実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

行く年来る年  実戦教師塾通信五百二十八号

2016-12-30 11:15:17 | その他/報告
 行く年来る年
     ~未練&名残たっぷり~



  
 前号でお知らせした通り、館山いじめ事件・第9回第三者委員会の記者会見報告です。委員長が記者たちの質問に答える形です。遺族側(私たち)と行政側は、一切口を挟(はさ)めないことになっています。
 以下は委員長の発言要旨です。まだ具体的な形になってないというのが理由でしょうが、会見の様子をどこの新聞も記事にしなかったのが残念です。
○今までの聞き取り調査(ヒアリング)した人は、16人
○今回、新たな学校関係の人間に聞き取りをした
○なぜこうなったかという点を、どう詰めていけばいいのかと思っている
○ポイントは、見えていると思う
○普通、中2の子が自殺するとは考えられない
○ヒアリングの依頼や、資料の提供を拒(こば)まれたことはない
○守秘義務もあるが、形式的なものにしてはいけないと思っている
○来年の3月まで終わらないのは間違いない

読者もお分かりと思います。第三者委員会は、誠意を持って取り組んでいる。特に、「中2の子が自殺するとは考えられない」という点に、私たちは望みを託するのです。
 どうか、来年がよい年でありますように。


     恒例、手賀沼で羽を休めるカモメ?

  ☆☆
 朝日新聞購読の皆さんは、土曜特集の「みちのものがたり」読んでますか。12月17日の記事は、
「2011年3月12日朝、福島県浪江町民は、防災無線の音声に戦慄した」
に始まる国道114号の話でした。記事後半に、浪江町・馬場有(たもつ)町長が、12日の朝、
「テレビが『福島第一原発の10キロ圏内は避難を』と報じたのを知る」
とあります。
 このくだりの意味することは、
「浪江町には、避難指示が出なかった」ので、
「『テレビで原発事故を知った』町長が、初めて無線を流した」
です(ここの『 』は私が入れました)。
 賢明な読者は思い出したと思います。
「原発立地点ではない自治体には、事故の通報はない」
のです。しかし、浪江町は原発から10キロ圏内にあった。
 この際ですので、福島中央テレビのが流した緊急生放送について。

一号機爆発瞬間の映像です。女性アナウンサーがうわずった声で、
「先ほど、福島第一原発一号機から大きな煙が出ました」
と話しました。どう見ても「爆発」ですが、局長はこの言葉を使ってはいけない、と思ったそうです。そして「煙が出ました」となった。
「核爆発でありませんように」
という願いをこめてなのだ、と私は思っています。
 忘れてはいけない。改めて思います。

  ☆☆☆
最近の当ブログに多く寄せられた感想に、私の舌足らずを感じた次第です。そこで少し補足します。
[523号「大川小学校裁判」(補)]
横浜での福島いじめ事件で、勘違いの興奮をしているのは、メディアやそれに乗った世論だということを言いたかった。福島の生徒を「いじめる」のも、いじめた生徒を「批判する」のも、「やりやすい」という点で同じだからです。私たちは、

○福島から避難してきた車に「さっさと駐車場から出て行け!」と張り紙
○「福島の車の窓は拭けません」と断った首都圏のガソリンスタンド
○「福島からの転入だということを隠しますか」と聞いた(つくば市の学校)

当時の幾多(いくた)の事実を検証したでしょうか。大切なのは、
「科学的根拠がないことを教えないといけない」
のではありません。
「大変でしたね」「無事でよかったですね」
と言えなかった私たちのことです。それを検証した記憶がない。それで今回の事件です。6年前から続いていたというのに。です。
はしゃぐなよ、そう思ったのです。

[524号「黙れシナ人!」]
この記事は、中国への謝意ではなかった。むしろ、中国という「覇権/大国意識の強い国」への牽制(けんせい)のつもりでした。また、「シナ/チャイナ」は、中国が自分の国を呼ぶときの名称(公称)でもあると言いたかったのです。いかがでしょうか。

[547号「ひまわり?」]
前号のことです。私の補足でなく、ダム建設地点に住んでいた読者からの感想です。補償金で、
「補償金以上に借金(投資失敗?)を抱えた」
「親族が家族の補償金を泥棒」など
村や家族/親族がメチャメチャになったという話を送ってくれました。

  ☆☆☆☆
今年も岡山の友人から牡蠣が届きました。

近隣の仲間が、いつも喜んで取りに来ます。牡蠣が取り持つ縁。年に一度、この時しか顔を合わせない友人さえおります。だから、話は「この一年」となるのです。
  心臓発作で救急車/幼子の成長/デッカイ外車の購入 等々
中でも、あと三カ月で退職を迎える仲間が、万感の思いで差し出した両手に感動しました。そして何より「相も変わらない」幸福の姿を、たくさん見られたのがよかった。牡蠣ありがとう!


   「みちの駅しもづま」展望階から見えた、見事な筑波山!

  ☆☆☆☆☆
あとは、ランダムに。
○「大山鳴動して鼠一匹」だと? こんな質問、どうせ産経だろ。力のない者は、いくら声を枯らしてもかき消される。そういう経験を持たないトンマどもは、いつも健在ですね。あんなずさんな計画がまかり通っているのが明らかになる。それだけでも大変なことだった。テレビタックルでやってましたね。小池知事の「都民からの評価(支持率と考えていい)」は「73点」とか。今んとこ小池びいきの私としては、嬉しいです。

○ドア開けてオシッコした(9月)JRの運転士、元気かなあ。「過去にもやった」この人、トイレに行くことは「認められている」なんて言われても出来るはずがない、と言いたかっただろうなあ。
ユニクロの店員が、近頃まったく余裕が見えないのは、気のせいでしょうか。

○最後はなぜか壇蜜。今年の「アエラ」7月号です。27歳まで様々な職業を転々とし、葬儀関連の仕事に就いて遺体に接するようになった時、
「私は、世間で『タブー』とされることに抵抗を感じないんだと気づいた」
そうです。
壇蜜って、自分の言葉でいつも話してる気がして、いいなって思います。この言葉もよく言う、
「人はみんな違っていい」だの、
「ありのままでいい」
だのって言い方に変えられないこともないのですが、壇蜜の言葉がいい。


  やっぱりシメはイチロー! 皆さん、よいお年を。

ひまわり?  実戦教師塾通信五百二十七号

2016-12-23 11:57:33 | 福島からの報告
 ひまわり?
     ~あの日との往復~


 1 難しい

 福島ではない。先日の千葉県内での集まりでのことだ。極めて良心的かつ積極的なひとたちの話だ。
「原発補償を打ち切るのは許せない」
と言う。私も、とりあえずそう思う。楢葉が昨年の9月、帰還宣言を出して一年となった。今まで受けていた補償の、タイムリミットとなる。その扱いについて議論があることは、ここでも報告したと思う。
「うちの市でもそうです」
福島から避難している人たちがいる自治体の議員さんが言った。
「みんな怖くて帰れるわけがない」
と、同情する意見が出る。そして私に、
「コトヨリさん、身体の方は大丈夫なのか」
と言う。福島に通い続ける私の身体を、心配してくれてる。
 この話の一体どこから手を付けたらいいのか、私は思わずため息をついてしまう。この人たちに失望しているのではない。この問題の入口/出口が見えないのである。何度か書いたことだが、今一度。
 補償金に限らず、福島はお金を必要としている。故郷を追い出された人たちが、補償を受けるのは当たり前だ。しかし、この様々なお金は、福島という場所をメチャメチャにしている。たとえば補償金は、働く場所も奪われた人たちへのものではあるが、
○勤労意欲を削(そ)ぐ
○家でゴロゴロしている主(あるじ)は、尊敬されない
○所在がない主は、パチスロ/ゴルフ/アルコールに依存する
○夫婦不和が始まる
○家族全体への補償のはずだという、子どもの要求もある
○家族関係も危うくなる
また、同じ福島でも、補償を受ける人たちと、避難地域でない人たち、つまり補償金のない人たちがいる。特にその境界線で、
「帰れ」「税金も払わないで」
などの非難がひどいのはご存じと思う。お金が、福島の人たちの心をむしばんでいる。
 さて次だ。私はいわきに続き、2013年に広野が米を生産/販売を始めた時、喜び勇んで生産者に会いに行った。
「『汚れた米で、広野をさらし者にする気か』と怒ったのは地元だよ」
その生産者は言った。そして今年、楢葉で本格的な米の生産が始まった。私はそれでまた喜んでいる。
「福島に戻れば国策に乗っかることになる」
という批判に、私は水をさしているのだろうか、などと思うのだ。

 2 あの日
 この日は、楢葉の渡部さん宅に、いわきの仮設住まいのおばあちゃん(渡部さんの母親)がいた。三人は、あの日を蒸し返すこととなった。避難する時の「弁当」の話だ。
「弁当を買ったというレシートはあるか」
弁当代を請求した時の、東電の対応である。何度も聞いたことだ。でも、ここで踏ん張った娘さんから、本当は直接聞きたい。レシートを取っておく習慣を持っていた娘さんが、レシートを提示する。そして、
「どちらにせよ、お昼は食べるものだろう」
とは、東電の「クソ意地の対応」だ。それに対してどうしたのか、いつか聞きたいと思っている。
「要するに、避難所にいればご飯も光熱費も無料だからね」
というおばあちゃんの解説だった。
 あの日は子どもらもかわいそうだったな、とおばあちゃんは続ける。楢葉の小学校は広域通学のため、町がスクールバスを配置している。みんな地震に際し、スクールバス内に避難した。でも全員は乗れない。近くから通っている子どもが徒歩通学だからだ。バス通学の上級生は、小さな下級生にバス席を譲ったという。日が落ちて、寒くなっていた。
「校舎の二階は、小さい子の教室だったんだ」
「上級生がいじり回すとまずいっていう学校の考えでね」
「だから、あの日は小さい子が校庭に出るのが遅れてね」
「みんな泣いてたよ」
また、あの日が目に浮かぶ。

 3 ひまわり!

なんと、渡部さんの畑には、ひまわりが満開だった。さすがに夏とは違って、背丈も花も一回り小さい。でも間違いなく、ひまわりだ。
「雑草対策。あとは(ひまわりが)畑の肥料になるんだ」
とか。そう話していた庭先に、役所の職員がやって来た。このひまわりを、広報の記事にするという。記事の下書きと、掲載する写真を持ってきていた。さすがに、見事な写真である。

「散歩の途中に立ち止まって眺める人」
「写真を撮りに来る人」
「いろいろな人が、渡部さんの畑のひまわりを楽しんでいる」
「皆さんもぜひ、天神岬の温泉に入る前にでも、お立ち寄り下さい」
という記事だった。
 クリスマスくらいまでが、見頃らしい。


 ☆☆
四倉のその後もひとつ。まずは、完成間近い「防潮堤」。ニイダヤからは、すっかり海も見えません。

そして、繁盛こそしてないけど、頑張ってるニイダヤの店内です。
そうそう、仲村トオルのファンクラブの人が、店を訪れたそうです。
「コトヨリさんのブログで知ったらしいんだな」
とは、社長の話。店内に飾ってある仲村トオルの写真を撮り、干物を買って、また来ますと言ったといいます。
ホントに美味しいですよ。皆さんもぜひどうぞ。


 ☆☆
     千葉駅前のツリーです。

館山いじめ事件・第9回第三者委員会の記者会見場に、出向きました。報道陣は軒並み記事にしていません。少しですが、次号で内容をお知らせします。

教室素描(5)  実戦教師塾通信五百二十六号

2016-12-16 11:11:14 | 子ども/学校
 教室素描(5)
     ~愛されるもの~


 1 「先生、愛してます!」

 こいつが中3の時だった。クラスに来ていた教育実習生の最終日、彼女は涙のあいさつとなった。
「先生、愛してます!」
突然立ち上がってこいつは叫んだ。前後不覚状態だった彼女は、お蔭で救われた。何より多分、絶対先生になるという思いを強くしたのだ。
 中2では、短歌を学習する。

 東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
こいつの啄木の歌の感想は、
「なんてりりしい顔なんだ!」

 清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵逢ふ人みなうつくしき
与謝野晶子の歌の感想は、
「なんて美しい顔なんだ!」

だった。歌の下に丸く打ち出された顔写真を見たのである。
 でもこいつは今、社会人としても二児の父親としても、立派にやっている。

 2 「愛されるもの」
 このことを思い出したのには、わけがあります。
 いま小学校で、「もちもちの木」(作・斎藤隆介)を勉強してます。臆病な主人公が、勇気があるのか突然変身したのか、それともやはり臆病なのかということを、子どもたちが話し合いました。
「カッコいい」
と、少しばかり別な観点から突っ込みが入りました。見た目がか、と先生が了解済みの顔して確認すれば、相手はうなずきます。ずっと不細工(ぶさいく)だったのが、最後にいきなりカッコ良くなるのかという先生の追求に、少しひるむかに見えたこの子は、晴々とした顔で、
「絵を見て分かった」
と説明しました。
「そうかあ、なるほどね、分かったよ。でも、次は文章から考えてくれ」
と、先生は応じたのです。私は笑いました。冬の教室が、ぬくもりに包まれるのです。
 この子は愛されています。間違いない。愛される家から出立して、この学校に来ている。そして、クラスの子どもたちから承認されています。そんな奴なんだとあきれられ、また諦(あきら)められているのではありません。自由に振る舞っても身の回りに無頓着でも、決して他人を不快にさせないこの子の力を、みんなはちゃんと感じている。だから少し見当違いと思える意見でも、耳を傾けます。時には、多分言いたいことはこうではないか、というサポートまで入る。
 担任の先生は、この子の「生きる力」とでも言うようなものを感じている。だから、いつでもこの子の話が聞けます。私にはそう見えます。
 体育で、ソフトボールの打ち方を話し合うとしましょう。大切な方法/テクが、あらかた出尽くしたあとも、この子は校庭に響く声で手を挙げる。先生は分かっていて指名します。もちろん、新たなテクを提案するのではない。
「やりた~い!」
という解答、なのです。先生が実際打って見せたのが、うらやましくて仕方がないのでしょう。先生は取り合いません。しかし、これは無視したのではない。次はもう、実際に「やる(打つ)」しかない段階なのですから。
「取り合わない=やる」
という流れなのです。先生が取り合わなかったことで、この子の「やりた~い!」は「早くやろう!」になっているのです。
 この絶妙な間合い/流れを、私は「愛されるもの」の場所と、「了解/承認するもの」との磁場、と名付けたい誘惑にかられます。

 3 「幸福の記憶」
 世の中には偏狭な大人が多い。先生の場合どうかと言えば、先生にはまず、子どもたちから負っている「責任」というものが、肩に乗っかっています。
「この子が社会で生きていくために」
という気持ちは、ごく自然に大きくなります。それで、
「そんなことでは高校に行けない」
「そんなことでは世の中で生きていけない」
などと、子どもに言います。確かに一理あるのです。しかし、その子にとって大切なものを奪って、「もっと大切なもの」を言うのには、慎重でないといけない。
 今お邪魔している学校の、私が近くで見ている先生たちも、昼休みや放課後の特別学習を、子どもたちに提案しています。でも、
「子どもたちが『遊びたい』という時、少し考えてしまう」
と言います。いいなあ、と思っています。

 初めの子どものことを思い出してみましょう。この子は幸せな子です。そして「幸福の記憶」とは、何かあった時に子どもを強く支えます。これは以前も言ったと思います。だから、いま幸福な子どもがいたとして、それを脅(おびや)かすような「オマエのため」などクソ食らえ、と思うのです。


 先日、東京・水元道場に出向く際、立ち寄った水元公園です。


 ☆☆
むかつくニュースばかりが、毎日の紙面を賑(にぎ)わしてますね。その中に小さく埋(うず)もれてるのが、私には気になって仕方がない。
「生徒切りつけ、少年院送致」(11月26日)
です。10月に東京の暁星高校で、男子生徒が同級生と先生を切りつけた事件です。「中学で入学して以来、目立ったトラブルを起こしていない」(当日の高校側の記者会見)生徒に対し、
「行動傾向の問題点は多岐(たき)にわたっており、社会内での更生は困難」
という判決です。おかしくないですか。ニュース&週刊誌や、ついでにネットの続報に注視していたつもりですが、いきなりの処分報道です。この子の周辺や背景、そして今後について学校は一体どう考えたのか、家族の思いはどうだったのか、まったく私たちには知らされていない気がします。この事件があって、私は1983年に起きた、
○度重なる生徒からの嫌がらせと暴力におびえ
○ナイフを持ち歩いていた英語の教師が
○ある日、退勤時に襲ってきた生徒を刺す
○警察は、この事件を正当防衛と判定する
東京忠生中の事件を思い出しました。

 ☆☆ 
給食の時、最近私はよく、「サンタさんへのお願い」をどうしたのか、子どもたちに振ってます。しばらく考えるんです。まだの子が多いということです。
「だって24日(までまだまだ)なんだよ!」
と、抗議にも似た声は真剣です。サンタさんが健在な、まだ小さい子どもたちです。あったまりますね。

『奇ッ怪 其の参』  実戦教師塾通信五百二十五号

2016-12-09 11:23:28 | 思想/哲学
 舞台『奇ッ怪 其の参』を観る
     ~「行ってはいけない/行きたい」場所~

       

 1 東日本大震災

 『奇ッ怪其の弐』(以下は『弐』で表記)は、2011年の8月の公演である。震災から半年も経(た)っていなかった。極めて迅(はや)い立ち上げ、と考えた向きもあるようだ。しかし、あの時しか作り得ないものだったのではないか、と私は今でも思う。
 『弐』のパンフでも語っているが、主演の仲村トオルはあの8月、『弐』の舞台稽古のあいまに、福島に来ている。一緒に歩いた浜は、震災直後からすると、山のようだった瓦礫(がれき)が片づき始めていた。あとは住居の基礎だけがむき出しになっていた。いわき久之浜でのことだった。すっかり流された景色の中に、小さな祠(ほこら)だけが、しっかり形をとどめて残っていた。
「ふるさとここにあり」
まだ新しい幟(のぼり)が、傍らではためいていた。
 この時、舞台と浜が、いや、舞台の来し方をこの浜が指し示しているように思ったと、仲村はパンフのインタビューで語っている。見える人には見える。正確には、
「待ち続けているところに、ものは降り立つ」
のだと思えた。圧巻と思える『弐』のラストは、この浜での出来事が再現されている。

 2 <神>の意味するもの
 「民俗タン」は、名付けられた神々が登場する神話や、子どものために語り継がれる民話のように、しっかりした形を持たない。定型を持たず、目的も明確でない分、私たちはある生々しさを、そこに見いだすことが出来る。柳田國男の『遠野物語』を知る私たちは、妖怪や神隠しにまつわるリアルに、畏(おそ)れを持って受け入れたはずだ。
 『遠野物語』が語った出来事は、百年単位を逆上った時代のことだ。高所信仰そのものはもっと古いものだが、ここで語られた出来事は、千年単位の昔とするには、まだ内容が精選されていないと思える。

○神隠しにあった娘が、高所に住む山人のもとから戻ってきた

このような話から、私たちはどんなことを抜き出せるのだろう。
「娘が神隠しにあう」時の<神>は、様々なものを背負わされている。
・娘が姿を消したという不吉なことに、村の人々は対応を迫られた。
・娘が死んでいることを、人々は信じられなかった。
・娘は神の基(もと)にいるという思いで、人々は絶望から救われようした。

別な視点で見てみよう。
・娘は村を捨てたと、人々は思った。
・こんな不吉な出来事が繰り返されてはいけないと、人々は思った。
・娘が神の基にいるという思いで、人々は絶望から救われようとした。
・そして娘を赦(ゆる)そうとも思った。

 子ども(娘)が村からいなくなったのは、あるいは事故かもしれない。家が遊廓に売り渡したからかもしれない。子どもを間引きしたからかもしれない。あるいは逆に、若者(娘)が村に愛想をつかしたせいなのかもしれない。
「どうしてこんなことに…! どうして行ってしまったのか」
どちらにせよ、こんな言葉にしか人々は頼るものがなかった。
 そして、子どもを「捨てた親」は、子どもに「残された親」でもあった。子どもを間引きしようが遊廓に売り飛ばそうが、親からすれば、子どもは自分たちから、無理やり「引き離された」のだ。「向こう側」がいい世界であったら、と願うのは必然だった。
「絶対行ってはいけない場所」が、
「どうしても行きたい場所」
に、人々が転化するために多くの時間が必要だった。人々のそばにありながら、深い恐怖と気高い尊厳を併(あわ)せ持つ存在が必要だった。

 柳田はいつも優しい。人々にも子どもにも、世の移ろいにも。舞台でも出てきた「方言/中央の言葉」もそうだ。柳田はむしろ、積極的な「標準語」の確定を急いでいた。人々の移動が激しい時代となって、地方の言葉だけではとても不便なことこの上ない、そんな世の中になっていたからだ。問題としていたのは、その方法と範囲と態度があいまいなため、地方の無口/老人の自信喪失(そうしつ)/若者の生意気、などが拡散した、としている。もちろん方言を排除しようというのではない。それでは子どもを叱るとき、一体どんな言葉を使ったらいいものか、みんな大いにとまどうに違いないとも、訴えるのだ。
 そんな柳田が、起承転結のない『遠野物語』に、なにを見たのだろう。


     非売品とやらの『奇ッ怪其の参』の手拭いです
「願はくは
之を語りて
平地人を
戦慄(せんりつ)せしめよ」


 ☆☆
前号で「支邦竹」ってザーサイになったのだろうか、と書いたのですが、先生あれはメンマですよ、と心優しき教え子が指摘してくれました。みなさん、ホントなんですか。


  つい先日、朝のごみ捨てをする時見上げた空に、飛行機雲。

 ☆☆
「伊達直人」名乗り出ましたね。タイガーマスクが、リング上で「本物の…」と呼び上げたのが、またいい。いい年の暮れだと思いました。
Merry Christmas!

「黙れシナ人!」  実戦教師塾通信五百二十四号

2016-12-02 11:38:44 | 戦後/昭和
 「黙れシナ人!」
     ~どこが間違いなのか~


 1 「オレと勝負するか」

 どっかの官房副長官なるものが、野党の国会対応を、
「田舎のプロレスのようだ、茶番だ」
と批判したことが、話題になった。今回、本当は別な記事を用意していたのだが、こういう機会なので変更した。
 「国会軽視」なる批判は一番面白くなかった。まあ、民進党の誰かが「田舎もプロレスをもバカにしている」と言えた。面白かったのは、前文科相の馳浩が、
「んなら、オレと勝負するか」
と、色めいたことだ。オマエにプロレスの何が分かるというのか、と力んだことだ。
 蓮ホウさんはこんな時に、小池さんのような「オンナの凄味(すごみ)」が感じられないのが残念。「民進党をぶっ壊す」ようなタマではないみたいだ。

 さて、政府閣僚の問題発言はこれだけではなかった。もっと見過ごせないものが、あいまいにスルーされた。なにやってんだ、と思ったのは私だけなのだろうか。

 2 「黙れシナ人!」
 読者も覚えている通り、10月の沖縄での出来事だ。ヘリコプター離着陸帯建設に反対する住民が、大阪府警の機動隊員から、
「土人が!」「黙れシナ人!」
と怒鳴られている。
 この事態に対し、官房長官も法相も「遺憾」の意を表明している。しかし、なんたることか、肝心の沖縄北方担当相の鶴保なる人物は、
「差別発言とは、到底断ずることは出来ない」
と、堂々の反論をしている。
 さて、この「土人」の方の問題は置いとくが、私は「シナ人」が気になって仕方がない。一体なぜ「シナ(支邦)」が問題とされるのか、確認した方がいい気がしている。鶴保なる御仁を弁護するつもりは毛頭ない。私たちが「戦後」を語る上で、この「支邦(シナ)」は、外せないと思えるからだ。

 私たち日本人が「中国」と呼ぶ時、それは「中華人民共和国」を省略し、頭と最後の字を使って呼ばれるものだと、ついつい思ってしまうんではないんだろうか。しかし、この「中国」という呼称は、それこそ「中国四千年の歴史」と言われるぐらい古くからある。それが意味するのは、
「中国=世界の中心にある国」
であって、国の名前ではない。これはゲルマン人の起こした国とか、太古時代の原住民の言葉に由来(台湾など)している、というものとはまったく違っている。織田信長が、
「尾張の国は天下一の国じゃ」
と言ったかどうか知らないが、そんな「天下一の国」の使われ方と同じだ。「世界の頂点」という意味である。そんな中国は、自分の国の呼び名を次々と変えてきた。その中の「秦(シン)」が、「支邦(シナ)」の由来のようだ。インドが中国のことを「シナスタン」と呼ぶのは、二千年近く前のことなのである。
 そんなわけで「支邦(シナ)」は、世界的に使われている「中国」の名前である。英語で中国を「China(チャイナ)」と言う。日本の音韻「シナ」である。中国人も英語で話すとき、自分の国を「China」と言う。しかし、日本では「チャニーズレストラン」なんて言ってるくせして、「支邦(シナ)」は、禁句とされている。「支邦服」「支邦そば」は言うに及ばず、最後まで頑張った「支邦竹(しなちく)」って、今に言うザーサイのことなのだろうか。
 この悲劇のきっかけは、もちろん日清戦争である。この戦争の後、多くの日本人が「支邦」の人々を「支邦人」と言って蔑(さげす)んだ。おそらくは、アメリカ兵が日本人のことを、「ジャップ、Shall up!」と言ったようなことだ。この頃、中国全土で、

「犬与日奴不得題壁」(犬と日本人には壁に字を書くことを許すな)

など、多くの落書きがみかけられたと、芥川龍之介の『支邦遊記』に詳しい。そして戦後、日本政府は「支邦は使ってはいけない」と通達。日本は「支邦-チャイナ」を使ってはいけないことになった。日本において「支邦-チャイナ」は、蔑称(べっしょう)として認定されたと言い換えてもいい。大阪府警警官の「シナ人」が、この文脈にあることは紛れもない。

 3 言ってはいけない?
 先日のことだが、私のお邪魔している学校の子どもが、他愛ないことをせがんで、
「そうしてくれないと、ワタシ死んじゃう」
などと言う。私は「死んでいいよ」と応じる。子どもたちは大笑いするのである。こんな風に私は、「死んで」「死ね」などと良く言う。
 次だ。「バカ」という言葉が、学校界から放逐(ほうちく)の対象となって久しい。そのせいなのか、
「『バカ』と言った~」
と訴えて涙ぐむ子が多い。一方私は、今も子どもに「バカ野郎」を言う学校生活を常々送っている。しかし、そのことで子どもが衝撃を受けたり、あるいは抗議された記憶がない。「バカ」が、いつも相手を罵(ののし)る言葉だと? そんなバカなことがあるわけがない。それはある時に、「励まし/ねぎらい」だったり、「制止する/反省を促す」言葉だったりするのだ。私に「バカだなあ、オマエ」と言われて、一体どれだけの子が安心しただろうか、と思っている。
 すべては多分、
○その場の流れ
○両者の関係
が決定している。何度かここで書いた。言っていけない言葉などない。

「迂闊(うかつ)に言えない『時/関係』だけがある」

のだ。
 大阪府警の警官は、一体どんな必要があって「シナ人」を登場させたのか、そっちだよ、問題は。
 最後に言い足そう。日本人が使う「支邦(シナ)」は、必ずしも禁句となっていない。両者の間で「支邦(シナ)」は、今も生き生きと語られている。相互に信頼があるところでは、そうなるのだ。


 ☆☆
学校は今、マラソン月間です。長い休み時間を使って、全校の子どもたちが校庭を走ります。ゆっくり走る私を、小さな子どもたちがずんずんずんずん追い抜いて行きます。笑ってこっちを振り返りながら、追い抜いて行きます。楽しいホッとな時間です。

  手賀沼湖畔のナラの木。穏やかな日でした。

 ☆☆
今年最後の大相撲、良かったですね。白鵬のいなかった場所は、やはり「華がない」などと言われました。今場所はそのせいか、心ない中傷(特に舞の海)が影をひそめていたような気がします。
私の最後の勤務校、西原中出身で、教えたこともある「桝の勝」、いよいよ十両かと期待しましたが大きく負け越し。来年に期待です。

  春に箱根植物園でもらってきた鉢植え、見事に開花しました。