さらなる精進(しょうじん)
~白鵬ありがとう~
1 日刊ゲンダイ
千秋楽の夜、いても立ってもいられずNHKの意見・広報窓口に電話した。大相撲と白鵬のファンとしてである。千秋楽のこの日、私は表彰式の途中から横綱の顔が固いように思えた。相撲放送が終わってネットを検索してみて驚いた。「非行のデパート」なるバッシングの矛先(ほこさき)が白鵬なのだ。笑みの絶えた原因はこれかと思った。「引退しようかと思った」なる言葉も、このことなんだと思えた。日刊ゲンダイのこの記事は、6日目の遠藤戦のことを取り上げたのだろう、「張り差し」と「かち上げ」が中心だった。そしてさらに、懸賞金の受け取り方や様々な所作(しょさ)まであげてこき下ろしているのだ。
遠藤戦に関しては、横綱自身反省し、
「こういうこともある」
と言っている。まあ、これを反省と言えるのかと思う向きもあるだろう。しかしここには「あってはいけないことだ」という思いがある。また、
「遠藤に対する歓声が大きくて熱くなった」
とは横綱自身の発言だ。この正直なところが横綱の類(たぐい)まれなところと言っていい。横綱は「未(いま)だ木鶏たりえず」をみずから認めている。
号外まで出してスポーツマスコミはいいと思っているのか、と言わんばかりのこの記事に、私は驚くばかりだった。やっぱりいるものなんだ、こういう輩(やから)が。私は、この夜のNHKのインタビュアーがデーモン閣下だということを思い出した。閣下は、話を面白くするため、また横綱をさらに鍛(きた)え上げるためと、理由はいろいろなのだろうが、何かと横綱を挑発するような言い方をしてきた。しかし、今夜に限ってはどうなのだろう。
以上のことを電話口で話した。
「(デーモン閣下に)いつもの調子でやられたら、横綱はつらいだろうし、寂しいんじゃないでしょうか」
窓口のスタッフが打つキーボードの音が、せわしく響いていた。
うかつにも私は、「今日の日刊ゲンダイの記事」と伝えたが、その千秋楽の記事は『続報』で、前座は19日、つまり本場所の九日目だということをあとで知った。つまり横綱は、その月曜から千秋楽までの7日間の相撲をとり続けたのだ。
十三日目の稀勢の里戦、取り直しの一番。行司の三十五代木村庄之助なんですが、顔がすっかり緩(ゆる)んでて、う~ん、これは少しばかりまずいかな。
この稀勢の里戦での物言いを、白鵬が「子どもでも分かる勝敗だった」と、翌日の記者会見で批判したことが、審判部の「決起」を促(うなが)すまでの騒ぎとなっている。このブログ発行のころにはどうなっているのだろう。この「本音」は、確かにうかつだった気がする。千秋楽のインタビューでは、
「もう一番とってやろうという気持ちだった」
と言っていた。そして、取り直し一番の仕切りの塩の時の爽(さわ)やかな顔からは、そんなことはまったくうかがえない。
「引退」発言といい、異例づくめの横綱である。雑音への挑発なのか、いやこの場合は挑発に乗ったということになる。それともこの審判部への批判は、私たちなどには知り得ない疲労があったからなのだろうか。
これは2010年11月16日の、対稀勢の里戦で破れた白鵬を知らせる新聞である。連勝が63でストップしたこの時、多くの観衆が「万歳」をするのは、私たちも記憶するところだ。地元九州の観客は、永久の数字と言える双葉山の「69」が守られたことを祝った。横綱は当時、このことを受けいれたのである。そのくらいの器量が、横綱にはあると思っている。いや、その器をも覆(おお)い尽くすことが続いていたのだろうか。「外人でも頑張っているんだ」というこぼし方も気になった。それにつけても、この「非行のデパート」なる記事のあとに、横綱はまず逸の城戦を戦い、その後大関/横綱戦をすべて圧倒したのである。私は横綱の胸の内を思うばかりだ。
NHKの窓口スタッフは、ていねいな対応だった。私はこの夜のインタビューを見てホッとし、お礼のあいさつを入れた。
2 汚(きたな)い手
前も言ったが、日刊ゲンダイが非難している「張り差し」は、大鵬も良く使った。分かりやすく言えば、これは「フェイント」である。ボクシングで言えば、フックでもなんでもいいが、顔を打つと見せかけ、相手のガード(手)が上がったところでボディ(お腹)を打つ手と似ている。白鵬が相手の頬を軽くはたくと、固めていた相手の脇が一瞬甘くなる。そこで相手のまわしを取るのである。大鵬の「張り差し」の洗礼を受けたことのある北の富士だったか、
「軽くぱちっと入るんだけど、効(き)くんですよねえ」
と言っていたのを覚えている。
実はこういうことを含めて、大鵬は「負けない相撲」と言われ続けた。私たちの時代も横綱の勝ち方が話題になった。ひたすら前に出ていく豪快な柏戸の取り口を讃(たた)える人も多かった。白鵬の周辺でもそんな喧騒(けんそう)が絶えないのだろう。遠藤戦で乱暴とも思えるかち上げをしたのも、張り差しというには力の入った張り手をしたのも、豪快にきめてやるという気持ちだったのかも知れない。本当はどっちでもいい。「剛」も「柔」も、どっちもいいのだ。しかし、柏戸で言えば、豪快な相撲につきものの「ケガ」に泣かされた。ケガがまったくないとほめられる白鵬は、大鵬に似て、これから「負けない相撲」などと揶揄(やゆ)されるに違いない。そして「後の先(せん)」を目指す白鵬に、今度は「省エネ相撲」などとチャチャが入るのは間違いない。まったく違うというのに、残念だ。
3 後の先
「相手に相撲を取らせてから攻(せ)めているように見えますね」
と、今場所の白鵬の取り口をアナウンサーが言っていた。本人も言うように、「後の先」が始まったのだ。まだ身についていないため、無駄な動きもある。こなれていないため、横に変化しているようにも見えるが、目指しているのは「後の先」である。
このことは、また来場所話題にする積もりなので、軽く触れるが、武道関係者は武蔵に「三つの先」があることを常識としている。
一 「懸(けん)の先」
二 「待(たい)の先」
三 「対対の先」
である。白鵬の、そして双葉山の「後の先」は、武蔵の二番目の「待の先」に近いと思われる。私の意訳だが、一部を書き抜くと、
「敵がかかってきた時、いきなり身体を引いて飛び掛かるとみせかけ、そこで見えた相手の隙(すき)を撃つ」(『五輪書』)
である。なんとも無味乾燥/実用一点な教えだと思う読者も多いのではないだろうか。『五輪書』が歴代の武道家に、そんな評価を受ける所以(ゆえん)である。しかし、ここに来るまでのくだりを抜きにしては、ことを誤る。
武蔵は手や指のわずかな「間(ま)」(分かりやすく「長さ」と言って差し支えない)や、刀を振る「速さ」が勝負を決するとは言わない。
「(敵の)刀の刃、棟(むね)の道を弁(わきま)え」(同上)
ることが肝心だと言うのである。これも前書いたが、日本合気道の祖・植芝盛平が満州で銃撃にあった時、弾筋(たますじ)が見えれば避けることになんの雑作(ぞうさ)もない、と言っていたことと同じだと言ったら分かりやすいだろうか。これは「省エネ」でも「ずるがしこい」ことでもない。「流れ」「自然」の中に身を置くことだ。
白鵬はこれからますます「体力の限界」だの「逃げた」だのと言われ続けるだろう。また、この連中が「横綱にないものをねだっていく」ことは見えている。そんな五月蠅(うるさい)周囲に対して、横綱が早まって欲しくないと思うのは私だけではあるまい。
こんな意地の悪い世の中で、この横綱は、弱音と言うより本音と思える言葉を何度も口にした。それは「大変な時は口に出せるものなら出していいんだよ」と、みんなに教えているようだった。そんなことが本当に多かった。いやな思いをしている子どもたちや大人たちが、今までどれだけ勇気をもらっただろうか。
白鵬ありがとう!
ゆっくり休んで。どうか早まらずに。
またの精進を楽しみにしています。
26日の新聞・住友林業の広告
☆☆
赤瀬川源平のお兄さんの赤瀬川隼さんが亡くなりました。学校で授業をしてくれないかと言ったら、知り合って間もないというのに、快く引き受けてくれたことを思い出します。15年前のことです。当時の教科書に隼さんの『一塁手の生還』が載っていたのです。
当日、私たちはずいぶん待たされたのですが、教室に遅れて入って来た隼さんは、駅の反対側に出てタクシーに乗っちゃってと、疲れた顔で笑ったものです。生徒の質問に、そういう考え方もあるんだなとうなずき、サインに応じ、給食を一緒に食べ、と色々な思い出が蘇(よみがえ)りました。83歳でした。
☆☆
「自己責任」の連中、まだ生きてたみたいですね。こいつらは、
「強姦されるのは強姦される方に原因がある」
って言い方を自分たちがしてるって、分かってません。
☆☆
このブログ始めて二回目かな。あとからの付け足し。
一段目の終わりに「お礼のあいさつを入れた」と書いたんですが、ここを誤解される方がいらっしゃったようなので念のために……これって「私が意見を言ったことでインタビュー内容が変わったから」なんて思うわけがないです。意見を言ったあとの礼儀と思ったから。当たり前ですよね。
~白鵬ありがとう~
1 日刊ゲンダイ
千秋楽の夜、いても立ってもいられずNHKの意見・広報窓口に電話した。大相撲と白鵬のファンとしてである。千秋楽のこの日、私は表彰式の途中から横綱の顔が固いように思えた。相撲放送が終わってネットを検索してみて驚いた。「非行のデパート」なるバッシングの矛先(ほこさき)が白鵬なのだ。笑みの絶えた原因はこれかと思った。「引退しようかと思った」なる言葉も、このことなんだと思えた。日刊ゲンダイのこの記事は、6日目の遠藤戦のことを取り上げたのだろう、「張り差し」と「かち上げ」が中心だった。そしてさらに、懸賞金の受け取り方や様々な所作(しょさ)まであげてこき下ろしているのだ。
遠藤戦に関しては、横綱自身反省し、
「こういうこともある」
と言っている。まあ、これを反省と言えるのかと思う向きもあるだろう。しかしここには「あってはいけないことだ」という思いがある。また、
「遠藤に対する歓声が大きくて熱くなった」
とは横綱自身の発言だ。この正直なところが横綱の類(たぐい)まれなところと言っていい。横綱は「未(いま)だ木鶏たりえず」をみずから認めている。
号外まで出してスポーツマスコミはいいと思っているのか、と言わんばかりのこの記事に、私は驚くばかりだった。やっぱりいるものなんだ、こういう輩(やから)が。私は、この夜のNHKのインタビュアーがデーモン閣下だということを思い出した。閣下は、話を面白くするため、また横綱をさらに鍛(きた)え上げるためと、理由はいろいろなのだろうが、何かと横綱を挑発するような言い方をしてきた。しかし、今夜に限ってはどうなのだろう。
以上のことを電話口で話した。
「(デーモン閣下に)いつもの調子でやられたら、横綱はつらいだろうし、寂しいんじゃないでしょうか」
窓口のスタッフが打つキーボードの音が、せわしく響いていた。
うかつにも私は、「今日の日刊ゲンダイの記事」と伝えたが、その千秋楽の記事は『続報』で、前座は19日、つまり本場所の九日目だということをあとで知った。つまり横綱は、その月曜から千秋楽までの7日間の相撲をとり続けたのだ。
十三日目の稀勢の里戦、取り直しの一番。行司の三十五代木村庄之助なんですが、顔がすっかり緩(ゆる)んでて、う~ん、これは少しばかりまずいかな。
この稀勢の里戦での物言いを、白鵬が「子どもでも分かる勝敗だった」と、翌日の記者会見で批判したことが、審判部の「決起」を促(うなが)すまでの騒ぎとなっている。このブログ発行のころにはどうなっているのだろう。この「本音」は、確かにうかつだった気がする。千秋楽のインタビューでは、
「もう一番とってやろうという気持ちだった」
と言っていた。そして、取り直し一番の仕切りの塩の時の爽(さわ)やかな顔からは、そんなことはまったくうかがえない。
「引退」発言といい、異例づくめの横綱である。雑音への挑発なのか、いやこの場合は挑発に乗ったということになる。それともこの審判部への批判は、私たちなどには知り得ない疲労があったからなのだろうか。
これは2010年11月16日の、対稀勢の里戦で破れた白鵬を知らせる新聞である。連勝が63でストップしたこの時、多くの観衆が「万歳」をするのは、私たちも記憶するところだ。地元九州の観客は、永久の数字と言える双葉山の「69」が守られたことを祝った。横綱は当時、このことを受けいれたのである。そのくらいの器量が、横綱にはあると思っている。いや、その器をも覆(おお)い尽くすことが続いていたのだろうか。「外人でも頑張っているんだ」というこぼし方も気になった。それにつけても、この「非行のデパート」なる記事のあとに、横綱はまず逸の城戦を戦い、その後大関/横綱戦をすべて圧倒したのである。私は横綱の胸の内を思うばかりだ。
NHKの窓口スタッフは、ていねいな対応だった。私はこの夜のインタビューを見てホッとし、お礼のあいさつを入れた。
2 汚(きたな)い手
前も言ったが、日刊ゲンダイが非難している「張り差し」は、大鵬も良く使った。分かりやすく言えば、これは「フェイント」である。ボクシングで言えば、フックでもなんでもいいが、顔を打つと見せかけ、相手のガード(手)が上がったところでボディ(お腹)を打つ手と似ている。白鵬が相手の頬を軽くはたくと、固めていた相手の脇が一瞬甘くなる。そこで相手のまわしを取るのである。大鵬の「張り差し」の洗礼を受けたことのある北の富士だったか、
「軽くぱちっと入るんだけど、効(き)くんですよねえ」
と言っていたのを覚えている。
実はこういうことを含めて、大鵬は「負けない相撲」と言われ続けた。私たちの時代も横綱の勝ち方が話題になった。ひたすら前に出ていく豪快な柏戸の取り口を讃(たた)える人も多かった。白鵬の周辺でもそんな喧騒(けんそう)が絶えないのだろう。遠藤戦で乱暴とも思えるかち上げをしたのも、張り差しというには力の入った張り手をしたのも、豪快にきめてやるという気持ちだったのかも知れない。本当はどっちでもいい。「剛」も「柔」も、どっちもいいのだ。しかし、柏戸で言えば、豪快な相撲につきものの「ケガ」に泣かされた。ケガがまったくないとほめられる白鵬は、大鵬に似て、これから「負けない相撲」などと揶揄(やゆ)されるに違いない。そして「後の先(せん)」を目指す白鵬に、今度は「省エネ相撲」などとチャチャが入るのは間違いない。まったく違うというのに、残念だ。
3 後の先
「相手に相撲を取らせてから攻(せ)めているように見えますね」
と、今場所の白鵬の取り口をアナウンサーが言っていた。本人も言うように、「後の先」が始まったのだ。まだ身についていないため、無駄な動きもある。こなれていないため、横に変化しているようにも見えるが、目指しているのは「後の先」である。
このことは、また来場所話題にする積もりなので、軽く触れるが、武道関係者は武蔵に「三つの先」があることを常識としている。
一 「懸(けん)の先」
二 「待(たい)の先」
三 「対対の先」
である。白鵬の、そして双葉山の「後の先」は、武蔵の二番目の「待の先」に近いと思われる。私の意訳だが、一部を書き抜くと、
「敵がかかってきた時、いきなり身体を引いて飛び掛かるとみせかけ、そこで見えた相手の隙(すき)を撃つ」(『五輪書』)
である。なんとも無味乾燥/実用一点な教えだと思う読者も多いのではないだろうか。『五輪書』が歴代の武道家に、そんな評価を受ける所以(ゆえん)である。しかし、ここに来るまでのくだりを抜きにしては、ことを誤る。
武蔵は手や指のわずかな「間(ま)」(分かりやすく「長さ」と言って差し支えない)や、刀を振る「速さ」が勝負を決するとは言わない。
「(敵の)刀の刃、棟(むね)の道を弁(わきま)え」(同上)
ることが肝心だと言うのである。これも前書いたが、日本合気道の祖・植芝盛平が満州で銃撃にあった時、弾筋(たますじ)が見えれば避けることになんの雑作(ぞうさ)もない、と言っていたことと同じだと言ったら分かりやすいだろうか。これは「省エネ」でも「ずるがしこい」ことでもない。「流れ」「自然」の中に身を置くことだ。
白鵬はこれからますます「体力の限界」だの「逃げた」だのと言われ続けるだろう。また、この連中が「横綱にないものをねだっていく」ことは見えている。そんな五月蠅(うるさい)周囲に対して、横綱が早まって欲しくないと思うのは私だけではあるまい。
こんな意地の悪い世の中で、この横綱は、弱音と言うより本音と思える言葉を何度も口にした。それは「大変な時は口に出せるものなら出していいんだよ」と、みんなに教えているようだった。そんなことが本当に多かった。いやな思いをしている子どもたちや大人たちが、今までどれだけ勇気をもらっただろうか。
白鵬ありがとう!
ゆっくり休んで。どうか早まらずに。
またの精進を楽しみにしています。
26日の新聞・住友林業の広告
☆☆
赤瀬川源平のお兄さんの赤瀬川隼さんが亡くなりました。学校で授業をしてくれないかと言ったら、知り合って間もないというのに、快く引き受けてくれたことを思い出します。15年前のことです。当時の教科書に隼さんの『一塁手の生還』が載っていたのです。
当日、私たちはずいぶん待たされたのですが、教室に遅れて入って来た隼さんは、駅の反対側に出てタクシーに乗っちゃってと、疲れた顔で笑ったものです。生徒の質問に、そういう考え方もあるんだなとうなずき、サインに応じ、給食を一緒に食べ、と色々な思い出が蘇(よみがえ)りました。83歳でした。
☆☆
「自己責任」の連中、まだ生きてたみたいですね。こいつらは、
「強姦されるのは強姦される方に原因がある」
って言い方を自分たちがしてるって、分かってません。
☆☆
このブログ始めて二回目かな。あとからの付け足し。
一段目の終わりに「お礼のあいさつを入れた」と書いたんですが、ここを誤解される方がいらっしゃったようなので念のために……これって「私が意見を言ったことでインタビュー内容が変わったから」なんて思うわけがないです。意見を言ったあとの礼儀と思ったから。当たり前ですよね。