実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

週刊新潮・下 実戦教師塾通信九百三十七号

2024-11-08 11:21:17 | 子ども/学校

週刊新潮・下

 ~「寄り添う」方へ~

 

 ☆初めに☆

東京高裁の判決について、いくつか問い合わせがありました。法廷で感じたことを少し書いておくと、週刊新潮の影響を世間はさして受けなかった、または、取手いじめ事件が人々の記憶に埋もれそうになっている、と思ったことです。地裁判決がそうであったように、判決理由を私たちが知るのは、かなり後になります。だから、後で書きます。

今回は、すでに何回か触れていた、今までの「?」を中心に書きます。慧眼な読者には、ある程度予想がついていたことかもしれません。思わせぶりですみません。とても書きづらいのです。

 

 1 家庭での生活

<3-3は、みんな冷たい。怖い。いじめられたくない。ぼっちはいやだ>(報告書P30)

奈保子さんの明らかな孤立を示すくだりは、また繰り返すが、<スマホ持ってないからかな。LINEしてないからかな>(同)の後に続いたものだ。この「スマホ」のくだりにアンテナが立った読者もいるのではないだろうか。実は、亡くなる直前のBさんへの電話は、<(奈保子さんは)携帯電話の管理を母親に委ねていたが、この日は、母親の許可を得て>(同P29)行われたものである。そして、母親がかける最後の言葉となったのは<「もう明日の用意はしなくていいからお風呂に入りなさい」>(同)である。しっかりした親と自律した子の関係なのか、親の子どもを管理する姿勢が顕著だったとすべきなのだろうか。更に加えると、二学期のある日の夕、下校してない生徒を帰宅するよう促すため駐輪場に行った教師は、そこにAやFを待って困惑している奈保子さんを見出す。

<「どうしよう、どうしよう。帰らなければいけない時間なんです」と述べ、勝手に帰宅したら後で何か言われるかもしれないというようなことを気にしている様子であったため、a教諭は「帰ったことを伝えておくから大丈夫だよ」と言って>(同P19)

奈保子さんを帰している。「帰らなければいけない」わけが、ピアノであることは明確だ。それが「するべき課題」なのか「好きなこと」だからなのかは**保留する。しかし、最低でもこれは(これだけではない)、奈保子さんの周辺事情として、職員が共有すべきものだった。事件後、学校が行った初期の生徒への聞き取りで「ピアノが厳しいと悩んでなかったか」というものがあったのは、更にいただけない。前述の事情から、この聞き取りを否定するものではないが、この頃、学校は「奈保子さんへのいじめに関する聞き取りは出来ない」としていた。こんなのは、両親の過失ばかりを引き出そうという卑怯なやり方だ。

**奈保子さんがピアノを救いとしていたのは確かだ(<受け止めてくれるのは ピアノだけ>(報告書P31)。

 2 不要だった「正しい裁定」

 少し気後れはあるが、母親の対応に触れないといけない。Aが校内で行ったスマホによる写真撮影に対し、元担任は<「(近くにいた生徒は)Aと同じように悪い」「(そういう)友だちを見たならば、注意するべき」>(報告書P14)だと指導した。元担任から連絡を受けた母親は、そのまま伝える。奈保子さんは<「私がそんなことを言ったら逆にいじめられる」と、強く反発した>(同)のだった。そして最後となる、ガラスを割った事件の夕、憔悴し切って帰った奈保子さんの様子を元担任に伝える(この辺りの報告はもう繰り返さない)。ここで母親は<担任教諭と(奈保子さん)の言い分が噛み合ってない>(同P28)と思ったのである。奈保子さんはこの時、どう思っただろう。自分は「ひとりぼっち」だと思ったのではないだろうか。

 ここまで読んで、ずい分学校を擁護するような書き方をする、と感じただろうか。これでは「自殺前にいじめの悩みを担任や友人に訴えることは全くなかった」(週刊新潮)のを、後追いするようではないかと思っただろうか。全然違う。学校の「訴えなければ分かるはずがない」などという言い分がいいはずがない。じゃあ大人の子どもに対する役割をどう真っ当するのか、と学校が問われないといけないのは当然だ。しかし残念ながら、それは親も同じではなかっただろうかと思うのである。<「いったんは娘になり切っていただいて……娘に何が起きていたのか……捉えていただきたい」>(報告概略版P2)という父親の訴えは、愚劣極まる市教委・当局の対応に憤って出たものに間違いはない。しかし同時に、娘に対する償いの気持ちのあったことが垣間見えるのである。

 

 3 小括

 思い返すに、奈保子さんはスマホ所持者ではなかった。そのことで、ネット上でのトラブルは避けられていたようだ。もしかして、スマホを所持する仲間うちでは何か起きていたのかもしれないが、それに気づくことが無かった(調査の俎上に乗らなかったのは、逆に不思議なこととも言える)。残ったのは、目に見えるアナログないさかいだった。だから、少なくとも大人として気づくチャンスはたくさんあった。周囲から見て、初めは友人に見えたのが、友人かどうか迷うようなものに変化した。そして、やはりおかしいと思わせるものに変わったのだと思う。昔の「プロレスごっこ」を思い出す。恐らく、現場にいる人間(大人も子どもも)にとっても判断の難しい局面はあったはずだ。この現場の目を濁らせ遅らせたのは、やはり「学校の荒れ」だったのではないだろうか。

 

 ☆後記☆

昨日は立冬。木枯らし第一号も吹きました 今年の秋ってどうなってたの?っていう気分ですね。今日から旭川に来ています 帰るのはまだ先で、来週にハードなレポートは間に合いそうもありません。せっかくですので、せめて美味しいものを食べて来ようと思ってま~す🍜

今年はマリーゴールドを植えました🥀 元気に咲いて嬉しい。日陰で見えませんが、コキアも紅葉し始めました。

トランプ再選されましたね。「バイデンよりはまし」なハリスも、無策な演説の繰り返しには失望したのです

♬~帰ってお出でよと振り返っても、そこにはただ風が吹いているだけ~♬


週刊新潮・中 実戦教師塾通信九百三十六号

2024-11-01 11:43:53 | 子ども/学校

週刊新潮・中

 ~奈保子さんの孤独~

 

 ☆初めに☆

昨日、取手いじめ事件・控訴審の判決が降ろされました。「主文。控訴を棄却する」という判決です。

昨日の東京高裁の正面玄関から。右手の道路を横断すると総務省です。

奈保子さんの孤独を構成したいきさつを、報告書の中から考えます。実は、週刊新潮はもちろんのこと調査委員の方でも、私に言わせれば扱いきれなかったと思えることです。元担任の裏目に出た「熱意」は見過ごせませんが、それが奈保子さんの悩みとかみ合わなかった検証にもなるのです。二回にわたります。

 1 学校の荒れ

 3年に進級したあと、奈保子さんに変化があった。後に主犯格と言われるAと行動を共にするようになったのを、報告書は<(奈保子さんは)真面目で穏やかな生徒だったので……教員や多くの生徒たちは……違和感を抱いていた>(P12)と書いている。それが、思春期にありがちな、不安定でも外側に出ようとする力によるものなのか、大人(親)からの束縛から逃れようとするもの(次号記事)なのか断定できない。でも、「学校の荒れ」を理由のひとつに挙げないわけには行かない。前号の繰り返しとなるが、学校の子どもたちの心身状態を見ようとする時、「教室に荒れがあるか否か」は欠かすことが出来ない。荒れた学校は子どもたちを不安に陥れる。その一方で、学校生活が満ち足りている時、いじめが生まれる環境も緩和されるからだ。紹介済みだが、<教員が廊下に机といすを置いて……トラブル防止のため待機、監視するようになった>(報告書)学年を、新潮が取り上げないのは何故なのだろう。すべてはここに始まっている。取手いじめ事件の報告書が思い入ればかりの「偏った調査」(新潮)と言うなら、新潮の記述は「偏った情報」の意図的編集が透けている。ひとつ取り上げれば、奈保子さんの日記(何故か写真。どうやって入手したのか)、

「自分がきらい。死にたいくらい。ピアノも勉強も、友達も 何もかもが上手くいかない」

等々というくだりが掲載されている。これだけなら悲劇の「様々な因果関係」が考えられる。しかしこの後、日記は<お願いだから、耳打ちはやめて、おねがい。本当に>(報告書P31)と、奈保子さんの追い込まれた叫びに続くのだ。

 一方で考えないといけないと思えることがある。このくだりのすぐ後に続く記述は大切だ。踏み込むには相当デリケートな部分と思える。新潮も報告書も踏み込んでいない。

<…自分もつらい目にあってたでしょ?だから分かるよね…A。>(同)

この部分と3年進級直後の様子を合わせると、所属したグループの性格や、奈保子さんの位置/行動が見える気がする。激しく揺れ動く奈保子さんの気持ちが切ない。そして、バスケットボールチーム決めの場面では、奈保子さんが頼りにしていたと思われるグループのひとりが揺れている様子もうかがえる。奈保子さんの動揺は加速したはずだ。

<Aのところに行かないって言ったのに(どうして行ってしまったの?)>(同P21)

と、奈保子さんは泣いて彼女に訴えている。新潮(元担任)は「いじめっ子とされた3人の生徒は、いじめをしたという自覚は全くなく」と言うが、そんな単純なものではない。女子間でのいさかいには「和解より勝敗」という道筋がある。これらの出来事に、そんな道が開けてなかったのだろうかと考えてしまう。

 2 元担任の「冷静さ」

 加えて、奈保子さんの孤立を、元担任は救えなかった。やはりこの方の振る舞いには違和感がある。新潮の記事で、奈保子さんへの思いは見えなかった。

「美恵子さん(仮名)のご遺族に対して、お子さんを突然亡くされた悲しみを少しでも共有できたらと思い、精一杯誠実に対応したいと考えていました」(新潮)

先週発行の「女性教師の告白」である。「生徒が死んでいることなので勝訴判決を素直に喜べなかったが『本当に勝ったのだという実感を噛みしめ』」(同)た元担任が、あるいは「月命日には何人かの職員たちと1年以上、ご遺族宅に足を運びました」(同)ともいう。謝罪の要不要は問わない。しかし、奈保子さんが自分には愛おしい子だったとか、自分を困らせる時もあったが悲しいとかいうことが、これらのくだりからは全くと言っていいぐらい見つけることが出来ない。この欠如感からすれば、報告書における元担任の「冷静さ(冷たさ?)」が再確認されてしまう。

<「泣いているということは本人も反省しているということです」>(報告書P28)

これは、ガラスを割った件で遅くに帰宅した奈保子さんを心配した母親が、「ガラスの件は自分に関係ない、知らないと言ってます」と訴えたことへの返答だ。新潮の月命日のくだりと合わせると、担任の「冷静」に満ちた言動の報告がいい加減とは思えない。また、元担任が告別式に出向いたかどうかは触れられていない(報告書にもなかった)。奈保子さんは、元担任からのサポートを受けられなかった。奈保子さんは孤独感を深めた。

 

 ☆後記☆

「家庭が子どもに寄り添っていたら、少なくとも小中学生は絶対に自殺しない」とは、前から私が言って来たことです。残念ですが、次回はそのことに触れます。その時も言いますが「いじめと自殺の因果関係は不明」ですが、「いじめが本人を苦しめ追い込んだ事実にはむきあわないといけない」のです。

 ☆☆

なんか成り行きで、来週、旭川に行くことになってしまいました。公園で亡くなっていた爽彩さんの事件は、本当はもっととんでもない事件だったようです。ブログ更新して4時間以上過ぎてしまいましたが補記しておきます(11,1午後4時半)と、母親が事件の再調査を依頼したことへの私の違和感を、熱心な読者は覚えていると思います。どうやら、その違和感が正しかったのを確かめられそうです。年内には報告できると思います。今のうち風邪なおさなきゃ。

11月となりました。今日は1日。楽天マー君の誕生日です。子ども食堂「うさぎとカメ」は、牛すじカレー🍛 和牛です❕ 副菜はカレーの時定番のフルーツヨーグルト🍎🍏 おいでくださ~い👪

♬プラタナスの枯れ葉舞う 冬の道で~♬

オオタニさ~ん、おめでとうございま~す🥂


週刊新潮・上 実戦教師塾通信九百三十五号

2024-10-25 11:44:24 | 子ども/学校

週刊新潮・上

 ~振り出しに戻す気か~

 

 ☆初めに☆

下衆の勘繰りから始めます。2015年の事件発生から半年近く経過してから、報道が動き始めました。各誌の事件に関する記事は、おおむね市教委・当局への批判に満ちていました。両親が市教委設置の第三者委員会を解散し、新たな調査委員会設置を要求するのが2017年春のことです。それまでもそれ以降も週刊新潮は沈黙を守っていたようです。文中で週刊文春をこき下ろす一方で、自分たちは一貫して反論して来たというくだりが、今回の記事に全く見当たらないからです。後れを取った新潮が「事実と異なる記事を掲載した」(新潮記事からの引用)文春の向こうを張ったか?と思うのも、そんな経過が見えるからです。今年の7月に出された水戸地裁の「停職処分撤回」の判決が、新潮の背中を押したんではないかというのが、私の勘ぐりです。

あらかじめ結論を言っておきます。新潮の冒そうとしている最大の過ちは、そもそも「自殺は、いくつもの要因が複合的に重なって起きる」という、かつての「振り出し」に戻そうというものです。天童市の事件で、また旭川市の事件で、そして取手の事件で、それぞれの調査委員会は「いじめがどれだけ本人を追い詰め苦しめたのか」を調べ検証したのです。当局・当事者が、事態を正面から受け止めようとしない傾向を糾弾して来たのです。

部分的には未だ検証出来てない部分もあります。しかし、新潮の曲解・誤解は見過ごせません。

 1 「軽微」ではなかった

 記事中に「憶測」や「根拠のない」というくだりが散見される。水戸地裁判決も同様である。しかし学校現場は「憶測」に基づいて対応しないと間に合わないことが多い。一方的に「これはいじめだ!」と決めつけるのは問題外だが、「放っておけない」「このままでいいとは思えない」ことで、学校は満ちている。なぜか新潮の記事で言及はないが、県の調査委員会による報告書(以下「報告書」と表記)によれば、この学校は荒れていたようだ。

〈(奈保子さんの)学年の生徒は……落ち着きのない……生徒が多かった。2年生の後半から3年生に進級するに及んで……一部の生徒が、授業妨害や……教員への反発や暴力などをするようになり……教員が廊下に机といすを置いて……トラブル防止のため待機、監視するようになった〉(P9  以下〈 〉は報告書)

私たちもやった、報われず多忙で大変だった(拙著『さあ、ここが学校だ!』をご参照ください)。学校の「荒れ」があったかどうかで、事態の見え方は大きく変わる。新潮にこのくだりがないのは、決定的だ。学校が荒れている時、ある事態を迎える。ひとつ目は、学年(orクラス)生徒のデリケートな状態が生まれる。何度も書いたが、嫌な空気を吸収し溜まったストレスは、はけ口を求める。生徒たちは細かいことでナーバスになる。生徒周辺の出来事を「軽微だ」とするのは禁物、いや、危険なのだ。報告書の指摘は的を得ている。

〈否定的な行為をされた子どもが、それを何とも感じないのか、軽く受け流せるのか……は、行為した子どもとされた子どもとの関係性、行為をされた子どもが置かれた具体的な状況等によって大きく異なり得る〉(P7)

「意味ありげな目配せや口パク、アルバムの『くそやろ~』等の寄せ書き」は、そんな学校生活の中で起きている。これらが「軽微な」はずがない。いわば酸欠状態のような中で、あるグループに接近した奈保子さんの心に、これらのことがずぶずぶ突き刺さっていたことは疑いがない。頼れる大人(先生)がそばにいたら良かったのに、と思う。

「3人に、遅れて来た理由を聞こうとしたところ、AとFは指示に従わず席に座ってしまったため、指示に従った美恵子さん(新潮は仮名を使用)に『なんで遅れたの?』と聞いただけである」(新潮)

この場面を学校関係者でないものは、どう読めるのだろう。私たちからすれば、目を背けたくなる無残な様相である。「自由な出入り」と言える授業への遅れは、報告書がでたらめでなければ一度や二度ではない。指導が効をなさない状況に、担任は己の無力さ&勝手な生徒を、どうにかしないといけないと思うのだ。記事は「聞いただけ」として、叱責レベルの低さを言ってるが、どう考えても、担任が「聞いただけ」に留まったとは思えない。教室全体には「知らぬ顔して席に着いたふたりは、なんで注意されないんだ?」という、担任へのあざけりが満ちているのだ。

 2 様々な誤認

 学校の荒れで発生するもうひとつの事態は、教員の「横の連携/チームワーク」が欠如することだ。こんな時こそ教員が結束しないといけないのだが、普段に授業エスケープや妨害を受ける中、生徒を(が)「見(え)ない」教師が出て来る。そうすると「授業に来てない」報告がない時さえ出て来る。組織的で端的な例が、この時の茨城県教委の姿勢である。「重大事態に該当しない」という市教委の結論を茨城県として指導せず放置したのは、この連携の欠如と言っていい(いつも言ってるが、これは教育行政を担当する、私が唯一信頼をおく方の見解)。

 当局の対応を新潮から見てみよう。生徒達を対象としたアンケート&聞き取りをした結果、「美恵子さん(前述の通り仮名)に対するいじめ、いじめらしき出来事を見聞きしたとの回答は皆無」(新潮)という件。以前にもレポートしたが、〈教頭から両親に対し……アンケートを取る場合は事前に両親に見せ、アンケート結果を両親に報告する〉(P33)だった。しかし、両親の〈アンケートには娘へのいじめ項目を具体的に含め〉(P36)て欲しいとの要望は受け入れられず、一般的な「何か悩み不安はありませんか」なる生活アンケートの類を出なかった。つまり、初めから「美恵子さんに対するいじめを見聞きする」ような回答は出て来るはずがなかった。「そこで、両親は17名(報告書では18名)もの生徒を自宅に何度も呼ん」(新潮)だという。ためらう生徒を無理やり呼んだのだろうか。昨日発行の新潮・続編によれば、保護者会(2018年)を、担任は主治医からも止められていたため欠席する。すると「他の保護者たちも、『今すぐ連れてこい』『迎えに行ってください』などと……大騒ぎになった」(同)とあるのだ。奈保子さんが亡くなる直前まで話していた親友のBさんが弔問はもちろんのこと、奈保子さんの亡くなった直後にも訪れたはずだ。生徒の多くが両親から無理やり聴取されたとは思えないのである。

 字数が大分かさんでしまった。すでにレポートしている部分の重複は避けて、いくつか気になる新潮の事実誤認を指摘して今週は結ぶ。まず、両親は「奈保子さんの死の直後、学校や教育委員会に特に苦情を申し立てていない」(新潮)という点。私の経験や情報から言えるが、生徒の死の直後、当局や学校に抗議する保護者はいない。いじめの相談や抗議を繰り返し学校にしていた保護者でさえ、それどころでないからだ。次。今回の調査機関が市から県に移った理由を、新潮は「文科省の圧力」としている。文科省からの指導があれば逆らえないような記述となっている。例えばだが、2015年に発足した「流山市いじめ調査会」は、市内で繰り返し発生したいじめや担任の暴力行為に対処する目的で作られた。当時、私も流山市の保護者から、その中の相談をひとつ受けている。この調査会の要請に応じて、萩生田文科省大臣(2019年当時)が「指導や助言」に動く。しかし、市当局も市教委も微動だにしなかった。茨城県教委が動いたのは、別な理由だ。すでに私の「憶測」は、ずっと前に書いてある。

 最後に、市教委の「重大事態に該当しない」対応が、いかにいい加減なものなのか補記しておく。学校がいじめはなかったと判断しても児童生徒や保護者から申し立てがあったら、当局は「重大事態」として取り組まないといけない。それが、いじめ防止対策推進法の考えである。先輩のパワハラが原因で不登校になった生徒の案件が「重大事態」となってもいる。これらのことを知らない新潮の読者は、誤った方向にリードされてしまう。

 

 ☆後記☆

考えるほど、奈保子さんの「ひとりぼっち」が浮き上がります。担任の「熱血/熱心」は、確かにあったのでしょう。でも、温かく寄り添うという、ぬくもりが感じられないのは気のせいでしょうか。また、ご両親が「取り返しのつかない」思いでいることも間違いありません。それにしても、かつての「自殺の原因は多岐に渡っている。いじめと自殺との因果関係は不明」という「原点」に回帰しようという取手いじめ事件の流れは、異様としか思えません。

 ☆☆

なんか不順な空模様ですが、秋に違いはありません。いつもの整備工場から📷

バイク愛好家しか分からないけど「メグロ」です。先日、カワサキから復刻版が出たので、それかと思ったら違ってました! 1956年製造!だそうです🏍

こちらは先週の子ども食堂「うさぎとカメ」で~す🍚 ついつい撮っちゃったクツたち。もっと見事にたくさん揃ってた時もあったけど、これもかわいい💛

焼きそばとポテトフライ。美味しかった!とお代わり続出🍝 毎度ありがとうございま~す👪

 


石破首相・下 実戦教師塾通信九百三十四号

2024-10-18 11:28:09 | ニュースの読み方

石破首相・下

 ~「自衛」と「同盟」~

 

 ☆初めに☆

石破茂が首相になることを、私たちの多くが待っていたような気がします。わけあって石破氏は、自分の党からコケにされていた。私たちの新首相への期待は、すでに幾ばくか肩透かしを食らっているようですが、私たちが石破氏に期待してしまうまでのいきさつを確認した方がいいと思われます。一方、国際的な緊張を前に、煽られてばかりいる私たちです。「平和ボケ」の私たちに、考えるための具体的な手立てはないのでしょうか。ないはずはない。

 1 森加計問題

 忘れそうだが、石破氏は党内きってのタカ派だ。憲法九条・第2項を撤廃するというのが、その代表と言える。

「(戦争放棄の)目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」

この項目を廃棄する考えは、今もって変わっていない。では、石破氏へのシンパシーを私たちはどのように持つに至ったのだろう。中でも、森友・加計学園問題は大きかったはずだ。4年前の総裁選に出馬するにあたって日経始め報道各誌に、長期政権にあった安倍内閣が目を剥いてびっくりするような発言をしている。要旨は以下のようだった。

「キャッチフレーズは「納得と共感」。首相になった場合に森友・加計学園問題や「桜を見る会」の問題を再調査する。検証しなければいけないことがあるとすれば、検証していかなければならない。政治が『何かごまかしている』『ウソを言っている』という思いが(国民の間に)ある以上、納得にも共感にもならない」

この問題に対し、渦中の自民党でこれほどはっきり言う人間がいたのかと、留飲を下げた人も多かったと思う。実は時期を同じくして、繰り返し都知事に挑戦し続けている、元幕僚長の田母神俊雄との間で石破氏は激論を交わしている。田母神氏は雑誌『Will』で突っ込み、石破氏は同じく『正論』で受けた。もともと田母神氏は、靖国神社に参拝したことのない石破氏**に我慢がならなかった。そこに油を注いだのが石破氏の、

「『日本は侵略国家ではない!』それは違うでしょう。西欧列強も侵略国家ではありましたが、だからと言って日本は違う、との論拠にはなりません。『遅れて来た侵略国家』と言うべきでしょう」

という田母神氏への反論である。「こういう御仁が自衛隊のトップに君臨していたのである」と、田母神氏が激怒したのはもちろんだ。また、2008年に起きた護衛艦「あたご」と漁船の間の海難事故で、漁船側にふたりの死者が出たことで、この時防衛大臣だった石破氏が遺族に謝罪に出向いた件にも言及する(これは海難審判では「あたご」に回避義務があり、刑事裁判では無罪になるという経過をたどった)。こんな防衛大臣の下で、自衛隊員が胸を張って活動出来るはずがない、と田母神氏は反論したわけである。当時、田母神氏は「石破茂氏には、どうしても総理大臣になって欲しくない」と繰り返し語っていたが、その石破氏、総理大臣になってしまった。

**今朝の報道で、石破総理が「昨日、靖国神社参拝」とあった。田母神氏との激しいやり取りは、2010年代後半のものだ。田母神氏は「(石破氏地元の)護国神社さえ参拝していなかった」と、批判している。

 2 集団的自衛権

 しかし、これが国際紛争・戦争に及ぶと、石破氏の持論が前面に押し出される。小泉政権の下で防衛庁長官だった石破氏が2004年のアジア安全保障会議で、また地方講演で、首相を力強くサポートする姿は圧巻だ。

「自由と民主主義を否定する集団から自由と民主主義の体制を守るためには、かかる集団との対話は意味を持ちません。力を含むあらゆる手段を用いて断固として戦うほかはありません」

「イラクが大混乱に陥って……飛び火していったとして、一番困るのは(石油のない)日本人じゃないですか」

石破氏はこの辺にして、私たちの「自衛」を考えてみよう。国を揺るがす出来事はなかったのか。「自衛」とは、そこから考え得るものだ。それで思い起こすのは、オウム真理教である。日本全体の機能がいかがわしい宗教集団に覆されるのではないか、と恐れおののく時もあったと思う。この時、自衛隊に出動要請をしたのは、東京都知事である。「地下鉄爆撃」の誤報を、オウム真理教によるサリン攻撃であるとただちに判断し、初期段階で自衛隊は待機していたという。教訓にしたいのは、相手が理屈の通らない集団だったら(実際、紛れもないテロ集団だった)どんな違法な捜査がされても構わないと、私たちが思ったことだ。そんな考えの決定的欠陥をさらしたのは、警察庁長官狙撃事件だった。オウムとは関係のない事件と分かるまで信者に対して嫌疑をかけ、あらゆる手法が使われた。

 興味深いのが福島第一原発事故だ。これも国の存亡にかかる大事故である。物質的・経済的、医療的支援が世界各国から寄せられた。そして人的支援もされるのだが、とりわけ原発事故の対応に現場まで赴いたのがアメリカ軍だった。トモダチ作戦は「強固な日米同盟」の証明とされた。しかし、押さえておかないといけない。命の危険を賭して現場にいたのは、東電の現場職員だ。そして「日本」の自衛隊・「日本」の消防・「日本」の警察、以上である。アメリカ軍は2011年の3月17日、危険回避のため原発から80キロ圏外へ避難する。「敵前逃亡」した米軍を、集団的自衛権議論の俎上に上げない手はない。憲法九条第2項撤廃と共に集団的自衛権の行使を持論とする石破氏が、「イラクに派遣された自衛隊が、戦闘エリアになったからと言って撤収(**敵前逃亡)なんかすることが出来るはずがない」と言った石破氏が、この件についてどんな論評をするか聞いてみたい。

 **( )内は私の解釈による勝手な加筆です。

 

 ☆後記☆

週刊新潮の記事に、コメントが欲しいとの連絡を受けました。言われずともやるつもりでした。昨日発行の新潮に「取手いじめ事件」が、大きく取り上げられました。地裁の「原告(元担任)の処分を撤回しろ」という判決を支持し、県の立ち上げた第三者委員会を批判する記事です。来週も続く連載なのです。前に書きましたが、事件の控訴審は今月の31日に判決があります。つまり、新潮の連載が終わった翌週です。控訴審も原告有利に動いていると見た新潮が、掲載に踏み切ったのではないかと、私は思いました。来週に書くつもりです。

一方、ノーベル平和賞という驚きのニュースもありました。ちゃんと書かないといけません。後日、改めて書きます。「非核の火」を引き継いだ、福島県・楢葉町の早川住職も喜んでいることでしょう。

今年も庭の金木犀が満開。家の中まで香りがむせ返るようです🥀

明日は、子ども食堂「うさぎとカメ」ですよ~ 定番の焼きそばにポテトフライを添えま~す🍝 食欲の秋🍄💛

チラシ裏面の通信です。皆さん、おいでくださ~い👪


石破首相・上 実戦教師塾通信九百三十三号

2024-10-11 11:27:54 | 戦後/昭和

石破首相・上

 ~「斜陽日本」の行く手~

 

 ☆初めに☆

石破茂が新しい首相に選ばれました。時おり真っ当なことを言うせいなのか、ずっと爪はじき的存在に甘んじてましたが、内閣総理大臣になりました。ところが、総裁選前の約束(ではない?)が次々にひっくり返されました。一定程度修正はされましたが、もともと私の関心は裏金や夫婦別姓ではありません。きな臭い国際情勢に、日本も好戦的になっているのは間違いない。新しい首相がどう対応するのか気になります。日本を取り巻く情勢の変化、そして、そんな状況にかつての石破茂がどう対応して来たのか、洗い出してみます。二回にわたります。

 1 湾岸戦争

 大きなターニングポイントが、1991年の湾岸戦争だったことは間違いない。この時アメリカは、日本に対して財政的支援のみならず、人的なものを強力に要請した。この時の首相・海部俊樹は、法律上の困難を理由に要請を断る。時を同じくして2年前の選挙で圧勝し、参議院の第一党となった社会党を忘れてはならない。党首だった土井たか子は、サダムフセインにクウェート侵攻を思いとどまるよう、イラクまで出向いている。申し出は当然だが、断られる。しかし大切なことは、フセインが面会・会談に応じたことだ。社会党、そして土井たか子に勢いがあったからという理由ばかりではない。この時期、日本に力があったからだ。日本の国民総生産は20年以上にわたり、世界第二位に君臨していた。日米の貿易摩擦は常に争点で、アメリカからの自立は相対的ではあっても明らかだった。しかしこれが、湾岸戦争を機に、政治的(経済的側面では少し遅れる)に対米追随となる。国連決議のもとに多国籍軍が形成され、クウェートはイラク侵攻を免れる。日本は支援として、戦費総額の2割と言われる膨大な財政支援を行っていた。しかし、ここでも何度か書いて来たように、戦争が終わった後、支援を感謝する国の中に、クウェートは日本を入れなかった。日本においても人的支援をしなかったことへ、否定的な世論が形成された。土井たか子も「ダメなものはダメ」というに留まった。戦争が終わったら平気な顔して今まで通りオイルを買おうというのか、という欧州の蔑(さげす)みに、日本は耐えることが出来なかった。最も先を見通していたのはアメリカだ。欧州のオイル依存を利用し、アラブ諸国間のオイル利権地図を読み取っていたばかりではない、この時すでに国家の体をなさなくなっていたソ連(現ロシア)の弱みを握っていた。事実、この時ゴルバチョフはこの問題に対し、戦争でなく外交での解決をアメリカに訴えている。しかし昔のような脅威的存在ではなくなったソ連に、アメリカは聞く耳を持たなかった。そしてアメリカはこの時を、日本追い込みのチャンスとしていた。一石三鳥の戦略を手にしていたわけだ。クウェートが日本に対して感謝の旗を外すことを巡って、もしかしてアメリカが絡んでいたんじゃないかと勘ぐっておいていいのだ。

 2 壊し屋・小泉首相

 この時、本当なら「NOと言える日本」の登場が望まれた。宗教や文明にかこつけた欧米の引き回しには乗らない、平和的外交という道を何故模索しないのか、イラクを野蛮視した欧米の戦闘という選択こそ野蛮ではないのか等々。下心のあった欧米がたじろぐことはなかったにしても、日本への攻撃にひるみをもたらしたとは思える。しかし、日本は「NO」と言えなかった。自虐的?謙虚?だったからだろうか。それにプラスしていいのが、ソ連の崩壊-冷戦の終了だったように思う。これを境に右も左も、針路を見失った。「右」は宿敵を失った。「左」は米ソの協調路線に戸惑った。日本全体が一瞬、思考停止状態に陥った。実際、筋金入り右派の論客に関してはこの流れに乗らず、湾岸戦争への加担に反対した。新左翼と呼ばれる部分の多くは、ゴルバチョフはともかく、ソ連の解体に何の感慨もなかった。しかし取りあえず日本の湾岸戦争対応に、日本全体はひどくコンプレックスを持つこととなった。

 そして、ここに追い打ちをかけたのが「バブル崩壊」である。崩壊した日本経済の再建を公約に、日本を「ぶっ壊す」バッターとして小泉首相が登場する。郵政民営化/規制緩和/派遣事業/原発政策等々。もっとゆっくりやるのだったら、いい政策もあった。しかし、単純明快・猪突猛進、そして、実は対米追随だった。これが絶大な人気をバックに、突き進んだ。原発に関しては「間違ってた/ウソつかれてた」と言って反省できるところは、また普通でない首相だったが、日本を壊した張本人であることに変わりはない。安保理決議がなかったにもかかわらず始めたアメリカのイラク戦争なのだが、小泉首相が世界に先駆け「アメリカのイラク戦争を支持する」とぶち上げたのである。

 思い出したと思うが、小泉内閣で防衛庁長官を務めたのが石破茂である。

 

 ☆後記☆

袴田さん、晴れて無罪になりました。おめでとうございます。この決定を報告する際、検察の不満がぶち撒けられています。再審決定からやり直し裁判に至るまで、いや、それ以前の経過をちゃんと追っているのかと思わせる検察の見解でした。「証拠の捏造」が一番の不満なのでしょう。でも、そこから「犯人とする根拠は残っている」までジャンプしてしまうのは、いかがなものかということですよね。検察の言う通り「事件の検証は続け」て欲しいです。

柏場所に行って来ました。バタバタしてて、取り組みも見ず隆の勝にも会えませんでした。お母さんと話せたのが、かろうじて良かったこと。よく見ていて下さって、と言ってもらえて良かった。見渡す限りいっぱいの人で、前回よりもはるかに多い入りでした。写真では空席はありますが、まだ開場したばかりのもの。

お土産は買いました。カレーとタオル。北の富士カレー。辛口なんです。意味するところ、分かりますよね