実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

遠いみちのり  実戦教師塾通信三百二十号

2013-09-30 11:15:27 | 福島からの報告
 遠いみちのり その1

      ~反原発の困難~


 1 「テレビ見ないんで」


 金曜日の夕方、郡山(こおりやま)駅に着いた。金曜の夕方限定で「寂しく」討論集会をやっている、との一報(いっぽう)があったからだ。一度、教え子の仕切るレストランに招かれて来たのは、もうだいぶ前のことだ。あの時もそうだった。都会の駅の賑わい(にぎわい)で、広場には人々が行き交っている。金曜の夕方のせいだろう、若者やサラリーマンがにこやかに、時に大声をあげて待ち合わせやおしゃべりの時を過ごしていた。冬の用意を始めた福島・中通りの地方都市だが、駅前は寒さをはじき返していた。
 まだ5時半だったので、私は駅前の電気量販店に入って相撲を見た。結びの白鵬戦に間に合った。6時、再び駅前広場に出る。広場にはさっきよりたくさんの人が集まってはいたが、その人々の輪はいずれも週末を迎(むか)えた嬉(うれ)しさで満ちているだけだった。だが、どこからやって来たのか、数人の人が横断幕(おうだんまく)を用意し、街頭にアピールの演説を始めた。
           

写真の横断幕の右側が分かるだろうか。郡山駅前には、大型の線量計が設置されている。そこに現在の数値「0,217μシーベルト」と表示がされている。やはり高い。
 最初は少し離れたところで聞いていた私は、話を聞かずこの演説エリアを避けて通る人々の様子を見て、もうこちらから近づいて話しかけた。私がどんな立場の人間で、いま何をしているかということから話し、相手の方たちからは、この討論会(と言っても話し合いではなかった)ねらいや、様子を聞いた。少しはしょってしまうが、私は、相手の受け答えに余裕(よゆう)がないのが気になりだした。私はそこで、
「楽天、優勝しましたね」
と切り出した。試したというより、少し流れを変えたいと思ってそうしたのだ。
「テレビ見ないんで」という反応は、次に
「テレビも新聞も信用出来ない」
という言葉でつながれた。私は、だって野球ですよ、と思わず言う。何を言ってるのですか、という言葉を、私は呑(の)み込んだ。野球どころじゃないだろう、という相手の懐(ふところ)は明らかだった。
 しかし、と私は思った。待ち合わせの合間(あいま)に、この演説を少しは耳にしている人もいる気がした。そんな人々に訴(うった)える言葉として、あなた方の言葉はあまりに一方的で、そして不正確だ、と私は思った。
 良かったらどうですか、と言われてもらった「NO NUKU」のバッジをカバンにつけたあと、私は場所を変えた。
             

 

 2 「お互い頑張りましょう」

 この駅頭でのグループから少し離れた階段状になった場所で、やはり演説をし、間にハーモニカによる「ふるさと」をひとり、演奏している高齢(と言っても私ぐらい)の方がいた。
「『ふくしま集団疎開(そかい)裁判』の代表の方ですよ」
と、横断幕の端(はし)を支えている人が教えてくれた。覚えている人もいると思う。「ふくしま集団疎開裁判」とは、郡山の14人の子どもが低線量被曝(ひばく)による危険を訴えたものだ。今年の5月、仙台高裁は、この訴えを「危険だという根拠(こんきょ)が薄い」という「理由」で、却下(きゃっか)している。
 ベラルーシで被曝した子どもたちの治療にあたったのは、後に松本市長となった菅谷(すげのや)医師である。その市長を頼(たよ)って、この方は福島の子どもたちを、松本市に集団で疎開させようとしている。
「その市長が『チェルノブイリでの発症(はっしょう)でさえ4~5年かかった』というのはウソだ、と言っているんですよね」
と、そばに行って私は話しかけた。少しは話の通じる人のようだ、と私のことを思ったのだろう、持ってきていた資料を示した。私は階段に腰掛けたが、その人(以下『疎開裁判の人』と表記)は立ったまま話した。その間も、近くで横断幕グループのスピーカーによる演説が続いているのが聞こえる。
「危険なセシウムは、体内の筋肉に入ってβ線を発し続けます」
「一番動く筋肉は心臓です」
「セシウムの半減期は8年間、その間私たちの筋肉は侵(おか)されます」
「一番侵されるのは心臓です。皆さん、最近息切れや激しい動悸(どうき)がありませんか」
「それは、セシウムのせいなんです」
これでいいのか、と私はますます訝(いぶか)ってしまう。申し訳ないが推測(すいそく)を断定とする時には、それを飛躍(ひやく)と思わせない力が必要だ。大体において、この演説内容にはいい加減な部分が多すぎる。そして、演説はさらに続く。
「皆さん、皆さんはいいでしょう。でも、子どもたちに罪がありますか」
「皆さんは幸福ですか」
「私たちは明日死ぬかも知れません」
「皆さんはこのままでいいんですか」
悪いが、どっかの宗教団体の話のようだ。切羽詰まった(せっぱつまった)気持ちが、こんな紋切り型(もんきりがた)の言い方にさせるのだろう。でも、違う。
 世論調査の結果でも分かるが、原発再稼働(さいかどう)、及び原発を推進する自民党を支持した国民は、同時に「原発事故がまた起こる(のではないか)」という気持ちを持っている。そして、「原発は(徐々に)なくすべきだ」とも思っている。つまり、おそらく多くの人は原発を、
○どうにかしたいと思ってはいても、どうしたらいいのか
○どうなるか(なっているか)、知ろうとすること自体が大変だ
○どうなるか、考える気がしない
という気持ちがないまぜになっている。そんな気持ちは承認(しょうにん)されないといけない気がする。だから、こんな「反原発」の訴え方はまずいぞと、私は思う。それで、
「あの人(たち)を止めてください」
と、私は『疎開裁判の人』に言う。でも、両者は必ずしも「一緒(いっしょ)」ではないようだった。「頭がいっぱいいっぱいの人には何言ってもね」と相手は応じた。
 私と『疎開裁判の人』との話は、結局、議論となった。「逃げないといけない」という考えと、「ここ(福島)に『踏みとどまりたい』と考える人たちを支援したい」と考える児玉龍彦所長のような向き方の議論になったと思う。やがて『疎開裁判の人』は、小さなアルバムを取り出し、こんなものを知っていますか、と奇形の鳥や魚の写真を見せた。福島のものですよ、と言うのだ。来たよ、と私は思う。このことは前も書いた。申し訳ないが、こういう自然界の異変は原発事故から始まったものではない。どこかに紛失(ふんしつ)してしまったが、沖縄でとれた十本足のカエルの写真を見たのは、1970年代初頭だ。
「甲状腺のがんは別にしても、放射能はまだ、生物の体内に蓄積中(ちくせきちゅう)の段階であって、それがはっきりと形をとって出るのは、もう少し先のはずだ」
と私は言う。相手は、
「最近、風邪をよくひく。すぐ疲れるようになった」
と言う。もう待ってくれ、である。私たち高齢者(こうれいしゃ)は、体力・免疫力(めんえきりょく)がどんどん低下していく。それにあなたはこんな風に大変な活動をしておられる。疲れるのは当たり前だ、という当たり前のことを私は言わねばならなかった。
「全て放射能のせいだ、というのは、あまりに不誠実ですよ」
が、私の結論だった。
 私は、自分の支援内容を紹介(しょうかい)し、『ニイダヤ水産』の営業をしようとした。が、やはりダメだった。
「私は福島県のものを食べません」
福島での魚がまだ市場に出ていないことを、この人は知らなかった。そんなのは関係がない、とでも言うかのようだった。徹底(てってい)しているのだ。

「しょうがないですね。お互い頑張りましょう」

と、相手の人も言った。
 でも……私の考え・判断が間違っているのだろうか、と思う駅前広場には、寒い風が吹いていた。


 ☆☆
楽天やりましたね! 最終回だけの登板でしたが、2、3塁にランナーを背負ったマー君、あれで逆転サヨナラだったら連勝記録ストップだったんですよねえ。でも「一番欲しいのは優勝です」の言葉通りのピッチングだったみたいです。すごいなあ。「いよいよ日本一ですね」と振られた星野監督の「少し休ませてよ」も良かったですねえ。
おめでとうマー君!
おめでとう星野監督!
おめでとう楽天・東北!

 ☆☆
同じく「少し休みたい」と言ったのは、昨日の白鵬です。真っ黒になった勲章(くんしょう)の左目で語るインタビュー、いつもながら感動です。まさかの「新しい目標は、2020年の東京オリンピック」の声は、お客さんの歓声(かんせい)にかき消されるようでしたね。自分の引け際(ひけぎわ)と、お父さんの背中を見ている、その決意にはおおいに学ばされます。そういう気づき方が出来る人なのですね。それをまた自分の飛躍(ひやく)のポイントに出来る人なんですねえ。

〈新〉と〈旧〉Ⅵ  実戦教師塾通信三百十九号

2013-09-25 15:18:48 | 子ども/学校
 〈新〉と〈旧〉Ⅵ

      ~「希望のありか」 その2~


 1 教室という場所


 私が教師になってまだ2、3年の頃だった。小学生で中学年だったその子は、ふだんから落ち着きがなかったが、どうにも止まらないことが何日か続いた。授業中も周囲の邪魔(じゃま)をし、我が物顔にふるまった。腕力(わんりょく)がある子だったので、男子は我慢(がまん)し、女子はなだめるということが続いていた。とうとう私の方が耐えきれず、ビンタをしてしまった。結構な力の入りかただったと記憶している。すると、その子が机の上で泣き崩(くず)れた。さめざめと声なく涙を落とす姿が、私にはとても意外で、困惑(こんわく)した。後悔(こうかい)の念があとから繰り返しやってきた。
 その日のうちに家庭に連絡したかどうか忘れたが、しばらくたった保護者面談の時だったと思う。その子の母親が、ウチの子が万引きをして捕(つか)まったと、私に報告したのだ。私はそれで、またしてもしまったと思った。時期は私がビンタした時とほぼ同じだったからだ。ビンタしたから万引きした、だから失敗したとそんなことではない。自分にはどうにもならないことをその子が抱えていたのに、私が気付けなかったからだ。母親は、万引きの件で目が覚めた、自分があの子のそばにいれば、あの子の気持ちも分かったはずなのに、ここしばらくの間、ちっともかまってあげられなかった、という反省をして帰っていった。私も同じ気持ちだった。
 このことは、子どもは教室の中だけで生きているわけではない、というごく当たり前のことを私に教えた。もっとしっかり子どものことを見ろよ、子どもはちゃんと自分のことを伝えているんだと教えたと思った。この反省が生きたということでもないが、正体不明の出来事は、私を引きつけずにおかないでいる。
 次は中学校でのことだ。2年生を受け持つと、面白い子がいた。男子だ。連絡帳よりはプリントでの連絡、というやりかたが行き渡ってきた時期だと思う。帰りの会で渡されるプリントが5、6枚というのが珍しくなかった。それを渡されると、必ず1~2枚をその子は破った。いや、破ってない。グシャグシャにするのだ。1、2枚は我慢して受け取って、それなりに折るのだが、やがて、顔が歪(ゆが)んで、叫び声とともに紙をつぶてのようにしてしまう。そしてその行為(こうい)の後にカバンに収めるのだ。初めの頃は、この教室内の異変を、周辺のものだけが違和感(いわかん)と共に流していた。しかし、この儀式(ぎしき)めいた出来事は、みんなの注目すべき、そして興味ある出来事に変わっていく。それぐらい本人には制止出来ないことみたいだ、と分かっていく。その日のコンディションや、教室での生活には無関係に、この「プリント処刑」は行われているらしいというクラスの目は、むしろ温かった。私が作る学級便りは、私の思い入れで、いつもプリントの最後に配っていた。今はしまって、家に帰ってから読んでね、の私の声を無視して読み続ける子どもたちがかわいらしかった。しかし、その静寂(せいじゃく)の中で、しばらくすると、ウォ~ッという声とともに、学級便りをグシャグシャにする音が響くのだ。やっぱりやるんだ、という周囲の顔と、そのプリントのしわを伸ばしてカバンに収めてあげるすぐ近くの女子、みんな優しかった。それを確認したあと、我にかえったような、後悔(こうかい)したような本人の顔。
 この「儀式」をしばらくの期間見たあとの私の結論は、

○しつけの厳(きび)しい「母親」が育ててている

だった。そして、もうひとつ、この子が

○「不自由」のない暮らしをしている

だった。
 不自由がない子がどうしてこんな不自由を訴(うった)えるのか、と読者は思うだろうか。この場合の「不自由」は、
「一体なにが不満なのだ」
と、親が思うような生活環境のことだ。そんな場所で子どもが「自由」に生きられるはずがない。この子は裕福(ゆうふく)な家で生まれ、それゆえに母が「行き届いた」育児をしていた。案の定(あんのじょう)、家庭訪問の時、母親は息子のグチばかりを言った。


 2 希望の入口

 この母親は、子育てを任(まか)された責任者として、その仕事を全う(まっとう)していた。三度の食事は丁寧(ていねい)に作り、小さい頃は絵本や遊びにも「手を抜かない」。しかし、私はそこに、「楽しい/幸せな」ことが欠けているように思えて仕方がなかった。これは想像でしかないが、例えば、この子が三歳の時、絵本は「三~四歳児用」のものを与えられ「初めから」「順序にしたがい」読む(聞く)ものだったのではないかと、かんぐってしまう。今は、なんでもことさらに「適正年齢(てきせいねんれい)」やらが設定される時代だ。この子の場合、表紙に見入って先に進めない、などが許される「読み聞かせ」だったら良かったのだが、と思ってしまう。大体に絵本の醍醐味(だいごみ)は、読み聞かせを目的とするものなんかではなく、絵本を楽しむ時の方にある。絵本の世界を共有することの「幸せ」こそ、絵本の楽しみだ。この子は絵本を「つまらない」と言えたのだろうか、とも思った。食べ物で言えば、子どもに偏食(へんしょく)はつきもの、と同じく、本にも本人の好みがあることを分かってもらってただろうか、と私の想像は尽(つ)きなかった。

「過保護(かほご)と放任は同じものだ」

とは、ひと昔言われた。私はこのことを今風に言い替えないといけないと思っている。なぜなら、この「保護」の形が変わったからだ。あの「新聞オレんじゃねえ騒動」があった電車の話に戻して考えよう。システム化された「保護」社会とは、「三人分の優先席」や「点字ブロック」を用意している。「女性専用車両」なんてのまで出現した。「保護」が進んだのではない。社会が、お年寄りや目の不自由な人、そして女性に対して横柄(おうへい)になったから、それらが出来た。正確にいえば、そんなことにかかずらう余裕(よゆう)を人々がなくしたのだ。それだったら社会が代行(だいこう)しましょう、ということになった。ハンディを負った人々が、世の中から愛されているわけではない。
 「保護」とは昔、そんな場面や人に遭遇(そうぐう)した時、あるいはそんな時期に差しかかった時、人々がする自然な気遣い(きづかい)だった。オリンピックの時に言った「hospitality(ホスピタリティ)」を指していた。だから「過保護」とは、そんな時期をもう過ぎたというのに、必要がなくなっているのに、続ける行為(こうい)を指していた。今の「保護」は、「努力の指標(しひょう)」のように思えて仕方がない。すべての福祉設備は
「あとは自分でやってください」
と言っているように見える。それで最近注目したのが、バスにお年寄りをエスコートする車掌(しゃしょう)がついた、というニュースである。高齢者のバス内事故が、バスの停止・出発の時に多いことへの対策だという。車掌が、まだ座っていてくださいとか、席まで手を引いて案内する。昔懐かし(なつかし)、バス内で切符の確認、販売をする「バスガール」(「バスガイド」ではない)を思い出した。ボンネットバスの頃だ。道は舗装(ほそう)もないバンピーな中を、彼女たちはお年寄りや子どもに笑いかけながら、切符を切ってお金のやりとりをした。下こそスラックス(パンツ)だったが、帽子も上着もすべて日本航空のキャビンアテンダントのコピーで、当時は女性あこがれの職業でもあった。これがワンマンバスの登場でいなくなった。まだ小学生でひとりバスに乗った時、持っていたはずの切符を紛失(ふんしつ)し、青くなって一緒(いっしょ)に探してもらったことなど、ほっこりする記憶も数限りない。
 それは、「右に曲がります」「急ブレーキにご注意ください」
というアナウンスや表示を入れても、ノンステップのバスを作っても、車椅子(いす)のコーナーを作ろうが、決して追いつくことのできない世界だ。
「どうしました?」
というバスガールの微笑み(ほほえみ)には追いつけない。

 「希望の入口」には、こう書いておきたい。いつも言っていることではあるが。

○相手(子ども)の言うことをよく聞かないといけない。相手をよく見ないといけない。なぜなら、相手(子ども)は、自分(私たち)の期待している考えや人物であるとは限らないからだ。
○私たちは、相手(子ども)に自分(たち)のことをきちんと伝えないといけない。なぜなら、相手(子ども)は、私たちのことを知らないからだ。

 たったこれだけのことだが、難しい。相手の心を知ることなく、一方的に相手の部屋(心)にずかずかと足を踏み込む(ふみこむ)不作法(ぶさほう)と、その真逆(この言い方キモワル!)の無関心を、今の私たちはしっかりと身につけているからだ。


 ☆☆
白鵬負けましたねえ。あまりの大雑把(おおざっぱ)な取組に、一体なにがあったんだと思ってしまいました。「とったりで、もう勝ったと思ってしまった」という白鵬の談話です。いやあ、「油断」てあるんですねえ。まあいいや、優勝・記録は二の次なんですから。白鵬がどのような「勝負」「技」を見せてくれるか、ですからね。いよいよ後半戦、楽しみです。

 ☆☆
室井佑月のコラム、ネットに載ってました。読みましたか。東京オリンピック開催決定の頃(いや、その決定の日だった)、確かに覚えてます。
「原発事故の責任問わず 菅元首相ら全員不起訴(ふきそ)」
という新聞の見出し。これは、東電株主代表による訴訟(そしょう)です。訴訟の相手は、東電の経営陣(けいえいじん)と、事故後に原発や放射能の安全キャンペーンを担った(になった)学者たち30数人。そして東電本社。なのです。なんと、菅元首相は入っていない! でも見出しは「菅元首相ら全員不起訴」です。
驚きましたね。いやあ、やるもんだ。そして、これがネットのコラムで知らされるという現実です。参った参ったって言ってたらダメですね。

 ☆☆
福島県魚連「試験操業再開」を発表しましたね。あくまで「試験操業」なので「販売して状況を見定める」ということです。福島で確認してきます。ついでですが、どっかの首相が、
「原発は安全、完全にコントロールされている」
と言ったことに対し、規制委員会の田中委員長が、
「首相は福島の魚をたくさん食べてほしい」
と言ったことが『福島民友』で報道されています。田中委員長って福島(福島市)出身だったんですね。

〈新〉と〈旧〉Ⅴ  実戦教師塾通信三百十八号

2013-09-22 12:26:56 | 子ども/学校
 〈新〉と〈旧〉Ⅴ

     ~「希望のありか」 その1~


 1 「頑張れ日本!」?


 前回の「〈新〉と〈旧〉」から一カ月ほど過ぎてしまった。このシリーズのねらいを思い出しておきたい。とりあえず今回は前座(ぜんざ)。
 すでになくなったものは「取り戻せない」。それを取り戻せるという勘違い(かんちがい)は、現実と空回り(からまわり)を続ける。それを「もともとない希望」「初めからある絶望」と言ってきた。私が一貫(いっかん)して受ける感触(かんしょく)は、
「私たちは現実のずっとあとにいる」
ことだ。私たちは、紛(まぎ)れもない現実の中にいるというのに、未(いま)だに現実に追いつけないでいる。その現実にたどり着こうともせず、後をむいて過去にしがみついている日本の現状だ。ちょうどいい、東京オリンピックのことで書こう。
 東京でのオリンピック開催(かいさい)が決定してその後、日本のあちこちでの「頑張れ日本!」の雄叫び(おたけび)は、もう尋常(じんじょう)ではない。そのことをやかましいと言おうものなら非国民扱いされそうな勢いだ。もう一度断(ことわ)るが、私は東京でオリンピックが開催されることを、歓迎(かんげい)まで行かなくとも、良かったと思っている。リアルタイムで、もしかしたら「生」で、世界の水準を確認出来る。記録だけの問題ではない。世界の視線が集中する。その視線を受け止めることがどういうことなのか確認出来る。そしてまた、「生」のもたらすものを検証出来る。マラソンなんかはその最たる存在だ。東京まで電車で揺られて30分、すると「ただで」マラソンが見られる。Qちゃん走らないかな、って無理だって。
 ここ最近ずっと聞かされている「頑張れ日本!」だが、また始まった、また言ってると思ったのは、もちろん私だけではあるまい。「頑張れ」は、「福島(フクシマ)」から「オリンピック」へと雪崩(なだれ)うとうとしている。そんな姿は、すでにそれだけで「日本の姿」をはるか彼方(かなた)に押しやっている。また言うが、私は最終プレゼンを見ていない。皇室の高円宮妃こそあまり出てこないが、他は繰り返しニュースで出てくる。いくつかは覚えてしまった。
「スポーツは私たちを救う …」
「五輪は子どもたちに夢を与える…」
ついでに、
「福島原発・汚染水は完全にコントロールされている…」等々
 宮城出身の佐藤選手もだが、注目されたのが、滝クリこと滝川クリステルの
「お・も・て・な・し」
のようだ。「おもてなし」=「hospitality(ホスピタリティ)」である。それは「service(サービス)」ではないのだ。しかし、「おもてなし」が、今の日本人に果たして理解可能なのだろうか。「ありもしない日本の姿」を想定し構築(こうちく)して行こうというそのありさまは、過去にしがみつきながら、「新しいものを作ろう」というちぐはぐなものになっているとしか私には思えない。


 2 「日本の心」

 「日本の姿」(おもてなし)や「日本の心」は、かつて明治期(開花期)の日本で「当たり前」のように息づいていた。多くの外国人によって、それは報告されている。
            
      小泉八雲(ラッカディオハーン)著『日本の心』

夏の暑い日、宿に着いた客が、女将(おかみ)に縁側(えんがわ)で、団扇(うちわ)の快い風を送られた。How much(いくら)?と聞いたら、女将に不思議そうな顔をされたなどということは、枚挙(まいきょ)にいとまがない。

○エドワードモースが瀬戸内を旅した時、財布(さいふ)と時計を預(あず)かって欲しいと女将に頼んだ。「お預かりします」と、それらをお盆に載せて、鍵(かぎ)などかからない、襖(ふすま)一枚しか仕切るもののないモースの部屋に置いた。もう半分あきらめ、「賭(かけ)」に似た気持ちで出発し、一週間後戻ったモースは驚(おどろ)きにたたずんだ。すべてもとのまま、中味も一セントと変わることなく、それらはお盆の上にあった。

このエピソードが、猪瀬都知事の「東京で財布を落としてもそのまま戻ってくる」という話を思い出したのではないだろうか。私も、未だに日本でそんなことが起こることを信じている。しかし、それはすでに「驚くべき」、あるいは「ニュースな」出来事である。「当たり前の出来事」ではない。その証拠(しょうこ)に私たちは、
「日本、まだ捨てたもんじゃない」
と、その時に思うからだ。

○ラッカディオハーン(小泉八雲)が熊本の村で、殺人犯のしょっぴかれる場面に遭遇(そうぐう)する。遺族(いぞく)である妻とその幼子(おさなご)は、その様子を見ている群衆(ぐんしゅう)の中にいた。すると罪人を連れた刑事が、群衆の中からその母子を呼び出し、幼子に向かってこう言う。
「坊や、こいつが四年前におまえのお父さんを殺した男だ。…略…いま坊やを可愛がってくれるお父さんがいないのは、この男の仕業(しわざ)なのだよ。この男をよく見てご覧。…こわがるんじゃない。つらいかも知れないが、これは坊やのつとめだ。じっと見てご覧」
おそれつつ、じっと罪人を見ていたその子の目から、大粒(おおつぶ)の涙があふれだす。やがて凶悪(きょうあく)な表情をしていた罪人の顔が歪(ゆが)み、ひれ伏して地面に顔をおしつけて大声で泣き始める。そして、周囲の群衆が一斉にすすり泣きを始めた。ラッカディオハーンはこの時、刑事の目に浮かんでいた涙を見落とさなかった。

この頃、日本の人々は子どもを愛していた。私はこの話を読むにつけそう思う。「みんなが」ではなく「みんなで」愛していたのだ。今の虐待(ぎゃくたい)やネグレクトのことを言っているのではない。今は一体に、子どものことを「どうにかしてあげたい」と思う親の少なくなってしまったのを不安に思うのだ。どうにも出来ずに「不憫(ふびん)」だと思う親の少ないことを思う。多くが「どうにかなってしまう」現実だ。それは幸福なことなのだろうか。そして肝心なとき、つまり「どうにもならない時」になると、投げ出してしまう親・社会の現実なのだ。「なんでも与えられる」からこそ、「必ずしも与えられないこと」になると、お手上げ状態になる。

 「おもてなし」の心は、実は貧弱(ひんじゃく)な共同社会の中で強力に育った。傲慢不遜(ごうまんふそん)な姿になった日本が、一体どう「日本の姿」を「取り返せる」というのだろう。「やり直す」しかないのだ。
 では、やり直すにあたって、私たちはどんな手だても持っていないのか。そんなことはない。
 以下、次号で。


 ☆☆
自宅の水道管にひびが入ったんです。二年ほど前らしい。いろんな業者に頼んだのですが「漏(も)れてるのがわずかなんでねえ」と分からず、そのままになってたんです。ところが昨日突然、庭の一角に水たまりが出来たんです。いやあ、直りましたよ。水道の元栓(もとせん)をまめに開け閉めしていたメンドイ生活とやっとおさらば、嬉しいです。

 ☆☆
映画の井筒監督が、東京新聞のテレビ欄コメントを担当してます。このコーナーがいつも面白い。メディアがこういう取り上げ方をしたのは、このコーナーが初めてだと思えます。書き抜きます。
「……たかがオリンピックのために安倍首相が…原発の状況はコントロールされている、湾内で汚染水は完全にブロックされているから東京は大丈夫だと。じゃ、どこは大丈夫じゃないのか教えてくれと思ったが、不利になるのか言わなかった」
溜飲(りゅういん)がさがる思いをしました。

 ☆☆
マー君「負けない」記録を伸ばしましたね。松井のエラー(記録はヒット)で先取点を呼びましたが、逆に今度はなんつーか、マー君が相手のエラーを呼び込むのですかねー。相手が自滅する展開を久しぶりにみました。嬉しい。
頑張れマー君!
頑張れ東北!

あせらずにⅡ  実戦教師塾通信三百十七号

2013-09-18 11:41:51 | 福島からの報告
 オリンピック/選挙/海 その2

            
 いわき沿岸(えんがん)で被災した人たちが中心になって作った、駅前路地(ろじ)の『復興飲食店街 夜明け市場』。「満席御免(ごめん)」とかけられた店の札(ふだ)をみて、「いいなあ、うちもこんな札をかけてみてえよ」と、ニイダヤの社長が言った。


 1 選挙

 福島県の人以外は知らないと思うが、今月8日にいわき市長選挙があった。五大紙の隅(すみ)にはちっちゃく、一応その結果があった。なんと現職(げんしょく)が落ちていた。下馬評(げばひょう)では、現職の再選が濃厚(のうこう)だということを以前書いた。復興バブルを追い風に、土木・建築(ゼネコン)関係団体と、ついでにその絡(から)みで、組合票(くみあいひょう)も持っていったはずだ。でも現職が落ちた。
 以前、もめにもめた双葉町では、結局(けっきょく)現職は立候補せずに、新しくなったことは覚えていると思う。しかし、原発の影響(えいきょう)をストレートに受ける自治体の首長(しゅちょう)選挙で、実はそのほとんどが新しくなっている。現職で再選されたのは、震災から8カ月あとの浪江町。翌年(よくとし)の飯舘村。これは、現職以外は立候補していない無投票当選だった。同じく葛尾村。以上である。あとの、双葉町を始め、富岡町・楢葉町・川内村、郡山市(これは中通り)、そして、今回のいわき市である。広野町は今から二カ月後の11月に選挙となるのだが、もっぱら新顔になるといううわさだ。
 注目しておいた方がいいのは、投票率の低さである。無投票地区以外はことごとく下落(げらく)しているのだ。富岡町にいたっては前回の80%から20ポイントも落ちている。この原因としてあげられるのは、「現状に対する無力感(むりょくかん)」といった、抽象的(ちゅうしょうてき)で、メディアには扱(あつか)いやすそうなものもある。しかしそれが事実だとしても、関連して忘れていけないのは、これら市町村住民の皆さんの多くが、県内や全国の避難先(ひなんさき)に分散(ぶんさん)しているという事実だ。たとえば、楢葉町の町議選のおり、たまたま私は通りがかり、なんでこんなところに、というような山奥に投票所があるのに気がついた。避難する以前は、近所の小学校まで出向いたことだろう。今は、多いところでも100世帯、少ないところでは20世帯というあちこちの仮設住宅や、場合によっては北海道や九州のアパートに身を寄せている。それで一番忘れていけないことは、県内/全国に分散(ぶんさん)した被災者の多くが、「故郷(ふるさと)に帰ることをためらった」結果の投票率ではないか、ということだ。つまり、故郷帰還(きかん)をあきらめる=棄権(きけん)、を選んだということだ。
 さて、いわき市長選挙結果に関する分析(ぶんせき)は、私が聞いた範囲(はんい)では以下のようだった。

○市長は何人も変わっている。逆上って三人目の周辺(しゅうへん)までそれぞれ票(ひょう)を持ってる。それが選挙だ。単純(たんじゅん)なものではない

この考えが従来(じゅうらい)の選挙だったのだろう。しかし少なくも今回は、こんな考えで住民は動かなかった。

○震災後の対応に厳(きび)しい判定がくだったのではないか
○市民グループが「現職市長が震災時にやったこと」というチラシを市内全世帯に配(くば)ったのが効(き)いたのではないか
○出口調査では、若い人が確かに現職でない人に入れたのが分かった

出口調査の場面は、選挙管理委員をつとめた人がそこを見ていたという。様子は筒抜け(つつぬけ)だったようだ。また、現職市長を批判するチラシを配った市民グループが、どの立候補者を支持しているのか、チラシを見た人は覚えていなかった。現職市長が、
「愛人を連れて逃げた」
「どの避難所(ひなんじょ)にも一度として顔を見せなかった」
「メディアに訴(うった)えようとしなかった」
「迅速(じんそく)な対応をしなかった」
という、忘れ難い(わすれがたい)出来事を、住民は思い出し注目したのだ。一つ目以外は、私も実感(じっかん)出来る。
 原発から30キロ圏外にあるとは言っても(久之浜は一部圏内にあった)、いわき市は事故から一カ月、放射能の恐怖(きょうふ)の真っ只中(まっただなか)にあった。何度でも思い出した方がいい。瞬時(しゅんじ)に何万人単位で命を奪(うば)うことになるかも知れなかったあの時のことを。あの3月15日、吉田昌郎所長は、
「決死の覚悟(かくご)をして」
現場にいた3000人の社員・作業員を50人までしぼったのだ。その頃、いわき市の水の配布(はいふ)を広報(こうほう)したのは、ホームページだけだった。広報車が出たのは、その後一カ月もしてからだ。多くの人たち、とりわけパソコンなどに縁(えん)のない年寄りは、「陸の孤島(ことう)」を経験している。間もなくこのホームページは、市長への罵倒(ばとう)で埋めつくされるのだ。
 もう一度言うが、このチラシを配った市民グループが、どの候補者を支援しているか、そのことをチラシを読んだ人たちは覚えていなかった。現職だけはいやだ、といういわき市民の判断だったのではないか。


 2 米・牛・漁師(りょうし)・議会

 まだいろいろな話が聞けた。以下、箇条書き(かじょうがき)で。
①米
広野町でも今年から試験的に米の作付けをやっている。しかし、放射線が不検出でも、生産されさた米は市場にでない。それらは「備蓄米(びちくまい)」となる。
「『備蓄米』ってことはつまり、家畜(かちく)のエサになるってことだよ」
「人が食わねえのを作るってのもつらいもんだよ」
②牛
「自分の牧場使用のOKが出たら、北海道から牛を購入(こうにゅう)しようって考えてんだよ」
「エサは自分とこの牧場の草をやったり、外国からの輸入物(ゆにゅうもの)や、よそのとこのをやったりって、いろいろやるつもりだよ」
「そのエサで牛の乳は毎日変わる。血と同じだからな」
しかし、もと「警戒区域」からの生産物だということで、困難が予想される。農協の力だけでは無理だろう。農林水産省の介入まで必要とされるに違いない。
③漁師
第一仮設の皆さんが、ここのところ漁師(船乗り)に対して、あたりがきつい。
「なんであいつらだけ補償金(ほしょうきん)もらえるんだよ」
「オレたちにゃなんにも入って来ねえ」
「果物や野菜を作ってる人たちもいるんだよ」
「今に始まったことじゃねえ。アタシが嫁(よめ)にきた頃からおかしくなった」
おばあちゃんが嫁にきたのは60年前。漁業権(ぎょぎょうけん)を東電に売る頃だ。
④議会
無所属の佐藤和良氏が、市議会で「損害賠償(そんがいばいしょう)」に関する質問をしている。前にも書いたが、この請求権(せいきゅうけん)は、3年で時効(じこう)となる。これに対する特別な立法措置(りっぽうそち)を要求したものだ。いわき市は国と国会に要望したが、断(ことわ)られている。


 ☆☆
いやあ、台風一過(たいふういっか)ですねえ。台風が秋を持ってきてくれたんですね。とは言っても皆さん、そんな悠長(ゆうちょう)なことを言ってる場合じゃないという人もいると思います。すみません。それにしても、この爽(さわ)やかな風と空、こんな日を待っていたんですねえ。そして、そんな秋がやってきましたね。茄子(なす)を味わうのも今のうちですね。

 ☆☆
ニイダヤ一周年イベント、特売品と試食会と、ヨーヨー釣りなんかでも頑張りました。
いいことありました。仲村トオルからお祝いの鉢植えが届いたことです。観葉植物です。花は咲かないけれど、枯れることなくしっかりと根を張り、成長を続ける、とは仲村トオルのメッセージ。伸びろ伸びろ、頑張ろう、です。
「オレは福島を形どった品物のラベルを変えねえぞ」
という社長でした。頑張ろう、です。
              

あせらずに  実戦教師塾通信三百十六号

2013-09-15 12:12:40 | 福島からの報告
 オリンピック/選挙/海 その1



1 福島の人はおとなしいから


 楢葉(ならは)第9仮設担当の牧場主さんは、区域が変わっていた。第8になったんだよ、行って見てくださいと第9の集会所で言われ、第8に向かう。第8の仮設は、熱心な読者は覚えていると思うが、いわき公園のちょうど谷間にあたる窪地(くぼち)に作られている。いつも通りがけに、道路から見下ろす感じで見ていたので、
「いや、夏は暑いし冬は寒いらしいなあ」
と言われるまでもなく、充分察しがついていた。でもね、と主さんから聞いていたのは、
「ペットが飼える唯一(ゆいいつ)の仮設でさ。そのせいか」
「みんな仲がいいらしいんだな」
ということだった。
 いわき公園でお昼を食べることはあったが、反対側に降りて第8仮設に行くのは初めてだった。駐車場で車を降りてすぐに、下に居並(いなら)ぶ住宅に、私は不思議に、あるぬくもりを感じるのだった。
       

 集会所前の空き地が賑(にぎ)わっていた。歩いていると、懐(なつ)かしや、主さんがちょうどこっちを歩いてくるところだった。少し驚いたような顔をしたあと、よっと手をあげ、入ってよ、と集会所の方を指(さ)した。
 この日はたまたま、会津美里(あいづみさと)からやってくる農家の人たちの「会津美里マルシェ」というひと月に一度のイベントだった。新鮮な果物と野菜が並んでいて、安い。便乗(びんじょう)した私も、安いですね、と言って買い物。リンゴはなんですか、の質問に、津軽(つがる)だよ、と大きい返事が返ってくる。そんな賑(にぎ)わいの写真を撮(と)ろうとも思ったが、まだここで私は新参者(しんざんもの)、やめといた。
            
  リンゴが津軽。洋梨(ようなし)と会津名物の「揚(あ)げ凍(し)み餅(もち)」

 集会所にあがると、主さんが、この人はね、と私を集会所にいた何人かの人に紹介してくれた。相手の人たちは、自分の方はここの住民ていうだけですけどね、と言う。そんなこと言われて、かえってこっちが恥ずかしくなった。私はいつものように、主さんにいきなり核心(かくしん)の話を持っていく。主さんは、そんないつもの流れにまったく不快な顔をしない。そして、この日は初めての人もいたが、話はいつの間にか熱くなった。
「千葉の研究所(放医研のこと)に行ってホールポディカウンター受けたのよ」
「オレは不検出(ふけんしゅつ)だったんだけどさ、別な人は出たんだよ」
「でも、あの頃(2011年夏)の機械は、300ベクレルまでしか検出出来なかったんだよな」
「オレは消防だったから、外にいる時間や場所も他の人と違うってんで、冬に今度は柏崎(新潟)に行かされてさ、今度は出たよ。機械も精密(せいみつ)になってたからね」
 さて、ここから先はオリンピック招致(しょうち)の話題だ。


 2 佐藤雄平福島知事

「堂々としていた」
「立派だった」
どっかの首相が、ブエノスアイレスのプレゼンテーションでぶち上げた演説直後(ちょくご)の反応だ。これはニュースでの街頭(がいとう)インタビューではなく、私の周辺(しゅうへん)での出来事なのだ。東京に決定したあと、首相発言こそ徐々(じょじょ)に取り上げられるようになり、NHKも汚染水問題を特集した。しかし、いやあ、これが日本の現状なんですなあ、と私はおおいに落ち込んでしまった。自分の仲間でさえこんなありさまなのだ。
○原発は我々の制御下(せいぎょか)にある
○原発事故による健康被害(けんこうひがい)は過去も、これからもない
よくもぬけぬけと、と憤(いきどお)ったのは、なんのことはない、少数派(しょうすうは)だったようだ。
 ウソも堂々としているとほめられるものだな、と思ったのは、野田ってのが首相だったときの、
「原発は冷温停止しており、事故は収束(しゅうそく)した」
と、これもぬけぬけと語った(忘れもしない事故があった2011年!の発言だ。12月16日)のと同じだ。あの時、私が信頼(しんらい)を置いていたボランティアの仲間が、
「今までの民主党代表と違って堂々としていたわ」
と、しみじみ言ったことだった。あの時も「演説が堂々としていること」に引きつけられるいまいましさを思った。小泉さんの堂々にはみなさん及ばないが。
 ところで、政権が変わってこの「収束宣言」の責任を問われ、安倍なる人物は
「現政権に言われても困る。前政権に言ってほしい」
とかわした。それでこの首相、今回は野田の後追い(あとおい)したわけだ。東京でオリンピックが開催(かいさい)される嬉(うれ)しさはあるものの、竹田と安倍の発言は許し難(がた)く、胸に煮(に)えくり返っていた。最終プレゼンのニュースが繰り返し流されるが、私はそのたびチャンネルを変えている。
 私は福島に行った先々で
「頭にきませんか?」
と投げかけた。以下、どこの誰が、と記述(きじゅつ)するのは、じれったくもあり、どこかで問題が発生(はっせい)しそうなので、全部シャッフル状態で。
「オリンピックはいいんだけどよ、その前にやっことがあんじゃねえか」
「いやあ、元気にしゃべるなあ」
「どうなんだか」
「エライ人の考えることだし」
「海汚(よご)れてるって、分かってたくせによ」
「そういうことは国会に言って話してくりゃいいんだ」

 途中で私は、どうしても皆さんに
「竹田や安倍の発言に対して、知事や各市町村の首長(しゅちょう)は、おとなしく黙ってたんですか」
と聞いておきたかった。聞いて良かった。佐藤雄平福島知事は、安倍の「原発は完全にコントロールされている」発言の直後、
「日本の首相は、世界に福島の安全を約束する、と発信(はっしん)した」
と言ったそうである。それで、知り合いのいわきの議員さんは「オリンピックを福島復興(ふっこう)の機会に出来れば」と言っていたのだ。そして、朝日放送始めメディアがそれにならう発言で続いた。しかし、福島(いわき)の人たちは、この知事発言を福島放送で見ている。これが全国ネットで流されていないことを知らなかった。そして私たちは、福島放送での佐藤知事のアピールを知らされていない。

 被災者の言葉は続く。
「安倍は四つのウソをついた」
「都知事猪瀬の言い方ならいいんだ。ニューヨークとロンドンと、数値(放射能)は東京も変わってないんだって」
「あの『東京は福島から遠くにあるから安全だ』ってのはなんだよ」
「なんか、あのプレゼンて芝居(しばい)がかってたなあ」
「なに言ったって無駄(むだ)なんだから」
「福島(いわき)の人はおとなしいから」
「なんだ、今年になるまで海は汚れてなかったのかって漁師(りょうし)に聞いたらよ、事故があってすぐに魚はおかしかったとよ。それを捨ててたんだとよ」
この最後の発言(はつげん)に、私は反論こそしなかったが、肯定(こうてい)出来なかった。家庭・工場の雑俳水(ざっぱいすい)が原因の「奇形魚」は、もうずいぶん前から問題になっている。ニイダヤの社長に言わせると、
「養殖場(ようしょくじょう)での奇形魚は、ひどいもんさ」
ということだった。魚を育てる環境(かんきょう)がひどいことと、エサの問題らしい。確かに、密閉(みっぺい)された空間で生き、そこで繁殖(はんしょく)を続けるのは、ひどいということだ。
 私はあちこちでこういう話を聞き、なるほど、簡単なことではない、簡単に変わらないな、と悔(くや)しい思いを抱きつつも、大好きなおばあちゃんが、一番熱くなっていたことが嬉しかった。あんなに恐ろしい思いをした日本、そして福島。でも、これが現状だ。
「もう一発ドンと爆発しねえとダメか」
社長と私は、夜にくだを巻いて言ったものだ。
「どうせなら地元が『早く再稼働(さいかどう)しろ』って言ってるとこが爆発するといいんだがな」
酒の量がかさむ夜だった。


 ☆☆
願わくばあの聖火台でもう一度、と前回書きました。もう一つ。ノーマルな時間での放送を願いたいです。ソウルやペキンの時、欧米(おうべい)スポンサーからの「要望」で、陸上や水泳の決勝が深夜(しんや)や午前に配信されました。ロンドンの時は、毎日私たちは寝不足だったことは記憶に新しいです。衛星放送なんてなかった、前の東京オリンピックとは違うんですよねえ。

 ☆☆
工場再開後の大変な営業。今はそこに追い打ちをかけるような汚染水。でも「ニイダヤ水産」この9月、再開して一年を迎(むか)えました。今日、明日とその一周年イベントです。せっかくの機会を、台風がチャチャ入れてます。今日明日に限らず、これからも「ニイダヤ水産」をよろしくお願いします。一周年のチラシです。