実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

「はつ」と「つくし」  実戦教師塾通信五百八十八号

2018-02-23 11:29:00 | 福島からの報告
 「はつ」と「つくし」
     ~春よ来い~


 ☆初めに☆
楢葉の渡部さん家にお邪魔したのは、ちょうど羽生君がショートのプログラムをすべる時間でした。平昌オリンピックを初めてライブで見ました。生で見るって、結果の分かってるニュースで見るのとは、全く違うんですねえ。
「いやあ、スゴイねえ」
茶の間のおばあちゃんが言います。私も興奮を抑えられず、すっかりだらしがない。
同時に、こんな間も内村君やマー君は、黙々と練習に励んでいるんだなあなどと、勝手に思ったりもしています。そして、両方から元気をもらってる気がします。
また忘れてはいません、藤井君の快挙にも驚き喜んでいる私です。いいニュースっていいですねえ。
福島・楢葉からもいいニュースを送ります。

 1 子牛誕生
 母屋(おもや)に移動したあと、渡部さんがしみじみと言う。
「一頭目はダメかもしんねえって思ったよ」
一月末予定の子牛は予定より早く生まれ、寒さに耐えられないのではないかと、ずいぶん心配したという。
「藁(わら)を変えたり毛布を用意したりね」
「足も細いし、顔なんか鹿みてえだ」

ホントに鹿のような顔です。美味しそうに飼料を食べている。


 10日ほどあと生まれたもう一頭は、すぐに大きくなったという。私が見た二頭の大きさは、全く同じだった。写真を撮ろうとするのだが、怖がっているのかうまく行かない。

「この赤い色がよくないんですかね」
この日、赤いジャンパーを着てきた私は聞いた。
「関係ねえよ。牛は色盲(しきもう)だ」
闘牛士が牛を煽(あお)る赤い布は、
「ヒラヒラするんで興奮するらしいよ」
ということなのだ。

 2 和牛ブランド
 子牛が競(せ)りに出るのは、生まれて10カ月が過ぎてからだ。
「今の感じで行くと90(万)かな」
仕入れより安いし、飼料代もかかっている。それでは足が出る。
「何度か産んでくれねえと、採算がとれねえ」
そういうことか。私は改めて餌(えさ)を食べる牛たちを見るのだ。

でも彼女たちは、次々に素晴らしい子牛を産んでくれるかも知れない。
「そのうち、渡部さん家にベンツが3台になってたらどうしよう」
私の言葉に、コーヒーを飲んでいた大工さんが笑っている。
「いや、ベンツよりトラクターだよ」
渡部さんも笑って言うのだった。その頃は双葉地区12市町村の「支援事業」も終わっているからだ。

 TPPへの不安もあるし、最近では「なんちゃって和牛」というか、日本での肥育法をコピーした外国産の「和牛」も出ている。また、日本のブランド牛の精子が流出したニュースもあった。こうなるとオリジナルの和牛が脅(おびや)かされかねない。
「でもよ、日本のような牛は日本でしか出来ねえよ」
渡部さんが言う。
「海外は結局、たくさん作るしか出来ねえんだ」
「日本は一頭一頭手作りだ。取引もそうなんだよ」
自信か確信のようなものが、渡部さんから流れてくる。

 3 「そのためにやってんだ!」
「初めて生まれたのが『はつ』、二頭目は『つくし』なんですよ」
奥さんが言う。なるほど「初」と、春の「土筆」なのだろう。
「しりとりなんですよ。三頭目は『し』で始まります」
何があるか考えてください、と笑いながら言うのだ。
 前も書いた。出産しなくなるまでのお付き合いがある乳牛と違って、和牛は育ったら出荷される。「肉」になるのだ。以前、渡部家が酪農(らくのう)をしていた時、親の乳牛を処分するのは悲しくて泣いたという。10年越しの付き合いはもう家族なんですよ、と奥さんは言っていた。一方、和牛は10カ月。
「肉になったら、こんな姿になっちまったって思うんですか」
私の問いに、思わねえよ、と渡部さんはすぐに答えた。
「そのためにやってんだ!」
珍しく熱くなって言うのだった。奥さんが笑っている。なぜか私も笑ってしまった。


 ☆後記☆
よく行く和食店で、昨年のフグ騒動のことを板前さんに聞いてみました。フグは肝(きも)も結構出回っているという私の認識は、やはり正しかったようです。どこでも売ってたし、みんな食べてた。
「養殖のフグの毒は弱いんですよ」
でも何かあったらという、それが法律でしてね、と。
「たまたまフグの調理人が、あのスーパーでみかけたらしいです」
こりゃまずい処理をしていると思ったのが真相らしい。
「釣り人が船の上で見よう見まねの処理をして、天然のフグを食べる」
これが一番危ない、ということでした。
 ☆ ☆
今や国税庁長官の肩書を持つ、佐川先生。森友問題でなめ切った答弁をして来たこの人物に、「辞(や)めろ」という要求が、国会初めあちこちから出ていました。でも、「トカゲの尻尾(しっぽ)切り」をこっちから言い出してはいけません。
「教育勅語」を推奨し、園児に「安保法案通過おめでとう!」とコールさせていた気持ちの悪い学園が、一体何故に優遇されたのかという、本当の追求を始めないといけないのはこれからです。でも、佐川先生辞めたらおしまいなんです。こういう野党の体たらくが、「まあ自民党しかないっしょ」という世論を生んでいるんですよねえ。
 ☆ ☆
気分を変えて。日本選手すごいですね~ スピードスケートに続き、パシュートも。3人くっつくのは、F1での「スリップストリーム」の効果と同じだったんだなあ。コーナーでのシーン、カッコいいですねえ。
春よ来い~

     昨日の雪です。大杉漣、驚きました。

柳田國男記念館  実戦教師塾通信五百八十七号

2018-02-16 11:32:33 | 思想/哲学
 柳田國男記念館
     ~ふたつの神道(しんとう)~



 ☆初めに☆
以前、実家に行くときの通り道に『柳田國男記念館』なる案内板を目にとめていました。ずっとそのままだったのですが、お正月が明けてから行ってみました。受付の人がひとり、記念館の周りの草取りをしていました。どうぞ上がって見てってくださいと言われるままに見てきました。

 1 「ツアイ・キンダー・システム(二児制)」
 千葉県の我孫子を利根川沿いに下ると、茨城県の布川地区に出る。そこに柳田國男が、少年時代に過ごした家がある。それが記念館となっている。



松岡家の六男(八人兄弟)として生まれた國男は、兄のもとに13歳の時預(あず)けられ、二年間を過ごす。


病弱だった國男は学校に行かず、この土蔵にこもって読書にひたった。



     土蔵に通じる庭の道

 この布川で、柳田が強烈に印象づけられたものがある。この地域は、家に男児と女児の二児しかいてはいけない「ツワイ・キンダー・システム」を採(と)っていた。柳田が「八人兄弟だ」というと、「一体どうするつもりだ」と、周囲は目を丸くしたという。このシステムの成立は、この時代にこの地域を襲った飢饉(ききん)を要因としている。もちろん布川ばかりではない。以前暮らしていた兵庫でも同じようで、飢饉にあえぐ人々のために、町の有力な商家が重湯(おもゆ)を炊き出したことを、柳田は書き記している。そこに居並ぶ人たちを前に、人がうらやむものを食べてはいけませんと母親が言い、自宅でおかゆを食べたともある。
 数字はあまり知られていないが、江戸・明治の「子殺し」は原因はともかく、昭和・平成の時代とはけた違いの多さである。病死も含むのだが、統計によれば明治三十三年(1900年)の乳児死亡率は、千人に対し79人、平成十二年(2000年)は1,8人である。
 布川の地蔵堂に、子どもを産んだばかりの女性によって、その子が絞め殺されている絵馬を、國男少年は見ている。障子に映った女の影には角が生(は)え、かたわらの地蔵が泣いている図だったという。少年時代の、この布川でのことと飢饉のことが、柳田の民俗学の基礎になったということを、自身で語っている。
 のちに農政学を学び、役人としては全国を踏破(とうは)する中で、柳田は民衆の来し方(こしかた)/あり方を見いだした。この日本の「民衆」を「常民(じょうみん)」と柳田が命名したことを、念のため付け加える。

 2 ふたつの神道
 子どもの誕生にまつわる悲しい出来事もそうだが、幾多(いくた)の怒り/喜び/畏(おそ)れと、そこから発生する生活習慣にひそむ私たちの心の奥底を、柳田は数多く見せてくれている。

 「ご先祖」が二種類存在することを、私たちはあんまり自覚していない。ひとつは正月に御参りに行く時の、または節句や七五三やの折々に御参りする「神様」。もうひとつが、お盆お彼岸に御参りする時の「ほとけ様」である。当然のことだが、このほとけ様は仏教が伝来する奈良時代以前は、存在しなかった。神様は十万年以上の歴史を持つが、ほとけ様はわずか千五百年あまり。このことは押さえておいた方がいいと思われる。古い方の私たちの「ご先祖」が、天照(アマテラス)や八幡神よりもはるかに昔は、山や海や空、そして風や石や木だったことを私たちは今もかすかに、あるいは明確に信じている。昔、人は死ねば土に葬(ほうむ)られたなどといい加減なことも言われるが、そのまた昔をたどれば、火葬の歴史は自然葬のひとつとしてずっと続いていた。
 昔、山や野辺に亡骸(なきがら)を送った人々は、それらが記憶の中に消えていくことを受け入れていた。しかし同時に、時々にかつての姿を目の前に表れるのも当然のことと考えていた。お盆とお彼岸にしか舞い戻るないはずの霊魂があたりをさまようとは信じ難い、それを「成仏(じょうぶつ)しない亡霊」として排したのが仏教だったとは、現在の私たちは、きっと知らずにいる。
「(かつてわれわれは)眼にこそ見えないが郷土の山川草木には、親の親たちが憩(いこ)い宿って……現世の生活を、なつかしげに見守っているものと思っていたのである」
                 (『家永続の願い』)
こういう柳田の言葉に触れるたび、私はほっとするのである。そしてまた、上野界隈(かいわい)の物陰にひっそりとたたずむ、かつてそこで生きた人々の姿を思う。


 ☆後記☆
ピョンチャンオリンピック、面白いですねえ。ライブで見ようと思ってもいるのですが、気がつくと終わってる。だからいつもニュースで見るだけなのですが、スノボ抜群ですね。宙に舞うって表現は、スノボのためにあるって感じ。
「自由っていうのは、こういうことさ」
とでも言ってるかのようです。平野君いいですねえ。どうも「ミスター反省」こと國保がコーチしたみたいですよ。ますます國保のファンになっちゃう私です。
 ☆ ☆
やっぱり春は来るんですねえ。昨日の温かさはまさに春。我が家でも、庭のすみに、かわいらしく梅が咲きました。

東野圭吾  実戦教師塾通信五百八十六号

2018-02-09 12:03:06 | エンターテインメント
 東野圭吾
     ~心優しい書き手~


 ☆初めに☆
小泉今日子の「不倫宣言」で、ゴシップ探しにいとまのない連中がうろたえてるみたいで、小気味がいい。相手はどうでもいい男みたいですけど、それより小泉今日子のさばきに感心しました。細かいことは興味ないですが、要するに、
「放っといて」
「私の問題なんだから」
ということなんだろうと思いました。人としてどうなのかとか、奥さんの気持ちを考えたのかなどと、間抜けどもが騒いで喜んでるわけです。「下衆(げす)の勘繰り」を全く相手にしない。「覚悟」がないと、こうは出来ません。やっぱりこの人は、より抜きの「アイドル」だったんだなと思いました。
今回は少し気分を変えて、エンターテインメントです。

 1 『祈りの幕が下りる時』
 原作はまだ読んでないが、初めに言ってしまう。この映画、B級である。


名画『砂の器』を想起させる、という感想がある。私も荒野をさまようシーン、そしてラストを見て感じた。しかし『砂の器』は、どうすることも出来ない、大きな力が作用し引き起された事件だ。映画上映にあたって「全国国立ハンゼン氏病療養所患者協議会(全患協)」が反対したが、制作サイドの強い熱意が患者の方々を動かし、上映にこぎ着けたことは以前書いた。ハンセン病に限らず、人々の心に「どうしようもなく」宿る、病や症状に対する偏見や悪意は、今も続いている。
 一方『祈りの……』は、たった一人の軽はずみな女が引き起こし、その後連鎖した事件だ。きわめて個別特殊な事情を背景にしてしか起きなかった。観客は「かわいそうに」という感想を持つだけである。まあこんな事件もないことはないとは思うし、それはそれでいいんだけれど。
 しかし同じく、東野の作品『麒麟の翼』は違っている。これは誰もが当事者となる、誰もが巻き込まれるものを引っさげている事件だ。

この作品は、映画/原作ともにA級と思う。 
 『祈りの……』のダメ出しは以上である。

 2 「地の文」
 そんなわけで、映画のテーマは事件の動機にあるのではない。家族または親子に焦点がある。その点に限れば、この「加賀シリーズ」の八作目『新参者』に似ているかも知れない。
 ふたつ印象的だったシーン。どちらも松嶋菜々子がいい。
 本当は偶然ではない、剣道場での出会い。日本橋署の新参者・加賀刑事の姿/佇(たたず)まいを確認出来るこの日を、彼女は待っていた。そして、彼女のそれまでの想像は、確信へと変化する。加賀の背後に父の姿を見たのだ。自分自身を喪(うしな)い、世間から身を隠していたお父さんは、不幸な日ばかりではなかったと、安堵(あんど)の顔を浮かべる松嶋の顔がいい。
 そしてもうひとつ。
「オマエもお父さんと同じ、地獄の苦しみを味わうがいい」
とアップされた松嶋の凄味(すごみ)ある顔。涙が鼻から落ちていく。

 さて、以前、この「加賀シリーズ」の『赤い指』をけちょんけちょんに言った私として、少し付け加えなければならぬ思いでいる。
 『赤い指』の内容に関しては、SPドラマも原作も両方いいのだ。私は「加賀シリーズ」をいくつか読んだだけなのだが、いつも作者・東野の構成にまんまとひっかかり、登場人物に感情移入してしまう。たとえば『新参者』第五章「洋菓子屋の店員」。母親の勘違いと店員の戸惑いはしかし、両者に温かいものを流し続けていた。事件がこのすれ違いを終わらせる。店員は母親の気持ちを素直に受け止める。気がつけば、読むものは涙を落とすのだ。「加賀シリーズ」は、全編こんな人情味にあふれている。
 しかし、いつも気になって、とうとう『赤い指』ではけちょんけちょんに言ってしまったのは、物語の会話でない「地の文」である。

「……文化人やタレントらが、口々に[何やら]語り始めた……そんなことを[好き勝手に]話し合っている」(『麒麟の翼』)

抜き書きの[ ]の部分はいらないと思う。思い入ればかりが目立つ。しかしこれは、被害者家族の言葉と思えば「必要」なのだ。この部分を、もっと客観的な「語り手」に語らせる方がいいかどうか、もちろん東野は考えたはずだ。しかし、私は作者の思い、この部分に関して言えば「無責任な連中」への作者の思いが、露出しているように思っている。そう考えれば、心優しい作者には、この[ ]の部分も必要である。いつも違和感を覚えていた「地の文」に、最近はそう思うようにもしている。東野は福島の原発や震災への思いを、今回も忘れていなかったのだ。

「二十五メートルプールに水は入っておらず、底には[どこからか飛んできた]枯れ葉が溜まっていた」(『同』)

それでもやっぱり[ ]んとこ、いらないかなあとしつこく思う私なのだった。
 それと、原作のここんとこに地図を入れてほしいなあと思うのは、私だけではないでしょうね。その点、テレビや映画は良かった。

     日本橋ではありませんが、下町浅草ってことで。

 ☆後記☆
恩師・藤原先生と、30年を大きく越えて再会しました。
「身体が思うようでなく、その分世の中へのいらだちが募(つの)る」
と言っていた先生ですが、思いのほか元気で良かった。
先だっての台風で、栃木県の「おとなしい思川」が暴れました。思川開発事業に反対してきた先生に、そのことを聞きたかった。
「ダムを造るにあたって、山の木を大きくえぐり取ってね」
それが原因らしい。山の木々は「緑のダム」と言って、水を吸収するのです。
「良かったね、今日は」
と言ったのは、同席した「きたかみ地球温暖化対策協議会」代表で、大学の先輩の佐藤哲朗さんです。先輩は、私があれほどお世話になった藤原先生に、お礼のひとつも告げずに千葉に来てしまったことを覚えていたのです。
お礼を言えて良かった。天ぷら美味しかったです。
 ☆ ☆
先週の話ですが、藤井君やりましたね、史上初だとか中学生五段。私のようにバカな周囲の興奮に振り回されず、偉いなあ。来週はいよいよ羽生さんとの対決。どちらが勝っても、いい勝負になるのでしょう。
あと、ドラマ『99,9』面白いですねえ。

国道114号線  実戦教師塾通信五百八十五号

2018-02-02 11:36:58 | 福島からの報告
国道114号線
     ~「寄り添う」心~


 ☆初めに☆
楢葉の渡部さんの牧場は、年末に宮崎で競(せ)り落とした牛たちも加わり、賑(にぎ)わっていました。

外に出ていた牛たちです。予定日が1月末の牛にもあいさつしました。


仲間と浪江/第一原発へ行って来たことを、渡部さんに話しました。
「浪江の人たち、あん時ぁ大変だったなあ」
自分たちのことも言わず、おばあちゃんがしみじみと言うのです。

 1 『プロメテウスの罠』
 朝日新聞が連載『プロメテウスの罠』を始めたのは、2011年の秋である。あの頃、東京は八王子から、いわきに来ていたヘルパーさんが、記事のスクラップを「読んでみて」と、ボランティアのみんなに回した。それで私はこの連載を知った。第一回のタイトルは「頼む、逃げてくれ」である。そこに「国道114号線」での、驚くべき出来事が書かれていた。浪江町の津島地区での話だ。
 政府から10キロ圏内に避難指示が出されたのは、震災翌日の早朝5時44分。そして、それが20キロに拡大されるのは、その約12時間後である。津島地区は第一原発から北西に約30キロのやまあいである。だから津島の人たちは、ここなら安全と思い、学校や公民館や寺ばかりでなく、民家までも避難してくる人たちに開放した。しかし、ほどなくプルーム(原子雲)が浪江から飯舘村を襲うことを、みんな知らずにいた。

『……そのころ、外に出たみずえは、家の前に白いワゴン車が止まっていることに気づいた。中には白の防護服を着た男が2人乗っており、みずえに向かって何か叫んだ。しかしよく聞き取れない。
 「何? どうしたの?」
 みずえが尋ねた。
 「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ」
 みずえはびっくりした。
 「逃げろといっても……、ここは避難所ですから」
 車の2人がおりてきた。2人ともガスマスクを着けていた。
 「放射性物質が拡散しているんだ」
真剣な物言いで、切迫した雰囲気だ。
 家の前の道路は国道114号で、避難所に入りきれない人たちの車がびっしりと停車している。2人の男は、車から外に出た人たちにも「早く車の中に戻れ」と叫んでいた。
 2人の男は、そのまま福島市方面に走り去った。役場の支所に行くでもなく、掲示板に警告を張り出すでもなかった。
 政府は10キロ圏外は安全だと言っていた。なのになぜ、あの2人は防護服を着て、ガスマスクまでしていたのだろう。だいたいあの人たちは誰なのか……』(『プロメテウスの罠』より)

恐ろしい情景だ。この出来事の検証がやられたのかどうかを、私は知らない。自衛隊のある部隊が、上部の命令を待たず住民の避難を促(うなが)したというのが、私のおぼろげな認識だ。なにせこの時点で、原発から30キロという津島地区は避難の必要がなかった。
 確かに「逃げなさい」ではなく「逃げてくれ」とあるのも、「二人の男は掲示板に警告を張り出すでもなかった」というのも、それと整合する。私は、映画『シン・ゴジラ』のワンシーン、防護服で固めた隊員が、丸腰の住民を避難させる恐ろしいシーンを、また思い出す。
 国道114号線を見てみよう。被曝放射線量の図は、まさにプルーム(原子雲)が通過したあとを示している。

 『福島原発事故はなぜ起こったか』(政府事故調査委員会編集)より

 国道114号線が分かりづらいので、同じく2013年のもので『福島民友』の記事からのアップ。


 2 <学校化>された社会
 部外者と言える私たちが、当事者であるために出来ることは、こうして何度でも思い返すぐらいだという気がしている。

「東電は、浪江に原発事故を通告しなかったんだよな」
渡部さんが言う。事故通告は、原発立地自治体だけに必要だったからだ。大熊/双葉は原発立地自治体ではあったが、浪江はそうでなかった。
 そして放射能拡散予測ネットワーク(通称SPEEDI)のデータが、米軍には流された。それを知らず、浪江/飯舘村の人たちは、プルーム(原子雲)の通り道に沿って避難した。
「殺人行為に等しい」
こう言って怒ったのは、浪江の馬場町長である。

「あれはあくまで『予測データ』。外(はず)れたらどうする」
「間違って、住民を被曝させたら誰が責任をとるんだ」

多分、こんな議論が果てし無くやられた。そして「決断は回避され」た。ここでも「大川小学校」でのドタバタが、コピーのように繰り返された。SPEEDIの運営主体が文科省とは皮肉なものだ。開発費用100億円が一体なんだったのか。
 朝日新聞の土曜日に、別冊「be」で連載されてる「みちのものがたり」をご存じでしょうか。昨年の秋だったか、この欄で「国道114号線」を取り上げたのです。

 3 「寄り添う」心
 渡部さんが言った。
「いや、6号線に猿はいねえ」
浪江で猿を見たという話を、私は「6号線で見た」と言ったのだ。
「サンロクだ、きっと」
そう言えば、迷った道のかたわらに「36号線」という標識があったことを思い出す。福島の人たちは、やはりよく知っていると昔は私も思った。しかし、それも違うと今は思う。
 以前、多くはいわき市で行われた、楢葉町政の説明会や弁護士の勉強会に出向いては、渡部さんが言っていたことを思い出す。
「みんなあんまり来てねえんだよな」
複雑な思いの中で、確実な情報や道を、きっと見つけて来たのだ。

「いわきの人たちはどうしてる?」
唐突な渡部さんの質問だった。干物の「ニイダヤ水産」や、おばちゃんたちの大変な姿を思いながら、そうですねえと私は生返事をする。
「家は新しくしたのかな」
「出来ねえんだろうなあ」

目の前で、もうすぐ棟(むね)上げになる母屋を前に、そう言ったのだった。
 おばあちゃんの浪江の人たちを思う言葉もそうだった。そして、渡部さんの言葉も温かい。
「コトヨリさんが来月来るころは、もっと家らしくなってるよ」
渡部さんは顔をゆるめて言った。


 ☆後記☆
6月に収穫だという玉ねぎが、渡部さん家の畑に植えてありました。

お土産に、裏の畑でとれた白菜をいただきました。



超高値の白菜です。鍋で美味しく、ありがたくいただいてます。
 ☆ ☆
胸くそが悪くなるニュースと、それにハイエナのように群がる連中、大変な大相撲です。でも栃の心の優勝は、それらを掃(は)き清めている、私はそう感じました。栃の心が外国出身であることと春日野部屋であること、それが栃の心をさらに輝かせているのが不思議でした。
そして、隆の勝は9勝6敗。立派な成績で初場所を締(し)めました。
おめでとう、栃の心!
頑張れ、隆の勝!