子どもの分水嶺(下)
~貧困の新しい形/子どもと「向き合う」~
1 追い詰められて
ここ最近、現場から、「就学(しゅうがく)援助」を受けている家庭の話を、よく相談される。
「医者や病院になぜタクシーなのか」
「どうしてスマホ(携帯)や自家用車なのか」
などだ。生活保護を受けている家庭の優先順位としていかがなものか、ということである。子どもまでスマホ(携帯)を持っている。そんなお金があるのなら、別な使い道があるのではないか、ということなのだ。食べるものまで切り詰めてやっているのはどうなのだろうか、と思うのは道理である。
タクシー利用に関しては、車がない家庭は、子どもが風邪や熱に冒(おか)された時には致し方ないとも思う。子どもを思いやっての処置と思える。
では、スマホ(携帯)はどうか。結論から言ってしまおう。
「持っていない苦しみが大き過ぎる」
「周囲との関係に支障をきたす」
となれば致し方ないと思える。私は、スマホがないことによるコミュニケーションの可否を言っているのではない。「貧困の形」が変わったのだ。
だいぶ前に書いた私の少年時代のことだが、それを思い出した。
私が小学5年生の時、石油系の繊維によるジャンパーが大ブレイクした。絹のような光沢と触感(しょっかん)を持つこの生地(きじ)が、巷(ちまた)にあふれたのだ。これは保温性と防風に優(すぐ)れており、絹のように高級品ではなかった。やがて、次の年の暮れには、400名もいたと思われる6年生で、このジャンパーを身につけていないものは、もうひと桁(けた)だったと思う。あちこちの綻(ほころ)びと穴を繕(つくろ)った上着しかなかった私が冬にやったことと言えば、その上着を着ないようにすること、薄着(うすぎ)で過ごすことだったように記憶している。
そんな私を母親が不憫(ふびん)に思わないはずがない。洋裁で生計を立てていた母は、その年の暮れ、デニムの生地を用意したのだった。しかし、新しい上着が出来るという喜びより、微妙な陰が私の顔に落ちていたはずだ。だから、その暮れに突然「正月資金」が亡き父の実家から舞い込んだ時、母は「ナイロンのジャンパー」を買うことに決めたのだ。新しい年のために、母は何をおいても、餅や炭(燃料)、割れたままの窓ガラス、そういったものを「正月資金」でまかわないといけなかった。でも、母はそうしなかった。
嬉しかった。正月が来るんだと思った。母はみんな分かってくれてたんだと思うと同時に、申し訳ない気持ちにもなった。しかし、あの時の空に浮かぶような気持ちは、何のたとえようもなかった。
正月、あの頃は元旦が登校日だった。ベージュかグレーか忘れたが、キラキラの新しいジャンパーを着た私は胸を張っていた。自分はみんなと同じなんだ、と胸を張った。嬉しかった。
これを読んだ読者は、
「着るものとスマホとではわけが違うでしょ」
と思うかも知れない。果たしてそうだろうか。必需品とは、
「何をおいても、それがないと生活に支障をきたすもの」
だ。貧困の形は変わったのだ。
本当は買うだけの力があっても、
「子どもに我慢をさせる」
家の子と、
「買ってあげられない」
家の子の事情は、まったく違う。
ことはスマホなので、小中学生はともかくだが、高校生ともなれば我が身をどうやってかばうのだろう。
彼らというより、おそらく「彼女たち」は、アプリやゲームやラインが欲しいのではない。彼女たちは、それを「持っていない」心細さに追い詰められているのだ。持っていない時の中で、彼女たちは繰り返し、自分の境遇-貧困を確認している。
私は、「温かい上着」が欲しかったのではない。周囲はそれまで綿入れやウールやネルやと、まちまちの服だった。それで私はきっとぼろに耐えられた。しかし日を追うに従い、周囲はナイロンのジャンパー一色となった。私は校庭で教室で空き地で、一体どうすればいいのだろうと身悶(みもだ)えした。
「スマホがない/スマホもない」
と言って身悶えする子を、見ていられない親がいるのだ。
2 子どもへの目線
『子どもの分水嶺』(上)は8月のアップなので、多くの読者は忘れたと思う。子ども問題のプロフェッショナルであるお二方との座談だ。
後半をお届けします。今日のブログと重ねながら読んでください。
J 塗装工にしても建築にしても、運送にしても大変。……そういうところが底無しの不況にさらされてるから、そういう点でいうと、子どものことどころじゃない。しかも、彼らなりの欲求充足のパターンというのは失いたくないからさ、40前後の親たちは食い物にしても、車にしても、そんなレベル下げないわけよ。だけど、生活はものすごい厳(きび)しくなってきてて、とても子どもまで気が回らないというのが、うちの周りに二、三件あって、ちょっと苦労してるんだ。
S だから、どっかで放り投げられちゃうみたいな子どもの危険性もなくはないと思うし、何とかいい生活を維持できながら、それでもまあ子どもも大事だななんて思いながら、子どもがやってられるんならばオレはいいなと思うし、そうでなくとも琴寄さんみたいに付き合ってくれる人がいるならばまだいいなという感じは、実感としてするね。
琴寄 よく言うけど、昔、親の後ろ姿を見て育ったってね。親としては見せてたわけじゃなくて、そんな余裕がなくて、子どもと向き合うことが出来なかったという、だから、親も同時に子どもの後ろ姿しか見えなくて、それで教え合ってたという部分が多分あると思うんだけど、結局今、別な意味で向き合っちゃってるような気がするんですよ。
S ほんとにそう思う。まなざしか変わっちゃったんですよ。
J 向かい合ってはいても。
S 問題だけを見られてるような感じがあるんだよね。それが社会全体の感じとしてあって、もともと子どもの起こすことなんて、例えば新聞沙汰やテレビで報道することなんてほとんどなかったでしょう。それが……やっぱり97年(酒鬼薔薇事件)が境目で、97年以前は、例えば殺人という事態に対しても報道は……10分の1しか報道していないわけ。
ところが、97年を境に、事件数よりも何倍の報道に変わってひっくり返っちゃう。なんかそういうまなざしの転換点があって、そうすると、すごく子どもの問題だけを見るようになってる気がして……問題しか見てない。
琴寄 この間おもしろかったのは、家出。家出は女の子が多くて、最近変わってると思うのは、ちゃんと見え隠れするんですよ。あちこちと。
S 寅(とら)さんが行ったり来たりするみたいに。
琴寄 うろうろしてる。だから、家に戻るまえに学校に来ちゃったりとか、友だちの家にいますみたいな。メールやってるから「ここにいる」と確認できたり。それでその子は、まず学校に戻って来ちゃった女の子だったから、「いつ戻ったんだ」と聞いたんです。そしたら「今」って。その時、私思ったんですけど、この子と校内で会った先生たちが、一体どんな対応したんだろうって。まず、「何やってんだ」。まずこれか。……つまり、ジャージでマフラーして、ピアスしてスリッパはいて。家出したことも知らない先生は、「何やってんだその格好は。授業に行け」。トンチンカンですよ、絶対これ。その子にしてみれば、うるさいというしかないね。
J それどころじゃないもんね。
琴寄 あれ、いつ来たのと言ったんだよね。そしたら「今だよ」って。「どこにいたんだ」「うーん」、ああ、言いたくないんだなと思って、とりあえず「どうするの?」「保健室行く」「ああ、そうか。じゃ、よく話すんだね」と、こんな話をして。
S 子どもの目線ということは、子どもの側から見るということだから、子どもの側に入るということだから……それはなかなか難しいでしょう。
J 大人はさまざまな前提を持っているんだよね。その前提から始まっちゃうんだ。学校に来るからこれだけのことをしてるのは当たり前というふうに見てると、そこからずれて行っちゃうんだよ。
S 格好が違ってるじゃねえか、みたいなことが気になる。
J それを抜けるのは大変だよ。やっぱりちょっとばかにならないと。やっぱり修行だよね。ほんとに。
☆☆
マイナンバー届きましたか。先日、我が家にも届いたのですが「受け取り拒否」ということにしてもらいました。若い配達員さんは、いやな顔ひとつせず持ち帰ってくれました。これで私のプライバシーが守られるわけではありませんが、お荷物がひとつ減りました。
今年も小さな庭のカエデが色づきました。もっと色づきます。
☆☆☆
靖国神社で爆発、花火?ですか。なにやってんの。「ガキのつかいやあらへんで!」と言ってやりたくなりますよ。
トルコとロシア、これも同じだ。なにやってんの。
☆☆
同窓会がありました。今度は40歳! 家庭でも会社でも大切な役割を持っているはずなのに、みんな中学生のままで……。嬉しかった。
もっと話したかった、でも連休明けに学校でまた会えるというのが幻覚だったことに気づいたタクシーの中でした。25年が過ぎたんだよ、そう自分に言い聞かせたタクシーの中でした。
不惑の教え子たちから。今年評判だった富士山の江戸切り子と「八海山」です。
~貧困の新しい形/子どもと「向き合う」~
1 追い詰められて
ここ最近、現場から、「就学(しゅうがく)援助」を受けている家庭の話を、よく相談される。
「医者や病院になぜタクシーなのか」
「どうしてスマホ(携帯)や自家用車なのか」
などだ。生活保護を受けている家庭の優先順位としていかがなものか、ということである。子どもまでスマホ(携帯)を持っている。そんなお金があるのなら、別な使い道があるのではないか、ということなのだ。食べるものまで切り詰めてやっているのはどうなのだろうか、と思うのは道理である。
タクシー利用に関しては、車がない家庭は、子どもが風邪や熱に冒(おか)された時には致し方ないとも思う。子どもを思いやっての処置と思える。
では、スマホ(携帯)はどうか。結論から言ってしまおう。
「持っていない苦しみが大き過ぎる」
「周囲との関係に支障をきたす」
となれば致し方ないと思える。私は、スマホがないことによるコミュニケーションの可否を言っているのではない。「貧困の形」が変わったのだ。
だいぶ前に書いた私の少年時代のことだが、それを思い出した。
私が小学5年生の時、石油系の繊維によるジャンパーが大ブレイクした。絹のような光沢と触感(しょっかん)を持つこの生地(きじ)が、巷(ちまた)にあふれたのだ。これは保温性と防風に優(すぐ)れており、絹のように高級品ではなかった。やがて、次の年の暮れには、400名もいたと思われる6年生で、このジャンパーを身につけていないものは、もうひと桁(けた)だったと思う。あちこちの綻(ほころ)びと穴を繕(つくろ)った上着しかなかった私が冬にやったことと言えば、その上着を着ないようにすること、薄着(うすぎ)で過ごすことだったように記憶している。
そんな私を母親が不憫(ふびん)に思わないはずがない。洋裁で生計を立てていた母は、その年の暮れ、デニムの生地を用意したのだった。しかし、新しい上着が出来るという喜びより、微妙な陰が私の顔に落ちていたはずだ。だから、その暮れに突然「正月資金」が亡き父の実家から舞い込んだ時、母は「ナイロンのジャンパー」を買うことに決めたのだ。新しい年のために、母は何をおいても、餅や炭(燃料)、割れたままの窓ガラス、そういったものを「正月資金」でまかわないといけなかった。でも、母はそうしなかった。
嬉しかった。正月が来るんだと思った。母はみんな分かってくれてたんだと思うと同時に、申し訳ない気持ちにもなった。しかし、あの時の空に浮かぶような気持ちは、何のたとえようもなかった。
正月、あの頃は元旦が登校日だった。ベージュかグレーか忘れたが、キラキラの新しいジャンパーを着た私は胸を張っていた。自分はみんなと同じなんだ、と胸を張った。嬉しかった。
これを読んだ読者は、
「着るものとスマホとではわけが違うでしょ」
と思うかも知れない。果たしてそうだろうか。必需品とは、
「何をおいても、それがないと生活に支障をきたすもの」
だ。貧困の形は変わったのだ。
本当は買うだけの力があっても、
「子どもに我慢をさせる」
家の子と、
「買ってあげられない」
家の子の事情は、まったく違う。
ことはスマホなので、小中学生はともかくだが、高校生ともなれば我が身をどうやってかばうのだろう。
彼らというより、おそらく「彼女たち」は、アプリやゲームやラインが欲しいのではない。彼女たちは、それを「持っていない」心細さに追い詰められているのだ。持っていない時の中で、彼女たちは繰り返し、自分の境遇-貧困を確認している。
私は、「温かい上着」が欲しかったのではない。周囲はそれまで綿入れやウールやネルやと、まちまちの服だった。それで私はきっとぼろに耐えられた。しかし日を追うに従い、周囲はナイロンのジャンパー一色となった。私は校庭で教室で空き地で、一体どうすればいいのだろうと身悶(みもだ)えした。
「スマホがない/スマホもない」
と言って身悶えする子を、見ていられない親がいるのだ。
2 子どもへの目線
『子どもの分水嶺』(上)は8月のアップなので、多くの読者は忘れたと思う。子ども問題のプロフェッショナルであるお二方との座談だ。
後半をお届けします。今日のブログと重ねながら読んでください。
J 塗装工にしても建築にしても、運送にしても大変。……そういうところが底無しの不況にさらされてるから、そういう点でいうと、子どものことどころじゃない。しかも、彼らなりの欲求充足のパターンというのは失いたくないからさ、40前後の親たちは食い物にしても、車にしても、そんなレベル下げないわけよ。だけど、生活はものすごい厳(きび)しくなってきてて、とても子どもまで気が回らないというのが、うちの周りに二、三件あって、ちょっと苦労してるんだ。
S だから、どっかで放り投げられちゃうみたいな子どもの危険性もなくはないと思うし、何とかいい生活を維持できながら、それでもまあ子どもも大事だななんて思いながら、子どもがやってられるんならばオレはいいなと思うし、そうでなくとも琴寄さんみたいに付き合ってくれる人がいるならばまだいいなという感じは、実感としてするね。
琴寄 よく言うけど、昔、親の後ろ姿を見て育ったってね。親としては見せてたわけじゃなくて、そんな余裕がなくて、子どもと向き合うことが出来なかったという、だから、親も同時に子どもの後ろ姿しか見えなくて、それで教え合ってたという部分が多分あると思うんだけど、結局今、別な意味で向き合っちゃってるような気がするんですよ。
S ほんとにそう思う。まなざしか変わっちゃったんですよ。
J 向かい合ってはいても。
S 問題だけを見られてるような感じがあるんだよね。それが社会全体の感じとしてあって、もともと子どもの起こすことなんて、例えば新聞沙汰やテレビで報道することなんてほとんどなかったでしょう。それが……やっぱり97年(酒鬼薔薇事件)が境目で、97年以前は、例えば殺人という事態に対しても報道は……10分の1しか報道していないわけ。
ところが、97年を境に、事件数よりも何倍の報道に変わってひっくり返っちゃう。なんかそういうまなざしの転換点があって、そうすると、すごく子どもの問題だけを見るようになってる気がして……問題しか見てない。
琴寄 この間おもしろかったのは、家出。家出は女の子が多くて、最近変わってると思うのは、ちゃんと見え隠れするんですよ。あちこちと。
S 寅(とら)さんが行ったり来たりするみたいに。
琴寄 うろうろしてる。だから、家に戻るまえに学校に来ちゃったりとか、友だちの家にいますみたいな。メールやってるから「ここにいる」と確認できたり。それでその子は、まず学校に戻って来ちゃった女の子だったから、「いつ戻ったんだ」と聞いたんです。そしたら「今」って。その時、私思ったんですけど、この子と校内で会った先生たちが、一体どんな対応したんだろうって。まず、「何やってんだ」。まずこれか。……つまり、ジャージでマフラーして、ピアスしてスリッパはいて。家出したことも知らない先生は、「何やってんだその格好は。授業に行け」。トンチンカンですよ、絶対これ。その子にしてみれば、うるさいというしかないね。
J それどころじゃないもんね。
琴寄 あれ、いつ来たのと言ったんだよね。そしたら「今だよ」って。「どこにいたんだ」「うーん」、ああ、言いたくないんだなと思って、とりあえず「どうするの?」「保健室行く」「ああ、そうか。じゃ、よく話すんだね」と、こんな話をして。
S 子どもの目線ということは、子どもの側から見るということだから、子どもの側に入るということだから……それはなかなか難しいでしょう。
J 大人はさまざまな前提を持っているんだよね。その前提から始まっちゃうんだ。学校に来るからこれだけのことをしてるのは当たり前というふうに見てると、そこからずれて行っちゃうんだよ。
S 格好が違ってるじゃねえか、みたいなことが気になる。
J それを抜けるのは大変だよ。やっぱりちょっとばかにならないと。やっぱり修行だよね。ほんとに。
☆☆
マイナンバー届きましたか。先日、我が家にも届いたのですが「受け取り拒否」ということにしてもらいました。若い配達員さんは、いやな顔ひとつせず持ち帰ってくれました。これで私のプライバシーが守られるわけではありませんが、お荷物がひとつ減りました。
今年も小さな庭のカエデが色づきました。もっと色づきます。
☆☆☆
靖国神社で爆発、花火?ですか。なにやってんの。「ガキのつかいやあらへんで!」と言ってやりたくなりますよ。
トルコとロシア、これも同じだ。なにやってんの。
☆☆
同窓会がありました。今度は40歳! 家庭でも会社でも大切な役割を持っているはずなのに、みんな中学生のままで……。嬉しかった。
もっと話したかった、でも連休明けに学校でまた会えるというのが幻覚だったことに気づいたタクシーの中でした。25年が過ぎたんだよ、そう自分に言い聞かせたタクシーの中でした。
不惑の教え子たちから。今年評判だった富士山の江戸切り子と「八海山」です。