実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

刀自 実戦教師塾通信九百二十号

2024-07-05 11:44:08 | 思想/哲学

刀自(とじ)

 ~改めて「敬う」~

 

 ☆初めに☆

つい先日、テレビから「親からいただいたもの」なる言葉が聞こえて来て、身体がいら立って反応します。そろそろガス抜きをしないといけないと思いました。我慢ならん言葉が「丁寧」な「敬う」言葉として、相変わらず垂れ流されています。新聞はまだしも、テレビの物言いには放置できないものがあります。ネットのジャンク本音むき出しな在り方は、まるでテレビの向こうを張っているかと思うようです。「敬い」の誕生・獲得について考えてみます。

 1 「敬い症候群」

 冒頭は「親からいただいたもの」ではない。「親からもらったもの」でいい。身内は親であっても、人前では「下に置く」のだ。改まった席で親を紹介する時、「お父様です」と言うか⁉ 「父です」か、なんだったら「オヤジです」でもいいんだゾ。とりあえず、どんないい加減な「敬い」があったか、オンパレードで行きます。

小学生がいらっしゃる⁉/犯人の人が⁉/ガラの悪い客がいらっしゃった時⁉/観戦されていらっしゃる方々⁉/町に誰もいらっしゃらない⁉/ケアさせていただいている患者さんたち⁉/盗撮した男性教諭⁉ 等々etc.

オマエら、いい加減にせえよ。ですな。こうして並べると、笑えるんで良かった。最近の「敬語」МVPは「いらっしゃる」のようで、ダントツだった「させていただく」は、二位に転落した模様。『サラメシ』でも近頃、中井貴一の「お邪魔させていただきます」が「お邪魔いたします」に変化したことなど、敏感にキャッチしてしまう(たまに復活しているので、油断がならない)。看護師だか福祉士だかの「ケアさせていただいてる」は、やっぱりダメ。前に紹介済みの「授業をさせていただきます」なる教員に「アンタの仕事なんだよ」「しっかりやんなきゃダメなんだよ」と言ったのを、そのまま差し上げたい。以上、「させていただきます」お終い。次なる「いらっしゃる」を見てると、日本民族の「敬い・丁寧症候群」の根が深いことを感じたのではないだろうか。犯罪人や不審者をこき下ろせとは言わないが、ホントに「普通」に伝えて欲しいし、子どもは子ども扱いして欲しい。そして、こっちは好きで野球(サッカー)観に来てんだよいちいち尊敬してんじゃねえよ、と観客は文句のひとつも言って欲しい。「町に誰も……」は難しいな。この違和感を言えば、歴史でジュラ紀を教える時に「人類がまだ地球にいらっしゃらない時代」って教えるか⁉

 2 自然な「敬い」

 私たち日本人がみんな文字を読み書きするようになって、わずか150年ちょっとしか経ってない。それまで、私たちの営みは「聞く」「話す」ことだった。では、私たちの言語生活は貧しかったのか、そんなはずはない。昔話と呼ばれるものは数百年にわたって語り継がれ、口承文学と呼ばれる芸術を形成した。明治の学制改革は文字を民間に開放したが、即座に多くを資したわけではない。何より、日々の生活・労働は従来のまま続いており、夜間、辺りを照らしたのは土間で起こしている火や月明かりだ。文字を読む人間は、わずかだった。でも、明かりの下や陰に寄り添う人々の耳はしっかり働いた。日が落ちた後の労働は単純で、手は動いていても耳に十分余力を残していた。年寄りや女たちの語るものは朗々と滑らかに、炉端のぬくもりを作った。家を守る女のリーダーを、皆は「刀自」と呼んだ(「おかみさん」「姉御」と言ったら分かりやすいか)。刀自もまた先祖の語りを引き継いで、いつの間にか身に着けた文芸であった。一句違わず滑らかに流れる物語を、子どもたちは騒ぐことなく聞き入った。すると、いつ練習していたのかと思うように、子どもたちの中から立派な語り部が現れる。「口承文学」と言われる所以である。私たちの「敬い」の原点がここにある。共同の思い/生活が再生産されるシステムと言ってもいい。集落や生活の在り方が、自然なふるまい(言葉も)を生んで育てた。だからこそ「よそ者」には、遠慮が発生した。遠慮がまた別な「敬い」を作った。

「道行く人は/日々を追いかけ/今日一日でも/確かであれと願う」(吉田拓郎『元気です』)

明治に大規模に展開した産業と多様な人々の交通。都市での激しい衝突と、農村での戸惑い。人々の願いは明日もきちんと食べられること、身に着けるものが備わっていることだった。移ろいゆく時や自然の気まぐれに不安も訪れるが、変わらない言葉・物語の行き交いが家族・集落の平穏を支えた。人々は迷わず「敬い」の対象を選択していた。

 3 旅先の喧騒

 旅番組に顕著だが、多くが旅先への「敬い」を忘れている。いや、はなから問題にしてない。テレビ営業マン(同行するタレントも同じだ)から見て風景や味が珍しくても、それは人々の平凡な暮らしであり、そして誇りでもある。こいつらは「見たことない!」とはしゃいだり、「生まれて初めての味!」と目を剥くことが、人々の暮らしをざわつかせていることに全く無頓着だ。人々の鼻白んだ気持ちは、そのまま中尾彬等へのシンパシーになっていく。結局のところ、安心して見られる旅(に類似した)番組は、NHKしかない(ただし月曜のは、あくまでバラエティーですね)。恐らくは、何日何か月と長回し出来る潤沢な予算に裏付けられるのだろうが、旅先での距離の取り方といい、深入りするまでの時間のかけ方といい、民放の突撃型と違って注意深い。その中で「have to(must)」というものとしての、つまり「敬わなければならぬ」思いが生んで来た、不必要で過剰な「させていただきます」「いらっしゃる」は、慎重に選んでやられているように見える。ついでだが、漱石が千円札になった頃、漱石が「漱石さん」と呼ばれることが結構に多くて疲れた。野口英世に代わってホッとしたものだが、今度は「北里さん」なのだ。いかがなものでしょうか。

 

 ☆後記☆

旭川いじめ事件のことを書きます。再調査を依頼した遺族(母親)の口惜しさと、勇気を思わないわけにはいきません。漫然と「(目の前で行わせる自慰行為を)嫌だったらやらないんじゃないですか」と言った加害生徒が、その後反省したとは聞いていません。自分たちが手を下したのではない、厳寒の公園に出向いたのは本人じゃないかと考えているのは間違いない。「あいつは勝手に自分でマットに潜ったんだ」という、1993年の山形マット死事件を思い出します。報告公開はこれからですが、前に申し上げた通り、前回の調査が否定されているとは思っていません。「いじめがあったから自殺した」という判断が要るのです。第三者委員会の野村武司弁護士に注目しています。数々のいじめを調査しており、中でも天童いじめ事件で「(加害)生徒達が、このまま大人になってしまう」危惧を訴えた弁護士です。この事件でもうひとり、精神科医・野田正彰を忘れてはいません。女子生徒の母親による手記を読んで、一体自分はこの事件の何を見て来たのか、と厳しく自問した作家・医者です。コメントが待たれます。

猛暑を避けて今日、10年ぶり?早朝のロードワークとやらをやってみました。すっかり朝日が昇った手賀沼。水面が光ってる辺りが手賀大橋です。走り始めに感じた爽やかな風と寒いくらいの空気、20度台の快適さに驚きました。はまりそうです🚴

7月になりました。今月の子ども食堂「うさぎとカメ」は、冷しゃぶうどん。お楽しみの副菜は「〇〇サラダ」です。そして何とこの日は、もう夏休み💛🌊⛰🎆 あと少し。頑張りましょう👊

あと!! 隆の勝、結婚おめでとう🎊


自由 実戦教師塾通信九百十九号

2024-06-28 11:38:54 | 子ども/学校

自由

 ~同居する「孤独」~

 

 ☆初めに☆

学校からの依頼としては久しぶり、研修会で話をすることになりました。職員向けに、生徒指導の話をして欲しいというのです。アンケートで日々の悩みを聞いてもらいました。昔も今も、先生(大人)の悩みは同じです。でも、昔と今とでは、子どもは全く変わってしまった。そのことははっきり伝えようと思っています。今回は子どもや社会の周縁事情を書くことにします。「正解」までは書きません。いつも長い風呂敷拡げですが、更に長くなります。

 1 『隆明だもの』

 吉本隆明の長女・ハルノ宵子が、昨年暮れに『隆明だもの』(晶文社)を出版した。同じ晶文社で刊行中の『吉本隆明全集』に挟まれている月報を加筆訂正したものだ。著者はもともと漫画家だし、掲載されている挿絵は「父親」が言ってた通り味わいがある。吉本ファンにとっても、読み込みを必要とする文章は捨てがたい、のかもしれない。

知られざる吉本の姿は、吉本ファンにとって衝撃的だったのではないか、などと書く書評家もいた。一体なにを分かってるというんだ。さながら自身の身体ではないかのように崩れて行く姿は、晩年の、ほぼインタビューによる著書が示している。だから、おびただしい薬やオムツのこと(写真)も知っているし、雑誌『dancyu』の巻頭・連載エッセイには、思い通りにならない自分の身体がもとで家族にどんな仕打ちをして来たか、控え目ながら書いている。ハルノさん大変だったなぁとは思うけれど、吉本最後の姿が醜悪だったなど思うはずがない。身の下話はともかくも、思想的な「過ち」まで突っ込まれれば、いやぁ、ハルノさん、勘弁して下さいよと半畳を入れたくなるわけである。

 この『隆明だもの』に、今回の記事と繋がるところがある。吉本さんは「自立」(知らない人のために断るが「自律」ではない)を掲げ、揺るぎなく表現者として生きた。知らず知らず群れてしまう私たちの習性が、吉本家の出来事の中に示されてる。これを読めば、ハルノさんは紛れもない「父」の継承者であるのが分かる。

「父に刷り込まれたのは、『群れるな、ひとりが一番強い』なのだ」

ブログの読者のために例を挙げると、いじめる人間にもいじめられる人間にも加担するな、ということだ。「傍観者はいじめる側にいる」考えの学校関係者には、目の玉が飛び出そうなものだろう。白か黒かじゃねえだろ、もっと考えなきゃいけないことがあるだろ、という「当事者」の場所が「自立」なのである。だから、「ひとりが一番」と言う吉本を周囲は決してひとりにせず、常にどこかで反論・議論が絶えなかった。ハルノさん曰く、吉本は「誰にでも懐を開いているように見えて……誰も許していなかった」。かくも、「自由」でいることは「孤独」なのだ。

 2 「ひめごと」という「孤独」

 現在の家族・子どもの土台は、1970年代後半から十年で出来あがってる。本にこそ書かなかったが、好きなだけ話してくださいとレクチャーを依頼された時、初めの部分で必ず言うことがある。固定電話の普及である。その普及率が50%を越えるのが、1974年だ。それまでの地域・家庭・子どもは、どんなだったのか。子どもが学校で蹴飛ばされたと、泣いて帰って来た。母親は剣幕を変え、速攻で我が子の手を引いて抗議に向かう。道々、子どもの話を聞くうち、さっきの興奮が止んでくる。実は子どもの方も、いつの間にやら冷静さを帯びている。さっきと話が違うんじゃないかという母親の問いに、子どもはうなずく。そして、来た道を親子は戻るのである。これが時代をさかのぼった話だ。親子が向かっていたのは、多くが学校ではなく相手方の家だった。電話が登場して、事態は一変する。興奮覚めない子どもから聞いた話に激高した親は、感情が赴くままに話すことが「強いられた」。電話で叫ぶ母親の話を「ホントは少し違ってる」思いで聞く子どもは、母親と共に、もう引き返しようがなくなっている。

 とてつもないスピードで、社会が変容していた。丁寧で時間をかけた、そして「子どもは大人(自分)たち皆で育てるもの」という認識が、この時代まではあった。便利になることと引き換えに、私たちが失うものは大きかった。それまでのコミュニケーションが、根底から崩れようとしていた。その日に必要な味噌や醤油が足りない時、この時代だったらお隣さんから工面していた。「スープを冷めないうちに届けられる」場所に「ご近所」はいた。それらを含め、固定電話は人々の「外に出る機会」を大きく減らした。そして同時に、子どもを巡って起きるいさかいは、エリアが拡大した。そこの仲介役として、学校がおもむろに登場する。「学校」が「学校化」する瞬間を迎えたと言っていい。90年代になるまで、この勢いは止まない。私たちはその中で、幾多の便利と「自由」を手に入れる。しかし、「自由」が意味するものは、単純ではなかった。やはりここでも、人々は大切なものを手放す。

「他の動物には無くて、人間にだけあるもの。それはね、ひめごと、というものよ」(『斜陽』)

「ひめごと」が「出来るようになった」小さな子どもを見たら、作者の太宰は「こんなケツの青いガキまで⁉」と笑うだろうか、呆れるだろうか。あれこれと心配し干渉してくる大人がいない「自由」な世界では、「ひめごと」が「ひめごと」ゆえ、処置は自分がしないといけない。それがきついと思う時、人は「孤独」を抱える。今の子どもたちが、年齢に見合わない「孤独」を抱えているのは間違いない。そのことを大人は繰り返し確認しないといけない。

 

 ☆後記☆

例を挙げると、バイクって一番「自由」な乗り物だと思っています。でもあれは、ボディ(車体)という、自分を守ってくれるバリアがないんです。自分の身体は自分で守らないといけない「孤独」を強いられる乗り物なんです🏍

 ☆☆

鹿児島県警を巡るあれこれ、面白いですね~ 盗撮容疑の件は、23年の12月に発生。でも、この警官(巡査部長)が逮捕されたのは半年後。本田前部長が退職後に、フリーの記者に告発資料を送った後のこと。さらに本田前部長は、この盗撮警官逮捕の直後に、同じく逮捕。公文書漏洩とあっては、逮捕も免れない? 現職警官の女性ストーカー事件も「職員を処分し、必要な対応が取られている」と、それがアナウンスされないのも「被害者に迷惑が及ぶのを避けるため」とは、野川本部長必死の会見です。繰り返されている「隠蔽かどうか」のやり取りが良くないですね。決定的なのは、私たちに「一体どんなことがあったのか」分からないことです。それがない限り、私たちは「隠蔽」の有無に到達出来ません。メディアの「何があったのですか?」を待っています。更に面白いことが続いています。大阪地方検察庁でトップの元検事正が、性的暴行の疑いで逮捕されました。5年前の事件の容疑者を逮捕するのは、異例のことなんだそうで。鹿児島の激震をもろにかぶった、と考えるのが自然でしょう。

これは贔屓(と言ってもそれほど通ってない)の和食処『和さび』。開店十周年です。これからも美味しい温かな料理を、よろしくお願いします🍶🐡


放課後 実戦教師塾通信九百十八号

2024-06-21 11:28:05 | 子ども/学校

放課後

 ~用のない子ども~

 

 ☆初めに☆

行き場がなくなる子どもたちの増える心配が、進行しています。原因の一つとして上げないといけないのが、「部活」のことです。ご存知と思いますが、千葉県・柏市は、部活の地域移行に取り組む自治体として、全国から注目を集めています。休日の部活は人材プールに登録した(官民を問わない)コーチが担います。これでブラックと揶揄され批判されて来た部活の問題も解消されればいいのですが、そうではありません。この波を一番に食らったのが、小学校だと思えて仕方がないのです。柏市は小学校での部活(特設クラブ ; 以下「部活」と表記)を廃止します。来年度を目途にするこの事案は、全国初と聞いています。地域にあるクラブに行く、というのが代案だそうです。悔しいです。

 1 子ども好(ず)き、頑張れ!

 小学校の部活は、陸上(駅伝も含む)・バスケットボール・吹奏楽(水泳が加わることもある)で、大体が構成される。過熱傾向にあった部活が、これ以上職員や児童の負担にならないよう大会の縮小・廃止が決まったのは、ついこの間のことだ。その記憶がまだ覚めないうちに、部活そのものがなくなる。確かに、仕方のないものもある。吹奏楽である。高額な楽器の購入と維持管理に加え、指導者の不足があるからだ。多様な楽器に応じた指導は地域のボランティアに頼る学校も多く、その人材が不足しているばかりでなく、ボランティアの高齢化が進んでいる。難しい。

 しかし、その他の部活はどうなのだろう。何より、身体を動かしたい子どもと先生は、なかなかに多いのだ。世の「ブラック」批判の陰に隠れて小さくなっているが、中学校でも部活をしたい教員は多い。忘れてはいけない、放課後も子どもたちと一緒にいたいという先生は、まだ結構いるのだ。もちろん、学校に残っていたいという子どももだ。今回の、小学校における部活廃止は、恐らく半世紀以上に渡って続いている「用のない児童・生徒は帰りなさい」というお達しに拍車をかける。はっきり申し上げるが、残っている子どもは、その必要があって残っている。帰っても恐ろしい家が待っているからなんていうウルトラなものに始まり、まだ遊びたいというものまで理由は様々だが、みんな「必要/用がある」から残っている。しかし、無責任に残すわけには行かない、という学校的事情もある。小学校のケースで考えよう。残りたい子どもの多くは、放課後に塾やクラブという別メニューを持たない、家に帰りたくない、あるいは学校を先生を好きな子である。家を忌避する子はともかく、先生から「そろそろ帰りなさい」と言われれば、子どもたちは素直に受け入れる。そんな中で先生の方も、子どもが抱えるものに分け入る眼差しを蓄積する。信頼関係の上に構築される「放課後」なのである。「残り勉強」もそのひとつだ。すると、その必要のない子も「一緒にしたい」「終わるまで待ってる」と駄々をこねたりする。仕方なく残したり残さなかったり。だからそういう先生は、保護者との連絡を欠かせないし、管理職の理解を得ないといけない。そして、自分だけいいカッコして/何かあったらどうするつもりかね/無責任だ/子どもを甘やかしてる等々の、同僚からの冷ややかな視線・言動をさばかないといけない。大変なのである。でもそういう先生、少なくない。学校、そして子どもの希望だ。頑張れ!

 2 英会話教室

 そんなわけで、小学校での部活廃止は、放課後に子どもたちが残る道が狭くなることを意味する。ここ半年の間に何件か、私のところに学童保育の高学年枠を広げて欲しい、という保護者からの相談が舞い込んでいるのだが、小学校で部活が廃止されることと関係しているのではないかと思えて仕方がない。学童保育での子どもたちの抱える諸問題を知らずに相談したいと思うのだろうが、学童保育は「放課後」の解決策としては慎重に考えないといけない。ことのついでなので言っておこう。この部活縮小(小学校では廃止)は学校のブラック企業批判ばかりでなく、いわゆる「働き方改革」なるお題目から来ている。教員の「授業の準備も出来ない」理由に、部活があげられるからだ。ここに手を付ければブラック批判に対応できるし、何より簡単だと思ったのだろう。しかし、欠けているのは「増えた仕事」の検討の方だ。小学校で削減するべきは英語だ。いや、正確には担任が英語まで教えることだ。真っ先にやめないといけない。初代文部大臣・森有礼の「日本語廃止論」のように、英語が「グローバル世界における必要」というなら、ALTの増置より英語教師を正規に配置することだ。こうすれば、英語の時間は先生の「空き時間」になる。補足すれば、大切なのは「日本語」だ。そう言ったのは、イチローだ。喜怒哀楽を表すのに別な言語を強制されるのは悲しいことだ、と言ったのは柳田國男だ(標準化政策のこと)。英会話教室に、お金を払って!夜!に通っている小学校教師がいることを、知らないとは言わせないゾ。こういう給料の使い方と、こんな「残業」があっていいはずがない。

 3 強引な統合

 最後にひとつ。柏市で義務教育学校計画が、猛スピードで進んでいる。現在の柏中学校と、その学区内小学校が統合されて義務教育学校となるものだ。ふたを開けたら1400人というマンモスの学校は、安倍内閣の時のような閣議決定→議会承認(追随)なるものと酷似している。学区の保護者や教員に対して、計画への希望聴き取りはもちろん計画への参加希望を打診する等は皆無だった。そして遅ればせながら議会で始まった質疑では、いい加減な「ちゃんとやってます」なる回答が乱舞している。まだ十分な余裕を残している柏中学校の敷地と、学区内の柏一小の老朽化が著しいことに目を付けていたのだろう。そして、柏一小は駅から目と鼻の先の一等地。跡地の売却で柏中学校内に校舎が建つという算段である。全国を見渡しても、ワースト3という柏市のマンモス義務教育学校構想は稿を改めて書かないといけないが、今日はひとつだけ。柏中学区のもうひとつの小学校、旭東小学校が統合されることである。この小学校はこのままでいいはずなのだ。そうすれば、義務教育学校のマンモス化も緩和されるし、課題として上がっている「スクールバス」も大げさでなくなる。しかし、旭東小学校の義務教育学校編入を、市当局は譲れない。

 この柏市義務教育学校構想には、ステージが三つある。土台・4年、充実・3年、発展・2年の合計で9年というものだ。旭東小学校が統合される理由はここにある。柏中が現在のままなら、旭東小学校の子どもたちは卒業して柏中に進学すればいいだけだ。ところが義務教育学校となった暁、6年間を修了した子どもたちをどこに編入するか、柏市行政執行部が困惑したのは想像するに難くない。しかし、躊躇を振り切ったようだ。全国に先駆けて、が好きな柏市である。面白い試みもないわけではないが、ここに来ての暴走ぶりは見過ごせない。

 

 ☆後記☆

先週の子ども食堂「うさぎとカメ」ですが、何がって野菜がすごかった。みちの駅や複数の個人の方の寄付に加え企業の協力を得て、仕分けから配布まで嬉しい悲鳴でした。利用者の皆さんの持参した袋が野菜で溢れて、思わず困りませんかと声を掛けたくらいです。でも「こんなにたくさん頂けて」という声。嬉しいです💛

この日は久しぶりの「飾り寿司」。大型のアンパンマンはプロの手作り、感謝です🥐 そしてメインディッシュのワンタンスープはお代わり続出で、こちらも嬉しい悲鳴でした☺

 ☆☆

いやぁ、藤井八冠、ついに崩れました。「(この日が来るのは)時間の問題と思っていた」という藤井君を、また好きになります。また、師匠の杉本先生の「また八冠に挑戦できるね」という言葉もいいなあ☖⛊

そして、オオタニさんは怒涛の21号🥎 頑張るぞ~🙌


ヤジ 実戦教師塾通信九百十七号

2024-06-14 11:25:13 | ニュースの読み方

ヤジ

 ~原則と逸脱~

 

 ☆初めに☆

「つばさの党」なる団体が、物議をかもしています。政策らしきものは全く見当たリません。この連中がN党、そしてガーシー議員⁉に続く、ストレス発散民族と見ていいでしょう。でも今回の記事は、こういう者どもに対する批判ではありません。またしても、「表現の自由」が絡んでいるからです。戦う土俵が違うんです。

 1 首相・安倍

「こんな人たちに負けるわけには行かないんです」

懐かしくもないが、7年前の秋葉原駅頭における安倍元首相の「抗議」の声だ。「安倍やめろ」の横断幕とポスター、そして聴衆の「ヤジ」に対して出されたものだ。もちろん私も、首相が官邸主導で、この2年前に進めた安保法案の強引に憤った。また、小泉政権下での内閣主導システムは、安倍内閣で大きく進んだ。官邸・内閣ですべてが進んでいくことに、いら立ったのである。ついでに、辻元議員の国会質問に「さっさと質問しろよ」とヤジを飛ばしたのもこの男だ。そんな奴がヤジにムカついてるゼ、ぐらいにも思った。でもやはり、抵抗があった。ことは、駅頭の占有許可をもらっての選挙演説なのだ。街頭デモのことで言おう。あれはまず、デモ申請をして、公安委員会から道路使用許可を得る。学生時代に何度もやったが、参加人数「千人」などと書く。宇都宮大学は全学で3千人強、そんなに出るのかと聞かれるが、そうだと答えると、それ以上相手は何も言わない。一方、デモへの妨害もある。右翼が街宣車で突っ込んできたこともある。過激なデモを抑えるのが警察なら、デモ妨害の右翼を止めるのも警察である。選挙演説も同じだ。首相・安倍に頭に来ていたのは、私も同じだ。しかし、ことは駅頭の候補者演説であり応援である。

 2 ぜひとも傷害罪で

 この首相の発言に対し、多くの批判が飛び交った。例えば、州知事選の演説会場で、「ターミネーター」のシュワルツェネッガーが玉子をぶつけられたこと。それに対し、シュワ氏が「ベーコンも寄こせ」と対応したことを、首相・安倍の「こんな人たちに……」と並べ、いかに安倍氏が「大人げないか」としたのだ。また、オバマ大統領が当選した時、相手候補(マケイン)の支持者に「まだ、私を支持していない……皆さんの声も聞こえています」と言ったことをあげ、同じく「聞く耳を持たない」首相だと批判したこと。確か、ボルテールだったか「私はあなたの意見には反対だ。しかし、あなたがそれを主張する権利は、命をかけて守る」 を取り上げた人もいたと思う。でもこれって、双方が「相手をリスペクトする」状態が前提となっている。そうでない誹謗中傷はもちろん、相手の声をかき消すヤジは考慮されていない。仮にそんな状況を想定したとして、ボルテールは「単に相手を潰すのが目的なら、私はそれを叩き潰すだろう」と言ったかも知れないゾ。北海道での街頭演説聴衆排除は、プラカードを掲げた静かな人たちもその対象になったそうだ。しかし、秋葉原の件はどうなんだ。プラカード・横断幕のメッセージはいい、と思う。でも、エスカレートした事態は、聴衆間でのもめ事へと続いたとも聞く。安倍先生が器の大きい人だったら臨機応変、この場で幾ばくか質疑応答しただろう。実は「私は都議選に立候補した方を応援に来たのです。私への批判は別なところでお願い出来ませんか」と首相にやられたら、安倍やめろのシュプレヒコールは出来なくなったはずだ。しかし安倍先生は、もちろんそうせず「こんな人たちに……」とやった。この発言が原因で、くだんの都議候補は敗北を喫したともいう。しかし、これらを「表現の自由」として来たしっぺ返しは、現実のものとなってるんじゃないのか。

 衆院補選の立候補者・乙武氏に、同じく立候補した「つばさの党」が「不倫、不倫!」と、大音量で叫びたてた。よその陣営を追い回す「カーチェイス」も繰り返した。今でこそ警察の動きは速やかだが、こうなるまでじれったい思いをした人たちは多かった。しかし警察は、この種の問題が単なる「妨害」なのか、デリケートな「表現の自由」が絡むのか、判断に苦しむのだ。政権批判を「表現の自由」として進めるのは、論点がずれて行くことを思い知るべきだ。「批判にきちんと反論しなさい」が真っ当なのであって、「批判するのは自由だ」では、不確かな・不誠実な言葉にも道を拡げる。5年前、愛知の「表現の不自由展」を巡る出来事を、ここで少しばかりレポートしたことがあった(664号)。その時と同じことを言います。相手と正面から向き合うためとして、「表現の自由」を道具にすることは、役に立たないどころか障害になる。「何を言いたいか」ではなく「言いたいことを言いたい」が前面に立つからだ。

 目の不自由な知り合いの議員が、街頭演説で腰抜けどもからヘイトを浴びた。そのことを前にレポートした。市議会で福祉部長が、あろうことか「この事案は差別ではない」と公言したため、私が役所に乗り込んだレポートだ。私は新大久保のヘイトも埼玉のクルド人ヘイトも、残念ながら、「つばさの党」の妨害行為も目にしていない。出向けばいいのかな。遭遇したいものだ。電話ボックスの上に座り込み「不倫!」と怒鳴っている奴の足を引っ張って、地面に引きずりおろしたいと思う。シュワ氏のように、大人の対応が出来そうにない。その場合の罪は「公職選挙法違反」ではなく「傷害罪」で願いたい。そん時は「真面目にやれ、この野郎」と言おうか、それとも「こんな人たちに負けるわけには行かないんです」って言おうかな。

 

 ☆後記☆

寝苦しい季節がやって来ましたね。梅雨入りはまだだし気温も抑えめかなと思いますが、対応が難しい。扇風機はかけないで、窓を開けて寝てます。もちろん、今年も昼間のエアコンは断固しません💦

近所の観音寺。アジサイの見頃はこれからです🥀

夏に必須アイテム神輿🥁 神輿の若頭が、向島から送ってくれました。

 ☆☆

子ども食堂「うさぎとカメ」、明日となりました。飾り寿司は「アンパンマン」です🍙 新鮮な野菜もいっぱいですよ~🥕 明日の「もしもしカメよ」も送りま~す✉


非核の火 実戦教師塾通信九百十六号

2024-06-07 11:25:06 | 福島からの報告

非核の火

 ~続く歩み~

 

 ☆「のらっこ」☆

二ツ沼直売所にも、真っ青な空からさんさんと日が注いでいた。数は少なくても、元気な野菜が並ぶ。キャベツの一個130円に驚いていると、あっちは高いんですって?と、レジから声が上がる。この倍か3倍ですよと言って、私はひとつ取り上げる。それでもやっぱり品薄は気になる。店が開くのも週の後半だけになった。

「のらっこ」が町営となったのは、つい最近のことだ。町営に伴い品薄となったとは考えにくい。その逆なのだろう。広野町の警戒規制が解除されて(2011年の9月末日)から2年後、私はこの「のらっこ」を知った(詳細は『大震災・原発事故からの復活』を参照ください)。かつて警戒区域だったエリアで、農家が米を作った。その米を「のらっこ」が販売していると教えられたからだ。元気そうなおばちゃんたちが、学校も始まったしね、と嬉しそうに話す当時のことがよみがえる。当時はたくさんの野菜に販売規制がかけられていたわけで、その野菜が置かれてないか県の職員が確認のため来ていた。その職員やパトロール中のお巡りさん、そしてたくさんのお客さんと一緒に談笑した。不満を遠慮なく言うおばちゃんたちも、彼女たちに罵られる職員も表情は柔らかかった。「のらっこ」は生産組合の作ったものだ。たくさんの農産物は、各農家が組合に委託した。地元の農家が作った野菜を、避難先のいわきから町の人たちがわざわざ買いに来ていた。受け取るのは野菜ばかりではない、住んでいた町が今どうしているか、ここに来ると分かるからだ。住んでいた町の新たな活力がここにあったからだ。私も来るたび元気をもらった。当時レジに必ずいた元気な組合長さんも、町営となったせいなのだろう、全く見かけなくなった。広野町の役場駐車場にイオンが出来た時、ここって閉鎖されちゃうの?と聞く私に、私たちも頑張るよと笑っていたおばちゃんたちが懐かしい。

 近隣農家の作ったゴマと、みかんサイダーも買う。サイダーとは、炭酸飲料ということですかと聞く。シンプルなラベルで、高校の先生が指導して生徒と作ったものだそうだ。専用棚で冷えている。同じ棚で冷えている豆腐も、どうだい?と勧められるが、多分、防腐剤加工がない自然食品だから足が速い。三日間はもたないよね、と断りました。

笑ふるタウンのベンチで飲んだみかんサイダー。ナチュラルな味わいです🍹

いま働いてません的な表示のモニタリングポスト。

 ☆伝言館☆ 

いつもはヘビが元気な頃合いの宝鏡寺・伝言館は、静かに川が流れていた。暑いくらいの日差し。

原発事故集団訴訟原告であり、伝言館事務局長の丹治杉江さんがいらした。ちょうど掃除の最中で、一階(伝言館は坂に建っているため「地下」の印象が強い)に巨大ムカデが出るのよ、と殺虫剤を持って降りて行った。

非核の火(碑)前を掃除する丹治さんです。

怖くてついていけない私は、二階で前回見過ごした能登地震のパネルを読む。あとで、安齋育郎先生から聞いたが、改めてパネルを作るそうだ。同じ能登の珠洲原発誘致を潰した住民の力をレポートするという。隣の平和館に行くと、大きなパッチワークが下がっていた。先生の奥様が作ったという。パッチワーク製作者として、著名な方らしい。写真では分からないが、模様のひとつひとつに綿を入れて行くそうだ。それで膨らんでいる。近々、奥様のパッチワーク展も企画中である。

かたわらのテーブル上には紙細工の龍があった。聞けば、こちらは先生自身の手によるもの。今年の干支だ🐉

今回も先生とは、またしてもすれ違い。福島市で行われる自由法曹団主催の憲法集会に出るため、この翌日に伝言館に来るということだった。集会のテーマは「汚染水」だという。入管法ではないのですか?という私に、福島での集会だからねと丹治さんは言った。すでに書いたことだが、上野東照宮の宮司が「重要文化財に火が点いているのは困る」として、引き継ぐ場所を探し始めた。宝鏡寺の早川住職が手を挙げて、この地にやって来たのは原発事故から10年後のことである。丹治さんが掃除しながら、「非核の火」ってね、と話した。戦後、全国に広がった「非核の火」だが、簡単に「火」を分けていないともいう。実際、伝言館の火を「分けてください」と頼まれることがある。「自宅で灯したい」という。でも、逡巡するそうだ。「正式な火」は、もともと兵隊さんが、広島の原爆投下直後の親族の家に残っていた火をカイロの種火としたものだ。そして、福岡県(八女市)の自宅に持ち帰ったものだ。だから「正式な火」は八女市と楢葉町などで、いくつもないという。早川住職が生きていたら、どんな判断をするのだろうと思う。

 新潟県は原発立地調査で訪れた東電職員は肩身が狭く、制服で歩けなかったという。一方、福島県は原発誘致に「諸手を挙げて」歓迎した。孤立無援の中、檀家から批判されつつ早川住職は原発反対を続けた。そう言えば、住職のお通夜の折り、安齋先生や原発反対を訴える人たちは伝言館に集まっていた。もしかしたら、寺の敷地にひしめいていた檀家の人たちには、別な思惑があったのかもしれない、などと今は思う。宝鏡寺を初めて訪れたのは、原発事故から10年を数える時だった。非核の火(碑)と伝言館は、まさしく完成に向かって突貫工事だった。本堂近くの書斎を訪れた時、いやぁ本当に間に合うのやらと、初めて会った私に笑うのだった。もっと聞きたかった、改めて思った。

 

 ☆後記☆

飯塚事件の再審請求が却下されました。新証拠に対する裁判所の判断は全て憤懣やるかたないものですが、中でも腹が立ったのが、被害者の女の子の血液が被告の車から出たという案件です。これが10年前の第一次請求で「有罪の根拠と出来ない」とされました。しかし、今回の第二次請求では「他の証拠で殺人は立証はされている」としたのです。血液鑑定が正しかったかどうかの判断を回避したか、「そんなの関係ねえ」としたわけです。死刑が執行されたというのに、今さら何を言ってんだというのが一番なのでしょう。何故か報道されませんが、1990年に起こった、いわゆる「足利事件」の犯人とされた菅家さんの血液のDNA鑑定と、その2年後に起きた飯塚事件の鑑定法は同じです。DNA鑑定が始まったばかりで不確実だという疑念は、鑑定を策定した科捜研の担当者本人から出されていた。ついでに付け足せば、この「足利事件」と「飯塚事件」の鑑定をしたのは同じ人物です。このDNA鑑定により菅家さんは有罪となり、後に精度が増した鑑定により無罪となったことはご存じですね? 当初採用されたDNA鑑定は、余りにも大雑把だった。より絞り込むことが可能となった鑑定で、菅家さんは「シロ」となった。そのことを裁判官が知らないはずはない。いや、知らないかも知れないというのが悲しい。更に請求を続けるためには、またしても新しい証拠を提出しないといけません。今市事件の勝又さんのレポートでも言いましたが、相手が「証拠開示」に応じることが大切です。

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6月になりました。子ども食堂「うさぎとカメ」は、1日が土曜だったため、早くも来週となりました。久しぶりの飾り寿司ですよ。一体、どんな顔が出来るのでしょうね🍙 ワンタンスープも頑張りま~す👊

 オオタニさん🥎も、藤井君☖⛊もファイト