実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

「抱え込まない」わけには行かない 実戦教師塾通信七百四十一号

2021-01-29 11:31:27 | 子ども/学校

「抱え込まない」わけには行かない

~「子どもの扱い」あるいは「子ども扱い」~

 

 ☆初めに☆

コロナのお陰でマスクの下となった見えない顔、むやみに接近してはいけない、家庭内会話の飛沫警戒、そんな中でGIGAスクール構想が語られています。顔が見えなくとも、離れていても、話さなくともいい社会がこれからの未来だって、つまりこれで東京集中の、会社人間の、会議偏重等々が変わるというんです。これ間違ってませんか。

学校に関しては、ひとつに不登校の子どもたちにも道が開けるという。その通りでしょう。でも、その道を開くのは「現場」の人間であり、その子の「息づかい」を分かる人たちです。微妙で、そして肝心なものがそこにはあります。前回に続く記事は、いくつかの現場からの相談ですが、事例の特定を避けるため、新聞記事を使いながら書きます。

 

 1 「いい悪いは小さいうちに」?

 暮れの新聞(12月29日・朝日)に、早期退職を考える小学校教員の五段抜きレポートがあった。定年まであと四年の先生なのである。これが三十代だったら自主退職もいいのだ。しかし五十代後半の方だ、おそらく記事にあるひどいことばかりではなく、楽しい時期もあったはずだが、読ませる側としては、それを書いちゃアピールなしってことなんだろう。記事には、この方もうつによる病休を四回とったとあるが、精神疾患で休職する教員は毎年五千人を越える。ストレスの高い職業ランキングとして、教員はいつも上位にランクされる。

 原因は何だろう。社会変動や多忙と様々なのだが、その根本は「子ども=未熟な人間」を相手にしていることだ。「子どもだからと言って許されるのか」とか「人間として許されない」なる物言いが安易に流通している昨今だが、子どもというものに対して、「ダメです」と言ってうまく行った試しはない。経験したことを振り返り身につけることを、私たちは「学習」とか「習熟」と呼んでいる。子どもは経験することでしか先に行けない。あっと言う間に博物館入りした「歩行器」で、それは証明されている、とは以前にも言った。「はいはい」も「つかまり立ち」も無駄なものではなかった。

 先生は「いい悪いは小さいうちに教えることが大切」と考えて対処しがちである。特に小学校の先生にこの傾向が強い。これが壁になっている。「(結果が)こうなるから止めなさい」と言っても子どもはやめられない。「子ども」だからだ。地味で大変なこと(何度も言って来たことで恐縮)だが、その都度子どもと向き合って、「どうしてこうなったんだろう」と一緒に考えていくしかない。そうすることで、実はその子が嫌がらせする相手のことを好きだったとか、家庭の事情が浮かび上がったりする。それは「ならんことはならん」的あり方からは絶対に見えて来ない世界だ。「謝らせた」というような「ちっとも聞いてくれない」対処は、子どもからは反感を買うばかりだ。「仲直りさせた」ような「子ども扱い」に至っては、子どもをなめてるとしか言いようがない。ちなみに、この記事中の先生も「いい悪いは小さいうちに」と考えていたのだろう。その後、特別支援のクラスを担任したからだ。「普通(学級)の子どもが信じられなくなった」からだと思える。申し訳ないが、この手の先生は数多い。

 

 2 「学級王国」

 「うまく行かない」時は「大変」だが、「大変」なことと「うまく行かない」ことは同じではない。不登校の子どもを抱えれば「大変」&「うまく行かない」と考えがちだが、その子との間で信頼関係を築けていれば、そして学校は子どもが「来るべきところだ」と思い、休む責任は自分にあるなどと思わなければ何でもない。いわゆる発達障害の子どもに関しても同じだ。親や周囲の無理解で「病者」となりかねない現状だが、少し前までこの子たちは、単に「手のかかる子」だった。この子たちは大人や周囲の助けで育った。というより、この子が育つ過程で大人を親にし、友情を育てた。本人や親が「病気と知って安心しました!」というなら話は別だが、医者の診断は、要するに「手がかかりますよ」、あるいは「たぐいまれな才能をお持ちです」という判定にすぎない。

 偉そうに言ってる感じなので、自分の「大変」&「うまく行かなかった」ことを言っておこう。新聞記事中にあった学級崩壊だが、そうなりそうな時もあった。いじめはもちろん受け持ったどのクラスにもあったし、ピアスや土足の教え子もいた。それでどうしたか、記事の先生は「自分を責めた」とあって、それがよくないような書き方だ。しかし、子どもへの無理解、あるいは迎合(げいごう)とも言える、無原則な「理解」をするような「自分」は責め(検証し)ないといけない。これを怠れば、「大変」&「うまく行かない」は、らせん状にエスカレートし子どもは自分を見放すからだ。

 そんな時、ひとりで「抱え込まないで」とは良く言う。しかし殆どの教師に、それは無理な注文である。今は死語となった「学級王国」だが、教師(これも小学校に顕著だが)にとって、自分のクラスは入り口であり最後の砦(とりで)と考えている。オレたちゃ世界一、それが「学級王国」を目指す教師のあり方だった。この言葉が死語となった今でも、教師は「こんなクラスにしたい」という思いを持ち続けている。それが、この仕事のモチベーションだからだ。だから、悩みを打ち明けるという行為は、その教師の挫折に近い選択であることに、相談されたものは注意を払わないといけない。「あなたは間違ってます」「私が代わりにやりましょう」なんぞという答を返してくる相手は、リーダーでも何でもない。そんな奴は、さっさと相談相手として見切りをつけた方がいい。

 とにかくに、「抱え込まない」ことは難しいのだ。こんな中、ハイテク&GIGAみたいなところに大変なエネルギーを費やす状況が待っている。いまGIGAスクールでは、タブレット端末の使い方と称して「あれも出来るこれも出来る」とあおっている。これが程なく「先進校」「先進例」として、メディアを通して喧伝(けんでん)される。追い付き追い越せが、また始まる。

 そっちの対策こそどうにかしてくれよ。

 

 ☆後記☆

いやあ、マツジュンだのなんだのって、いい度胸だとしか言いようがないですね。スクープねらいの連中がたくさんいるってことくらい分かってたはずなのに。それにしても、国会の野党追求に「どのような処分をお考えですか」というのが全く出ないって、なぜなんでしょう。返り血を浴びる心配でもあるのでしょうかね。

いや寒い。厳冬の手賀沼です。

 ☆☆

そんなことはどうでもいいや。マー君、帰ってくるんですね! いやあ、春が待ち遠しい。満員とまで言わなくても、楽天のスタンドの観客とマウンド。あの感動がまた見れる。嬉しいですね。

寒い中、それでも春をみつけました。菜の花です。


働き方 実戦教師塾通信七百四十号

2021-01-22 11:48:02 | 子ども/学校

働き方

 ~瀬戸際の現場~

 

 ☆初めに☆

「子ども/学校」カテゴリーの記事が最近少ないと、お叱りを受けています。緊急を要するものでなかったことや、取り上げるべき案件ではあっても、取り上げるのを躊躇するものだったりしたことの結果です。

でも、暮れや年明けに受けた相談をここで取り上げようと思います。看過(かんか)できない動きがあることもお知らせします。久しぶりに三回続けます。一回目は「看過できない」件です。

 

 1 濁流とも言える流れ

 我が子が帰ってくるなり部屋にこもってしまった、何があったのかと思って学校に電話すると、教育委員会の相談窓口につながれた。と、これは実際あった話ではない。しかし、ここ最近寄せられた現場からの多くの声を総合すると、近い将来、本当の話になりそうな様子である。現役の保護者なら知っているが、学校に五時以降電話しても、多くは「留守電」になっている。回線が二つ以上ある学校は、ひとつだけの回線は通じるようになっていたり、留守電に「出来るような状況ではない」学校は通じる。しかし基本は、五時以降の学校連絡は「遠慮(自粛)して欲しい」という現状である。学校の仕事には際限がないし、いくら話しても際限のない保護者もいるからだ。

 では、担任と生徒(保護者)とのストレートなやり取りは出来ているか。限定的、という現状である。家庭の固定電話は大丈夫だが、携帯でのやり取りには困難な状況も出てきている。「深入りのし過ぎ」から発生する、教員の不祥事や教員の負担増があるからだ。生徒や保護者から相談を受けた場合、管理職に報告するのは当然として、SNSによるやり取りは、その都度の許可/報告が必要になって来ている。担任とのSNSによるやり取りは、多くが登録制だ。一方、保護者から「先生だからお話します」と言われることも少なくないのが学校だ。それを簡単に管理職に報告出来るものではない。また、報告しても「我々の仕事ではないよ」と言われるような事例も時には、いや、良くある。今も少ない真面目で熱心な教師(「昔はたくさんいた」ような事実はない)は、こんな状況の下で、自分が「責任を負う必要のない領域」まで踏み込み、お互いの信頼を崩さず、頑張っている。しかし、大きな流れは別な方向へと進んでいる。

 

 2 ミスマッチ

 行政や当局がなっとらん、ということを強調したいのではない。ご存じかも知れないが、緊急時に必要な学級連絡網が今は作られない。保護者が知られたがらないから、我が家の情報が外部へ流れるのを嫌がるからだ。通常、学校からの連絡は「スクールメール」なるものでされている。個人情報の厳守が、かくも拡がり強く言われる社会は、自分の平穏な生活が、ご近所や行政と関わることで乱されたら困るという、人々の意識が生んだ。お隣さん同士の「お世話になります」が、地域住民の「大きなお世話」へと変わった。ここで「あんまり近づいてくれるな」という親の流れと、学校の「触らぬ神に祟(たた)りなし」「忙しいので」というミスマッチがされる。このひな型は、家庭訪問廃止の時に作られていた。今は全国の殆どの学校で、家庭訪問が廃止された。当時、その理由は「授業時数の確保」という名目であったが、本気でそう思っていた現場はあるまい。

 見しらぬ他人が家に上がり込むのを嫌がる保護者は、昔からいた。前の担任のおかげでひどい目に遭ったとか、学校を信用していないという「嫌がる」理由を持つ親もいた。しかし、それはそれで、逆に家庭訪問という「イベント」のあるお陰でが分かることでもあった。今の多くの親は仕事を抱えている。昔もそうなのだが、違うのは「仕事をなんだと思っているのか」と思う親が激増したことだ。私生活と仕事を大事(第一!)にしたいと思う親がいる一方、「大人相手」に「何を言われるか」という不安を抱え、「自分は話すのが苦手」という教員が、徐々にこのイベントに対する抗議の声を大きくしていた。保護者と教員の意識が、ここでミスマッチを行う。家庭訪問廃止に、積極的理由はなかったのだ。

 

 3 働き方

 家庭訪問をすれば、私たちは、足の踏み場がないような家や、テレビが大音響のアパートの部屋で話をする経験を積む。逆に、粗末なあばら家を支えるようにピアノがたたずんでいる等も経験する。私たちはその都度、あの子はこういう家から学校に来ていたのかという感慨を抱いた。自分が子どもだった時のことで言えば、兄の時も自分の時も、先生はみな家の小さな庭かげから姿を現した。長屋の玄関がほぼ崩れ落ちていたからだ。たったひとり、兄の中学二年の時の担任が、その玄関から声をかけた。その先生の名前を今も覚えているし、母親が「こんな先生は初めてだね」と言ったことも覚えている。いずれにせよ、家庭訪問でかいま見るドラマにはあなどれないものがある。

 児童相談所の職員が、何度家庭訪問をしても子どもと面会できない困難を訴え警察に相談する案件が、今も毎日のようにニュースになっている。そこまでするのは、大変な事態になった時に責任を問われるからだろうか。そうではない。「そこまでする」現場があるのだ。「そこまでしなくても」と言われても、「しないといけないと思う」現場の人間が、そこにいるのだ。元はといえば、その現場が「深入りしないで欲しい」と思っていた家庭でもあったはずだ。それが「助けて」と悲鳴を上げるのは珍しいことではない。引いたままの腰を、教員がその時持ち上げなければ事態は深刻化する。

「五時以降の連絡は御遠慮ください」

だと? 私にはこの声の陰に、教育委員会お抱えの法律家や、無原則に働き方を変えようという議員の影を見るのだ。

 

 ☆後記☆

大相撲、いよいよですね。気の毒なのは貴景勝です。外人横綱を追い出して日本人横綱を担ぎ上げたい連中の、余計な思惑が圧になってないことを祈るばかりです。

隆の勝、今日でキメてくれますように。照ノ富士もあと三日間、応援してますヨ。

家から歩いて五分ほど、こんな近くで立派に富士山が見えます。

これはお馴染み、和食処『和さび』お昼限定販売のお弁当。こんなにギッシリ! 昨日いただきました。


現実と真実 実戦教師塾通信七百三十九号

2021-01-15 11:22:35 | ニュースの読み方

現実と真実

 ~捏造(ねつぞう)という時代の中で~

 

 ☆初めに☆

「私たちには他者を冒涜(ぼうとく)する権利がある」と言ってはばからなかったフランスのマクロン大統領が、「ワシントンで起きたこと(議事堂占拠)は『アメリカ』ではない」と非難しました。国民を蔑(さげす)むかのようなコロナ下でのマクロンのアナウンスは、以前からフランスが好みでなかった私には、結構な決定打でした。それで今回のトランプ批判です。「冒涜」も立派な「暴力」なのですが、私にはちっともしっくり来ませんでした。それにしても私たちの「もしかしたら(起きる)」が現実となって、私たちは「まさか」と思ったはずです。

民主主義の崩壊とか、アメリカの野蛮というのはたやすいのです。しかしアメリカでの出来事は、私たちの足元でくすぶっている現実であることも間違いありません。トランプをめぐる出来事の検証は、私たちの「いま」を考える上で大切です。複数の読者からの催促もありまして、反芻(はんすう)は不十分ではありますが、取り急ぎ書きます。

トランプの選挙に関する資料は、主に新聞・雑誌(『WiLL』)・ネットを使いました。

 

 1 「フェイク」の地盤

 トランプは、支持層をたった1%の富裕層を頼みにしてはいなかった。トランプを支持するラストベルトの労働者はもちろん、宗教保守派と言われる「福音派」も富を条件としていない。キューバからの移民に至っては、マイノリティである。トランプのMake America Great Again!というシンプルなメッセージは支持者を拡げ、内政/外交で強力なディール(取り引き)を行った。批判に対しては、相手を「フェイク(うそつき)」と言い、自分の言っていることが「真実」と言う。選挙結果をめぐって、この流れは頂点となった。

*少し気になるので触れておくが、大接戦となった前回の大統領選挙のロシア介入疑惑について、今回の選挙を「不正」と訴える層はもちろん、当時のクリントンを推していた層からも声が出されないことだ。ヒラリークリントン自身が、2017年の著書『What Happened』で、当時追求しなかったことを反省している。

州ごとでバラバラなアメリカの選挙制度や、郵便の不正確な配送の実態を知って私たちは驚いたが、それに対して「不正」だとは思わなかった。今までアメリカがそれでやって来たからだ。今回特殊だったのは、コロナによる「郵便投票促進」である。トランプがみっともなかったのは、これらの実態の殆ど(全てではないが)に「選挙が終わってから」抗議したことだった。しかし、オバマ大統領よりも票を集めたトランプの支持者たちは、敗北を認めなかった。選挙結果を「フェイク」とすることは、今までの経過から見れば当然の帰結だった。選挙が正当であると報道したメディアも、「不正選挙」の訴訟を次々と取り下げる裁判所も、みんな「フェイク」に加担している、ということになった。

 

 2 「生」の豊かさ

 「選挙不正」を訴える日本の論者も多い。私はその主張の「正当性」を知りたかったので、真面目にその論拠を探したのだが結果は思わしくなかった。多くが、「同じ投票用紙を繰り返し数えているのを『見た』という」「締め切り以降(にもかかわらず)……投票用紙に消印を押したと『話すのを聞いた』」という、伝言ゲームもどきの証言をバックにしていた。「証言台で宣言してるからウソではない」に至っては、唖然とさえした。彼らの主張でそれなりに聞けたものと言えば、せいぜい抑制(よくせい)が効いているものだった。

「私や妻が関係していたというなら……首相も国会議員もやめる」

忘れもしない日本の前首相の発言は、贈収賄(ぞうしゅうわい)に関する答弁である。公文書改竄(かいざん)がこの時点から始まるのは周知の事実であるが、それも前首相からの「指示は一切ない」のである。真実とは別な場所で現実が作られる。関東大震災の時に朝鮮人が虐殺されたことを、朝日新聞が「朝鮮人が殺害された『とされる』(事件)」という書き方をしたのは、この頃だったはずだ。「歴史」というものが「中立&正確」に見直されないといけないという流れが、勢いを増した頃だ。関東大震災の事件に関して言えば、「朝鮮人が襲撃してくる」等と、特に関東圏の広報や回覧板の多くが住民に警戒を呼びかけたものが残っている、というのに。

 コロナ騒動の中では、「世の中を正すため、罰を与えないといけない」という正義警察が出た。また、コロナに悩む人を思って、事実無根の「友人が自殺」なる「思いやり」投稿も出回った。天上界でも下界でも、真実とは別な場所で現実が作られる。すそ野には、生の現実を圧倒する、スマホ画面を通して伝わるリアルがある。しかし恐らく少しずつではあるが、私たちはこの画面が、においも風も、撮っている人の表情も伝えていないことに気づき始めている。生の現実はもっと豊かに現場に息づいている。ドラマ『朝顔』の前々回だったか、インターンの医学生が、解剖室に安置されていた犯人(だと信じる)の遺体の写真をネットに投稿する。朝顔は、学生の「善意」を丁寧に検証するのだ。

「あなたは何をしたかったの?」

ここからしか始まらない。

 

 ☆後記☆

どうでもいいですけど、山口智子さん、つまんない男に関わってないで、早く戻ってきて。

 ☆☆

やっとこさ、コロナの感染症類型のグレードが変わりそうな気配ですね。「新型インフルエンザ対応でいいんだけどなあ」というお医者さんの声もだいぶ聞かれるようになって。春よ来い、です。

 

子ども食堂、明日となりましたが、一部予定変更します。

調理室を使わないことになって、スーパーのお弁当「いなり・海苔巻きセット」を配ります。良かったらお出でくださいね。


冬・宇都宮 実戦教師塾通信七百三十八号

2021-01-08 11:46:01 | 戦後/昭和

冬・宇都宮

 

 

 ☆初めに☆

コロナの勢いが止まりません。前回の記事で、コロナを「いかんともし難い」と書いたことで、オマエも結局コロナを甘く見たではないかという批判をいただきました。私は変わらず、感染のグレードを下げることが無理なら、自宅療養を含めた柔軟な現場対応をするしかない、と言ってきました。念のため。

関係ないこともないゾ。来週土曜の子ども食堂「うさぎとカメ」は、予定通り実施します。今年もよろしくお願いします。お近くと言わず、皆さんよろしかったらどうぞ。

それよりコロナそっちのけのアメリカに注目しないわけには行きません。トランプが間違ってるなんていうことはどうでもいいのです。私たちが今問われていることが、最もわかりやすくシリアスに出ているのがアメリカです。なるべく早くこのことについて書きたいと思っています。

 

 1 オレたちは何をやってるんだ

 何年ぶりだろうか。宇都宮まで足を運んだ。年明け間もない二荒山神社は、例年になく人出は少ないんだと思う。でも参拝する人たちは途切れなく、鳥居口の馬場通りには屋台通りが出来ていた。

この日の最低気温は-5度だったというが、私たちが学生だった当時は-10度という日も良くあった。カップを洗面台に置いたままで歯磨きをすると凍りついて取れなかったことや、洗った髪が凍っていたことなどを思い出す。でもこの日の宇都宮は、当時の寒さを感じるには十分なものだった。

 50年前の1月4日、宇都宮大学に機動隊が導入された。この日を私たちは、ゲバ棒も火炎ビンもないという方針で迎えた。隊列を組んでの愚直な体当たりだった。封鎖した校舎のバリケードは簡単に解除され、「東鉄工業」(はっきり覚えている)の大量のクレーンやトラクターなどが、あっと言う間に校舎を解体し更地にした。半日とかからなかった気がする。雪の中でひたすら機動隊に体当たりを続ける私たちの仲間がひとり、またひとりと逮捕されていなくなる中、一体オレたちは何をやってるんだという思いがひしひしと強くなったのを覚えている。

「なにもないよ、あそこには」

それを確かめるために、私はこの日やって来た。

左側です。当時私たちが封鎖した校舎のあとには、国際学科?の校舎が建っています。

 

2 「なにもないよ、あそこには」(黒井千次『五月巡歴』)

 以前書いたが、メーデー事件は朝鮮戦争勃発後に起きている。この闘争は言うまでもなく共産党主導のものだが、この二年前に自衛隊の前身である警察予備隊が出来ている。それらに反対する労働組合や学生(大学・高校)にも大きな影響を与え、参加・共闘を促した。警官隊は実弾を使用し、デモ隊は角材や竹槍を奮った(大阪の吹田や名古屋の大須では火炎ビンが投げられたが、この闘争では使用されなかったらしい)。人々は皇居前広場を「人民広場」といい、広場は火と血で溢れる。「血のメーデー事件」と呼ばれた。小説『五月巡歴』において、メーデー事件は主人公が高校の時に起こり、彼も高校生部隊として参加している。物語はその時から20年後の1972年が舞台となっている。主人公が高校生の頃、作者の黒井は19歳である。戦後の激動を作者も生きた、ということだけははっきり言える。ちなみにこの本の発行は1977年、黒井が45歳の時のものだ。

 主人公の館野杉人は、結婚し二人の子どもをもうけている。メーデー事件からすっかり遠ざかっていた彼が、事件で被告となった仲間の網島睦夫から「二審の証人として裁判に出て欲しい」という思いがけない連絡を受ける。事件から背を向け全く違った人生を選んだと思っていた杉人は、ある種の喜びを感じながらこの連絡を聞いた。しかし、メーデー事件の被告として20年を生きた網島と、皇居前の道路を隔てた民間会社で上司や仲間とやりくりを重ねた杉人との間には、目のくらむような距離があった。その一方で、いつしか杉人には当時のこと、いや当時からあとの時間を全部手にしたいと思うような気持ちが育つ。新入社員が自分と同じ高校出身と知り、しかも彼女がメーデー事件の年に生まれたと知った杉人は、たかぶる気持ちを抑えられない。

 白いブラウスで警官隊から皇居前広場/人民広場を逃げまどった同級生との無残な再会、家族を顧みず若い女との愛欲にまみれる日々、網島の言葉はそれらを総括するかのようだ。

「僕等被告の立場から見れば、なにか(みんなの)迷い方や悩み方が文学的なんだよ」

網島の言葉はきっとその通りなのだ。しかし杉人の胸をついた。裁判から話を変えるために、杉人は久しぶりに皇居前広場に行ったことを話そうとするが、網島は畳み返すように言う。

「なにもないよ、あそこには」

 

大学正門を入ってすぐのフランス式庭園。50年前の闘争発端のひとつ、大谷石造りの旧図書館が右手奥に見える。

今はイルミネーションにかたどられている、宇都宮オリオン通り裏手の小さな川。手前の橋から向こうの橋が青く見える。50年前の冬、失恋と闘争の痛手で連日しけこんだのは、オリオン通りの喫茶店だった。

「そんな暗いところで本読んでると、目悪くするよ」

言ってくれたお姉さんの店は、今はイベント広場となっている。

 私の「悩み方」は、変わらず恥ずかしいくらい「文学的」だ。

 

 ☆後記☆

ずい分前の本なのですが、読んだのはつい最近です。新聞紙上の書評に載ったのが、去年の夏?だったからです。いつでも黒井千次は、先を読むことをためらわせます。何をやってるんだという読者の思いは、実は自分自身に向けた言葉であることを知って、今回も居たたまれませんでした。

通りすがりですが、柏の布施弁天です。結構な人でしたが、例年だと手前階段にも行列するのでしょう。

白鵬休場! 残念。隆の勝、そして照ノ富士を楽しみにします。


2021年 実戦教師塾通信七百三十七号

2021-01-01 11:24:32 | 子ども/学校

2021年

 ~黄昏(たそがれ)の景色~

 

 ☆黄昏に向かって☆

例年通り、新年号は暮れのことを書きます。前号でお知らせした通り、色々な人たちが岡山の牡蠣を取りに来ます。この機会しか会わない、年に一度の人さえいます。たとえばそれは、再会した端(はな)からご近所の悪口を言い、最後までくくる友人。読書家で仲のよかった職場の同僚だったのです。それが遠い過去のことかと年ごとに思いを強くしています。また、中学時代からのつながりではあるけれど、本当のお付き合いは大学闘争の時から、という友人。もの書きとして、かつて売れっ子だった彼は、今年悪性リンパ腫で余命半年と言い渡されるも、ステージ2まで這い上がる。これで生き延びられると安堵する友人に、いつまで生きるつもりなのかと考える年になったね、と言う私がいます。こんな物言いを誰に対してもするようになったと思うこの頃です。こっちは頑張ってるんだからサという友人に、私は発言を撤回しない。温泉がいいらしいよという私に、血の巡りが良くなればる病気は悪化すると友人が返してきます。身体の流れを滞(とどこお)らせることも「治療」と呼ぶのか、今度言葉を失うのは私の方でした。

きっと、ご近所もリンパ腫もコロナも、いかんともし難い場所です。「意地」なんかではない「覚悟」か「底力」は、きっと私たちの側から出すものです。そんなものをこの一年、見せてやりましょう、そう思います。

浅草の「尾張屋」行きませんでした。これは千葉県我孫子「巴屋」の天ざる。あれ?珍しくご主人、茹(ゆ)でが過ぎたかな。

 

 ☆黄昏るのでなく☆

宮城のおじいちゃんは、102歳まで生きたそうです。牡蠣を頬張りながら話す彼女は、今年も大変な年でした。上の子が大きくなったので大丈夫と、この日の晩御飯を子どもに用意して来た彼女は、私のところで御飯を食べて行きました。油性ペンキのお陰で、すっかり荒れてしまった手の彼女は、車も持ち家もない生活を始めています。おじいちゃんの家に行くと、話は必ず戦争の話だった、満洲の南京や特攻隊を見送る話、それが2011年を境におじいちゃんのする話は、東日本大震災の話になった。海が火の海になった気仙沼が、彼女の実家です。大変な生活を相手にしている彼女が淡々と話す姿は、たくましいオーラを放っていました。

子育てに悩んでいるのは、別な母親です。悩んだあげく、子どもを昔の相方に預けたという。今のままでは変わらないヨと、子どもに言い聞かせて、である。「変わる見通しがあったんだね、子どもは納得したんだね」、私は次々と問いただしてしまいます。私にも彼女が「どうにかなるような見通しなどなかった、そんな余裕などなかった」ことは分かっています。でもこの母親は、この質問に耐えられる、そう思って私は言うのです。つい話し込んで、危うく牡蠣を渡しそこなうところでした。

この日も巴屋。カレー南蛮を食べました。この日はいつも通り、腰があってなめらかなのど越しの麺。これが巴屋です。ご主人の「ありがとうございました!」が、いつも通り店内に響いています。

 

 ☆黄昏の向こうへ☆

「このエリアの保護者はね」と、校長先生が言うのは殆どグチでした。クレーム発信というより怒りの放出で、祖父母まで直接言ってくる中には「アンタね」で始まるものも多いという。私も感じていることだが、それを今の教員はそのまま吸収してしまう。「どうしよう」が「どうしようもない」に変わるのは、あっと言う間です。身動きのとれない中にいれば、動きやすい安易な方向をみんな求めるようになります。こういう職場は仲が悪いのです。職員と保護者に丁寧に向き合うしかないですね、私の言葉に感謝する校長先生の3学期が、いい景色となりますように。

昨年11月、修学旅行の代替で、福島の被災地まで生徒を連れて行ったという、これは別な校長先生。語り部の話を聞き記録映像を見たのは、久ノ浜でした。津波の映像を初めて見る生徒も多かったといいます。中3の生徒は、震災の時4歳か5歳、ニュースを見てなかったのです。10年がたつとはそういうことなんですね。太った年配のおばちゃんが語り部だったといいます。仮設住宅でいっぱい話したおばちゃんに違いありません。元気かな。

 

 ☆大晦日☆

この日、「うさぎとカメ」に寄付が届きました。エールフランス勤務の彼は今年、ご多分にもれずとんでもない目に会いました。なんとか生き延びましたの文を添えて、今どきなんと現金書留!で送ってくれたのです。いつかこちらまで食べに来てください、と返事を送りました。

それと今年は、教え子からお年玉(これは私向け)がもらえそうな気配です。ありがたい年の暮れと年の始まりです。

大晦日、冬枯れの大津川。向こうに見えるのは国道16号線。

最後の締めというか、年の初めにふさわしくって感じで、例の水木しげるの「幸福の七カ条」から。

「しないではいられないことをし続けなさい」

「怠け者になりなさい」(これはあくまで勤勉で真面目な人に向けた言葉です)

皆さん、今年も多くの励ましとご批判、お寄せください。よろしくお願いします。

大晦日の大銀杏。柏・法林寺です。