実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

「ここだけなのよねえ」  実戦教師塾通信三百九十五号

2014-06-29 11:33:48 | 福島からの報告
 「ここだけなのよねえ」
    ~醤油をめぐる気持ち~


 1 「そうだったのか」

 車でも吹き飛ばされそうな豪雨の中をいわきに着いた。着いたらまず、旅館「ふじ滝」で新聞を見るのが日課だ。
「中間貯蔵運搬『不安』75,3%」
こんな見出しが飛び込んできた。『福島民報』の県民世論調査結果が、この日のトップニュースだ。高線量廃棄物(はいきぶつ)は3500万トンで、十トンダンプを使った場合、三年間で運搬を終えるためには、一日三千台が必要になるという。ダンプの渋滞(じゅうたい)はもとより、事故によって放射能が拡散(かくさん)する、という不安を県民のほとんどが持っている、というニュースだった。ちなみに次の日の『福島民友』のトップは、
「常磐道 楢葉IC18年開設へ」
だった。覚えているだろうか。安倍首相は東日本大震災から3年目を迎(むか)えるその前日に、
「常磐道全線開通を『来春まで』」
と、記者会見で表明した。私は高線量の「帰還困難区域」ど真ん中を、そのままのルートで高速道路を再開するという、会見での発言を、あの時信じられない思いで聞いた。
         
写真がこの『民友』の記事である。携帯では分からないと思うが、第一原発の双葉・大熊町の開通は、来年のゴールデンウィークとなっている。安倍首相の見通しの通りだ。その再開工事も高線量下でされるはずなのだ。開通後、今度は、
「高速で通り過ぎれば怖くない」
ということなのだろうか。
 この間の首都圏のトップニュースは、都議会やじ/憲法解釈/ワールドカップ/脱法ハーブだった。もちろん『民報』も『民友』も、それらを掲載(けいさい)している。しかしやはり、この違いに驚く自分なのだった。


 2 「お茶やってったら」
 プールの始まったすぐ隣の東小学校から、黄色い歓声(かんせい)が響いてくる。この日は夏を思わせるような日差しだった。
「日焼けを心配するような年でもないでしょ」
麦わら帽子とタオルで「完全武装」したおじちゃんに、受け付けの彼女が言うもので、
「ショックだなあ」
と、配布の手伝いをしてくれるおじちゃんが笑う。
           
お醤油を乗せたこの台車なのだが、そのおじちゃんが作ったものだ。板金の工場に勤めていたおじちゃんは、手が空(あ)くといろいろなものを作っていた。
「でも、津波でみんな流されちまった」
そして、この台車だけが高いところに置いてあって、
「これだけ引っ張って逃げたんだよ」
と言う。頑丈な造りの台車は、二百個近い醤油を乗せた。
 ちょうど医者帰りのところだったり、外にいたりという人には、おしゃべりしながらそこで渡せる。最近、銘柄(めいがら)やパッケージを見て選ぶ人が増えた。外だと段ボールの中を見られる。キッコーマンがいい、また反対に嫌だのと、楽しそうだ。
「千葉の人?」
「千葉は醤油が美味しいのよねえ」
「いつもありがとうございます」
のいろいろな声。
「ホントにいいんですか」
と言うのは新しく引っ越して来た人。その中、
「ここだけなのよねえ」
という声。入り口の奥を見ると、この部屋の友だちなのだろう、
「私は大熊なのよ」
と、笑いながらその人が言うのだった。
 大熊の人が「醤油を」と言うのか、と私は思う。支援の「醤油一本」が持つ意味をあらためて考えてしまう。やはり「たかが醤油一本」ではない。
 半分を配り終えたあたりで、さっき道で渡したおばちゃんが追いかけて来る。
「部屋にもどったら部屋にもあったんだよ」
と言う。返しに来たのだ。

 部屋の奥からおばちゃんがゆっくり出てくる。
「お茶やってったら」
「っても、今日は無理げ?」
ご近所さんが、奥で笑っている。
 そしてまた、昨年の暮れのあの夫婦の部屋を再び訪(おとず)れることが出来た。床に額(ひたい)をすりつけてお味噌のお礼を叫んだあの時の夫婦は、よく見たら親子だった。
「いくらですか」
私が醤油のお届けを告(つ)げると、年老いた息子さんはそう言うのだった。定期的にしている支援ですから、と私は答える。その後、暮れの時とまったく同じことが起こった。私はまたしてもあわててそこを立ち去りそうになった。でも、次の日が東京からお医者さんのやってくる日だということを思い出した。
「なにか心配なことがあったら、相談するといいですよ」
いいお医者さんですから、と言えた。よかった。


 ☆☆
「おかげさまで売れ行きはいいよ」
と、広野の人たちが、お米のことを言ってました。でも、まだスーパーに置くまでにはなっていないということなのです。たった50ベクレルということで、
「この辺の人たちは山菜も食べてるんだよ」
と、さばけた様子で、そんなことも話してくれました。

 ☆☆
マー君、負けました! 残念。クウォリティスタートとやらで、マー君はすごい新記録を刻(きざ)んだようですが、いやあ悔しい。ホームラン二本で取られた二点。それに今日のヤンキースはまったく打てませんでした。たったの一点は、ヒットなしで取ったんじゃなかったっけか。う~ 残念。
なんか、さんまが言ったとかいう「にわかファン」が話題になってますね。日本のサッカー熱に対するコメントだったらしい。「別ににわかだろうが、いいじゃないか」というのがおおかたの反論らしいですね。まったく事情は知りませんが、さんまは選手の大変さを思って言ったのではないか、と勝手に思っています。
それにしても、評論家ってヤですねえ。結果が出てから言うもんで、自分は絶対傷つかない。いい気なもんですよ。初めから言えよ、ですね。

 ☆☆
予定通りこのブログ、次回からは週一回、金曜日の発行とします。今後ともご愛読のほど、よろしくお願いします。

いじめ好き?嫌い?  実戦教師塾通信三百九十四号

2014-06-25 11:56:08 | ニュースの読み方
 あなた、いじめやめますか?人間やめますか?
    ~上げ底化される議論~


 ☆☆
都議会のヤジ、都議会は、
「ヤジ再発防止案採択」
なんだそうで。まあいつも通りというか、あいまいになりそうですね。いつもここで言ってますが、問題が明らかにならないうちに「再発防止」は不可能なんですよね。「謝罪」や「辞任」も、問題が解明された後でないといけないというのに、やはり今回もさっさと「謝罪」だ「辞任」だとなってます。「なぜ?」を簡単にやめてはいけませんよ。あの時どっと沸(わ)いた都議会議場の不可解を、なんとかしないといけないですよ。
「いつも彼女をかわいいと思っていたもので」
「ヤジられた彼女の困った顔を見て興奮してしまって」
「原稿をまる読みする彼女が初々(ういうい)しくて」
等々というこいつらの胸の内を聞きたかった。ま、無理なんだけど。
 この件でましなのは、こういう時に必ず原則的な態度を示す自民党の野田聖子。
「非常に不愉快だ。私もこういうことと戦ってきた。男の本音(ほんね)が通用する時代ではないと思った方がいい」
と言ってますね。
 それにしても「セクハラやじ」が、どうしても「セクハラおやじ」に読めてしまうのはなぜでしょう。
 

 1 輸送兵

 日本が平和憲法を施行した直後の朝鮮戦争時(1950~53)、日本が出兵したことはあまり知られていない。海上保安庁のからの派遣(はけん)となっているが、そこで旧帝国軍人が徴用(ちょうよう)され、機雷を片づける掃海(そうかい)活動に従事し、死者まで出している。前線で戦ったものまでいるらしいが、明らかにされていない。ついでだが、今の自衛隊の前身である警察予備隊が発足(ほっそく)するのは、この時と同じ1950年だ。また、日本が次に機雷の撤去(てっきょ)活動に従事するのは、この50年後のペルシャ湾でのことだ。
 空前の朝鮮特需(とくじゅ)のおかげで、私たちは武器・弾薬の材料となる金属を道々で探しては拾(ひろ)った。「屑屋(くずや)」に持っていけば、私たちのような子どもでも、またどんなに少量でも買い取ってくれたからだ。銅は倍の金額だった。私たちの小遣いをそれで十分まかなえた。
 平和憲法は、
「帝国日本の武力を完全に抹殺(まっさつ)する」
ことが目的のひとつとなって出来たのは間違いない。しかし朝鮮戦争での出来事は、平和憲法が生まれた当初からすでに、
「後方支援」
の足かせとなっていたことを示している。
 昨年の暮れ、自衛隊が韓国軍に銃弾を提供した件を覚えているだろうか。南スーダンの治安悪化に伴い(ともない)、PKOに参加していた韓国軍が、国連を通じて要請(ようせい)したものだ。なぜかそんなに大きく報道されなかったが、この時のいきさつも結果も、実に示唆(しさ)に富んでいる。
 これは日本の自衛隊手持ちの銃弾が、人を殺傷(さっしょう)されるために使われる、という事態だったのだ。もちろん銃弾提供は日本の法律では「やってはいけない」ことだった。しかし緊急性(きんきゅうせい)が高いという判断のもと、これは、
「例外的措置(そち)」(武器輸出禁止三原則)
「物資協力」(PKO法)
として行われた。

 これを踏まえて考えてみたい。私たちの多くは知らないが、国際軍、そして自衛隊法では、武器や弾薬のみならず、医療器具・薬品、そして食料さえも前線に運搬する時、それに従事するものは、
「輸送兵」
として位置づけられている。立派な兵隊なのだ。こういう活動自体、立派な「参戦」として位置づけられている。驚いた方がいいのは、こんな基本的な言葉で今回の「解釈改憲」の議論がされてないことだ。


 2 検証のない議論
 このところ話し合いとなっていた「魚雷の掃海」だが、1991年のペルシャ湾での自衛隊による魚雷撤去活動は、戦争が停止したあとやられた。しかし、今回の掃海活動は、
「戦時中でも」
行うとしている。それが、
「国民の幸福にかかわる重要な案件」
という理由からだ。
 また、少し前に、
「日本の人質を助けたアメリカ艦を守れないのか」
なることが議題となった。私たちはこの時、2004年に高遠さんたちがイラクで人質になったことを思い出したはずだ。あの時、高遠さんたちを、
「非国民」「自己責任」
とけなした連中が、今度は、
「助けないといけない」
と言っている。しかし、だ。これらのことについて、私たちはどれほどの意見を聞けただろうか。前者については、わずかばかり。後者の議論にイラクでの事件はうってつけの例だったはずなのに、議論はちっともされなかった。
 なぜか。簡単なことだ。国会の責任を負う連中の誰もが、これらのことについてきちんと検証してこなかったからだ。仮に野党の誰かが質問したとして、
「あれ(イラクの事件)は、自作自演でないのか」
なんて政府から切り返されたらどうしようなんて二の足踏んでいるのは間違いない。だから、その議論の幕を切って落とせない。


 3 「後方支援」
 韓国軍へ提供された銃弾がその三週間後、年が明けて日本のもとに返されたことは覚えているだろうか。その返却理由は、韓国側が、
「日本からの援助を受けることは、屈辱(くつじょく)に耐えない」
としていたことが興味深い。
 さて、今回のブログの標題へと移る。
「平和憲法を守れっていうのはみんな朝鮮人らしいぜ」
「原発再稼働反対するのは中国人」
などと、ネット上でうろついてる連中がいるらしい。これは見かけ上、憲法や原発のことを取り上げているように見える。しかし、ここでこいつらが迫(せま)っているのは、
「オマエは中国人(朝鮮人)か、それとも日本人か」
ということであって、憲法や原発ではない。議論が出来ない、あるいは議論を必要としない状態を作り出し、結論を押しつけている。こういうたぐいを私は「踏み絵」と言ってきた。
 この「踏み絵」に似た状況が、今回の「解釈改憲」の議論で生まれているなあ、という思いを禁じえない。そして、子どもを取り巻く環境の中で、
「あなた、いじめやめますか。人間やめますか」
なる言われ方をしてきたことを思い出す。やはり社会は議論を上げ底して来たのだ。


 ☆☆
そんなわけで、与党内で繰り広げられている論戦で一番まっとうなのは、
「何をそんなに急いでいるのか」
という公明党の主張だと思われます。公明党よ踏ん張れと願っている自分に気づき、私は愕然(がくぜん)としています。

 ☆☆
日本負けましたね。
「期待が大きすぎるよ」
と言っては仲間から顰蹙(ひんしゅく)をかっていた私です。本田はじめ、選手たちの掲(かか)げた「優勝」は、今となっては辛さを味わうものとなってしまいます。が、とにかく熱狂のスタジアムを見ることが出来ただけでも(もちろんテレビで)、私は感謝ですね。
それより、マー君、いつの間にか二敗目喫(きっ)しました。なんてこった。しかも、ニュースちっちぇえ。3失点。味方の援護(えんご)があったら、と思わなくもないけど、終わったことを切り換える名人のマー君です。また「反省」後の次を楽しみにしてますよ。

 ☆☆
7月からブログ発行を金曜日だけにしたことについて、
「もっとちゃんと読める」
「今までどおり週二回発行して欲しい」
などという、いずれもありがたい意見をいただいています。
頑張ります。

「死に損ない」(補)  実戦教師塾通信三百九十三号

2014-06-22 11:13:59 | 子ども/学校
 「死に損ない」(補)
     ~「思いがまま」の時代~


 1 「立ちふさがる現実」

 私たちがこんな悪ガキへの実際対応をどうやってきたのか、そのことから始めたい。自書『学校をゲームする子どもたち』(2005年刊)への補足(ほそく)でもある。
 授業によってはタバコもありなん、同じく授業中に昇降口や特別教室、そしてフェンスもない校舎のひさしへと、自由に出没(しゅつぼつ)する連中の修学旅行をどうするのか、私たちは議論した。連れて行って、連中が面倒(めんどう)を起こさないはずはなかった。しかし、私たちをなめきっている連中が、同時に修学旅行を楽しみにしていることは確かだった。さらに、「なめきっている」ことも「楽しみにしている」ことも、保護者は分かっていた。つまり、まずは連れて行くこと、これは私たちの「責任」であり「仕事」だった。このことがひとつ目の確認だった。だから、連れて行くにあたって、
「しないといけないこと」
「出来ること」
を、私たちは話し合った。まず、
「面倒を起こした時は、京都まで保護者が迎(むか)えに来て、本人を連れ帰ること」
と、保護者にお願いをした。そこまではならないと思いつつも、私たちの胸の内を伝えることは必要だった。この措置(そち)は私たち学校の「無能」を意味する。だから「お願い」なのであって、保護者を一方的に責めるわけにはいかない。次は「面倒」の定義(ていぎ)である。つまり、どんな場合「強制帰還(きかん)」となるのか。それは保護者から任(まか)された。それくらいに私たちは、双方で情報を共有しあっていて、信頼を得ていた。ここをきちんとしないと、「モンスターペアレント」問題が発生する。それゆえこの時は、
「ご迷惑をおかけしています」
という気持ちが保護者にあったわけである。
 次は困った連中へこの「強制措置」を伝える。そして連中への「警告(けいこく)」作業に移った。機会ある度(たび)にしつこく言わないといけない。タバコを見とがめて、
「連れて行かねえから」
授業でエスケープ(脱走)すれば、
「京都でそんなことする気か。連れて行かねえから」
を繰り返した。保護者には逐一(ちくいち)の報告と面談。その度に連中は、
「こっちは金払ってんだ」
と鬼の首をとったように毒づく。それで私達は、
「金なんか返すから。連れて行かねえから」
と応酬(おうしゅう)しないといけなかった。実際お金を返却するとなれば、そうとう煩雑(はんざつ)な手続きと混乱が生じたのだが、言わないといけなかった。
 こんなふうに少しでも、連中に「覚悟(かくご)」を促(うなが)した。気がついたと思うが、これらの作業はこいつらを、
「連れて行かずにすませる」
ものではなく、
「なんとか連れて行きたい」
という思いに支(ささ)えられていた。間違いなく行った方がいいのだ。そして、こうした作業は極(きわ)めてわずかではあっても、「変化」を生むのである。
 勝手放題のこいつらに必要なのは、自分たちのわがままが通らない、「たちふさがる現実」とやらを知ることなのだ。
「それでいいのか」
と、私たちが説(と)いたところで、こいつらは、
「別に」だの、
「普通/フツー」
だのと、宇宙語を発するだけだ。どっこい「そうは問屋(とんや)が卸(おろ)さない」という世界を、私たちは示さないといけない。
 「死に損ない」の学校では、連中に「反省文」などと言ってるようだが、まったく意味ないぞ。またしても大人の「お仕着せ」だ。どうせやったところで、出来上がったものには「別に(特に)ありません」なるメッセージが、行間(ぎょうかん)にあふれ返る。こんなものにどんな「明日」があるものか。


 2 「思いがまま」の現実
 我が塾生や近いところから、しょうもない話が多く舞い込んでくる。
「ラインのゲームで先輩と知り合った」
「ネットで自分の写真を投稿した」
「北海道に彼氏が出来た」
中には深刻(しんこく)な事態になったものもあった。遠距離恋愛とは呼べないだろう。声も、そして実物こそないが、他はなんでもありの「ディープなお付き合い」だ。メールでの立ち入った(打ち解けた?)内容は、次第に画像に過激(かげき)さを加えていく。確かに「ディープ」なのだろう。とんでもない画像は、男の嬉しさ余りに、やがてそいつの友人のもとに届く。ことは「お付き合い」ではすまなくなった。
 要するに、今という時代が、
「思いがままに」
「いとも簡単に」
「現実が手に入る」
かのように、私たちには思えている。スマホさえなかったら、定年を目前にしたお父さんが、駅で女子高生を盗撮したりしない。二十年前にそれをやろうとしたら、マーガリンのケースサイズのカメラを階段下で構(かま)えるしかない。それをまた写真屋で現像(げんぞう)してもらうしかない(ポラロイドカメラというのもあったが)。とてつもない道のりだ。出来るはずがない。お父さんたち(に限らないが)は、妄想(もうそう)にはげむしかなかった。しかし、時代は変わったのだ。そして、子どもたちにはまるで、
「現実が思いがままになる」
かのように見えている。


 3 「手応え(てごたえ)のある現実」
 若いものを使う、中堅の経営者の話だ。20代の連中の気持ちがさっぱり分からないという。言ったことが通じない、まして言われたことに想像や工夫を働かせる、なんてまったくありえないという。しかし、悪気があるわけではないんだな、という。
 ところがある日、
「コーヒー買って来ましょうか(飲みますか)」
と、その若者のひとりが言った。いや、驚いた。本人は何気なく言ったらしいが、こっちはびっくり仰天(ぎょうてん)だった。すると、こっちが驚く様子を見て、また向こうが驚いた。そして、えらく感激したらしい。という話だ。
 そういうつまらない、いや、ささやかな「人との会話/人の面白さ」を、今の若い連中は経験していない。「手触り(てざわり)/手応えのある現実」を知らない。この若者はその入り口をくぐったのだと、私は思った。
 希望はあるのだ。


 ☆☆
都議会のヤジ事件面白いですね。
「こんなおおごとになると思わなかった」
「もし私だったら謝罪(しゃざい)しないといけない」
等々と、本音がボロボロ出てしまってて、いやあ笑えます。こういう時、片山某や高市なんだかっていう「重鎮(じゅうちん)」は黙ってますね。あとからものものしく出てくるんだろな。

 ☆☆
「手術後の本田を出すな」とかいう声がネット上を賑(にぎ)わしているそうですね。日本が予選リーグを突破できなかった時のネガティブな反応を考えると、ヤですねえ。しかも最後の相手はコロンビアだし。「ゴミを片づける日本のサポーター!」と、世界に驚きを呼んでいるというのに、変なゴミ落とすなよってことですね。

定住の地  実戦教師塾通信三百九十二号

2014-06-18 11:18:24 | 福島からの報告
 定住(ていじゅう)の地


 1 「仕方のないこと」

 私の敬愛する先輩は、官民による木質バイオマス燃料事業を立ち上げている、と以前紹介したと思う。この先輩は「ニイダヤ水産」の干物をすこぶる気に入ってくれている。私は年に二回、干物を送ることにしているが、いつもその礼状と言える返信が圧巻(あっかん)である。今回はその一部を載(の)せようと思う。先輩は岩手の内陸に住んでいるのだが、住居は一部、墓は全壊(ぜんかい)という地域である。「当事者」として言えることがこの返信には充満(じゅうまん)していて、むしろ安心感を覚えるはずである。

「岩手ではやっと『いわゆる支援者』群が希薄(きはく)になってきて、私は結構なことと思っているのですが」
「NHKを初めとするマスコミはそれを『被災者が忘れられ始めた』なんて上から目線の『警鐘(けいしょう)』を垂(た)れ」
「テレビにアップされる仮設住人も言葉を合わせたように『もう忘れられたのではないかと寂しかったが、今日、こうやって支援してもらって元気がでました』なんて言わせる定番『ニュース』をずっと流しています」
「岩手のように核被災がなく、今年度末までには復興住宅が続々完成し、仮設住まいが大幅に減ると言われているようなところでは、これまで3年以上慣(な)れ親しんだ偶然の仮設コミュニティの分解と個々の将来設計について、当事者にそろそろ人生の決断をお願いする時期になっているというのが実感です」

「上から目線の『警鐘』」なんていうくだりに、私は溜飲(りゅういん)を下げる思いであった。「どうにも仕方のない」ことまで、「これでいいのだろうか」なる無責任な物言いに、私はほとほといやになっていたわけである。
 その点、第一仮設のおばちゃんたちは、いつも笑みを絶(た)やさない。月に一度、浄土宗のお坊さんたちが慰問(いもん)に来る。その時お坊さんに、
「あなたはどうしてここ(仮設住宅)に来てるんですか」
と、私は尋(たず)ねられたことがある。
「おばちゃんたちがどうしてあんなにいつも笑っていられるのか」
それが知りたくて、と答えたことを、以前ここに書いた。それは今もそうだ。おばちゃんたちは、今日という日を、秋、そして来春の引っ越しの時まで運んでいる。
      
      ようやく住居部分の工事が始まった久之浜復興住宅


 2 「新しい仕事」
 そして方や、その「核被災」の渦中(かちゅう)にある人の話である。

「光合成(こうごうせい)によってできるもの、つまり『花』『実』は無事でも、下から吸い上げる水を養分の中心してできる『山菜』や『竹の子』はだめらしいんだ」
楢葉の牧場主さんは言う。
「では、自宅の牧草を食べさせた牛からは、セシウムが検出される、ということになるんですか?」
私は躊躇(ちゅうちょ)しながらも聞く。主さんは、ゆっくりうなずいた。自分の農地で自分の牛から乳を搾る(しぼる)という、主さんの楽しみにしていたことは、最新の調査で分かってきたことによれば、暗い先行きのようだ。
「セシウムの満ちた水田で、それらをゼオライトで吸着(きゅうちゃく)し、カリウムを与える」
ことで、放射能のない米が収穫(しゅうかく)できるという、前も話したマジックのような話だ。これは、
「そんな苦労をしたところで、果たしてどれだけの消費者が購入してくれるのか」
という生産者の不安を呼ばないわけはない。この話には、まだ苦労の種があることを主さんは教えてくれた。
「稲(いね)がカリウムと間違えてセシウムを取り入れないように」
「カリウムを休みなく水田に満たさねえといけねえんだよ」
「川からの水を取り入れる前に、その吸水口(きゅうすいこう)に、フィルターの取り付けもやんねえといけねえ」
そして、線量検査もただではないことを、前にここでも書いたと思う。「核被災」のないところと比べれば、それはもう、
「高くつく米になってしまう」
のだ。それでまたここで米の市販(しはん)を始めた広野のことを思い出してもらう。そこでは、広野から遠い人たちが、
「安全なんだからどうして買わないんだろう」
と、決して自分では買わないで思う。その一方で販売者は、
「私達は食べないよ」
なんて言ってる。
 双葉郡で、再び農業を継続(けいぞく)する考えのある人たちが、びっくりするぐらい少なかったアンケート結果が報道されている。主さんが言う。
「そのうち国は、オレたちに『農業をあきらめろ』って言いそうな気がすんだな」
でもさ、と主さんが続ける。
「毎日仮設住宅で、こうしてみんなの様子を見て回ってるけどさ」
「自分でなにやってんだ、いつまでこんなことやってんだって思うよ」
「この先『新しい仕事』っていうけどさ」

「中年をすぎた我々が、知らない場所で『新しい仕事』ってのはないよ」
「自分の農地/牧場が、オレたちにはあるんだよ」

またしても私は、押し黙るしかなくなる。


 ☆☆
「集団的自衛権」そして「平和憲法」についても書いたらどうか、と言ってくださる方もけっこういらっしゃいます。もちろん憤懣(ふんまん)やるかたないという思いもありますが、ブログ以外に、やることがかさんで来ました。
なわけで、このブログも来月から週一回(金曜日)だけの発行にしたいと思っています。その分、一回分の内容はさらに充実させようと思っています。どうぞ引き続きご愛読のほど、よろしくお願いします。

 ☆☆
サッカー熱で日本中がうなされていますが、私は昔からサッカーを「見る」のがだめなんです。今回登場してもらった岩手の先輩と同じく、まだ学校教育で認知されなかった頃、私はサッカーに興じていました。サッカーを「する」のは大好きなんです。
なわけで、今日もマー君勝ちそうですね。先日打たれたホームランに関して、
「あの球は失投ではありません。あの球を打たれたら仕方ないですね」
と言えるマー君なんですねえ。11勝が待たれます。

 ☆☆
前回の「死に損ない」記事に、予想していた反応ありでした。中傷(ちゅうしょう)する内容ではありません。私も補足が必要だと思っていました。ありがたいです。
次回はそんなわけで、「死に損ない」の続きといたします。

「死に損ない」  実戦教師塾通信三百九十一号

2014-06-15 11:48:30 | 子ども/学校
 「死に損(そこ)ない」
    ~「現実」に追いつけない学校化社会の「現実」~


 1 8,6/ハチロク

       
 これが言わずと知れた「ハチロク」である。エンジンはスバル(富士重工)、ボディがトヨタで共同開発した新型だ。それは初期型と比べて燃費がよくなったとはいえ、とても「エコ」を語るものではない。コンセプトは「スポーツカー」なのだ。
 老人にも若い世代でも売れ続けている、この車のあるキャンペーンのいきさつをご存じだろうか。
「ハチロクには8月6日がふさわしい」
というものだ。「8月6日」とは、誰もが記憶するあの広島に原爆が落とされた日だ。トヨタは、このキャンペーンにあたって広島の関係者に了解をとりつけたという。この「場違い」とも言えるキャンペーンが、どのように提案され議論されたのか、私達には分からない。しかし、ハチロクは「8月6日」のCMで、堂々と比叡山を走った。ドライバーはなんと、前回ブログで登場いただいた、誉田屋源兵衛さんなのだ。
 はっきりしていることは、トヨタが「ハチロク」を示すにあたって「8月6日」を回避(かいひ)しなかったことだ。あるリスク、というより「無礼(ぶれい)」がここで発生する。そのことに向き合わないといけない、と考えたことだ。つまり、
「私達(トヨタ)は、むろん忘れてはいない」
ことが、前提となった。広島とトヨタの両者で「日本の過去と未来」が語られたことも疑いない。舞台は比叡山で、着物職人がドライバーだ。


 2 「回避する」
 トヨタが「回避しなかった」こと対して、今回の「死に損ない」暴言をめぐるやりとりには、「回避する」ことが満ち満ちている。
 報道の伝えることが事実としてだが、校長のコメントは想定内と言えるものだ。今回の出来事は自分の学校の生徒が起こしたというのに、おそらく無意識ではあるが、校長はその事実を「回避」した。「普通」だったら、校長は、
「許せない」「情けない」「申し訳ない」
と言わないといけない。しかし、校長は、
「許されることではない」
なる「客観的(きゃっかんてき)」表現をした。誰が許されないかって、その中に校長自身が含まれるというのに、「自分が恥ずかしい」気持ちのまったく見えない発言は、当事者であることを「回避する」習慣が出来上がっているからだ。
 まだある。出来事の原因は、校長が言うような、
「長崎/戦争の悲惨(ひさん)を教える事前の学習が不十分だった」
からではない。学校は「長崎を教える」前にやるべきことがあった。例えばそれは、
○ものごとにちっとも関心を持てない
○相手の気持ちを分からず
○自分の気持ちもはっきりしない
しょうもない生徒の現実に向き合うことだ。それを学校は「回避」した。いや、もしかしたらやっていたのかもしれない。しかし、それは徒労(とろう)に終わったはずである。今回の結果がそれを示している。その時は長崎行き、あるいは語り部による体験は「断念」するしかなかった。私は学校の人間だから分かるが、そういう結論はかなり前に出せるものだ。しかし、学校は生徒たちの現実を「読めない」まま計画を進めた。その結果、生徒にとって戦争や長崎が、
「お仕着せ」
になった。修学旅行として「場違い」なところに連れて行かれた生徒は、そこで「場違い」を演じる。「連れて行けば変わる」と思ったのだろうか。「命の大切さ」がこんな時言われる。人間としてそれでいいのか、などと言われる。そんないい加減ででたらめな見通しを許す現実ではなかったはずだ。
 それでもチャンスはあった。すでに全体説明会の時、語り部(かたりべ)が、
「話を聞かないなら、出てもらっていい」
と注意している。生徒を連れて来てしまったのだから、学校としては「出てもらう」わけには行かない。学校/教師は(一部)生徒の動きに向き合うチャンスをもらったと考えないといけなかった。登山で一部生徒が行方不明になったのと同じに考えていい。登山は中止だ。「行方不明になった生徒」という現実に向き合わないといけない。せっかくこちらが頼んだというのに、それでは語り部に対して失礼だなどと学校が言うのは間違いない。そして、
「まじめに聞いている生徒もいた」
などと言う。ひっくり返ってるよ。失礼は語り部だけに対してだけではない、「まじめに聞いている生徒」に対しても降りかかってるというのに、だ。暴言ガキや下着姿になったとかいうこのガキ共の失礼を止めるためには、とりあえず、
「すみません、いったん話をやめてもらえますか」
と、語り部に頼むしかない。そしてこの場を、悪ガキ処理への場に向かわせないといけない。どうせこいつらの失礼の動機は、
「大人/学校を困らせる」
といったものだ。「死ぬ」の「生きる」のと、まったく分かってない連中だ。それを「死に損ない」と言ってみたかった。一番いいのは、この悪ガキと語り部がみんなの前で、
「なぜ死に損ないか」
の話し合いをするのがいいが、間違いなくこの悪ガキも学校もそれを「回避」する。だからとりあえず、この失礼をまずは止めないといけない。
「すみません、いったん話をやめてもらえますか」
である。


 ☆☆
東京新聞はこの出来事に対して、
「ヘイトスピーチと同根」
なんて言うんですよ。な~んにも分かってないですね。私はこのことが許されるなどと言ってはいませんよ。でも、あの悪ガキどもの行動が「弱者を排除する」という積極的なものを動機としているとは思えません。マルクス主義健在なり!と、いまいましく思うわけです。

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夏の訪れを告げる手賀沼です。
      
「ワニ亀」が手賀沼でつかまりました。ニュースにもなったらしいですね。この日、トレーニングに出かけた私も、この「大捕り物」に遭遇(そうぐう)したんです。水辺にたくさんのお巡りさんと釣り人たち。すわ、水難事故かと思いましたよ。やがて、一メートルぐらいの檻(おり)に入れられたそれは、まるで泥のかたまりでした。とても身体に引っ込めそうもない太い首/顔には、すんごいキバ/歯がでてました。困った飼い主が無責任に捨てたんでしょうねえ。怖い怖い。