実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

学校事故に際し  実戦教師塾通信四百三十五号

2015-03-27 13:10:23 | 子ども/学校
 学校事故に際し
     ~柏での出来事~


 1 光が丘中学校

 あちこちから16日の光が丘中の件で、問い合わせや意見が寄せられた。子どもを持つ親にしても、教師にしても、この間の川崎の事件から間もないというのに、という気持ちになる。私のところに入った報告で、ここに書いていいと思われることを知らせておきたい。まだ事態の推移を見守る時期と思うが、問い合わせの中には、早々と「隠蔽(いんぺい)されているのではないか」とか、果ては「結局オマエも、地元のことに関しては口をつぐむのだろう」という気配を存分に漂(ただよ)わせているものもあるからだ。
 16日当日、女子数名から、部活のことで話し合いたいから場所を貸してほしいと、職員に申し出があった。放課後である。なんらかの事情で、職員は話し合いの場に居なかった。生徒だけの話し合いの最中に、4階のその部屋から飛び出した女子が、廊下の窓から飛び下りたのである。幸い命は取り留めたが、容体は楽観できない状態である。
 いじめかどうかはともかくも、職員は生徒間のトラブルとして、ある程度把握していたようである。
 その後、学校は生徒にアンケートを取るかじ取りに入っていると思われる(年度が変わる前に行われないといけないが)。内容はまだ分からないが、多分に重体となった生徒の保護者の意向に沿ったものが作られると思う。そしてこれが市教委の指揮のもと、進められていると思われる。というのも、柏市教委の発行した「いじめ防止基本方針」に、

「関係する保護者の要望を充分に把握した上で判断します」
とした上で、
「教育委員会が主体となる」
と言っているからである(『2 重大事態の発生と調査』より)

またこの方法はすでに経験済みだからである。この間、すでに多くの方が閲覧している様子だが、このブログ363号を参照してほしい。
http://blog.goo.ne.jp/kotoyorimasagoo/e/51aa1bee21c2fdc69ce951ee324cb3d2?fm=entry_awp

 2 調査書記入ミス
 多くの学校で、多くの生徒の調査書にミスが発覚した。柏市では富勢中が脚光(きゃっこう)を浴びた。このことはニュースで大体のことは知っていると思う。本当は「5」の子が「2」なんていうのは、昔の手書きによる転記ではありえないミスである。今は、ひとりを間違うと、全員の数値が変わる。再点検をしたところで、
「なんでこいつが『2』?」
という、本人の姿を思うアナログな視線を持ってないと見過ごしてしまう。
 さて、中学/高校の生活から離れたところにいる多くの方に、まだ共有されていないと思う現実をひとつ。

① 自分の入試での点数は、本人であることが確認できれば、高校の窓口で聞ける。
② 調査書のコピーも同様で、一般的な「情報開示」の煩雑(はんんざつ)な手続きは必要ない。

 塾では「調査書コピー」を積極的にすすめている。これは塾の学校不信にもとづいて推進しているわけでもない。進路指導の資料にもなるからだ。
 今回の端的なケースは、どうも親が「そんなはずはない」という積極的な動きをしたらしい。私にも経験がある。私の「そんなはずはない」という思いよりも、親の「そんなはずはない」という勢いが勝っていた。そして、親の思った通りだったことがあった。
 本当の数値が、入学決定前に判明して、本当に良かった。
            
            今年も木蓮が咲きました。はな桃はこれから

 3 キーワード①「成熟」
 では報告は以上にして、いじめに関して考察しておきたい。
 私は「子どもの成長に『いじめ』は不可欠」とよく言う。しかし事件が起こるたびに、確認というか、不安を訴(うったえ)えられる。今回もそうだ。唐突だが、仮設住宅での生活の寂しさに、犬を飼っているおばちゃんの話である。ペット業者に依頼する様々なしつけの話だ。
 生後二カ月まで、小犬同士で暮らす。すると、小さいもの同士で噛み、痛みを知るんだそうだ。それで人の手に渡る時には、むやみに噛まなくなる。しつけの期間は黙って見ている。もちろん、小犬自身は体が小さいから傷も浅い。
 まず傷というものは、小さい方がいい。そして小さいころの方がいい。圧倒的に回復が早いから。そして、頭で分かるのでなく、身につくのである。ペットの話は実に絶妙に思えた。
 今はすべてが「いじめ」としてくくられるが、もとを正せば、人は相手に「違い」を見いだした時、何かを言う。それはある時に批判だったり、ある時は感想だったりする。
 前回、白鵬対稀勢の里戦を「番外」として書いたが、ちょっと続きで聞いて欲しい。
 明らかに稀勢の里の「自滅」、あるいは白鵬の技が決まったものに対して、
「変わったぁ!」
とアナウンサーが叫んだことを私としては許せないが、これは仕方のないことだ。意見であり、感想なのだ。これは「成熟したもの」が、あとで修正すればいいことだ。どうやらようやくそんな流れが出てきたと思える。この場合、その役割をになうのは「その道のもの」である。一般的には、「大人」というものが軌道修正することを、「導く」とか「育てる」態度と呼ぶ。

 そんなわけで、意見や感想を言うことはいいことでも悪いことでもない。しかし、ささいなことで傷つく子どももいる。だから「言ってはいけない」、あるいは「言い方に配慮を」と言う、そんな社会の勢いだ。すべては「いじめ」に通じるからだという。でも自然な成り行きを、大人の監視のもとにさらすことがいいことであるはずがない。対局で、口汚い言葉をまき散らす連中がはびこる。これはもう必然と思える。残念だが、「異論」や「異質なもの」を嫌う傾向は、拍車をかけている。私たちが「成熟」しているなら、どんな形でかこれをひっくり返さないといけない。

 さて、当面する答えは、いつも通りなのだが、まずは、
「社会が悪い」
などという、他人事のような意味プーではない。
「『近くにいる』大人が見守る」
ことだ。困難なことは分かっている。だから、少しの傷は覚悟しないといけない。しかし聞きつけた時は、そこに駆け付け声をかける。ささやかではあっても、親や教師の役割であって、しかももっとも大切なものだ。
 昔は壁やトイレにいたずら書き、でも今それはネット/ライン上なんだぞと、じれる思いの人も多いに違いない。しかし、目には見えない相手でも、特にラインに関しては、教室が出来ることは充分に残っている。ラインの元凶は、そうでない場合があっても、大体が教室空間に納まっている。教室を通して訴えることは可能だ。どっちみち人間のやっていることなのだ。
「どうなってる?」
「まずくないか」
と、関係してる生徒かそうでない生徒か、どっちでもいいが、元凶(らしき)生徒に対して、誰かが直接でもライン上でも、そう言ってくれ。そのことを信じるしかない。
 子どもから信じられる大人(になれる)かどうか、
「さあ、ここがロドス島だ、ここで跳(と)べ!」
とはイソップが言ったことだ。言い訳を拒(こば)み、自分(大人)自身の問題として考えないといけない。

 4 キーワード②「いじわる」
 例えば小学校で、
「どうして休んでるんだ?」
何日か休んで学校に出てきた生徒に、こう聞く生徒がいる。心配して聞く場合と、悪意が潜(ひそ)んでいる場合がある。その子(聞いた方である)がストレスを抱えている場合、またはクラスが荒れている場合は、大体が「悪意」のもとの確認である。聞いた子自身が、来たくないと思っている学校に来ているから、
「オレは来てんのに、オマエはどうして来ない?」
と思っている。せっかく、あるいはやっと出てきた子が困っている。大人は手をさしのべないといけない。
「それはいじめです」
さらに、
「いじめは犯罪です」
なんていうバカな介入ではダメだ。言っている方も子どもで、自分の状態を分かっていない。もうここは「知恵比べ」なのだ。
「具合が悪いのに、なに聞いてんの?」
『聞いただけだよ』
「普段仲がいいってわけでもないくせに」
『ずる休みしてんだ、あいつキタネエ』
と来たら、私流にここは、
「だったらオメエも休めよ。来なくていいから」
と言いたいところだが、ここはノーマルに。
「なにを根拠に言ってんの。せっかく来たのに。そういうのを『いじわる』って言うんだよ」
『弱いんだったら直せばいいんだよ。だらしねえんだ』
「アンタだって、直せって言われたら直せる?」
そのデブの体。とまで言えるかどうか、もう両者の信頼関係だ。真剣勝負の知恵比べだ。
「それはいじめです」
とは、初めから決めてかかった言葉だ。子どもに「いけないことだ」という結論が押しつけられる。何がどういけないというのか。それにさらに「犯罪」が畳みかけると、
「罰せられるからやめなさい」
ということになる。だって「罪に対しては罰」なんだから。こんなやり方、怠惰なことこの上ない。要するに、
「大人の言うことが聞けないなら覚悟しろ」
と言っている。子どもは考えることも出来ないで、反省する道も断(た)たれている。
 日本には『いじわる』という、いい言葉がある。それを思い起こすことによって、私たちは「相手の気持ち」というものに近づいて来た。それを考えることで、自分の言葉や行為がもたらす結果を考えるようになってきた。

「それっていじわるじゃない?」

話し合って最後(「最初」ではない)、この言葉を子どもに言えたら、自分は「成熟」した大人なのかも知れない。


 ☆☆
春ですねえ。今日は20度になるってホントでしょうか。先日、田んぼ道でチャリを転がしてたら、いかにも中学校卒業ほやほやみたいなのが二人乗り。後ろに乗ってる野郎が、タバコ吸ってるんですよ。チャリの後ろで、どんなもんだいって。私はゆっくり追い抜いて、
「カッコイイ~!」
って言ってあげたんですが、キョロキョロしてやがる。こっちだよ。言ったのはオレ、とまでは言わなかったですが。いきがるってのを絵に描いたみたいで良かったです。
            
            手賀沼の土筆(つくし)です。かわいいですね

 ☆☆
ああ~長くなってしまうなあ。今回はいつもよりさらに原稿用紙二枚分くらい長くなってしまった。このブログ、携帯ではついてけないと思います。ぜひ皆さん、タブレットかパソコンで読むことをお勧めします。

変化だと?  実戦教師塾通信 番外

2015-03-22 11:00:35 | 武道
 白鵬対稀勢の里

            
 白鵬が勝負を終えて少し首をかしげたのは、拍子抜けしたあまりに出たものだ。この戦いで見せた、相手の勢いを削(そ)ぐための動きは、先場所もふたつほど見せた。白鵬の目指す「後の先」、その未完成な形と言ってもいい。それがなんとも情けないほどの呆気ない結末。バカなアナウンサーが「変わった!」と興奮して叫んだ。ちゃんと見ろよ。この「変化」は、稀勢の里のマグロのような突進で、絶妙に「演出」されることとなった。
 ちぇっ。これで逆に、稀勢の里は横綱を精神的に追い込む役割を果たしたと言える。横綱は、千秋楽に勝っても負けても後味が悪い。観衆を納得させる道は、決定戦で照の富士ともう一度戦って優勝するしか残っていない。
 とりあえず、我慢できずに書いたが、詳しく書きたい。次号のまた次、4月に入ってから書きます。

帰郷/故郷  実戦教師塾通信四百三十四号

2015-03-20 12:49:04 | 福島からの報告
 帰郷/故郷
    ~五回目の3,11~


 1 静かな現地

 NHKの震災特集の番組だった。読者の多くも見たと思う。仮設住宅での孤独死を知らせるものだった。朝、仮設の路地で亡くなっていたのを発見された。自治会長がインタビューに応(こた)え、ここにこうしていたと説明していた。私は見ているうちに不愉快になってきた。報道の姿勢にだ。
 この被災者は、多分心臓/内臓の発作に襲われたか、酒に酔って寝てしまったかのどちらかなのだろう。では、この被災者が、
○仮設住宅の外ではなく、屋内でひとり、死んでいた
○被災はしたが、修理した自宅の中でひとり、死んでいた
また別に、
○被災していない東京の人がアパートでひとり、死んでいた
と考えた時、私たちは、きっとそれぞれ「孤独」の事情があったのだなと思う。そして私たちは、その悲惨さをまさかのランク付けなどしないはずだ。この仮設での一件は、少し考えれば「震災」とは別の、高齢者の孤独が露出している。私はことさらに「震災」を演出する、またそれによって出てくる「気持ちの行き場のなさ」に不愉快になった。メディアの定番と言える、これをどう思うのかとでも言いそうな上から目線は、無責任としか思えなかった。この場合はきっと「忘れてはいけない」思いから出てきたのだろう。しかし思い切って言えば、私たちの身体も自然も「思い通りにはならない」のだ。それをどうにかしないといけない、とでも言うのだろうか。私たちが震災直後、東北のひと達に打たれたのは、
「仕方がねえ」
と、じっと忍ぶ姿だったはずだ。こんな番組、と私はすぐにスイッチを切った。
 それとはいい対照と思えた。3,11の『福島民友』に30代の女性の手記が載った。故郷の浪江町に一時帰省した時の写真を友だちに送った。するとその友だちから、
「帰省楽しんで。……食品工場でお手伝い?」
というメールが返ってきた。帰省した彼女は防護服を着ていたのである。
「私は目を疑った。怒りと同時に無力感に苛(さいな)まれた」
という手記だった。私は被災者でこそないが、同じようなことを、地元の福島でさえたくさん経験した。少しは彼女の気持ちを分かるつもりでいる。また、このようにまったく知らないひと達の対局に、
「福島は今も大変でしょ」
というひと達をたくさん経験してきた。このひと達も、同じひと達だと思ってきたし、今もそう思っている。

 震災から5年目を迎える被災地のいわきは静かだった。私がいわきに向かったのは9日(月)。鎮魂(ちんこん)の儀式は、前週の7日(土)8日(日)で大体が終わっている。3,11に私が向かった久之浜の海岸では、堤防と区画整理のための重機がうなりを上げていた。そして四倉の海岸は静かだった。みちの駅の集合スペースで、被災地ツァーのひと達がガイドの説明に耳を傾けていた。平日の儀式の開催は、もう三年目から見てない気がする。
      
      これは3,11。夕方のいわき中央公園のキャンドルサービス

 2 仮設がいい?
 四倉の線路伝いに車を走らせた。真っ青な空を強い冷たい風が通り過ぎていく。やがて8階建ての住宅が見えて来る。建物は豊間と同じだが、こちらは田んぼのど真ん中に建っている。吹きっさらしの道を、スーパー帰りのおばあちゃんが、足元も危なっかしく歩いていた。
 去年の10月、四倉のひと達はこの復興住宅に引っ越した。だから、みんなでうかがった2月14日の支援には、もういなかった。私は支援の区切りとなるお醤油とチョコを渡しに、この3,11うかがったのである。
 以前はこのブログにいつも登場していた「副会長さん」が、駐車場まで迎えに出て部屋に案内してくれた。ずっしりと重い扉、そして白い壁と部屋の白い引き戸。すべてが豊間と同じだ。やがて顔なじみのおばちゃんたちがやってきた。
 私はベッドしかない、だだっぴろい部屋の隣のリビングで、赤十字から支給された6点セットをしげしげと見た。テレビと冷蔵庫。仮設の時だったら、持て余すような大きさだった。仮設でも見たはずなのに、こうして見るとやはり大きい。そしてキッチンの窓際にジャー(電器がま)、流しの横にオーブンレンジ。赤十字からの電子レンジは、オーブン機能がついてないので買い換えたという。どうやらみんなそうしたようだ。それら6点の電化製品が、今はマンション作りの部屋で、なんの違和感もない。
 外の強風が、中ではうそのようだ。
「静かですね」
「外の音なんてなんにも聞こえないよ」
と、みんなどっちつかずの顔で口を揃(そろ)える。
「外は扉を開けねえとなんにも分かんない」
「換気扇を回してっとよ、扉が開かねえんだよ」
換気扇を回す時は通気孔を開かないと扉に気圧がかかってしまうという。また、バリアフリー設計という部屋の引き戸は、上階/下階の音が「雷のようだ」という。
「仮設の方が良かったんですか」
おばちゃんたちがこぼすばかりなので、私は聞いた。すかさずおばちゃんたちはかぶりを振った。とんでもない、という。
「前から比べたらもう天国よ」
「(仮設は)狭いし暑いし寒いし、それに音がなあ」
となりのおじちゃんがうるさいと、よく苦情を言いに行くおばちゃんの話になった。
「もう毎日やってたよ」
「言いに行くと、余計にうるさくするんだって」
でも、高い建物って外がぜんぜん見えないんだねえ、隣の建物か空しか見えやしない、人がいるんだかいないんだか、とやっぱりこぼし始めた。平屋で、道を歩けば誰かとすれ違い話し込んだ仮設の生活を懐(なつ)かしむのだった。
      
      チョコとお醤油を持つおばちゃん達。後ろにあるのが赤十字のテレビ

 3 故郷
 実はおばちゃん達は久之浜の住民である。それが四倉の復興住宅に入った。よく言われる「便利な/病院もある四倉だから」という理由もある。でも、おばちゃん達は、久之浜はもう故郷じゃないからと言う。
「だって、朝に窓を開けると海が見えたんだよ」
「そして、今日は漁日和(りょうびより)だとか、春が来たんだとか」
今は久之浜からまったく海が見えない。高々とそびえた堤防が視界を遮(さえぎ)って、波の音さえ聞こえない。近くのお寺がすぐに土地の交渉に来たので、迷わず売ったという。
「みんな変わったしね」
まだ続く。被災の軽かった山側のひと達は、震災直後、すべてを流された沿岸のひと達を気づかった。
「それがだんだん冷たくなってくんだよ」
「今はもう声もかけられないし」
また、原発事故も影を落としていた。逃げなかったひと達とのわだかまりである。なんかさ、とため息をつくのだった。
 思い出した。私たちが避難所巡りをした時、書類をすべて流されたひと達が、預金や不動産がダメになるのではないか、と不安やいらだちにとらわれていたことを。しかし、本人確認が出来れば、という金融機関の対応は早く、震災から二カ月が過ぎたころにはそれらが復活する見通しとなった。そうなって見ると、元の生活が取り戻せると思った人々と元から何もなかったひと達の間に、それまでなかった空気が生まれた。避難所で、段ボールの仕切りがだんだん高く厚くなっていったのは、もちろん自分の生活がむき出しになることが嫌だったから、というのはある。しかし、もう前のような不安はないという人々が「自分の生活」を始めたのも確かだった。寄り添うことの「ありがたさ」が、「面倒なこと」に変化して行ったように見えた。おばちゃんたちの、
「久之浜に残っているひと達と、私たちは違うんだよ」
という言葉を聞いて、私はそのことを思い出さないわけには行かない。
 しかし、どうにしようがあるのだろうか。私は話を聞いてうなずくだけだった。


 ☆☆
楢葉のレポート、次の機会にします。酪農家の渡部さんが、いつも通りしんどい問題に応えてくれてるんです。ありがたい。

            
        ソメイヨシノではないですが、早咲きした手賀沼の桜
 ☆☆
柏の光中の生徒、命が助かって本当に良かった。飛び下りた生徒も、それに関係したかも知れない生徒も大変です。これから学校は大変でしょうが、今はしっかりして欲しいと思うだけです。

 ☆☆
そして調査書問題で、これも柏の富勢中が注目されてます。そのせいだと思いますが、私のブログベストスリーに、この三日間、以前書いた富勢中の記事が食い込んでます。もう去年の記事なのですが、富勢中の傾向を知りたいと思うのでしょうね。

 ☆☆
ホンダ第一戦。11位の最下位とはいえ、21台中の完走です。今年一年はマシンを完成させるという気持ちで、あせらないで、とはオールドファンの気持ちです。
そして白鵬は勝ちっぱなし。沈黙を守って、でも、昨日はジータの前で笑顔でした。そして今日は照の富士戦、いやあ楽しみですね。

子どもを信じる?(下)  実戦教師塾通信四百三十三号

2015-03-13 13:23:51 | 子ども/学校
 子どもを信じる?(下)
     ~川崎の事件(下)

☆☆
 「五回目の3,11福島」にお邪魔して来ました。報告は次回行います。


 1 懲罰(ちょうばつ)/報復

 ネット情報では、少年Aの自宅や車にいたずらが絶えないという。「義憤(ぎふん)にかられた」人々のせいらしい。いい気なものだ。「天に代わって成敗を下さん」というこの連中は、表に顔を出せない相手に便乗して、怒りやスプレーを振りまいている単なる卑怯者(ひきょうもの)である。警察は捜査し、犯人を逮捕してほしい。
 さて、「守られているはず」の少年は、そんなわけで現実的には罪を問われ、報復を受けている。先日、『週刊新潮』は実名写真報道をした。多分に「少年の罪を問う」というより、「少年が『守られている』現実に異議がある」思いなのだろう。しかし上述したように、少年たちが「守られている」わけではない。そしてまた、今は写真雑誌『FOCUS』による写真報道があった1997年の「酒鬼薔薇事件」の時とは、隔世の感ありありである。今や事件が起これば、あっと言う間に、名前も顔もネット上にさらされ垂(た)れ流される。私もネット情報で確認したいことがあって、開いて見て唖然であった。
 法という建前とネットという現実のどちらにもつかない、なんとも中途半端な形になったのが、今回の『新潮』だ。『新潮』は、法律の方だけに異議を唱(とな)える結果となった。「今さら実名」となった『新潮』は、自分たちを先んじたネットの方にもコメントすべきだった。『新潮』の販売部数より、ネットのアクセス数の方がはるかに多いはずだからだ。

 2 「問題の根源」?
「貧困の解決がないと、今回の問題は再び起こる」
と、事件後あちこちから声が上がった。シングルマザーの過酷な現実が取り上げられ、非正規雇用の問題が識者?から指摘された。私もそのことに異議はない。しかしこのブログの読者は、それをここで論じて欲しいとは思っていない。親の今日を、教師の明日をどうしたらいいか知りたいと思っている。私は「社会/国の問題」を取り上げ告発する声を聞くと、必ずケストナーの『飛ぶ教室』を思い出す。以前一度取り上げたが、ここで同じシーンをもう一度。
            
            駅で見送られる寄宿舎の子どもたち
寄宿舎の子どもたちが、クリスマスに許される故郷への帰還を、貧乏なマルチンは出来ない。両親が旅費を工面出来なかったからだ。マルチンは悲痛に叫ぶ。

「こんな社会を良くしようと考えるひと達はいっぱいいる」
「でも、クリスマスは明後日なんだよ!」

私たちは差し迫った今日/明日に対して、なにか出来ないかと思っている。
 スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーの設置もいい。警察と学校が実際に顔を突き合わせた協議(学警連)も大切なのだ。しかし私たちは、そこで話し合われることがらの手前を、そして「もう一歩」先を求めている。例えば「すぐに」連絡を取り合うとは言っても、多くの教師は「すぐ」がどのことを言うのか判断がつかない。事実、難しいのである。タバコだけにとどまり卒業していく子もいるし、突然の「妊娠」なんてことも勃発(ぼっぱつ)する。
 一方私たちは、連絡することへの不安や疑問を抱え込んで、
「『こんなこと』にかかずらっている時間はない」
などと、多忙を理由に放置する。例として児相(児童相談所)の声をあげれば、連絡を怠(おこた)るか、まったくしない私たちに、児相の不信は極めて大きい。
 カウンセラー設置の時もそうだった。
「カウンセラーさんのところに行ってきなさい」
ではまずいだろう。私たちは「もう一歩」を丸投げしてはいけない。新たな機関の設置とは、連絡を取り合い協議する機関の設置であって「役割分担」のことではないはずだ。
 現場の現実も代弁しておこう。「大人が一歩踏み込むべき」なる発言が、安直に語られているとしか思えないからだ。例えば「個人情報は教えられない」社会の趨勢(すうせい)で、学級連絡網が作れない現実がある。
「ここからは入らないで下さい」
とは、家庭の新たな姿である。学校の力の減衰(げんすい)、そして教員の多忙と立ち入って欲しくない家庭の事情が手を取り合って、家庭訪問をやめる学校が激増している。そんな中で、
「それでは、生徒がゴミ屋敷に住んでいても分からないままになる」
と、まじめな議論もされている。
 そんなことを背景に、学級連絡網に代わって、「スクールメール」という、声のない表情もない学校からのメッセージが登場している。連絡網の時代は、連絡の取れない家庭に担任は苦(にが)りいらだち、直接足を運ぶ必要も分かった。

 事件は、まじめな教員が多い神奈川で起こった。おそらく上村君の担任は、心配して連絡をとり続けたと思われる。
「こんなことになるんだったら」
とは誰もが思う。警察も今は、
「一体、家出人がどれだけいると思ってるんだ?」
といつものように言えない。今までは言っていたはずだ。つまり現実は、無数の出来事から「事件にならないもの」と「事件になってしまう」ものとに分かれる。
 「このままでいい」わけがない。しかし、すべてを未然に防ごうとすれば、残念だがそれは「罰」と「法/きまり」の支配する、徹底した「管理社会」を頼ることになる。「自由」にはリスクが伴うのである。では一体なにが出来てなにが出来ないのだろう。

 3 出来ること/出来ないこと
 今回は、上村君のようなケースで現場はなにが出来たのか、担任はどこまで出来たのかに絞って考えて見る。
 前提。生徒/子どもと信頼関係があるのなら、出来ることはある。なければない。その時はすぐに「上」に連絡して頼るしかない。
 この事件は、上村君自身が「そこ」に近づくという「過失」がないと起こらなかった。いじめと同列にしているひと達がけっこう多いが、そこで生きることを義務化された「学校」で起こった事件ではない。残念だが、自分がまねいたことでもある。そこから抜け出す仕事を、どうしても自分が背負いこむこととなる。それは「大人が助けてやらないといけない」という。ある意味それは正しい。しかし、半分は違っている。
 なんでもそうだ。薬物依存の患者を助けようとすれば、一番は強制的に入院(「措置入院」)だ。しかし、それでも退院のあとの通院や、観察は続く。それらは固い「本人の同意/意志」がないと出来ない。結局は本人が、
「この世界と縁を切りたい」
思いがないと不可能なのだ。しかし何も出来ないのではない。
 上村君の担任はやったかも知れないが、「現場」に赴(おもむ)くことが大切なのだ。上村君を引き戻すためではない。可能ならそれもいいが、まずは、いつも上村君のいるところを確認することが大切だ。「噂(うわさ)」でなく、自分(たち)の目で確認することは大切だ。そして、そこで本人と話すことだ。これらはやはり、本人との間に信頼関係がないと出来ない。
 さてその場でもしかして、
「何しに来た?」
「どこのもんじゃ?」
などと立ちふさがる奴もいるかも知れない。その時はもう撤収するしかない。それでいいというか、仕方がない。では担任はここで何も出来なかったのか。そうではない。
 まず、本人がこの場を居心地がよいと思っているかどうか、それを確認出来たはずである。そして「次」を待つという機会にもなる。また本人に迷いがある時、またはそれが発生した時は、それに揺さぶりをかけることになる。そしてこれが一番大切だが、本人がその場を「抜け出したい」と思っている時に、担任がその場を訪れたとする。その時、
「どっちつかずにいれば、ずるずるとここにいるしかない」
「自分がはっきりしないことにはどうしようもない」
ことを、本人は知るのだ。仲間以外の人間が立ち入ることで、その「場所」は露出する。その時本人は、
「自分は『ここの仲間』ではない」
と、自分ではっきり言わないといけないことを知るのだ。どっちみち子ども達はこの地域で生きていく。そんな子ども達を完全な監視下に置くなんてことが、無駄で有害なことだと私たちは知っている。結局は「自分が引き受けないといけない」ことが常に問われる。

「担任がダメなら主任、主任がダメなら校長。校長がダメなら教育委員会」
などという「対策」がおしゃべりされたが、私たちにはなんのリアリティもなかったはずだ。

 しかしすべては、
「ご飯の用意より大切なこと」
を優先するようになった、私たちの生活の変容に原因があると思える。
「子ども達がかわいくて仕方がない」
気持ちを忘れそうになる、私たちの生活にすべての原因があるように思えるのは私だけだろうか。


 ☆☆
ビートたけしの、
「18歳の奴らに選挙権を与えるなら、少年法なんかいらねえ」
とは『週刊ポスト』での発言らしいです。読んでないんですが、私には「ガキどもに厳罰を」というより、「あんなガキどもに選挙権とはお笑いだ」というように聞こえるんですが、どうでしょうか。

 ☆☆
あったかい。ホントにあったかい。春ですねえ。庭の桃(かな?)もかわいらしく開花しました。
            
今日は中学校の卒業式。いい日で良かった。証書を持った親子連れが歩いてます。

子どもを信じる?(上)  実戦教師塾通信四百三十二号

2015-03-06 12:19:02 | 子ども/学校
 子どもを信じる?(上)
     ~川崎の事件(上)~


 1 他山の石

 また不幸な事件が起こった。なんと言われようと「また」なのだ。ありがたいとも言えないが、各方面から意見を求められた。それに対して、初めは断定的な言い方をしていたが、この事件を悼(いた)むひとたちがひきも切らない様子を見ていて、そうも言っていられないと思うようになった。
      
遠慮がちだったメディアが、いつも通りの口汚さを取り戻し始めた。加害者に対して、そして今は被害者の周辺にまで及び始めた。私は、延々と続く弔問(ちょうもん)のひとたちを見ていたら、今はメディアの醜悪な第三者的無責任さを批判するのではなく、他山の石として置き換えることが大切だと思えた。このメディア的あり方を遠ざけた時、そこには「私たちの場所」が露出するからだ。その時、私たちがその場所を引き受ける覚悟があるかどうかきっと問われる。しかし、それを引き受けることでしか、「その後」を語ることは出来ないはずだ。
 今まで書いてきたことを、おそらくまたもや繰り返すことになる。しかし仕方がない。私たちはちっとも前に進めていないからだ。
 いくつか結論めいたことを書いておけば、「それではいけない」と言われようが、私たちには、

○出来ることと出来ないことがある。

出来もしないことを、蚊帳(かや)の外からああせいこうせいと言ってる連中と私たちとは違う。当事者だからだ。あるいは、当事者の側にいるからだ。
 希望はある。簡単なことだ。しかし、簡単にはかなわないということを、私たちは今回の事件から学びたいと思う。

 2 少年Aの不幸
 少年は弁護士に付き添われながら警察に出頭した。タクシーでである。多くの人が違和感を持ったはずだ。私も異例の展開にしばし戸惑(とまど)った。事件は審判が始まったわけではない。拘留(こうりゅう)中の面会というわけでもない。弁護士がもう登場している。これが親の子どもを「信じた」結果なのである。不幸を絵に描いたような展開だ。
「オマエがやったのか」
「いややってない」
というやりとりがあったという。しかし大切なことは、このやりとりののち、「雄弁な」父親は息子の無実を訴えるために、警察にも学校に出向かなかった。あるいは、
「一緒に警察まで行って、本当のことを教えてやろう」
と息子を促(うなが)すこともなかった。果ては弁護士を付けてタクシーを呼び、母親に付き添わせている。自分の車では行かなかった。そして自分は行かなかった。すべてが「息子を信じられない」ことを示している。あるいは、「息子を信じる自信がない」ことを示している。今、この父親はそれまで声を荒らげて周囲に食ってかかった元気はない。まるで、息子はこのオヤジの「空威張り」を、そのまま引き継いで育ったかのようだ。
 つまり、事件の4日前と言われるが、少年の家に別な少年のグループが「抗議」に行っている。被害者上村君への暴行についてだ。ネット情報だが、少年が玄関に出なかったため、グループは家を取り囲む結果となった。そして親が警察を呼んだ。また、これ以前にも上村君への暴行を謝罪するように求められて、少年は謝罪している。これらはおそらく事実である。そしてこれらが、少年の「モンスター」ぶりの内実が、「空威張り」だったことを示している。なぜなら、少年は謝罪を要求して来た連中に反撃しなかった。そして、怒りの矛先(ほこさき)をその連中に向けずに、上村君に向けたからである。腰抜けのやることだ。
 おそらく、少年が自分のちっちゃな姿に気づくチャンスは今までたくさんあった。しかし、その芽は一番近くにいる大人が摘(つ)んでいたと思われる。
 大津事件の加害生徒の続報を覚えているだろうか。その後の顛末(てんまつ)も聞かずに転校したあと、転校先の学校ですぐに事件や揉(も)め事を起こしている。事実に向き合わなかった子どもが、その後をどうやって過ごしたらいいか、途方にくれるのは分かりきったことだろう。バカな大人(親)が、子どもをダメにする。今ここで、そのことが繰り返されようとしている。

 3 上村君の悲劇
 上村君の母親がようやく口を開いた。「どれほど怖かったか、痛かったか」という言葉の前に、事件の夜について触れている。
「あのとき、もっともっと強く止めていれば……」
私にはこの言葉に、上村君の、
「(暴力をふるわれたことで)親に迷惑かけられない」
という言葉が重なって見える。両者共に「言えなかった」のだ。しかし、大人である母親はなぜ止められなかったのか。母親の後悔は、どこまでも逆上る。

どうしてあざを作った理由を確かめなかったのか/どうして服がたばこ臭いのか聞かなかったのか/どうして夜出かけるのか聞かなかったのか/夜一体どこでなにをしているのか聞かなかったのか/無理でもどうしてお祖父さんに頼まなかったのか等々等々。

 子育てをした(している)私たちのほとんど、いや全員が、
「我が子に申し訳ないことをした」
経験を持つ。その時私たちは、贖罪(しょくざい)の意識を持ち、なんらかの行動を起こす。「ものを与える」「甘くする」のがそうだ。子どもが立派な/素敵な行いをした時にする「ご褒美」とは違う、贖罪としてゲームでもお菓子でもいいが、そんなものを親は与える。私はよく「薬物療法」と言ってきた。子どもは子どもだから、それでいいものだと思う。大人は大人なので、そんな子どもに「調子に乗るんじゃない」と言える。しかし、「申し訳ない」ことが続く親は、子どもをたしなめるチャンスも持てず、子どもを「薬漬け」にしてしまう。不憫(ふびん)だと思っている子どもから、
「こんな家大嫌いだ!」
と言われて、たじろがない親はいない。
 私は上村君がそんな危機にあったと思えて仕方がない。
 母親は上村君の夜の外出を知りつつも、それを確かめること/止めることができなかった。止めないといけないとは思っていた。先に引用した母親のコメントに、
「一度は止めることが出来たのだから」
とあるからだ。でも「二度目」は出来なかった。「息子に過度の負担を強(し)いている」思いがのしかかっていたからだ。

 4 相も変わらぬもの
 この事件が起こって、相も変わらぬことが振りまかれている。
「このままでいいのか」
という、上からの物言いである。誰もいいと思っちゃいない。私たちはそんな無責任な挑発に乗ることはない。改めて二点取り上げておく。
①「大人に言わない子どもたち」
 今回の事件を私たちはどうにか出来なかったのかと思う。そして行き着くのが、
「どうして言ってくれなかったのだろう」
である。そこに解答があるように思ったりする。しかし、子どもは大人には言わないものだ。困った時に、
「お母さ~ん」
と言って泣いてしがみつくのは、幼児だ。だんだん言わなくなり、そしてとうとう親の知らない「秘密」まで作る。それが子どもというものであり、自立というものだ。言って欲しいことは言わないといけないなんて、大人の都合で考える勝手な「願望」だ。
 しかし、子どもたちがはるか彼方(かなた)に行ってしまったことも事実だ。彼らの姿は「孤独」である。そして近年、彼らの「孤独」は、その裏側に「勝手気まま」を張り付け始めた。つまり、彼らの周囲には頼るべき大人がいない。そして、大人が眼中にないと言い換えてもいい。私たちが恐れているのは、ここ30年で成長をとげた「勝手気まま」で「大人が眼中にない」、大人を必要としていない方の子どもたちだと思える。

②「二度とこんなことは起きて欲しくない」
 またこんなことが言われる。これが上村君のそばにいた人間の発言である。あきれて開いた口がふさがらない。もう「先」を見ているのである。どうして悲しみや辛さで、その場に「たたずんでしまう」ことが出来ないのだろう。多分悲しんでいないのだ。でも、悲しさに切実さを伴えない遠くにいる人間でも、どんな事実があったのかという気持ちは持てるし、持ちたいと思う。現場や当事者に、少しでも近づく手だてはあるのだ。

 「孤独」な子どもたちや「勝手な」子どもたちに、私たちはどんなことが出来るのだろう。私たちは注意深くその「出来る/出来ない」境界線を見極(みきわ)め、そのことを子どもたちに伝えないといけない。それは出来る。
 次回に書きます。


 ☆☆
遠隔の地にいる教え子から連絡がありました。
「壁に扉をつくり窓を開けることは決して不可能ではない!」
私だったら「壁」には「穴」を開けることしか思いつきません。教え子は「壁」に希望を見ているのです。いかにもこの教え子らしいと感心です。もうひとつ、
「挑戦したものにだけ与えられる勝ち負け」
です。なんかどれも勇気をもらった感じでした。またあの歌の一節を思い出しました。

今、それぞれにそれぞれの場所で
口唇を噛みしめて みんな走ってるだろう
How are you friend ?
あの日から会う機会もないけれど (『卒業まであと少し』より)
      
      お気に入りのアングルから、暮れなずむ手賀沼

 ☆☆
昨日は啓蟄(けいちつ)。眠ってた生き物が外に這(は)い出して来ますね。でも明日はまた雪ってホントですかね。日曜から相撲も始まる。いよいよホンダのF1も開幕です。春よ来い!