実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

男女 実戦教師塾通信八百六十七号

2023-06-30 11:38:38 | 子ども/学校

男女

 ~安直さと息苦しさ~

 

 ☆初めに☆

多くの方から、ロシアに関する質問を受けました。でも、今回の情勢を読み解くカギは、すでに提出しています。前々号を再度お読みいただければ幸いです。クズや真実が入り混じる様々な情報の中から、いい選択が出来るはずです。とりあえず、プーチン政権にはみっともない情報が、ロックもされず垂れ流されたことを忘れたくないですね。

国会でLGBT法案が通過しました。自民党の山東昭子前参院議長は、この与党修正法案が参院での採決の際、退席しています。彼女が批判するのは「トイレなどへ侵入目的の容認につながる」というもので、この法案によって新たな性犯罪が生まれるかのような錯誤に陥っていると思えます。それでも、この法案に関する議論が「生煮え状態」であることに同意するのをためらいません。与党はG7への間に合わせとして、野党は「いいものはいい」なる思考停止状態だったと思わざるを得ません。少し基本的な場所に戻りたいと思います。

 

 1 「遅れている」日本

 LGBTと呼ばれてしまう若者が、仲間にいる。「呼ばれてしまう」というのは、本人がその呼称を「気に入らない」からだ。トイレはどうしてるか、聞いた。初めての所では、まず男女兼用のトイレを確認してますと、さらっと言う。彼女(彼?)には、いちいち探すなんて不当なことだ、という異議はなじまないようだ。おそらく「好きにしたい」比重が「大変」を上回っている。しかし、大変に思う人が、LGBTの「T(トランス)」に多くいる。自分の「性」に違和感を持つ人たちだ。そんな違和感で肩身の狭い思いをすることはないというのが、LGBT法案の出所だったはずだ。

 早期の対処が望ましいけれど、この問題に気づき対処出来るのは、問題の性質上、早くて思春期である。いろいろ話を聞くけれど、幼少期は親の好みで洋服の色ばかりでなく、スカートやズボンを選んであてがったりしても、問題なく過ぎる。小学校も高学年、場合によっては中学年で、服もだが、子どもがトイレや着替えに抵抗を覚えるとなると、問題は別だ。こういうことに対し、日本は諸外国に比して遅れているという批判が頻々としている。外国では「男」や「女」の表示はなく「トイレ」とあるだけ/床や天井にすき間がなければ完全個室で問題はない。更衣室に関しても同じだ。完全なパーテーションが施されることで、問題は解決される。なるほど、諸外国は、ずい分お金持ちのようだ。性の平等というものには、ずい分お金がかかるらしい。もしかして、諸外国って「先進国」というやつ? だいぶ以前、某国に旅行した時、噂に聞いた下水を改造したようなトイレに遭遇。下に流れる下水に向かって、大きな方も用を足す。前方からは別の方のモノが流れて来るのだが、この国は「諸外国」ではないのだろう。

 

 2 毛深い

 個別の事情に対応することが、全てにわたった解決法であるかのように言われる昨今だ。ひとりひとりの不自由が解決されるのは、いいに決まってる。しかし「解決」なるものは、その時々で変化する。絶対的なものはない。

 第二次性徴という、厄介な奴がいる。遅かったり早かったり、その「徴(しるし)」の度合いも様々だ。「来ちゃった!」「もう生えた!」「濃い!」等々、どっちにしても自分はおかしい、と悩み苦しみを呼ぶ。目出度く「ほぼお揃い」になるまでの数年間、悩み苦しむ。若者というカテゴリーは、第二次性徴において健在のようだ。これとLGBTの絡みは安易に語れないが、共に通じるのが「羞恥」だ。たとえば「毛深い」こと。これも男女問わず個別スペースで解決する、だろうか。男子の小・トイレでは、大体が一歩前に出てズボンを下ろして、そして中学生は全員が隠すように行う。大の男もそうするが、その事情は若干異なって来る。いや、今は「毛深い」ことに論点を絞ろう。この悩ましき男子トイレ問題は、実際に個室化すべきだという声も上がってるのだが、それで解決するのだろうか。

 更衣することの問題も、個室化で羞恥の場から解放されるのか。そんなはずはない。無事に着替えたとして、仲間からの視線は依然として存在する。水泳の授業でもマットの授業でも、いや普段から、半袖の陰にあるものが目に触れるのではないか、という不安は消えない。夏でも長袖のジャージを着せていると言って、学校を批判する保護者やニュースを目にするが、熱中症なんかよりも怖いものがある生徒がいるのだ。それは「毛深いことを差別(だと!)してはいけない」ことで解決されるのか。多くの子どもたちは結局、この第二次性徴期という青春の苦しみを「しのいで」大きくなった。金持ちの家なら脱毛処理という道もあるが、金の力は未来の自分の力になるだろうか。トイレや更衣室の個別化なるものは、あくまでその場しのぎの対処法だ。「毛深い」ことや「男」や「女」の問題は究極的には、周囲からの理解や周囲との折り合いの付け方になるだろう。それは終わりのない大変な道のりなのであって、初めから「みんな一緒で、それがいい」と位置づけられることは、理解の有無ではない「触らぬ神に祟りなし」のそしりを免れまい。大体が、様々な事情に関わらず、人間同士が理解し合うことの大変さを私たちはは忘れてはならないはずだ。

 

 3 若干の脱線をしつつ

 国際障害者(1981)年の頃と思う。視覚障害者のために音の出る信号設置で議論になったことがある。確か野坂昭如だったと記憶している。近くの人がその人の手を引けばいいことではないか、と言ったのだ。それこそ「諸外国ではそうしている」と。「何かお困りですか(Can I help you)?」である。お金が無駄だと言ってるのではない。「そこにいる」相手と向き合うことが大切なのだ。目の不自由な仲間が、トイレがどこか分からないので誰か教えてくださいと呼びかけた時、近くでヒールの音が急に早くなったのは悲しかったと言っていた。教えてくれたのは小学生だったという。誰でも生きられる社会とは、目の前にいる人とどう向き合うかを抜きにあるものではない。カッコつけて、実は自分たちのやれることも行政にお任せする。ヤングケアラーも同じだ。政治が悪いだの子どもの学習権を守れだのとおしゃべりする前にすることがある。いやこの場合、その家族の、言うならば「絆」のことを考えないといけない。

  相手との距離はあった方がいいというコロナが助長した社会を、少しでも変えたいですね。

 

 ☆後記☆

7月は明日からですが、こども食堂「うさぎとカメ」まで二週間となりますので、お知らせしま~す。

初めての試みで、スパゲティです。副菜に力を入れようと思います。サラダとなってますが、夏野菜のごろごろソテーで行こうと思いま~す みんなぁ、いよいよ7月だぞぉ。あと少しだぁ

オオタニさん、凄くないですか? インタビューシーン、パクりました。代打で兜をかぶった水原さんの通訳です。

鹿児島の「丸武産業」が、今度は全身の甲冑を寄贈したそうで、アナハイムの球場入口に燦然と輝いてるらしいです。100年先に多分、こんなすごい選手が日本人にいた、と語りぐさになるんですよね

昨日から福島に来てま~す


大会 実戦教師塾通信八百六十六号

2023-06-23 11:35:37 | 武道

大会

 ~六年ぶりの代々木体育館~

 

 ☆初めに☆

剛柔流の全国大会は、思えば東京オリンピック開催に伴う整備のため、代々木体育館は使用出来ませんでした。その後はコロナの騒ぎのおかげで、全国大会が代々木体育館で開催されるのは六年ぶりのことです。

真夏日の代々木界隈は多くの人でにぎわい、神宮前では休日恒例、若者の躍る姿がありました。青々とした木々の間を縫って、ポルシェやベンツSLの上級グレードが山の手エリアを演出します。

 ☆宮城長順☆

今年は剛柔流の流祖・宮城長順が没してから70年の大会。長順の教えを書きます。

「人に打たれず 人打たず 事なきを もととするなり」

この日、宗家・山口剛史先生の大会を宣言する時にされたお話によれば、この教えは、

「人から非難されるようではいけない、人を誹謗中傷してはならない、事が起きたら平常心で対処しなさい」

となります。船越義珍の教え「空手に先手なし」は、実戦に際してのものと言えますが、こちらは普段の心構えです。

 ☆三戦(サンチン)☆

いつもの受付の場所ではなかった。通り過ぎた私を呼び止めてくれたのは、震災前に大学で、共に呼吸法を学んだベテランの門下生でした。元気そうですね、の挨拶が嬉しい。アリーナを歩く私を呼び止めたのは、雑誌『新・空手道』の藍原編集長でした。この人に聞けば、周辺の空手界の様子は大体わかる。流派同士の交流が始まってるようでした。

午後の競技が開始される前の集団演武。上段受け。その後は、山口先生が上級者を主導する「三戦」。

山口先生とツーショット。カナダ?の指導者に撮っていただきました。日本語は全くって感じの方だったので、下手くそな英語でも安心でした。少し分かりづらいですが、先生、道着ではありません。白の羽織と袴(はかま)です。

帰り際、今度は和服の方がにこやかに手を振ってる。先生の奥様でした。干物、ありがとう美味しかったわよ、と言われました。先日、いわき・四倉から「ニイダヤ水産」の干物を送ったのです。嬉しい。

 ☆☆

この前日、実は千葉県・柏に、将棋タイトル七冠の藤井聡太が、将棋AIポナンザ開発者とのイベントで来ていたそうです。少し前、ここで「将棋と武術は似ている」と書きました。さわりを書いておきます。

 武術における真剣勝負を、截相(きりあい)と言います。柳生新陰流では「刀中に身を蔵する」、つまり刀に我が身の入ることがスキのない状態となります。そして、相手の見えない仕掛けに応じる。これは受けのように見えて、相手の先を制することとなります。つまり実力の高い、実力の伯仲する者同士の戦いは、相手を制圧するというより、互いにより高い完成形を目指すものとなります。将棋と武術の似ている点、今日はこの辺で止めときます。

 

 ☆後記☆

その藤井聡太を囲む会でファンとの質疑応答、面白かったみたいです。子どもからのきわどい質問も出たようです。苦手な戦法は何ですかという質問には、ここでは答えづらいと、困ってる感じが笑えます。反抗期はなかったのですかの答が、プロ棋士の登竜門・奨励会の頃は、家でずい分怒りっぽかったという。意外と思えたし、納得もしますね。

賑わう神宮前。これでも人波が途切れた時に撮ったもの。そして、新しくなった原宿駅。以前の可愛らしい駅舎とは、すっかり変わってしまった、という印象です。駅前も表参道風になってました。

 ☆☆

最後に、先週のこども食堂「うさぎとカメ」の報告です。近隣の多くの学校は授業参観だったのですが、予想に反して多くの方がいらしてくれました。から揚げ屋のサンプルみたいに一杯作ったのが……もっと作ればよかった。

そして、野菜をたくさん寄付いただいて、皆さんに喜んでもらえました。

 ありがとうございました


崩壊 実戦教師塾通信八百六十五号

2023-06-16 11:33:26 | ニュースの読み方

崩壊

 ~エリツィンからプーチンに~

 

 ☆初めに☆

まるでダムの決壊を合図にするかのようでした。ウクライナの攻勢とロシアの後退が始まりました。これだけ見れば、どちらがダムに攻撃を仕掛けたのか、議論する必要はないように思えます。それは、戦争の大義が勝つか負けるかであって、正義や正当性というものにはない、とでも言っているかのようです。

ウクライナ戦争について、ずい分書いてないようだが、というリクエストに似た感想をいただいています。久しぶりにレポートします。以前少し書きましたが、プーチンはイラクのフセインより、はるかにどす黒く危ないものを内部に抱えている、そんな不安定な大統領であるということを書きます。もちろん、プーチンを擁護するものではありません。

 

 1 オウム真理教

 トカレフはソ連(現ロシア)製の拳銃である。成田や暴力団事務所などで大量に押収されることが、今でこそ珍しくなくなった。トカレフが耳目を集めて世間を驚かせたのは、1994年の殺人事件が初めてだったと思う。私たちが驚いたのは、犯行現場が品川の私鉄駅構内だったこと、被害者が医者で犯人が一般人であったことだ。この時使われた拳銃が、コルトやSW(スミソアンドウェッソン)でなく、トカレフだったのである。賢明な読者はお気づきだろう。これはソ連崩壊後の出来事だった。ソ連製武器の流出が起き始めていた。

 この翌年、地下鉄サリン事件が起きる。オウム真理教はロシアに7つの支部を抱え、信者は4万人に近かったことを思い起こして欲しい。忘れたと思うが、オウムは軍用ヘリを購入していた。ソ連時代にタタール地方で製造された「ミル・17」の入手は、ロシアの仲介で行われた。あの時、山梨県・上九一色村の教団施設に軍用ヘリがあることを伝えるニュースは、私たちを恐怖に陥れた。国を通して、いや、国同士の取引ではなく、宗教団体に直接軍用機を売るロシアという国は、もう国家の形をしていないと、この時私たちは気づいても良かったのかもしれない。

 

 2 賄賂と「コネ」

 映画『戦艦ポチョムキン』には、帝政ロシア時代の戦艦での様子が描かれる。艦長と水兵との諸権利・待遇の格差は、思えば革命後のソ連でも変わることがなかった。ソ連となった後、先端技術をまとった宇宙事業や軍事産業の背後には、希少だというばかりでなく、貧相な電気洗濯機や壊れそうな高級ホテルのエレベーターがあった。住居や食料品や給料、すべての環境は悲惨だった。それらについては、私たちでも多少は知っていたはずだ。軍隊で言うと、百万人単位の兵隊への給料の遅延が続いていたり、軍の諸経費の支払いが滞っていても、上部の将校たちは贅沢な住居を与えられ、ベンツ(ドイツ製!)に乗っていた。根源には、専制社会に必然の構造があった。

 企業から市場価格よりはるかに高い値段で閣僚が主導契約する報償は、当該企業からの高額なリベートだ。これがゴルバチョフ政権以前から行われていたやり方だ。そしてソ連解体後はもっと露骨に、物資の横領と横流しとして定着する。さて、そんな中で中堅幹部や下部が、自分たちの利益を得るために出来ることはなんだっただろう。その流れに乗ることだ。その為に必要なのが上司への賄賂と「コネ」だった。このふたつの栄える国が、ろくなもんでないことを、私たちは見て来たし見ている。91年のソ連解体後、なんと軍隊のビジネスへの参画が許可される。エリツィン政権下のことだ。軍がマフィアへの道へと、大きく歩を進める。トカレフやミル・17はもちろん、核弾頭さえビジネスの項目に上がった。プーチンの独断的独裁は、実はロシアが国家的体裁を保つために必要不可欠な要素となっている。それがほころんでいるのは、ニュースから十分に伝わっている。ロシアで発生している内紛は、民衆による革命の予兆だろうか。それもないとは言わないが、ロシアの抱える暗黒と絶望は膨らんで留まることを知らないように見える。

 

 3 浮いた武器

 ワグネルが、プーチン政権のほころびのひとつであるのは紛れもない。しかし、この「民間軍事会社」なるものは、ロシアに特有なものではない。以前も書いたが、1991年の湾岸戦争で台頭した。これもソ連解体の年であるのは、単なる偶然ではない。リビアが解体した時もだが、ソ連解体に伴い独立したウクライナに残った数々の重装武器は、行き場を失う。核兵器だけは何とかロシアという国家に帰属するが、それ以外の武器に関してロシアンマフィアが黙っているわけがない。世界のどこかで戦争が終結すると、必ず世界中に武器が拡散する。浮いた武器があるからだ。

 浮いた武器ではない、浮かばれなかった武器としての代表が、ソ連製の原潜(原子力潜水艦)だ。何故か帝政ロシア時代から、病的とも言えるぐらい種類も数も沢山作られた潜水艦は、動力がソ連時代に原子力となる。それが世界的に海洋投棄されていることを私たちが知ったのも、1991年のソ連解体後だった。私たちの近隣エリアとしては、日本海・アリューシャン沖に事故や失敗した原潜が、中枢の原子炉もそのままで大量に棄てられていた。ロシアはそれを安全に解体処分する資金も、技術も知識も、その気もないように見える。原子炉の安全な解体の大変さを、私たちも福島で少しは経験している。

 人間の顔を持たない技術と、人間の顔を持たないマフィアが混沌としている「国」、それがロシアなのだ。

 

 ☆後記☆

こういう記事のあと必ずと言っていいくらい、ネットの情報を教えてくださる読者がいらっしゃる。前も言いましたが、私もジャンクな情報は一応点検しております。記事の構成は、切り抜きの蓄積と文献のお陰だと思っています。

14日の自衛隊の事件ですぐ思い出したことは、被災地で挨拶を交わしあった立派な隊員の姿です。警察や消防、まして自衛隊となれば「規律」が重要です。日頃、消防の厳しい訓練を目にしますが、仕方ないと思うはずです。でも、思い出したのは、先だっての女子隊員への性的暴力や、隊員の自殺や服務をめぐる裁判のことでした。

こども食堂「うさぎとカメ」、明日ですよ~。明日発行のチラシの裏ですが、明日用の記事です。8月は臨時に二回開催。一週目は吉野家さんで~す 梅雨なんか飛んでけ~

明日はから揚げ、皆さん、どうぞいらしてくださ~い

オオタニさん、すごいなぁ。今日の22号見ました!

6勝目も来~い!


名人 実戦教師塾通信八百六十四号

2023-06-09 11:36:15 | 思想/哲学

名人

 ~深遠と孤独~

 

 ☆初めに☆

藤井君が、棋聖のタイトル防衛戦第一局で勝利しましたね。海外戦はもちろん、藤井君が海外に行くのが初めてだったそうで。少し考えれば、二十歳で海外旅行が初めてというのは、今どきでもそんなに驚くことではないのでしょう。私たちが改めて思うのは、そんな暇が藤井君にはなかったし、そんなことをしようとも思わなかったのだろうということです。藤井聡太の奥深さがどこまで続いているのか、とてもとても分かるとは思えません。でも、私たちが藤井聡太という出来事に一体どんなことを感じているのか、それは何とか出来そうだし、やってみたいと思います。

 

 1 千年のボードゲーム

 藤井聡太なる中学生がメディアを賑わし、将棋教室へと子どもたちの申し込みが殺到した。子どもたちの親が喜んでいる。引きこもりだ課金だ睡眠不足だ、と目の敵にされるゲームとはえらい違いだ。課金こそないものの、子どもが入れ込み過ぎで生じる出来事は共通しているが、小学生の藤井君の頭が将棋で充満してて、どぶに気づかず落ちてもお叱りが出ない。将棋はインドで生まれ、遣唐使が伝えたとされる超絶的歴史を持つ。いまの形になったのは室町から江戸らしいが、大切なのは数百年に渡り将棋の形に大きな変更がないことだ。将棋盤は変わらず長い年月、多くの人を迎えてきた。ゲームは事情が異なっている。同じカテゴリーでもソフトが次々と発売される。高額なゲーム機(ハード)もバージョンアップされる。オンラインゲームでは、課金なるシステムも誕生し親を蒼ざめさせた。ゲーム世界の向こう側には、業界という欲望が控えている。教室やアプリやという支出なら将棋でも考えられるが、初心者&楽しむというレベルなら、厚紙を切り抜いた将棋盤と駒で用は足りる。しかも、戦いの奥深さにおいて、厚紙は柘植(つげ)の将棋盤と変わることがない。世代を超えたこのゲームで、大の大人が子どもに向かって「負けました」と、頭を垂れる。藤井聡太の姿を見て今、大人まで将棋を思い起こしているのである。

 そういう点から、将棋を「生産性がない」と、国会議員の誰かさんやゲーム業界は言うのかもしれない。もしかしたら、良く言う「社会のため」「人のため」というのがどんなことなのか、いま検証されているのかもしれない。藤井聡太は発光ダイオードを発明したわけではないし、平和や地球温暖化防止のために活動しているわけでもない。確かなことは、子どもも大人も藤井聡太を応援し、多くの人が藤井聡太の活躍に感動していることだ。私たちが力をもらうのは、どのようなことによってなのか、いま改めて教えられている。

 

 2 生きる

 未だに藤井聡太の負けず嫌いが話題になる。しかし師匠の杉本昌隆が言うように、これが変わった。もともと相手を褒めることの少なかった藤井は、いつの頃からか「タイトルを取ること以上に、対局を生かして成長につなげることが大事と思っている」(王将獲得後の発言)と言うようになったような気がする。名人を得た後、残ったタイトル(王座)にどう臨むかという質問へ「一つでも上を目指す」との答えは、王座をさすのではない。王座の挑戦権を目指すと言っている。せわしく無責任な私たちを制するものが、そこにある。私たちも気づき始めているが、良く言う「次の目標」というものが、恐らく藤井聡太にはない。あるのは、無限の深みを持つ将棋という宇宙の奥に、少しでも踏み込みたいという決意である。将棋の差し手は、有利不利や勝ち負けという結果を越えて、お互いにある完成品に近づく作業をしているかのように見える。渡辺名人が「いい将棋を指したい」と繰り返し言っていたのも、王将戦でストレート負けした時の「もうちょっと何とかしたかった……残念はもちろん違うし……」もそうだ。

「彼らは日常の必要品を供給する以上の意味において、社会の存在を殆ど認めていなかった。彼らにとって必要なものはお互いだけで、そのお互いだけが、彼らにはまた十分であった」

「彼らは……都会に住みながら、都会に住む文明人の特権を棄(す)てたような結果に到着した」

私は唐突に、漱石の『門』を思い出した。これは宗助とお米の孤独で貧しく幸福な暮らしを書いた、物語の後半のくだりだ。もちろん、ふたりが抱える後ろめたさのもたらす孤立感と、棋士たちの孤高を並べるつもりはない。しかし、私たち(間違いなく「私たち」だ)が生きる時に抱え込む頼りなさは、本質において全員変わりない。そして私たちの、この頼りなさへの対処の仕方に、優れているも貧しいも存在しない。『門』最後の方の部分だ。

「彼は門を通る人ではなかった。また門を通らずに済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ちすくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった」

藤井聡太の「(自分の)負けにしている」「途中で何度も分からなくなった」「困難な局面が多かった」等の言葉が謙虚さから来るのでなく、本音であることにも私たちは気づき始めている。不幸ではないにせよ、門の前で立ちすくむ宗助のような姿をした藤井聡太に、私たちは恐らく共感をして声援を送っている。

 

 ☆後記☆

いつか書きたいと思ってますが、将棋と武術は似ています。対する相手と完成品を目指すように「仕合う」のです。これが「試合」の原型だったのです。断りますが「型」試合を言っているのではない。武術の場合、命がかかりますが、将棋も命がけなのかもしれません。仮に致命傷の事態が発生しても、スポーツの空手や格闘技と武術は違うのです。

3年前、藤井君が王位戦の第二局を戦う北海道までの飛行機は、小さい頃に乗って以来だったそうです。「緊張しました」との言葉は三陸鉄道運転の時と同じく、また初の海外旅行も、みんなみんな初々しい。

関東、梅雨入りです。台風もいやですね

今年もむくげ?が咲き始めました。しばらくの間、可愛い姿を見せてくれます


着席 実戦教師塾通信八百六十三号

2023-06-02 11:26:16 | 子ども/学校

着席

 ~力不足のなすこと~

 

 ☆初めに☆

五月場所で優勝した照ノ富士が、「自分の身体と向き合う」と言っていたのが印象的でした。「身体を作る」とは言わなかった。謙虚というよりは、悩み考えた時間を感じさせました。いつか見事な終幕を見せてくれるだろう、いや、すでに見事な最期を見せ始めていると思いました。周囲の雑音は、この世界では声援でもあります。難しいものです。

雑音との向き合い方を考えます。あわせて、窮屈な子どもたちの現状について考えます。

 

 1 体育座り

 千葉県・柏市市議会で、少し前だが「体育座り」について議論があった。やめて欲しいという議員の問い掛けだ。私は我慢できず、この議員を質(ただ)した。いけないのは「同じ姿勢を長い時間強要すること」だ。

「こら、何をあぐらかいてるんだ!」「集会の時は体育座りと決まってるんダ」

などと、強要することに問題がある。体育座りが良くないのではない。あぐらだろうがごろ寝しようが、「ずっとそのまま」がよくない。体育座りは腰に良くないとかいう反論もあるらしいが、重要ではない。ずっと同じ姿勢でいるのが良くないのだ。それでたとえば、人間は夜中に寝返りをうつ。それに、議会で取り上げるほどの現状ではない。その現場ないしは教員に直接注意した方が早い、というレベルである。

 さて、議会が終わったあとだが、現場から報告があった。学校名も特定の個人名も分かってるが伏せます。職員会議で、立場のある教員が「集会の時、生徒は椅子を持参する」という提案をして通った。学校は卒業式と入学式以外、特別でもない限り生徒は身体ひとつで入場する。生徒が、そして実は教員も大変だからだ。何よりその必要がない。それが始業式はもちろん、学年集会もだという。提案者がのたまった理由は、

「市議会で体育座りが良くないという議員からの批判があったから」

である。反省の弁ではないのだ。現象的には間違ってないように見えるので、周囲から批判されない。とばっちりを受けるのは生徒だ。邪魔な椅子のお陰で、見えなくなった階段(足元)を気にしながら入退場をする。渋滞するので椅子を下に置けば「持て」という指示が出る。片手で持っても同じ声が、あるいは「音をたてるな」という声が飛ぶ。いざ集会が始まれば、背もたれにしっかり上体をつけろ、椅子が斜めだ、前の椅子に触るんじゃない等々の声が飛ぶ。椅子にまつわる「注文」は上げれば切りがない。教員も自分で自分の首を絞める。

 あなたのしたことが、こんな事態を生んでる、何とかしなさいと議員に言ってる。どうやら動き始める様子。

 

 2 チャイム

 つい先日、もう40半ばを過ぎた教え子に、びっくりするような昔の話を言われた。

「先生はあの頃、チャイムが鳴るまで席に着いちゃだめだって言ってた」

それを聞いた周りは、自分の席で過ごしたい生徒たちもいるはず、という非難めいたことを私に言った。でも、そう言いながら彼らも、昔の私の姿にひどく興味を持ったようだ。30年以上も前のことなので確信はないが、私のことだから、恐らく学校の方針に職員室ばかりでなく教室でも反旗を挙げた。つまり「五分前着席の励行」って、良くあるやつが言われた。10分の休み時間だと5分しか休憩出来ない。授業を5分延長する先生と「約束の」5分前に教室で「待機」する先生が「協働」すると、休み時間がなくなる。労働基準法なんか持ってくると面白いんだけどね。

 こういう時、職員(会議で)は梅雨時の排水口のような言葉を放つ。けじめのある生活、自律性のある生活のどこがいけない等々の立派な言葉たちは、結構手ごわい。チャイムが鳴るまでは自由。これが大切。そして、この自由に終わりを告げるのがチャイムの役割。つまり「五分前着席」とは、この区分に不当な介入をするものである。これを第一に考えないといけない。二点目。自分の授業か自分自身が生徒から嫌われている時、チャイム着席は遅れる。同時に生徒は授業に集中しない。先生が指導者というプライドを保ちたいのなら、この生徒と向き合わないといけない。そうしないで、そんな生徒を許してはいけないからと、学校全体を「活用」して「チャイム着席」をはかるというのは大人げなく、かつ、みっともない。職員会議で私は、こんな主張をしたと思われる。でも、「席に着くな」とはねえ。

 実は、前項の「体育座り」でも、同じことが背景となる。集会で生徒が下を向いたりグダッとするのは、生徒に耐性がないとか集中力がないというのではない。「話がつまらないもんな」「その上、長いもんな」と思うのが、そんな生徒の姿を見る時の大人として望ましい態度である。こんな「耐えられない」生徒を見たら、せめて「こら、つまらないことでも我慢しなさい」と、壇上の人間に聞こえるような大声で言って欲しい。

 

 ☆後記☆

藤井君(未だに「君」づけで)やりました! 今回の終了図も、素人には難解でした。すごい戦いなんですねえ。この快挙の陰になってしまった感じですが、わずか三日前に藤井君は、岩手で叡王戦の防衛を果たしてる。なんてこった。防衛後に、三陸鉄道の一日駅長として運転を楽しんで言ったことが、

実際の車両でやると思ってなかったので、運転免許を持ってないのにいいのかなって。すごく緊張した」

だって。いいですねえ。日本中に元気を送ってくれるおふたり。これからもよろしく 

オオタニさん、今日も一発お願いしま~す

すぐ裏手の田植え前のひとコマです。

6月です。今月はから揚げ。授業参観が目白押しの第三土曜日ですが、頑張りま~す