実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

2013年 Ⅳ  実戦教師塾通信三百四十六号

2013-12-30 13:51:57 | 子ども/学校
 2013年 Ⅳ

      ~一年の最後に~


 1 電車


 年の終わりにいいものを見た。
 その乗客は、茶髪染めに失敗した中年の男かと思ったが、地毛(じげ)だった。外国の、それは欧米(おうべい)系の人だと気づいたのは、しばらくしてからだった。ボックス席の四人掛けに、向かい合わせて日本人の奥さんと、二人の男の子が座っていた。小学校の中学年か高学年の、おそらくは年子の兄弟が、実に賑やか(にぎやか)なのだ。騒がしいというのではない。二人とも仲良く、のべつ幕なしに、実によくしゃべる。電車中でこんなに賑やかな男どもを久しぶりに見た。ゲーム機は持っていたのだろうか。
 この二人が地理や電車に詳(くわ)しい。ずいぶん興味関心があるようで、「北斗(ほくと)」に始まり、埼京線・山手線、そして、御徒町(おかちまち)や江ノ島と、自在に解説めいた話やら思い出話をしている。父親がそんなにうまくない日本語で、あの電車は東京に行くんだ、とひどく疲れた様子でいうのだが、違うよ宇都宮に行くんだ、と即座(そくざ)にひとりが打ち消し、
「パパはガイジンだから分からないんだよ」
と、実に無頓着(むとんちゃく)に言ってる。これは両親(りょうしん)も確かに疲れるだろう、と思われる兄弟なのだ。パパもママも、ひたすら周囲に気遣い(きづかい)、たまりかねたように時折(ときおり)、
「静かにして!」
「ケンノスケ!(純和風の名前だった)」
と懇願(こんがん)するように言うのだった。
 色白で目の大きいこの兄弟は、自分たちが不思議な回路を持っていることにまだ気づいていない。自分たちの納得(なっとく)が行かないことや、壁(かべ)に出会うと、いつもこの子たちは、多分、
「パパがガイジンだから」
と言っている。「外国の人」や「外国人」ではなかった。外(国)人があまり喜ばしく思わない「ガイジン」という呼び方をこの子たちはしていた。この子たちのそんな言い方を、パパもママもおそらくは「仕方がない」と思っている。そんな両親からの愛情を、二人は充分に感じさせるのだった。彼らの「楽しい」モードが、「いい気になる」水準まで行かないからだ。彼らの話のボルテージは、やはり「うるさい」ところまで行かない節度を保っていたからだ。彼らはしかし、学校で「ハーフ」という観方(みかた)や呼ばれかたをしているはずだ。そんな時彼らは、
「パパがガイジンだから仕方がないんだよ」
と答えているのだろうか。そう思って私はまた笑ってしまった。


 2 やり切れない思い、そしてバカども

① 千葉県柏市立富勢中学校生徒自殺
 はっきり書いてしまった。というのも、おそらく『千葉日報』だけだと思うが、こうして学校を実名で特定しているからだ。このブログでも何度かこの事件ついて書いたが、市教委の調査報告がこの16日に明らかになっている。
「重大ないじめなかった」
という見出しは、各紙(千葉版)に共通。以下はそれらの中で、一番詳(くわ)しく報告していると思われる『千葉日報』からの要点である。
・生徒に対するアンケート調査は、今年の10月、同校の2、3年生を対象に行われた。
・その結果を見た両親の意見で、生徒6人に対して聴き取り調査があった。
・それらの結果から、市教委は「重大ないじめは見つからなかった」とする。
・この結論を今月の6日、両親に報告した。
というものだ。
 以前報告した通り、本池奈美枝市会議員の登場が、もともとこの生徒自殺公表のきっかけとなっている。しかし、市議会答弁で教育長(だと思うが)が、
「公表しないで欲しいという保護者からの強い要望があった」
と発言したことに対し、議員は追及・否定していない。議員はホームページもブログも開設していないため、この部分のコメントを公表していない。
 現場の周辺や仲間から直接聞いたことはまだある。しかし、これ以上この事件について書くのを控(ひか)えようと思う。ただ、私は前にも書いたことを思い起こしてしまう。この生徒が自殺した今年の2月とは、生徒が富勢中学に転入してわずか一カ月後のことだった。そのことを報道が、そしてもちろん当局が語っていないことだ。相当に「注意深く」その部分を外して(はずして)いると思われる。
 私はそれが「隠蔽(いんぺい)」というより、そこに触れてはいけないという「配慮(はいりょ)」から来ていると考えたのだが、読者はどう思っただろう。

② いじめは続く
 高校生の子どもの母親から相談を受けた。中学校で受けたいじめのPTSD治療費請求を、高校を通して出さないといけないことが辛い(つらい)というものだ。つまり、高校生となった娘が受けたいじめを高校に申し送りする辛さを言っている。もう中学校で起こったいやなことを高校まで持ち込みたくない、終わりにしたいということだ。
 幸いそれは、書類上の手続きで中学校からの請求が可能だということが分かった。しかし、このことが判明するまで、母親は苦しんだ。そして、これからも請求するたびに苦しむのだ。救いは、このいじめを受けた本人の症状が、目に見えてよくなっていることだ。むしろ、母親の傷がいっこうに治まっていないと思われるのだった。
 母親は、このいじめの発生時期がいつになるのか、という問題で今も悩(なや)んでいる。本人は、病院に行きだしてからずっと通(かよ)い続けていたわけではない。一カ月後に三日とか、そしてまた二カ月後に五日というように、不定期だった。母親がなんとかしたいと思っているのは、治療費の補償(ほしょう)を長い期間にしたいことだ。この補償期間は、「発症(はっしょう)後10年」だ。つまり、発症が遅ければその分、補償期間が延びる。しかし、通院を始めた時が「発症時期」である。母親は一番遅いところにその時期を求めている。例えば、1月に行き始めたが、あとで4月や8月にも病院に行っている。その最後のところで発症した、としたいのだ。
 私は、娘が受けた傷を早く癒(いや)したいと思う母親が、同時に、娘が受けた傷の恨(うら)みを少しでも晴らしたいと思っているのが痛いほど分かった。
 いじめは「終わった」あとも、こうして被害者の上にのしかかっている。

③ バカども
 バカな担任が「提出100%だ!」と数日前から生徒に「宣言(せんげん)」。おかげで当日提出できなかった生徒が欠席。保護者が学校に怒鳴り(どなり)込んだ。
 提出できなかったのは「尿(おしっこ)」。提出できなかったのは女子である。これで事情は分かったと思う。そんな時のために学校は予備日を設定してある。そしてそのことを、プリントでも「生理その他の事情で無理な時は」と説明してある。だから、母親も冷静に対処してもよかったと思う。しかし、この場合の一番のバカは、「期日を守る!」バカだ。若気の至り(わかげのいたり)だと? 女の職員だ。
 次。
 学校の文化祭。午後、母親たちがする模擬店(もぎてん)に長蛇(ちょうだ)の列で、子どもたちの一部がたまらず割り込み。さて、この子たちがいるクラスの子どもたちが残された。もちろん全員。そして、立たされた「犯人」たちもみんな、あたりが暗くなるまで、教室で罵声(ばせい)を浴びられ続けた。校舎に鳴り響くだみ声。何せ、オレの生徒は保護者やみんなのいる前で「割り込み」という「恥知らず」をしたのだ、保護者やみんな(同僚や管理職までも!)のいる前で、だ!オレにこんな恥ずかしい思いをさせた連中を許すわけにはいかあん!というわけだ。もちろんそんな本音(ほんね)をこれっぽっちも出すことはない。「人間として」だの「人としての思い」だのというカビ臭いかっこつけの言葉のあとに「恥ずかしくないのか!」と叫ぶのだ。このバカは、バカの上塗りをする。隣の担任に、
「先生んとこの生徒は割り込みしてないの?」
だと? バカは死んでもなおらない。
 バカな連中のこと、まだまだあるがきりがない。面白いのだがやめておく。


 ☆☆
大川小学校問題の第三者検証委員会第八回会合の報告がされています。年内に出される予定だった最終報告が、年明けに持ち越されることとなりました。
「念のための避難(ひなん)だった」
という、当時の学校の判断が示されています。どうやら「空白の50分」への踏み込みが始まるのだろうか、という予感があるのです。大きな声では言えませんが、私なりに大川小学校問題へ関わりをしていました。その成果が反映されたらいいが、と秘か(ひそか)に思ったのでした。

 ☆☆
いろいろな親たち、先生たちと話した一年でした。確かに、人という生き物とあまり接していない世代で世の中は埋(う)めつくされているなあ、という印象の強い年でありました。そのなかでよく覚えている母親の言葉は、
「子どもは『良く』ても『悪く』ても子ども」
というものです。この場合の「子ども」とは「自分の子ども」ということです。親とはそう思えるのだ、という言葉です。心強い、と思えるのです。

 ☆☆
明日は大晦日(おおみそか)。久しぶりにこの日の東京に行こうと思います。アメ横で買い物をし、イルミネーションを浴び、屋台で酒を最後にそばを食べようと思います。
みなさんも、どうぞよいお年を。

楢葉町の選択  実戦教師塾通信三百四十五号

2013-12-25 16:01:08 | 福島からの報告
 いわき/師走 Ⅱ(下)

     ~楢葉町の選択~


 1 「みんな東京に行っちゃうんです」


 小雨が降る中、巨大な広野火力発電所の煙突(えんとつ)が見えた。こんなに煙が出ているのを初めて見た。
      

 生産から販売(はんばい)にこぎつけた喜びの声を聞きたいと思ってお米を求めた。しかし今回も生産者との折り合いがつかず、私は前回と同じく、直販所(ちょくはんじょ)を訪(おとず)れた。もくもくとわき出る火力の煙の下には、原発作業員の車が置いてある広い広い駐車場。そして公園。先日、この公園の除染が始まるというニュースを私は見た。直販所のおばちゃんが言った。
「この公園の除染も始まるのよ。この間まであったバリケードが撤去(てっきょ)されてね」
そういえばこの間あった、背の低いフェンスがなくなっている。子どもが入らないようにとのらいだったのか、と私は思った。
「今日は天気の具合なんだか、ホントに煙が良く見えるわ」
私の疑問のつぶやきに、別なおばちゃんが言った。
「でも、いつも燃やしてるよ」
「私たちんとこの電気じゃないんだけどね」
「みんな東京に行っちゃうんですよ」
思わず私は背筋(せすじ)を伸ばしてしまう。福島の人たちは、周知(しゅうち)の通り『東北電力』から電気を送られている。『東京電力』ではない。
 これからどちらへ回るんですか、と聞くおばちゃんたちに、いわき中央台仮設の、いわきや楢葉の人たちのところへ行くんですと伝える。いわき市内の仮設住宅やアパートから、子どもたちはスクールバスを使って、再開したこの町の学校に通学している。しかし、数は心もとない。
「広野町に3割戻(もど)ったってホントかしら」
「でも確かに、赤ちゃんのいる家でも戻ってるとこもあるわね」
私は、楢葉町からいわきに避難(ひなん)して仮設に暮らす人たちに、様々な人たちがいることを知っている。それは例(たと)えば、食べるもの使うものなんでも平気な人から、洗濯(せんたく)や洗車まで「安全な水」を買って使っている人までいるということだ。
「人それぞれね」
おばちゃんが言う。誰が悪いというような問題ではないですね、と私が引き取る。悪いのは、と私が言うと、
「原発でね」
と、そこで声が揃(そろ)った。
              
        広野のお米。貯金箱に負けそうな1キロサイズのかわいい袋。


 2 児玉龍彦代表

 まだ報告していなかったが、今月の4日に楢葉の町民有志が、核汚染物質(かくおせんぶっしつ)を保管する中間貯蔵施設に関する住民投票要求に動いた。面倒な(めんどうな)手続きの第一歩である。
 現在は、この施設建設の是非(ぜひ)を問うことができない状態にある。それができるようにしないといけない。そう考えた住民は「住民投票を実現させる」ため、町の選管(選挙管理委員会)に署名簿(しょめいぼ)を提出した。住民請求に必要な数は有権者の50分の1である。楢葉町の場合、それは126人であるが、なんと、2237人の署名が集まった。言っておくが、これらはすべて福島県情報であり、全国のひとにはほとんど知られないことだ。
「これから選管は、その署名が正当なものかどうか審査(しんさ)して、住民投票ってことになるかな」
「その結果を町議会が再審査することになるよ」
いつもの通り、第8仮設の牧場主さんはよどみなく、そしてしっかりと話してくれる。前に言ったように、すでに一度、町議会は「住民投票は必要ない」という決定をしている。
「結局、最終的な決断は町長がやることになるわな」
しかし、思い起こしておくが、町の決定が「建設中止」となったところで、この中間貯蔵施設建設をくつがえすことはできないのだ。
「4月までの動きになるな」
という主さんの言葉を、私はしっかり頭に刻む(きざむ)。

 4月までの動きにもうひとつあることを、私は主さんから知らされる。除染しても線量がさがらない。それで、楢葉・南相馬の住民が「再除染」を強く要請(ようせい)している。楢葉町は、その再除染や今後の住民帰還(きかん)の筋道を見通すため、「町除染検証委員会」をたちあげた。読者のみなさんも忘れはしまい。あの「涙の国会質問」の児玉龍彦教授が、その検証委員会のトップなのだった。町長が委員の人選をしたらしいね、という主さんは、
「3月末までに答申(とうしん)が出るらしいよ」
と言うのだった。すでに第一回の委員会が、11月27日に開かれている。

 私はこんなことを聞くたびに思わないわけにはいかない。核のゴミや除染の進行に、身を削る(けずる)ようなじりじりした日々を、福島の人たちが過ごしている。そのかたわらで、あろうことか原発の、
「再稼働(さいかどう)!」だの、「海外輸出!」
だのという言葉が平気で行き交(か)っている。地域名をはっきりと覚えていない、おそらくは避難指示準備解除区域のどこかだったと思うが、
「年間被曝積算(ひばくせきさん)量は5㎜シーベルトでいい」
のではないかという、うわさとも諦め(あきらめ)ともつかない数値が一人歩きしている。切ない思いと疲れを、どっさり抱(かか)えたこの住民の気持ちを逆なでするかのように、
「エネルギーの安定供給(きょうきゅう)こそ緊急の課題である」
などと、与党(自民党だ)のエネルギーに関する議員連盟が提言(ていげん)を出した。このままでは原発の行方(ゆくえ)がさっぱり見えん、
「規制委員会はさっさと動け」
というわけだ。
 原発事故直後、
「『安全だ』とか言ってる議員さんは、福島で暮らして、事故現場近くで毎日国会を開くといいんですよ」
と言っていた橋下知事(当時は「知事」だったかな)は、正しかったよな、と今さら思う。

「子どもらがスクールバスで、いわき市内から通(かよ)ってくるってのは、いいのかな」
と主さんがポソッと言う。私はよく分からずに聞き返す。
「だって逆じゃねえのか」
「住民の7~8割が帰還したあとに子どもが帰ってくるってのが筋(すじ)じゃねえのか」
「まるで、『子どもは帰ってるんだ。ほかもできねえはずがねえ』みてえな」
「そんなやり方に思えてしょうがねえ」

主さんの言葉は、いつものように私の頭をなぐるような力だ。


 ☆☆
マー君、いよいよ動きだすんですね。新ポスティングシステムは善し悪し両方って感じです。今は本人の希望・チャレンジの意向(いこう)が認められた、という点で良かったというあたりですかね。それにしても則本の結婚はびっくりでした。イブ婚かあ。
今年の紅白、マー君出るみたいですしあまちゃんも見たいですが、もう紅白いいかなって感じです。そろそろ、紅白見ない大晦日(おおみそか)に戻りたいです。

 ☆☆
クリスマスイブ、どうでしたか。今日がクリスマスという方やご家庭もあるかと思います。クリスマスになるたび、初めてのデコレーションケーキを思い出します。ケーキ屋さんなんてありません。ふだんはコッペパンとあんパンぐらいしかないパン屋さんの、ウィンドウというよりはガラスケースに、パンの横に並べられた丸いケーキ。デコレーションケーキってこんな町でも売ってるんだ、とそんな驚きだったかと思います。お母さんが買ってくれるケーキってどれなのかな、と毎朝じっとパン屋の前でたち続けた小さかったころの話。我が家に持ち込まれたケーキは、確かな記憶ではないけれど、おそらく直径9センチほどの丸いケーキ。ホントに目の前にある! びゅうびゅうと寒風が吹き込む家の中で、燦然と(さんぜんと)そびえている、飾りのない小さなデコレーションケーキ。それを今振り返りつつ、「切ない」と言ったりします。でも、あの当時はひたすら驚きと感動だった。こんな記憶を、私たちの『三丁目の夕日』世代はたくさん持っています。だからやはり、『三丁目の夕日』が送るメッセージとは少し違ってるのですよ。
懐かしいですね。
メリークリスマス!

なにやってる!  実戦教師塾通信三百四十四号

2013-12-22 11:47:31 | 福島からの報告
 いわき/師走 Ⅱ(上)

     ~なにやってる!~


 1 寒い中/雨なのに


 関東は雪がちらついたらしいが、この日いわきは雨。猪瀬知事辞職と「王将」社長殺人の合間(あいま)に、天気のニュースが入る。
「みんなでよってたかっていじめてよ」
「ここまでやられっとな」
「ひとりぐらい『違う』って言うのがいてもよさそうなもんだがな」
と、都知事のニュースに集会所でおばちゃんたちが言う。
 いつもは昼下がりの2時に配布開始なのだが、11時には仲間みんなからの支援物資『お味噌』が全部揃(そろ)ったし、外の小雨は今にも本降りとなりそうな雲行きだった。だから、
「始めましょうか」
と、私は会長さんを待たずに、職員と住民の方で味噌配布を始めた。
            
      モデルさんたちと『お味噌』。手前がクリスマス後に飾られる門松

 お味噌を渡すそれぞれの部屋入口で、私は、
「寒い中」、あるいは、
「雨なのに」
ありがとうございますと笑み(えみ)をたたえて、または深々(ふかぶか)と頭を下げて言われる。そこでの立ち話は、住宅建築を担(にな)う人たち、つまり建築業界/大工さんたちの人件費がうなぎ登りになっていること、頼(たの)む方で予算を説明したり、希望を言うことが難しくなっていることを教えられる。一戸建てをやろうという人でこうだ。リフォームや修理なんていうレベルでは相手にならないらしい。
「めんどくさいこと言う客はいらないって現状よ」
と言う。また、復興住宅の方は、ペットの扱いは難しく、少ない募集(ぽしゅう)の中で抽選(ちゅうせん)ということだった。そして、
「これで温かいものを作ります」
「風邪引かないように頑張ります」
という声が続く。この声がともに支援する仲間に、そしてこのブログの読者にも届きますようにと思う。
 ソチ五輪の選手団がはめる腕輪を作っている方を、またうかがった。今回、完成品とそこに同封(どうふう)されるチラシを見た。東北の、被災地のお母さんたちが作ったものだという説明と写真が、腕輪サイズにたたんだ小さなチラシに印刷されていた。
「こうしてまたつながりが拡がっていくといいんです」
と彼女は笑った。あと600個である。
 どの家でも最後に私は、
「よいお年を」
と言って部屋の戸を閉める。二年前はとても言える言葉ではなかった。今年がいい年だったからではない。今年はこう言っても、皆さんがそんな私(たち)を大目に見てくれると思えたからだ。
 後から、追いかけるように、
「よいお年を」、または、
「ありがとうございました」
という声がかえって来る。ずっとずっと見送る方もいらした。


 2 オレはなにをやってるんだ!

 その部屋の前に来た時そう思った。前来たときもそうだったと思った。それは以前空き部屋だったところだ。
 何度も言ったが、この仮設は外の入口を開けると、そこが靴(くつ)を脱ぐところだ。そこと部屋を仕切る入口があり、その戸を開ければ部屋だ。寒いのに、その部屋は中仕切(なかじきり)の戸が開けっ放しになっていた。この日もそうだった。
 一番外の戸はどの家も大体が開いている。そこを開けて再び戸を叩き(たたき)、いつも私は用を告(つ)げる。しかし、この部屋は中仕切の戸が開いてるのだ。誰もいない中の様子が外から見える状態だった。奥にいるのかもしれないと思った私は、表の戸を開けて、こんにちは、と奥に言った。しかし、誰もいないと思った私のあしもとが動いて、炬燵(こたつ)から男の方がむっくりと頭をあげた。そして小さく、アァ、と言うのだ。半分驚き、半分安心した私は、お味噌をお届けにあがりました、と言った。
 その瞬間(しゅんかん)、おそらくは不自由な身体の高齢なその方は、炬燵から跳(は)ねるように飛び出した。するとその向かいから、やはり横になっていたと思われる、奥さんらしき方が、ゆっくりと起き上がるようにして現れた。決してちらかし放題の部屋ではない。しかし、二人の周(まわ)りには、日常生活に必要なすべてのものが、所狭し(ところせまし)と置かれていた。すべてはお二人が立つことなく、座ったままでできるように、との思いが感じられる空間だった。
 この御夫婦は、初め言葉に窮した(きゅうした)ように見えたが、やがて身繕い(みづくろい)をするような勢いを見せる。そのままでけっこうですよ、お味噌お渡ししますと、私は立ち上がろうとする二人を制した。
「ありがとうございます!」
嗚咽(おえつ)とも思える声が、男の方の口から絞(しぼ)り出された。お身体の方はいかがですかと言おうとするのだが、今度は私が言葉を失った。
「ありがとうございます!」
そんな私を追いかけるように、今度は叫ぶように味噌を受け取るのだ。なにかを言おうとする私とお二人の間に、しばしの沈黙(ちんもく)が訪れてしまう。そして、
「ありがとうございましたぁ!」
私から渡されたお味噌は畳の上に置かれ、男の方は、そこにひざまずいて額(ひたい)を擦(す)りつけ、声をあげるのだった。もう私は、
「オレは一体なにをやってるのだ!」
そんな思いばかりとなり、居たたまれなくなってしまった。失礼します、としか言えず、ひざまずき続ける二人を後に、戸を閉めた。
 置いて来れなかった言葉、よいお年を、を繰り返し、私は小走りに仮設の路地(ろじ)を走り抜ける。どうかよいお年を、あの人たちによいお年を、と繰り返す。オマエが泣いてどうする、と小雨が続く仮設住宅の路地を、いっさんに走る。


 ☆☆
「ニイダヤ水産」の社員も二人参加して、忘年会でした。社員のみなさん、社長と私の出会いのいきさつなど、ずいぶん興味があったようです。若者は、いずれ東京へ行きたい、との思いを語りました。やはり東京は刺激(しげき)を感じるのですね。お金も大事なことだよと、私は交響楽団や舞台役者のぶっとびサラリー(安い、という意味で)を教えときました。

 ☆☆
教え子たちとの忘年会、というより「お久しぶり会」がありました。彼氏と別れた女の子の、
「あたしとは『情が残ってるから別れられない』とか言うのよ」
発言が面白い。つまり、
「『愛情』の『愛』がなくなって『情』が残ったってことなのよ」
だから別れたわ、という、これは面白い。収穫(しゅうかく)な発言です。いつかどこかで使おうと思います。
師走ですね。みなさん、お身体大切に。

2013年 Ⅲ  実戦教師塾通信三百四十三号

2013-12-18 13:29:45 | 子ども/学校
 子ども/学校 2013年 Ⅲ

     ~その3 「教育の限界」~


 1 身勝手(みがって)な思い


 今回は、たくさんあった相談の中で、少しは私のサポートも役に立ったかもしれない、というケースだ。小学校の担任から相談を受けた例だ。これも当事者保護のため、肝心な部分はぼかして書くが、学校関係者には一定の技術か薬を、そしてお母さんたちには役に立つ知識になるはずである。

 父子家庭の子が、ある時期から学校を休みがちになった。朝早く出勤(しゅっきん)で夜遅く帰宅なので、連絡を取るのはなかなか難しい父親だった。そんな父親からの切れ切れの情報が、本人の話すことと違いがあることに担任はとまどった。迷(まよ)ったあげく、そのことを指摘(してき)すると、その子は一気に担任と距離(きょり)をとり始めた。家庭訪問に行っても顔を見せなくなった。
 担任は間違いをおかしたのだ。担任がその子に、
「お父さんが言ってたことと違う」「嘘(うそ)ついてない?」
と言ったところで仕方がないのだ。こんなことになって初めて、その子は担任が父親と自分のことで話し合っている、あるいは日々の暮らしの様子を報告し合っているという当たり前のことを知るのだ。初めて気がつく、と言った方がいいかもしれない。その子が、
「子どもだからだ」。
この担任のやり方は、子どもを子ども=未熟(みじゅく)な道に追いやる。それで本人は退行/退散(たいさん)したのだ。いったん閉まった扉(とびら)はなかなか開かない。
 この子の話で、確かめる必要があると思ったり、疑わしいと思うことがあったら、
「このことを(お父さんに)確かめていい?」
と打診(だしん)することだ。子どもが嘘をつくのは(まあ子どもに限らないが)、そこに自分を守る、というわけがあるからである。『新参者(しんざんもの)』(東野圭吾)風に言えばまだあとふたつあるのだが、それはおいとく。だから嘘をついた子どもに、
「ホントのことを言いなさい」
ではまったく始まらない。まず、その子が自分を守ろうとする理由を分からないといけない。大体はそれが無理なので、その理由を知りたいという姿勢を維持(いじ)することが大切だ。そうでなければその子はますます「自分を守り」に入る。いつも言うように、まずは、

「オマエなんかに自分の気持ちが分かってたまるか」

と、児童・生徒の100人中90人が思ってるのは間違いないのだ。生徒からすれば「赤の他人」で、ちっぽけな私たちのスタート地点はそこだ。
 でも、事実の確認をしたいと本人に打診することは、
「嘘をついてはいけない」
とその子に言っているのではない。
「あなたのやっている(言っている)ことは、私たち(大人)から見れば、子どもだましなんだよ」
と、忠告しているのだ。そうすれば心を開くということではない。大人とはそう考え、感じるものだ、と教えている。そして、そのことで「大人への道」に導(みちび)いている。
「子どもは『小さな大人』ではない」「子どもは子どもだ」
からだ。
「嘘をつくんじゃない」
とストレートに追及することは、実は相手をいつまでも「子ども扱い(あつかい)」にすることでしかない。
 担任は途中で気がついていく。自分は子どもが、
「学校に来る」
ことが大切だ、と思っている。そして、子ども本人には、そのことはまったくどうでもいいことになっている、ことに気がついていく。
 このあと、この子はいくつかの事件を起こす。そして担任は、自分の思いとその子の間のずれを確認していく。
「その子が学校に来るかどうか」、そして自分が、
「その子を信用するかどうか」
などという思いが、いかに一方的で勝手なものかということを分かっていく。担任は、
「この子をもっと知りたい」、そして出来ることなら、
「この子の力になりたい」
という思いを強くしていくのだ。この思いは管理職をも動かしていく。
 この担任の変化と周辺職員の「不変ぶり」が、実に対照的(たいしょうてき)で興味深いのだ。


 2 「教育の限界」

 初め同僚(どうりょう)は、
「大変ね」
「なにか手伝えることがあったら言ってね」
という態度でこの担任に接した。これはもちろんありがたいサポートだが、この「大変」が曲者(くせもの)なのだ。担任は大変だ。しかし、一番大変なのは当の子ども本人なのだ。そのことを分かる教員が一体何人いるのだろうか。
 この場合もご多分にもれず、大変なのは担任、という同僚の同情だったことは、あっと言う間に判明(はんめい)する。この同情の言葉は、すぐに子どもへの批判に変化するからだ。担任のまめな家庭訪問や連絡などの試み(こころみ)も、一向に効果を生じないと見るや、同僚は、
「子どもが大変なのはみんな同じ」
「自分だけが大変だと思ってるのかしら」
「学校に来るなんて基本よ」
といい始める。そして親に対しても批判は向く。
「学校がなんでもやってくれると思ってるのかしら」
「向こうから連絡するなり、しっかりしてくれないとね」
 そして時が経過(けいか)し、いったんは閉ざした扉をこの子が開き、担任との会話を再開する。そして、担任は「登校」よりは「対話」を重視した。いや、「重視」という戦略技術的な観方(みかた)でなく、気持ちの入った「欲求」の道を担任は進み始める。つまり、
「この子ともっと『話したい』と思った」。
 すると、同僚の批判の矛先(ほこさき)が変わる。担任に向くようになるのだ。
「そんなことしてもあの子は変わらない」
「そんなことはあの子を甘やかすことにしかならない」
「そんなに立ち入ってどうするつもりか」
確認しながら先に進めよう。ここで言う「変わらない」とは、間違いなく「結果」のことを言ってる。その「結果」とは、この子が、
「学校に来る」ということ、そして、
「しっかり学校生活を送る」ことだ。
それをするかどうか、出来るかどうかが大切なので、それを不問(ふもん)にしたところで、
「その子は変わらない」
「その子は同じことを繰り返す」
というのだ。困ったものだ。教師は、
「子どもを良くする」「子どもを指導する」
ことが責務(せきむ)だ、ミッションだということを少しも疑ってない。
「(オマエが)変わらなきゃ」
と児童・生徒にいう前に、一体どれだけその子を「分かっている」というのか、そのことこそが重要だというのに。
 そしてこの子が事件を起こす。もう待ってましたと言わんばかりだ。そして、いつもの、あるいは、伝家の宝刀、
「もう(教育の)限界ね」
「私たちが責任を負えるものじゃないわ」
と言う。初めから自分たちは何もしていない。そのことを忘れているのか、やったつもりでいるのか知らないが、絵に描(か)いたように、判で押したように職員室の会話は流れる。

 担任はもう揺(ゆ)るがない。アンタ達はこっちに構(かま)わないで欲しい、大きなお世話だと思うようになった。それはまるで、一時期、あの子が担任に思ったことのようだった。そう担任は振り返った。


 ☆☆
昨日、単行本あとがきもOKをいただいて、完了(「脱稿(だっこう)」と言います)です。あとがきを、
「厳粛(げんしゅく)な気持ちで読み終えました」
という編集者からのありがたい感想でした。嬉しいです。

 ☆☆
雲行きが怪(あや)しいですね。今夜は平野部でも雪だといいます。明日は今年最後の第一仮設支援の日です。雪の中や雨の中でのお味噌配布にならないように、と願ってます。今夜は福島のおいしい魚と酒で、仲間と乾杯(かんぱい)。
いつもの「ふじ滝」旅館も、あちこちのホテルもみんな満杯(まんぱい)で、久しぶりに健康センターに宿泊、雑魚寝(ざこね)です。
師走ですね。

2013年  実戦教師塾通信三百四十二号

2013-12-15 13:11:52 | 子ども/学校
 子ども/学校 2013年

     ~その2 無料アプリ「ライン」~


 1 初めに


 先だっての第一仮設でのクリスマスプレゼントの時だった。集会所に来た男の子が、
「DS(言わずと知れたニンテンドーである)のソフトがいいな」
と言うので、私はすかさず、
「そんなかわいくねえことを言うのは帰っていいから」
と言った。すると、その男の子が、激しく顔の前で手を振って、ウソウソ、ウソだから、と言うのだ。
 「子どもは変わらない」と今でもよく言う。だから、子どもが事件を起こした時、それは子どもが悪いのではなく、悪いのは社会だ、という時にこの言葉は使われる。間違っていない。犯罪者となってしまった少年たちを考える時には絶対不可欠なポイントである。しかし、今の子どもを「恐(おそ)れずに」しっかり見れば、そこには変貌(へんぼう)を遂(と)げた姿を確認出来る。そして、それを見据(す)えないにことにはどうしようない現実を知ることができる。「子どもは変わらない」と信念のように言うことは、そんな現実に対してまったく役に立たない。この考えを、私はこのブログ上でずいぶん取り上げてきたつもりだ。まず、子どもは変貌を遂げている。とてつもない勢いで変化を遂げたあと、その姿を徐々(じょじょ)に現しつつあると思える。
 しかし、私はこの第一仮設での出来事を、子どもが「変わったのか変わらないのか」という設問(せつもん)に重ねれば、
「変わらない」
方になるのではないか、と思っている。ネイティブな姿を子どもはひょっこりと見せるのだ。そんな瞬間を見逃したくない。私はそんな風に思う。

 今年を振り返れば、当たり前だがそんなにいいことはない。でも、カジュアルにでも古典的にでもいいが、ニヒルを気取ることが私たち年寄りの残された道というのではまずいだろう。子どもたちより早く死ぬこと、そしてそんな私たちは、死ぬ間際(まぎわ)に必ず周囲に迷惑をかける。そうしたくないと思っていても、どだい無理な願いだ。せめてその前に少しでもなにかを残すこと、いつも言っていることだが、それらが年寄りのたしなみだ。そんなことを今年はどれだけ出来たのだろうか、と思う。
 この時期にいつも巷(ちまた)を賑わすやり方で、このブログもやろうと思う。事件やニュースではなく、あくまで私の周辺で起こったことや、いろいろな方面から相談されたことや報告されたことにしぼる。それゆえに、すこしばかりぼかした書き方になる。関係者に迷惑(めいわく)を及ぼすからだ。
 今回が「その2」であるのは、今月初めに出した「組合」が「その1」にあたるからだ。
 

  2 ファミレス

 よく行く和風のファミレスに行った。ちょうど出て来る家族と出くわした。畳(たたみ)の間のあがりのところから、二組の母子が降りてくるところだった。下駄箱(げたばこってこれはもうすぐ死語になる。下足箱とか靴入れ、または履物(はきもの)入れというところか)から、小学校の2年生ぐらいの女の子が、ひとりで面倒見(めんどうみ)よく、何組もの靴を出している。すると、その後から同級生くらいの男の子と、その妹らしき女の子が現れた。その二人はともにゲーム機を持っており、こちらに向かいつつ、その真っ最中であった。靴が用意された足元を見る気分もないのは、今日びよく見る子どもたちの姿である。かたわらにいる母親とおぼしき人物は、そんなわが子に、少しやめなさいとか、危ないわよとゲームをたしなめる様子はなく、靴を用意している女の子に、ありがとうを言うわけでもない。女の子の用意してくれた自分の靴をはいて、わが子を待っている。一方、靴を用意した女の子の母親は、その様子をにこやかに見守っているのだ。
 面白いと思わないわけには行かない。二人のゲームさんたちは、食事をしながらゲームしていたのだろうか。まったくやってなかったと思えないことではある。母親どうしも友だちだと思うが、母親たちはその間、仕事と子育てと家事の忙しい一日に、束の間(つかのま)の休息をするのだ。靴を揃えた子は、そんな大人たちと、ゲームに忙しい子どもたちの間を行ったり来たりするのだろうか。いいとか悪いとかそんなくだらないことではない。家族や子どもたちをめぐる現実は、紛(まぎ)れもなく動いている、ということだ。


 3 無料通話アプリ「ライン」

 親からの相談、そして教師からの報告で、無料アプリ「ライン」のことがあった。
 若い母親たちと話していて教えられたのだが、この「ライン」の登録(とうろく)にも様々なパターンがある。個人情報がダダ漏れ(もれ)する形式ばかりではないようである。
「でも、子どもたちはみんな『つながりたい』思いで、自分の情報を開放するのよ」
と言っていた。なるほど、そうなのだろう。あとは多分もうひとつ、「同意事項」を読まないのだ。彼らはそれを読まず、簡単に「同意します」とキーを押している。なんせ「無料で通話出来る」のだ。そしてそうなった本人は、不特定の人間とつながる「チャンスを得る」。
 道で、あるいは学校の廊下でしかすれ違わない相手でも、その相手に関するわずかばかりの情報、例えば名前だけでも分かればいい。そして、その相手がラインにいればいい。その時、相手とコンタクトのチャンスが訪(おとず)れる。二人がそうしてつながったあと、今度はそのラインを、二人だけのつながりに限定することも出来る。ラインは、大昔のツーショットダイヤルのようなものではない。ひと昔の掲示板(けいじばん)や、その少し前のプロフ(ブログではない)に近い役割も持っているようである。
 さて、あこがれの先輩と話したいと思った女の子の話である。ラインでつながり、とんとん拍子(びょうし)で、ついに「交際」にまでこぎつける。しかし、そこからがひどいありさまで、もしかして「妊娠(にんしん)」とか「写真拡散(かくさん)」ということになった。このケースは通常だとドロドロの展開になるのだが、職員の、とりわけキーマン(この場合「キーウーマン」だ)の動きが素晴らしく、一段落したと思える。
 女の子は、しばらくの間不安定な状態でいたわけである。周囲はまず、
① この異変に気づかないといけない
② この子から事情を聞かないといけない
のだ。そして、この子が聞かれた相手に心を開かないと、話はできないのだ。やはり、このキーウーマンの働きは大きかった。
 舞台となったのは、ラインである。携帯が大きな顔の出来ない学校ではなく、家庭がこの子の異変に気づくチャンスがはるかあったはずだ。聞けば、ちゃんと家族のあるこの家で、その子は多くの「サイン」を出していた。事実と違うことを書くが、例えばお風呂に二時間も入ってるとか、そんなことがたくさんあった。しかし、親は、
「そっとしておきたかった」
と思った。しかし、本人は、
「誰も気づいてくれない」
と思った。
 女の子が、キーウーマンに打ち明けた後、双方(そうほう)の父親にもことの顛末(てんまつ)を知らせ、話は「謝罪」や「写真の処分」へと進んだ。最悪の、
「悪いのはそっちの方だろう!」
と罵り(ののしり)合う場面には至らなかった。
 まるで、空の上から始まったかのようなこの出来事は、ついに地上に舞い降りた、という感じを私は持ってしまう。「ラインは『若者の闇(やみ)』を象徴(しょうちょう)する」とは言えないのだなと思った。そんなことを言うのは、今年の7月に広島で起こった少女の殺人事件を思い出したからだ。
 初めひとりの少女が殺して山中に遺体を捨てたと証言したこの事件は、6人の男女が絡(から)んでいた。ラインが切り結んだ犯罪、とメディアは飛びついたが、ラインが加害者の逮捕(たいほ)する上で役に立ったとは言えるが、
「一緒に人を殺しませんか」
なる闇サイトとは違っていたようだ。同じ店で働いていた加害者と被害者は、行き着くところ「金と男」が動機となっていた。

 空の上のことだ、とあきらめるには早いことが、きっとまだまだあるのだ。


 ☆☆
少しばかりぼかした書き方になりましたが、読者の皆さんのわが子を考える上では充分なものと思います。こんな書き方になりますが、報告したいことがまだいくつかあります。この場で今年、様々な相談や報告をしてくれた方々に御礼申し上げます。

 ☆☆
相変わらずあちこちで楽天のことをしゃべくってる私です。そのなかで、
「楽天のオーナーは野球が嫌いなんだ」
「金儲け(かねもうけ)が出来るからやってるのさ」
という人たち、いるんですよねえ。それがなんだと言うのでしょうね。こういうのをマルクス主義者!というのです。オーナーは金を出せばいいんです。口を出さないのがいいオーナー。だからついでに言えば、ナベツネは最低のオーナーだということです。

 ☆☆
ここのところ、あの色鮮やかなカワセミを続けてみました。カワセミって渡り鳥なんかじゃないですよね。いつもたった一羽で、大きなくちばしと水色の羽!
師走ですね。