実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

蛭田さんの話  実戦教師塾通信五百三十六号

2017-02-24 11:52:02 | 福島からの報告
 蛭田さんの話
     ~「世界初」ではなく~


 1 たわわな乳


「いやあ、あんなにアップされてると思わねえもんよ。老けたなあオレ、しわだらけなんだ~」
蛭田さんと生まれたての子牛と母親は、今月の「広報ならは」の表紙を飾った。十分にりりしく、そして生き生きとした蛭田さんだと思うのだが。また、特集を組んだのは地元の福島テレビ、そして河北新報である。

全国ネットでも蛭田牧場のことは流れたので、皆さんの中にも、新聞やニュースで目にした人がいるかも知れない。
 去年の夏、やっとの思いで買いつけた5頭からのスタート。

そして今の蛭田牧場である。36頭になったそうだ。はち切れんばかりの乳の牛もいる。



 
 向こうでのんびり昼寝中の牛が2頭。近づくと、そのうちの一頭は去年の夏はドーベルマンぐらいの大きさの子牛だった。もう立派な大人になっていた。立ち上がってこちらにやってくるので、手を伸ばすとなめてくれた。

 かたわらでサイロに牧草を入れている。


 2 「そっちに流されたらダメだと思ってね」
 蛭田さんところの乳は、農協牛乳のブランドで製品化され市場に出る。しかし、
「これは純然たる『蛭田牛乳』ですよ」
と、出来立ての牛乳を振る舞ってくれた。

私は「冷たい」方もおねだりし、ご馳走になった。これが苦節5年10カ月の味だとか、やっぱり濃い!などと思うこともなく、私は、
「美味しい」
「美味しい」
と言って、次々飲んでしまう。私のようなものがなんと言おうと、安っぽいのは確かだった。
「乳脂肪分を薄くするわけには行かない、そればっかり思ってました」
楢葉を追われ、その間は臨時の仕事に就いたり、除染作業もやったという。その間も牛や牧場を考えて、何度も自分を追い込んだのだろう。でも、そんなことに蛭田さんは一切触れない。どうせ分かってもらえないことだ、それを分かってもらおうとする暇があったらやらないといけないことがある、蛭田さんはそんな風に思っているのかも知れない。
「『復興』って言葉もねえ、そんなものに浮かれてたらダメだと思って」
「メディアが一気にやってきて、旧警戒区域での酪農再開は『世界初』とか言ってくれるんだけどねえ……」
オレも同じことを口走ってたんじゃないか、私はハッとする。どこまでも慎重に語る蛭田さんから、思わず目をそらしてしまいそうだ。
「放射能がないってのは『当たり前』。そんな『普通』のことを『大変』とか『自慢』の種にしたくない」
こういう人を目の当たりにしていることに、私はありがたいと思わないわけにはいかない。こういう人がいるのだ。

蛭田さんが立つすぐ横に耳しか見えないが、生まれたての牛(乳牛ではない)の赤ちゃんが見えますか。
「メディアは出産のところを撮りたがるんだよねえ」
という蛭田さんだ。私たちが牧場に着いたころ、ちょうど生まれたらしい。蛭田さんが気づかない間の出来事だった。人が手伝って引っ張りだすのをよくテレビなんかで見るが、
「和牛は小さいから、大丈夫なんだよ」
ということだった。
 牛の赤ちゃんは、まだ立てない前足をぶるぶると震わせながら、一生懸命伸ばそうとしている。母牛がじっと見守って、時折励ますようにモ~と声をかけるのだった。

 3 「仲村トオルと同じだよ」
 蛭田牧場をあとにして、私は渡部さんのダンプの中でつぶやく。
「メディアを利用しようって人たちもいっぱいいたのに」
「どうしてあんなに地道に考えられるんだろう」
渡部さんが言った。
「きっと仲村トオルと同じだよ」
私は、え?と運転席に目を向ける。
「(仲村トオルは)カメラも連れて来ねえしよ」
「目的はそういうんじゃねえんだってことじゃねえか」
「きっと前の生活を取り戻したいだけなんだよ」

ああ、渡部さんもそうなんですよねと、私は思った。


 ☆☆
学校の体育は、今サッカーです。子どもを遊ばせ子どもと遊ぶ、球技はその両方を約束してくれる。楽しいですねえ。相手をスルーする楽しさを、ボールをピタリと止める快感を、ちっちゃい子でも味わえる! 若い先生たちも一緒にやろう!と挑発してます。

 ☆☆
その体育が雨にたたられて、DVD鑑賞とあいなりました。私になにか仕事はないですか、の結果、職員室でマルつけ。すると、
「先生、今日は『空き』ですか」
と同じく「空き」の先生に、にこやかに声をかけられました。そうか、オレは今「空き」なのか、きっと初めてで最後の「空き」。現役を思い出させる、強烈な響きでした。
懐かしい!

壇蜜のエール  実戦教師塾通信五百三十五号

2017-02-17 11:22:01 | 子ども/学校
 壇蜜のエール
     ~まっこと窮屈な~


 1 ストレス発散

 前回の「☆☆」のとこで言った東京MXテレビへのコメントだが、結構反応ありありだった。当然ですという共感ばかりではなかったのだ。オマエは事情を知ってんのかみたいなものもあったので、少しばかり書いておきます。
 高江ヘリパッドが、返還される訓練場に比し面積も狭く、工事も直径50mの(コンクリートではなく)芝を6個打つものであること。そして人も余り足を踏み入れない地であること(だからこそ「保存」の声もある)ぐらいは知ってる。また、地元民の反対と言っても、そもそも地元民が少ない。そういった事情をバックにしていると思うが、翁長知事がこの工事に、官房長官との昼食会で、「歓迎」の言葉を発したことも分かってる。
 でも、だからと言って、
「よそから来た連中がこのエリアを占拠している」
「救急車も通れなかった」
とかいうデマが許されるわけがない。そういう事実はないと、現地の消防/救急が証言している。
 要するに、いろいろなことを口実に、バカな連中がストレスを発散させている。用心しましょう。ということです。

 2 まっこと窮屈な
 このしょうもないストレス発散集団は、「正義の仮面」もかぶる。よしもとばななは、
「(子連れで楽しくやってると)子どものいない人がどんな気持ちになるか、そんな幸せそうにしないで」
と言われるそうだ(『すばらしい日々』より)。

 もっと傑作がある。ニュースで記憶に新しいが、鹿児島県志布志市のふるさと納税PR動画の、
「養って……」
という水着姿の少女である。どうやら名産の鰻を少女に見立てたものらしい。
「児童ポルノだ」「女性蔑視」「無駄に性欲を喚起する」
と炎上し、中止。見たかった。もっと笑ったのが、ソフトバンクの人気CM「白戸家の人々」へのクレーム。ご存じの通り、犬が父親で息子が黒人男性。すると、
「黒人は犬から生まれたと言いたいのか」
という、これは日本人から来たクレームだそうだ。いやあ笑った。そのうち「女子力」とやらも摘発されるんじゃないか。クレーマーさんはひまなんだから、そんなことより男の「メイク」が市民権を得そうだという、そっちの方を頑張って欲しいと思うんですよね。関係ないけど、高梨沙羅ちゃんのメイク、ぜんぜんオッケーって。

 3 いいね!
 前記の「無駄に性欲を喚起する」なる理屈を、フロイトなんかは許せないんじゃないだろうか。どんな性欲が「無駄」だったり「健全」だったりするのか聞いてみたい。
 さて、ようやく本論。私は昨年8月の新聞紙上で、壇蜜の人生相談を目にした時、
「やっぱり壇蜜はいい!」
と思った。壇蜜から「世話」になったことはない。しかし、テレビのキャスターやアエラなんかで見かける壇蜜に、感心していた。
 この壇蜜の回答が、三カ月後同じ朝日紙上で、元TBSアナウンサー小島慶子から待ったがかかる。

  無理じゃないと言う人は、この写真で読んでください。
クラスの男子から、毎日のように、
「胸をもませるかパンツを見せて」
などと言われ、イライラするという相談を寄せた女子中学生は、回答者として壇蜜を指定している。面白い子だ。
「思い切ってその手をぎゅっと握り『好きな人にしか見せないし触らせないの。ごめんね』とかすかに微笑んでみてはどうでしょうか」
というのが壇蜜の回答である。たいしたもんだ。
 壇蜜の回答のナイスなところは、この男子をも肯定していることだ。こういうご時世だというのに、だ。さて、相談者の女の子が壇蜜の意見にならって、
「ごめんね」
などと言おうものなら、
「おい、何を謝ってる! 謝るのは男の方だ! そんな態度が男中心の社会を引き延ばして来たんだ!」
などと言われる世の中だ。表現こそ違うが、この時の反論がそうだ。

「アンタのこと眼中にないし」「嫌いだし」
と言えず、さりとてこのままでは嫌だし、という女の子が選んだ相談相手は「壇蜜」なのだ。
「これはセクハラですよ」「人権侵害です」
的な毅然(きぜん)とした対応を希望するなら、もっと別な……三原じゅん子や曽野綾子を選んだでしょう。
 壇蜜に「いいね!」


 ☆☆
横浜でのいじめ事件、予想した通り、「超」がつくみっともない結末となりました。この後、第三者委員会の出した結論や、そのことに「逆らえない」とした教育長への検証はするのでしょうか。そして、「150万円はおごり」なる結論への見解を回避し「子どもの気持ちに寄り添ってない」と言葉を濁した市長もです。
両親の、
「原発いじめというくくりで大きく取り上げられましたが、今回の息子の件はどこでも起こりうる『いじめ』です」
という見解を、私たちは指針としないといけません。
そして愛知県一宮市の「担任の不適切な指導」で起こった事件とその後の対応とやら、学校の醜態が続いてますね。「いじめ」だったかどうかなんてことより、
「ひどい『指導』だった」
と言ってくれよ、と思うのは私だけなんでしょうか。

「ちっと触っただけだよ、なのに『叩いた』とか言うんだよ」
な~んて先生、結構いるんです。私は、
「その子は近づかないでって言ってるんだよ。アンタそれぐらい嫌われてるって分かんないの?」
と「難癖をつける」んですが、そんなことを思い出しました。

 ☆☆
いやな気分を変えましょう。先月の学校の歌です。『クラスの星座』(作詩・里乃塚令央)。一部掲載します。

ボクたちの 今の歴史が
並んで いる場所
クラスって 夜空に浮かぶ
星座に にている

いつも 近くにいるから
見えないけど
離れてると どこかでホラ
光り始める

それぞれの呼び名も
返事の仕方も
走ってく仕草も
その時の顔さえ

みんな違う 輝きが
ここで ひとつになる

朝の教室にこの歌声が響きます。すると必ず、涙ぐんで歌っている子がいる。それが分かる気がします。二番もあったかいフレーズが続きます。良かったら検索してみてください。

英一郎のリサイタル  実戦教師塾通信五百三十四号

2017-02-10 11:12:23 | 子ども/学校
 英一郎のリサイタル
     ~40年ぶりの再会~



[演目]
  グリーグ     『春に寄す』
  ラフマニノフ   『前奏曲 作品32-12』
  ショパン     『エチュード 作品10-12「革命」』
  ドビュッシー   『月の光』
  リスト      『ラ・カンパネラ』

 1 「英一郎!」
「英一郎!」
『エイイチロウ…』
「覚えてる……?」
『オボエテル…』
「琴寄先生だよ」
『コトヨリセンセイ…』
「八木南小学校にいたんだよ」
『ヤギミナミショウガッコウ…』
 
 新聞の千葉版で、5段に書き抜かれた記事を見て驚いた私は、2月5日、英一郎に会いに行ったのである。
 演奏が終わって、私はホールのたくさんの人垣をかき分け、英一郎に到達した。ああ英一郎だ、紛れもない、このおうむ返しのやりとり。懐かしい。47歳になった川島英一郎は、確かに中年の風体をまとっていた。しかし、左肩を少し上げ気味にした立ち方、身体を少し右側に湾曲させるような歩き方は、ちっとも変わっていなかった。前触れなしに、40年ぶりで現れたこの老人を誰だろうと思い、英一郎はとてつもなく困惑したに違いない。

 2 誉れ高い若き日
 ずっと前、このブログで書いたことだが、この機会にまた書く。
 40年前の年度が変わる直前か変わった直後、どっちにせよ、春のある日のことだった。職員打ち合わせで、
「障害を持った新入生が4人入ってきます」
と校長が報告した。この小学校に障害児学級はなかった。しかし保護者たちの、
「子どもたちが暮らす地域の学校に通わせたい」
という強い願いが、校長を動かした。つまり、普通学級への入学なのだ。いま考えれば、40年前にこういう動きをした親もすごいが、校長も思い切った決断をしたなと思う。私はこの校長にいろんなことで食ってかかったが、ずいぶん世話になったなと思う。元気にしてるだろうか。
 ある朝職員室で、担任が困りきった顔で、英一郎を紹介した。見てくださいと言うかのような担任に、英一郎は応戦した、ように見えた。ずっと口笛を吹いていたのだ。こんなさらし者扱いがあるか、と煮えくり返った私の腹は、やがて校内を自由に歩き回って口笛を吹く英一郎に向かう。ちょっかいを出しても声をかけても、目を合わせようとさえしない英一郎は、かわいくって仕方がなかった。同時に、人がやたらに立ち入ってはいけない世界があることを、英一郎は教えているようにも思えた。
 そしてある日、驚くことが起こる。
「コトヨリせんせ~い!」
という英一郎の声が、校内に響きわたったのである。
 この時、英一郎が自分から言葉を発することを、校内の私たちは知った。しかもそれは、固有名詞……琴寄だった! 授業中の廊下でだったか校庭だったか、それは響いた。その後も続くこの声に、授業中の私は赤面した。
 こう言ってはなんだが、もうみんな英一郎を放っておくことはなかった。担任と私とは、英一郎の話で毎日持ちきりとなった。我が6年3組は、校庭で英一郎と遊ぶのが日課となった。おそらく英一郎がいる一年生の教室も、大きく変わっていたはずだ。

「英一郎さ~、参ったなあ」
と、サンマ(あだ名)が言ったことをよく覚えている。
「あいつ、ハンカチを落とすから拾ってやるんだけど、また落とすんだよ」
「それでオレがしゃがむと、背中に乗ってくるんだよなあ」

感心して言うサンマに、私は感心したのである。
 6年3組の卒業の日、英一郎がお母さんと一緒に、わざわざ教室まで持ってきた「ポテトチップス」。みんなで分けて食べたポテトチップス。
 若かった私の、誉れ高い一日。

 3 「仲村トオルさんが来てくれて」
 私は開場してすぐに到着したが、会場は定員を大きく越えていた。予備の椅子を出すも、私の前で列が切られた。このまま帰るわけには行かない。受付で、花束だけでも渡したいと申し出た。しかし、うけたまわりますと来る。冗談じゃないという言葉が、私の口から出た。演奏直前で、本人には渡せない。そんなことは分かっている。せめてお母さんに渡したい。さて受付に、昔のまんまのお母さんが出て来た。
「八木南小学校で一瞬だけご一緒した琴寄……」
私がそこまで言うと、お母さんは両手を大きく打ち鳴らした。覚えていてくれた。そして、固く断る私の手を引いて案内したのは、関係者席だった。
 定員は250人、予備の席を合わせれば300人は優に越えるだろう。
「今日の熱気はなに?」
「相模原の事件が影響してるみたい」
そんな関係者の会話が耳に入る。

   具合悪そうな顔しやがって、って私の顔。

 演奏後のひととき、私たちの「会話」に入ってきたのは、お姉さんだった。お姉さんがいたことなど、私の記憶になかった。でも、
「英一郎がたくさん遊んでいただいて」
と言ってくれる。そして意外なことを教えてくれた。多分20年ぐらい前のことだ。小さな会場でリサイタルをした時、
「こっそり仲村トオルさんが来てくれたんです」
でも、すごい騒ぎになっちゃって、という話だ。この日受付で、両手を大きく打ち鳴らしたお母さんが、
「仲村トオルさんたちの先生!」
と言ったのは、そういうことだったのか。
 今日はなんていい日だったのだろうと思い、私は会場をあとにした。


 ☆☆
そう言えばお姉さんが、
「英一郎ったら、白いものがだいぶ目立つようになって……染めてるんですよ」
と言ってました。オレもトシを取るはずだと思いました。 
そのトシの話。いやあ、風邪を引いてしまいまして。そのおかげで、三日連続の欠勤ですよ。恥ずかしい。こんなこと現役では絶対なかった。トシですよ~
     
     ご近所の立派なお屋敷に、早くも梅が満開です

 ☆☆
沖縄ヘリパッド反対のデモを、
「テロリストみたい」
「日当5万円だって」
「韓国人がなんでいるんだ」
などと、笑いながら報道した東京MXテレビ。このニュース知ってますよね。
「騒ぎになったけど、盛り上がってる」
と、驚きのコメントをしたこの番組の司会は、なんと東京新聞の長谷川論説副主幹。東京新聞は、ジャーナリズムの精神を担ってきたんじゃなかったのか。この東京新聞で、ずっと沖縄に寄り添う発言をして来た佐藤優に促されるように、主幹が「処分」をちらつかせました。でも、副主幹は、
「処分するなんていうのは、言論の自由を侵害するものだ」
という反応。デマや誹謗中傷が「言論の自由」かよ。How old are you? あんた、いくつなの?

「さあ、今日の話をしよう!」  実戦教師塾通信五百三十三号

2017-02-03 11:33:29 | 子ども/学校
 「さあ、今日の話をしよう!」
     ~「報告の難しさ」~



 ☆☆
 仕事上の報告に関するレクチャーを頼まれました(学校)。それで思い出したのが「さあ、今日の話をしよう!」というブログ(Ameba)です。
 いつも拙著への評を、学校関係者に限らずというより、むしろそれ以外の方から多くいただきます。まったく知らない方からのもので、それが学校関係者でない時、なぜかある高揚感が生まれます。昨年か一昨年、こんな書評が出てるぞと教えられ、初めてこの「さあ、今日の話…」読みました。千葉県のお医者さんらしい。今回の「報告」をめぐるレクチャーを話すにあたって思い出しました。ここの読者の皆さんにも、この機会に読んでもらおうと思い、そのままコピーします。もっと贅沢にデコレーションされたブログなんですが、コピーするとすべて消えてしまう。なので、勝手に私の撮った写真を挿入しておきます。



さあ、今日の話をしよう!

さて、今日はどんな一日だったでしょうか?
美味しいお酒が飲めたでしょうか?
今日の私はこんな感じでしたよ。
よろしければ、あなたの話も聞かせてください。



さあ、ここが学校だ!西原中学校教師チームの軌跡と奇跡(著:琴寄政人)

2012-05-15 08:27:41

テーマ:
心育む本を読もう。

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今の子供たちは、
みんな一人である。
だから一人ではいられない。

千葉県のとある中学校であった、
ノンフィクション。
職場の後輩の出身校が舞台、
長女がこの春卒業した中学でも、
似たようなことに陥っていたのを、
聞いていて手にした本だ。


    記事とは関係ありませんが、今お邪魔中の学校の教室

先生らしい、
沢山の言葉を使った記述に、
はじめ戸惑い、
加減して欲しいなと感じたが、
読み進みこれに慣れると、
現場の風景がアリアリと見えて来た。

学級崩壊。
この学校では学年崩壊があった。
出入自由、
紙吹雪が舞う騒然たる教室では、
子供たちが思い思いにしゃべり、
奇声をあげ、
ヘッドホンで音楽を楽しむ。
授業中の教室内で、
雀卓を囲んだという話も出てくる。

教師を無視するのではなく、
「無化」していた、
と筆者は表現する。

象徴的なシーンとして、
始業式でまだ解散と宣言される前に、
まるで潮が引くように、
子供たちが体育館を出ていく場面をあげている。
制止することの出来ない大きな流れに、
ただ見ているしか仕方がない、
絶望的な光景。

一人一人が城を持つ教師と言う仕事は、
隣の教室のことに口を出しづらい性質があるらしい。
明日は我が身である。
故に助けを求めるのも遅くなり、
抑えきれなくなってはじめて表面化したときには、
既に簡単には手の施しようがなくなっている。

西原中では、
教師がチームを組んで、
出来ることを出来るだけやる、
という方針でこの学年崩壊した、
子供たちに向った。
一人では背負いきれない重りを、
みんなで負担しあい、
対処の仕方を明らかにすることで、
迷い勝ちな判断をサポートする。

怒らない。
熱くならない。
穏やかに何度も繰り返し、
徹底する。
親に連絡をする。
受け入れられても、
受け入れられなくても、
怠らずに丹念にやる。

時間になったら教室にいれる。
途中では出入りさせない。
邪魔をするなら来なくていい。
困ったらすぐに助けを呼ぶ。
邪魔をしたら親に連絡して家に帰す。

徹底されたことは、
つまりそんなことだった。

一人で背負いきれないことを、
声を掛け合い、
助け合い、
チームで対処することで、
この学年はわずか二年で大きく変わる。

何故変わったのかは、
ひとつふたつの理由ではないだろう。

私が感じたのは、
教師チームの一貫した姿勢や、
協力体制の相互信頼、
そしてチームプレーに対する、
ある種の畏怖、または憧憬が、
子供たちに芽生えたのではないか、
ということだ。

無であった教師が、
意識せざるを得ない存在になり、
いつしか、
生きる上での見本を見せる、
数少ない信頼できる大人として、
彼ら彼女らに写ったのではないか?

そんな風に感じられた。

筆者は未熟という言葉で、
子供たちを表す。
未熟であることはいい悪いではない。
ただそこに、
まだ大人の理論では動けない、
考える葦がある。

ファミレスや、
ディズニーランドなどの待ち時間でさえ、
家族が会話することなく、
それぞれがゲームや携帯をいじくっている子供たちは、
そこに何を見ているのだろうか?


    同じく校舎の窓から見える、富士山!

寂しい時代だ。
一緒にいるのにひとりぼっちなんて。

一人だから、
一人ではいられない。
寄り添って違う画面を見つめている。

だけどきっと、
ここから始まる未来もあるんだろう。
いつか苦しみながらも、
自分達の未来を創るために。

そう信じたい。

(2012年 16/80)


 何度も読んでます。そして励まされてます。
 この書評にも少し見えますが、報告することの「難しさ」が、実は肝心なのだと思ってます。今回のレクチャーも、その点を指摘していきたいと思ってます。

 ☆☆
先だってお邪魔した大川小学校の佐藤和隆さん、柏に来てお話しいただけることになりました。夏になるか秋になるかまだ分かりませんが、日程など決まりましたら、またお知らせします。

 ☆☆
福島からの転入生へのいじめに、先日(1月25日)、横浜市長が「謝罪」しました。内容が面白いですね。その前に、興味深いことがあります。この発言を検索すると、トップの「読売」「ヤフー」「NHK」の記事が、読めなくなっています。何者かが削除したのですね。
「第三者委員会においても、金銭授受についていじめとは認定できないという結論になっており、新たに認定し直すということは難しい」という、口あんぐりの教育長発言に対し、林市長は、
「子どもに寄り添った発言ではなかった。大変申し訳ない」
と言ったわけです。これを謝罪と呼ぶかどうかと言う前に、この発言がまったく流れに沿ってないと、私たちはいうべきでしょう。綿密に打ち合わせして行った「謝罪」なんでしょうね。