蛭田さんの話
~「世界初」ではなく~
1 たわわな乳
「いやあ、あんなにアップされてると思わねえもんよ。老けたなあオレ、しわだらけなんだ~」
蛭田さんと生まれたての子牛と母親は、今月の「広報ならは」の表紙を飾った。十分にりりしく、そして生き生きとした蛭田さんだと思うのだが。また、特集を組んだのは地元の福島テレビ、そして河北新報である。
全国ネットでも蛭田牧場のことは流れたので、皆さんの中にも、新聞やニュースで目にした人がいるかも知れない。
去年の夏、やっとの思いで買いつけた5頭からのスタート。
そして今の蛭田牧場である。36頭になったそうだ。はち切れんばかりの乳の牛もいる。
向こうでのんびり昼寝中の牛が2頭。近づくと、そのうちの一頭は去年の夏はドーベルマンぐらいの大きさの子牛だった。もう立派な大人になっていた。立ち上がってこちらにやってくるので、手を伸ばすとなめてくれた。
かたわらでサイロに牧草を入れている。
2 「そっちに流されたらダメだと思ってね」
蛭田さんところの乳は、農協牛乳のブランドで製品化され市場に出る。しかし、
「これは純然たる『蛭田牛乳』ですよ」
と、出来立ての牛乳を振る舞ってくれた。
私は「冷たい」方もおねだりし、ご馳走になった。これが苦節5年10カ月の味だとか、やっぱり濃い!などと思うこともなく、私は、
「美味しい」
「美味しい」
と言って、次々飲んでしまう。私のようなものがなんと言おうと、安っぽいのは確かだった。
「乳脂肪分を薄くするわけには行かない、そればっかり思ってました」
楢葉を追われ、その間は臨時の仕事に就いたり、除染作業もやったという。その間も牛や牧場を考えて、何度も自分を追い込んだのだろう。でも、そんなことに蛭田さんは一切触れない。どうせ分かってもらえないことだ、それを分かってもらおうとする暇があったらやらないといけないことがある、蛭田さんはそんな風に思っているのかも知れない。
「『復興』って言葉もねえ、そんなものに浮かれてたらダメだと思って」
「メディアが一気にやってきて、旧警戒区域での酪農再開は『世界初』とか言ってくれるんだけどねえ……」
オレも同じことを口走ってたんじゃないか、私はハッとする。どこまでも慎重に語る蛭田さんから、思わず目をそらしてしまいそうだ。
「放射能がないってのは『当たり前』。そんな『普通』のことを『大変』とか『自慢』の種にしたくない」
こういう人を目の当たりにしていることに、私はありがたいと思わないわけにはいかない。こういう人がいるのだ。
蛭田さんが立つすぐ横に耳しか見えないが、生まれたての牛(乳牛ではない)の赤ちゃんが見えますか。
「メディアは出産のところを撮りたがるんだよねえ」
という蛭田さんだ。私たちが牧場に着いたころ、ちょうど生まれたらしい。蛭田さんが気づかない間の出来事だった。人が手伝って引っ張りだすのをよくテレビなんかで見るが、
「和牛は小さいから、大丈夫なんだよ」
ということだった。
牛の赤ちゃんは、まだ立てない前足をぶるぶると震わせながら、一生懸命伸ばそうとしている。母牛がじっと見守って、時折励ますようにモ~と声をかけるのだった。
3 「仲村トオルと同じだよ」
蛭田牧場をあとにして、私は渡部さんのダンプの中でつぶやく。
「メディアを利用しようって人たちもいっぱいいたのに」
「どうしてあんなに地道に考えられるんだろう」
渡部さんが言った。
「きっと仲村トオルと同じだよ」
私は、え?と運転席に目を向ける。
「(仲村トオルは)カメラも連れて来ねえしよ」
「目的はそういうんじゃねえんだってことじゃねえか」
「きっと前の生活を取り戻したいだけなんだよ」
ああ、渡部さんもそうなんですよねと、私は思った。
☆☆
学校の体育は、今サッカーです。子どもを遊ばせ子どもと遊ぶ、球技はその両方を約束してくれる。楽しいですねえ。相手をスルーする楽しさを、ボールをピタリと止める快感を、ちっちゃい子でも味わえる! 若い先生たちも一緒にやろう!と挑発してます。
☆☆
その体育が雨にたたられて、DVD鑑賞とあいなりました。私になにか仕事はないですか、の結果、職員室でマルつけ。すると、
「先生、今日は『空き』ですか」
と同じく「空き」の先生に、にこやかに声をかけられました。そうか、オレは今「空き」なのか、きっと初めてで最後の「空き」。現役を思い出させる、強烈な響きでした。
懐かしい!
~「世界初」ではなく~
1 たわわな乳
「いやあ、あんなにアップされてると思わねえもんよ。老けたなあオレ、しわだらけなんだ~」
蛭田さんと生まれたての子牛と母親は、今月の「広報ならは」の表紙を飾った。十分にりりしく、そして生き生きとした蛭田さんだと思うのだが。また、特集を組んだのは地元の福島テレビ、そして河北新報である。
全国ネットでも蛭田牧場のことは流れたので、皆さんの中にも、新聞やニュースで目にした人がいるかも知れない。
去年の夏、やっとの思いで買いつけた5頭からのスタート。
そして今の蛭田牧場である。36頭になったそうだ。はち切れんばかりの乳の牛もいる。
向こうでのんびり昼寝中の牛が2頭。近づくと、そのうちの一頭は去年の夏はドーベルマンぐらいの大きさの子牛だった。もう立派な大人になっていた。立ち上がってこちらにやってくるので、手を伸ばすとなめてくれた。
かたわらでサイロに牧草を入れている。
2 「そっちに流されたらダメだと思ってね」
蛭田さんところの乳は、農協牛乳のブランドで製品化され市場に出る。しかし、
「これは純然たる『蛭田牛乳』ですよ」
と、出来立ての牛乳を振る舞ってくれた。
私は「冷たい」方もおねだりし、ご馳走になった。これが苦節5年10カ月の味だとか、やっぱり濃い!などと思うこともなく、私は、
「美味しい」
「美味しい」
と言って、次々飲んでしまう。私のようなものがなんと言おうと、安っぽいのは確かだった。
「乳脂肪分を薄くするわけには行かない、そればっかり思ってました」
楢葉を追われ、その間は臨時の仕事に就いたり、除染作業もやったという。その間も牛や牧場を考えて、何度も自分を追い込んだのだろう。でも、そんなことに蛭田さんは一切触れない。どうせ分かってもらえないことだ、それを分かってもらおうとする暇があったらやらないといけないことがある、蛭田さんはそんな風に思っているのかも知れない。
「『復興』って言葉もねえ、そんなものに浮かれてたらダメだと思って」
「メディアが一気にやってきて、旧警戒区域での酪農再開は『世界初』とか言ってくれるんだけどねえ……」
オレも同じことを口走ってたんじゃないか、私はハッとする。どこまでも慎重に語る蛭田さんから、思わず目をそらしてしまいそうだ。
「放射能がないってのは『当たり前』。そんな『普通』のことを『大変』とか『自慢』の種にしたくない」
こういう人を目の当たりにしていることに、私はありがたいと思わないわけにはいかない。こういう人がいるのだ。
蛭田さんが立つすぐ横に耳しか見えないが、生まれたての牛(乳牛ではない)の赤ちゃんが見えますか。
「メディアは出産のところを撮りたがるんだよねえ」
という蛭田さんだ。私たちが牧場に着いたころ、ちょうど生まれたらしい。蛭田さんが気づかない間の出来事だった。人が手伝って引っ張りだすのをよくテレビなんかで見るが、
「和牛は小さいから、大丈夫なんだよ」
ということだった。
牛の赤ちゃんは、まだ立てない前足をぶるぶると震わせながら、一生懸命伸ばそうとしている。母牛がじっと見守って、時折励ますようにモ~と声をかけるのだった。
3 「仲村トオルと同じだよ」
蛭田牧場をあとにして、私は渡部さんのダンプの中でつぶやく。
「メディアを利用しようって人たちもいっぱいいたのに」
「どうしてあんなに地道に考えられるんだろう」
渡部さんが言った。
「きっと仲村トオルと同じだよ」
私は、え?と運転席に目を向ける。
「(仲村トオルは)カメラも連れて来ねえしよ」
「目的はそういうんじゃねえんだってことじゃねえか」
「きっと前の生活を取り戻したいだけなんだよ」
ああ、渡部さんもそうなんですよねと、私は思った。
☆☆
学校の体育は、今サッカーです。子どもを遊ばせ子どもと遊ぶ、球技はその両方を約束してくれる。楽しいですねえ。相手をスルーする楽しさを、ボールをピタリと止める快感を、ちっちゃい子でも味わえる! 若い先生たちも一緒にやろう!と挑発してます。
☆☆
その体育が雨にたたられて、DVD鑑賞とあいなりました。私になにか仕事はないですか、の結果、職員室でマルつけ。すると、
「先生、今日は『空き』ですか」
と同じく「空き」の先生に、にこやかに声をかけられました。そうか、オレは今「空き」なのか、きっと初めてで最後の「空き」。現役を思い出させる、強烈な響きでした。
懐かしい!