加害側生徒(11人)に対し、事実調査のために学校は自殺の事実を伝える
○今年の8月、市教委が生徒の自殺を公表。「子どもたちにどう説明したかは言えない」
○市教委は「転校という虚偽(きょぎ)報告をしたのは遺族の意向」と釈明
○9月、仙台市長は「遺族の気持ちを考え」て、在校生への説明に否定的な見解
○同月下旬、遺族は生徒と保護者に説明するように市教委に要請
○10月3日、市教委、遺族に対し「在校生と保護者に説明する」と回答
○教育長/校長、謝罪の記者会見

大手メディアからは、ほとんど何もわからなかった。そしてなぜか、週刊誌はこのニュースを報じていない。私は東北の『河北新報』を主要な材料とし、ネット情報もあたってみた。結論から言ってしまうが、事情はかなりデリケートなようだ。まず、ニュースでも報じられたが、この中学校近くの公園に設置された「献花台」のことである。これが設置されたのは先月21日である。しかし、献花台設置直後、仙台市が「この献花台は不法占用に当たるので撤去して欲しい」という看板を設置する。

28日に市の公園課による撤去を予定していた。
 実は翌日の22日、献花台に男子生徒の父親が訪れ、手を合わせている。23日の『河北新報』によれば、

「父親は河北新報の取材に『(献花台の設置を)ありがたく感じ、駆けつけた。一周忌を前に皆様に手を合わせてもらい、息子も幸せだと思う』と話した」

とある。そして、この献花台が25日に、「設置者の手によって」撤去されたのはご存じと思う。

 2 「遺族の意向」
 ネット情報だが、事件後に学校は生徒に対して、

憶測でものを言わない/個人情報を出すと名誉棄損(めいよきそん)になる

と言い、市教委は市内小中学校保護者に、同じ内容を持つ文書通達をしている。「男子生徒は転校した」説明を行った担任は、翌春に転任。
 これらのいずれも、多くの生徒や保護者から裏を取れるものなので、私はこれらネット情報を事実と判断した。

 ここまで書けば、絵に描いたような学校/当局の隠蔽(いんぺい)としか見えない。しかし、当局/学校は、特別な事情として「強い遺族の意向」を繰り返し上げている。どうだったのか。
 大手メディアでも、

「他人から事情を探られ、中傷(ちゅうしょう)され、傷つくのは絶対にいやだった。残された家族や生活を守るには公表できないと思った」(10月16日朝日新聞)

という遺族の発言は取り上げられた。私たちがこの発言を、単に「触れてはいけない」と読むようではいけない。愛息(あいそく)が亡くなるという決定的な出来事はもちろんだが、家族はここに至るまで十分傷ついていることに、私たちはまず気づかないといけない。ニュースでも報道された通り、保護者は生徒が入学して亡くなるまでの半年の間、少なくとも6回、学校に相談に行っている。また、私たちが見落としてはいけないのは、いつも学校/当局が枕詞(まくらことば)としている、

「いじめと自殺の因果関係を調査する」

なる発言が、今回は出されていないことだ。直接いじめに関わったと言われる11人の生徒が「よほどひどかった」のは間違いない。そして同時にこのことは、いじめに対して、学校が無為(むい)無策であったことを示している。
 空白の一年の間、周囲は放っておかない。いい意味での気遣いばかりではない。遺族はさまざまな詮索を受ける。無責任/無神経、そして悪意に満ちた内容も多くあったはずだ。もちろん事実でないことも拡散した。遺族は叩きのめされている。そして、この上どんな制裁が自分たちに襲いかかろうというのか、という気持ちでおののいている。
 献花台設置者は、

「これ以上放置すると、区役所と遺族に迷惑になるため、撤去した」

と、河北新報にfaxを送ったという。実は当局の手による撤去だという声もあるようだが、設置者からの抗議もない。当局が撤去後に非通知でfaxというのは想定しづらい。事情を知るものが設置し、それゆえに撤去したのだ。おそらく献花台を見舞った遺族は、やはり動きが取れないでいる。いまだにこの中学校名も亡くなった子の名前も明らかになっていないのは、そして先に書いたように、週刊誌がこのニュースを報じないことも、遺族の無念と恐れを語っている。

「だからこそ私たちは事実の公表がいいこととは思えなかった」

と、学校/当局は言うだろうか。「おおごとにしたくない」思いに正当性はある、と言うのだろうか。そんなもの、これは渡りに舟、なるご都合主義の言い分だ。私流の現場リアリズムとはまったく相いれない。

 3 決断は「回避」された
 生徒は生き物である。そして、その親/地域はすぐそばにいる。

「転校したい」と言っていた子が転校した。その理由もみんな知っている。だから担任が転校先を言わない理由も、生徒は知っている。「妙な噂(うわさ)をばらまくようなことをしないで欲しい」と、担任が加える理由も分かる。しかし、いい意味でも悪い意味でも、子どもたちはその子のその後を知ろうと思う。その子は「転居」ではなく、「転校」したのだ。彼は家にいる。通りすがりの子が、あるいは近所の子が、その子の家/部屋を見上げる。しかし見るのは、たまさかすれ違う家族の、色をなくした顔だけである。玄関を出入りするその子の姿どころでなく、その子の気配がないことに、子どもたち、そして大人たちが動揺する。しかし、家族に声をかけようにも、そのきっかけがつかめないまま時が過ぎる。他方で、いじめを担(にな)った子どもたちとその親たちにも動揺が拡がる。そしてこんな時にありがちに、「言い訳」ばかりを膨(ふく)らませていく。やがてこれらの不安と動揺は、世間という名のもとに、ありもしないことまで拡散させていく。

一体、この「転校」なる説明は、遺族との同意のもとだったのだろうか。だとしても、学校は遺族に、それを押しとどめるよう努力すべきだった。近い日に必ず起こる、これら多くの悲劇をあげ、説得すべきだった。
「このままでは私もつらい」
とは、3日の教育長の発言だ。しかし、こうなることは十分に想定出来ることだったし、しないといけない。それとも、数々の混乱と中傷まで含んだ反応を待たないと、遺族は決断できないと考えていたとでも言うのか。ここは勇気を持って、これ以上遺族を傷つけ、追い込んではいけないと決断すべきだった。しかしやはり、学校/当局は「決断を回避した」のだ。
 一年間の空白でやらずにいたことを、これからしないといけない。人々が抱える多くの疑問は、遺族の苦しみをも意味する。

クラスで学校で一体何があったのか/担任と学校はそれに対して何をしたのか/担任が一時休職したのはなぜか/翌春に転任したのはなぜか/当時学校と担任は遺族に謝罪したのか等々

また、男子生徒と加害生徒たちとの間で二回持たれたという「謝罪の会」を、保護者との協議なしで行った(これは第三者委員会の報告で明らかになっている)のはなぜかなど、上げればきりがないこれらのことを、これから明らかにし、そして検証することでしか遺族と在校生の明日はない。そして、くだらない詮索と中傷に対しては、遺族の気持ちを確認しながら対処するしかない。ひとつひとつなのだ。
 これらは一年前にも出来た。しかし、今からでも遅くない。


 ☆☆☆
しかし、難しい。そして大変なことです。本当に出しゃばりすぎたり、立ち入りすぎたりすることもあるのです。今でも私、あ、立ち入りすぎてるんだな、と反省することあります。最近も感じたことあります。でも、この大変さを「回避」してはいけないんですね。

 ☆☆
新聞で見ましたか。楢葉町の鮭漁(さけりょう)が木戸川で始まりました。私が行った時は見れませんでした。もうすぐそこが海、河口なのですが、このあたりでとるんだそうです。向こうにクレーンが見えるのが、何となく複雑なのですが。


 ☆☆
高島屋主催の「刃物工場見学ツァー」行ってきました。打ち抜きで行う現代包丁と違い、鋼の板からすべて手作りという工場です。一部の部品だけ注文というのは無理で、すべてを手作りにするか、すべて注文/大量生産かのどちらかしかないことに驚きました。持参した愛用の包丁を研(と)いでもらいました。
いつかぜひ、日本刀の鍛冶場に行きたいと思っている私です。

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