学校事故に際し
~柏での出来事~
1 光が丘中学校
あちこちから16日の光が丘中の件で、問い合わせや意見が寄せられた。子どもを持つ親にしても、教師にしても、この間の川崎の事件から間もないというのに、という気持ちになる。私のところに入った報告で、ここに書いていいと思われることを知らせておきたい。まだ事態の推移を見守る時期と思うが、問い合わせの中には、早々と「隠蔽(いんぺい)されているのではないか」とか、果ては「結局オマエも、地元のことに関しては口をつぐむのだろう」という気配を存分に漂(ただよ)わせているものもあるからだ。
16日当日、女子数名から、部活のことで話し合いたいから場所を貸してほしいと、職員に申し出があった。放課後である。なんらかの事情で、職員は話し合いの場に居なかった。生徒だけの話し合いの最中に、4階のその部屋から飛び出した女子が、廊下の窓から飛び下りたのである。幸い命は取り留めたが、容体は楽観できない状態である。
いじめかどうかはともかくも、職員は生徒間のトラブルとして、ある程度把握していたようである。
その後、学校は生徒にアンケートを取るかじ取りに入っていると思われる(年度が変わる前に行われないといけないが)。内容はまだ分からないが、多分に重体となった生徒の保護者の意向に沿ったものが作られると思う。そしてこれが市教委の指揮のもと、進められていると思われる。というのも、柏市教委の発行した「いじめ防止基本方針」に、
「関係する保護者の要望を充分に把握した上で判断します」
とした上で、
「教育委員会が主体となる」
と言っているからである(『2 重大事態の発生と調査』より)
またこの方法はすでに経験済みだからである。この間、すでに多くの方が閲覧している様子だが、このブログ363号を参照してほしい。
http://blog.goo.ne.jp/kotoyorimasagoo/e/51aa1bee21c2fdc69ce951ee324cb3d2?fm=entry_awp
2 調査書記入ミス
多くの学校で、多くの生徒の調査書にミスが発覚した。柏市では富勢中が脚光(きゃっこう)を浴びた。このことはニュースで大体のことは知っていると思う。本当は「5」の子が「2」なんていうのは、昔の手書きによる転記ではありえないミスである。今は、ひとりを間違うと、全員の数値が変わる。再点検をしたところで、
「なんでこいつが『2』?」
という、本人の姿を思うアナログな視線を持ってないと見過ごしてしまう。
さて、中学/高校の生活から離れたところにいる多くの方に、まだ共有されていないと思う現実をひとつ。
① 自分の入試での点数は、本人であることが確認できれば、高校の窓口で聞ける。
② 調査書のコピーも同様で、一般的な「情報開示」の煩雑(はんんざつ)な手続きは必要ない。
塾では「調査書コピー」を積極的にすすめている。これは塾の学校不信にもとづいて推進しているわけでもない。進路指導の資料にもなるからだ。
今回の端的なケースは、どうも親が「そんなはずはない」という積極的な動きをしたらしい。私にも経験がある。私の「そんなはずはない」という思いよりも、親の「そんなはずはない」という勢いが勝っていた。そして、親の思った通りだったことがあった。
本当の数値が、入学決定前に判明して、本当に良かった。
今年も木蓮が咲きました。はな桃はこれから
3 キーワード①「成熟」
では報告は以上にして、いじめに関して考察しておきたい。
私は「子どもの成長に『いじめ』は不可欠」とよく言う。しかし事件が起こるたびに、確認というか、不安を訴(うったえ)えられる。今回もそうだ。唐突だが、仮設住宅での生活の寂しさに、犬を飼っているおばちゃんの話である。ペット業者に依頼する様々なしつけの話だ。
生後二カ月まで、小犬同士で暮らす。すると、小さいもの同士で噛み、痛みを知るんだそうだ。それで人の手に渡る時には、むやみに噛まなくなる。しつけの期間は黙って見ている。もちろん、小犬自身は体が小さいから傷も浅い。
まず傷というものは、小さい方がいい。そして小さいころの方がいい。圧倒的に回復が早いから。そして、頭で分かるのでなく、身につくのである。ペットの話は実に絶妙に思えた。
今はすべてが「いじめ」としてくくられるが、もとを正せば、人は相手に「違い」を見いだした時、何かを言う。それはある時に批判だったり、ある時は感想だったりする。
前回、白鵬対稀勢の里戦を「番外」として書いたが、ちょっと続きで聞いて欲しい。
明らかに稀勢の里の「自滅」、あるいは白鵬の技が決まったものに対して、
「変わったぁ!」
とアナウンサーが叫んだことを私としては許せないが、これは仕方のないことだ。意見であり、感想なのだ。これは「成熟したもの」が、あとで修正すればいいことだ。どうやらようやくそんな流れが出てきたと思える。この場合、その役割をになうのは「その道のもの」である。一般的には、「大人」というものが軌道修正することを、「導く」とか「育てる」態度と呼ぶ。
そんなわけで、意見や感想を言うことはいいことでも悪いことでもない。しかし、ささいなことで傷つく子どももいる。だから「言ってはいけない」、あるいは「言い方に配慮を」と言う、そんな社会の勢いだ。すべては「いじめ」に通じるからだという。でも自然な成り行きを、大人の監視のもとにさらすことがいいことであるはずがない。対局で、口汚い言葉をまき散らす連中がはびこる。これはもう必然と思える。残念だが、「異論」や「異質なもの」を嫌う傾向は、拍車をかけている。私たちが「成熟」しているなら、どんな形でかこれをひっくり返さないといけない。
さて、当面する答えは、いつも通りなのだが、まずは、
「社会が悪い」
などという、他人事のような意味プーではない。
「『近くにいる』大人が見守る」
ことだ。困難なことは分かっている。だから、少しの傷は覚悟しないといけない。しかし聞きつけた時は、そこに駆け付け声をかける。ささやかではあっても、親や教師の役割であって、しかももっとも大切なものだ。
昔は壁やトイレにいたずら書き、でも今それはネット/ライン上なんだぞと、じれる思いの人も多いに違いない。しかし、目には見えない相手でも、特にラインに関しては、教室が出来ることは充分に残っている。ラインの元凶は、そうでない場合があっても、大体が教室空間に納まっている。教室を通して訴えることは可能だ。どっちみち人間のやっていることなのだ。
「どうなってる?」
「まずくないか」
と、関係してる生徒かそうでない生徒か、どっちでもいいが、元凶(らしき)生徒に対して、誰かが直接でもライン上でも、そう言ってくれ。そのことを信じるしかない。
子どもから信じられる大人(になれる)かどうか、
「さあ、ここがロドス島だ、ここで跳(と)べ!」
とはイソップが言ったことだ。言い訳を拒(こば)み、自分(大人)自身の問題として考えないといけない。
4 キーワード②「いじわる」
例えば小学校で、
「どうして休んでるんだ?」
何日か休んで学校に出てきた生徒に、こう聞く生徒がいる。心配して聞く場合と、悪意が潜(ひそ)んでいる場合がある。その子(聞いた方である)がストレスを抱えている場合、またはクラスが荒れている場合は、大体が「悪意」のもとの確認である。聞いた子自身が、来たくないと思っている学校に来ているから、
「オレは来てんのに、オマエはどうして来ない?」
と思っている。せっかく、あるいはやっと出てきた子が困っている。大人は手をさしのべないといけない。
「それはいじめです」
さらに、
「いじめは犯罪です」
なんていうバカな介入ではダメだ。言っている方も子どもで、自分の状態を分かっていない。もうここは「知恵比べ」なのだ。
「具合が悪いのに、なに聞いてんの?」
『聞いただけだよ』
「普段仲がいいってわけでもないくせに」
『ずる休みしてんだ、あいつキタネエ』
と来たら、私流にここは、
「だったらオメエも休めよ。来なくていいから」
と言いたいところだが、ここはノーマルに。
「なにを根拠に言ってんの。せっかく来たのに。そういうのを『いじわる』って言うんだよ」
『弱いんだったら直せばいいんだよ。だらしねえんだ』
「アンタだって、直せって言われたら直せる?」
そのデブの体。とまで言えるかどうか、もう両者の信頼関係だ。真剣勝負の知恵比べだ。
「それはいじめです」
とは、初めから決めてかかった言葉だ。子どもに「いけないことだ」という結論が押しつけられる。何がどういけないというのか。それにさらに「犯罪」が畳みかけると、
「罰せられるからやめなさい」
ということになる。だって「罪に対しては罰」なんだから。こんなやり方、怠惰なことこの上ない。要するに、
「大人の言うことが聞けないなら覚悟しろ」
と言っている。子どもは考えることも出来ないで、反省する道も断(た)たれている。
日本には『いじわる』という、いい言葉がある。それを思い起こすことによって、私たちは「相手の気持ち」というものに近づいて来た。それを考えることで、自分の言葉や行為がもたらす結果を考えるようになってきた。
「それっていじわるじゃない?」
話し合って最後(「最初」ではない)、この言葉を子どもに言えたら、自分は「成熟」した大人なのかも知れない。
☆☆
春ですねえ。今日は20度になるってホントでしょうか。先日、田んぼ道でチャリを転がしてたら、いかにも中学校卒業ほやほやみたいなのが二人乗り。後ろに乗ってる野郎が、タバコ吸ってるんですよ。チャリの後ろで、どんなもんだいって。私はゆっくり追い抜いて、
「カッコイイ~!」
って言ってあげたんですが、キョロキョロしてやがる。こっちだよ。言ったのはオレ、とまでは言わなかったですが。いきがるってのを絵に描いたみたいで良かったです。
手賀沼の土筆(つくし)です。かわいいですね
☆☆
ああ~長くなってしまうなあ。今回はいつもよりさらに原稿用紙二枚分くらい長くなってしまった。このブログ、携帯ではついてけないと思います。ぜひ皆さん、タブレットかパソコンで読むことをお勧めします。
~柏での出来事~
1 光が丘中学校
あちこちから16日の光が丘中の件で、問い合わせや意見が寄せられた。子どもを持つ親にしても、教師にしても、この間の川崎の事件から間もないというのに、という気持ちになる。私のところに入った報告で、ここに書いていいと思われることを知らせておきたい。まだ事態の推移を見守る時期と思うが、問い合わせの中には、早々と「隠蔽(いんぺい)されているのではないか」とか、果ては「結局オマエも、地元のことに関しては口をつぐむのだろう」という気配を存分に漂(ただよ)わせているものもあるからだ。
16日当日、女子数名から、部活のことで話し合いたいから場所を貸してほしいと、職員に申し出があった。放課後である。なんらかの事情で、職員は話し合いの場に居なかった。生徒だけの話し合いの最中に、4階のその部屋から飛び出した女子が、廊下の窓から飛び下りたのである。幸い命は取り留めたが、容体は楽観できない状態である。
いじめかどうかはともかくも、職員は生徒間のトラブルとして、ある程度把握していたようである。
その後、学校は生徒にアンケートを取るかじ取りに入っていると思われる(年度が変わる前に行われないといけないが)。内容はまだ分からないが、多分に重体となった生徒の保護者の意向に沿ったものが作られると思う。そしてこれが市教委の指揮のもと、進められていると思われる。というのも、柏市教委の発行した「いじめ防止基本方針」に、
「関係する保護者の要望を充分に把握した上で判断します」
とした上で、
「教育委員会が主体となる」
と言っているからである(『2 重大事態の発生と調査』より)
またこの方法はすでに経験済みだからである。この間、すでに多くの方が閲覧している様子だが、このブログ363号を参照してほしい。
http://blog.goo.ne.jp/kotoyorimasagoo/e/51aa1bee21c2fdc69ce951ee324cb3d2?fm=entry_awp
2 調査書記入ミス
多くの学校で、多くの生徒の調査書にミスが発覚した。柏市では富勢中が脚光(きゃっこう)を浴びた。このことはニュースで大体のことは知っていると思う。本当は「5」の子が「2」なんていうのは、昔の手書きによる転記ではありえないミスである。今は、ひとりを間違うと、全員の数値が変わる。再点検をしたところで、
「なんでこいつが『2』?」
という、本人の姿を思うアナログな視線を持ってないと見過ごしてしまう。
さて、中学/高校の生活から離れたところにいる多くの方に、まだ共有されていないと思う現実をひとつ。
① 自分の入試での点数は、本人であることが確認できれば、高校の窓口で聞ける。
② 調査書のコピーも同様で、一般的な「情報開示」の煩雑(はんんざつ)な手続きは必要ない。
塾では「調査書コピー」を積極的にすすめている。これは塾の学校不信にもとづいて推進しているわけでもない。進路指導の資料にもなるからだ。
今回の端的なケースは、どうも親が「そんなはずはない」という積極的な動きをしたらしい。私にも経験がある。私の「そんなはずはない」という思いよりも、親の「そんなはずはない」という勢いが勝っていた。そして、親の思った通りだったことがあった。
本当の数値が、入学決定前に判明して、本当に良かった。
今年も木蓮が咲きました。はな桃はこれから
3 キーワード①「成熟」
では報告は以上にして、いじめに関して考察しておきたい。
私は「子どもの成長に『いじめ』は不可欠」とよく言う。しかし事件が起こるたびに、確認というか、不安を訴(うったえ)えられる。今回もそうだ。唐突だが、仮設住宅での生活の寂しさに、犬を飼っているおばちゃんの話である。ペット業者に依頼する様々なしつけの話だ。
生後二カ月まで、小犬同士で暮らす。すると、小さいもの同士で噛み、痛みを知るんだそうだ。それで人の手に渡る時には、むやみに噛まなくなる。しつけの期間は黙って見ている。もちろん、小犬自身は体が小さいから傷も浅い。
まず傷というものは、小さい方がいい。そして小さいころの方がいい。圧倒的に回復が早いから。そして、頭で分かるのでなく、身につくのである。ペットの話は実に絶妙に思えた。
今はすべてが「いじめ」としてくくられるが、もとを正せば、人は相手に「違い」を見いだした時、何かを言う。それはある時に批判だったり、ある時は感想だったりする。
前回、白鵬対稀勢の里戦を「番外」として書いたが、ちょっと続きで聞いて欲しい。
明らかに稀勢の里の「自滅」、あるいは白鵬の技が決まったものに対して、
「変わったぁ!」
とアナウンサーが叫んだことを私としては許せないが、これは仕方のないことだ。意見であり、感想なのだ。これは「成熟したもの」が、あとで修正すればいいことだ。どうやらようやくそんな流れが出てきたと思える。この場合、その役割をになうのは「その道のもの」である。一般的には、「大人」というものが軌道修正することを、「導く」とか「育てる」態度と呼ぶ。
そんなわけで、意見や感想を言うことはいいことでも悪いことでもない。しかし、ささいなことで傷つく子どももいる。だから「言ってはいけない」、あるいは「言い方に配慮を」と言う、そんな社会の勢いだ。すべては「いじめ」に通じるからだという。でも自然な成り行きを、大人の監視のもとにさらすことがいいことであるはずがない。対局で、口汚い言葉をまき散らす連中がはびこる。これはもう必然と思える。残念だが、「異論」や「異質なもの」を嫌う傾向は、拍車をかけている。私たちが「成熟」しているなら、どんな形でかこれをひっくり返さないといけない。
さて、当面する答えは、いつも通りなのだが、まずは、
「社会が悪い」
などという、他人事のような意味プーではない。
「『近くにいる』大人が見守る」
ことだ。困難なことは分かっている。だから、少しの傷は覚悟しないといけない。しかし聞きつけた時は、そこに駆け付け声をかける。ささやかではあっても、親や教師の役割であって、しかももっとも大切なものだ。
昔は壁やトイレにいたずら書き、でも今それはネット/ライン上なんだぞと、じれる思いの人も多いに違いない。しかし、目には見えない相手でも、特にラインに関しては、教室が出来ることは充分に残っている。ラインの元凶は、そうでない場合があっても、大体が教室空間に納まっている。教室を通して訴えることは可能だ。どっちみち人間のやっていることなのだ。
「どうなってる?」
「まずくないか」
と、関係してる生徒かそうでない生徒か、どっちでもいいが、元凶(らしき)生徒に対して、誰かが直接でもライン上でも、そう言ってくれ。そのことを信じるしかない。
子どもから信じられる大人(になれる)かどうか、
「さあ、ここがロドス島だ、ここで跳(と)べ!」
とはイソップが言ったことだ。言い訳を拒(こば)み、自分(大人)自身の問題として考えないといけない。
4 キーワード②「いじわる」
例えば小学校で、
「どうして休んでるんだ?」
何日か休んで学校に出てきた生徒に、こう聞く生徒がいる。心配して聞く場合と、悪意が潜(ひそ)んでいる場合がある。その子(聞いた方である)がストレスを抱えている場合、またはクラスが荒れている場合は、大体が「悪意」のもとの確認である。聞いた子自身が、来たくないと思っている学校に来ているから、
「オレは来てんのに、オマエはどうして来ない?」
と思っている。せっかく、あるいはやっと出てきた子が困っている。大人は手をさしのべないといけない。
「それはいじめです」
さらに、
「いじめは犯罪です」
なんていうバカな介入ではダメだ。言っている方も子どもで、自分の状態を分かっていない。もうここは「知恵比べ」なのだ。
「具合が悪いのに、なに聞いてんの?」
『聞いただけだよ』
「普段仲がいいってわけでもないくせに」
『ずる休みしてんだ、あいつキタネエ』
と来たら、私流にここは、
「だったらオメエも休めよ。来なくていいから」
と言いたいところだが、ここはノーマルに。
「なにを根拠に言ってんの。せっかく来たのに。そういうのを『いじわる』って言うんだよ」
『弱いんだったら直せばいいんだよ。だらしねえんだ』
「アンタだって、直せって言われたら直せる?」
そのデブの体。とまで言えるかどうか、もう両者の信頼関係だ。真剣勝負の知恵比べだ。
「それはいじめです」
とは、初めから決めてかかった言葉だ。子どもに「いけないことだ」という結論が押しつけられる。何がどういけないというのか。それにさらに「犯罪」が畳みかけると、
「罰せられるからやめなさい」
ということになる。だって「罪に対しては罰」なんだから。こんなやり方、怠惰なことこの上ない。要するに、
「大人の言うことが聞けないなら覚悟しろ」
と言っている。子どもは考えることも出来ないで、反省する道も断(た)たれている。
日本には『いじわる』という、いい言葉がある。それを思い起こすことによって、私たちは「相手の気持ち」というものに近づいて来た。それを考えることで、自分の言葉や行為がもたらす結果を考えるようになってきた。
「それっていじわるじゃない?」
話し合って最後(「最初」ではない)、この言葉を子どもに言えたら、自分は「成熟」した大人なのかも知れない。
☆☆
春ですねえ。今日は20度になるってホントでしょうか。先日、田んぼ道でチャリを転がしてたら、いかにも中学校卒業ほやほやみたいなのが二人乗り。後ろに乗ってる野郎が、タバコ吸ってるんですよ。チャリの後ろで、どんなもんだいって。私はゆっくり追い抜いて、
「カッコイイ~!」
って言ってあげたんですが、キョロキョロしてやがる。こっちだよ。言ったのはオレ、とまでは言わなかったですが。いきがるってのを絵に描いたみたいで良かったです。
手賀沼の土筆(つくし)です。かわいいですね
☆☆
ああ~長くなってしまうなあ。今回はいつもよりさらに原稿用紙二枚分くらい長くなってしまった。このブログ、携帯ではついてけないと思います。ぜひ皆さん、タブレットかパソコンで読むことをお勧めします。