告発の行方
~囚われない場所へ~
☆初めに☆
兵庫県と知事の間で行き違いがある、という内輪もめが三日前の報道です。一方で、知事問題で旗振り役となった「NHKから国民を守る党」の立花孝志氏が、大阪の岸和田市の市長に立候補しています。ご本人は当選する気はありません。女性問題から不信任決議を受け失職した現職を「二馬力選挙」で応援するのです。千葉県知事選挙で現職熊谷知事の応援を申し出て断られてから、一体何日過ぎたかなと感心してしまう。今回の記事は、この人物を批判するものではありません。この立花氏の生き様は、決して荒唐無稽・無節操と片付けるわけには行かない気がしています。私たちと、この人物の交錯する場所が確かにある、と感じています。違いと出口を確かめないといけないと思ったのです。
1 元県民局長の「私的文書」
3月16日に行われた千葉県知事選挙に向ける公報が、県内向けの別刷りで発行された。四人の立候補者の中に立花孝志氏はいた。二馬力選挙を断念した立花氏に公約らしきものは見当たらず、もっぱらメディア・テレビ批判に集中している。それも、兵庫県庁の問題が中心となっている。読んで思わず、記事の後半部分に注目する。
「自殺した元県民局長が不倫をしていたこともテレビは報道しません。……おかしな状況を広く県民に知らせるために正義の内部告発をした増山誠県議は、維新の会から処分されました」
立花氏周辺を散策していた人たちに、この程度は周知だったのかもしれない。一方そうでない私たちは「県民局長パソコンの私的文書」とは、これだったのかと思ったはずだ。また「増山県議による正義の内部告発」とは、文書を立花氏にリークしたことを指すと思って間違いない。興味深いのは、この千葉県知事選挙告示日の一週間後、兵庫県知事が記者会見上で「元県民局長がわいせつな文書を作成していた」ことに言及。さらに「この文書を公開する」としたことだ。ほぼ同時期、兵庫県と千葉県両方で故人(元県民局長)の「道義性」を巡って同じ動きがあったことになる。
2 「個人情報の保護」「情報の共有」
差し当たって遠く離れた私たちでも、執拗に指摘された知事にまつわる多くの出来事、
手土産のおねだり/職員に舌打ち/駐車場から20m歩かされて叱責
程度は、歴代の知事もやってたんではないかと思ったはずだ。森加計の公文書改竄問題とは、恥ずかしいぐらいレベルが違う。その出直し選挙で、斎藤知事は公用車のセンチュリーをワンボックスカーに変えた、財政改革で100億の貯蓄などの成果があったと訴え、毎朝駅頭に立ち県政の混乱をわび県民に頭を下げた。「私的文書」にまつわるスキャンダルは、恐らく地元の人間ならとっくに知っていた。そのスキャンダルが「2馬力選挙」応援演説で繰り返し大音量で喧伝されたのも疑いがない。立花氏は「大手メディアやテレビは、どうして真実を隠蔽するのか」と叫喚した。知事は自らの成果を上げ、立花側は元県民局長の不徳を暴いて見せた。全く違う二つの戦術が、選挙の中でうごめいた。結果は現職の圧勝である。一方で、私たちの中に生まれた奇妙な納得感と、やり場のない苛立ちが続いている。的確な判断に必要な慎重さと、結論を急かせて生まれる誤謬(というより「憎しみ」)が、私たちの間でせめぎ合っている。立花氏が言うような「隠蔽」とまで行かないが、「一体なにをやってる」「はっきりしなさい」という気持ちが、私たちの中で続いていた。これは、長年にわたって積み上げてきたツケが回って来た、というのが私の結論だ。
立花たちが行ったのは「情報の共有」ではなく「表現の自由」だ。「情報の共有」とは、その場の問題解決に必要な手立てのことだ。今回の場合、私たちに必要だったのは何か。第一は元県民局長の告発を「共有」することだった。しかし、それには元県民局長のスキャンダルも「共有」しないといけなかった。その上で、知事が批判していることは元県民局長の人格に関することであって県政とは別な問題だ、という展開をしないといけなかった。告発内容としては(失礼と思いつつ)些末と思える内部通報の対極で、知事は通報者探しをし懲戒処分まで出した。陰湿でルール違反と言える展開を許したのは、情報の「保護」と「共有」の仕切りが出来なかった、その覚悟がなかったからだ。「何かあったらオレが責任を取る」と言って、前に出ないといけなかった。誰かが、またはどこかの部署が、あるいは県民の誰かが言わないといけなかった。この場合、守られるべきだったのは、元県民局長の告発であり身分だ。知事側は元県民局長が守られるような人間ではないという攻撃をした。そして告発を退けたのである。かくもの混乱の原因は、確信犯(知事)側にはない。プライベートな醜聞に二の足を踏んだ県庁や議会にある。通らないといけない道だった。
また言うが、学校は子どもの「個人情報保護」を優先することで、外に「情報の共有」を求めることがなくなった。家庭も同じく「家庭内の問題」として「相談」という「情報の共有」をしなくなった。「大きなお世話」をするためには、私たちに多大な努力が必要なのだ。東日本大震災の時、犠牲者が集結する体育館にやって来た遺族が、対面して確認したいという申し出を断られた理由が「個人情報の保護」だった驚きを、私たちは再度「共有」するべきだと思う。多くの遺体の面貌がさらされるという「善意」が理由だったと記憶している。「そんなバカなことがあるものか、何かあったらオレが責任を取る」という責任者か部署が出たのだろう、いっときの出来事だった。「個人情報保護」を名目に、責任回避と仕事のスポイルが社会に蔓延している。しょうもない「表現の自由」が、その傍らで進んだのだ。
☆後記☆
そんなわけで、多くの病巣はSNSにあるという見方に、私は余り与しません。岸和田市長選挙に立候補した立花氏が先週の立候補者演説集会で、涙ながら「怖かった。政治活動は止めたい。救急車がすぐに駆け付け病院に保護された時は本当に有り難いと思った」と会場で語ったというニュースを見て、ほほ笑んだ私はいけないでしょうか。
ハクモクレン。手賀沼湖畔です。春ですね🌺
修了式も終わって、先生たちの異動も発表になりました。職員室の机も慌ただしく動き始めます。生徒もまばらな学校は、新しい季節を迎える、寂しい時期でもあるのです🏫