実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

春 実戦教師塾通信八百五十四号

2023-03-31 11:23:06 | 旅行

 ~ゆったり定番コース~

 

 ☆初めに☆

夏・冬の定番と言ったら北海道や京都ですが、春・秋は水戸や宇都宮、そして近くの温泉場です。今回は水戸です。いつものコースで、千波湖と弘道館をめぐりました。偕楽園は雨上がりで、屋外が座れないため断念。好文亭も行かなかった。幕末関連の場所を散策しましたが、弘道館のレポートとあわせて、それは後編といたします。

これは福島行きの時に、いつも利用する友部サービスエリア。満開の桜の足元は、こんなに?と思うほど大きなオオイヌノフグリ。スタバで生ハムのサンドイッチとカプチーノのモーニング。贅沢な時間です。

 ☆千波湖☆

必ずここからのんびり外を見て、お茶かランチをします。「カフェ・せんば」だったかな。

鳩を撮ってる人。左の桜の陰になってしまいましたが、水戸芸術館・磯崎新のモニュメントが見えてます。

ランチはポークのトマトソース煮込み。服にソースをはねてしまいました。

 ☆那珂湊市場☆

那珂湊まで足を延ばします。驚きの品揃えと安さ。生ガキを食べる人が行列してました。

見えますか。タイが二尾で千円! ぶりとあん肝、いかの塩辛を買いました。

 ☆那珂反射炉☆

市場からすぐに、幕末、急ごしらえで作られた反射炉があります。台風で壊されたり天狗党に壊されたりと、さんざんな目にあった反射炉は、海防の戦略上、絶好の那珂湊に作られたわけです。これはもちろん、復元模型です。

少し次週の後編部分に触れます。この製造制作を積極的に推進したのは、言うまでもなく徳川斉昭です。尊王攘夷のリーダーたる水戸藩が、この反射炉で作った砲台で攘夷を敢行せんというのは当然のことでした。井伊直弼が日米修好通商条約を独断で結んだあと、斉昭が無断で江戸城まで出向いて、直弼を面罵(めんば)するのです。

二年前に再建されたらしい。水戸城の大手門。橋のたもとに、無念の斉昭像。

このことで謹慎処分をされた斉昭は、天皇から「幕政改革は水戸藩に任じる」勅書を送られることが災いし、悲しいかな、水戸城で死ぬまでの蟄居(ちっきょ=軟禁)を命じられます。朝廷と幕府はただならぬ関係にありました。攘夷派の中で過激な水戸藩の浪士が桜田門外の変へと動くのは当然なのですが、この異変の後に斉昭は亡くなっています。

 

 ☆後記☆

今日で3月も終わり、新しい年度の始まり。新しい教員人事は、結構よろしい感じ。顔を合わせるのが楽しみです。

また、こんなものを買ってしまいました。一年間の御褒美。値段は言えません。

近くの大津ヶ丘団地裏、満開の桜です。田んぼに延々と続く桜並木で~す

マー君、日ハムの新球場で先発投手。勝ちました。おめでとう

そして、今日はオオタニさんが開幕投手の大リーグ 吉田も打ったそうですね。

剛柔流の山口先生から、全国大会の案内が届きました。代々木の体育館でやるのは7年ぶりだそうで、嬉しいです


超人 実戦教師塾通信八百五十三号

2023-03-24 11:39:58 | エンターテインメント

超人

 ~解放というカタルシス~

 

 ☆初めに☆

涙をそそる感動でした~。休日は仲間と見たけど、決勝の水曜日はリタイア組で良かった!と、心から思いました。私はジャパンの選手たちを知らな過ぎてて……。やっぱりオオタニさんのことを書くことにします。努力を積み重ね考えぬいている姿を、エンターテイナー!と言っては失礼と分かってます。でもたとえば、皆さんご存知でしょうが、今は解説者となっている元大リーガーのロドリゲスとオルティスが、オオタニさんに質問をするわけです。

「真剣な質問なんだけど、どこの惑星で生まれたの?」

「日本の田舎」なる答は、二人の爆笑を誘ったそうです。二人の質問はユーモアに満ちていながら、オオタニさんの超人的な実力をリスペクトしています。オオタニさんの周囲で起きることは、すべてにわたって「肯定的」です。

**記事を書くにあたっては、主にスポニチと雑誌『number』を参考にしました。

メキシコとの準決勝はサヨナラのシーン(これは3月22日のスポーツ報知)

 

 1 ささやかな幸せ

 ライト前にヒットを打ったのに、まるで水の中で走るようで、全く足が進まずアウトになる夢を良く見たという。2021年を振り返ってのことだ。その3年前に右ひじ(トミー・ジョン)手術を受けているのである。リハビリ状態のストレスが充満していた時だったらしい。もちろん、話はそれで終わらない。

「でも野球でストレスを感じるって、いいところだと思うんですよ。毎日毎日、結果が出て、よかった悪かったと思える職業ってあんまりないでしょ。そこが楽しいことろだし、キツいところでもある」

やっぱり人間だったんだと思ってホッとすると同時に、ここにオオタニさんの揺るがない「入口」を見る。しかし、その「入口」とやらは、自分が今まで最も絶好調だった時を問われて「小学校の六年から中一にかけて」だという、多分に相当タイトな「入口」だ。そして、常に忘れていない「入口」なのだろう。また、オフでも身体を絞りこむので、たまにしかしないという朝食の話がまたいい。朝の有酸素運動を終えてからコーヒーを淹れ、トーストにチョコレートのソースを塗る。こんな時に「ささやかな幸せを感じる」んだという。こんな人が、本人が言うような野球のことしか考えていない人間であるはずがない。匂いたつようなオーラが、周囲を巻き込んでいく。

「翔平はどうすれば自分が自分らしくいられるかを知っている」(エンゼルス・バトン元監督)

「とてつもないエネルギーは、みんなに伝わっていく」(同・レンドーン)

 

 2 どこまでも肯定的な

 オオタニさんの大リーグでの活躍を見ていたら、私たち世代のレジェンド、「力道山」を見ているような気がする、と以前に書いたかもしれない。力道山は敗戦で疲弊していた日本を勇気づけた。金髪のプロレスラーをバッタバッタとなぎ倒し、日本の雄姿を示した(実は出身は朝鮮半島だったが)。その頃まだ数少なかったテレビが据えられた神社で、人々はアリのように群れて熱い声援を送った。オオタニさんのバットとボールで大リーガーを圧倒する姿は、それと重なるような気がした。でも違った。相手を「倒す」ことは、相手を「排撃」することではなかった。ヒットで塁上にいる時、そして試合が終わってから、相手チームもオオタニさんに微笑んで話しかけるのである。そしてそれは、当たり前の景色となっている。オオタニさんが野球を好きなレベルは、尋常ではないものがある。

 王もイチローも、もちろん野球を好きだが、誰が見ても耐え忍んでいる姿は「99%」の努力を体現している。オオタニさんだって同じなのだが、徹底していることがある。野球を好きな自分のために、余計なことをすべて排していることだ。その姿勢に両親を始めとした(友人も)周囲が協力していることだ。オオタニさんの素顔を知りたいがため、あらゆる手が尽くされているのは間違いない。しかし、本人はもちろん、その周囲がメディア上に全く露出することがないのは、このことを示している。野球人としてでなく、エンターテイナーとして自分を売り込むことで野球界に貢献しようという御仁もいらっしゃる。それも悪くはないのだろう。でも、野球に徹したオオタニさんだからこそ、自分のプレイで「勇気や希望を与えたい」ではなく、

「次の世代の子たちが、僕らも頑張りたいと思ってくれたら幸せです

と言える。自分は「与える」方ではなく「与えられる」方だ、と言っている。この違いは大きい。などと言ったあと、オオタニさんはこんな風に誰かと比べるような言い方はしないよな、と恥ずかしくなる……のです。

 

 ☆後記☆

解説の松坂が「言葉にならない……って言ってたらダメなんですけど」というコメントが、すこぶる好感ありました。何とか「言いたい」という気持ちがいいのですよね。「……のひと言です」「……しかありません」てのが、実は感極まってない状態だということでしょうか。またこんなこと言ってマズイなぁと思うのは、オオタニさんのお陰です。

これは見事な、手賀沼沿いのハクモクレンです。下は国道呼塚近くの大堀川で。

先日のこども食堂「うさぎとカメ」 雨が本降りの中、たくさんの人たちが、カレーを「美味しい」と食べて行ってくれました その下は少し不揃いで、これはこれでなかなかな靴の写真 「なに撮ってんの?」と言われました。

そして、今日は修了式。一年間お疲れ様でした。進級・進学おめでとう


侵入者 実戦教師塾通信八百五十二号

2023-03-17 11:38:59 | 子ども/学校

侵入者

 ~学校の〈実際〉~

 

 ☆初めに☆

初めに少し我慢がならんので書きます。番組制作への介入、いわゆる「高市レク」の話。追及する方の「言ったはずだ」オンリーの追及に我慢がなりません。相手が「言ってない」と言うなら、追及は「番組は制作側が作るものです。それでいいのですね?」という確認に進むのです。辞職させることばっかり考えてるからこうなる。不毛なやり取り&要らぬ時間つぶし、と思うのは私だけではないでしょう。防衛予算や子育て問題をめぐる議論は縮小されてます。もしかしてこの持久戦って相手の作戦? ぐらいの勘ぐりが必要でしょう。

今月、埼玉県戸田市で、少年が刃物で殺傷事件を起こしました。とりわけメディアの取り上げ方は看過できません。

 

 1 「なにが"さすまた"ですか!」

 学校回りをした時、しごく真っ当な校長先生のコメントが聞けて良かった。

「『自分が刺されても制止した』って英雄のような扱いをして、いいんでしょうか」

止めなくてもいい、とは言ってないゾ。私たちが出来ることと言ったら、定年を間近にしたこの先生の無事を「良かった」と思うことぐらいだ。こんなことにならない方途は限られているが、それを考えることぐらいしか出来ない。「我が身の危険を顧みず生徒を守った」なる表現の、すでに対処法の評価基準として浮上していることが重要なのだ。

 池田小学校事件当時の資料を探したら、その当時私が勤務していた中学校長発行の、保護者向けに出したチラシが出てきた。もちろん文科省・県教委・市教委などに続く、横並びの文書だ。この文書発行は、事件から5日後の2001年6月13日だった。現在も続いている安全対策が書かれている。

〇部外者(保護者を含む)の出入口は、事務室横の玄関のみとします。生徒昇降口から校舎内に出入りしないようにお願いします。生徒昇降口は、可能な限り閉めた状態にします(下線部は私が施しました)。

〇校舎内に入る時は受付ノートに記入し、来校者用の名札を受け取って着用してください。

文書は、生徒に届け物がある時には事務室へ、等と続く。校内への「さすまた」設置も始まるのだが、

「なにがさすまたですか。そんなもの取りに行く時間があるわけがない。教室・生徒に向かうのが先決ですよ」

こう言って怒る校長先生は、さすまたのそばにいる教員がいる時は、韋駄天、持ち出して駆け付けるのは当然と思っている。現場は常に、想定外や不可能を含んでいる。その中で問われるのは、優先順位だと言っている。紹介したお二人の校長先生に共通していることは、現場を知らない無責任な放言を止めろということだ。

 

 2 昇降口という場所

 無責任な放言とは、なぜ正門を施錠していなかったのか、不審者を三階まで自由に通過させる無防備等々だ。学校は避難場所でもある。大きな災害に会った時、こういう無責任な学識経験者(だと!)・評論家どもを煽るメディアが、今度は「どうして真っ先に正門のカギを開錠しなかったのか」と言うのは間違いない。でも、それらは置いておこう。私が前項で下線を施した「生徒昇降口は、可能な限り閉めた状態に」という部分が大切だ。現在、これを実施している学校は殆どない。池田小の事件が風化したからではない。昇降口を締め切ることは、やっぱり不可能だったのだ。

 例えば、理由があろうがなかろうが、学校に行かない・行けない子どもがいる。そんな子が何とか学校にたどり着く時、昇降口が開いてない、おまけに事務室の受付を通過しないといけないとなれば、それがその子にどんなに大変なことなのか、学校現場は知っている。その子が来る時間は、当然ながら授業中だったり夕方だったりするし、向かう場所は保健室だったりするのである(念のために断れば、学校に行かなくともいいというのが、その子へのアドバイスとして成立するかどうかはまた別なことだ)。池田小事件があってしばらくの間、通達は守られた。しかし、続けられなかった。最悪の不審者を想定すれば、学校は最強・鉄壁の守りを備えることになる。それがいいことなのかどうか、考えないといけないたくさんの事例に学校はぶつかる。そして、それが決していいことでないことを、学校は思い知るのである。でも、それらは子どもの命にかかわることなのか、という考えもあるのだろう。子どもの命を不審者から守る方が大事ではないかと。そうではない。子どもの命に関わることでもある、だから昇降口の施錠をやめたのである。

 

 ☆後記☆

ジャパン、勝ちました。どの戦いでも相手チームと爽やかなやり取り。後味も極上。試合後の監督インタビュー中にオオタニさんがやらかした「裏番組」に、栗山監督は「少し待ちましょう」と。新しい野球の姿だといいですね。

先週に引き続き、今日は市内の小学校が卒業式。どうやら桜の開花はギリギリ間に合ったようですね。我が家のはな桃。あっという間の開花でした。来週は桜の写真を載せることが出来るでしょう。おめでとう

手賀沼沿いに頭を出した土筆です。

明日は子ども食堂「うさぎとカメ」なんですが、大降りの雨だとか。花見がてらどうぞ、と行きたかったんですが……。

秋竜山、亡くなりましたね。


福島詣・4 実戦教師塾通信八百五十一号

2023-03-10 11:26:50 | 福島からの報告

福島詣・4

 ~引き継がれるもの~

 

 ☆初めに☆

しょっ端なので少し躊躇しましたが、野球のことを。ジャパン勝ちましたね。オオタニさん、ちゃんと見せ場で見せるし、二塁のベース上では中国の選手と談笑してるしで。すごいな~。気持ちの緩急を自在に出来ないと……出来るもんじゃない。日本の球団の監督が「みんなあんなにはしゃいで、なんだと思ってるのか。勝負はそんなに甘いもんではない」と、手厳しく批判していました。大戦中のことですが、「日本の上官は下っ端の兵隊に、行進の仕方がどうでこうでと文句を言い、アメリカの兵隊はガムかんでる。そんなアメリカに日本が勝てるわけがない」と言ったのは、さて、吉本隆明だったかな。ということで、楽しそうなジャパン、どうなるか。今日は韓国戦ですね。

 ☆精いっぱいの人々☆

楢葉・宝鏡寺の早川住職に、二度目に会った時だったと思います。

「住民は今日と明日のことで精いっぱいなんだ。原発なんか考えるもんか」

と、原発が誘致された頃を振り返って言いました。私は2019年に露出した、福井県・高浜原発をめぐる金品授受という不可解な事件を思い出しました。あの時レポートしましたが、私がしみじみ思ったのは、原発誘致の際、町に橋が出来る!と驚き喜んだ当時の人々の姿です。海沿いの断崖に臨んだ場所で苦しんでいた漁師や農家の人々の思いです。楢葉の渡部さんのおばあちゃんが言っていた言葉も思い出します。

「大熊の人たちは今までも大変だった。空襲で(特攻兵を訓練するため作られた)空港が焼かれ、戦後は広大なその跡地でひっそり塩を作ってた。そこを原発がやって来て、今度は事故で追い出されたんだよ」

早川住職の言葉がずっしりと響きます。もっとたくさん話を聞きたかった。

 ☆「げんぱつ和尚」☆

手塚治虫の「鉄腕アトム」の連載開始が1956年。日本で「原子の火」が灯るのが1957年。日本初の原発が同じく東海村で運転を始めるのが1966年。福島第一原発の運転は1971年の開始です。「アトム」の日本語訳が「原子」とは言うまでもないでしょう。アトムは十万馬力なのです。原子力が「いいものとしてよみがえる」時期でした。早川住職の起こしたのは、そんな中での原発反対運動だったのです。当時を振り返る人は、原発との「共存共栄を考えた」などと朝日新聞の連載では言いますが、今日明日のことで精いっぱいの人々がそんなものであったはずがない。連載によれば、「げんぱつ和尚」なるあだ名は「変わり者」に貼るレッテルだったようです。以前紹介した『月刊住職』の巻頭の記事は「たった一人の人間の力で暗も明も決することがある」と結ばれます。宝鏡寺に身を寄せている檀家の皆さんは一体どんな思いでいるのか、聞いておくんだったとも思いました。通夜に訪れる人から聞こえる多くは、いかにも檀家の人たちらしく、何時に来たんだとか、誰だれは来たのかというものでした。そんな会話からだけでは、現在も早川住職が「変わり者」とされているのか、測りかねました。

 ☆存続問題☆

新聞の連載についてはまだあります。二回目の最後に「早川亡き後、伝言館が危機」とあります。反原発のお寺は支持されていたわけではない、と読める記事でした。檀家からの支援も必要ですが、根本的なことを言えば、寺は宗派の大本山・本山・末寺といった階層分類からなっています。伝言館も含めた宝鏡寺存続にあたっては、宗派全体の指針や検討が不可欠、という私の認識です。この2月、その点は「いい方向に進むようです」と聞かされたと思っています。

 ☆ブタ熱☆

天神岬に「うさぎとカメ」のスタッフを案内しました。空に向かう広野火力発電所手前に、整備された堤防や土地。初め見渡す限り瓦礫だったのが、次に地面を一杯にしたのは汚泥を入れた黒いフレコンバッグだったと説明しました。

ここから徒歩で3分ぐらいで、北田天満宮。「これ以上頭が良くなっても困る」と口の減らないスタッフもお参り。

そして最後に、渡部さんの牧場へ。

牛の相場や取り引きは、思わしくない。渡部さんからは、変わらず色よい言葉が聞けません。牧場が「もってあと三日」とは、冗談なのでしょうか。奥さんは「ん~、あと四日半かな」等と言います。少し明るい顔だったのは、イノシシがいなくなったな、と話した時。ブタ熱のせいではないか、と言うのです。イノシシがブタに移したのかブタがイノシシに移したのか、両方がやられたということらしい。どっちにせよ、イノシシが居なくなるのは良かった。

「お父さんは、七五三も入学のお祝いも、いつもここで撮るのよ」

シャッターを押してくれた奥さんが言いました。スタッフのみんなで、渡部さんにも入ってもらいました。

 

 ☆後記☆

今日は柏市内中学校の卒業式です。天気は式終了までどうやら持ちそうで良かった。まだ在校生の入場できない学校がほとんどですが、今まではフェンスから眺めるしかない保護者だったのですよねえ。

手賀沼沿いに咲いた河津桜で~す。

金かかるんだね~と嘆きつつ、でも嬉しそうに知り合いが言っていたのは二日前です。合格祈願なんてとても考えらないキャラなのですが、湯島天神まで行ってお守りを買ったんだそうです。高校の知名度実力度の地図はすっかり変わりましたが、子を思う親の気持ちは変わらない(といいなぁ)と思った日でした。卒業おめでとう


PTSD 実戦教師塾通信八百五十号

2023-03-03 11:24:58 | 子ども/学校

PTSD

 ~必要な「誠意」~

 

 ☆初めに☆

朝日新聞で昨日から「げんぱつ和尚」の連載が始まっています。楢葉・宝鏡寺の故・早川住職のことです。住職の奥さんの仕事を、記事を読んで初めて知ることになりました。障害者施設の運営をしていたのですね。

もちろん今回も、福島からの報告を続けるつもりだったのです。しかし、学校問題で報告しないといけないことが、先週(25日)報道されました。勝手ながら、福島からの報告は少し先送りいたします。

 

 1 流山・小学校

 この事件を千葉県版で報道したのは、恐らく「千葉日報」だけだ。地裁が、「小学教諭、児童の水筒をたたきつけ壊す。別室放置も……」(記事)と流山市に賠償命令を出した。事件は2017年に起きる。この小学1年の児童に対して行われた「不適切指導」については、まだあり、法廷で事実経過や裁定をめぐって争われた。どうなっていたのか。

 水筒の件。「ランドセルを叩きつけた拍子に水筒が落ちて割れたので、水筒を床に叩きつけたわけではない」とは、これが言い訳として通じると思った、当時の教員の言い分。この翌日、「新しい水筒をこの児童が持って帰って」来ている。教員は「弁償したから(いいと思って)壊れ(し)た水筒は捨てた」と、これも当時の発言。これらのことが明らかになるまでも、管理職は保護者に手ごたえのないやり取りで応えた。また、別室に放置したという問題は、最低で55分、最高が2時間45分と大きな開きがある。これは終了が給食時間という点で共通している。始まりがいつだったのかで、明確な決着がつかなかった。児童の「首を絞めた」ことは、証拠写真も出されるが認定されなかった。ひとつだけ注目しておきたい。管理職でも校長と教頭では、態度・対応が違った。校長には誠意が見えていた。

 記事に「この年に退職」とある。この教員が責任を取った、と勘違いする方も多いはずだ。よく読めば、一年契約の非常勤である。翌年、同じく講師として別な学校に着任している。しかし、保護者が提訴に踏み切るのは、事件から3年後の2020年である。遅れたわけがある。事件の翌年は、担任との良好な関係があったことが大きい。しかし児童は、そのまた次の年に、後遺症PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症する。事態がこうなれば、保護者の「どうしてあの時」という悔やみと苦しみは大きくなる。当局の初期対応とその後の「不誠実」に、提訴を決めるのである。

見てきた風なことを言うな、とは言って欲しくない。

 

 2 柏市・中学校

 「後遺症」問題で確認しておきたい。いじめが原因で校舎から飛び降り、重い後遺症を負ったとして、2015年当時2年生だった生徒と両親が、同級生だった元女子生徒4人と市に治療費や慰謝料など損害賠償を求め千葉地裁に提訴した。2019年である。現在、公判中だ。市教育委員会が第三者委員会を設置し、2016年にまとめた報告書は、学校側の対応を「状況の改善が図られず、いじめ行為が繰り返されたことは安全配慮義務に欠ける」などと、厳しく批判したものだった。このことは、当ブログで取り上げたので覚えてる方もいるかもしれない。名前こそ「第三者委員会」となってはいるが、調査は教育委員会のメンバーで行った。身内を批判するこの報告書は、自分の首を自分で締めるかのようだ。裁判では訴えた原告が勝利すると思える、自浄作用が働いた報告書と言ってもいい。

 両親と生徒は、なぜ提訴に踏み切ったのだろう。一番大きいのは、後遺症への補償問題ではないのだろうか。この生徒は事件当初、命は取り留めたもののしばらくの期間寝たきりの状態だった。その後動けるようにはなったが、この不自由への補償が打ち切られる。それが「後遺症」という言葉の意味である。傷は再び大きくえぐられるのである。

 

 ☆後記☆

今日は桃の節句、お雛様🎎 すでにアップ済みの写真、ではありません。チラシの写真、何故か左右反転しておりまして。コンピュータ野郎の気まぐれです。たまにあります。ってことで、今度はちゃんと。隆の勝のサインも見えるし、御餅も添えました 春よ来い

今日は千葉県公立高校選抜試験の合格発表です。いい結果でありますように

三月となりました。今月のチラシ表面です。久しぶりの定番、カレーで~す。サラダは春らしく、リクエストされたフルーツサラダにしました。春も美味しいカレーです