終戦
~「学校教育のせい」を考える~
☆初めに☆
今年も終戦特集が多く組まれました。日本だけではないかも知れないけれど、こうして毎年、戦争を振り返ることは大切なことだと思うようになりました。戦争の話を次第に耳を傾け、目を凝(こ)らすようになって来た気がします。歳を重ねるごとに、「戦争は絶対に嫌だ」と言っていた母親の言葉が鮮明になります。私はずっと、「厭戦(えんせん)なんて簡単に引っくり返されるんだ」、「積極的な反戦でなきゃダメなんだ」と言ってきました。母は聞く耳をもたないそんな私を相手に、空襲の経験をいつもするのでした。結局、母の「厭戦」が力強く今も残っている。
同時に、自分の中にあった違和感は、歳を重ねるごとに確かなものになってもいるのです。「軍部の独走」とともに、「教育が戦争に導いた責任は重い」というものです。今年も一体どれだけそういう記事を見たことでしょう。歴史のずぶの素人だからこそ、歴史に弄(ろう)されてはいけないと思うのです。
1 欧米の侵略
日本は国内諸国制圧の経験はあったが、諸外国からの本格的侵略を幕末で初めて経験する。欧州は、産業革命と精巧な羅針盤を武器に、アジアへのダイナミックな侵出をはかる。この図式は少なくとも1945年の終戦まで変わらない。欧州にとって第二次世界大戦とは、欧州・アフリカ地域の覇権をめぐる争いとアジアの分割だった。満洲から南方への日本の転進とは、まさしく欧米列強によるアジアの占領や屈辱外交への「反攻」を理由としていた。満州事変以降の中国東北部(満洲)への移民は、困窮農家の次男三男坊排出と、新たな資源・土地を求めた全く一方的なものだった。それに対し、南方への転進は正当な口実に見える。掘っても掘っても出なかった満洲の地下資源、とりわけ石油が出なかったことが南方への転進の理由だとは、絶対に言わなかった。
満洲とソ連の国境を「日ソ中立条約」(1941年4月)で安定させた三カ月後、日本軍はベトナム進駐を開始する。日中戦争から4年後だ。欧米による東南アジアの資源収奪を、日本は許さないというわけである。実は、それまで一定の静観をして来たアメリカが動き始めていた。今までも軍縮を迫るとか輸出を許可制にする等もあったが、1941年の8月、ついにアメリカは日本に対し鉄と石油を全面禁輸とする。これで日本は戦艦はおろか弾丸も作れない、作っても動かせないという状態になる(国内の「金属類回収令」は1943年)。実に真珠湾攻撃の4カ月前である。アメリカはとっくにフィリピンを手に入れており、近隣の港から中国へ湯水のように資源を運ぶという紛れもない侵略をしていた。
これらは欧米列強のアジアでの利権争いに、日本が参加したということ以外の何ものでもない。そこに「東洋の正義」を重ねたとしても、だ。一方、国民の明日への不安とおびえは日に日に大きくなり、制裁を次々と繰り出すアメリカへの憎しみが膨(ふく)らんだ。「バスに乗り遅れるな」に始まり、「空に神風、地に肉弾」に続く国民の声は、意図的なものだったとばかりは言えない。「軍部の独走」「教育が国民を戦争に導いた」とは、戦争を我がこととしてとらえる姿勢としては、はなはだ心もとない。ファシズムに走ったのはナチスのせいだ、というドイツの精算の仕方に似ていると、私は思っている。それで今、ネオ・ナチが力を得ていると思っている。
2 「学校」を形成するもの
この「学校教育のせい」に関して思い出したことがある。20年以上前のことだが、それを書いて閉じる。
教育雑誌の「普通の子どもが何故荒れるか」というテーマで、精神科医のなだいなだ、評論家の芹沢俊介、そして私の鼎談(ていだん)があった。今は故人となってしまったが、この時は十分に元気だったなだ氏は、TBS子ども電話相談室で楽しい回答をしており、著書も『くるいきちがい考』を始め分かりやすくもシャープなものを出していた。その何冊か読んでいた私としては、ソフトなスタートをしようとしていた。ところが、
「アンタらが、ピアス禁止だの制服だのと余計なことをする」
「学校が悪いんだ。さっさと規則を全部やめちまえ」
激しいスタートを切ってしまった。少し呆然とした私との間に芹沢氏が入って流れはいったん収まったが、結局この時のもつれは最後まで続いた。対して、ひとつに「一度ついた習慣というものが変わるのは、そう簡単なことではない」と、私は言ったように思っている。
80年代まで続いた体罰や坊主頭の容認は、学校が一方的に強行したものではない。そこまでしての「子育て」を、地域社会が求めたからだ。「お願いします」と「責任もちます」の下に流れていたのは、「甘えは許さない」という理念だった。ここに「どうしてそこまでしないといけないのか」という波が、徐々に寄せてくる。そこで「学校は一体何をやってるのか」という流れが、ひと通りでなくなる。半分は「(子どもに)甘過ぎる」で、残りが「厳しすぎる」もので作られる。そのせめぎ合いを決定づけてきたものは、多くの場合、それまであった「習慣」だ。そしてこれが大事なのだが、その習慣を支えてきた「子どものために」という、実にいい加減な理念である。それで今も、体操シャツをパンツ(ズボン)に入れさせるような「指導」を、一生懸命&熱心にやる教師/学校が後をたたない。新しいところでは、男子生徒が日傘をさすのはいいか、みたいなことについて熱く議論するのである。
繰り返すが、「学校は一体何をやってるのか」という問いかけは、ひと通りではない。教師にとっても生徒にとっても部活をブラックだと告発し続けてきた人たちは、このコロナ騒ぎの中で各種大会が無くなる辛さを訴えていた中高生にどう応えたら良かったのか、考えないといけない。
☆後記☆
先週土曜日の子ども食堂は「焼きそば」でした。好評でした。会食は無理だったのですが、調理室で作ったものを配りました。コロナ対策で、建物すべての窓と扉が開け放たれた中、焼きそばのいい匂いがセンター内に充満しました。母親と子どもの四人連れが、わざわざ再びやって来て、
「とても美味しかったです。どうしたらあんなに美味しくできるんだろう、家で作るのとは全然違う!」
と言いに来てくれたのに、私たちスタッフ一同感激しました。
☆☆
ホンダはF1に続きインディ500、佐藤琢磨やりましたね! 二度目の表彰台のセンター。「これでもうやり残したことはない」などと少しばかり気がかりなこと言ってますが、43歳からのF1復帰とか無理なのかな。
夏休み、少し遠慮がちに栃木へ。これは那須ロープウェイ。
茶臼岳です。
いつもひしめく行列で入ることが出来なかった『Penny Lane』。この日初めて入れました。二階のバルコニーから四人が迎えてくれました。