実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

その<場所> 実戦教師塾通信五百九十七号

2018-04-27 11:26:33 | 福島からの報告
その<場所>
     ~忘れてはいけない~


 ☆初めに☆
大川小学校の控訴審判決が出ました。「勝訴」でした。
「大川小 津波防災に過失」(朝日新聞)
という見出しからうかがえるのは、震災に対する行政のマニュアル不備という結論です。しかし、
「……児童生徒の行動を拘束(こうそく)する以上、教師は安全を確保するため、学校設置者から提供される情報も、批判的に検討することが求められる場合もある。」(判決文より)
ともあるのです。この事件当初から声を上げてきた吉岡弁護士が「画期的(かっきてき)判決」と呼ぶのは、この点にもある。遺族の方々がずっと「知りたい!」としていた「空白の50分間」に踏み込んでいると思えます。
「早く逃げれば助かっていたという訴えを、裁判所が認めてくれた」
とは、昨年講演いただいた佐藤和隆さんの言葉です。ニュースは「行政がマニュアル強化を」とアナウンスしますが、それではまずい。学校の教師があの時なにが出来たのか、これからも私たちは考え続けねばなりません。

 ☆桜散る☆
やっぱり福島でも桜は終わってました。今年は暖かかったのですね。

        でも楢葉では菜の花が満開でした。
「琴寄さん、半袖だよ~!」
と、こたつに入ったまま、渡部さんのおばあちゃんは、冬支度(じたく)のかっこうで叫びました。
半袖一枚で充分の、あったかな春の日なのです。

 1 神童(しんどう)
 皆さん、あの国税庁長官佐川宣寿(のぶひさ)の出身、知ってました? 渡部さんからの思いもかけない、
「いわきなんだよな」
に、びっくり仰天(ぎょうてん)。いわき! その昔いわきは「平(たいら)」と呼んでいた。佐川先生、渡部さんたちと同期だそうです。
 その頃の話だと、県下でも五本の指を数える天才だったそうで、「神童」、つまり神の子、そう呼ばれていたそうです。中学校の後、東京の九段高校に進学していたことが、噂(うわさ)で伝わってきたという。すごいですねえ。

 ついでに、地元の新聞やテレビでニュースになっていた面白い話。
「センター試験中 控室で飲酒」
の見出しは『福島民友』(4月21日)。大学入試センター試験会場の教員向け控室で、試験時間中に飲酒した高校の男性教諭(57)が、減給の処分を受けたというものです。以下は記事からの抜粋(ばっすい)。
「……昼ごろに引率教諭らが待機するための控室を私的に訪問。……(夕方までの間)……室内にあった日本酒8合(約1,4ℓ)を『珍しい酒だ』と飲みきって深酔い状態になり、試験対応を担当する同僚の教員に大声で詰め寄ったり胸ぐらをつかむなどしたという。……『慢心と酒に自堕落(じだらく)な性格が原因』と話し、反省しているという」
これ読む限りでは、いわゆる「でしゃばって」会場に行った教師です。きっと、表沙汰(おもてざた)にしないといけないくらい暴れたんですねえ。
 こっちは「神童」ならぬ「悪童」です。

 2 忘れてはいけない
 離れの家の畑。玉ねぎが元気よく伸びてます。これってネギではないの? といぶかる私です。もっと伸びて、地面に倒れるくらいの時が収穫時なんだそうで、

「梅雨の晴れ間かな」
渡部さんが言います。
 子牛たちはだいぶ大きくなってました。お昼寝タイムだったみたい。

こちらは、大人の牛たち。私たちが小屋に近づいて行くと、みんな外に出てきてくれました。見ての通り、渡部牧場も若葉の季節です。


 母屋(おもや)に移動しました。この日は屋根に瓦を葺(ふ)いているところでした。これがもう、平屋(ひらや)というには、見上げるような屋根なんです。


中の柱も見事な幾何学(きかがく)模様なんでね。

「もうこれは、お屋敷ですねえ」
私は思わず口にします。
 こう書いたことで、あらぬことを考える読者がいると困るので、補足いたします。

「あいつら、一億もらったってよ」
こう口汚(くちぎたな)く話す人が、いわきにはたくさんいました。
 何度か触れた賠償のことですが、今回は数字で簡単におさらいします。2012年3月に政府から出された賠償の目安です。
◇避難指示準備区域  月10万円
◇居住制限区域    240万円(2年分)
◇帰還困難区域    600万円(5年分)
大体の人は「600万円だと!?」と驚き立腹(りっぷく)なのでした。実はどの区域も「月10万円」という支給額。一括払(いっかつばらい)か分割かという違いなのですが、それが目に入らない。
 この4カ月あとに、家屋/家財/生活費も含んだ賠償基準が、東電から発表されます。この時の最高額が6000万円近い数字でした。もちろんそれは「帰還困難区域」(双葉町大熊町)です。しかも、家族は五人で、家屋は200平方mという条件で。でもこれが、
「一億もらったってよ」
の、口汚さになるのです。自分たちは一銭ももらってない(正確には違う)、でも、いわきに避難してきた連中はみんな「一億もらってる」となる。
 あとは前も書きましたがもう一度。いわき中央台に暮らすおばちゃんのとなりの分譲(ぶんじょう)住宅に、双葉地区の家族が引っ越してきた。おばちゃんは、
「あの人たちはお金があるからね」
そう言っていたが、近所づきあいをする仲となった。その家の人から、いろいろなグチを聞かされるようになった。そしてある日、その家はまた引っ越しをしてしまう。
「なんか住みづらいんだとよ」
おばちゃんが教えてくれた。おばちゃんはもう、
「あの人たちはお金があるからね」
とは言わなかった。

 3 筍/たらの芽
 写真で撮っとけばよかった。お昼をご馳走になりました。たらの芽とメヒカリの天ぷらが絶品でした。小名浜にもメヒカリが上がるようになったこの頃。でも地元の店に出るほどは捕れないらしく、この日のメヒカリは地元産ではないという。でもとにかく、ホクホクする。食べたことのある人なら分かる。そして、畑の道でとれたという「タラメ(たらの芽)」。
 いつも黙って食べる渡部さんですが、
「何も言わないで食べてると、料理(を作る方)は上達しないんだよ」
と、ひと言入れる奥さんでした。一方私は、こたつの布団に冷し中華のどんぶりをひっくり返し、お騒がせなのです。
 開け放たれた窓から、風が渡っていきます。



 ☆後記☆
楢葉町の教育委員会を訪れました。震災前は「南小学校」だったのですが、今は委員会と「まなび館」が併設(へいせつ)されています。詳細(しょうさい)の報告は後日にいたします。

 ☆ ☆
事件から10年。館山いじめの第三者委員会は三年目に入りました。少し不安を感じるこの頃の展開なんです。先日の記者会見の様子です。

さて、この事件のシンポジウムを、同じく千葉県の柏で行います。期日は6月23日(土)。案内ビラを次回掲載します。皆さん、ぜひおいでください。
 ☆ ☆
最後も春らしく。東京檜原村から立派な筍が届きました! ありがとうございます!

柏場所  実戦教師塾通信五百九十六号

2018-04-20 11:29:12 | 子ども/学校
柏場所
     ~隆の勝一家~


 ☆ぶつかり稽古(げいこ)☆
あいにくの冷たい雨。柏体育館前に急ごしらえされた屋台は、あったかいそばやラーメンが売れていました。

二階ギャラリーに空席はあったのですが、体育館のフロアはほぼ満席。すでに土俵上ではぶつかり稽古が始まっていました。

稽古の様子はニュースなどでよく見る、部屋でのものと同じです。しかし、すべての部屋が集まる巡業は、大人数です。土俵下に控えている、逸の城や妙義龍の姿が見えます。
この稽古、壁のように回りを固める力士たちの前で、相対した二人がぶつかる。受け手が出されれば、その間にみんなが「やめやめ」と割ってはいる、あの稽古です。

これは栃の心のぶつかり稽古の様子です。みて分かる通り、力士たちの人垣(ひとがき)がかなり手薄になっている。観客にサービスしているわけではありません。未熟なものは、力ずくだったり力があまったりと、怪我(けが)のリスクが大きい。それが理由です(私の見解ですが、間違ってないはずです)。
ぶつかる方と受ける方では、
「ぶつかる方が大変ですねえ」
隆の勝の答です。

 ☆遠藤/稀勢の里
ぶつかり稽古の途中で、会場で大きな拍手。なんだと思ったら、花道を稀勢の里が入場して来るのでした。やっぱり人気があるんですねえ。

土俵上でそんきょしているのが、高安。左側の土俵下にいるのが、手前から稀勢の里、その左側が栃の心。さらにその奥で付き人の胸を借りているのは、鶴竜です。まさに巡業の稽古だからこそみられる風景です。

 ☆土俵入☆
幕内力士の土俵入。赤ちゃんを託されたのは3人だったかな。嘉風が抱いてる赤ちゃんは、化粧回しまでしています。向こうにいるのは、多分栃の心が抱いてる赤ちゃん。でも、もう限界って感じ。

横綱の土俵入で初めて顔を見せた白鵬ですが、うまく撮れなかった。これは鶴竜の土俵入です。

子ども相手のお相撲は、御嶽海に隆の勝、そして石浦と遠藤でした。ふだんめったに笑顔を見せない遠藤ですが、この日はよく笑っていた。


 ☆隆の勝一家☆
この日、隆の勝一家に会えたのです。お正月イベントのレポートで触れましたが、お兄ちゃんと妹(隆の勝からみてお姉ちゃん)とは縁がありまして、この日は「10年ぶり!」の、そして驚きの再会は、雨の降る体育館入口でした。
「先生が退職の時、学校まで会いに行って以来です」
そういうお兄ちゃんは、中学時代、膝から下二本の骨折も、高校時代のバイク転倒による骨折も「仕方がない」顔をするやつでした。自分がダメな奴だという「男は黙って」のお兄ちゃんは、
「よく覚えてますね」
とはにかむのです。
「べんさん(私の昔のあだ名)、今でもバイク乗ってんの?」
今はもう小さいバイクなんだよ、と答える私に、
「でも、きっと大きく見える。(べんさん)痩せてるから」
という妹に、優しいよなこいつはと、改めて思う。自分の心の置き場をずっと見つけられないで、あんなに暴れてた中学校時代。今も豪快に笑い飛ばす一方、細かい気づかいを見せるのです。面白い。

お兄ちゃんが、隆の勝の仕度(したく)部屋に入る手続きをしてくれました。ちょうど土俵入&取組前の大銀杏(おおいちょう)を結(ゆ)っているところでした。床山さんも後ろで写ってます。右が私で左側が妹(先の通り、隆の勝から見てお姉ちゃん)です。


 ☆薬師寺!☆
隆の勝の後援会は、柏と大阪にあるという。だから化粧回しも二枚あると言います。「大阪はお寺さんらしいです」とうろ覚えのお兄ちゃんですが、これがお母さんに聞けば、
「薬師寺? 奈良の」
もしかして世界遺産の? 私は慌(あわ)てふためきました。なにが大阪だよ兄貴ぃ! 重要文化財よりも国宝がはるかに上であること、世界遺産はそのまた上にある、というようなことを、私は興奮してまくし立ててしまいました。
間違いなかった。奈良に何度も行ったと言う隆の勝は、お寺の様子を教えてくれる。
「オマエはどんな寺か分かってるね?」
そう確かめずにはいられない私でした。

仕事で来れなかったお父さんと、まだいる三人の兄弟が写っていませんが、全員勢ぞろい。床山さんに撮ってもらいました。私は後ろでと主張したのですが、お母さんは先生が前にと言ってくれて、お言葉に甘えました。
妹は隆の勝の身体をおもちゃにするし、お母さんはおっきな整体院の経営者、みんな隆の勝の身体に触るので、私も隆の勝の身体に遠慮なく触ってきました。柔らかい。
「これも脂肪じゃないんでしょ?」
お腹に触って聞く私に、隆の勝は笑ってうなずきます。

取組が始まります。みんな仕度部屋を出る。でも、一家は帰るという。
「取組見ないの?」
私は驚きます。みんなにこにこ笑って、
「別にいいかな」「話できたし」
とあっさり。
家族や兄弟やと、あったかいものをたくさん見せてもらいました。



 ☆後記☆
本来なら「隆の勝関」と語りかけるところを、みんな家族の会話なので、私もつい「オマエ」が多くなってしまいました。真ん中にズシンと座っているのは、24時間相撲部屋の大変な生活をしている力士なのに、紛(まぎ)れもない「弟」なんですねえ。不思議な景色なんです。


 ☆ ☆
「オオタニさ~ん」の三連勝なりませんでした。でもこれからですよ。
本人は一番分かってるでしょうが「挽回(ばんかい)しよう」と思わないことですねえ。

 今日から福島行って来ます。いつもならまだ桜が咲いてます。でも今年は無理かも知れませんね。

「したい」と「出来る」 実戦教師塾通信五百九十五号

2018-04-13 11:33:48 | 子ども/学校
「したい」と「出来る」
     ~「もと居た場所」と「浮いた場所」~


 1 「もと居た場所」
 「オオタニさ~ん」の勢いが止まらない。張本以外はもう脱帽というか、気持ちのいいコメント、オンパレードだ。

打つ/投げる二刀流の大谷が、ホームランを打ってなんぼの大リーグ野球を変えようとしているという。
 以前イチローもそう言われた。イチローは、
「平凡なゴロ」を打っても、
「絶対捕(と)れない」打球が飛んでも、
観客の「まだ分からない」気持ちを止めることがない。野球の面白さを、イチローは改めて知らせた。

 野球は、たとえば「抑(おさ)えの」「(指名)打者の」「代走の」スペシャリスト、という「進化」をして来た。大谷も、指名打者としては「守らなくてもいい」が「投げる」のである。それは、もともと野球が持っていた面白さだ。
 「野球を好きなんだ」というイチロー。格安の契約でもいいから「メジャーでプレイしたかった」イチロー。そんなイチローは変わっていなかった。難産だった今年の契約のことだ。
「メジャーでプレイを続けることが、揺らいだことはない」
帰国のラブコールが激しかったことは、私たちの記憶に新しい。だから、この「揺らぎのなさ」を聞かされたことは大きかった。とりわけイチローにとって、帰国は「凱旋(がいせん)」ではない。日本に帰って来ないと分かってがっかりしたのは、イチローのファンではない。こんなに野球を一途(いちず)に愛する日本人が「太平洋の向こうに」いることを、私たちは再確認出来た。
 一方イチローは、
「まだまだやれるんだ」
と、もう言わない。イチメーターも動きが緩慢だ。しかし、
「自分のプレイを見たい人たちがいることに感謝している」
と言う。これはまるで、
「オマエはなにをしたかったんだ」
と、私たちにも「もと居た場所」を問いかけているかのようだ。イチローは野球を「したい」、そして「好き」なのだ。
 また、低い給料でも「二刀流での約束があれば」とこだわった大谷。破竹(はちく)の興奮は、これもアメリカ全土と太平洋を越えて押し寄せて来る。
 しかし必ず「風は止(や)む」。その時、ファンは「気まぐれ」な姿を見せる。大谷もそんな時、野球が「好きでしょうがない」姿を見せて欲しいと思う。それで私たちの「もと居た場所」を見るように思うからだ。

 2 「浮いた場所」
 千葉県鎌ヶ谷は、私の住む柏の隣である。そこに日本ハムの練習場がある。ご存じと思うが、困ったことが起こっている。清宮とハイタッチ出来なかった若者が、
「オレたちとはしねえのかよ」
と騒ぎだし、警察が出動する事態となった。

解散後もこの連中は選手寮前で選手たちを待ち伏せし、サインをおねだりして書いてもらうも、その色紙を投げて遊ぶという不埒(ふらち)を続けた。ひところ世間を賑(にぎ)わせた「荒れる成人式」を思い起こさせる。じゃあキミたちは何しに来たの?と聞きたくなる、奇妙な出来事なのだ。
 この連中のモチベーションはおそらく、卑屈な感情の底に淀(よど)んでいる「ひがみ」と思って間違いない。
「相手にされたい」「遊んで欲しい」
のである。つまりこのストーカーのような屈折は、「退屈」という屈折である(このあたりは拙著『学校をゲームする子どもたち』参照)。また同時に、この困った連中は、
「『したい』ことと『出来る』ことを混同する」
のである。そして、この「したい/出来る」の混同を分からないままに「出来る」方向に進む。
◇簡単に実現できる
◇簡単に手に入る
と思うのである。こんな行動パターンを、世間では「駄々をこねる」と言っている。
 さて、何でも可能だと思えた傲慢(ごうまん)な、バブルという時期を日本は過ごした。それははじけた。この事態を、島田洋七が『佐賀のがばいばあちゃん』で、
「もとに戻っただけだ」
と書いたけれど、この潔(いさぎよ)さをその後、私たちは持てていない気がする。私たちの「浮わついた感じ」が、抵抗しがたくあるからだ。社会はまだまだ不況だというのに、このやな感じは続いている。スマホがこの「全能感」に拍車をかけているのは間違いない。
 さて、日本ハムにまとわりつく困った連中はどうしよう。
 人というものを知らない「ボタンでタッチが生活」の現代の若者(に限らないが)は、むしろ、この騒動の中から初めて、人や大人や生活者やという道に入りかけている。大人はそれに付き合うしかない。ルール化する方向ではなく「大人らしく」上手に、だ。しかし、こいつらの「したい」道は、さらにさらにその先だ。



 ☆後記☆
張本ホントにダメですねえ。この人、開幕前は大谷を絶望視してたんですから。それで引っ込みがつかないのかも、ですがねぇ。大沢親分のような「抑え」のきく人が間にいないと、もうサンデーモーニング見ないゾですよ。
 ☆ ☆
ゴールデンウィークに、なんかイチロー対大谷の対決があるらしいですね。その頃のシアトル行きのチケットがバカ売れだそうで、ニュースでやってましたね。いいニュースです。

     我が家の八重です。かわいいです。

 昨日、久しぶりに柏の小学校を訪れました。子どもら、かわいいですねえ。

イラク日報  実戦教師塾通信五百九十四号

2018-04-06 11:12:21 | ニュースの読み方
 イラク日報
     ~「現場」はどうなっていた?~


 ☆初めに☆
あちこちで文書だメールだと、実に目まぐるしいですね。そんな中、なんとあの加計学園の獣医学部、スタートしていたのですね。入学式のニュース、ささやかな扱いで驚いてます。
ちゃんと工事は進んでたんですね。皆さんは知ってましたか。
今回はこのモリカケ問題もからみますが、再び浮上した自衛隊の日報問題に触れたいと思います。

 1 「純ちゃん」の道
 「反省の出来る政治家」小泉純一郎は、イラク戦争に加担したことに関し、まだ沈黙している。当時を思い出すことが、今は必要と思える。
 「自民党をぶっ壊す!」純ちゃんへの圧倒的な支持をバックに、小泉首相の自衛隊派遣の思いは並の迫力ではなかった。首相がイラクへの自衛隊派遣を表明する一カ月前(2003年11月)、イラクで日本人の外交官が二人殺害されている。誰が見ても現地の治安は悪化していた。
「安全な場所に行くので、戦争に行くのではない」
首相の掲(かか)げる自衛隊派遣の趣旨は、大きく揺らいたはずだった。しかし、外交官殺害ひと月後の会見上で、

「治安が悪いからといって、人的支援をしなくていいか」
「非戦闘地域がいつ戦闘地域に変わるかは分かりません」
「(万が一の)可能性を言われればきりがありません」

と、首相は堂々と答えている。世界のどこにでも行くつもりだ、とでも言いそうな迫力に、改めて背筋が凍りつくようだ。
 当ブログでも取り上げた「日本人人質事件」だが、NPOでイラクを支援していた高遠さん達の誘拐(ゆうかい)を、今も健在の言語「自己責任」呼ばわりをした。そして、なんと帰国のためにチャーターした飛行機の費用を「払いなさい」と申しつけた。「邦人保護/救出」立場の人たちから「請求書」が出てきたのだ。多分、人質の今井さんの親族だったかな「自衛隊をイラクから撤退させてください」と、ゲリラ側の要求を受け入れるよう言ったことが気に入らなかったのだろうと、私は思っている。
 この当時の日本政府の態度と、帰国した高遠さんたちを「非国民」のプラカードで出迎えたトンマな連中の映像は、世界中を驚かせた。

 2 「正当防衛」
 自衛隊派遣は、イラク戦争の時と他の国の時とでは、武装という観点から大きく違っていた。

  C-130H型輸送機
イラクの空に溶けて目立たないように、と水色にしたイラク仕様の輸送機が、アメリカの兵隊や武器まで運んだことを覚えていることと思う。
「兵站(へいたん)輸送は、軍事行動にあたらない」
という無茶苦茶な政府答弁も、記憶に鮮やかだ。

この写真は、重装備の装甲車であるが、この他に軽装甲車もあり、銃砲は自動小銃はもちろん、対戦車砲や無反動砲もあった。
 これらがすべて初めて尽くしだったこと、それがイラクへの自衛隊派遣なのだった。それまで行われていた東ティモールやルアンダ、カンボジアやモザンビークでのPKO活動では、輸送機/装甲車など問題外で、派遣された自衛隊が所持していたのは、唯一「拳銃/ピストル」だけだった。自動小銃さえ携行(けいこう)していなかった。
 一方、イラクに運ばれた武器/装備は、すべて「正当防衛」をするために必要なのだ、という首相の考えだった。戦争行為が、すべて「正当防衛」を口実に始まったことを、私たちは知っている。少し前の日本で言えば、満州事変/上海事件/ノモンハン事件、すべて「相手の攻撃があったから」なのである。
 イラク戦争のあの時、日本は戦争めがけてまっしぐらに進んでいた。

 3 何かが起こっている
 字数がずいぶんかさんでしまった。以下要点のみ。
 特定秘密保護法審議の時、なにが秘密かという質問に、
「それも秘密です」
という政府の答弁だったことを私たちは覚えている。
 さて、モリカケ問題はともかくも、南スーダンの自衛隊日報、これはもう秘密のレベルで言えばトップクラスのはず。特定秘密保護法の条文にも、

◇.防衛に関し収集した電波情報、画像情報その他の重要な情報
◇.上に掲げる情報の収集整理又はその能力
                (いずれも第一条から)

と明記されている通り、日報が公開の対象ではないと逃げきることも可能だった。しかし事態はそう進まなかった。それに対し、野党はもちろん与党の一部も、
「文民統制(シビリアンコントロール)がなってない」
という、もうマニュアル通りの追求をする。今回のイラク陸自の日報にしてもしかり。1万4000頁である。
 何かが起こっている。
「あれは戦闘ではなく、武力衝突です」
なる、もう中学生の辞書引き違いの言い訳で逃げようとした防衛大臣。南スーダンの日報にある「戦闘状態」の詳細(しょうさい)な記録は、いまだ確認されていない。
 防衛をつかさどる役所(防衛省)と自衛隊幕僚、そして現地/現場、この三者の間のどこかでズレが生じないとこんなことは起こらない。
「ここ(南スーダン)のどこが安全なのだ」
という隊員の声が聞こえること自体、不思議だった。こんな時にシビリアンコントロールの不在を指摘することは、
「統制できなかった(大臣の)責任追求」
が透(す)けて見えるだけだ。
「現地で一体なにが起こっていたのか」
「現地がどういう状態だったのか」
こそが重要だ。むしろそれらが明らかになるチャンスと言っていい。

 付け足し程度で申し訳ないが、森友問題の予想外の展開は、財務省の本局と地方のミスタッグがなければ起こらない。財務省版の「シビリアンコントロール不在」と言おうか。そしてそこに、財務相には想定外の「筋金入り利権屋」の理事長が介在しないと、この展開はなかった。
 
 これらは、どこかで「誠実/正義」の働いた結果なのだろうか、それとも覇権(はけん)/権力争いの結果なのだろうか。



 ☆後記☆
人質となった高遠奈穂子さん、今もイラクで支援活動を継続しているそうです。また、
「あの時、仮に自衛隊員が救出に駆けつけたら、私たちは殺されていました」
と言い、集団的自衛権に反対しているといいます。
すごい人ですね。


     柏高田地区の遊歩道に出向きました。
 ☆ ☆
いやあ、大谷選手、どうなってるんですか、どうなるんですか。すごいですね~ 地元での初ホームラン、皆さんもそうでしょうが、何度も何度も見ましたよ。しかも、監督の「風(のせい)だよ」というコメントを、その通りだと思ったというあのクールさは、参りますねえ。
あと、例のサイレントトリートメントってやつ、学校の「いじめ」現場を見たような気分になった先生、多いんじゃないかなあ。エンゼルスはまさに「からかっただけ」なんですがね。
まあいいや話を戻して。大谷って、イチローともマー君とも対決出来るってことですもんね~ いやあ目が離せない。

     我が家の椿、今年は見事でした。

 学校、始まりましたね。みんな楽しくやろうね~