実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

分断する社会 実戦教師塾通信七百三十二号

2020-11-27 11:43:05 | ニュースの読み方

分断する社会

 ~コロナから見えてきた様相~

 

 ☆初めに☆

選挙もそうでしたが、トランプへの対抗図はバイデンでなく、今も「反トランプ」であることに変わりはありません。私たちが注目するのは、トランプの一挙一動なのです。分断の深化を見ている思いです。今までの分断に拍車をかけたのは、黒人差別やコロナです。「理解/解決」という途(みち)を、現職の大統領が切って捨てたことで分断は深刻化しました。

この分断は、他人事ではないと思われます。コロナによる日本の分断を、強く感じるようになりました。学校からの報告を受けているうちに、様子がどうもおかしいと思うようになったのです。どちらかが正しいという方向ではなく、傷や分断を修復する方向を考えてみたいと思います。

 

 1 「あっちの部屋で食べて」

 学校で、生徒がコロナに感染(したかも知れない)となり、関係する保護者や生徒の検査までの段取りや書類、打合せも終わって職員が夜に帰宅する。玄関先でその家族が言った。

「近づかないでね。食事は隣の部屋で食べて」

家族とは自分の親のことだ。検査はどう?もなく、大変だったねの労(ねぎら)いの言葉なんか宇宙の彼方だ。もう一度断るが、この職員が勤務する学校で感染者が出たわけではない。ましてクラスターが発生したわけでもない。この職員はいい。そんな言い方はないだろう、と毅然と対処した。しかし、入ってくる報告は無残なものばかりだ。

 高齢(と言ってももちろん50代だ)の職員が言う、コロナになったら死んでしまう、教室で授業をするわけにはいかない、私が授業する別な教室を用意し消毒して欲しい。あるいは、コロナの疑いがある生徒のクラスの給食食器と、私たちのクラスは分けて洗ってと主張する職員。コロナにかかった母親が学校に対して、申し訳ありませんと詫(わ)びを入れる。等々。

 多くのコロナに「かかりたくない」人々の思いは、今やコロナに「かか『わ』りたくない」に近いと言っていい。私は当初、何をバカなことをと思っていたが、どうもそれではすまないようだ。家族は自分の子どもの気持ちを忘れ、50代教師は自分のことだけ思い、ある担任はよそのクラスの生徒たちを忘れる。「忘我(ぼうが)/妄執(もうしゅう)」状態である。猛烈な勢いで、コロナが社会を分断している。

 

 2 京都五山送り火

 日本における最近の分断で、そして「目に見えない/拡がるものの恐怖」で、私が多少語れるとしたら福島での経験しかない。出口は見つからないと思うが、必要/不要な注意や気づかいには到達できるはずである。

 もうすぐ発生から10年となる東日本大震災・原発事故の切り抜きを読み返してみた。前段記事の「近づかないで」で読者も思い出したと思う。やっとの思いで福島から首都圏にたどり着いた被災者が、「大変でしたね」と労われるどころか、駐車場から出て行けと貼り紙をされ、あるいは、福島の車の窓は拭けませんとスタンドに言われたことを。あの原発災害で、日本は大きな分岐点を迎えた。前段の最後で、学校に母親が頭を下げる景色は、2012年に試験栽培した稲から規制値を越えるセシウムが検出され、申し訳ないと農家が謝罪したのと重なる。違うのは、前者が「仕方がない」のに対し、後者は「東電/政府のせい」なのだ。いずれにせよ謝ることではない。

2011年9月21日『福島民友』、怒りの記事だ。川俣町の業者が製造した花火に、愛知県製造の花火が差し替えられた。この一カ月あとには、郡山市の会社が製造した橋桁(はしげた)に、住民から不安の声が出て大阪の橋梁(きょうりょう)工事が中止になった。そして、ここから二カ月逆上れば、あの京都五山送り火の件がある。岩手県陸前高田の名勝「高田松原」の薪(まき)を、京都五山で燃やす話が断ち切れになった話だ。7月下旬にすべての薪を線量検査したが、規制値を越える数字は検出されなかった。そのうち400本の薪には、鎮魂の思いが書かれていたのだ。「不安が払拭(ふっしょく)しきれないので」と、京都の担当者は謝罪した。

 思い出すことがある。原発事故の直後、いわき市最北の久ノ浜が屋内退避指示を受ける。これが4月11日に解除となり、私たちボランティアが、活動に入れることになった。私はセンターの代表に「久ノ浜地区の線量を発表し、立ち入りは安全なものになりましたとアナウンスして下さい」と提案した。しかしこれは、大もめとなった。センターは、そんなことをすれば久ノ浜は危険だと言ってるようなものだ、と言う(断るが、報道は全地域の線量を明らかにしていた)。堂々巡りとなったが、結局アナウンスはすることになった。一体どちらが住民を気遣うものだったのだろうか。はっきりしていたことは、放射能の現実がデリケートなものを生んでいることだった。安全かどうかを議論することさえ、悲しみを呼び込むのだった。今もある古里に「帰りたい」「帰れない」の声は、行き着くところを知らない。

 

 3 人としての矜持(きょうじ)

 2011年、福島の人たちへの数々のバッシングに対し、エライ人たちがやったのは、「科学的根拠のないものに振り回されれば、傷つく人たちがいる」という、極めておとなしいものだった。それに対し今回、心を動かされたのは岩手県知事の発言だ。感染者ゼロをキープしていた県は、8月に初の感染者を出す。その男性を特定しようという動きに対する、「誰でもなるものだ、誹謗中傷には厳正に対処する」という強力な発言だ。「来るな!」「営業やめろ!」等、全国に席巻(せっけん)した「正義警察」の動向に、知事の発言は大きな影響を与えた。

 いま振り返っても、放射能という分断に対して私たちが可能だったことは、わずかだ。2012年の年明け、『福島民友』に「警戒区域に定住11人」見出しの記事がある。事故から10カ月後の積算線量4~92ミリシーベルト(日本の規制値は年間積算量「1ミリシーベルト」である。念のため)という、極めて危険なエリアの中で逃げずにいる住民の記事だ。「気持ちは分かる」「同情できない」という県民の声と、警察の「慎重な姿勢」が書かれている。していけないことは「相手を傷つけること」だった。みんなが傷つけあわないことが大切だった。

 首都圏でさえ、事故から半年ぐらいは食材を選び洗い、地上の線量を測った人たちも多い。今やっている人はいないだろう。「安心」を感じるようになった、あるいは「放射能との共存」を決めたからだ。10年近い時間を要している。コロナの感染症のグレードを、インフルエンザまで下げられれば、今のパニック的な動きも変わると思うが、政府はしないだろう。つまり、これも時間がかかる。おそらく、答は「撲滅」ではなく「共存」だ。それまで相手を大切にすること、そして「人としての矜持」を持ち続けることだ。佐藤愛子は震災の時、テーブルの下に潜るのをやめたという。人として恥ずかしいと思ったからだ。

「近づかないで」はないだろう。

 

 ☆後記☆

あと少しで師走となりましたね。いやぁ今年は忘年会どうなるのかなぁ。いつもだったら浅草やアメ横をぶらついて年越しそばを食べるのに、紅白見るしかなくなるような展開なんでしょうか。絶対ヤですね。

近くの大津ヶ丘公園の紅葉です。すっかり秋も深まりました。


HSC 実戦教師塾通信七百三十一号

2020-11-20 11:17:11 | 子ども/学校

HSC

 ~親が「見守る」こと~

 

 ☆初めに☆

コロナの勢いが止まりません。感染の影響を受けた学校からの報告によれば、ここには書けないものも多くあります。それぐらいの混乱とうろたえが顕著でした。千葉県のコロナの窓口が、ようやくかかりつけ医の方に開かれましたが、「指定医は未定」のようにまだまだです。コロナがもうからない上に、外来患者が医者を遠ざけている状況では、医療現場はいよいよ大変です。しかしコロナの「お蔭」で、ちょっとした体調不良だったら親が「様子を見て」います。「大したことではないかも」という対応自体は、大切なことだと思えます。

またしても新しい用語が、徘徊し始めてます。「HSC」です。「Highly Sensitive Child」、つまり「感受性の強い子ども」です。これがクローズアップされるのです。私のところに寄せられる相談も、些細(ささい)と言ったら失礼かも知れませんが、お母さん(お父さん)がそばにいてあげれば大丈夫、としか応えようのないものが増えました。HSCなる枠づけが必要になったのがなぜか、そして私たちにいま必要なものは何か等を再確認します。

 

 1 いい塩梅(あんばい)

 このHSCなる概念が流通することで、当事者が「なんだ、病気だったのか(ホントは病気とは呼ばない)」と安心する反面、「病気なんですか!」と驚愕する当事者や、「あいつは病気だ」という外部の反応が吹き出す。これは病気ではない。でもこれで、「医者に行ったらどうか」という「アドバイス」がしゃしゃり出たりもする。90年代にアメリカの学者が、病気や障害ではないが、と断って提出したのがHSCだ。分かりやすく言えば、生まれ持った「気質」のことだ。成長の過程でこれに様々なものが加わる。それを私たちは「性格」と呼んでいる。気質はなかなか変化しないが、性格は、周囲の反応や自分自身の対応によって、積極的にも消極的にもなる。つまりHSCは、「解決」したり「直し」たりするものではない。心配な時は「親身になる」ことが第一、いわゆる「面倒を見る」ことが大切だ。「子どもに関わる面倒なことをする」のが大人の仕事だ、と言ってもいい。

 注意欠陥などと言われるADHDとともに考えてみよう。不注意の対局にあるのは「集中」なのだが、HSCの判断基準は「こだわり」や「深く考える」等だ。これは換言すれば「集中」である。これがADHDの真向かいに鎮座しているというのは、何とも面白いではないか。どちらにせよ病気ではないのだが、どっちも問題視されている。考えて見よう、どちらも持って生まれたものと考えれば、原因を探ることはない。心配なのは、多大なストレス/疲労となるまでに、程度が過ぎる時である。「いい塩梅」は経験の積み重ねによって得られるが、その時そばにいる大人のキャパが大きく左右する。それは知識や技能ではない。何度も言って来たが、それは「愛情」のことだ。

 

 2 信頼のおける人

 こんな程度のことでどうしてここに来るのか、軽い風邪みたいなものなのだから家で少し休んでいればいいものをという対応を、今でも心ある小児科/クリニックなら、する。甘やかしてはいけない、甘く見てはいけない、これでは将来が思いやられるなどという医者/教師を信じてはいけない。こどもの「病(やまい)」を見通すときに大切なことはふたつだ。

  1. その考えが「その子」を解放するなら採用する
  2. その考えが「その子」を萎縮(いしゅく)させるなら採用しない

ことだ。「模範解答」はない。HSCの「もらい泣きをする」「爆音や痛みが苦手」等によって、本人よりも親の方が不安で本人を注意したり叱ったりする。その結果が「問題」となっていることが多い。実際、子育ては大変だ。こんな時は、迷わず「信頼出来る」人に相談することだ。でも「専門家」がそういう人ですか。そうではないでしょう。近くにいる友だちや、担任がそうなら相談するのがいい。ちゃんとした人なら、こちらのことをちゃんと聞ける。

 ADHDで考えてみよう。我が子がいつも落ち着きがないという。聞けば少し前までそんなことはなく、最近のことだという。学校に聞いたら、そんなことはないという。それならADHDではない。場所を問わず多動でなければ、ADHDとは言わない。また、年を重ねるたびに多動が軽くなるのがADHDなのだから、そうでなければADHDとは言わない。すぐにADHDだと決めてかかる相手を「信頼する」必要はない。

 相手と話しているうちに、「大したことではないかも」「そう言えば」などと気付き安心できるか、それが大切だ。学校ではちゃんとしてますよ、と言われたことを思い出したりすれば幸運だ。相手が「信頼できる」人なら、いいね、お母さんにはそうして甘えているんだよ、と言うに違いない。繰り返すが、対話/問診で大切なことは、そこで「子どもの行動や気持ちが拡がる」ことだ。相手が「信頼できる」かどうかは、知識ではない。「親身」かどうかだ。そうでないとひどい目にあう。判断基準の項目と照らし合わせることを始めるような「専門家」など、さっさと見切りをつけることだ。

 

 ☆後記☆

付け足します。アメリカ発信の児童をめぐる「精神疾患」は、白人層中産階級の運動によって生まれたものが多くあります。つまり、「うちの子はバカでも病気でもない。貧乏でバカな連中とは違う」と、黒人やマイノリティと自分の子どもたちとを区別する、強力な要求で生まれたものが多いのです。

手賀沼フィッシングセンターまで、ロードワークの足を伸ばしました。遠くに柏駅前のタワーマンションが見えます。

コロナは心配ですが、子どもの食事も大切です。子ども食堂、明日やりますよ~。


男と女(下) 実戦教師塾通信七百三十号

2020-11-13 11:16:19 | 思想/哲学

男と女(下)

 ~お尻の欲望~

 

 ☆初めに☆

「性欲動」と聞いたら、読者の皆さんは何だと思いますか。これは「性欲」のことなんです。消化器官が欲する「飢え」にあたります。この「飢え」に対して、学問的には「性欲動」(別名「リビドー」)となります。定義まで逆上ると、ずいぶん違う印象を受けるもんですね。お分かりの通り「性欲動」は、人間に避けて通れない道です。

「上」に続き、現在の窮屈さを訴え、多少なり出口を見つけようと思います。

 

 1 田中美津

 私たち世代には、日本のフェミニズムの草分け的存在、田中美津は忘れがたい。それが先日(9月7日)の東京新聞に登場した。フェミニズムの特集記事だ。同世代ではあるけれど5つも年上だった。今の面貌はなるほど、私自身もこうなっているんだなという感慨があった。インタビューの中味がいい。当時のフェミニズム運動は「嫌な男にお尻を触られたくない」というきっかけから始まり、ウーマンリブと呼ばれた。この「運動の大義」はしかし、始まると同時に、

「(自分の)好きな男が触りたい(自分の)お尻が欲しい」

という相反するポリシー/欲望にぶつかったという。私にはあまり縁のなかった(遠ざけた?)ウーマンリブだったが、50年前は針ネズミのようだった彼女が、すっかり丸みを帯びていた。

 当時、日本のどこでも多かれ少なかれ「女を考える」動きはあった。女だからタバコはいけないとでもいうのか、と息巻く女史は周囲にどっさりいた。中でも、これでいいのかと思わせたのは、「肉体偏重の状況に異議あり」ということらしい、相手を選ばず次々と寝床をともにする方がいらした。「女性を解放するには肉体を解き放たないといけない」という「思想」がなせるものだっだ。その方のアパートには次々と男が押し寄せた。ついに子どもが出来る。その子を産むというのだ。その方の両親がやって来る。一体誰の子なんだ、分からない、それじゃ生まれて来る子がかわいそうだ、子どもが出来たから産むだけだ、一体なにを言ってるんだ、日本を変えるのよ、堂々巡りをしたあげく、両親はその方を説得して子どもを「始末」する。間もなくその方は大学から姿を消すのだ。

 その頃のメジャーな総合雑誌『構造』は、毎月10万~20万の発行部数を誇っていた。1971年の5月号で、田中美津が「小さな火花も荒野を焼き尽くす」を書いている。この時の彼女は、針ネズミのように激しい。「おじいさんが山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯へ」というのは、女を生殖商品として位置づける支配秩序にほかならない、というアジテーションで始まる。支配階級は支配秩序を守るためにタブーを作り上げたという。

①同性同士の肉体交渉を持つこと ②近親相姦 ③獣姦

この三つをタブーとするのは、支配階級が男女分業に固執するからだという。しかし①はともかく、残りのふたつはそうなのか。性愛におけるタブーは、すべて支配階級の意図するものだと彼女は言うが、そのタブーに「強姦」や「幼児性愛」は見当たらなかった。回避したのだろう。

 当時の反戦闘争において、「男は街頭に出陣、女は炊き出し」とは言語道断!と奮起したウーマンリブだった。確かに演説や投石で、男を遥かにしのぐ女の方も多かった。しかし「男女分業批判」という方法は、多くの「男と女」問題をこぼした。何よりそこには、すべて「いいことか悪いことか」とする重苦しいものがあった。美味しい食事を用意したいとか、かわいいと言ってもらいたい等ということが、どこか後ろめたいと思う世界を作った。このどうしようもない「階級的かどうか」や「男に立ち向かうかどうか」なんてのは、「真面目かどうか」と言い替えられるような代物だった。例えばついこの間のニュースだ、「網タイツは男の性欲を刺激している」「女は男の性欲に従属するものではない」など、ストッキング広告への告発を覚えているだろうか。紋切り型の「真面目かどうか」という踏み絵的発想は、どうやら現代にまで続いている。

 そこに田中美津が「不真面目」な「欲望」への言及なのだ。

 

 2 不都合な欲望

 毎日のように「盗撮」がニュースの一角を埋めている。捕まったある方は「盗撮に興味があった」なる、逃げ口上としてはなんとも意味不明なことを言い、ある方は正直に「欲望に負けた」と言う。盗撮とは「覗(のぞ)き」行為だ。こんなにも「恥知らず」な行為として「覗き」が扱われるのは、最近始まったことだ。覗きが記録に残るのは、江戸時代と記憶している。それから多分400年弱ほど、覗きはせいぜい「物笑い」か「おとがめ」の対象でしかなかった。逆に男どもは、覗きが出来る仲間を羨(うらや)んだ。まだ銭湯の番台(受付だ)が、男女の着替え場の両方をまたいでいた頃、一度でいいから番台を代わってくれなどと、男どもは言ったものだ。覗きが「犯罪」となるのは、「盗撮という覗き」が「ひとりによる一回きり」の行為ではなくなったからだろう。カメラの小型化と電話(スマホ)の高性能に伴い、覗きが「共有」(それも◇◇万人単位)「繰り返し」可能となったのだ。だから盗撮の法制化は必然と言えるのだが、それに伴い困ったことが進行する。「正しさ」というやつが膨(ふく)らむのだ。私たちの中では、変わらず「欲望」と「羞恥(しゅうち)」が、ちゃんと戦っている。にも関わらず、社会は「欲望」だけを叩いて来る。どうやら私たちの方は、「あるべき」なる大義を叩くことが必要なのだ。

 また『鬼滅の刃』の話になる。映画での残酷/暴力的シーンを子どもに見せていいのか、マネをしないかという「心配」が、保護者の間で言われているらしい。誤解を恐れつつ言うが、生まれ落ちた子どもは暴力的でないなど、全く根拠がない。おとぎ話や旧約聖書の中にも、残虐な殺人、家族内での暴力や父親殺しなどがおびただしいまでに登場する。焼きとりのタレがン十年付け足した歴史があるというなら、人間はひとりひとり、2000年前からの血を先祖から少しずつ受け継いでいるという。どの血が騒ぐか鎮めるか、自分にも分かったものではない。またこれら「正しいとは思えない物語」は、子どものみならず私たちに必要なものだ。ひとつに、私たちが受けている「緊張からの解放」手段としてあるからだ。それが子どもに良くない影響があるとすれば、原因は映画や物語の方にはない。情緒が不安定な子ども、またはそうなるような条件のもとにいる子ども(家庭が子どもに無理解/抑圧的と言ってもいい)が、こうした物語から必要以上のメッセージを受け取るのだ。

 ああ、子どもに性欲がないなどと、一体いつの話なのだ。

 

 ☆後記☆

残念ですがいつか書く機会があったら、続きを書きます。字数がかさんでしまいました。まぁこういう世の中なんで、冗談も悪口も一緒くたにされて、「ダメ」となっちゃうんですよねぇ。「欲望」を大切にしましょう。

補足です。上記した『構造』に、友人の山本哲士が、阿久津てつしのペンネームでこの時デビューしました。私が知り合ったのは、この一年前です。

柏の中学校です。空と桜の紅葉がすごいでしょ。

 ☆☆

子ども食堂、来週です。

 良かったらどうぞ。


『沈黙のアリバイ』 実戦教師塾通信七百二十九号

2020-11-06 11:11:33 | 子ども/学校

『沈黙のアリバイ』

 ~大人の「自分探し」~

 

 ☆初めに☆

ずい分考えましたが、ジャンルは「子ども/学校」です。相も変わらず健在な「自分探し」が、このドラマでは別な(いや格別と言っていいかも知れません)、格別な姿をとっていました。刑事ドラマでの「犯人探し」が、切ない当事者の「自分探し」へとつながっていたのです。『沈黙のアリバイ』は、当事者の「受動的」あり方ではなく「主体的」あり方を教えていました。

 

 1 親の「性(さが)」

 凶悪事件のトリックと解明には十分見応えがあった。しかし前回書いたように、エピソードの部分がいい。朽木(仲村トオル)の「笑わない刑事」となったいきさつだ。私は親/大人の「性」というものを、もう一度考えてしまった。

 ある事件現場に向かうパトカーが、前に飛び出した男の子をはねる。死んでしまった男の子の葬儀に出た朽木を、母親が責める。反省と後悔の姿をしつつ、同時に「本当はこうじゃなかっただろうか」という朽木の表情が、母親をとらえる。「悔やみ」から「確認」へと目まぐるしく変わった表情は、最後に「冷厳」という場所に落ち着く。朽木の顔には凄味(すごみ)があった。ある時は大き過ぎないかと感じさせた演技は、ラストの抑制(よくせい)された、しかし濃密な場面のためにあったのかと思わせた。常日頃「オレが母親を殺した」と朽木が言うことの真意を、部下が上司に尋ねる。上司は、あいつは母親を殺した、とはっきり言う。最後の5分間の始まりだ。

 この母親は、息子の「不幸」の原因を「なぜ」と追い求める。悪いのは警察/パトカーだ。しかし、一般的にこんな時当事者は、あの時「こうだったら/こうでなかったら」と、「完璧な答」を求める。この場合、母親は道を渡れるよ、と誤って息子に手招きしていたことを思い出す。いや、自分の手のしぐさが、息子に「OK」を出していたのではないかと気付いてしまうと言った方がいいかも知れない。母親は子どもの「不幸」を追ううちに、別な道を見いだして歩き続けていた。上司は続ける。

「母親は最後に、自分がいた場所を探し当てた。自分が探していた場所に到達するんだよ」(正確ではないが、こういう内容だった)

もちろん「探していた場所」とは「完璧な答」だ。このあと母親は「ごめんなさい」というメモを残して自殺する。子どもの葬儀の時の朽木の表情は、「責任転嫁」でも「自己弁護」でもないものだ。朽木はおそらく、母親が目指す「完璧な答」に、協力したのだ。

 

 2 「完璧な答」からの解放

 いじめなど、不幸な事件に遭遇すると、私たちは、現場を「追い込む」ものと「追い込まれる」ものとに分ける。私たちは被害者を「追い込まれ」たものとして疑わない。しかし、このドラマは違った。被害者が自分を「追い込む」のでもなかった。「自分のたどり着くべき場所」を探すのである。これを外部から強いられた行動とは言わない。「主体的」行動と呼ぶのだ。親/大人というものは「自分たどり着くべき場所」を常に探している。これはしかし、子どもにいい影響を与えることがない。私はドラマを見て、そんな世界にたたき込まれたような気がした。

 親は何かにつけて、オマエは宝物だ何にも代えがたい、などと言う。貧しい親は自分のものを切り詰め子どもに工面する、また、金に不自由のない親は一杯の贈り物で子どもを喜ばせようとする等、親はこれらの行為を「子どもへの愛情」と名付けている。これらが良くないのは、子どもが積極的に受け入れるには荷が重いからだ。おそらく子どもは、平和で穏やかな生活があればいいのだ。しかし、貧しい親の行動によって、子どもは「自分が生まれたため両親は大変な思いをしている」と思う。金持ちの親がやったことでは、ひとつひとつの贈り物を子どもはじっくり楽しむことが出来ない。この時子どもは「自分は親を理解しないといけない」という場所に立っている。お金の問題に限らない。親が「自分の場所」を探す時、多くは自分が「完全」か「無能」かのどちらかになる。子どもがそれをうまく理解できないと、前者の親は「一体何が不満なんだ!」と言い、後者の親は「これで精一杯なんだ!」と言う。子どもはますます混乱して、もう一度「自分たどり着くべき場所」に向かい、ある場合は拒食/過食という方法に、また不登校という道にたどり着いたりする。愛情表現とは難しいものだ。しかし親なら誰もが通る道だ。自分を責めることはない。肝心なことは、「完璧な答」のおかしさに気付くことだ。親がそれに気付かないで作業を続行する時、子どもは親に分からせるため「家出」という方法をとったりもする。しかし子どもが家を出たのは「家が嫌だった」のではない、自分が「この家にいて欲しくない子だと思った」からだ。それが子どもの「探し当てた場所」だ。

 子どもに必要なのは、

「今夜はカレーだよ」

という、穏やかな温かい言葉だ。

 

 

 ☆後記☆

大統領選挙どうなるんでしょうね。この選挙はインチキだ、とトランプさん言ってます。前回の選挙疑惑思い出しますね。クリントンのメールをめぐって、プーチンと画策したトランプさんが勝ったという疑惑です。開票直後、僅差で、しかも得票はトランプを上回ったクリントンは、すぐに敗北を認めました。「分断より結束」というアメリカ民主主義の潔(いさぎよ)さを見た思いでした。今回はどうなるのでしょう。

手賀沼の親水公園。柏の中学生が遠足でしょうか、楽しそうな声が弾んでいました。