実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

鳥瞰がやらかす事 実戦教師塾通信七百二十二号

2020-09-18 11:16:54 | 子ども/学校

 鳥瞰(ちょうかん)がやらかす事

 ~「幸福」と関係ない世界~

 

 ☆初めに☆

色々な先生から、この間の苦労や工夫の話を聞きました。「時間はたっぷりあったはずだ」「子どもたちに不安や不備があってはいけない」という声は、腹立たしいかな、行政の声です。現場がのんびりしていたはずはないのです。校長会の動画を、現場が見たかチェックしているとは、冗談でしょうか。もっと工夫をもっと報告をという無責任な風を、現場は浴び続けていたのです。

コロナ騒ぎの中、様々な工夫や試みがされています。会食できない状況下で、弁当を宅配する子ども食堂や、学習支援を行う学生団体のことなど、励みになります。気になるのが、リモートやユーチューブの活用による「新しい学習様式」です。子どもの実態とかけ離れた発想と実験は、問いただされないといけません。

 

 1 十年遅れている日本

 AIが変える学校現場とは、コロナ騒ぎの中でこそ進んだという報告については、以前も触れた。授業はリモートで出来る、資料の活用はもちろん、師範(しはん)もユーチューブで自由自在、不登校の生徒も学習に参加できる等々。集会など必要ない、教室で始業式も出来る。実際そうだった。コロナ騒ぎの中、学校はバラ色なのだそうだ。

 アメリカで視察をしてきたという先生の話から。生徒一人一人がタブレットを与えられ、休み時間には廊下や校庭でそれを楽しんでいる。日本でも生徒が全員タブレットを持つ時代はもうすぐだ、でも、それを使いこなせる力量を教員が持ち合わせていない、アメリカより十年遅れている、という話だ。

 半畳を入れよう。視察そのものは、日本においても「先進校」が対象だ。ここまで出来ます的実績公開とメディアによる拡散は、今まで現場に多忙と苦労をもたらして来た。ちなみに視察で行ったアメリカ、どこの学校? ルイジアナのニューオーリンズじゃないだろうし、ニューヨークのダウンタウンでもないだろう。マサチューセッツのボストンあたりか。なに不自由ない生徒たちが、何をか言わんや、である。フランスだったら、大統領にならって、生徒たちが「私たちは、他者を冒涜(ぼうとく)する自由がある」と、タブレットから容赦ない誹謗と中傷をぶつけている、なんてのはどう? カッコいい話の陰に隠れている現実がある。

 鳥瞰とは高い空から眺めること。こいつがしでかす罪は軽くない。

 

 2 私たちの実際行為

 機械が人間という領域を手に入れるのは、もう時間の問題らしい。それを利用しないことはない。しかし、その手前の「自分が何を手に入れたいのか」という問題は考えていいはずだ。スポーツの興奮は、ゲーム世界で十分可能だという。いま取り上げられているe-スポーツなら、する方見る方に密集が要らない。さらに、コロナが収まれば大観衆前での興奮が実現する。格闘技系だったら、相手も自分も怪我しない。両者はともにコントローラーを操る親指で対決するのだ。それでいい。しかし、勝利するための修練をしても、脚・跳躍・均衡等の力、筋肉は全くつかない。添加物満載のスナック菓子を食べながらの「鍛練」は、自分のお腹にたっぷり脂(あぶら)をつけたりする。それで(又は「それが」)いいという人たちがやるものだ。どちらかに軍配をあげるというわけではない。両者ともに代替は出来ない。ある種の人間にとって、機械は「自分が手に入れたいもの」を用意するわけではない。面倒な手続きを「無駄」と思わない人間世界もあるのだ。

 レジでは今や、ほぼ自動的に品物とお金のやり取りがされている。お札も小銭も全部入れてしまえば、客の出した金額が表示され釣りが出てくるこの機械を信じれば、お札と小銭を全部レジに渡せば、余分なものは機械が返却し運が良ければ小銭は全部消える(セルフレジで私はそうしている)。しかし私たちはそうせず、お金を数えてレジのトレイに入れ、多い足りないのやり取りをする。会計が2045円の時に5035円を出せば、おつり2990円が渡されるのでなく、店員さんは「十円足りないです」と、親切に言う。これらのやり取りに、無駄なものは全くない。私たちはそこで、お金以外のやり取りをしている。カード決済にはない世界だ。

 教室には、元気な子もいれば元気でない子もいる。家が原因で/一週間前の友だちとのケンカが原因で/理由もなく動悸が高鳴るのが原因で等、元気でない理由は様々だ。落ち着けず怒鳴ったり、友だちに甘えたり熱が出たり等と、その対処も様々だ。そこに先生が、何らかの関与をして行く。子どもの表情を読んだり目に入らなかったり、心配だったり迷惑だったりする。そこに数々の風景や人生が刻まれていく。子どもたちは注がれる愛を感じたり、投げやりになったりする。これらのあれこれに、無駄なものはひとつもない。「生きる力」がどうでこうで、という話ではない。子どもたちは紛れもなく、その中で「生きている」。その中でオンライン授業やリモートの行事が「必要なら」やればいいだけだ。しかし、必要ない邪魔だという子どもたちも必ずいる。AIは「目的」ではない。苦労してリモートの集会をやったのに音声や映像が乱れて、というグチは山ほど届いている。技術がいつか向上すれば、という話ではない。子どもの様子を見る余裕をなくしてまでしてやることなのかという共通理解がされないまま、「コロナが呼び寄せた新しい時代/生活様式」に「追い付き/追い越せ」という気分に支配されているのは間違いない。

「すぐ目の前にいるんだから、メールじゃないだろ。声かけろよ」

という、会社や子どもの間で多少は出来ていたやり取り。このグレードが、また下がる気がする。

 

 ☆後記☆

連絡遅れましたが、子ども食堂「うさぎとカメ」、明日です。お近くの方、都合がよろしかったらどうぞ。

 ☆☆

ニュース、全く見る気にならないので、スポーツニュースだけ見てます。大阪なおみ選手のアメイジングな活躍に、ただただリスペクトしてます。が………日本の文化人というか、レベル低いっすね~。「ぼくなんかは『黙ってた方が楽だな』と思ってしまって、そうして来た」という複合ジャンプの萩原選手、これは良かった。そうじゃないのが、スポーツに政治を持ち込むのは考えないといけない、だって? 情けない「文化人」の意見がテレビに横行してる。なんか恥ずかしい。「ちゃんと話を聞いて欲しい」って大阪選手、言ってなかったっけ。

さあさあ、気分変えよう。手賀沼近くの稲刈り風景。収穫の秋で~す。

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なみえ創成小学校 実戦教師塾通信七百二十一号

2020-09-11 11:43:28 | 福島からの報告

 なみえ創成小学校

 ~「創成のとき」は~

 

 ☆初めに☆

「浪江町立なみえ創成小学校」の校長先生から、お話を聞く機会をいただきました。レポートには事務的な部分もありますが、部外者としてのたしなみと思ってもらえればありがたいです。

浪江の学校として真新しくスタートした姿には、苦労はもちろんですが、慎重に少しずつという気持ちを感じました。

 

 1 和合亮一

空と海が 青くめざめて

星はやさしく 雲を追いかけ

はじめのかなた 光をはこぶ

風にあこがれ 夜明けの道で

知る 学ぶ  想う 愛する

歌う 笑う  駆ける はばたく

季節は ぼくに  きみは 未来に

声は いのちに  鳥は こころに

虹をかけたい

なみえの朝だ 創成のとき

読者は、原発事故直後に「放射能が降っています 静かな夜です――」と書き発信した福島在住の詩人、和合亮一を覚えているだろうか。その和合亮一によって作詞されたのが、このなみえ創成小学校・中学校の校歌(引用は一番)だ。

 

 2 ここで生まれ育った

 門をくぐり、玄関に入る。

新しい学校の色や匂いが、あちこちから漂っている。校長室からは、夏の日に白く照らされる広い校庭や、フェンス向こうの家々が見えた。

全校生徒21名。昨年より2名増えている。一番多い学年は2年生の8名。特別支援の生徒をここにひとり加えれば、9名となる。一番少ない学年は5年生の1名。学校関係者でなくとも、これはよく吟味した方がいい数字と思える。クラスは7つ。つまり特別支援の学級と、一学年ひとつのクラス。通常こういう場合「複式学級」と言って、たとえば2、3学年一緒でクラスを構成する。しかし、ここでは復興推進加配教員を活用し、複式ではなく単学級での学習指導を行っている。この方法が阪神淡路大震災の時に生まれたものだと、私は知らなかった。しかしこれは、10年を区切りとする。東日本大震災から今年で10年なのだ。校長先生は、この期限が延長されることを願っている。

「子どもがひとり転入しても出て行っても、その時の職員配置が大変でね」

本当だ、そう言われて気がつく。

 中学校はどうか。全校生徒は5名。生徒に教える先生は10人。つまりひとりが一教科を担当する。私の暮らす千葉県東葛エリアで考えても、国語や社会の先生はだぶつくことがあり、美術や技術の先生がなかなか見つからない。だからここの大変さは、きっとひと通りではない。また全学年を教えても、担当する授業が少なすぎる教科が出てくる。従って教科によっては、その不足分を隣の南相馬市の学校まで行って教える先生がいるのである。

 今までの苦労や先立つ苦労ばかりを考えるのでしょうか、私は聞いてみた。そうではない、仕方ないというか、ありのまま受け入れて行くつもりだ、と先生は答えた。そして、

「私はここ(浪江)で生まれ育った人間です。最後までここにいたいと思っています」

と言って笑うのだった。校長先生は、退職まであと4年を残している。

校歌の一番は以下のように続く。

空よ 海よ 風よ 銀河よ

はじめの 光を 胸に 生きる

高瀬 請土 川は 明日へ

なみえの朝だ 創成のとき

 

 3 アライグマ参上

 楢葉町・渡部さん家でのレポートpart2です。

庭先は早咲きのコスモス、種類が違うそうだ。

檻(おり)の中に、驚きのアライグマ。同時に入らないと扉が閉まるというのに、どうやったら二匹もかかるんだろう。かかっている写真が一杯あった。渡部さんが網から太い棒を差し込んで、これでもかとアライグマをこらしめている動画も見せてもらった。しかしこいつらはちっともひるまず、棒に食いかかってくるのである。アライグマ恐るべし。その後どうするのかと思ったら、山奥に行って放してくるんだそうです。こらしめるのは、もう来るなよという意味なのである。私は能天気に、動物園で引き取ってくれないのかなと言うのだが、渡部さんは笑うだけだ。

首をのぞかせて、これは新しい家族の猫。玄関先の「家」だ。車のボンネットに入ってたという変な話。おばあちゃんのひと声で「同居」が決まったそうだ。お年を召し、行方不明となった「うーちゃん」の生まれ変わりでしょうか。

 

 ☆後記☆

前回の「☆」に、多くの反応をいただきました。ありがとうございます。そうですね、皆さん気付いてますね、総理は引け際もアグレッシブだったのです。無能な野党の「辞めろ」の声と、自身の体調不安の間で退陣のタイミングを見図らっていた、というあたりが核心でしょう。「内閣の実績」と「体調不安」は別問題、とすることも出来ない野党と踏んだのです。今は「専守防衛」再検討に、その後の攻勢を続けています。中央の政治にいい加減に嫌気がさしますね。方や北海道の寿都(すっつ)町ですが、これは最終処分場の是非が提案されたと考えた方がよさそうです。福島にあるのは「中間貯蔵施設」であることを、私たちは忘れてはなりません。それを見守る福島県は、トリチウム排水に関する全国的議論も呼びかける一方で、来月には東電を提訴する準備をしています。地方政治、頑張りましょう。

今年もコキアを植えました。だいぶ大きくなりましたよ。

藤井君、谷川9段に勝ちましたね!

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浪江へ 実戦教師塾通信七百二十号

2020-09-04 11:32:37 | 福島からの報告

 浪江へ

 ~6号線を上る~

 

 ☆初めに☆

福島県浪江町に行って来ました。目的は、二年前新設・開校された「なみえ創成小学校」に行くためです。何度か浪江町を通ったことはありました。でもある時は、福島市から南相馬に向かう途中だったし、別な時は高速を使ってでした。国道6号線を使ったのは初めてです。

今回は、原発近くの大熊/双葉町通過レポートです。「なみえ創成小学校」については、次回に書きます。

 

 1 点滅する信号

 楢葉から富岡に入り、夜ノ森交差点に差しかかる頃、それまで途切れなく並んでいた車が一気に流れるようになる。理由は簡単。道路の信号が黄色で点滅し、北上(南下)する車は停止する必要がなくなるからだ。楢葉の渡部さんから聞いた時は半信半疑でいたのだが、本当だった。

つまりこれは、青から赤に変わる前の信号ではない。ずっとこの状態。左右の信号は赤で点滅し、そこにはバリケードがあるか、パトカーがいるかお巡りさんがいた。要するに曲がれない交差点だ。大きな現場に通じる交差点だけが、赤や青を示していた。道の両側には、10年前の量販店や住居がそのまま残っていた。気がつくと、私の心臓音が大きくなっていた。

 こんなこと、分かっていたはずだと言い聞かせる。ニュースばかりではない、ずっと前に渡部さんにエスコートしてもらった富岡や、人影のない「牛に注意」の看板がある夜ノ森地区をさまよった時だってあった。でも、その時から5年あまりが過ぎている。昔に戻されたように思ったからだろうか。富岡の途中から道路は生活の色を奪われて、事故の痕跡ばかりを見せていた。

大熊や双葉の道路で見かけたモニタリングポストの数値は、「毎時2μシーベルト」に近い数値を示している(読者は、安全とされる数値が「毎時0,23μシーベルト」だったことを覚えてますか)。分かってたはずじゃないかと、ここでも私は言う。しかし、心臓の高鳴りは変わらなかった。事故直後、浪江町の最大数値が、毎時170μシーベルトだったことを思えば、線量は落ち着いたと言えるのだろうか。そうではない。ここを通るトラックや作業員は、みんなここで仕事をしている。そして、目と鼻の先のエリアでは、人々が毎日の暮らしをしている。もちろん数値がさらに低いからだ。でも私たちは、

「やっぱり(線量が)高いな」「それでも暮らしたいのだろう」

などと、全くの他人事に思うのだ。気の遠くなるような気持ちの乖離(かいり)。

 やがて、大きな交差点に「請土(うけど)」が表示される。その方向に信号を曲がる。すると今度は、楢葉でもすっかり見なくなったフレコンバッグが姿を現した。いわゆる中間貯蔵施設はすぐそばだ。ひしめくトラックやダンプ、そして、赤い旗を振って交通整理をしている作業員と、スコップを振るい続ける人たち。そこに場違いな私がいる。お邪魔しております、私は首をすくめてそばを通りすぎる。

 

 2 ナスやカボチャ

 渡部さんのところでの拾い読み。

お宅に着くと、ちょうど奥さんがナス収穫の最中。

これが畑。手前から奥がナス。左側に少し見えるビニールハウスの中には、カボチャ。奥のフェンス沿いに見えるのが里芋。これからです。

ひどいもんだよ、と手にしたのはカラスのえじきになったナス。

お土産にいただいたのは、ヘタのトゲで怪我しそうな立派なやつ。野菜が高いんだよね、私の言葉に、

「スーパーに行っても、野菜のコーナーは素通りだよ」

と奥さん。渡部家の野菜は、売り物ではない。自宅用を作っている。ナスの他にキュウリやカボチャ、ニンジンやしし唐などもいただきました。それもドッサリ。帰ってみんなで山分けです。

ここ最近、群馬などで牛や豚の盗難。まだ捕まっていないようだ。

「盗んでも売れねえはずなんだがな」

牛は一頭一頭、耳にタグがつけられる。タグがないものは売れないし、タグのニセモノを作ることも出来ない。

だからなのか、渡部牧場に防犯カメラはない。それにしても3、4月はコロナの影響で、子牛一頭あたり20万ほどの値下がりだった。そんな時にひでえもんだ、と渡部さん。

牛が美味しそうになめてるの、これ、塩なんです。私もなめてみましたが、微妙。

 

 ☆後記☆

総理やめました。読者はご存じの通り、私は辞めさせてはいけないと繰り返してきました。病気が報道され始めた頃、私は「死んじゃうのが一番困る」と、仲間に話してました。予想に違わず、一番みっともないのは野党です。相手は非を認めてないのに「辞めろ」って言って来た。そのため正視に耐えない混乱をさらしている。掟破りと言える閣議決定によった憲法の解釈変更、そして政治の私物化をして来た張本人の、未だ説明のなされないままでの退場。与野党を問わず花道を用意している情けない様相は、政権の支持率をアップさせる結果となっているとも言えます。

野党さん、なにやってんの。分裂しようが合流しようが、勝手にしたら。

 ☆☆

福島の写真を見て、少し気持ちを鎮(しず)めますか。

楢葉の天神岬から見える広野火力発電所。いつ見てもすごい。

「みちの駅なみえ」です。町役場のすぐ隣。残念ながら、この日は休業日でした。

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終戦 実戦教師塾通信七百十九号

2020-08-28 11:15:45 | 戦後/昭和

 終戦

 ~「学校教育のせい」を考える~

 

 ☆初めに☆

今年も終戦特集が多く組まれました。日本だけではないかも知れないけれど、こうして毎年、戦争を振り返ることは大切なことだと思うようになりました。戦争の話を次第に耳を傾け、目を凝(こ)らすようになって来た気がします。歳を重ねるごとに、「戦争は絶対に嫌だ」と言っていた母親の言葉が鮮明になります。私はずっと、「厭戦(えんせん)なんて簡単に引っくり返されるんだ」、「積極的な反戦でなきゃダメなんだ」と言ってきました。母は聞く耳をもたないそんな私を相手に、空襲の経験をいつもするのでした。結局、母の「厭戦」が力強く今も残っている。

同時に、自分の中にあった違和感は、歳を重ねるごとに確かなものになってもいるのです。「軍部の独走」とともに、「教育が戦争に導いた責任は重い」というものです。今年も一体どれだけそういう記事を見たことでしょう。歴史のずぶの素人だからこそ、歴史に弄(ろう)されてはいけないと思うのです。

 

 1 欧米の侵略

 日本は国内諸国制圧の経験はあったが、諸外国からの本格的侵略を幕末で初めて経験する。欧州は、産業革命と精巧な羅針盤を武器に、アジアへのダイナミックな侵出をはかる。この図式は少なくとも1945年の終戦まで変わらない。欧州にとって第二次世界大戦とは、欧州・アフリカ地域の覇権をめぐる争いとアジアの分割だった。満洲から南方への日本の転進とは、まさしく欧米列強によるアジアの占領や屈辱外交への「反攻」を理由としていた。満州事変以降の中国東北部(満洲)への移民は、困窮農家の次男三男坊排出と、新たな資源・土地を求めた全く一方的なものだった。それに対し、南方への転進は正当な口実に見える。掘っても掘っても出なかった満洲の地下資源、とりわけ石油が出なかったことが南方への転進の理由だとは、絶対に言わなかった。

 満洲とソ連の国境を「日ソ中立条約」(1941年4月)で安定させた三カ月後、日本軍はベトナム進駐を開始する。日中戦争から4年後だ。欧米による東南アジアの資源収奪を、日本は許さないというわけである。実は、それまで一定の静観をして来たアメリカが動き始めていた。今までも軍縮を迫るとか輸出を許可制にする等もあったが、1941年の8月、ついにアメリカは日本に対し鉄と石油を全面禁輸とする。これで日本は戦艦はおろか弾丸も作れない、作っても動かせないという状態になる(国内の「金属類回収令」は1943年)。実に真珠湾攻撃の4カ月前である。アメリカはとっくにフィリピンを手に入れており、近隣の港から中国へ湯水のように資源を運ぶという紛れもない侵略をしていた。

 これらは欧米列強のアジアでの利権争いに、日本が参加したということ以外の何ものでもない。そこに「東洋の正義」を重ねたとしても、だ。一方、国民の明日への不安とおびえは日に日に大きくなり、制裁を次々と繰り出すアメリカへの憎しみが膨(ふく)らんだ。「バスに乗り遅れるな」に始まり、「空に神風、地に肉弾」に続く国民の声は、意図的なものだったとばかりは言えない。「軍部の独走」「教育が国民を戦争に導いた」とは、戦争を我がこととしてとらえる姿勢としては、はなはだ心もとない。ファシズムに走ったのはナチスのせいだ、というドイツの精算の仕方に似ていると、私は思っている。それで今、ネオ・ナチが力を得ていると思っている。

 

 2 「学校」を形成するもの

 この「学校教育のせい」に関して思い出したことがある。20年以上前のことだが、それを書いて閉じる。

 教育雑誌の「普通の子どもが何故荒れるか」というテーマで、精神科医のなだいなだ、評論家の芹沢俊介、そして私の鼎談(ていだん)があった。今は故人となってしまったが、この時は十分に元気だったなだ氏は、TBS子ども電話相談室で楽しい回答をしており、著書も『くるいきちがい考』を始め分かりやすくもシャープなものを出していた。その何冊か読んでいた私としては、ソフトなスタートをしようとしていた。ところが、

「アンタらが、ピアス禁止だの制服だのと余計なことをする」

「学校が悪いんだ。さっさと規則を全部やめちまえ」

激しいスタートを切ってしまった。少し呆然とした私との間に芹沢氏が入って流れはいったん収まったが、結局この時のもつれは最後まで続いた。対して、ひとつに「一度ついた習慣というものが変わるのは、そう簡単なことではない」と、私は言ったように思っている。

 80年代まで続いた体罰や坊主頭の容認は、学校が一方的に強行したものではない。そこまでしての「子育て」を、地域社会が求めたからだ。「お願いします」と「責任もちます」の下に流れていたのは、「甘えは許さない」という理念だった。ここに「どうしてそこまでしないといけないのか」という波が、徐々に寄せてくる。そこで「学校は一体何をやってるのか」という流れが、ひと通りでなくなる。半分は「(子どもに)甘過ぎる」で、残りが「厳しすぎる」もので作られる。そのせめぎ合いを決定づけてきたものは、多くの場合、それまであった「習慣」だ。そしてこれが大事なのだが、その習慣を支えてきた「子どものために」という、実にいい加減な理念である。それで今も、体操シャツをパンツ(ズボン)に入れさせるような「指導」を、一生懸命&熱心にやる教師/学校が後をたたない。新しいところでは、男子生徒が日傘をさすのはいいか、みたいなことについて熱く議論するのである。

 繰り返すが、「学校は一体何をやってるのか」という問いかけは、ひと通りではない。教師にとっても生徒にとっても部活をブラックだと告発し続けてきた人たちは、このコロナ騒ぎの中で各種大会が無くなる辛さを訴えていた中高生にどう応えたら良かったのか、考えないといけない。

 

 ☆後記☆

先週土曜日の子ども食堂は「焼きそば」でした。好評でした。会食は無理だったのですが、調理室で作ったものを配りました。コロナ対策で、建物すべての窓と扉が開け放たれた中、焼きそばのいい匂いがセンター内に充満しました。母親と子どもの四人連れが、わざわざ再びやって来て、

「とても美味しかったです。どうしたらあんなに美味しくできるんだろう、家で作るのとは全然違う!」

と言いに来てくれたのに、私たちスタッフ一同感激しました。

 ☆☆

ホンダはF1に続きインディ500、佐藤琢磨やりましたね! 二度目の表彰台のセンター。「これでもうやり残したことはない」などと少しばかり気がかりなこと言ってますが、43歳からのF1復帰とか無理なのかな。

夏休み、少し遠慮がちに栃木へ。これは那須ロープウェイ。

茶臼岳です。

いつもひしめく行列で入ることが出来なかった『Penny Lane』。この日初めて入れました。二階のバルコニーから四人が迎えてくれました。

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障害者の死(下) 実戦教師塾通信七百十八号

2020-08-21 11:23:57 | 思想/哲学

 障害者の死(下)

 ~「死を受け入れる」こと~

 

 ☆初めに☆

2016年に安楽死宣言をした脚本家の橋田壽賀子が、二年後に宣言を撤回したことはご存じですか。インタビューによれば、本当は撤回したくなかったが、一生懸命生きなさいとか、他の人までまきこむ気かと言われ、面倒になったということらしいです。橋田氏の話は、ちゃんと読んだ(聞いた)人は分かると思いますが、終末ホスピスのあり方に一石を投じたものです。死ぬと分かったらさっさと死んでしまいたい、というような乱暴なものではありません。

京都のALS患者の女性が、昨年11月に二人の医師の手によって死を遂げていたことが、この7月に明らかになりました。報道の流れはやはりよくない。医者の資格の有無を始め、罪に問われないような戦略や報酬やと、医者への弾劾(だんがい)に流れていると思うのは、私だけではないでしょう。確かにこうしておけば、批判されることのない安全な記事が作れます。「死への畏(おそ)れ」「生き続けることの意味」という困難な問いを、報道は回避したいのだと思われます。

 

 1 太宰治

 「受け入れがたい」とは何だろう。今まであったものが無くなったり、出来たことが出来なくなった時、私たちは初めうろたえ、次にその受け入れを悩み考える。でも、眼鏡や入れ歯という道筋は、私たちは悩むことなく受け入れる。これが「髪」は別物で、容易に「受け入れがたい」例としてうってつけなのが「髪」のようだ。まぁ、男に顕著な出来事かと思う。育毛発毛剤はともかく、まさに「受け入れがたい」意志の表明とは、カツラのことだ。

 今回の事件を、きっと多くの高齢者が他人事ではないと思っている。加齢に伴う不自由と、いつかは動けなくなるという厄介(やっかい)な必然をどう「受け入れたらいいか」という不安と、改めて向き合うこととなった。報道に不足している点は、この点だ。事件をALSに特化した内容は、やはり「みんな生きる自由がある」「誰でも安心して生きられる社会」とハンで押したようだ。4年目を迎えるやまゆり園事件と時が重なった、という理由にもよるのだろう。しかし大体が、生産性のない人はいなくてもいいとか、重度の疾患がある人は死んだ方が幸せとか思ってる人は多いとは思えない。

 ここでナンだが、太宰治を思い出した。学生相手の講演だった。「自分は何をやってもダメな人間で、もう作家ぐらいしかないと思った」と話したそうだ。するとある学生が、「じゃあボクも何をやってもダメだから、作家になれますね」と、発言した。太宰は激怒して言ったそうだ。

「ダメだったと言うくらい、君は死に物狂いになったことがあるのかね。ひとつでもいい、そう言えるくらい頑張ってみなさい」

一体太宰が何度自殺をはかったか忘れたが、他人の死についてあれこれ言う人たちをみていたら思い出した。ひとりの死や死に際というものは、簡単に他人を寄せつけない。しかし今回の事件は、人々に我がこととして引き寄せるものを持っていた。

 

 2 残すもの/残されるものの悩み

 冒頭の橋田壽賀子の話は、カテゴリーとしては「安楽死」ではなく、「尊厳死」に入る。2014年、アメリカの女性が医師の処方した薬を服用して亡くなった。このことが日本では「尊厳死」として報道され、日本尊厳死協会は対応に追われた。単語の訳として「尊厳死」もあり得たらしいが、原文を読めば「自殺幇助(ほうじょ)」も含まれており、日本で言う「安楽死」であったことが段々明らかになった。

 「尊厳死」は終末医療において、延命よりは苦痛を和らげ死に臨むという理念だ。そのため、点滴と人工呼吸は受け入れても、チューブによる栄養補給や胃ろう(胃に穴を開けて外から栄養分を供給する施術)、心臓マッサージを拒絶する等というものだ。私の母親がこの尊厳死協会に入っていることを知り、私自身入会したのは40代後半か50歳になってからと記憶している。協会の通信や講演会で、多くの声を聞いて来た。それで、人の死というのは簡単なことではないなと、いつも思って来た。今回の事件に対し、生産性のない人はいなくてもいいと大見得切る人はいなかったと思うが、いい気なものだと思える意見が「絶対に生きないといけない」というやつだ。私の尊厳死協会の経験で言えば、チューブや人工呼吸等の技術面より、本人の「どんな最期を望む」かという思いが大切と思っている。簡潔明瞭、と思えた協会医師の発言。

「本来、自然な死は安らかで穏やかなもの 食べないから死ぬんじゃないんだよ、『死に時』が来たから食べないんだよ。従って、腹は減らないし、のども渇かない

◇自然死の実態 …… いわゆる゛餓死゛

 ・飢餓……脳内モルヒネの分泌

 ・脱水……意識レベルの低下

 ・酸欠状態……脳内モルヒネの分泌

 ・炭酸ガスの貯留……麻酔作用

死は心地よいまどろみの中でのこの世からあの世への移行」

と続く。これは、栄養・水分・酸素の供給を不可欠なミッションとする医療行為、それを鏡に映しているかのようだ。尊厳死の形はひとつではない。この医師の考えをそのまま反映したような最期とは、ある家族が自宅で介護する父親の例がそうだった。家族が口元まで運ぶ食事を自分で食べられないと知った時、父親は口を固く閉ざしたという。家族は食事をこの日から止める。いや、何度か与えようと試みるが、この父親は二度と口を開かなかった。父親との前からの約束通り、点滴・酸素の吸入さえ行わなかった。本人と周囲の強い意志がなければ無理な話だ。

 医者も家族もそれぞれ悩み、決断は様々なのが現実だ。少し前の話だが、「神々の詩」など多くの名盤を創った音楽集団『姫神』のメンバーが亡くなった後、病院側にどうして治療を中断したのかという周囲からの抗議があった。しばらく後、本人が延命の治療を続ける意志を持っていたとは思えないという、これも周辺の気持ちが固まって収まったと記憶している。また、治療を続けますか、という医師の問いかけに「もう結構です」と言ったあとの家族は、自身を責め続けるとも言う。「本人がどんな最期を望むか」が大切と私も思うが、本人の認知があいまいになった時点でそれは揺れる。そして認知がしっかりしていたとして、本人が揺れないということもない。最期を迎えるとは、そんな様々な困難を抱えている。

 今回のALS患者事件は、これらの困難を私たちに突き付けた。どうすればいいのか、それは実は明瞭なのだ。前回の「匿名」問題も同じだ。

「『死』も『名前』も、その人にふさわしい、その人が望む形で行われること」

なのだ。結論は簡単だが、難しい数々が待っている。だからこそ、その場所を確かめ寄り添う気持ちが大切なのだ。ALS協会の、「(亡くなった)本人を責めることは出来ない」という公式見解は救いだった。

 

 ☆後記☆

読者の皆さんに老婆心ながら………。一度始めた治療、一度取り付けた器具を止めることは、病院/医者側には不可能と言っていいほどの現実があります。「する」「つける」にあたっては、よく話し合い考えようと思います。

☆☆

やりましたね、藤井君! 元気が出ます! 夕方のネットニュースの字幕に、オオッと声を上げてしまいました。相手の実力や気持ちをちっとも考えない、この喜びの感情はなんなのでしょうね。「それでも冷静で謙虚な」と讃えられる藤井君ですが、多分、将棋の奥深さの中にいるからでしょうか。まだまだなんだな、という言葉と表情が、これからも見られるといいですね。

熱き陽を入れるのは、柏キャンパス方面。

に安楽死なんてとんでもない。もっとちゃんと生きる希望を持ちなさい。一生懸命生きなさい」と叱られたり、「他の人にまで死を強制することになりかねない」と言われた
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