子ども歳時記-夏祭
~「誇り」だ?~
1 教え子たち
夏休み! なんと心地よい響きなのだろう。ここ(夏休み)にはきっと何かがある、と昔、私たちは子ども心に思った。きっとそれは大人が言う「自由」とか「解放感」と呼ぶものだった。草むらや木立(こだち)や沼に私たちが分け入ったのは、その「何か」がそこにあると思ったのではないか、とさえ思える。
お祭りなるものが、その夏休みにあるのだ。なんとお誂(あつら)え向きなことだろうか。鴨がネギを背負って来るとはこういうことを言うに違いない。この千葉の柏でも、明日と明後日の両日、かしわ祭りが開催(かいさい)される。
「先生が見に来んなら、神輿(みこし)を担(かつ)ぎますよ」
と言う教え子は、中学校時代にさんざん暴れた奴だった。そして、その神輿を仕切る中堅(ちゅうけん)の若大将も、私がまだ若い頃の教え子で、中学時代、それは柏で有名を欲しいままにした男だった。みんな夏の演出者として、そして神事の担い手(にないて)として登場する。
2 喪(うしな)ったもの
村の鎮守(ちんじゅ)の神様の
今日はめでたいお祭日
ドンドンヒャララドンヒャララ(繰り返し)
朝から聞こえる笛太鼓 (『村祭り』)
これが私たち世代のお祭である。どうやらこれは、私の絵日記にあった小二の時のお祭の写真と見える。パソコン画面でも分かりづらいと思うが、左側のやぐらのように見えるのが山車(だし)。神輿は右の方に鎮座している。おそろいの法被(はっぴ)を着たたくさんの子どもたちは、神妙(しんみょう)というよりは堂々としている。30世帯ぐらいの小さい集落に、こんなにたくさんの子ども(しかも小学生以下だ)がいた。バックの家の瓦(かわら)のあちこちが割れている。そして、この家の勝手口の見事に崩(くず)れ落ちているのが、右端に見える。そんな生活の中、子どもたちの顔はお祭の喜びに満ちている。集落/町/村がそのまま、風習/俗習を毎年繰り返していた。私は写真の左端で、抜けるように笑っている。この時のみんなは、「今がすべて」で、あとは「失うものと言って何もない」と思っていたかのようだ。朝から興奮の中にあった小さな広場は、夕方になって町に向かう神輿の緊張でもあった。
君がいた夏は
遠い夢の中
空に消えてった
打ち上げ花火 (ジッテリンジン『夏祭』1990年)
好きな女の子を、切ない気持ちでみつめる男の子の歌。
彼が失ったのは彼女だけではない。かつて彼は、
○人ごみの中で彼女の手をとろうとして出来なかった。
○金魚すくいに夢中で浴衣(ゆかた)の袖をぬらす彼女と、それを見るぼく。
○綿菓子買った彼女は友だちを見つけて行ってしまう、置いてけぼりのぼく。
すべてが消えた。
取り返しのつかないすべては、神社の境内(けいだい)の中にあった。
何度も登場する吉田拓郎の『夏休み』にまたお手伝い願う。決して「取り返せない夏休み」がここにあるからだ。
ぼちぼち開花の始まった手賀沼の蓮
麦わら帽子は もう消えた
田んぼの蛙は もう消えた
それでも待ってた 夏休み
確かに今も麦わら帽子はあるし蛙もいる。しかし、麦わら帽子は「貸し農園」を耕す(たがやす)おじさんの頭の上にある。そして田んぼに人影はない。今やそこに麦わら帽子を被(かぶ)った子どもたちは、いないのだ。一体どれだけのものを私たちは手放しているのだろう。
夏のお盆がまたやってくる。このお盆だけは旧暦(きゅうれき)で行われるのだが、多くの祭事(さいじ)は新しい暦の上で過ぎていく。例をとれば、女の子の雛(ひな)の節句に私たちは桜餅を供する。しかし、一体、この頃に桜は咲かない。この節句のひと月あと、ようやく桜は開花するのだ。生産活動も含めた自然の条件を、私たちはことごとく手放している。村と神の作り出す「村祭り」から始まり、うつろうものを喪失(そうしつ)した拓郎の「夏休み」、そして、ジッテリンジンの「(ふたりの)夏祭」へと、私たちは突き進んできた。
それでも私たちは遠くなった夏休みを喜ぶ。神社のお祭では、やはりケンカ/博打(ばくち)/恋にお咎め(とがめ)がない。そんな中で夏祭を慈(いつく)しむのだ。
3 『若者たち』
『若者たち2014』、やはり古い。その古さは置いとくとして、前述(ぜんじゅつ)した1966年の元祖『若者たち』に、「祭りの夜」だったかいう一話があった。今回の記事の流れとして、書いておきたい。よくも覚えていると思うくらい鮮明(せんめい)に覚えている。
元祖版『若者たち』
四男(松山省二)が、べそをかいて家にもどって来る。祭りの境内でかつ上げされたというのだ。ケガはないかと心配し、警察に届けましょうと言う長女(佐藤オリエ)を押し退(の)け、次男(橋本功)は、キサマそれでも男かと四男を罵(ののし)る。三男(山本圭)は、自分も中学生の頃に似たような経験があるが、その時は戦ったと言う。さて、長男(田中邦衛)は、
「オマエの気持ちはよく分かる」
「でも、そんな奴らは虫けらだ。気にすることなんかねえ」
「今にオマエは立派になって、そいつらを見返せばいい」
と言う。長女もそれにならう。しかし、それを後ろで聞いていた三男が決心したように言う。オレは嘘(うそ)をついていた。不良(昔は悪ガキをこう言った)たちと戦ったというのは嘘だ。あいつらの言われるままに、川の中で石を頭の上に持ち上げ、ずっと立っていた。もういい、とそいつらが言ってくれるのを、ひたすら待っていた。
「オレはあの時のことを今でも思い出す」
「そしてあれで良かったのかって思うんだ」
「どうして戦わなかったのかって思うんだ」
「人間の誇り(ほこり)っていうのはさ、あとでなんとかなるってもんなのか?」
「今を逃したらどうしようもないってこともあるだろう!」
暴力はやめて、と長女が間に入ろうとするがきかない。四男はやがて、祭り囃子(ばやし)の響く夜へと飛び出すのだ。
しばらくして、顔をはらし地を這(は)うようにして四男が帰って来る。大丈夫?としがみつく長女。よくやったと讃(たた)える次男。こんなことになってどこがいいの?と長女に責められ、三男は立ち尽くすのだ。
ドラマの終わったあと、「むやみにケンカするのはやめましょう」という、取ってつけたような字幕が流れたのも覚えている。
「ホコリ(誇り)って? ゴミのこと?」
「プライド? なんか疲れません?」
私は、今どきのこんな若者たちの反応を思い出す。そうだよな、と私は思う。なんにも分かっちゃいない大人たちが「人間としての尊厳(そんげん)」などと言う。場所もタイミングも、そして相手も見ずにいうしょうもない大人(私はこんなやり方に「因縁(いんねん)をつける」との訳をしている)に、多くの若者は答えているように見える。その大人たちの「おせっかい」は、傷つくことを恐れその道を回避(かいひ)してきた若者には、たまらなく「疲れる」ことで「面倒な」ことなのだ。まあ、私は腰抜けな連中を擁護(ようご)するつもりはないんであるが。
それでもやっぱり夏祭はやってくる。町と神社で浴衣の袖をぬらす少女が金魚をすくい、雄叫び(おたけび)をあげ練り歩く男たちは、神輿を担ぐのだ。その姿は、まるで喪(うしな)った時を取り戻そうとするかのようだ。
☆☆
前回ブログ絵日記の七月二十六日(つまり、ちょうど58年前!)のところに、
「カメラで、しゃしんをうつしてもらいました。……おしろいのとこがかい(ゆ)くなってふいてしまいました」
とありました。多分この写真のことです。座っているのが私。立って私の肩に手を置いているのは、隣の家のノリちゃん。野球がうまくて手先が器用で気持ちの優しい、もう私のあこがれのお兄さんでした。
☆☆
『若者たち2014』、瑛太演じる次男にも、どうもあんまり期待できそうにないですね。この流れの古さをちゃんと書いた方がいいのかな。先週出た「偽善(ぎぜん)」ってセリフ、もう死語ではないのですかね。「いい/悪い」という選択肢(せんたくし)は、かなり前に力を失っています。それに先週のラストって、元祖版の映画第二弾『若者はいく』のラストとぴったり重なっちまいました。長男の妻夫木が、次男を侮辱(ぶじょく)した社長をなぐるって、ちょっとショートし過ぎだろう!って思っちゃいましたが、違いますかねえ。
☆☆
昨日の白鵬、いやあ驚いた。琴奨菊の塩を待たずに、自分が先に塩を振りました。横綱が先に、なんですよ。琴奨菊に合わせるのでなく、自分からいったんですねえ。「勝ちにいく気か」と、私は目を疑ったのですが、立ち会いもそのあとも「自分の相撲」に徹(てっ)したのだと思います。あの「小手なげ」、もう「一本背負い」みたいだったなあ。
☆☆
やっぱりガザのこと書いておきます。あの地域の子どもたち、そしてあの地域は、このままだったら世界と人類へ、不信と絶望を育てて行くしかない。我々はなにをしても許されるという、そんな権利を彼らは手にしつつあるのでしょうか。村上春樹がイスラエルの受賞あいさつで言った、
「私たちは壁にぶつかっていく玉子の方を支持する」
とは、今どんな方向と方法を示すのでしょうか。
~「誇り」だ?~
1 教え子たち
夏休み! なんと心地よい響きなのだろう。ここ(夏休み)にはきっと何かがある、と昔、私たちは子ども心に思った。きっとそれは大人が言う「自由」とか「解放感」と呼ぶものだった。草むらや木立(こだち)や沼に私たちが分け入ったのは、その「何か」がそこにあると思ったのではないか、とさえ思える。
お祭りなるものが、その夏休みにあるのだ。なんとお誂(あつら)え向きなことだろうか。鴨がネギを背負って来るとはこういうことを言うに違いない。この千葉の柏でも、明日と明後日の両日、かしわ祭りが開催(かいさい)される。
「先生が見に来んなら、神輿(みこし)を担(かつ)ぎますよ」
と言う教え子は、中学校時代にさんざん暴れた奴だった。そして、その神輿を仕切る中堅(ちゅうけん)の若大将も、私がまだ若い頃の教え子で、中学時代、それは柏で有名を欲しいままにした男だった。みんな夏の演出者として、そして神事の担い手(にないて)として登場する。
2 喪(うしな)ったもの
村の鎮守(ちんじゅ)の神様の
今日はめでたいお祭日
ドンドンヒャララドンヒャララ(繰り返し)
朝から聞こえる笛太鼓 (『村祭り』)
これが私たち世代のお祭である。どうやらこれは、私の絵日記にあった小二の時のお祭の写真と見える。パソコン画面でも分かりづらいと思うが、左側のやぐらのように見えるのが山車(だし)。神輿は右の方に鎮座している。おそろいの法被(はっぴ)を着たたくさんの子どもたちは、神妙(しんみょう)というよりは堂々としている。30世帯ぐらいの小さい集落に、こんなにたくさんの子ども(しかも小学生以下だ)がいた。バックの家の瓦(かわら)のあちこちが割れている。そして、この家の勝手口の見事に崩(くず)れ落ちているのが、右端に見える。そんな生活の中、子どもたちの顔はお祭の喜びに満ちている。集落/町/村がそのまま、風習/俗習を毎年繰り返していた。私は写真の左端で、抜けるように笑っている。この時のみんなは、「今がすべて」で、あとは「失うものと言って何もない」と思っていたかのようだ。朝から興奮の中にあった小さな広場は、夕方になって町に向かう神輿の緊張でもあった。
君がいた夏は
遠い夢の中
空に消えてった
打ち上げ花火 (ジッテリンジン『夏祭』1990年)
好きな女の子を、切ない気持ちでみつめる男の子の歌。
彼が失ったのは彼女だけではない。かつて彼は、
○人ごみの中で彼女の手をとろうとして出来なかった。
○金魚すくいに夢中で浴衣(ゆかた)の袖をぬらす彼女と、それを見るぼく。
○綿菓子買った彼女は友だちを見つけて行ってしまう、置いてけぼりのぼく。
すべてが消えた。
取り返しのつかないすべては、神社の境内(けいだい)の中にあった。
何度も登場する吉田拓郎の『夏休み』にまたお手伝い願う。決して「取り返せない夏休み」がここにあるからだ。
ぼちぼち開花の始まった手賀沼の蓮
麦わら帽子は もう消えた
田んぼの蛙は もう消えた
それでも待ってた 夏休み
確かに今も麦わら帽子はあるし蛙もいる。しかし、麦わら帽子は「貸し農園」を耕す(たがやす)おじさんの頭の上にある。そして田んぼに人影はない。今やそこに麦わら帽子を被(かぶ)った子どもたちは、いないのだ。一体どれだけのものを私たちは手放しているのだろう。
夏のお盆がまたやってくる。このお盆だけは旧暦(きゅうれき)で行われるのだが、多くの祭事(さいじ)は新しい暦の上で過ぎていく。例をとれば、女の子の雛(ひな)の節句に私たちは桜餅を供する。しかし、一体、この頃に桜は咲かない。この節句のひと月あと、ようやく桜は開花するのだ。生産活動も含めた自然の条件を、私たちはことごとく手放している。村と神の作り出す「村祭り」から始まり、うつろうものを喪失(そうしつ)した拓郎の「夏休み」、そして、ジッテリンジンの「(ふたりの)夏祭」へと、私たちは突き進んできた。
それでも私たちは遠くなった夏休みを喜ぶ。神社のお祭では、やはりケンカ/博打(ばくち)/恋にお咎め(とがめ)がない。そんな中で夏祭を慈(いつく)しむのだ。
3 『若者たち』
『若者たち2014』、やはり古い。その古さは置いとくとして、前述(ぜんじゅつ)した1966年の元祖『若者たち』に、「祭りの夜」だったかいう一話があった。今回の記事の流れとして、書いておきたい。よくも覚えていると思うくらい鮮明(せんめい)に覚えている。
元祖版『若者たち』
四男(松山省二)が、べそをかいて家にもどって来る。祭りの境内でかつ上げされたというのだ。ケガはないかと心配し、警察に届けましょうと言う長女(佐藤オリエ)を押し退(の)け、次男(橋本功)は、キサマそれでも男かと四男を罵(ののし)る。三男(山本圭)は、自分も中学生の頃に似たような経験があるが、その時は戦ったと言う。さて、長男(田中邦衛)は、
「オマエの気持ちはよく分かる」
「でも、そんな奴らは虫けらだ。気にすることなんかねえ」
「今にオマエは立派になって、そいつらを見返せばいい」
と言う。長女もそれにならう。しかし、それを後ろで聞いていた三男が決心したように言う。オレは嘘(うそ)をついていた。不良(昔は悪ガキをこう言った)たちと戦ったというのは嘘だ。あいつらの言われるままに、川の中で石を頭の上に持ち上げ、ずっと立っていた。もういい、とそいつらが言ってくれるのを、ひたすら待っていた。
「オレはあの時のことを今でも思い出す」
「そしてあれで良かったのかって思うんだ」
「どうして戦わなかったのかって思うんだ」
「人間の誇り(ほこり)っていうのはさ、あとでなんとかなるってもんなのか?」
「今を逃したらどうしようもないってこともあるだろう!」
暴力はやめて、と長女が間に入ろうとするがきかない。四男はやがて、祭り囃子(ばやし)の響く夜へと飛び出すのだ。
しばらくして、顔をはらし地を這(は)うようにして四男が帰って来る。大丈夫?としがみつく長女。よくやったと讃(たた)える次男。こんなことになってどこがいいの?と長女に責められ、三男は立ち尽くすのだ。
ドラマの終わったあと、「むやみにケンカするのはやめましょう」という、取ってつけたような字幕が流れたのも覚えている。
「ホコリ(誇り)って? ゴミのこと?」
「プライド? なんか疲れません?」
私は、今どきのこんな若者たちの反応を思い出す。そうだよな、と私は思う。なんにも分かっちゃいない大人たちが「人間としての尊厳(そんげん)」などと言う。場所もタイミングも、そして相手も見ずにいうしょうもない大人(私はこんなやり方に「因縁(いんねん)をつける」との訳をしている)に、多くの若者は答えているように見える。その大人たちの「おせっかい」は、傷つくことを恐れその道を回避(かいひ)してきた若者には、たまらなく「疲れる」ことで「面倒な」ことなのだ。まあ、私は腰抜けな連中を擁護(ようご)するつもりはないんであるが。
それでもやっぱり夏祭はやってくる。町と神社で浴衣の袖をぬらす少女が金魚をすくい、雄叫び(おたけび)をあげ練り歩く男たちは、神輿を担ぐのだ。その姿は、まるで喪(うしな)った時を取り戻そうとするかのようだ。
☆☆
前回ブログ絵日記の七月二十六日(つまり、ちょうど58年前!)のところに、
「カメラで、しゃしんをうつしてもらいました。……おしろいのとこがかい(ゆ)くなってふいてしまいました」
とありました。多分この写真のことです。座っているのが私。立って私の肩に手を置いているのは、隣の家のノリちゃん。野球がうまくて手先が器用で気持ちの優しい、もう私のあこがれのお兄さんでした。
☆☆
『若者たち2014』、瑛太演じる次男にも、どうもあんまり期待できそうにないですね。この流れの古さをちゃんと書いた方がいいのかな。先週出た「偽善(ぎぜん)」ってセリフ、もう死語ではないのですかね。「いい/悪い」という選択肢(せんたくし)は、かなり前に力を失っています。それに先週のラストって、元祖版の映画第二弾『若者はいく』のラストとぴったり重なっちまいました。長男の妻夫木が、次男を侮辱(ぶじょく)した社長をなぐるって、ちょっとショートし過ぎだろう!って思っちゃいましたが、違いますかねえ。
☆☆
昨日の白鵬、いやあ驚いた。琴奨菊の塩を待たずに、自分が先に塩を振りました。横綱が先に、なんですよ。琴奨菊に合わせるのでなく、自分からいったんですねえ。「勝ちにいく気か」と、私は目を疑ったのですが、立ち会いもそのあとも「自分の相撲」に徹(てっ)したのだと思います。あの「小手なげ」、もう「一本背負い」みたいだったなあ。
☆☆
やっぱりガザのこと書いておきます。あの地域の子どもたち、そしてあの地域は、このままだったら世界と人類へ、不信と絶望を育てて行くしかない。我々はなにをしても許されるという、そんな権利を彼らは手にしつつあるのでしょうか。村上春樹がイスラエルの受賞あいさつで言った、
「私たちは壁にぶつかっていく玉子の方を支持する」
とは、今どんな方向と方法を示すのでしょうか。