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柏・その後 実戦教師塾通信九百十四号

2024-05-24 11:17:37 | 子ども/学校

柏・その後

 ~重大事態の顛末~

 

 ☆初めに☆

いずれも先日のこと。地方版もありましたが、東京新聞は全国版(関東版と言えるのかもしれませんが)だったのが市立柏高校の問題。もうひとつが、同じく柏市の中学校で起こったこと。メディアの力では、すくい上げようのないものがあります。どちらもこのプログで、以前に取り上げましたが、私なりの検証と提案をして来たので報告します。

 1 「今度」はどうする?

 要点のみ振り返れば、2018年に「校舎から転落」として報道された市立柏高校の2年生の事件は、2022年に報告書が出される。後に自殺とされた事件の背景の一端は、過度の部活動が考えられると報告された。今回、ニュース上にこの問題が浮上したのは、国の出した部活動の指針を市立柏高校が守ってないと、遺族が文科省に申し入れをしたからだ。一日約2時間・休日3時間・週2日以上の休養日が、国のガイドラインである。現状を言えば、大会前という条件下で変更は可能だし、学校運営上の「調整」はある。そういうものとしてのガイドラインだ。国も恐らく、そこまでの介入をするつもりはないと思う。その結果なのだが、指針を「緩やかに」解釈して、違反ギリギリで部活をやってるところはある。やっぱりと思う学校の、やっばりと思える部活である。市立柏高校の部活動は、一日約3時間・休日6時間以内・休養日が平日は週1日、週末は月二日以上というもの。初めは本当にそんな短くする気があるのかと疑ったが、実際クールダウンしている。盆と正月しか休みがないような活動に、むしろ憧れて入学した生徒の「熱量をコントロールする責任」(遺族の言葉)を、学校は感じているように見える。そのくらいに市立柏高校の活動は、目に見えて少なくなった。それでも、報告書が残した課題に、まだ忘れてはならないものがある。

 勉強も部活もという「文武両道」なる校風を掲げている高校が、多くある。大体(すべてではない)の実態は、部活重視だ。例えば、テストの結果が思わしくないと、活動停止を命じられるからだ。成績が下位になることは許さんぞ、という程度を「学業道」とは言えまい。スポーツ推薦で入学したものが、怪我を負ったら退学がほぼ確実というのと似ている。市立柏高校の報告書は、もう少し実態を掘り下げている。英検を受けたい生徒(複数)の気持ちが、軽んじられたことだ。顧問が問い詰めたのだろうか。そうは思わない。生徒は精一杯の思いと不安で訴えている。休むのか?の確認程度で、生徒の気持ちはくじかれる。これらの不安・不満の多くが、本人からではなく保護者から、顧問にではなく担任に訴えられる。しかし、担任は顧問に訴える力を持たない。代表顧問は、校長より力を持っていた。様々なものが、マグマのように渦巻いていたのだ。これが生徒の死をきっかけにふき出したのである。これだけでも、生徒の死は無駄ではなかったと思う。繰り返せば「生徒の自主的活動」と括っていけないものを、学校・大人は自覚しないといけない。同じ年に起こった所沢の中学生「転落事故」で明らかになった、体力テストのため昼休み等の「自主練」も思い出しておきたい。一方、私が現場や行政で訴えていることは、これらと別なことだ。

 柏の教育行政を担う方の話だ。市立柏に着任した職員に報告書を読みなさいと口を酸っぱくして言っている。それくらいに過去の話になっている。もちろん生徒においておや、である。これに水を差すようだが、切実な「命」を巡る当時のことを、私は蒸し返している。今度あのようなことが(あってはいけないが)あったとして、生徒が倒れていた駐車場にいつも通り車を止めるのか否かは重要だ。「生徒が動揺する」という理由で、結局花も手向けず職員の車を止めたことの是非について結論を出さないといけない。そして、生徒が亡くなってすぐ(10日後)に控えていた大きなイベントの「実施の可否」を遺族に打診した混乱も、まだ検証されていない。柏市のいじめ対策は「教育委員会が主導する」方針がこの件で変わったのは、これらの積み重ねがあったからだと思っている。遺族は途中から代理人を通すようになった。この理由を「人権団体が介入した」と考える管理職がいるのは、残念としか言いようがない。

 2 切実な現実

 もうひとつも要点から振り返る。2015年、柏市の中学生が校舎から飛び降りる事件だ。瀕死の重傷で、起き上がることは出来るようになったが重い後遺症が残った。この時は教育委員会が主導した調査で、報告書は学校・職員の見守りと指導の不十分さを厳しく批判するものだった。怪我を負った元生徒と保護者が提訴に踏み切ったのは、2019年である。前に書いたと思うが、後遺症への補償はずっと続くわけではない。提訴したのは、補償の期限を迎えたからだ。当事者の無念と後の生活補償を考えてのことだ。学校の設置者である柏市との間では和解した。しかし、原告が訴えた元生徒4人との間で結論が出ず、先日(15日)、千葉地裁は「いじめの証拠がない(判決文の表記ではない)」として訴えを棄却した。柏市教委の報告書を読めば分かるが、関係した生徒の被害生徒に対する行動が執拗であったことは容易に推察される。また、当該学校にいなかった教職員でも、あの部活のあの顧問? そうだったら周りの教員のサポートがなければダメだろうと、生徒の非より大人の無能力に気づき嘆いたはずだ。そう考えると、裁判所の決定は「子どもの過ちに対する寛大」にも見えて来る。しかし、被害生徒側にすれば、それで済むはずがない。

 切ないのはそれだけではない。この報告書について責任を負っているのは、提出した設置者・柏市だ。しかし、報告書の公開に柏市(教委)は二の足を踏んだ。個人の特定やプライバシーに及ぶことを配慮してもなお、抵抗があったのである。時を経て報告書は公開される。「当局の隠蔽」と指弾もされたのだが、当事者の事情を知り考えてしまった。公開されることで、学校・大人たちの不手際と無能力があきらかになるのだ。それでも公開によって発生する悲しみがあった。それを乗り越えて公開に踏み切らせたのが何だったのか、そこまでは知らないでいる。

 

 ☆後記☆

先週の「うさぎとカメ」は、市内で運動会が多い中の開催でしたが、こんなに⁉と思うたくさんの人たちが来てくれました💛 50回を記念してのじゃんけん大会、盛り上がりましたよ✊✌✋ 小さい子は必ず後出しで、前にいるお姉さんと同じにするのが笑えました☺ 皆さん、ありがとう! あと50回よろしくお願いします👍

東京・檜原村の敬愛する先輩から、筍が届きました。こんな時期に?と、毎年思います。嬉しいです🌲

昨日から福島にいます。元気をもらって来ま~す🏃


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