実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

川内小中学園 実戦教師塾通信八百三十七号

2022-12-02 11:43:36 | 子ども/学校

川内小中学園

 ~山間で考える・下~

 

 ☆初めに☆

紅葉のトンネルのあと、広い空の下に広い敷地に木造が基調の立派な校舎が現れました。

敷地内にある二宮金次郎を始め、多くの碑には「草野心平」の名が刻まれていました。校歌を始めとする多くの草野心平の詩を、校舎内で見ることが出来ました。福島出身の詩人だったとは、自分の無知を恥じたのです。中学校の校歌は草野心平でしたが、小学校の校歌は丘灯至夫。私たちの世代には忘れられない「高校三年生」の作者でした。

 

 1 学校要覧

 学校要覧の表紙は、ひと目でイメージを伝えるショットだと思えた。

川内村の小学校が統合した平成の時、児童数は139名。同じく平成に、中学校の新校舎が完成した。生徒数は189名だった。これが東日本大震災・原発事故によって、両校ともに避難先の**郡山での開校となった。この時、小学校の児童数が51名、中学校の生徒数が26名である。村長によって帰村宣言が行われたのは、翌年の2012年。それに伴い、4月に川内村で小中の両校が再開する。この時は、小学校が16名、中学校は14名だ。この数字を見ただけでも、川内村の人たちがどんな混乱の中を生きて来たのかと思う。そして現在が、***小学校51名、中学校が19名。

**楢葉町のことだが、以前、避難先のいわき市内にあった仮校舎を思い出した。

***現在「川内小中学園」として、小学校「前期課程」で1~6年生、中学校「後期課程」で7~9年生となった。

 

 2 ホームベース

 以前、楢葉でのレポートの時に紹介したが、私を案内してくれたのが、堀本晋一郎先生だ。前も書いたが、震災直後、さいたまスーパーアリーナに避難した双葉の住民に寄り添い、支援を行った方だ。楢葉町では、南小の学校長時代、双葉郡小中学校長連絡協議会の会長などを務めた。そして退職後の今も、後任や現場の指導を行っている。

 この川内小中学園の校長先生は柳沼敏文先生である。来客が多い中、にこやかに「ゆっくりしていってください」と言っていただいた。中学校を中心に案内してもらった。広い廊下と高い天井がいやでも目に入る。明り取りからは、まぶしいぐらいに日が注いでいる。

これが音楽室。エレキや生ギター、ドラムが見える。照明が自慢だそうで、晴天時、雨天時、夕方、イベント用と天候や用途に寄って切り替えることができる。

写真に収めれば良かった。尖って伸びる高い天井には、たくさんのライトが並んでいた。

続いてランチルーム。ここで給食を食べる。

見ているうちに、廊下と部屋の間には壁がなく、つい立てと形容するものがあるだけだというのが分かって来た。英語の部屋に国語の教室と、生徒は教科ごとに勉強の場所を移動する。やがて、生徒の所属する教室に案内される。ここがホームベースですと言われる。本当だ!と思った。朝ここを出発し帰って来る場所なのだと思う。ホームなのだ。

 

 3 千葉から?!

 そのホームベース、女子を中心とした子どもたちが、一心不乱(少し言い過ぎか)にノートをとってる。昼休みなのに何の勉強だと思って近づくと、どうやら生活記録ノートだった。学習や生活、日記などの記録に、OKという先生の字(スタンプ)。隠さないんだなとか、見かけない人が来ている抵抗とかないんだな等と思っていると、どこから来たんですか、と思いがけない声がかかった。「チバ」と答えると、室内の空気が変わった、ように思った。

千葉からですか/そんな遠くから/千葉大好きです

次々と屈託のない言葉が飛び交った。そんなに遠くかなと思ったり、確かに遠かったかも知れないとも思った。でも、どうして千葉がいいの?と言うと、だってディズニーランドでしょ、という。そういうことか。でも、あれって「東京ディズニーランド」っていうんだよねと。千葉は相手にされてないんだよと言ったつもりなのだが、子どもたちの耳には届かない。それにドイツの公園も……と続ける。きっと、アンデルセン公園のことである。ぜひいつか千葉までおいで下さい、という帰り際の言葉にも、絶対行きますと、最後まで澄んだ声であった。

 そうして帰りの車の中で、さらにその後もずっと考えてしまった。あの子たちは、震災の時お腹の中か生まれたばかりだ。「震災の記憶」とは、物心つく頃から聞かされた、親の「大変な話」によって作られている。あるいは、親の大変な姿を見ていて作られたのだろうか。報道で認識したのかもしれない。あるいはその時住んでいた、そこではない場所に「故郷」があると言われて作られた。そして「住んでいる」場所と「住んでいた」場所を往復することによって作られて来た。いつ戻るのか、いや戻らないのかという家族会議に、あの子たちはどう立ち会ったのだろう。次々と浮かぶ情景に、私はとりとめがなかった。

 でもはっきり思った。あの子たちの「明日」が、輝かしい明るいものでありますように、と。屈託のない言葉と、澄んだ声がどこに行くのか見届けたいとも思った。

 

 ☆後記☆

師走が来ました。夜中に起きて、毛布をもう一枚かけようとは思いませんでした。ホントに暦に正直な変化ですね。

今月の「うさぎとカメ」です。漏れてしまいましたが、好評だった「飾り寿司」も、プロのご好意で、お土産に用意します。今回は「サンタさん」なんです。あとは、ペジーブルのデザートも楽しみにしてくださいね

チラシの裏です。11月の記事になります。ここでまた「靴の写真」を使ってしまいました。

 ☆☆

敬愛する岩手の先輩から、恒例のリンゴです。これから庭の雪つりをするんだとか。冬の大変な北上です

 

来週は福島に行って来ま~す! 師走の福島からの報告は、再来週となります

 

佐川一政死んだんですね。


浪江まで 実戦教師塾通信八百三十六号

2022-11-25 11:34:43 | 福島からの報告

浪江まで

 ~山間で考える・上~

 

 ☆初めに☆

前号でお知らせしましたが今回の福島は、初めての道行となる川内村です。驚きと感慨の連続でしたが、今回はメインとなる川内村をすっぽり落として、次号で報告します。ここは浪江まで足を延ばしたレポートです。ちなみに、日曜朝のNHK「小さな旅」が、今週はこの川内村だったのには驚きました。偶然てあるんですね。

 

 1 見ごろの山

 富岡のインターチェンジを降りて山間の道に入ると、道はぐっと細くなりセンターラインもなくなる。その道も、車がすれ違うのが大変なぐらいになると、そこには鮮やかな紅葉が待っていた。

これは川内村で撮ったものだが、本当はさらに絶景と言っていい場所はたくさんあった。

もちろんこれでも見事なのだが、私が山間の道を走る間、車は紅葉のトンネルをたくさん抜けた。紅と錦や黄金色からなるトンネルの間から、抜けるような蒼い空が覗いていた。車の姿は滅多にないのだが、狭い道に車を停めてカメラを構えるのは、やはりためらった。それで、広い道に出た場所での撮影となったわけである。

 冬は交通止めになるのでしょうねと尋ねる私に、川内小中学園の堀本先生は、いやぁ、そんなこともないですよ、と言った。この辺は20年ほど前だったら、気温は-20度になり、雪も1メートル以上も積もったんですが、温暖化のせいで気温は-7度ぐらいだし、雪も20㎝ぐらいでね、と話してくれた。

 

 2 双葉駅

 川内村から浪江に向かった。ナビの導くままだったので、双葉駅を通るとは思っていなかった。

読者もニュースでご存じと思う。双葉駅は今年の3月に動き始めた。月曜というせいもあったのだろうが、人影はまばらだった。駅舎のお店に入ろうと思ったが、コーヒーショップと思しきエリアは、あちこちで職員らしき人が相談を受け付けているところだった。私の行動は、不見識なものだったようだ。

これがすぐそばの道沿いにあった。旧駅に通じる高架橋だったという。写真中央の上部を見て分かると思うが、線路をまたぐ部分が全部落ちている。階段がさび付いて草が生い茂っていた。このふもとに新しい駅が建っているのである。こればかりではない。辺りは、カメラに収めるのには、はばかられるものがまだたくさんあった。

 

 3 みちの駅なみえ

 みちの駅から「伝承館」は遠くない場所だが、再度の訪問はもう少し先になる。浪江の元気な姿を見たかった。夕方にはまだまだ間があったが、みちの駅の駐車場にはたくさんの車が停まっていた。

B級グランプリで頂点に輝いた「なみえ焼そば」もいいけれど、ここで一番買いたかったのは鈴木酒造の「寿」だ。楢葉の双葉広域消防本部で教えられて思い出したのである。ニュースで覚えている読者もいるかもしれない。地震ですっかりやられ、その後は原発事故で避難を余儀なくされた蔵元は、避難先の山形で復活を決めて戻ったのである。鈴木酒造だけのエリアがあるとは知らず、初めは一般店舗のコーナーで買ってしまった。写真は本醸造だが、その後、鈴木酒造コーナーで生酒を買うことが出来た。知らず知らず口が動く。

「避難先に酵母を避難したんでしたっけ?」

私の質問に酒造の店員は、そういうのは鈴木さんとこまで行って直接聞いてくださいと、拍子抜けするような返事だった。酒蔵の決意や心意気を引き継いで売るもんですよ、とまでは言わないけれど、少しチクりと言いました。

 総菜や野菜も元気そうだったけど切りがない。晩御飯用のおにぎりセットと、翌日の朝用にあんバターサンドを買ってお終い。そこから富岡まで戻る。まばらにだが営業しているスーパー。一方で、荒れ放題のレストランやガソリンスタンド、そして草の生い茂ったままの量販店が並んでいる。そんな中を走って気が付く。国道6号線沿いの信号は多くが復活していた。かつての点滅状態をやめ、あるものは赤く、あるものは青を表示し「生き返っていた」のだ。

 

 ☆後記☆

紅葉と言えば、通り道の湯本もなかなかですよ。帰る日は雨になってしまいましたが、ここの銀杏が好きなんです。

 ☆☆

先週の子ども食堂「うさぎとカメ」、にぎやかで楽しく過ごせました。今回、市内の小中学校は秋の行事が目白押しで、多くが登校日でした。いつもよりお客さんは少なめだったのですが、皆さん「お代わり」を所望してくれて、トン汁もご飯も「完食」となりました。ちなみに、スタッフの教員や母親も「欠勤」で、結構手薄だったのです。でも「代打」さんが緊急にお手伝いに来てくれたりで、ありがたいこども食堂でした


統一教会・下 実戦教師塾通信八百三十五号

2022-11-18 11:23:09 | ニュースの読み方

統一教会・下

 ~山上容疑者の開いた扉~

 

 ☆初めに☆

政治と宗教の関係が問われたのは、近いところで言えば、明治維新と終戦です。明治を振り返れば、天皇を中心とした神道国教化政策は、わずか5年で挫折し、明治政府は仏門排除から神仏協力体制の整備へと「転向」します。以前、柏にある福満寺を訪ねた時、ご住職が当時の混乱ぶりを話してくれたことを覚えているでしょうか。これらを機に、暴力的に排斥された仏閣・仏門は、強く「政教分離」を訴えるようになりました。いずれ詳しく書こうと思っていますが、政治と宗教の関係はひと通りではありません。

統一教会と日本の社会がどのように絡み進んでいたのか、ニュースとは違う視点で考えたいと思います。

 

 1 高麗人参茶

 『月刊住職』に掲載された、統一教会と関係ありとされるおびただしい数の企業や団体一覧によれば、高麗人参茶は、南利明や月丘夢路のCМで有名な「一和」が、確かに教会との密接な関りを持つようだ。しかし一覧の中には、同じ名前で存在する会社も多い(「共栄」など)。それが教会と繋がっているかどうかは、教会に詳しい宗教関係者か弁護士しか分からない、というのが相場のようである。それを置いても分かることは、前回、私の相手をした幹部の、

「あれは一部の社員がやったことで、私たちではないんです」

の意味することだ。数珠や仏像の売り込み、それらは教会と繋がった会社が教会のためを思ってやった行為、と解釈するならつじつまが合う。そして、これらのことから教会を解散に出来ない理由も見えて来る。教会とこれらの違法行為は「関係がない」からだ。これまで霊感商法等による被害総額は、1237億円と言われている。これらもあくまで明らかになったものの数字であって、自分の意思によって行われた「献金」が主な原資であるわけで、実態は少なく見てもこの数倍だという。これを実行したのが一部の信者だったり関連団体なのだから、教会は「今後このようなことをしないよう、きちんと申し付けます」と言えば、捜査や摘発は難しくなる。

 

 2 信心の欠如

 かつて、話題の人となった前川喜平が、メディア上に再登場したのを知っていると思う。以下のことは読者もすでにご存知と思うが念のため。前川氏は文科省の事務次官だった時、宗務課長を務めている。1997年、統一教会が名称変更を文化庁に申し出る。この10年前から詐欺まがいの行為を繰り返していた統一教会が、宗教とは無関係に見える「家庭連合」へと名称を変えることで被害が拡大することを恐れた前川氏は、この申請を門前払いとする。これ以降、文化庁は統一教会からの申し入れを拒否し続けた。ところが、第二次安倍政権下の2015年、突然、この名称変更は認証される。当時の文科省・下村大臣が、記者会見で知らぬ存じぬを繰り返したが、本音は出るものだ。

「教会が名称変更によって新たな信者や国民に迷惑をかけるようなことをするとは想像できなかった」

というのである。どうやら教会が多大な迷惑を及ぼしていたのは認識していたらしい。ならば、名称変更について疑義は持ってしかるべきなのだが、それは想像できなかったのである。その後の文教族・萩生田も尻馬に乗った(おニャン子の生稲さん、どうしてるのだろう)。この辺りが、福島県は楢葉・宝鏡寺の早川住職の、

「オウムで出来たことが、この件で出来ないわけがある」

同じ宗教者として許せん、と怒る所以である。

 さて、現在議論が続いている、刑事民事事件による教会の解散、という点についてだ。たくさんの忘れてはいけないことがあるが、ここではひとつだけ思い出しておく。この8月に、国家公安委員長は2010年を最後に統一教会の霊感商法に関する「被害届はない」と発言する。そして、直後の警察庁の「検挙してない」という訂正である。被害届はあったのである。こんな開き直りとも言える曖昧な言い方を「訂正」として見逃すわけには行かない。油断すれば、大きな力は平気でうそをつく。しかし、『月刊住職』上の、これもおびただしい、裁判となった事件を見ると、解散させるには厳しい点があると思った次第である。信者による信号無視の交通死傷事故や、自民党の選挙活動で信者が戸別訪問などは、私の感覚からしても教会の存在そのものを問いただすものとは思えなかった。でも、酷い事件もある。

〇合同結婚式で日本人女性信者と結婚した韓国人男性が妻の母を刺殺

〇「原理研究会」40名が修練会で発狂状態となった18歳男性を監禁。男性はガラス窓を割って2階から転落。しかし信者は放置し、この男性を死去させる。

等だ。更に、先に述べたような「先祖の因縁」なんぞというものを理由とした法外もない献金は、山上容疑者を始めあまたの家族を襲っている。これで信者の目が覚めるとか、教会が方針を改めるというほど甘いものではない。不幸の原因は全て、信心の欠如によっている。さらなる修行、または献金が我が身を救い幸福になる手立てとなる、のである。

 時と共に「信心の励行」は続く。法整備は急がれないといけない。その手順と行く末を見届けないといけない。

 

 ☆後記☆

福島県・川内村の学校を訪ねました。いやぁ、まずびっくりだったのは山道の紅葉です!

これは関係ありません。近所の大津ヶ丘公園の紅葉。私の愛車も一緒です。

12月に入ったらまた福島に行くので、福島からの報告は3回続くと思います。エネルギーを一杯もらう期間です。

 ☆☆

子ども食堂「うさぎとカメ」、明日になりました。あったかいトン汁ですよ~

生卵と納豆なんて、付け合わせに良くないですかぁ


統一教会・上 実戦教師塾通信八百三十四号

2022-11-11 11:46:56 | ニュースの読み方

統一教会・上

 ~柏の統一教会~

 

 1 所在

 サブタイトルを「柏・統一教会」としたが、実際の名前は「世界平和統一家庭連合・柏家庭教会」である。でも本文を読めば、納得すると思う。千葉県柏に「統一教会」(あえて「旧」は付けません)の大きい支部があると知り、うかがった。宗教の根源は深い。宗教そのものは、妄執とは別なものである。しかし私たち自身が、妄執を真実と混在させるというのも本当だ。私のような行動はお勧めできないが、直接あたることでネットに充満するいかがわしさを確認したかった。また、メディアが伝えることと、自分の抱える妄執~真実の境目を確かめられるものなら、と思った。

右側の看板の写真に見覚えがあると思う。教祖・文鮮明と、後継者であり妻である韓鶴子の姿が、満杯になった専用駐車場の壁にあった。左側のビルが教会。トラックの陰が玄関。柏駅から徒歩10分、トラック前の交差点は旧水戸街道、そのまま進めばJRのガードをくぐって国道6号線に抜ける、いわば目抜き通りと言える場所である。手前の大型スーパーの駐車場から撮ったものである。

 今回は、教会での面会の記録。次回は、先だって紹介した『月刊住職』を参考にしたものにする予定です。

 

 2 「勝共」だった

 玄関は観音開きの透明なガラスのドア。左側に「こちらは施錠されています」のステッカーが貼られていた。右側を押してみたが、びくとも動かない。ドア越しに見ると、向こうは障害物が置かれて進めないようになっている。でもステッカーの隣に貼ってある案内によれば、開館しているはずである。事務室は見当たらず、地下と二階に続く階段だけがドアから続いている。地下の方の階段下には部屋が見えて、開いたドアの手前には靴が三組ほど並んでいた。

 こうなれば、インターフォンを押すしかない。少しするといきなり、どちらさまですかという返事だ。昨今の事情から察すれば仕方ないのかも知れないが、いささか不愉快になり、市民ですと、いかにも不審者を自己申告するような結果になってしまった。案内などあったらいただきたいと思ってと言うと、少しお待ちくださいという、いささか慌てたような返事だったが、結構待たされた。玄関は最後まで開かなかった。やがて、ネクタイにジャケットを着こみ、坊主で中年を過ぎた頃合いの男性は、右側の駐車場の地下から姿を見せた。渡された名刺には「教育部長」とあった。

パンフレットを手渡されたあと、どちらでこの教会をお知りになりましたか?と私は尋ねられた。ニュースで見たもので、と正直に答えた。こんな近くにあったのかと驚いて、とも答えた。では、お近くにお住まいで?と聞かれ、これも正直に答えた。今度は私が聞く番だ。案内をパラパラ見ながら、

「反共の旗は降ろしてしまったんですね」

ウチは「反共」の「統一教会」とは違う、という答が来ると思った。これが違った。彼は穏やかに言った。

「私たちは『反共』とは言っていません。『勝共』なんです」

共産主義に反対するのではなく、共産主義よりも「勝れている」という考えなのです、という。驚いた。この答えだと「世界平和統一家庭連合」は「統一教会」と筋を同じくすることになる。そして同時に「国際勝共連合」が、「統一教会」ないしは「家庭連合」と連なるものであることにもなる。私が学生の頃、駅頭でたったひとり小さな黒板を立てて「講義をする」スーツ姿の信者をよく見た。スマホなどのお陰で、今でこそ街でひとりごとするものに違和感を抱かなくなった。しかし、通勤・退勤時間の駅頭に出現した、黒板姿の「ひとり言」は、当時のニュースを賑わした。あれは確か「原理研究会」と言いましたよね、と聞いた。

「あの頃のようなやり方はしません」

また驚いた。またしても、自分たちと「原理研究会」が仲間であることを否定しなかった。そして、「原理研究会」が「統一教会」の関連団体であることを認めたことになる。今は「街宣」というやり方になりまして……。マイクを持つようにして、笑って穏やかに話すのだった。年恰好から察するに、その頃あなたが現役の信者だったとは思えませんが、と私の口から出そうになるほどだった。宗教に関心が御ありですか、彼が聞いた。いやぁ仏教の方なんです、また本当のことを言った(人に言えるほどではないが)。そういえば……、私は思い出して聞いた。あなた方は数珠を売ってましたよね、仏教でもないのに、どうして? この日、彼はこの時だけ、私の質問を否定した。

「あれは一部の社員がやったことで、私たちではないんです」

考えてみれば変な答なのだが、確かめなかった。それより私が後悔したのは、何度も驚いた「家庭連合」と「統一教会」を同一のものとして淡々と語ったこと、その点を確かめなかったことだ。そうすれば、そのことだったら政治家が自己保身をするため勝手に言い訳に使ってるものです、という答でももらえたかもしれない(はずはないのだが)。

 連絡先をぜひと言われ、上の苗字だけでもとも言われた。でも、辞退させてもらった。

 

 ☆後記☆

次回は、楢葉・宝鏡寺は早川住職の「宗教者として許せん!」の発言も取り上げます。行ってよかったです。

~プラタナスの枯れ葉舞う♬~ 今度は通りの反対側から。

 ☆☆

昨日は集団健康診断(特定検診)でした。ここ数年感じてるのは、身長の減少。毎年8ミリぐらい縮むこと。170㎝あった身長が、今は167㎝を切りましたヨ。このまま生き続ければ、10年後は159㎝となるんです。スゴイ!と思いました。あとは、自画自賛です。お腹が77㎝で1㎝ほど増えたけど、まあまあ。体重は57㌔で花丸💮。血圧が109/65。薬は何も飲んでないんですね?の医者の問診に、胸を張ります。その他、内臓関係もOKで、これからも健康にお過ごしくださいと、嬉しい言葉をもらいました。年齢と共に、身体って変わりますねえ。毎年、自身への注意事項が増えます。気を付けながら頑張りま~す

これは近所のお屋敷。柿と空のコントラストが見事で、今年も使わせてもらいます


密と疎・下 実戦教師塾通信八百三十三号

2022-11-04 11:49:55 | 子ども/学校

密と疎・下

 ~「ならんことはならん」ではなく~

 

 ☆初めに☆

11月になりました。もうすぐ子どもたちが一番好きな季節が始まります。ちなみに私も、今までずっと一番です。

~プラタナスの散る音に振り返る♬~ すぐ近くのバス通りです。

「我々は学校・PTA・青少協などみんなで子どもをしっかり把握していた。そちら(「うさぎとカメ」」)は大丈夫なのか」と自信満々の、こども食堂をかつて経験したという、ある方と会いました。またこのフレーズを出します。

「クリスマスは明後日なんだ、間に合いっこないよ!」(ケストナー・『飛ぶ教室』)

悲痛なマルティンの小さな声は、正義先生に届きました。「どうして言ってくれないんだ」と考えるような人には、絶対届かないのです。この方には、私たちなりの考えがあってやっていますと、回答いたしました。何気ない、あるいは遠慮ない言葉が、ある子・ある家庭にとって、土足で踏み込まれるような気持ちになるのかもしれないと思うことが、こども食堂という活動が持っている繊細さですね。

前回に引き続き、こども食堂「うさぎとカメ」で考えたことです。

 

 1 「困っている」のか

 今まで、行政からのヒアリングや学校などで、たくさんの「本当に困った子どもたち」に渡るのかという質問を受けた。私たちが活動を始める前も新しいスタッフからも、この問いが繰り返された。私たちはこの時、来ている人たちの「困っているかどうか」を、知らず知らず判定している。この判定する「眼差し」は、活動するうちに無くなった。来ている皆さんが「ありがとうございます」「助かります」と、繰り返したからだ。賞味期限切れの品物がある時、私たちは「もう期限切れですが良かったらどうぞ」と言う。それらが残されたことがないからだ。寄付で寄せられた固い小さなキウイを、こんなものですみません、と恐縮する私たちに、逆さにしたリンゴと一緒に箱に入れておきます、という声が返って来るからだ。こんなことがあって、当初の「本当に困っているかどうか」という目線や考えが、いかに傲慢なものだったのかというのに気づく。前回書いたが、私たちの活動が全てをカバーするものではない。また、「もっと困った人」を目指すものでもないのだ。先日も、子ども食堂をハシゴしている人たちがいる、という感想とも質問ともつかないものが外部から寄せられた。複数のこども食堂をめぐる人たちが「うさぎとカメ」に来ていることを、私たちはとっくに分かっている。今まで全く議論にならなかった。言われて、それがいけないことだと思う人たちがいるのを知った。こんな人たちをいい気なものだと思える、私たちの現状である。

 「うさぎとカメ」は、すでにコミュニティを築きつつあると思う。そんな中、気を付けたいことがある。コミュニティというものは、強くなるほど閉じられて狭いものになる。初めて来る人たち、特に「やっとの思いで来た」人たちには、とても敷居が高いものとなる。そんな時のため、リピーターの方たちにお願いをして行こうと思っている。12月のチラシは裏側の通信に書く予定だ。「こちらが空いてますよ」と声をかけるのもいいのだが、

「この人の座る場所がないよ」

と、スタッフに声をかけてもらった方がいい気がしている。お互いが密着しすぎず、離れすぎずという「居心地の良い場所」がどうしたら手に出来るのか、考え続けようと思う。「あの……実は」と、かつて声をかけていただいた経験を、大切にしたいと思っている。

 

 2 いつか分かる

 少し前の「うさぎとカメ」でのことだ。配膳コーナーに、副菜担当スタッフの、ややとがった声が聞こえて来た。

「そんな態度じゃ、あげらんないよ」

聞いてみた。いや、どのぐらい要るか食べていくのかとか聞いてもちっとも返事をしないんだよ、という。この連中、主菜にはしっかりありついて食べて行った。このスタッフの頑固さ・率直さ、それはそれでいいと思えた。子どもたちの方で嫌な顔をするとか反省するような気配のないのは、このスタッフに意地悪さやしつこさを感じさせなかったからではないか、とも思えたからだ。反省会で話題になった。あんなのはどうすりゃいいんだ、このスタッフがこぼした。聞いちゃいないだけではないかと、口々にいうウチのスタッフは優秀だと思った。お土産を選び、自分たちの食事場所を確保し、食べる段になった子どもだけの三人連れは、自分たちの世界の中であって、あたりの様子をうかがう余裕などないことを、多くのスタッフが了解していた。すでにリピーターと言っていいこの連中は、どんな子どもたちなのだろうと思う。前に報告した、牛丼を「お代わり」と言ってびっくりさせた強者は、この中のひとりだ。

 何か気まずいアクシデントがあった時、私は「来月も来いよ(来てね)」と、必ず言うようにしている。副菜をめぐって、スタッフとひと悶着あった連中にも言った。この日、たまたま見に来ていた教師が、分からない子には言い聞かせないといけません、と言った。「お手伝いを希望する方はどなたでもどうぞ」とはチラシに書いてある通りだ。しかし、ここにどんな子どもたちが来て、どんな運営がされているのか、それを理解してから意見というものはするものである。そっと、お引き取りを願いました。アクシデントをもたらすのに、何かわけがあるのなら、来続ければいつの日かそれが分かるし、何のわけもないのなら、次も来ればいい。それだけである。

 

 ☆後記☆

11月になりました。二回目のトン汁です。本当は新米と行きたいのですが、頑張って美味しく炊き上げます

裏側は10月の記事で古いですが、容器のことです。自分たちの購入しているお弁当の容器って、ずい分高価なものなんだなと思えるはずですヨ。ゴミのあり方を考える一助になるかと思います。

 ☆☆

何年振りだろう、新潟の『村祐』入手しました! これが新潟市なんです。小さな酒蔵で。

まったりと味わってま~す