実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

師走(中) 実戦教師塾通信六百三十二号

2018-12-28 12:14:15 | 旅行
 師走(中)
     ~維新(いしん)から150年(前編・水戸)~


 ☆初めに☆
京都に行ってきました。幕末/維新をめぐって、少しばかり確認したいと思ったのです。
NHK総合の『西郷どん』終わりました。ずいぶん楽しみにしていたのですが、夏ぐらいから見るのやめました。ドラマは俳優もさることながら、原作/脚本が重要なのだなと改めて思いました。
秋に水戸へ行って来ました。結構お邪魔する水戸なのですが、今回は幕末/維新がテーマでした。京都行きはこの暮れとなったのです。今回は水戸のレポート。

久しぶりの水戸駅です。そして、お決まりの偕楽園にも出むきます。



偕楽園の大銀杏(いちょう)。見頃でした。それと二季咲桜(にきざきさくら)。一年で春と秋の二回、開花する桜だそうです。少し分かりづらいのですが、この桜も五分咲きでした。
ついでですが、これが水戸芸術館。NHKの天気予報のコーナーで良く見かけるモニュメント、磯崎新の設計です。


 1 弘道館(こうどうかん)戦争
 もともとが、桜田門外で井伊直弼(なおすけ)を襲ったのは、水戸藩の尊皇攘夷(じょうい)派(以下、尊攘派と表記)の浪士(ろうし)。後の徳川慶喜(よしのぶ)が、一橋慶喜として幼少の時代に弘道館で学んでいたことを思えば、さらに、京都は二条城で大政奉還を言い渡して後、慶喜がここに戻って暮らしたことを思えば、気分も変わる。



蟄居(ちっきょ)を命じられた慶喜、何を考えて暮らしたか。


 筑波山で挙兵(きょへい)した水戸藩の天狗党。どうやら水戸の天狗納豆はここに名前の由来がありそう。ってどうでもいいけど、尊攘派が立ち上げた天狗党は、政権側に制圧される。しかし、戊辰(ぼしん)戦争で逆転する。

こんなものが残っていたとは知らなかった。弘道館戦争と呼ばれるこの戦闘で、正門に残された銃弾の跡。
 それまでの倒幕派(とうばくは)は、これを機に「官軍(政府軍)」と呼ばれ、それまでの幕府側(政府軍)は「賊軍(ぞくぐん)」と呼ばれる。まさに「勝てば官軍」だった。ちなみに、この時の奥羽(おうう)列藩同盟の戦いを、
「賊軍とは何事だ」
「再評価すべきだ」と、議論が今も続いている。会津を中心にして、である。福島にいると、はっきり分かる。



 ☆後記☆
次号の京都篇で幕末/維新の流れをおさらいします。そもそもまったく無力だった朝廷がどうして力をもたげたのか、という点を考えます。もう新年号なのですが、タイトルが「師走」のまんまになっちゃいます。悪しからず。

 ☆回顧(かいこ)2018☆
この場で今年の、私的でちっちゃな回顧をやっときたいと思います。

雷門前の「浅草文化観光センター」は、8階展望台から見たスカイツリー。

「いいね!」なこと。
まだ寒い春先のことだったと思います。国道をバイクで走ってたら、左車線の車がみんな右側の車線に移動を始めました。突然です。みんな左前方のダンプを追い抜いて行くんです。さて、私もダンプを抜いてみると、そのダンプの前には、なんと電動の車椅子が走っていたんです! 隣の車線を車がびゅんびゅん走り抜いてきます。おじいちゃんが、もう必死を絵に描いたような顔でした。何かの加減で車道に入ってしまったのでしょうか。私には、ダンプが車椅子を煽(あお)るのでなく、後ろからの車をブロックしているようにしか見えませんでした。ダンプだけは、右の車線に出ようとせず、ゆっくりと走り続けるのです。ホントにゆっくりと、距離を取りながら。

これも同じく、展望台から見た仲見世です。
 ☆京都☆
では最後に。京都のショット。駅です。

コンコースでは巨大なクリスマスツリーが出迎えてくれました。

そして京都タワー。


 毎年、ストーブでチャーシューやシチューを煮込みます。でも、黒豆や昆布巻きを作ろうという気にはなりません。店頭で購入もするのですが、いつも母親の味をしのんでいる年の暮れです。読者の皆さんも、親を大切にしなさいよ。

 この冬一番の寒気が襲っているようです。では皆さん、よいお年を!

師走(上) 実戦教師塾通信六百三十一号

2018-12-21 11:30:50 | 福島からの報告
 師走(しわす)(上)
     ~新たな出発&出産~


 ☆初めに☆
車の動きも師走モードです。皆さん、運転に気をつけましょうね。
楢葉の渡部さんの母屋(おもや)は、いよいよ仕上げ。畳の部屋以外は大体出来上がってて、居間に上がれば床暖房!でした。お湯が床下を流れてるそうです。そして、床の間にはあのダルマさんが姿を見せました。

まだどちらの目も入ってませんが、片目はいつ頃入るのでしょうか。
 ☆☆
この日はなんと、牛の出産に立ち会うという幸運に恵まれました。

この子は牛ではなく、猫ちゃん。突然、渡部家に姿を現しました。実は、ずっと前から飼っていたらしいのですが、避難生活を送っている間、実家に預けられてたといいます。母屋完成を機に、戻ってきたのです。人懐(なつ)っこい猫ちゃんは、離れて写真を撮ろうと思うのですが、どうしてもこんな感じになってしまう。接近して甘えて来ては、ひざに乗ろうとするんです。

 ☆引っ越し☆
「ホントは三日前が予定日だったんだけどよ、遅れてんだ」
今日かもしれない、という渡部さんです。

お茶の間でゆっくり、引っ越しの話を奥さんとしていました。いつ頃終わるのかという私に、
「いつって? 考えてねえなあ。期限があるわけじゃないしね」
荷物は、離れに運んであるのです。それを母屋に移動するだけ。奥さんの言葉から、原発事故のあとの慌(あわ)ただしさと腹立たしさが感じられるのです。避難した方々は、避難所の時は学校の体育館にホテルにと、そしてその後は仮設住宅へと目まぐるしく動き続けました。いわきから会津、新潟、そしてまたいわきに戻るといった具合です。
しかし今は違う。「◇◇日までにお引き取りください」などということは言われない。
そんなことを話していると、牛舎から渡部さんが戻ってきました。
「どうも始まるみてえだ」

 ☆生まれた!☆
「破水したよ」

足が二本出ています。奥さんには「お湯を」と指示します。
そして奥さんも一緒に、二人がかりです。よいしょ、よいしょ!

気がつくと、猫ちゃんも来てました。猫の手も借りたいって、んなこと言ってると叱られます。

生まれました!

首がぶらぶらで、死んじゃったのかと思いました。渡部さんがお湯で拭(ふ)き藁(わら)をかけてあげると、やがて首を起こすんです。
そして、これが産声(うぶごえ)をあげた瞬間。ヤギのような「メエ~ッ!」という声。

それから母親に促(うなが)されて立とうとするまで、20分とかからない!

感動しました。あらかじめ決めてあったという「シワス」が名前。

そして牛舎には、次の日出発の二頭の子牛。

渡部牧場で生まれた牛としては、初めての子牛です。
「今日はお構い出来なかったな」
と、渡部さん。いやいや、とんでも御座いません。

たわわになった柚子(ゆず)が、冬至を迎えます。



 ☆後記☆
出荷のあと、すぐに肉になるわけではありません。今度は「肥育」の期間があるのです。肥育農家の仕事です。渡部さんは「繁殖農家」ということになります。再確認しますが、渡部さんは「酪農家」から「和牛(肉牛)農家」になったのです。
「肉になっちゃうんだよね」
「しょうがねえんだ!」
という会話を、渡部さん夫婦はたまにやってます。

     これは駅前通り方面に向かってのショット。いわきは師走の朝です。
 ☆☆
寝屋川事件、謎に包まれたまま判決が出てしまいました。
このままだと、勝手放題の子どもが変質者に遭遇(そうぐう)して被害にあった、という筋書きのまんまです。
いいのでしょうか。
 ☆☆
いくつか「子ども食堂」に顔を出している私です。クリスマス。サンタさんの真似事(まねごと)も、少しばかりやらしてもらってます。
これは前言ったクリスマスカードのもう一枚。60年前の温(ぬく)もりです。嬉しかった。本当に嬉しかった。

ケストナーの『飛ぶ教室』の一節。切ないマルティンの言葉をもう一度。
「僕たちは人間のできが悪いのか。まさか。じゃあ、いったいなぜだ。社会が不公正だからだ。そのためにたくさんのひとが苦しんでいる。こんな社会をなんとかしようと思っている、いい人もいる。でも、クリスマスイブはもうあさってだ。まにあいっこないよ」
今日は終業式です。明日からは冬休み。子どもたち、みんなお疲れさま!
素敵なクリスマスが来ますように。
MerryChristmas!

1968年(番外篇) 実戦教師塾通信六百三十号

2018-12-14 11:43:27 | 戦後/昭和
 1968年(番外篇)
     ~「フランス五月」~


 ☆初めに☆
「1968年」シリーズは、年明けに「下」を出す予定でした。でも今回、予告通り「番外篇」をお届けします。
バリケード、そして投石は50年前もありました。しかし「略奪(りゃくだつ)」という行為は、記憶にありません。歴史上「革命」と呼ばれる出来事で、略奪行為が称賛されたことはありません。それが「不当に奪われた」ものでない限り、「人のものを奪う」ことは非難されるのは当然です。
つまり逆に、人々の行為が「不当に奪われた」ものを取り返すものだったのかという検証を、私たちはやらないといけないということでもあるのです。
 ☆☆
「フランス五月」と言われるゆえんは、それがたったの一カ月の出来事だったからです。若者を中心とした反戦/改革の運動は、日本のように3~4年にわたって続いたのは、世界を見渡しても例がないといいます(ドイツのノルベルト・フライ)。
でも、1968年におけるフランスの一カ月間は、世界中がそうであったように、あらゆる可能性を秘めていました。
パリのソルボンヌ大学やシャンゼリゼ通りの落書きは、見事に詩的でラジカルだった。
        *写真の多くは『壁は語る』(1969年発行・竹内書店)によっています

 ☆デモ☆
この「五月」によって「ド・ゴールの追放」があったことは、最大の出来事と言っていい。
ナチスドイツによって占領されたフランスでの抵抗運動(レジスタンス)を、亡命先のイギリスから指示したド・ゴールは、文字通りフランス解放の英雄だった。その英雄がやり玉にあげられたのだ。


自由の敵に自由を許すな
ネクタイをつけての革命なんてくそ食らえ!



1968年に自由であること それは参加することだ


☆街頭闘争☆
そもそも学生たちの要求/目的は、こう言ってはなんだが、国を揺るがすようなものとは思えない、大学の「権威主義的構造」に対してだった。ところが大学は、いとも簡単に警官隊を導入したり大学をロックアウトしたりした。つまり「権威主義的」に対応した。この辺りは、日本とまったく事情を同じくしていた。

走れ! 同士よ 老人が君の後ろにいる


自由は与えられるのではない それは奪取(だっしゅ)されるのだ


貼り紙禁止を禁止する


 ☆占拠(せんきょ)☆
これはパリのオデオン座。政府閣僚との団交や、公開討論会もここで行われた。哲学者・ジャン・ポール・サルトルが参加したことは語り種(ぐさ)だ。そして、写真がみつからず残念だったのは、このサルトルがルノー工場のドラム缶の上に立って、労働者向けにアジテーション(演説)する姿である。「行動する哲学者」は、この時期健在だった。


想像力が権力を奪う
想像力の欠如(けつじょ) それは欠如を想像しないことだ



バリケードは通りを封鎖するが、道を拓(ひら)く


全世界の百万長者よ団結せよ 風向きが変わったぞ


何ものも求めない
何ものも要求しない
奪取するのだ
占拠するのだ



現在のパリだが、デモに対する支持率が半減した。一方で、マクロンへの要求や不満に対する支持率は、高止まりしている。これも50年前と同じ状況なのである。ド・ゴールはあの時、
「フランス万歳!」
と演説を締めくくり、大衆はそれを報道するテレビ画面に石を投げつけた。マクロンの演説は、謝罪ともとれるものだった。
今回のフランスでの出来事が、テロという絶望の行為に波及しなかったこと、そして「テロとして報道されなかったこと」を最大の思い入れを持って評したい。「これは暴力かそうでないか」という議論になる大衆運動を、私たちはずっと長い間見てなかった気がする。しかし眼前で拡がった行動に、そんな議論が白熱したのだ。



 ☆後記☆
いやあ寒い!ですね。「きっぱりと冬が来た」って高村光太郎ではないですが、そんな感じ。昨日、冬用の布団に変えました。
この時期に花を咲かせてくれるクジャクサボテンです。
子どもたちに素敵なクリスマスが来ますように。
MerryChristmas!


 ☆☆
そう言えば藤井君、最年少100勝だとか。なぜか、藤井君に元気をもらえます。素人(しろうと)でも分かる「ただ者ではない」佇(たたず)まいのせいですかね。また楽しみな来年です。おめでとう!

『発達障害』(下) 実戦教師塾通信六百二十九号

2018-12-07 11:31:49 | 子ども/学校
 『発達障害』(下)
     ~過剰反応・過剰診断~


 パリが燃えている
マクロン大統領が窮地に追い込まれるのだろうか。長年にわたる経済政策の失敗で、格差の拡大と若者の失業率がアップした。マクロンはその救世主として登場したはずなのだが、事態はとうとう「パリを真っ赤」にしている。
まさかの50年前の「フランス五月」が見える。

     50年前、フランスの機動隊員とガス銃。

 1 人気職業「看護士」
 前回の続き。精神科医・高岡健氏の興味深い話である。イギリスでの話なのだが、「発達障害」の方たちを相手にして、人気職業を調べるアンケートがあったそうだ。一位が「看護士」だったという。驚いた。高岡氏によれば、看護士は時間が来れば患者を訪れ、検温・点滴などを行い、様子を尋ね確認する。これは、「マニュアルをこなす」なら大丈夫!な人に歓迎されるという。
「笑顔が求められますが……」
という私の疑問に、
「マニュアル通りの笑いが出来ればいいと思うようですよ」
という高岡氏の答であった。
 私は「では、マニュアル通りではすまない仕事とはなんですか」と尋ねた。
「営業です」
高岡氏の答は簡単で明瞭だ。もちろん「筆頭が」という意味だ。それだけではない。

 前回予告した通り、今回は「発達障害」は増加したのか、というテーマ。高岡氏の答から言ってしまえば「増加した」が結論となる。社会変動の中で、求められる職業/人材、そして職業/人材の求められる業務が変化したからだ。たとえば、いわゆる「職人」層も、この社会変動の中で大量に市場に放出された。端的な例を知っている。黙々と木に向き合っていた大工さんが、住宅販売の営業に回される。しかしほどなく、精神科への通院を余儀なくされた、という例だ。当然の結果と思える。
 しかし一方で、気をつけないといけないことが起こっている。その場所から考えれば、「発達障害」の増加は疑ってかからないといけないのである。

 2 子どもという「獣(けだもの)」
 いじめのことから話を進めよう。
 いじめの発生件数が過去最多を記録した、というニュースをご存じと思う。教育界は大体のところ、この原因が、
「いじめの報告を奨励(しょうれい)したことがひとつ。それで、細かい事案でも報告するようになったからではないか」
と分析している。私もそう思う。つまり、時には「過剰反応」があるのだ。もともと先生という職種は、「子どもに問題を見つけないと、能力がないヤツと思う」性癖(せいへき)がある。しかし同時に、たとえば「消しゴムの紛失」に関して、これが「いつも」ではなく「たまたま」という場合は問題視しない。当然である。「見守るのが一番いい」段階があるのだ。
 私はよく「子どもは獣です」と言う。この言葉に一番ストレートに反応するのが、小学一年生を担当する先生たちだ。小さいほど子どもは獣状態である。相手への攻撃は無慈悲で容赦ない。しかし子どもの時、この獣状態をきちんと経験出来れば、優しさ/寛容/按配(あんばい)の分かる大人に育つ、と私は思っている。「獣状態」もまた必要なのだ。
 メディアはここのところを分かってない。大体が真面目な顔して「このままでいいのか」と強弁し、多分に「いじめは犯罪」で「摘発しないといけない」と考えている。しかし、悲惨な例と全般的状況を見分け、なおかつ「何からなすべきか」を見極めることなしには、子どもの現実に通じて行かない。

 3 過剰診断
 「発達障害の増加」はその状況と似ている。発達障害と考えられる児童/生徒は通常クラスに6,5%存在するという数字が、2012年の文科省の調査で報告された。現在、特別支援教育を受けている子が2,9%という数字も合わせれば、日本の児童/生徒の約一割が何らかの障害を抱えていることになる。果たしてこの数字がどの程度の信頼性があるのか、私たちは疑ってかからないといけない。
 この数字を支える要因のひとつが、
「『発達障害』ではないか、と診療を受ける親子が増えたこと」
である。この橋渡しをしているのが、ニュースであり公教育機関である。昨年度出された学習指導要領改訂に伴い、通常学級の「障害を持つ児童/生徒」の調査が始まっている(自治体や学校によって差はある)。私に言わせれば、こんなのは学校的善意に基づく「障害者の掘り起こし」だ。「個別の教育支援計画」なるテーマでアンケートが実施され、「必要と判断されれば」保護者に医者の診断を受けるように通知する時もある。これが「善意」のもとに行われる。以上は国の行政レベルから発生している話であるが、現場も社会も「発達障害」への認知とかんぐりは、かなり浸透している。以前も言ったが、お医者さんに診(み)てもらうといいのではないですか、ではなく、
「脳波を診てもらった方がいいです」
なるハレンチとも言える「忠告」はこんな状況下で生まれている。前回紹介した『心の病はこうしてつくられる』での高岡/石川両氏のつぶやきは、私たちをホッとさせるはずだ。
「……(子どもが精神科に来診することは)ちょうど小児科医で、これくらいの風邪なのに家で休んでないで、なぜ医者に来るのかというのと同じ感覚です。…略…ちょっと味方になってあげる人がいれば医者に行かなくていいはずの子どもたちまでが、医者に行かなくてはいけないところまで追い込まれている」
しかし一方、医者の方も「過剰診断」をするという状況が控えている。お二人が語ったように、そうしないと「患者」が納得しないという理由がひとつ。そして、実は「発達障害」なる概念があいまいで診断に決めてを欠いているという理由で、医者は「アスペルガーです(か)ね」などと言ってしまう。これらの理由で発達障害は「増大」して来た。
 高岡氏は、児童精神医療の原則を次のようにとらえる。

「……特徴をとらえることが、本人にとって多少とも役立つのであれば、それを広めに使ってもいいし、それが不利益を与えるような場合にはできるだけ狭く規定して使うというやり方をすべきです」

子どもたちに向かう時の態度として、私たちは吟味すべきだと思う。



 ☆後記☆
「フランスデモ」を若い人たちは知らないと思います。写真のように、両手をつないで道路一杯に拡がるデモのことです。「フランス五月」に生まれたデモ。

横断幕に50年前当時の労働組合「CGTユニオン」が見えます。
フランスには移民政策の長期にわたる失敗があります。そして根深い他民族蔑視(べっし)があるのです。最近の例では、「(イスラム系)スカーフ禁止」(東日本大震災の頃だと思います)などが思い起こされます。今回のことが、とりわけヨーロッパに巻き起こっている難民排斥(はいせき)の流れにのまれないことを願うばかりです。
次回ですが、<全共闘>の番外篇(「後編」を飛ばし)として、このフランス五月を書きたい思いでいます。
明日は、そのパリでまたデモが行われると言います。
そしてまた明日は、真珠湾攻撃の日であり、ジョンレノンの命日なんですねえ。
 ☆☆
ふと思い立って、60年前にいただいたクリスマスカードを引っ張りだしました。二枚残っているんです。その一枚。

今もぬくもりを放っている。父の後輩だったと記憶しています。同封されていたのは千円だったか二千円だったのか。これで子どもたちに何か買ってあげてください、とカードにしたためてあるのです。MerryChristmas!の字が、見れば今でもかすんでしまいます。
子どもたちに素敵なクリスマスが来ますことを。
MerryChristmas!