実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

ふるさと(下)  実戦教師塾通信三百七十八号

2014-04-30 12:39:09 | 福島からの報告
 ふるさと(下)


 1 『美味しんぼ』を支持する


「風評被害を助長(じょちょう)する」
と、『美味しんぼ』が批判されている。原因不明の鼻血の描写(びょうしゃ)がいけないという。実物を読まないといけないのだが、私(たち)の経験を言うにはいい機会だと思った。
 初めてここに書く。しかし震災直後の福島では、そして私たちの現場でも結構話題になったことだ。福島入りしてひと月ぐらいした時、私は鼻血を出している。朝、鼻がむずむずすると思ったら、鼻血だった。結構な量なのだ。疲労かのぼせか知らないが、こんなことは高校生のころにあったかな、などと思った。しかし、それは私や私たちだけではない、福島県でずいぶんな話題となっていった。
 私が自分の鼻血を見て思ったことは、
○他に体調が悪いわけではない
○このことを言ったところで、医者も行政もきちんと答えられないだろう
○このことを言ったところで、周りは心配するだけだし
○様子をみよう
だった。私の周囲の同じ経験を持つ人たちも同じだったはずだ。「ただちに健康に影響がない」ためもあり、どうにもしようがない。
 『美味しんぼ』も小学館も頑張っていると思う。放射能と戦い、立派な野菜を作っている福島の農家に、
「私たちが力になります」
と、山岡(主人公)たちがはっきり言ったのは、もうずいぶん前のことだ。実直(じっちょく)な作者は、きっと綿密(めんみつ)な取材をやっている。双葉町長の発言が出ているともあった。前の井戸川町長のことだろう。
「もどれる場所ではない」
と、双葉ばかりでなく、福島県全体をそう呼ぶ町長がなかなか支持されないのも仕方ないのかもしれない。しかし、町長が政府・東電の主張ややり方のいい加減さを訴(うった)えた人であることは間違いない。
 私たちはもう気がつかないといけない。
「科学的・客観的な根拠(こんきょ)がどこか」
という設問自体が、原発と放射能への対処を遅らせ、それに加担(かたん)していることに、だ。そして、
「不安なものを抱(かか)えつつ生活することのおかしさ」
に向かわないといけないことに、だ。
「おいオマエ! なにやってんだ!」
ボランティアが道で線量検査をしていると、怒鳴られたのは郡山だ。前にここで書いた。こんなことが「風評被害」の周囲で起こっている。
 「鼻血」のことを書くのは、もう「立場」の問題となっている。
「そんな根拠もないことをしてはいけない」
とするのでなく、『美味しんぼ』は、不安に向かう、そして不安を口にする「立場」に、
「私たちは立ちます」
と言っている気がする。
 『美味しんぼ』を支持する。


 2 「ここは『ふるさと』ではない」

 思い立って、久しぶりに「パオ広場」に行った。相当熱心な読者でないと、このパオは知らないはずだ。パオが始まったのが2011年の秋と記憶している。私がそこから遠ざかって、もう一年以上になる。仮設住宅のひしめくど真ん中に「パオ広場」はある。新刊に載(の)せたものと同じだが、パオの写真。
      
 予想にたがわず留守番のスタッフがひとりいるきりだった。私は、すみません、と扉(とびら)をくぐる。
「なんでしょうか」
と、これも予想通りだった。もう知っているスタッフはここにいない。
 すぐそばにある自立生活センターの事務棟(とう)に行く。奥から顔を出したなじみのスタッフは、私の顔を見るなり、
「コトヨリさん! 誰かと思った!」
と叫(さけ)んだ。
 彼女は私がパオで言われた「なんでしょうか」に「ひどくショックで、ひどくがっかりした」ようだ。三年前、誰が顔を出そうと、パオは、
「こんにちは」「いらっしゃい」「大丈夫ですか」
だった。被災者はそのひと言で中に入れた。それが日を追うに従い、
「なんでしょうか」
となった。心がけが変化したのではない。
 あの頃、パオに来るのは「逃げてきた」人たちだ。被災者はようやく体育館や公民館(避難所)から移ったものの、当然落ち着くわけにはいかなかった。人々のここはどこ?という自問(じもん)は、比喩(ひゆ)ではなかった。パオの開催/共催する散髪(さんぱつ)やマッサージ、絵手紙や炊(た)き出しなど、すべてがその作業のお手伝いとなった。時を追うに従い、人々はパオから遠ざかった。それはもちろん「ここがどこか分かった」からではない。疲労やあきらめの中で被災者が手に入れたのは、
「ここが『ふるさと』ではないことだけは確かだ」
という気持ちだったと思われる。パオに訪れる人は次第に少なくなる。訪問者(ほうもんしゃ)がたまに姿を見せれば、スタッフは、
「なんでしょうか」
と言うようになったのだ。


 3 「頭のいい人はうまいことやんだよ」

「去年からツバメが巣を作ってさ」
仮設から新しい家に移ったおばちゃんの家に今年もツバメがやって来たという。写真の壁は、外ではない。玄関の中なのだ。
            
「おかげで夜になるまで戸が閉めらんねえんだよ」
とこぼすのだが、まんざら迷惑(めいわく)そうでもない。
 家には、やはり仮設から新しく自分の家に引っ越したお客さんがいた。顔を合わせれば津波の話よと二人がいった。いわき海岸に育った二人とも戦争体験者で、
「(アメリカの)艦載機(かんさいき)が、海から次々上がって来んだよ」
と、その時の恐怖(きょうふ)を語る。
「そんな思いをまたしようとは思わなかったよ」
 津波のあと応募(おうぼ)した仮設住宅は、
「7人家族が住める広さではない」
と断(ことわ)られた。ようやくありついた市内の3LDKアパートは、7人家族で芋を洗うような生活だった。
「第一仮設住宅に『二世帯分』で申請(しんせい)すりゃよかったんだよ」
はなっから一世帯という頭しかなかった。
「頭のいい人はそうやってんだけどよ」

 私は今、あちこちで聞かれる、
「双葉(地区)は金払っても、仮設に残りたいってよ」
「帰れるのに帰らねえんだ」
「ここだったら病院も買い物も便利だしな」
という数々の言葉を思い出す。みんな被災者のつぶやきなのだ。我が身の不幸をこぼす時に、誰かの悪口をはさんでしまう。
 心ここにあらず。私は被災者がイベントの時、必ずと言っていいほど歌う『ふるさと』を思い出した。もちろん喪(うしな)ったものへの思いなのだ。しかし、それだけでは足りない。それは私たちが歌う響きとはまったく違っている。隣り合って歌っている被災者どうしは、心ここにあらず、なのではなかったろうか。
 今、被災者の苦しみや悲しみが、なんの関係もない人への憎(にく)しみへ変わることを、私たちはどうにか出来るだろうか。

 「絆」という言葉を、私たちは慎重に使うべきなのだ。


 ☆☆
『チームバチスタfinalケルベロスの肖像』見ましたよ。いやあ、映画っていいですねえって素直に思いました。たくさんの人が殺されるのに、いい人しかいないように思えるというか、みんなだんだんいい方向に向かっていくという感じで爽(さわ)やかでしたね。ようし明日も頑張るぞ、みたいに思えましたよ。犯人の罪の重さより、よかったね犯人さん、みたいにも思いました。チームバチスタオールメンバー、みんな持ち味出して。そしてまさかまさか、追い詰められた白鳥。画面に吸いつけられましたね。私は思わず、ノーベル賞山中教授の記者会見を思い出してしまいました。ips細胞とは無関係なところをつつくんです。「科学者としてパーフェクトですか」みたいに。まさに「無念・悔(くや)しい」のひと言に尽きるのではないでしょうか。どうしてこんな「意地悪」を繰り返すのでしょう。
白鳥さんは「明らかにすべきだ」と訴えたんですよね。そのグッチのセリフはラストだった。観客は気がついたのかなと思ったけど、みんなもう爽やか気分だったらいいか、とも思えました。
お疲れさまでした!
ありがとう!

ふるさと(上)  実戦教師塾通信三百七十七号

2014-04-27 11:39:09 | 福島からの報告
 ふるさと(上)


 1 連帯保証人?


「コトヨリさん来るって聞いたからよ。サラダがいいかとも思ったんだげどよ、煮てきたよ」
そう言っておばちゃんは、大根と鶏肉の煮物を集会所に運んできた。
 いわきはまだ桜が残っていた。気をつけないと分からないが、あちこちの山や公園の一角(いっかく)を飾(かざ)っていた。
「もうあんめよ(もうないだろうよ)」
とおばちゃんたちは言うが、すっかり木々が青くなった柏から出向いた私に言わせれば、やっぱり咲いている。第一仮設のすぐ北側の東小学校では、春の運動会の練習が真っ盛りだった。太鼓(たいこ)とアナウンスが、晴れ渡った空に響(ひび)いていた。
 骨つきの肉である。
「骨からもだしが出るんだよな」
おばちゃんのいう通り、醤油とみりん、それに少しの砂糖で味付けをしたという大根の煮物はキラキラと光って美味しい。
「大根からも味が出てますね」
中だけ白い、あとは醤油と出しがしっかりしみ込んでいる大根を、私は食べて言う。だんだんとテーブルを囲むおばちゃんたちも増(ふ)えてきて、会話も増える。

「ふざげでんだよ。なんだって連帯保証人てい(る)んだよ」

災害復興住宅入居(にゅうきょ)手続きのことだ。入居にあたって、「連帯保証人」が必要なうえ、その保証人の「給与証明」がいるというのだ。市営住宅に入る時さえそんなものはなかったという。一体誰に頼めというのか、とおばちゃんたちの憤り(いきどおり)はひと通りではなかった。

「息子(むすこ)に『オメエの給料いぐらだ』って聞けって言うのがよ」
「年金で家賃(やちん)ぐらいはどうにかなんだよ」

 足の不自由なおばちゃんは、なんと4階の指定を受けた。復興住宅は8階。
「エレベーターがあるけどね」
と、別なおばちゃんが言う。私は、エレベーターの扉(とびら)間近(まぢか)で待つ、緊張(きんちょう)した顔のおばちゃんを想像して言う。
「今度は扉の閉まらないうちに入らないといけない」
私はようやく足を運んでいるおばちゃんの姿が目に見えるようだった。それは不便を越えて、恐怖(きょうふ)を思わせる光景だった。
「電話で言いたいけど、あたしは耳が聞こえないから手紙を出したよ。なんで手紙なのかっていう理由も書いたし、なんのために歩けない『障害』のことを書かせたんだって。それを書いたよ」
 連帯保証人といい、部屋の階の問題といい、なんとかしたいと思った私だった。


 2 「こうじの入ったのがいいな」

 この日のお味噌配布(はいふ)は、会長さんが参加できなかった。お手伝いには、新しい顔ぶれのひともいた。
            
           いいお天気。東小学校をバックにモデルさんはみな男性
少しばかり嬉しい出来事があった。何人かの方が、例えば、
「私は『こうじ入り』がいいな」
と言って、お味噌を選ぶのだ。部屋から外に出れば、住宅の通路には味噌を積んだ台車がある。そこには仲間たちが思い思いの気持ちとともに寄せた、様々な種類の味噌があるのだ。味噌を選ぶのを誰もとがめることなどなく、その場は笑顔だった。
 私はつくづく考えてしまった。こういう時にありがちな、そして私たちがボランティアをしていた時、いやになるほど目にしていたことを思ったからだ。
「そういうことをさせると文句が出る」
という「気づかい」である。役人、そして「責任ある立場のひと」が言うのだ。
「そうなったら、その時に考えよう」
ではなく、
「そうなると困るからしない方がいい」
というポリシーなのだ。それでふっと思い出したことは、ここんとこよく聞く、憲法や平和をテーマとした集会や講演が、その会場使用を断(ことわ)られているということだ。会場の「責任者」が、
「混乱を避(さ)けたい」
という理由で、断っている。そのほとんどが「混乱の兆し(きざし)」を未確認のまま、使用禁止の決定している。バカどもが。と、そんなことを思い出して、今日はいいなあ、と思ったりした。
 入り口から顔半分だけのぞかせて、なんですか、という人もいた。前にはなかったことだ。雪の会津からもどってくる新しい住民が増(ふ)えたせいである。

 そして、いつもすみません、の励(はげ)まされるような声。
「あたしは10月なのよ。あと半年、頑張ります」
と、豊間のおばちゃん。豊間はここを6月に出る人もいる。
「あったかくなりました。助かります」
と、陽気とお味噌の両方に感謝する人。
「そこは(住んで)いないよ。そっちはいる」
と、窓から乗り出して教えてくれるおばちゃん。
 暮れのお味噌の時、畳に頭をすりつけて感謝した、あの人が分かった。この日は立って元気そうに、やっぱり何度も頭を下げ、部屋から通路まで出て、お礼を繰り返すのだった。この人じゃなかったかな、などと考えるとまどいで、「元気ですか」の言葉を忘れたという後悔を、私はあとですることとなった。
 あったかくなったんだ、皆さんも少しずつ元気になりますように、と思えるいわきの昼下がりである。


 ☆☆
これ、福島の銘菓(めいか)、『三万石』いわき支店です。喫茶(きっさ)コーナーから外を見たら、春がいっぱいって感じで、ちょっと一服しようってなったわけです。愛車マグナが、気持ちよさそうにしてます。ケーキはブルーベリータルトです。
            

 ☆☆
月9で『HERO』part2が始まるそうですね。視聴率35%だかを叩(たた)き出してたんだとか。「夢よもう一度」ってやつですね。通販(つうはん)生活を送る釣り好きの主人公という設定は、アナログとデジタルが交差する「時」だったと思えます。あの時とテーマはまったく変わったと言えます。あとはとにかく、この主人公を演じる俳優の「自分をみつめる」気持ちが育たないことには、期待できませんね。みんな見るのかなあ。

型/構え(下)  実戦教師塾通信三百七十六号

2014-04-23 12:45:16 | 子ども/学校
 型/構え(かまえ)(下)

    ~その2 「構え」~


 1 初めに


 この記事のカテゴリーが「武道」でなくなる。「構え」のことで始まるが、「子ども」の色が強くなってくる。ポイントは、棋士(きし)たちが我が身を守るため使っていた、そして今も軍隊/警察の使っている「盾(たて)/シールド」である。一体私たちはどのようにして身を守っているのだろう。


 2 「構え」

 花火の話はまだ早いが、公園などで大型のものに点火する時、私たちは体をそらして、利き腕(ききうで)を伸ばして火をつける。
      
        ロンドンオリンピック/太田選手
失礼なようだが、このフェンシングの形に近いと言える。危険を回避(かいひ)しているのだ。ご存じの通り、フェンシングの試合は、幅のないカーペット上で行う。そこで文字通り一進一退(いっしんいったい)の戦いをする。この戦闘(せんとう)スタイルは、一定の合理的な完成を見ている。そしてこれが大切だが、この構えを日本では捨てる。つまり『両手保持(ほじ)』の形が平安後期に始まる。
 ついでだが、刀の形も変化する。下の写真の中央の下部を「茎(なかご)」と呼ぶ。ここに覆い(おおい)がついて、私たちにもなじんだ呼び名で「柄(つか)」と呼ばれる部分になる。この部分を持って戦う。刀が両手保持となり、この部分は長くなった。
           
          時代は文亀の「村正」。銘(めい)があるのは希少(きしょう)
 この両手保持の「構え」は、馬を全面に駆使する戦い(騎馬戦)から、地表で切り合う白兵戦(はくへいせん)が主となった戦国時代に定着(ていちゃく)する。我が身を相手の前にさらし、危険な状態にするこの構えが「日本の構え」となった。
 しかし西欧でも、剣を片手で保持するに際して、フェンシングのような形だったわけではない。空(あ)いた方の手で「盾」を持っていた彼らは、敵と正面から相対していた。彼らは「盾」を手放すことで、フェンシングの「構え」をすることとなったのだ。これは「構え」そのものが、「盾」であることを意味している。ここが大切だ。「城の構えも陣の構えも動かぬ心を意味している」(『五輪書』風の巻)と言ったのは武蔵だ。

「ものごとに、構へといふことは、揺るがぬところを用ふる心なり」(同上)

武蔵の兵法(武道)心得(こころえ)は、すべてこの道筋に通じている。「盾」は消えたのではない。「構え」と、それも含んだ「身体/太刀の道」が身を守ったのだ。


 3 「盾」

 分かると思うが、「盾」はある時には相手との「間合い(まあい)」だったり、牽制(けんせい)だったりする。何より自在に自分を操る(あやつる)ことに通じる。
 村上龍の少年少女向けの絵本に『盾』という本がある。
           
           『盾』(絵・はまのゆか)
帯には「やわらかで傷つきやすい心、あなたはどうやって守っていますか?」とある。私はこの本に触発(しょくはつ)されることが多かった。
 今回はあんまり踏み込まないで次の機会に詳(くわ)しく書きたい。これは、キジマとコジマという性格がまったく違う仲良しの話だ。彼らが少年から大人になるまでの「盾」にまつわる話である。
 ある老人に二人が「大切なものはどうやって守るのか」たずねる。老人は、
「盾、シールドが必要だ」
と答える。それがどういうものなのか、どうやったら手に入るのか二人は聞くのだが、老人は自分で考えろと言ったきりだった。大人になった二人はそれぞれの「盾」を手に入れる。コジマの部分だけ少し書くと、『盾』(と言っていいと思うが)と一緒(いっしょ)にいると、

「自分は、とても自然なんです。無理がないんです」

と、コジマが言う「盾」は、自分が慈(いつく)しんで育てた「シェパード」だった。


 ☆☆
ずいぶんしり切れとんぼですみません。もう福島に出発しないといけない。
この話、何となく当たり前の予感がするかもしれませんが、そんなことはない。「当たり前になるには大変な道のりが待っている」んです。
明日はお味噌を配布する日です。仲間の気持ちをみなさんに渡してきます。次のお醤油の時は、世帯もずいぶん減っているかとも思います。しっかりお顔を見てきたいと思っています。この場を借りて、支援メンバーに感謝いたします。

 ☆☆
マー君、3勝目ですねえ。今日は味方が大量に援護(えんご)してくれました。でも連続ホームラン浴びました。何度も首をかしげて、毎回ベンチにもどるとすぐ奥に行ってしまいます。あれってその回の自分のピッチングを録画で確認してるんですかね。ベンチに姿を見ることがない。崩(くず)れないマー君です。イチローも二安打。
元気に福島に出発です。

型/構え  実戦教師塾通信三百七十五号

2014-04-20 18:18:17 | 武道
 型/構え(かまえ)(上)

     ~その1 『型』~


 1 初めに


 「館山いじめ問題を考える会」の泥子さんブログに、「日本刀」のジャンルがある。先日初めて開いた。考えれば、滝沢馬琴『南総里見八犬伝』のお膝元(ひざもと)だ。刀の話がゴロゴロしていないわけがない。
 それを追いかけるかのように、私のもとへ「武道」の丁寧(ていねい)なレポートが届いた。読んで、そうだったのかとか、そうなのかなどと考えた。立て続けに刺激(しげき)をいただいもので、少し書きたい。前回の連載(れんさい)が長引いた時には、もういい加減にしてくれ、と読者から苦情をいただいた。今回は二回でまとめたい。


 2 『伝家の宝刀』

 野菜を使った料理は、炒(いた)めたものでも煮たものでも、次の日格段に味が落ちる。その時、
「古くなったものはまずい」
ですます人もいるが、
「どうしてなんだろう」
と考える人がいる。何度か同じ経験を繰り返し、野菜は時間が経(た)つと、そこから水分が出て、素材の味を変えてしまうことを知る。そして、火(強火)の力は、炒める時に野菜の水分やうま味を閉じ込めることが分かってくる。それに伴い「料理は時間が勝負」ということも分かってくる。
 人は、出来事の中に一定の規則や流れを見いだしてきた。

 マー君がまた好投した。なんと日米通算30連勝である。いつも感心していたが、マー君て自分が打たれた球を、自分であんまり「失投」と言わない。周りがそう言っても本人は、
「思い通りのところに投げられなかった」
と言うのだ。その日のメンタリティや肩の調子によってその場で投げ方を変え、「思い通りのところに投げて」いるという。みんながそれを驚嘆(きょうたん)している。
 そのマー君の「スプリット」が『伝家の宝刀』と言われている。すとんと落ちる球だが、フォークボールと違うのは、直球と区別がつかないくらいのスピードなんだそうだ。当然相手は、そのスプリットを警戒(けいかい)する。しかし、その警戒心は別な球に油断を作るのだ。
 私は、この「得意技(とくいわざ)」とそれにまつわる流れに、私たちが考える『型』の世界を感じないわけにはいかない。
 人は、出来事の中に一定の流れを作ることを可能とするのだ。


 3 「型通り」

 少しはしょった言い方をしてしまえば、私たちはリンゴを剥(む)く時、リンゴを回しながら皮を剥いているのである。包丁は動かしていない。これを私たちのほとんどが無意識にやっている。すっかり身につけたこの動作は、長年の「訓練(くんれん)」で得られた。この「すっかり身につくこと」を、私たち武道界では「型に習熟(しゅうじゅく)する」、または「型を修得する」と呼んでいる。
 初めは包丁を自分の側に向けることもはばかった。それが、次第に右手の動きとリンゴを回すリズムを心得るようになる。その時には、リンゴの高さや向きも確定しており、リンゴ上の左手は、親指から小指までが定位置を与えられている。ここに来るまで、数限りなくあったと思われる「むだな動き」。それを克服(こくふく)したから、リンゴがどんな大きさだろうが、相手がじゃがいもになろうが、対応できる。「型を修得する」とはそういうことだ。
 マー君の話でいった通り、技(わざ)を警戒(けいかい)する時、相手がみずから墓穴(ぼけつ)を掘って自滅(じめつ)することが起こる。これを私たちは「技が『型』という極み(きわみ)にまで獲得(かくとく)された」と言う。どうやっても『型』の流れに入っていくのだ。
            
           柳生新陰流・第21世宗家(そうけ)柳生延春
 今週、アメリカのオバマ大統領がやってくるとあって、SPの警備訓練が公開された。ニュースで見ただろうか。SPが持っている書類カバンのようなのは、鉄板を仕込んだ盾(たて)なのだ。号令にあわせたあの訓練をすごいと思っただろうか、それともバカバカしいと思っただろうか。以前私たちがやっていた空手道場に、若いお巡りさんが入門してきた。
「警察でやっている『逮捕術』が、とても役に立つとは思えなかった」
からだ。そしてニュースでやっていた警備訓練、あれは役に立つのだろうか。
 どちらとも言える。
「『型』として修得されている」か、
「型通り」
かの違いだ。
 私たちは、
「あいつは『型通り』のあいさつしかできない」
と言ったりする。これは、

○分かりきったことしか言えない
○聞く人を見ていない
○同じようにしか聞こえない

ことを言っている。
 能は同じ舞(まい)をしているようで、その場その相手で常に変化している、変化を必要としていると言ったのは世阿弥(ぜあみ)である。

 「型通り」と「『型』の世界」とは違うのだ。


 ☆☆
ここ半年で気がついたこと。それはこの歳になると、
「むだな動きを削(けず)る」
つもりが、
「衰え(おとろえ)を庇う(かばう)こと」
となることです。いつか書こうと思っています。気力を重んじるあまり、筋力(きんりょく)が必要ないと考えてはいけません。

 ☆☆
薄ら寒いここ三日間です。雲がかかった手賀沼に、ヨットがたくさん寒そうに浮かんでました。
      
家ではカーペットと厚着(あつぎ)でしのいでます。エアコンなんてつけてたまるか、です。

それでも続く(下)  実戦教師塾通信三百七十四号

2014-04-16 10:34:22 | 福島からの報告
 それでも続く(下)


 1 「警戒区域」だったら


「(原発)廃止をめざして徐々(じょじょ)になくす方向が現実的、という選択肢(せんたくし)は、結局廃止しないということではないか? このアポリアが『今』人々の前に立ちふさがっているのではないでしょうか」

これは私の新刊本に対して、わざわざ手紙で寄せられた感想の一部である。タイトルに反し(『震災/学校/子ども』)、この本に「震災/原発」への著述(ちょじゅつ)はそんなにない。でも、この方は自然災害と原発事故にどう向き合うか、私たちが真剣に考えないといけないと書いておられた。
 この方の言われる通り、私たちが「現実的」な方向を選ぶことを、今の現実は許していない。私は、久之浜の人たちがよく言うことを思い出した。

「昭和の大合併(がっぺい)で、双葉郡の久之浜がいわき市になった。おかげで原発事故に取り残された」

 昭和の大合併とは、1966年のことである。ここでもレポートしたことがある。あの時、周辺14市町村が合併され、現在のいわき市となった。その最北端(さいほくたん)の久之浜は、直後建設された原発から、実は30キロ圏内にあった。久之浜のすぐ北側は、事故の後一年間にわたり「警戒区域」となった広野町だ。久之浜は被曝(ひばく)線量も地理的条件も、その広野町とまったく同じだった。しかしいわき市長は、事故からひと月もしないうち、いわきの「安全宣言」を行う(2011年4月9日)。もし久之浜がいわきに併合(へいごう)されなかったら、「警戒区域」となっていた。広野町と同じく避難生活を送るはずだった。久之浜の人たちは、市の出した「屋内退避(たいひ)」におびえ、あちこちに「自主避難」したのだ。すべてがあいまいなままで時間が過ぎた。
 今、借り上げアパートや仮設住宅からスクールバスで学校に通う子どもたちは、広野町の子どもたちばかりではない、久之浜の子どもたちもだ。
「バカ市長が安全宣言出さなきゃ、久之浜も補償金が出た」
しかし、その声を聞いた広野の人たちは、
「広野では、楢葉の方が補償がいいって言ってるよ」
地域が北に上がれば、補償金も上がる。

 しかし、
「警戒区域だったら良かった」
のだろうか。
あの時、久之浜ばかりでなく、多くの人たちがいわきから「自主避難」した。確かに残った人たちに、まったく動じない人たちもいた。それを見た私(たち)は、首都圏(しゅとけん)の危機感との間に、大きなギャップを感じたものだった。同時に私は、
「放射能は怖くないんです」
と、気丈に言っていた地元ボランティアの高校生(野球部だった)を忘れられない。あの時の、不安とあきらめの色を帯びた声を思い出す。人々が「大丈夫なのか」という思いと「ここを離れてなるものか」という葛藤(かっとう)に揺れていたことは間違いがない。
 思い出す。その後、震災から半年ぐらいあとのことだ。郡山の作業から帰って来たボランティアが口々に言うことだった。
「道で線量を測(はか)ってると、住民が『おい、なにやってる!』って怒るんだよ」
葛藤はグロテスクな形をとるようになっていた。
 当時の市長が(渡辺市長だ)とんでもなく無能だったことは了解ずみだが、市長が人々の葛藤になんとか終止符を打とうとしたのも、おそらく確かだ。広野町以北の「警戒区域」となった人々は、緊急(きんきゅう)配給されたバスで、あるいは自分の車で移動を強制されたのだ。いわき市長の「安全宣言」は反発もされたが、それで胸をなで下ろした市民もいた。
 私たちは一体なにが、
「現実的対応」なのか分からないまま、
「現実に対応してきた」。
それが私に寄せられた手紙を読んで感じたことだった。


 2 「あきらめ」と「安心」

「おにぎりありますよ~」
桜が満開になった二つ沼公園の農産物直販所である。
            
       公園の桜。奥に見えるのが広野火力発電所
いつものおばちゃんたちが、私に声をかける。
「今日はバイクなの?」
そう言えばバイクでここに来るのは初めてだった。広野の米が解禁になった去年の秋から、私はここに来るようになったのだ。
 家屋(かおく)の賠償金手続きを話してくれた。
「東電がさ、なかなかウンて言わないんだよ」
「『事故と関係ない』『ここは適用されない』ってさ」
「好きでほっといたんじゃないのに、放置による劣化(れっか)は対象にならないって」
だから途中でやめたという。
「でも、30万円はみんな一律で出るんだよ」
そのお金で、またあちこちの堂々巡り(どうどうめぐり)がやられてきた。またさっきの話だ。
「久之浜は広野がずるいって言い、広野は楢葉の方がいいって言ってよ」
おばちゃんの隣で、
「やだねお金がからむと。いやな話ばかりだよ」
「だからあたしは最初からそんなのいらないって、なんにももらわなかった」
と、別なおばちゃんが言った。
 この日会った、楢葉の牧場主さんは、
「なんか『疲れた』っていうばかりじゃなくてよ、こう『慣れちまった』みたいにも思えて来てよ」
と言っていたことを思い出した。みんな「あきらめ」を「安心」と思い違いしてるんではないかというのだ。ここ(仮設住宅)なら病院も近いし、買い物も便利だという。

 やっぱり何も分からない。


 ☆☆
「あきらめるな。現実としっかりむきあい、自分のできることを相手に対して、誠意をもって(責任をもって)やれ。どんなに困難でも、そこから始める。『希望』を忘れずに」
これが、手紙の主の、私の本から受け取ったメッセージだそうです。この方は以前、テレビ局のプロデューサーだったのですが、今はフリーです。新たな課題が見つかったといいます。嬉しいです。頑張りましょう。

 ☆☆
今頃、庭に咲いた花です。桜に似てますが、なんという花なんでしょう。二年に一回くらいしか咲かないんですが、今年は満開です。
            
みちの駅で、今年も筍(たけのこ)は出ないんですか、と聞きました。今、検査中です、という返事。食べたいですね。