実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

実戦教師塾通信百六十九号

2012-05-26 11:31:02 | 子ども/学校
 <子ども>の現在 番外

         ~炎上~


 <確かな現実>を喪って


 前回の☆コーナーでネットのことを「少しばかり分かった」と書いたが、またしてもネット上で興味深いことが起こった。というか、分かりやすい事件だ。私は初めネットニュースで知ったが、詳しくは昨日のニュース(新聞)でだった。皆さんもご存知と思うが、
「中学生3人、いじめ画像投稿」(25日・読売)
というやつだ。相手は男子児童、小学生だ。その子に泣き出すまでつきまとって動画サイトに投稿したが、ネットの掲示板で騒ぎになり、3人は「びっくりした。もう二度としません」と反省している、というのだ。久しぶりに「炎上」という熟語を見た。
 経緯を検証してみよう。まず、ランドセルを背負った子にぶつかって「ぶつかっだだろ、謝れよ」と集団で絡む、という時点でこいつらがごく普通の臆病な連中ということが分かる。それから携帯で撮影してサイトに投稿する。「非常識だ」「これはひどい」という批判や中傷が集中したという。ほんとにひどいのか。
 私もひどいとは思う。しかし、この「ひどい」と騒いでいる連中の騒ぎ方が気持ち悪いし、うざったいとは思わないか。当事者でもない連中のこの事件に対する正しい対処があるとすれば、それは「そっとしておく」こと、それだけだ。物事というものは本当は当事者同士しか解決出来ないということをこの連中は分かってない。いや、もしかしたらサイトで世界中に拡散したんだぞ、とかいう反論があるのかな。しかし、騒ぎ立てることではない、騒ぐのは良くないことだ、被害者の傷は深まるばかりだ、という自制した気分が世間(世界)を支配する時、事件の「お騒がせ」は終わっている。また「お騒がせ」な事件はそういう終焉の仕方しかできない。昔も今もだ。事件の当事者同士の解決とは別なのだ。そして、この事件の当事者同士の解決をこの「お騒がせ」な連中は妨害している。そのことに、このマヌケな連中は無自覚だ、という点でまったく現代的だ。そして実は、この児童に絡んだ3人のアホな連中の頭のなかとおんなじだ。
 携帯のボタン、あるいはスマホ的に「タッチ」の向こう側に広大な領野が控えていることをこの連中(ネットで騒いだ「正義漢」や3人のバカ)も知っている。それが「未知で不可解」な部分であり「魅力」と感じるからできることだ。ネットの「未知で不可解」なものは「怖い」ものだと、そんなことくらい学校はとっくに「指導」してるよ。でも、もしかしたら「殺されるかも知れない」場所に、やっぱり男も女も、そして若い子が侵入していく理由を、まだみんな知らない。それぞれ具体的な、あるいは切実な理由があってみんなその場所に行くのだが、そのことに対して私たちは打つ手を知らず、出来ることと言えば事例や事件を示して「危険だ」と訴えることだけだ。「自殺」を、あるいは「監禁」を望むのはそれぞれの個人だが、その具体的な個別の事由・理由が、抽象的な広い場所にさらされている。これがいいことであるはずがない。人の生き死さえも弄ばれようとする「抽象的な現実」に抗することは出来るのだろうか。
 ニュースは「この3人を特定する情報」も投稿され、またそのことでこの生徒たちの「自宅周辺を警備する」事態になっている、と結んでいる。すべては雲の上のような出来事なのに、突然、隕石が降り注ぐかのようなリアリティを作り出している。私たちは雲の上の出来事を地上に引きずりおろさないといけない。「特定する情報」を提供した奴が本当はしないといけなかったことは、3人のバカ共のところに行って「謝れよ」「さっさと動画消せよ」と言うことだった。それをしないでこの3人のバカ共と同じくネットで告発したのだ。言ってみれば3人の反省の機会を奪った。こんなことを続ければ、今度は3人の「反省」のほとぼりが冷めた頃、「あれチクッったの誰だよ」という逆恨みへと続くことは間違いない。「特定した」奴を「特定する」責任は、そしてそのチャンスはもう当事者周辺しか持っていない。子ども・生徒を分かっている、見ている大人(親・先生)だったらその領域に踏み込めているはずだ。なのに、それを抽象的に例えば全校集会かなんかで「人間として許されない」などというおしゃべり(こういうのを「おためごかし」と昔の人はうまいことを言った)をするのがまた学校だ。どうかひとりぐらい「オマエじゃないのか、こんなことするなよ」と生徒をあたり、当事者同士の解決をはかっている教師がいることを、と願うばかりだ。
 生徒自宅の「警備」なんか必要ない。顔の見えないところでしか「活躍」出来ない腰抜け連中を恐れることなどない。顔を見せに来るかよ。顔は「現実」だ。「バーチャルな現実」とは違う。雲の上から降りてきた現実とは対面・対決出来る。
 ちょっと前だったら、ずっと部屋のパソコンに向き合って意味不明な生活・表情を送っている息子(娘)に、親は「一体何をしている?」と言わないまでも、思うことが出来た。今、そのパソコンは片手に納まる、移動自由なポータブルだ。東野圭吾の『赤い指』の小学2年生の女の子は、中学生とパソコンでやりとりしていた。そしてそのことを両親は知らなかった。あの頃より時代はさらに「進化」してしまった。
 それでも私たちは、「雲の上の出来事を地上に引きずりおろす」ことをあきらめてはいけない。そして、それは出来る。


 ケーブルテレビ

 ちょっと付け足し。先日ケーブルテレビの会社を変えたことを言ったが、私はパソコンとセットで契約していたので、メールのアドレスだけ前の会社に残した。その前の会社から銀行口座の確認電話があった。その時、ついでに私はメール回線使用料の月々の料金を尋ねた。すると相手は、
「知らない」
と言うのだ。相手方としては契約状態さえ分かればいいということらしい。「分からないのですか」と私が食い下がると「先方(メール会社)の連絡先を教えましょうか」と言う。テレビとパソコン、そしてメールと会社が別れているわけで、「当方には分かりかねる」という言い方だ。
「私に『聞け』と言うのですか」
という私の言い方はきっとひどく刺があったはずだ。沈黙する相手に私は「分かりました」と言って電話を切った。右手がやっていることを左手が知らない。サービスというより責任だろが、と思うのは私だけだろうか。
 『現代詩手帖』5月号はまだ思潮社にあった。「売り切れ」てもいないのに、「売り切れ」表示をし、新品がまだあるというのに、その倍の価格で「中古」を斡旋しているネット社会の現実をまた思い出す。


 ☆☆
「<子ども>…」シリーズは、別な色合いで書きたいと思っていたので、今回は「番外」としました。刺激をうけた今回の出来事のおかげで久しぶりの連日投稿となりました。

 ☆☆
前回、前々回の「健康法」、面白い・分かりにくいなど、いろいろな指摘がありました。呼吸のレッスンをしていて思うことですが、こつと言ったらいいか「考えすぎない」「頑張りすぎない」ことが大切かな。集中しようとするからでしょうが、うつむいてしまう方が結構多い。そうすると「気」が内側にこもってしまって、自律神経が参ってしまう。青空に向かって自分を開くというイメージですか。それがいい。今日はまたいい天気です。

実戦教師塾通信百六十八号

2012-05-25 12:17:54 | 武道
 武道の心得その4

          ~健康法②~


 膝抜き


 ちょうど一年前、『季刊iichiko』で新陰流の前田英樹氏と同席する機会をいただいた。理論的なこともだが、身のこなしや武道家としての流儀など、参考になることが数多くあってありがたかった。
 文字(記録)に残らなかったが、歩行のことが話題に上った。特に階段昇降において顕著なのだが、一般の人の様子を横から見ると、身体がその階段の形に沿っているかのように段々を描いている。これは特に降りる時にだが、腰にかなりの負担がかかっている。階段の一段ごとに、腰にドスンドスンという衝撃を与えているのだ。階段の立場になって言えば、階段は人にその都度「蹴られて」いる。
「武道をやっている人は階段を降りる様子を見ているとすぐ分かりますね」
と前田氏が言った通り、武道を心得ている人(「格闘技をやっている人」とはまた違うわけだが)を横から見ると、頭のラインが斜めに真っ直ぐ降りていく。膝を抜くからである。
 この膝抜きは、実は明治大正、そして昭和初期までは多分に健在だった。下駄と草履の生活がまだあったからだ。明治は、服装が洋式を全面に開始し、徴兵制によって徹底した身体操法の西欧化がなされた。「ナンバ式歩行」はここで矯正される。しかし、国民全員が靴の生活となるまでにはまだ時間を要した。普段の生活での下駄・草履愛用の習慣は昭和まで続く。その下駄・草履を履いて歩くと、身体が自然に足面と地面との平行移動を保とうとする。その時に、膝が「抜かれる」。しかし私たちが今下駄を使用すると、靴歩行に慣れきっているため、初めはそうならない。何せ散歩専用の街路にある「正しい歩き方」なる注意書きには、「つま先で蹴り、かかとで着地」なんていうことが書いてある。このような通常の歩行をしてきた者は、間違いなく下駄の後の歯だけを減らして行く。しかし、下駄は徐々に膝を抜くように私たちを「矯正する」。自信がある人は「一本歯」の下駄を購入してやってみるといい。「膝抜き歩行」でないと、あっと言う間に転倒する。いや、吹っ飛ぶ。そんな重力の力を再確認出来るので、身体に自信がある人にはお勧めなのだ。いわゆる「ピッチ走法」という表現ではまずいが、この膝抜き歩行は、下駄・草履によって守られていた。その後、靴と舗装道路の普及によって、かかとが「膝より前」に伸びる「ストライド走法・歩行」へと矯正されていったということだ。
 もうストライドな生活になれ親しんでいる私たちとしては、あの武蔵と小次郎の闘いを振り返っておくといいかも知れない。「最後の闘い」巌流島の二人だ。太陽を背にした武蔵の姿をはっきり捉えたい小次郎が浜を小走りに横へと走る、しかし、汀で膝まで海に浸かった武蔵は、その小次郎にあわせて走り太陽を背後に抱え続ける、というあのシーンだ。優に6尺(180㎝)を超えていたといわれる、当時としては「巨人」の二人(武蔵も大きかった)はしかし、まったく頭を水平に保ったまま走っていた。って見てきたかのように言ってるが、もちろん映画の話だ。しかし、多分この通り腰から上が上下しない、膝を抜いた走法だったはずだ。ブルースリーがピョンピョンと身体を跳ねさせていたのとはまったく違う。まぁリーの場合は、映画人としての演出があるわけだが、パワー空手であったことは紛れもない。
 我々は切り合いをするわけではない、と抗議をされるかな。いや、ここで大切なことは上体を持ち上げては落としていく今の歩行・走法が身体に負担になっている、ということだ。「流れるような」移動(歩き)ということをよく言われる。それは日本古来の技術から来ている。ついでに切り合いの話ではあるが、あの足元まで覆った武士たちの邪魔くさい袴の意味をお分かりだろうか。イロハのイで言えば「足の動きを敵にさとられない」ように、しているからだ。
 この膝抜きが人類にとって、その健康に大切なものなのだ。あのアシモが膝を抜いているのは言ったが、あの膝の緩みが身体のバランスを保つ上で大切だ。
 ここでテスト。

1 目をつぶって両手を拡げ、片足で立ってみよう。何秒出来るでしょう。
2 同じく目をつぶって両手を大きく振って、その場で一分間足踏みしてみよう。

テレビなどで「1」の平衡テストを、ものの2、3秒でリタイアするのを見かける。宇宙飛行士の「バランス」チェック項目にあるそうだ。これも見ていると、平気で膝を直に伸ばしてやっている。これでバランスが取れるはずがない。膝を緩ませた場合と比べるといい。
 「2」はバランス感覚と関係もあるが、それより「身体の歪み」を自分で確かめられる。ひとりでやるのはお勧め出来ない。一分後にとんでもないところまで移動する人は、あられもない衝突の危険があるからだ。間違っても駅のホームでやったりしないことだ。ニュースになってしまう。一分後目を開いた時、きっと驚く。
 さて、アシモの歩き方がカッコ悪いと思う人は「ナンバ式歩行」をお勧め出来ない、とはだいぶ以前に言った。しかし、腰・膝を抜いて「ナンバ式」に歩いている田村正和は、実に違和感なくスマートである。「身につく」とはそういうことだ。いつかアシモの進化版に、田村正和的バージョンが出てくる。


 ☆☆
『現代詩手帖』5月号(吉本隆明追悼特集)、ようやく手に入れました。あちこちのネットで「売り切れ」で、ひどいのは予約を「承った」あとに「売り切れ」を通告してきたり、と。実はなんと、版元には「充分」あったのです。だから直接注文しました。そしてそのあとまたひどいことを知りました。ネットでこの本の中古が4000円という倍の価格で売りに出されていたのです。まだ版元に追加注文すればあるというのに、です。しかも「売り切れ」を通告している、その同じネットの会社が倍の価格で中古本を斡旋している。いやあ、ネット社会のあり方を少し見たような気がしました。

 ☆☆
先日、ファミレスやスーパーが一緒になった近くの本屋に行きました。すると、陳列がすっかり変わっていて、新刊本のコーナー周辺に以前はなかったというか、ありえないミニカーのコーナーが出来ていました。私はそこに飾ってあったトミカミニのGT-Rを見ていたのですが、近くを通りかかったまだ小さい男の子が「あ…クルマだ」とつぶやいて立ち止まりました。その子の父親がそれに気付いて、渋い困った顔をして「あ、なんだよ。なんでこんなところにクルマ置くんだよ」と言うのです。私はホントにその通りだと思って笑ってしまいました。私に救いを求めるような顔をする父親、そばで「さっき買ったでしょ」という母親、黙ってそばで見ている妹。「幸せな家族」の一瞬を見た思いでした。

実戦教師塾通信百六十七号

2012-05-22 16:10:22 | 武道
 武道の心得 その3
             ~健康法~


 身体の状態


 まだ古流の空手を本格的に始める前で、十年くらい前の話だ。持病の腰痛が悪化して歩行が困難になった。暮れに浅草に出掛けたとき、しびれる腰を交差点ごとに屈伸してなんとか歩いた。どうか交差点で信号が赤になりますように、などと願いながら歩いた。本業の学校の方では、授業中に屈伸などしていたわけである。なぜか部活(空手)は続けることが出来た。ジョギングは違和感程度で痛みは少なかった。歩くのがすこぶる辛かったのだ。
 行きつけの整形外科の医者は、レントゲンの写真を見せ、椎間板の「異様にすり減った状態」を説明した。今も思うしその時も思ったが、空手の「騎馬立ち」「回し蹴り」がてきめんに良くなかったと思える。また、ドスンバッタンというスポーツ空手特有の組み手(試合)もそうだったはずだ。
 もうその腰は「時間の問題」で、その時が来たら「積極的治療」は考えましょう、ということだった。普段どんなことに注意したらいいですかという私の質問に、医者は、椎間板が無くなりそうになっている背中側を伸ばすために「前かがみに歩くといい」と言われた。私はこの医者とは長い付き合いで、空手やバイクでの骨折・怪我の時ずいぶんお世話になった。病院が閉まったあとでも、いいよ、と開けてくれたりもした。しかし、この「前かがみでの歩行」を勧められた瞬間、あ、お手上げなんだ、と思った。いつも通り湿布と痛み止めの処方しかできないこの医者とは、もう終わったのかと思った。
 折も折、整体医院を始めた弟子に身体を診てもらった。腰痛の原因かどうかは分かりませんが、と断ったうえで、
「先生の両足の外側の筋肉が驚くほど張っています」
と言う。驚いたのは私も同じだ。まったく気付かなかったからだ。しかし、走る時に足の裏側のその外側を使うものだと思っていたのは確かだ。歩く(走る)時、足裏は内側を、脚全体も内側の筋肉を使うようにしてみてください、と言われた。腰痛での生活習慣対策としては、床に(胡座で)座る生活から、椅子に座る生活(正座でもいい)にするといいと思います、ということだった。どのぐらい経ったあとか、気がつくと私の腰の痛みは和らぎ、歩行も普通にできるようになってしまっていた。歩行での注意をしたからか、正座の効用か、それとも「いつの間にか」なのかは分からないが、未だにあの時のようなしびれはぶり返していない。「時間の問題」と断定された椎間板は手術の憂き目を見ずにすんだ。
 このことがあって私は、以前にも増して「治す」ことを考えるようになった。母は80代の半ばまで颯爽と4キロの道のりを、毎日お使いだ選挙だと歩いた。しかしその後、足は一気に悪くなった。気がついた時は遅く、おそらくは外反母趾から来る痛みを庇おうと、歩き方に無理が行き、バランスを崩しながら歩いたそのことが状態を一気に悪くさせたようだ。最近私が始めた「草履の生活」を早くに勧めたら、母はもう少し楽な老後を過ごせたかも知れないなどと思う。母は腰を痛めたあとはそれでも、
「まだこれがあるから」
と、気丈に手押し車を使った。
 「切る」「取る」は天寿(寿命)に逆らうことだ、という思いはいやましに強くなったが、同時に、自分の身体の状態を知ることは天寿に逆らうものではない、という思いがこの経験で生まれた。例えばおしっこの成分とかいうものより、また、そのPSA(前立腺検査)とかいうものより、おしっこが気持ちよいかどうか、だ。そういうことが「自分の状態」と思える。トレーニングでよく出向く手賀沼のジョギングロードに、いろいろな歩く・走る・ボードの人が来ている。見ていると、この人はトレーニングを積めば積むほど自分の身体を壊すよなあ、と思える人が結構いる。走れば心肺機能は確かに維持(強化)される。しかし、どんどん身体を歪めていく走り方(歩き方)が分かるのだ。
 せっかく当方は気持ちよく走っているのに、野暮ったいことはしたくない。ここで登場したことのある(初代)ロスインディオスのMさんと、たまにこのジョギングロードで遭遇しては、そんなコメントを交わしている。


 アシモ

 ゴールデンウィークに「ツィンリンクもてぎ」で、アシモに会ったことを言ったと思う。改めてアシモの可愛らしさに出会えてそれだけでもハッピーだった。そして、改めてその「人間的」な動きに感心した次第である。時速6キロで早歩きする「進化」を遂げたアシモは、見事に「ナンバ式(同側歩行)」に歩き、走っていた。一瞬だが地面から両足が離れる。前も言ったが、アシモの腰と膝に注目してほしい。緩みがあるのだ。従ってかかとの部分も少し曲がっている。これが大切で、身体が伸びきった状態というのは衝撃を吸収出来ないのみならず、発生した出来事に対応出来ない。危険だということだ。
 まだ言ってないと思うが、空手の基本中の基本の「騎馬立ち」での突きは、琉球(沖縄)の唐手(空手)にはなかった稽古である。すべての緩みを拒絶し、全身の筋肉を緊張させ続けるという修養の仕方は、短期間での鍛練を目的としたものだった。多分に内側の腸陽筋を駆使したと思われる、沖縄唐手独特の「ガマク」なるものは、内地では無視され、沖縄でもいつの間にか衰弱していく。
 陸軍大佐によって「戦後に於ける整頓の事業中最大なるものは国民教化の問題なり」と、沖縄の唐手(空手)が掲げられたのは日露戦争の十数年後である。それまで沖縄において、唐手は王族・士族防衛と、健康を維持・形成するものとしてあった。地球、また大気と交感する人間のあり方をつかさどるものとしての「唐手」を書き継ぎ、修行して行きたい。


 ☆☆
その「もてぎ」のトイレで、ちっちゃな子が「早くしないと、アシモが始まっちゃう」と、叫んでいたのを思い出します。アシモはいいな、子どもはいいなと思ったものです。

 ☆☆
旭天鵬優勝しましたね。決定戦見なかったのですが、見れば良かった。ニュースを見て思いました。ずいぶん「涙」を見た夏場所でした。優勝パレードでのオープンカーでの「旗持ち」を白鵬が志願したとは! そして「自分のことのように嬉しい」「涙がでた」とはばからずに言う横綱です。次の日の新聞のくだらないスポーツ「ジャーナリスト」の場所への「批判的」コメント! 引っ込めグズども! です。

 ☆☆
やはり「金環日食」も触れましょうね。偶然ですが、昔の白黒ネガが見つかりまして、それで「金環」を見ました。テレビで見たとかいう人の感性を信じられません。環が閉じられるなんて、それを直に見ることが出来るなんて思いもしませんでした。
 半世紀も前に、日食(部分)に備えて地域や学校中が透明ガラスをろうそくであぶったことを思い出します。あの時、近隣の犬たちが吠えて吠えて、ということを覚えています。犬、今回は吠えたのかな。朝方で曇りがちということも関係あったのかもしれません。

実戦教師塾通信百六十六号

2012-05-19 11:59:08 | 福島からの報告
 一年前と今
       ~山田真医師講演より~


 楢葉の学校


 前回の楢葉牧場主さんの話から始めよう。現在、楢葉町にいた子どもたち(小中学生)は、その多くがいわき市内の学校に通学している。同時に、「いわきにも楢葉の学校を」という声をバックに、楢葉の子どもたちだけが通う学校を開設している。開店休業中の会社のビルをレンタルして、そこに子どもたちが通っている。しかし現状は、そこに各学年14~15人くらいの子しか通っていない。子どもたちがすでに、いわき市内の学校、そして地域に馴染んでしまったということだ。では、その14~15人の子どもたちは、今もいわきの学校(地域)に馴染めていないということですか、という私の質問に、主さんは、う~んとうなった。小学生の娘さんがいる主さんは、子どもたちが(楢葉)の学校がなくなる、という心配をしているんじゃないか、との考えだった。
 今までどおり、楢葉町の学校の教員も教育委員会もいるのだ。教員は楢葉の子どもたちがいる学校にお手伝いとして派遣されている。職員室に彼らの机はあるのだろうか、などと私は想像した。


 福島市・郡山

 その福島での小学校の話が、去年の今頃ずいぶんと巷で話題になった。
 それを思い出したのは、震災(原発事故)から一年、ということでされた山田真氏の講演(記録)にふれたからだ。この山田真氏を知らない方もいると思うので少し解説する。山田は東京で診療所を開設していて、そこで子どもたちを診ている。子どもに寄り添った診療は、例えば発達障害を病とする時の現在の世論の姿勢に批判的な立場をとる。なにより「健康であらねばならない」という考えから改めようという姿勢がいいと思える。山田は、大昔、東京で定期的に開かれていた「子どもの健康を考える会」のメンバーでもあった。この会は、毛利子来、石川憲彦を初めとした小児科医や看護士中心で構成された会だ。私も微力ながら参加していたので、山田の存在と考えを知り、その時から好感を持っていた。
 その山田が「福島を切り捨ててはならない」という演題で話したことだ。多くの「?」を私は持ったのだが、これは山田がいう「福島市は完全に沈黙させられているが、郡山は闘いを組めている、いわきは復興を目指している、というようにいろいろなのだ」と話していることを考慮して読んだ方がいいのかも知れないと思った。山田がいう「福島」は「福島県」か「福島市」なのか、を注意した方がいいと思えた。

①福島の小中学生が全国で一番福島産の食材を食べている。
②福島産以外の食材を使ってほしいと要求する親はまわりの保護者から非難される。
③子どもを幼稚園(東京)に入れようとしたら「福島のひとは遠慮してください」と断られた。
④福島に残った人が「心配だ、不安だ」言うと、それには風評被害だ、と非難が集中する。

一年前のことを思い出すと、確かに思い当たることがあった。読者の皆さんも去年の今頃のことを覚えているだろうか。このブログでも取り上げた。つくばの小学校で「福島の子どもの入学を拒絶」ということで、つくばの市長だったか茨城県教委だったかは忘れたが「科学的根拠のない『差別』はよくない」なるコメントを出したことや、千葉県内の小学校に転入希望を出した福島の保護者が、担任から「福島だということを隠しますか」なる「好意ある」提案をされたことなどがニュースになった。今も思うが『差別』ではなく、『愚弄』であり『侮辱』じゃないのかね。
 また、同じく去年の6月のブログで報告したが、いわき市の小中学校は、軒並み「遠足/運動会」を中止にしたのだ。
 私は講演録を読んですぐ、議員さん(いわき市)に確認した。今年は「校外(校舎外)の行事をすべて復活します」という返答。さて、給食は「いわきに関しては『できるだけ遠くの県の食材を』ということでやってます」ということだった。やはり、この講演の「福島」は、「福島県」でなく「福島市」と読み替えた方がいいのかも知れない。あるいは去年のことなのか。
 ④の「心配、とはうかつに言えない」ことで思い出すことは、昨年、福島県の中通りエリア(福島市・郡山など)で高い線量の放射線が検出されるようになったあとの出来事だ。当時のボランティアに伝わってきた話は、郡山や福島(市)の軒下で線量を計っていると、市の職員らしき人物が「何をやってる」ととがめてくる、ということだった。実際そう言われた人も仲間にいた。
 山田のレポートを読むと、福島は「放射能タブー」のようなバリアが張られているかのように思える。そんな息苦しい場所だったかと思って振り返ると、確かに一年前はそう言えなくもなかったように思う。「孫の外での散歩もダメだ、と嫁から念を押されている」お婆さんのことも思い出した。あれから線量も確かに落ちた。学校の砂場からブルーシートも見えなくなっている。いわき市は人口が格段に増えた。避難していた人たちが戻ったからだ。そして双葉地区の人たちが、他県や会津からこのいわきに移動してきているからだ。もちろん、野田首相が「収束宣言」したような安心状態ではない。そして、福島の食材がいわき市の給食から排されていることもいいことではない。仕方がないのだ。ゴールや見通しはまだまだ見えない。
 そんなわけで、山田の「完全沈黙の福島市」や郡山の様子を聞いて、確認していかないといけないようだ。


 「維新の会」

 山田真氏の紹介のくだりで、「発達障害」のことにふれて思い出した。今月の7日だったらしいが、例の「維新の会」が保護者に謝罪している。ご記憶のことと思うが「条例案」文面に「発達障害は親の愛情不足が原因」とあったことが物議をかもした。親の会は「脳の障害が原因」として、抗議したのだ。
 少し言っておかないといけない。発達障害が病気ではないとは私も思わない。治療は必要で、早期の薬の服用で本人のつらい感覚や生活が改善されることも見ている。当事者がこれを読んでいるかも知れないと思い書いておくが、有名なリタリンはかなり強い薬で、簡単に勧める医者もいるが、服用は慎重にした方がいい。
 いくつか疑義があることを言ってはおきたい。
 脳に障害がなくとも、たとえばADHDなる診断をくだすことが現実にはある。今は病気というより「症候群」という扱いが適切だと思われている。
 もうひとつ、こっちが大事だ。親や教師が子どもを統制出来ないときに、簡単にその子を発達障害としてしまうことが起きていることだ。教師の場合で言えば、新たな子どもへの「まなざし」が、この発達障害をめぐる世論の中で作られたことは紛れもない事実だ。


 ☆☆
夏場所、どう思います? とうとう白鵬は優勝争いにからんできました。横綱の中で何が起こっているのでしょうか。先場所は優勝インタビューで初めて「怪我」のことを告白。今場所は場所中です。怪我をしていたのか、という驚きを私は持ちませんでした。これも先場所のインタビューで訴えた「疲れ」、そっちにつながりました。朝青龍の引退と賭博事件、天皇杯のない優勝。そして東日本大震災。多くのことが角界の頂点たる横綱にのしかかっていた。おそらく人一倍責任感の強い横綱の孤独ばかりを考えました。
 「横綱の意地」とかいう馬鹿どもの雑音に惑わされることなく、あと二日間、勝負の世界をみせてほしいと思ってます。

 ☆☆
ケーブルテレビ、某会社のインチキな「キャッシュバック」に腹を立てて、先日別会社に変えました。ただのサービス期間ということで、たまたま昔放映された『ハケンの品格』をみました。「資格を全部書き切れないので、書けるだけ『記入いたしました』」という篠原涼子のセリフに、驚愕しました。今だったら間違いなく『記入させていただきました』です。2007年、まだ「させていただきます」病はなかったようです。言ってみれば「最敬礼状態」のこの言葉を、全員が全員にオールラウンドで使っているマヌケな状態をいつまで続けるんでしょうか。先日、ポストに入っていた配達会社の「届けさせていただく日を、連絡させていただきます」のトンチンカンなメモ! ああっ、ったく!

実戦教師塾通信百六十五号

2012-05-17 14:56:51 | 福島からの報告
 忘却/手がかり



 頑張れ、ニッポン!


 14日、福井県大飯町原発の最稼働が町議会で承認された。議員や常任委員などで構成される全協(全員協議会)によれば「政府側の専門家が出してきた結論にどう太刀打ちできるのか」という不安・不満の声もあったとも聞くが、これまでの経緯をみれば議論など形だけの決定となったのは「予定通り」である。
 先だって行われた大飯町地元説明会(4月26日(木)夜)は、その10日前までは「地元町民以外でも参加できる」ものだったことを私たちは知っていただろうか。17日、町長名でその予定は反故にされた。地元の『福井新聞』によれば、町民8800人のうち有権者の1割という540人が出席した会場からは、最稼働への不安の声と最稼働がままならない将来への不安が拮抗し合っていたという(全国紙の読売には「早めの最稼働」の意見しかなかった)。「早めの最稼働を」という声の中にあった、
「電気を供給している立場からすれば『最稼働するのは心外』として、こちらが悪人のような言い方をされるのは困る。『どうか(最稼働の再考を)お願い出来ないか』というのが筋ではないか」
という意見がまっとうに感じられた。
 家族のうちの誰かが必ず電力会社に勤務しているという大飯町は、電気は「すでに地場産業」というのが現実である。「最稼働」の流れは確実に用意された。「最稼働言い出せぬ地元」(3月)「原発の必要性明確に」(4月)と、地元大飯町や福井県知事は政府・国に最稼働への積極的関与を望んだ。あるいは、そのように報道された。一方国・経産省は、滋賀県・京都府による申し入れは「地元の申し入れにはあたらない」として、滋賀県・京都府を「地元の外」とした。両知事の「規制庁の発足もない中では拙速ではないか」の主張は、今もぬかに釘の状態である。
 従ってこのあとの「地元」は福井県となる。大飯町とは小浜湾を隔てた松ヶ崎、そして小浜市がどうなっていくのか注目しないといけない。
 それにしても、原発の最稼働をめぐってこれほどの堂々巡りが起こるということは、今までなかったはずだ。今はストレステストも加わったが、定期点検後の最稼働もあるのだ。何十年とやってきた点検後の最稼働がもつれている。きっかけはもちろん福島の事故であるが、そのことで生じた国・政府への不信感と、人びとの「我がことへの覚醒」が大きく関わっていると思えて仕方がない。これこそが「頑張れ、ニッポン!」ではないのか。


 オレたちゃ何にも分かっちゃいない

「オレはやりたいんだ」
そう楢葉の牧場主さんは言った。自分の牧場は、除染法のひとつである表土剥ぎ取りをやると困ることになるという。海岸沿いの土地は、そうすればすぐに荒くれだった石がでてきてしまうからだ。それでも牛(乳牛だ)を飼うことはあきらめたくない、餌を変えれば牛は変わる。汚染された餌を食べれば乳は汚れるが、餌を変えればまたきれいな乳が出る。
「乳は血液だからな」
だからきっとやれるんだ、と主さんは言った。今は「4巡目」となる帰宅の日を待っている。昨年の9月30日に解除された楢葉の(楢葉だけではないが)緊急時避難は、除染もされていないし、宿泊も出来ない場所でのことなのだということを私たちは忘れている。いや、知らない。
「解除後帰還2200人止まり」(5/11読売新聞)
という記事を読んで「へぇそうなのか」という程度に私たちは思うだけだが、楢葉では「4巡目の帰宅計画」が組まれている。一体「居住制限のなくなった」とかいう「避難解除」とはなんなのか、と思わないといけない。さきほどの新聞は「帰宅をためらう理由」を列記していたが、今でも地元楢葉では「今度の一時帰宅に参加しますか」というアンケートが取られているのだ。どこが「居住制限がない」というのだ。それが現実だということを私たちは知らない。そんな中で開かれた説明会(前に報告した)では、
「さっさと自由な出入りをさせるべきだ」と「除染に必要な二年間は警戒区域として誰も入らせないようにすべきだ」
というふたつの意見に別れた。どちらにも共通しているのは、「泥棒」への危惧であり、「我が家」への愛着なのだ。なんと、いまだに損保(損害保険会社)の査定も行われていない。その壊れた家屋に損保が「入れなかった」からだ。それだけでも「解除」の意味はあるけどね、と主さんは言う。そんな中で川内村は「帰村宣言」をしちまった。一体どうなるのか、というのは我々が注目しているところだね。
 主さんの言葉はいちいち突き刺さるような新鮮さがある。
 オレたちゃ何にも分かっちゃいない、改めて思う。


 「買うお金、ないんですか?」

 「みちの駅だいご」で買った水戸の銘菓「水戸の梅」をずいぶん喜んでもらえた。午後、改めて第一仮設に出向いた私を、
「いつも悪いね」
午前にはいなかった常連さんが笑って出迎えてくれた。この日はご盛況で6人(職員とあわせて8人)がおしゃべりに余念がなかった。私の方から、先だってここで話題になった「古着」(夏用)のことを聞いた。すると、それ以降古着のことは何度か話題に登ったという。「コトヨリさんに頼んでみようか」ということもあったという。
 いろいろと思い出すこともあって、聞いてみたかった。この一年を振り返ると、ボランティアセンターは古着の申し入れを6月には断っていて、返品までしている。断った大きな理由は「保管場所がない」ことだった。当時、巨大な保管場所として役割を担ったいわき市の「競輪場」は、「そろそろ再開したい」意向を市に伝えていた。それは震災後の「新しい動き」でもあったわけだ。
 私自身、センターで何度か古着の仕分けをした経験でいくつかひっかかったことがあった。災害直後だったら着たかもしれない粗悪品もあったが、それはそんなに悩みの種とはならなかった。それより閉口したのは、衣服の種類の多さである。サイズはもちろんのこと、赤ちゃん服から新婚さんの寝間着みたいのや葬儀用のものまで、こんなにも服にはいろいろあるものなのか、とゲップの出るような思いをした。では皆さんは、一体去年の夏はどうしていたのか、ということも聞いてみた。するとやはりそれは、薄めの長袖でとか、一枚の半袖で過ごしたとか、親戚の家に避難していたのでそこで借りたとか、つらい思い出を話してくれた。なるほどホントに夏服がない。
 しかし、嗜好の強い若い人たちにどれだけ気に入る夏服があるのかと思う。仮設にいる若い人たち(そんなに多くはないが)の服を見ると、お気に入りの服を着ているように見える。
「若い人たちは自分で見つけた服がいいのではないですか?」
私はそう結論づける。それくらいどうにかするような気がした。つまりは、ある程度(「かなり」かな?)年のいった人たちが古着を必要としているのではないか。しかし、私はもう少し思い切って聞ける、と思った。
「服を買うお金はないんですか?」
どっちにせよ失礼な質問かと思ったが、先日ここにも書いた「年金、どうせ使わねえよな」と言っていた常連さんの言葉が私の中に残っていたからだ。
「それくらいの金はあるけどね…」
リーダーさんが笑った。サブリーダー?さんがあとを継ぐ。
「足だよ、私たちには足がないんだよ」
と言うのだ。鹿島通りに脱けるバス停までは大変でね、という。近くのバス停は平方面(駅の方)に行くバスでね、という。読者の皆さんは何のことか分からないと思う。
 第一仮設を住まいとする海岸線の人たちの古巣へは鹿島通りから脱ける。その通りに行くバス停までは遠いというのだ。しかも、海岸線の店は壊滅している。では駅周辺での買い物はどうなのか。そこでの買い物は無理なのだ。若い人たちなら「新しい場所」での買い物に抵抗はない。しかし年寄りに「慣れない場所」での買い物はそういかない。今更ながら、年波が寄ってからの災害が、大変な思いをさせていることが、ようやく私にも分かってきた。
「じゃあ、そんなに数はいらないんですよね」
私は念を押す。来月に予定している「味噌」の支援とあわせてやってみようかと思った。


 ☆☆
いわきのスーパーに少しずつ地元の野菜が戻ってます。ニンジン、ネギ、アスパラ、トマト(「トマトランド」のトマトは駅前商用施設『ラトブ』にあります)、そして椎茸!など。眺めてたら千葉産のキャベツ発見。なんと値段87円と破格なんで買っちまった。福島で千葉産買ってやがる。

 ☆☆
自分ところの自治会役員を去年は断りましたが、今年やってます。なにかの縁と思い「『ニイダヤ水産』の支援」をその会議のときに提案してみました。すると、
「福島はいまどうなってますか」「カタログが欲しいわね」「どうやったら買えるんですか」「自治会の全世帯に(チラシを)配ったらいい」等々、皆さんとてもいい反応をしてくださって、思わず私は「ありがとうございます」と言いました。半分くらい福島の人間になれているかな、とも思った私です。

 ☆☆
私の好きな福島の山奥(矢祭町)には、まだ桜が残っていました(5月16日)!
冒頭写真は旅館「ふじ滝」の駐車場脇に咲いた牡丹です。去年と同じ場所に、同じくらいに見事に咲きました。