実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

実戦教師塾通信百八十二号

2012-06-30 10:43:27 | ニュースの読み方
 「足湯」の語らい その2/ニュースの読み方



 古着より分け


 いやあ、こんなデカイ穴子の天ぷらがよ、そう言っておばちゃんたちが嬉しそうについ先日の「くさの根」炊き出しを振り返る。米がうまがったよなぁ、この辺の米だねえって言ってたがなぁ。穴子も穴子の天ぷらも食ったことあっけどさ、穴子丼てのは初めてだ。でもあんなデッカイ丼にあんなデッカイ穴子じゃなあ、食い切んねぇ。勿体ねえがらよ、持って帰ったよ、そうデッカイ声で笑った。だから子どもはあの半分で良かったよなぁ、勿体ねえよ。珍しく少し顔を歪めたのは、子どもたちが残していったのかも知れない。
 次の日、集会所大部屋の隣で古着の仕分けをした(冒頭写真です)。言い出しっぺの女の方を中心にどんどん仕分けて行く。これが小さいおばあちゃん、これは妊婦みたいな人いっぺ、あの人がいいべよ、とご近所の見知った顔をいいながら仕事が進む。昨年ボランティアで知り合ったヘルパーさんが、仲間を通じて古着を集めてくれた。その古着をこの日、彼女は持ってきてくれていた。私の仲間のものとあわせて結構な数の服が集まった。
「オレのこと、いぐづだと思ってんだ」
「(二の)腕がタプタプいってんのによ」
「オレには似合わめえってな」
「娘にはいいがな」
などと、やっぱり女の人はいいなと思う。みんな自分のものを「ちゃんと」確保するのも忘れていない。そんなこんなは、おばちゃんたちが被災者であることをついうっかり忘れさせるのだ。終わってから大部屋に移り、いつもの茶飲み話はそのことを私に思い出させる。
 いつも元気な人がちっとも古着に手を出そうとしないので、私は、どうしたんですか一緒にどうぞ、と促したものだが、いつの間にか姿を消していたことを私はいぶかった。するとサブリーダーさんがいう。あの人も大変なんだよ。聞けば、娘さんがいつの頃からかずいぶん潔癖症になって、古着は臭い汚いって言うらしい、洗濯や洗い物もずいぶんと気をつかうらしいんだ、そう続けた。
 私はその彼女のことを、物静かな人ではあるが、たくましく笑みをたやさない人だと思っていた。
「分からないもんでしょ?」
そう副会長さんが言った。その彼女は自分の娘とこの仮設で同居しているのだ。どのような理由からの娘の変化なのか、また孫はいるのかなどと思いながら、私は彼女がいないため空いている、いつもの椅子を見る。また、サブリーダーさんは、自分の息子の東京仲間(かつての同僚)が集めた義援金が届いた時の話をして、思わずなのだろう、
「もう有り難くて…」
そこで言葉を切らした。そしてみんな豊間(いわき海岸)の震災前の暮らしを話す。瓦も全部新しくふき替えて、壁も分厚く塗りなおして、台所や風呂はシステムにして、トイレもウォシュレットにして、さあ、これで全部終わったと思ったら、それから三年もしないでこんなことになっちまって…
 でも、みんなきれいに片づけちまってよ、何もみんな片づけっことねえんだ。そう言ったのはニュースにもなった灯台のことである。ここにやってきた芸術家と地元のみんなが作った「瓦礫の灯台」のことだ。豊間の夜空と、むき出しの津波の現場を煌々と照らすその姿を一度だけ見た。でもその姿は二カ月となかったと思う。思い出すのが恐ろしいという声もあったのだろうか。確か塩谷灯台が復活してすぐに撤去されたはずだ。
「またしょっちゅう顔見せに来て」
集会所を出るとき、そう言われる。
 嬉しい。


 ニュース①「東電新社長インタビュー」

 28日の読売新聞に、東電新社長の読売単独インタビューが載っている。読んだだろうか。怒りも呆れるも通り越して、私は笑ってしまった。傑作である。全文載せたいところだが、そうするといよいよ腹も立ってきそうなので、端的な部分を取り上げよう。
〔問〕
福島第一原発の廃炉や除染費用をどう工面するのか
〔答〕
兆円単位の資金が必要と言われており、民間会社1社では持ちきれないのは事実だ。原子力損害賠償法では電力会社が全額を背負うことになっており、リスクが高すぎる。以下略

 笑えないか。「答えるにあたっては客観性と慎重を期した」といういい訳も考えられるが、「誠意」という言葉を知らない。まず「必要と言われており」と言うのだ。つまり「私は良く知らない」ということだ。でないとこう言えない。知らないわけは「『新社長』なので」とでも言うのか。次だ、「民間会社1社では持ちきれない」って、一体どこの「民間会社」だ? 「私の会社だけでは無理だ」と言いなさい、まったくの「人ごと」である。そして、「全額を背負うこと」は「リスクが高すぎる」だと? 待ってくれ、この言い分が原発という事業の開始前に「これではリスクが高すぎるので、国に応分の負担をして欲しい」と出されるなら分かる。でも事故はもう「起こってしまった」のだ。なのにその後に言うことなのか? 今さらジロウって古い曲を思い出したよ。いいですか、その場所にはもう行けないのですよ、「対策費用をどうする」という質問に答えなさい。こみ上げる笑いは乾いているのである。
〔問〕
会社更生法の適用申請は念頭にあるか
〔答〕
破綻するリスクがないとは明言出来ないが、(国による支援で東電が存続する)現在の筋書きを崩さずに再建出来るのが一番だ。

 微塵も後ろめたさがない。すみませんが、迷惑かけますがよろしくお願いします、のひと言ぐらい普通は言うよ。見事なものだ。「国による支援」は公的資金のこと、つまり国民の預貯金のことだ。国土だけでなく、国民の財産まで汚染・散財していることを忘れるなよ。電力会社の株主総会(ニュース)を見て分かる通り、多分あれが「謝罪」であり「説明」だと本人たちはきっと思っている。ウソをつくとか、演技をするとか意地悪をするとか、そんなレベルではない。震災前からずっとやってきた数えきれない「謝罪」と「説明」の中のひとつにすぎない。みんな何を怒っているのか、と考えるような高級なレベルではない。「○○の時は××と言う」マニュアル/システムが作動しているだけだ。『夕鶴』(木下順二)で、与ひょうがただ口をぱくぱくと開けているようにしか見えないと、つうが嘆き悲しむ場面、あの場面がちょうどあてはまるかな。与ひょうは大まじめに、
「都さ行ぐだ、そしてお金いっぱい儲けるだ」
と何度も言っているのだが、つうには聞こえない。与ひょうは真面目に言ってるのだ。
 東電に言葉を期待する、ということが無駄だということが再度(またしても、か)確認出来たということだ。


 ニュース②「AKB指原」

 「指原賠償訴訟」なるニュースがネットで流れた。なんのこっちゃ、プライベートなことに口を挟まれた指原が怒り心頭、まさか裁判かと思ったら違った。逆だった。指原を「処女だと信じてたくさんCDを買った」野郎が騒いでいるらしい。こんな小賢しい智恵をどこで教えられたの?坊や、みたいな感じだ(まさかオジサンではないだろう)。この間の「元彼」だってどこから焚きつけられたのか知らんが、同じことだ。振られた恨みやら金や、また有名への妬みやら動機はいろいろあるだろうが、どうせよそから煽られてやっていることは見えている。ケツの青いガキンチョが騒いだところで誰も相手にしてくれるものではない。それは小沢のカミさん問題にしても同じだ。大きな力が働いている。小沢の場合、この絶妙なタイミングで、そして一斉に報じられたわけだ。カミさんの文面が「離婚します」でなく「離婚しました」とあったことに違和感を覚えた読者も多いことだろう。
 さて指原問題は何を意味するのだろう。まずAKBの「恋愛禁止」は「現時点」だけでなく、「過去」も対象になった、ということだ。メンバーに多かれ少なかれ「過去」はあるはずだ。「順位」の対象として「過去」が浮上し、彼女たちの怯えるものがまた増えたということだ。おそらくは「過去」のいくつかは彼女たちにとって「大切」なものだ。しかしそれは「消す」ことを余儀なくされている。汚れのない美しさでいなさい、そういうお達しである。そして、指原処分を通して、その「純潔信仰」!?をファンは続けることが出来る。て、この信仰心は男が持つんだろなあ。
 指原は福岡に「左遷」された後も、週刊誌などメディアから「フェラ写真」やらと、追撃を受けている。こういうのをスケープゴートというのだ。明らかに標的とされた指原報道から、
「ミスをすれば『左遷』という報復だけではすみません。『抹殺』という場所にまで追い込まれますよ」
というメッセージが透けて見える。


 ☆☆
地井さん、亡くなりましたね。この5月『ちい散歩』が休止でなく終了となった時点で、地井さんの病気が良くないのだなとは思ったのですが、残念。柏に来たときは駅近くの『飛龍』に立ち寄って、キャベツ入りメンチだったかな?を食べてました。あの市井との距離感覚が良かったんだけどなあ。残念。

 ☆☆
名古屋場所はじまりますね。次回は白鵬にからみ「武道」でなく、「<子ども>の現在」を書きたい思いとなっています。

実戦教師塾通信百八十一号

2012-06-28 13:59:44 | 福島からの報告
 「足湯」の語らい その1



 神と仏


 次の日に控えた古着の配布打ち合わせもあったが、私は第一集会所のおばちゃんたちと話したい思いで、第一仮設に出向いた。こうして私が「おばちゃんたち」と言ってるわけで、そう言うことが出来るようになった気がしている。
 広い駐車場は珍しく賑わっていた。晴れてはいたがうすら寒いこの日、駐車場にはテントが張られ、そこここに僧衣を着て頭を剃り揚げたお坊さんが動いていた。
「コトヨリさんもどうぞ」
そう言ってテントの中から声をかけてくれたのは、この日市の社会福祉センターから臨時に派遣されてきた職員だった。彼女は作年ボランティア活動していた縁で、今は職員としてセンターに勤務している。それで私を知っている。ホラ見てくださいよ、という彼女がお湯を張った水槽からあげた足を見ると、それは真っ赤になっていた。この日、湯本からお湯を運んで水槽に入れて手作りの足湯を作ったというのは、真言宗の方たちだ。
 集会所の中に入るとこれまた盛況で、いつもはテーブルが二組ほどなのだが、この日は長い座卓とあわせて倍になっていて、それは言うところの「所狭し」の印象だった。お坊さんたちと住人の方がお茶とお菓子(最中でした)をはさんで話が弾んでいる。
「古着届いてますよ」
私に気がついた副会長さんがそばに来て言った。一応読者の皆さんにはお断りするが、実はこの人、肩書は何もない。常に集会所で市職がやるべき事務仕事もこなし、高齢者の話し相手をしているので、私はてっきりそう思っていただけだ。とりあえず今後もこの紙面では「副会長」で通そうと思う。市職のことでいえば、まあ個人的な性格や力量にも左右されるというものの、配置された市職では気付かないこと、配慮出来ないことが多々あるということを読者の皆さんは気付いて欲しい。この副会長さんはここの役員でなく、臨時の職員としてこの三月まで集会所に「勤務」していた。今は全くの無給で毎日この集会所に出向いている、ということはすでに書いたと思う。
 さて、奥の座卓で話していたあの「お茶飲み会」?のリーダーさんが、隅っこに陣取った私に気付いたようで、私の方に向かって笑いかけてくれる。お坊さんたちも一斉にこちらを向くので恥ずかしい。私が入るスペースもあるようなので、私にも出していただいたお茶と最中を持って移動した。そうしたくなるのだ。
 この集会所玄関にある仏像のことを話したと思う。「サブリーダー」さんの息子さんの知り合いが、六年寝かした桜の木を削って作ったものだ。私は仏様の頭の後の環まで削りあげたものか気になって聞いたつもりが、その環の名称でさんざんもめて…つまりみんな分からない。坊さん自ら携帯で検索するという面白い展開となった。コウハイと言うのは分かっても漢字が分からないというのだ。「光背」と書くそうだ。
 また、仮設を出てこの仏様を家に置くとなったとき、一体どこに安置したらいいものかという話でまた講釈が入る。
「仏壇に入れますと、ご先祖様(菩提寺)の仏様に失礼となるでしょうし」
「神棚は神様の場所でございます」
仲間の坊さんが言うところのインテリ、エイタ(漢字が出ないです)似のお坊さんがそう言う。神様と仏様の違いをお坊さんはどう言うのだろう、私は大いに興味があった。
「神様はお怒りになることがあります。仏様にそういうことはありません」
なるほど「赦し」の話で来たか、などと私は思った。
 話はそこから、周囲残らず流された久之浜の海岸で、祠(ほこら)をしっかり残したあのお稲荷さん、そして被災のことに移った。
「こんなに大変な思いをしながらどうしていつも笑っていられるのか、何故なんだろうと…」
と私は合間に思っていたことを口にはさむ。リーダーさんが下を向いて静かに笑う。いつもバカな話をしてるばっかりで、と言うこの人を、私は本当に素敵な人だと思う。すっかり小さくなって腰も曲がり出したこの人は、毎日この集会所に出向く前は、必ず鏡に向かってすっかり白くなった髪に櫛を入れ、服の様子を確認する、きっとそんな人だ。この人は、
「本当は涙をこらえて毎日を生きてる」「本当のことを言ったら生きていけない」「大変なのは自分だけじゃない」「頑張ろうって気持ちでいないと」等々
とかいうお約束の「質問vs回答」みたいなバカなことは絶対に言わない。リーダーさんはこのあと、「でも」と言う。この「でも」こそが、要するに「そういう分かりきったことはあるけれど」の「でも」である。
「でも、この間アコーディオンとか演奏してみんなで歌うってのがあってよ、みんなで歌った時は、なーんか思い出しちってよ」
「最後だがの『ふるさと』歌う時なんかよ、なーんか思い出しちってよ」
そうしみじみ言う。座がしんとなって、これはリーダーさんの本意ではあるまいと余計な気遣いをした私は、去年の紅白は見ましたかと、尋ねる。見たよ、と彼女。そして
「スカイツリーに小林幸子の顔映すって企画があんだとよ。ホントがな」
と言う。みんなまた大笑いとなった。
 お昼時となった。腰をあげるみなさんに、明日の古着にも顔出してくださいねと私は言う。間を置かずに、毎日来てっがら(明日も来るよ)、知ってっぺよ、という返事にまたみんなが笑う。


 ☆☆
冒頭写真は、やっと始まった干物工場「ニイダヤ水産」の工事風景です。「やっとぼちぼちです」という主は、元気がないかな。確かに、吹けば飛ぶよな新潟の小島での作業研修もはかばかしくないようです。みんな本当は頼りない気持ちを抱えています。でも、そんな中で工事は始まりました。

 ☆☆
「いわきの人たちがこよなく愛する銘菓『じゃんがら』」と、いつか書いたと思います。違ってるようです。パオの職員が「○味い」という評価で口を揃えました。今回初めて知りました。何故ここまでひたすら甘くする、口の中がもたつくし、と酷評なのですねえ。まあ、でも駄菓子の世界を象徴するかのような風貌と味わい、経験してみるといいと思います。

 ☆☆
「消費税と社会保障一体改革案」通りましたね。政府・国会の一番許せないこと、それは国や人びとの関心を「消費税の是か非か」に絞ったことです。増税を覚悟していない人など殆どいない。「ギリシアより危ない」日本の状態とは一体どんな危機なのか、1000兆円の借金だって? 庶民にとってこの天文学的数字を分かるように具体的に説明しろ、ということでしょう。では遅れる「福祉」「復興」は、どのくらい遅れてどんな手続きでなされるのか説明はなかった。でも、その結果だといえる。街頭インタビュー、そしてニュースは被災地でさえも「消費税は…」となってしまった。今の政権が言ったことといったら、原発の最稼働にしても増税にしても「やらないとどうにもならない」ことだけです。小沢はその片棒を見事に担いだわけです。「マニュフェスト遵守、だから消費税反対」ってね。オマエ、そんなこといいから、また言うけど岩手に顔出せって。脱原発なんて、今さらどっから持ってきた言葉なんだって。

実戦教師塾通信百八十号

2012-06-24 17:10:15 | 子ども/学校
 <学校>と<子ども> Ⅱ

       <技術>使用の実際 (下)
            「生徒」と「子ども」②


 「女」の言葉


 前回「GTOvs金八」論争を生徒同士でやらせてみたかったと書いたが、そういえば、時期的にその二つのマンガ/ドラマの間に挟まる感じで、TBSのドラマ『職員室』(1997年)があったなと思い出した。DVD化されているだろうか。ならば読者の皆さんにもお勧めしたい。子どもの抱える問題とその表出のされ方にも興味がひかれたが、特に主演の浅野温子の立ち居振る舞いがよかった。まだ駆け出し教師役の仲村トオルの、誠実ではあっても固く弱く、学校の学校的現実や、生徒の都合に振り回されるあり方もよかった。でも、浅野の良さが際立っていた。浅野の良さが出されてくる背景として考えられるのは、彼女が臨時採用の教師であったということと、そして「女」だったということがあったように思う。
「オマエはそれでいいのか」
と同じ言葉を言うのに、男と女とではこんなにも違うのか、という場面がたくさんある。人は相手に言葉を言う時、それがどんな相手か、つまり、自分とどんな関係にある相手か、また、そういう意味では、どんな距離と節操と、そして遠慮や決断を必要とする相手か、と考えないといけない。それを「女」は心得ている、そんな感触をこの女優演じる先生に感じる。「男の言葉」は「人の言葉」ではなく、どっちみち「社会(国家)の言葉」なのだと分かる、と言い換えてもいい。だから逆にいえば、「女」を捨てた女はもう、社会や制度の中の「男」のことを言うのだ。
 分かりづらいと思うので、記憶の詳細に自信のないドラマを離れる。去年の七月だったか、台風が襲ったのを覚えているだろうか。私はあの頃避難所暮らしをさせてもらっていた。凄まじい雨風の中をあの晩、老いた親子が避難所にやってきた。びしょ濡れになった母を、これも寄る年波のせいで弱っている、といった体の息子が連れてやってきた。三月の震災で半壊になった崖っぷちの家から逃げてきた、というのだ。避難所のみんなはすぐ、二人のスペースを作り、毛布や布団を用意した。そして、事務室に泊り込んでいる市職の当直を呼んだ。経緯を話すと、その職員の口から驚くべき言葉がでてきた。
「ここは震災の被災者のための避難所で、台風が原因の避難は受け付けられません」
そういうことがあったら、受け付けるようにという連絡も市からはありません、ということも言った。私は口をアングリと開けてしまった。
 結構インパクトある話だが、多分初めての報告だ。つい先日の台風の時、気象庁だと思うが「避難勧告がなくとも早めの避難を」と流していたニュースがあったが、それを頭に入れて先を読んで欲しい。
 さて、読者の皆さんは覚えているだろうか、この避難所の「所長」を。彼が間を置かず出てきて、そして叫ぶように言った。
「おい、ふざけるなよ、避難してきた人間を追い出す気か」
「危ないと思って、怖いと思って逃げてきたんだぞ」
「危険を予測しろ、そして危ないと思ったら逃げろって学校で教わらなかったか」
「それをやってる人が間違ってるって言うのか」
今度、「この体育館(避難所)から出て行け」と言ったのは「所長」で、言われたのは二人の当直の「女」職員だった。
 私はこの時「所長」を少し「見直した」。というのは、もともと「所長」のこの気っぷの良さに惚れ込んで私はこの避難所との関わりを深くしたものの、支援も含めてここで暮らしてみると、「所長」の「男の姿」が見えてしまったからだ。
「オレを通せ(通したか)」
というあり方は、支援物資の均等な配分という道から段々外れていった気がする。避難所に暮らす人間同士でやりくりするスタンスだったのが、結局役所の代行を役所的にやっていく、という形にずれていっているように見えたのが残念だった。
 あんまり分かりやすくならなかったかな。その「場」を無視した言葉が「男」の言葉である、ということだ。そしてその「場」に即した言葉が「女」の言葉だ。台風の夜、「所長」はその原点の「場所」に回帰した。まぁ「ここはオレが仕切ってるんだ」というように聞けば、同じことにはなるのだが「所長」が言ったことは、その「場所に筋道をつけて」いた。


 「子ども」の言葉

 「子ども」の言葉とは、「場所」の言葉のことだ。それが「暴言」である時、「場所」は危機に瀕していることを意味する。前回掲げた「伝家の宝刀」

①話せないより話せた方がいい
②元気でないより元気な方がいい

に対して、

「大きなお世話だよ」

という言葉は通訳すると、

「お願いだからそっとしておいてくれませんか」

と言ったことになる。のが教師たちの何人に分かるだろうか。これが「親」という人種になると話は別だ。「暴言」のあと、親の、とりわけ母親の多くは我が子の心中を、瞬間のぞいたことを知り、青ざめる、ことが出来る。それからが正念場なのだ。
 という、そういう手続きをとる、のが親だ。そういう「チャンス」として我が子の「暴言」をきっかけに出来るのは親の方がはるかに、いや、親なら必ず出来る。これが教師という仮面を被った連中には無理なことなのだ。
 1994年だったと思うが、愛知の大河内君という中学生がいじめを苦にして自殺した。なぜかあの時、文部省(あの時はまだ「文部省」だったかな)関係者のみならず、しょうもない「文化人」どもが、
「子どもたちよ、死んではいけない」
なるメッセージをだした。生きていればいいことがまだまだある/そんなに急いてどこに行く/自分にも辛いことがあった/家族が悲しむ等々。ケッ。
 生死の瀬戸際に追い込まれる人間が、どれほど具体的・現実的な責め苦にあっているのか、それを知る、なんとしても知りたい、という本当はそこからがスタートだ。友人から裏切られて、家族からもつまはじきにされて、いじめに遇って、というそこには生々しい表情をともなった一人一人の現実がある。それに対して出された「文化人」どものA4一枚のプリントには、空疎で抽象的な言葉が乱舞していた。
「死んだ方がましだ」
という子どもがいる、という現実を承認出来る人なら、絶対「元気な方がいいでしょ」なる言い方はしない。こんなの「生きてた方がいいでしょ」とレベルは同じなのだ。それに対する
「大きなお世話だよ」
という言葉は、子どもがくれたチャンスだ。子どもたちが本当は相手にすることもない、と思っている相手(言葉)に手がかりをくれた、と考える方が適切だ。そのメッセージを私たちは大切にしないといけない。
 それならそういう子どもは放置するのが適切なのですか、と思う人は…もういいから。勝手に自分だけ「元気に」していればいい。
 

 ☆☆
段々石川さんの著書に近づくように話をしているつもりが、段々包囲しているような気分になってきました。しょうがない。ダメ教師(つまり正統派教師?)への道筋は広く大きく開かれているんだから。次回こそもう少し近づこうと思ってます。

 ☆☆
マンガGTOとドラマ金八、頭と尻尾が少し触れるくらいの時期があったみたいですね。でもGTO世代から金八のことを聞いた記憶がありません。それと仲間から聞いたんですが、このGTOの実写版が再登場するんですって。知ってましたか。主役鬼塚役をEXILEのメンバーがやるんですよ。前回の反町よりさらにイメージ壊れる気がします。
「学校を壊そう」なんてさらさら思ってない鬼塚を、きちんと実写・映像化出来るんでしょうかねえ。そうするためには、とりわけ学校が悪質である必要はない、「普通でいい」ことに、制作する側が気付いて、そして手を打てるのかなあ。マンガの方はそうだったから、つまりそこんとこがきっちりしていたのが凄かった。と思います。

実戦教師塾通信百七十九号

2012-06-22 15:29:40 | 子ども/学校
 <学校>と<子ども> Ⅱ

        <技術>使用の実際 (下)
          「生徒」と「子ども」①


 教室という<場所>


 私が若かりし時、先生になって三年目で五年生を担当した時の話だ。私が新人で採用された小学校は「安全教育」とやらを目玉にし、月に一回ぐらいの割で内外に授業を公開していた。私はよく覚えている。その時の私の授業は自動車の「制動距離」を主題にした授業だった。最後は校庭に出て、止まると予測されたところに段ボールかなんかを置いて、実際そこに向けて車を発信、ブレーキをかけても間に合わずにぶつかる、とかいう結末の授業であった。楽しい授業だった。
 学校の授業の公開ってのは、その後に必ず反省(研修)会が行われる。さて、その反省会でよその市から来た教師たちが口々に言った。
「子どもたちが良く訓練されていますね」

 以上が前置きである。10年ほど前だったか、無能で新しもの好きな学校関係者が、ディベートなる言葉(教育技術だって!)を持ち込んできた時、私は自分の若かりし時の「良く訓練されてますね」とかいう言葉を聞いた時に感じた、大いなる違和感を思い出した。民間会社でもこのディベートは結構使われているので知っている方も多いかもしれないが、一応説明すると、簡単に言ってこれは「討論」のことである。少し違うのは、相手との意見対立を前提とするところ。だから、大統領選挙前の討論会が後々、この「ディベート」として命名されるなどということもあった。以前ある時期、討論や学級会で「自分の利益を主張し、不利益から自分を守る」方法がはやったことがあるが、それらはこのディベートの元祖だとも思われる。
 そろそろ一般読者は退屈して来ましたね。かくも「教育」って退屈なんです。元気な子を前にした時、親だったら、
「元気ですね」
と笑うところを、教育という世界では、
「元気にしつけましたね(または『しついて?ますね』)」
と、先生たちはしかめ面して言うものである。「目標のないところに結果はない」と、「どの面下げて」?思うからだ。
 ってことで、まず若かった私の違和感のことだ。確かに車が段ボールにぶつかるわけで、子どもたちはそこに人がいたらと思ったりして、盛り上がりとしては、「キャー」だの「怖かった」だのというものになるわけだ。でも私は出張でやってきた教師たちが、
「子どもたち、みんな元気ですね」
「いいなあ、楽しそうで」
等という反応があるものだと思っていた。私は若かったなあ。『訓練』なる異民族の言葉を耳にした私は、初めはそうなんだ、そうなのか、ぐらいの気持ちだったが、時を追うに従い、太陽が西に傾き夕暮れになる頃、ボディブローのように効いてきたような記憶がある。
「オレは子どもたちを『訓練』してきたというのか」!?
 教師、そして学校というものは、いつになったら「子どもを育てる」という自縛的、そして傲慢な信念から自由になれるのだろう。
 さて、このディベートなる方法は、
「相手を説得する」
「そのために自分の考えを深める」
「そのため相手の意見を吸い上げる」
などという様々な利点、言ってみれば、
「子どもの持っている力を伸ばす」!!!
技術なんだとか。私もディベートとかいう名前をつけて欲しいと思わないが、
 カツ丼vs天丼
 タモリvsたけし
等というテーマで「いかに自分(カツ丼)が正しいのか」という討議をやってみた。むっちゃ面白かった。また、残念ながら出来なかったが、
 GTOvs金八
をやりたかった。出来なかった理由は分かると思うが、GTOを知り共感する世代の連中は金八を知らない、ゆえに討議にならん。また今は、
 AKBがYESvsNO
を出来るものならやりたいなどとは思う。
 そんなわけでディベート(討論)そのものがまずいと言ってはいない。しかし、学校が必ず抱え込む「学校的症状」を考えると…やはりまずいのだ。なぜか。

①「相手を説得する」ことが「価値」であると捉える
②議論の俎上に乗らないことは考慮に入って来ない
③大体においてルールの逸脱を承認出来ない

からだ。
 まず、相手を説得することは必要に応じてやればいいことである。周囲がどんなに必要と思っても、肝心の本人が必要としないことにどうこう言えるものではない。はずなのに、
「それではいけない」
という道筋を学校は作ってしまう。ついでに、
「今の世の中、それでは生きていけない」
などと、「真剣に」あるいは「親身になって」思うだけならいいが、ついに言ってしまったりする。「相手を説得する」ことは「制圧する」ことじゃないのかと疑う鋭敏な子も、中にはいるものだ。そして、そんなことは出来ないと初めからしり込み、ないしは「逃げる」子もいる。いやそんなことまで言ってない、と傲慢かつ鈍感な大人や教師は思うだろう。どっこい、子どもはそんなもんじゃない。同じ沈黙でも、つまんねえこと話し合ってねえで、さっさと授業終われよ、とだんまりを決め込むやつもいるし、自分が気持ちを抑えてこの場がなんとかなるのなら、と沈黙を選ぶ子どもだっている。そういう「教室」という、様々な寄せ集めとしての<場所>をどれだけ私たちは保障・承認できるのだろうか、いや出来ないはずはない。
 少し「カツ丼vs天丼」のケースで出される意見を考えよう。

・醤油と「揚げる」日本の文化が、様々な形で示される
・洋食と和食の違いと、その時代の「分水嶺」がいつの間にか浮かび上がる
・丼という食し方の合理性と快適さが提示される
・浅草の天丼はなぜグシャッとしているのか
・名古屋のソースカツ丼はカツ丼と言えるのか

最後のふたつは若干ずれてはいるが、以上は大体テーマとストレートにつながっている。面白いのは直接つながらないところで見え隠れするもの。

・天丼で忘れられない思い出がある
・私の家は玉子で閉じないカツ丼を作る
・カツ丼にグリーンピースを載せるのは反対だ
・うちのお母さんが「天丼のタレ」というのを買ってきたが、あんなことでいいのか

ディベートにはならない。が、教室は家庭にまで拡がっている。そして、目を転じると、教室はもっと拡がっている。

・いつも授業でお客さんのやつが唾を飛ばして発言している
・あいつはどんなことを言うのだろうと、自分ではまったく話そうとはしないが、興味津々で成り行きを見守っているやつ
・普段うつむいている子が、顔をあげている。そして笑っている

などということが「説得」とは別な場所で起こっている。そして最後に、

・やはり眠っているやつ
・やはり興味なさそうに手紙なんかを書いてるやつ(私の場合即取り上げですが)
また、
・いつもは元気なのになぜかこの日は元気がないやつ

こうしていろいろなのが教室だ。そこにはいろいろな「子ども」がいるのであって、導きの必要な「生徒」がいるのではない。
 それでも教師たちはダメを押す。

①話せないより話せた方がいいでしょう
②元気がないより元気な方がいいでしょう

まるで究極の選択を迫るかのようなこれらの考え・発想に対して私は、

「大きなお世話だよ」

という究極とも言える子どもの「暴言」を掲げておこう。
 この発言を私は肯定するわけではない。しかし、否定するものでもない。
 大切なのはここからだ、という話を次回にしようと思う。


 ☆☆
AKBの賛否を子どもたちにやらせるとどうなるのでしょうね。私は何となく、その賛否が男女で真っ二つに別れるような気がするんですよね。
そのAKB、前田敦子が「女優志願」と公言したのはだいぶ前だったと思うのですが、今日あたりずいぶんその話題で熱いですね。どうなってるんだか。

 ☆☆
どうなってるんだかと言えば、東電の最終報告書案、読売まで「いい訳ばかりだ」とずいぶんとこき下ろしてます。どうなってんだ。もちろん読売が原発最稼働の主張を下ろしてはいない。巨人の原のことは「ハラを括った」らしいですが、思いつきばかりが横行しているのでしょうか。
私は「いわき自立生活センター」所長さんの、
「(地元各市町村長の主張は)どれも思いつきのいい加減なもんばかりで」
という言葉を思い出してしまいました。

実戦教師塾通信百七十八号

2012-06-20 14:25:12 | 子ども/学校
<学校>と<子ども> Ⅱ

       <技術>使用の実際 (上)
           「アメとムチ」あるいは「自立と依存」②



 意識の古層


 多くの宮崎ジブリ作品が年齢を問わず人気があるのは、殺風景でとりつく島のないように見える私たちの世界が、実はあちこちにオアシスやノスタルジーを抱えているからだと思える。
 では「生命の大切さ」や「人間としての尊厳」を訴えても、今の子どもたちにはちっとも通じない、という教師(大人)の嘆きはどうか。このバカで怠惰な連中は、人間にある極めて限定的な距離というものに無感覚なのだ。恐らくこいつらは「地球の中心に向かって愛を叫ぶ」ことで気持ちは通じると思う。あるいは宇宙に向かう雄大さは人類の危機を救うとでも思うのだ。だから空疎で侮辱的とさえいえる言葉を吐ける。
 自分の無能を差し置いて突っかかってくる理科の先生が嫌でしょうがないという問題を、子どもの話を聞くこともなく、
「大したことじゃないだろう」
と、例えばシリアの子どもたちや被災地の話をして諭す怠惰な態度を無能というのだ。地球は大きいし、日本も広い。そして、人の一生は百年に満たない。そういう人間のスケールにあった感覚が前提だ。確かに「理科の先生」の問題は大したことではない。しかし、そこで起こっている問題は「生徒は授業を聞くものだ」と信じている不幸な先生と、まだ子どもである生徒との不幸な出会いがある、という事実だけだ。シリアだ震災だともってくるなよ、ということだ。
 私たちはマントルを目指す必要はない気がする。東京だって地面を三十㎝掘れば、そこは江戸時代の地面だという。同時に私たちの血液を調べると、そこには二千年前から受け継いでいる成分をみることが出来るという。二千年は遠すぎるにしても、私たちがよく口にする「懐かしい」ものは、見たこともないと思っているが、実は「見たことがある」のかも知れない。「懐かしい」感覚と、江戸時代の地面、きっとそれは多くのことを私たちに伝えている。


 失われた「教育」

 欧米の子育てに学びたいという人たちが、仲間や私のところに相談に来た親に結構いた。私に言わせれば彼ら(彼女ら)は、お世辞にもうまくいっていたとは思えなかった。彼らは欧米のような「自立」した子どもを育てるため、早期の母乳からの離脱、添い寝の拒絶に励んだ。中にはカウンセラーの助言を仰いで励行した親までいた。確かに子どもたちは自分から「お休みなさい」と言って、自分の部屋(布団)に向かっていくようになった。しかし、歳を重ねるに従い「問題」が起こっているように見えた。夜尿症の継続、言葉の遅れなど、私にはそれらが子どもの「自立」を目指した結果だと思えた。なによりそんな両親から「自分は愛されているのだろうか」という不安を子どもたちが抱えているように見えたからだ。
 では、欧米の子どもたちはみんな傷を負っているのか、魅惑に満ちた「自立」のオーラは間違っているのか。違う。欧米のその後の家族の姿に、私たちはそんなに違和感を持たないはずだ。恐らくは欧米のやり方で子どもたちとの距離を推し量り、そしてある時にはそれを縮める機会を親たちが持っているからだ。土居健夫は「甘え」が英訳出来ない、英語にはない概念だと言った。親の懐に「依存」する行為を「甘え」といい、そんな子どもの行為を承認するのが日本独自の子育てなのだろう。「自立」は「依存」と対立したカテゴリーではない。親に「依存」する「甘え」を繰り返し承認されることで、子どもは親から育てられ(教育され)、そして「自立」して行くのだ。
 時代は明治に「学制改革」(1890年)がされた。学校が「義務化」されたのだ。その直後、全国の村々(ちなみに当時は全国の殆どが「村」だったわけで)では就学前の幼子があたかも「遺棄」されたかのような様相だったという。彼らがそれまでお尻を追いかけていた「先輩たち」が忽然と姿を消したからだ。いつかは自分も家族の一員として、また、いつかは村の労役としてという、彼らにとっての「希望」の姿が見えなくなったからだ。昼間、魂の脱け殻のようになって彷徨う幼子を目の当たりにした親たちは、これでいいのか、と同じく相当に動揺したという。それでも幼子たちがそれなりに収まったのは「自分たちもいつかは学校へ」という別な「希望」を見ていたし、そして昼下がりになれば先輩たちとの生活が戻ったからだ。そうして「夕焼けこやけ」や「カラスの子」を歌って家に戻れたからだ。ついでに言えば、幼子は学校に出向いて砂場で、そして極めつけは、教室で「授業を受ける」こともあったのだ。子どもである自分をまるごと抱えてくれた、また、子どもである自分が「依存」できた村の生活が大きく変貌する中で、彼ら(村)はそれでも今までの「希望」との道筋をつけてきた。
 今の私たちにもちろん明治そのままの生活はなかった。だから囲炉裏を囲んで爺婆の話に耳を傾けることなど、さらさら縁がない。しかし、爺婆の難しい話に相槌をうつ兄や、先を催促する姉の姿をある時はまぶしいように眺め、そしてある時は未来の自分を重ねている幼子の姿に私たちは共感出来るに違いない。爺婆の話を聞いて、幼子は自分の意思で笑うのではない、兄や姉が笑うのを見て笑うのだ。そんな安心と共感の連鎖の中で、私たちは自分というものを作ってきた気がする。笑いの心得さえ周囲をうかがいながら身につけたことを主体性がないというのだろうか。日本人は自分で笑うことをしない、周りを見てから笑う民族だ、という蔑みにも似た言い方をよくする。しかし、私たちの意識のまだ浅い部分、百年と下らないところに私たちは「囲炉裏での語らい」を持っているような気がする。それは安心して「甘え」ることのできた、そんな時節でのことだ。「ふん」「それからどぅした」「それ」という民謡の掛け合いの中には、AKBの歌に出てくるのだってあるのだ。私は、おねだり(催促)にあわせて、「場所の協調性」を積極的に肯定したいと思っている。日本人は集団(場所)の協調性がとても強い、と言われて気分を悪くすることはないのだ。
 「道は星に聞け」なるコピーは、確か90年代にカロッツェリアがやったカーナビのCMだったと思う。私たちは「道は人に聞け」という場所からはるか遠い場所にいる。この2月、郡山から福島(南相馬)に向かう新幹線(急行)で、私の隣は母子だった。気がつくと母親はタブレットを開いて、まだよく言葉も知らない女の子に『崖の上のポニョ』をあてがっていた。その子はと言えば、車窓から見えるまだらな雪景色にご執心だったのが救いだった。
 就寝前の話を、子どもは今もねだっているのだろうか、母(父)はそんな子どもに「傘をもらったお地蔵さんは…」と語りかけているのだろうか、と私は思うばかりだ。夜と眠りとお話(お噺)が持つ力を、その魔力と言ってもいい魅力的な力を、今の子どもたちも受け取っていれば、と願うばかりだ。


 ☆☆
「<学校>と…」シリーズというより、「<子ども>の現在」シリーズに近い内容になりました。震災直後、私は「東北の人たちの苦しみを思え」と傲慢な姿勢を露骨にした学校現場を機会があるたびにこき下ろしました。本当はあんな時こそ子どもたちの心をうかがうチャンスだったのですよね。今もって「もったいない」、そう思います。

 ☆☆
つい先日、我孫子のちっちゃなレストランで元県議の吉川さんとバッタリ会いました。今の日本の腹立たしいことなど語り合ったのですが、次の選挙には出ないらしいです。恒例?のアジアひとり旅に間もなく出発する(もう出発したはず)ことや、その往復費用が1000円!という格安航空のことなど、変わらず元気そうでした。