実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

EV 実戦教師塾通信八百五十八号

2023-04-28 11:45:03 | ニュースの読み方

EV(電気自動車)

 ~F1から「ヨーロッパの傲慢」を見る~

 

 ☆初めに☆

今月半ばに、札幌でG7環境相会議が行われました。電気自動車の開発が「日本は遅れてる」との批判が目立ちます。日本の報道側でも批判しているのです。欧米が電気自動車の導入目標を盛り込むように迫っていますが、日本は抵抗しています。まるで日本がクリーンな世界の邪魔をしているかのように見えます。そうなのでしょうか。

 

 1 ホンダへの挑戦

 2020年10月、ホンダは突然のオンライン記者会見で「今回は2050年、カーボンニュートラルの実現という新たなチャレンジにリソースを傾けるという判断をしましたので、F1再参戦のことは考えておりません」と発表する。完全撤退宣言である。カーボンニュートラル、すなわち脱炭素社会を目指すため、ガス食いレースF1を止めようというのだが、これはウソだ。同じくとてつもなくガソリンをまき散らす、アメリカでのインディレースは継続したからだ。事実、ホンダのF1へのエンジン供給は嬉しいことに、今も続いている。ホンダのエンジン供給停止は、確かに時流に押されて発表した感はある。しかし、F1は、モナコグランプリに代表されるヨーロッパの文化なのだ。これが大事。

「オマエ、レースはいつやめるんだ?」

4代目の社長(川本信彦)に、本田宗一郎が言った。1986年、ホンダがF1の16戦中15勝と圧勝した年のことだ。ヨーロッパで日本人がいつまでも勝っていいわけがない、ということだったらしい。国際自動車スポーツ連盟(FISA)は、ルノーやフェラーリが勝ってる時には静観するものの、そうでない時は黙っていない。この時期ホンダ常勝の源だったターボエンジンを禁止したのも、ホンダにストップをかけたいFISAの戦略だった。

86年ウィリアムズホンダ。1000馬力オーバーのエンジンが載った車体は、軽乗用車並の540㎏だった。

 

 2 セナ対プロスト

 レースファンでなくとも、1989年・鈴鹿グランプリでのアクシデントを覚えている人は多いはずだ。マクラーレンホンダを操縦するセナとプロストは、傍目から見ていて良好な関係とはとても言えるものでなく、マシンの性能に差がある等々の言い争いは両者間でいつも絶えなかった。チャンピオンシップの争いも激しく、鈴鹿ではそれが最終周の最終シケインでの両者・両車の衝突となった。セナが無理に内側に入ったのかプロストが強引にセナを押し出したのか、今でも議論になっている。トップでチェッカーフラッグを受けたセナは、のちに失格となる。

セナのマシンが、最終シケインでプロストに突き進もうとする瞬間。

プロストはリタイアして車を降りるも、セナはマーシャル(係員)に押し掛けを要請しレースに復帰したのが失格理由とされる。この時プロストはパドックに戻らず、悠然とFISAのいるコントロールタワーに向かった。この時のプロストの直訴が、FISAの裁断を促した。以前も書いたと思うが、セナの常に口にしていた言葉は、

「僕たち(非白人)がジャングルで生き残ろうとしたら、ライオンを百頭殺さないといけない」

だった。ちなみにセナはブラジル人、プロストはフランス人だった。

 

 3 もったいない

 電気自動車(EV)を積極的に推進したヨーロッパは、脱炭素社会へとかじ取りをしたかった、のか。ヨーロッパが、ハイブリッド車で日本に引けを取らない車を作っていたのなら、そう認めてもいい。しかし、ヨーロッパのハイブリッド車の燃費は、どう頑張っても日本車より3~4割ほど悪かった。これで、不安定なオイル価格を理由とするのではなく、グリーン革命の呼び声を利用したと言っとこう。そこにウクライナ戦争という乱入もあり、石油はさらに不安定&高騰する。声はさらに大きくなった。日本は何をやってる的呼び声に、肩身の狭い思いを強いられたわけである。

 ところが最近、様子がおかしい。ヨーロッパは、エンジン車の生産を継続するという。この動きは、二酸化炭素を排出しない燃料(e-Fuel)の登場もあるが、エンジンを必要としない車のおかげで、労働者の大量解雇が進んでいることが大きい。エンジンがなくなれば、燃料タンク・ホース・スパークプラグ・コード・プロベラシャフト、マニアックにはデファレンシャルギヤなんぞという、かなりハードな部品も含め全て要らなくなる。関連工場が要らないという、大変な社会的損失となっている。フランスは年金問題もあるぞ。そして、ウクライナ戦争は、燃料ではない次元のものをもう一歩進めた。それまでの中国と西側ーとりわけアメリカーとの関係を再考するように迫ったのである。バッテリ―に必要なリチウムの多くを、中国に依存しているからだ。電気自動車はバッテリーが燃料だ。トヨタの佐藤恒治新社長の「脱炭素は目的だが、電気自動車は手段の話」と言ったように、電気自動車は脱炭素戦略のひとつに過ぎない。大体が、電気自動車の大量生産と関連システムの変換で、環境にどれほど負荷をかけているのか、私たちは考えないといけないはずだ。いま乗ってる車、まだ使えますよね?

「もったいない」のです。

 

 ☆後記☆

F1は全くテレビで見られなくなりました。巨額な配信料金の問題は、テレビかネットかという通信の未来がネックのようです。どっちでもいいから、もっと開いてくれよ~

 ☆☆

コロナのおかげで、4年ぶりかなぁ。剛柔流・杉並本部道場に行ってきました。懐かしい顔や新しい顔。みんなにこやかで、嬉しかった。私の身体の柔らかさに、皆さんから感嘆の声をいただきました。先生が言うのは、コトヨリさん身体は柔らかいけど頭が固くてと、やっぱりバレてるんです

これは正面の神棚。左は剛柔流の開祖・宮城長順。右側は創始者・山口剛玄。その下が、若い時の二代目(現在)・山口剛史先生です。そう言えば祀られている神様を聞きませんでした。八幡神だったのでしょうか。

一昨日から福島に来てま~す


躾 実戦教師塾通信八百五十七号

2023-04-21 11:25:55 | 子ども/学校

躾(しつけ)

 ~芹沢俊介さんたちとの対話(下)~

 

 ☆初めに☆

高齢者の暴走による交通事故、それもひどく重篤な事故が続いています。一方で、親からの乳幼児虐待が後を絶ちません。両者ともに、「家族の力のなさ」と言えるでしょう。岸田総理が襲撃されました。安倍元総理の時のように「言論の危機」だの「民主主義の危機」だのと騒いでる連中はほっときましょう。信用できるのは「今の段階で言えることはない」と言ってる人ぐらいです。安倍元総理を襲撃した山上容疑者は、家庭の崩壊を恨んだ犯行だったのは皮肉としか言いようがない。自民党が制定を目指した、伝統的な家族観を重視する「家庭教育支援法案」は安倍元総理の肝いりの政策であり、統一教会=「世界平和統ー家庭平和連合」が目指すものだったからです。

前回に続き、芹沢さんたちとの座談会を振り返ります。今回は、家庭の躾について考えます。関連して、ついこの間、柏市の校長先生が話していたことも報告します。参考になると思います。いい話なんです。

 

 1 精一杯の親

 前回と同様、私の勤務校での話。(斎藤)次郎さんが、悪ガキどもの保護者はどうだったのかという私への質問。

斎藤 親として僕が聞いたらさ、自分の子がそういう状態だと聞く……大変だと思うよね?

琴寄 夜なんだけど……授業エスケープやタバコの常習者の親だけ集めて話す時もいっぱいあるんですけど……。いつごろからこうなったんでしょうかとか、どうにか出来なかったんでしょうかと。申し訳ないという親もいるし。

斎藤 どうにか出来なかったでしょうかって親が先生に言うの? 琴寄さんが親に言うわけじゃないのね?

琴寄 それは言わない。どうしようもなかったと思うもん。多分親も精一杯やってるんだろうと思ってね。でも、授業が面白ければこんなことにはならなかったんじゃないかって言う親もいたから……それは違う……そういうエネルギーではないって言いますよ。その辺よく分かってる親もいるけど、学校は何とかできなかったのかと思うみたい。

芹沢 でもさ、一見大変なことのように見えるけれども、大したことないよなというか……そういうことはそのぐらいの時期にやっといた方がいいんじゃないという、ひとつのプロセスという感じもまたもう一方でするのね。

タバコだのエスケープだのって話はさすがに時代を感じるが、親の子どもへの精一杯は時代を超えたことである。今風な虐待にせよパチンコ三昧にせよ、周囲からどんなに理不尽に見えても、親は精一杯か「仕方がなかった」のだ。自分が育てられたように、親は子どもを育てるという。「ゲームをしていて、ミルクを忘れる」ような親の下で育てば、子どもは物心つく前からゲーム機かタブレットを抱える。そうして人を認識する技術も理由もない子どもに育ち、現実と仮想現実との区別につまずく。しかし、同時にその子の親は、自分が育てられた時、親がテレビやビデオにかまけて放置されたりした。こんな親の「精一杯」は、例えば、パチンコの「あと少し」「まだ大丈夫」や「こんなことになるとは思わなかった」等に現れる。実際、ひどい家庭環境にあるはずの子から「抱っこ」をせがまれたりする時がある。これは、この子に愛された時間があった証拠だ。いや、今も愛されている時間があるのかもしれない。

 

 2 子どもらしさ

 柏市内の校長先生と話した。いい話がありましたよと言われた。生徒が来て「先生はどうしてこういう名前なのか」と、自分の名前の由来を尋ねたらしい。先生は、自分の親が「千人の子を幸せに出来るように願った」からだと答えたそうだ。するとその子は「だからこの学校に来たんですね」と言ったという。千人を擁する学校なのである。一方で、これは「千」という数字を概念化出来ない、まだ小さい子の話なのだ。親の躾のせいでしょうか、と校長先生は言った。そうなのだろうか。座談会の話に戻ります。次郎さんの言ったことを、どうしても蒸し返したい。

斎藤 ……だって、全体として幼児っぽいじゃん、(悪ガキの)やってらっしゃることが。ねえ?保育園の子がやってればさ、おかしい、かわいいなって言って済むことだよね。……まあ幼児だとひとしきり思いっきり遊べば、「さあ、ちゃんと手洗ってご飯よ」「はーい」という感じで気分が切り換えられて、やっぱり……その子の生活基盤が安定するわけですよね。その時に、そういう声にも背いて、……それ以上がんぱっちゃうと後が寂しくなるということをやっぱり子どもは保護されるものの直感として知ってて、いい子でありたい、みたいにね。

次郎さんの子どもへの、こんな絶妙に密着した目線にはいつも感心するばかりだった。「さあ、ちゃんと手洗ってご飯よ」「はーい」が全てである。「子どもがこどもらしくある」とは、こういうことだ。これを親の躾とは言わない。子どもの力というものは、親から注がれる愛情によって自然に「育つ」ものだ。親が「育てる」とは似て非なる、全く異なるものだ。精一杯頑張ってるお母さんお父さん頑張って、とエールを送ります。

 

 ☆後記☆

四月は校長先生が変わる学校も多く、私なりの挨拶回りも結構なものです。大体が楽しい(「楽しかったです」と言われるのです)。子ども食堂の様子を聞いて「そうだったんですか!」と驚いてくれる先生も。実態を知らないというより、しっかり聞いている印象が強いのです。今年度もよろしくお願いします、という校長先生もありがたいです。

秋の見事な紅葉の銀杏を、以前ここに載せました。同じ学校です。新緑が空の青に映えます

先週のこども食堂「うさぎとカメ」です。本降りの雨の中、たくさんの子どもたちが吉野家さんの牛丼を食べて行きました。危うく足りなくなる勢いに、嬉しい悲鳴です。たくさんあった手作りの上履き入れや数々の学用袋も、ありがとうございますの言葉を置いて、全てもらわれて行きました。感謝です。いい新学期でありますように

ズラリと並んだ牛丼。左側のテーブルには、これから竹の子の煮物が用意されます

 


退屈 実戦教師塾通信八百五十六号

2023-04-14 11:25:58 | 子ども/学校

退屈

 ~芹沢さんたちとの対話(上)~

 

 ☆初めに☆

「チャットGPT」が話題になってます。喧騒と言っては失礼ですが、いいのか悪いのかという議論です。そんな議論をよそに、このITの新しい現実が構築・蓄積されるのは間違いないと思われます。「スマホ脳」で立証済みなことは、それによって道具として活用する人たちと、道具に支配される人たちに二分されたことです。「調べたい」「知りたい」動機の軽重によって、この二極化現象が生まれました。「真実を知るなら、ネットで知るからいい」(欅坂・46)圧倒的な人々を、私たちは知っているはずです。この二極化した現実を、チャットGPTがさらに広げるのは間違いありません。芹沢俊介さんを追悼しながら、積極的・肯定的な道を見出したいと考えます。

 

 1 持て余す時代

 20年近く前、是枝監督の『誰も知らない』が公開された年の暮れ、池袋の書店で座談会があった。メディア上に現れる子どもの事件や現象を、ずっと追っていた芹沢俊介。子どもに密着し続け子どもを見守り論評して来た斉藤次郎。中学校教師の私、の三人である。翌年、この座談会がきっかけで、私の『学校をゲームする子どもたち』が発行となった。お二人の力添えがなかったら、この本はなかった。この場を借りて、改めて感謝したいと思います。

 私の話に対しとても新鮮だったと、(斎藤)次郎さんが言ったのは「退屈している子どもたち」というフレーズだった。それまで、子どもの実態や事件を語る時に使われたのは、同じ「屈」でも「鬱屈」とか「屈折」というもので、この頃頻発していた子どもたちの事象、例えば「成人式を台無しにする袴を着た成人」など、どこか滑稽さを思わせるものを説明するにはどこか不満を感じていたという。それがこの「退屈」で、いたくピンときたらしい。20年後の今となっては、これが「退屈の必要がない、出来ない子どもたち」に変化した。ただ、どちらにも共通なのは「行き場のない気分」「持て余し気味な自分」であることだ。そこには「ここではないどこか」を「生き急ぐ」ものは見当たらない。「本当の自分を探す」「仮面をつけた自分に疲れた」などと今でもよく聞くのだが、それは要するに、今(まで)の自分に嫌気がさしたということだ。その一方で、自分に合う相手を探してくれる結婚アプリが重宝しているようだし、先ほどのチャットGPTが歓迎されてもいるわけである。「自分探し」派は、自分の退屈を紛らわすことが出来ずに生まれたのだろうか。退屈の間は持て余し気味な自分が見えるからだ。「結婚アプリ」派は、それが自分に便利だったのか振り回されたのか、これから検証することになる。どちらにも希望と絶望の道は開いている。私はもちろん、結婚アプリもチャットGPTも、気色が悪くて仕方がない。しかし、そんな私も、ネット上の根も葉もなさそうな話題を見つけると、我慢できずについ見に行ってしまう。そうしてジャンクな話題のヒートアップに加担するのである。そう簡単なことではないな、と思うのは開き直りか、と反省したりもする。

 

 2 ガーシーという時代

 座談会に戻ります。録音され起こされたものの中で、当時私が勤務していた中学校の悪ガキの話で、現在に引き継げる部分を抜き出しておく。面白い。時代がもうひとつ前の校内暴力は不満や反抗を後ろ盾にした、そして「自分の身体を張った」ものだった。しかし、この時のものはそうではない。座談会で何度も出て来る「ゲーム」とは、この時の悪ガキ連中のガラス割りや授業のエスケープの出所が、「ゲーム」のように見えたからである。

斎藤 でもさ……「ゲーム」ってさ、ゲームの世界って世界観みたいのがあって、全体がどういう構造かというのを了解する……けど、今の琴寄さんのかわいい子どもたちのやってることってさ、そういうゲームじゃないね。その中の一つのシーンを演じるっていうか。

芹沢 場面が構成できればそれでいいと。

斎藤 当面の敵、あるいは敵もどきがいたりして、ちょちょっとやったら、「ああ、うまくいったじゃん。もうできたよな」と言う感じ。

芹沢 うまく乗っけたよという……。

斎藤 ……ゲーム全体の目配りをして遊ぶというのも嫌なんだね。面倒くさい。もっと手前のことろで、……ちょっと模倣するという感じ。やり方はすごくゲーム的だけど。実際のゲームほどじゃない。

琴寄 だから、時間が持続しちゃうとちょっとな、というのがあるんじゃないかな。

芹沢 しんどくなるのかな。

「場面ごとで満足できればいい」という、この時の「子どものありさま」が、今は社会全体に及んでいる。「気に入らないことがあったら、気に入らない奴がいたら罵ればいい」という、場面ごとで満足できればいい社会が大手をふるっている。すべてはその一瞬・一瞬で完結して行く。ガーシーなる人物が話題になってるが、この男のあり方はこんな社会の在り方を良く説明している。持て余したオーラを派手に放っているこんな奴が、国会議員として大手を振るっているのである。

 

 ☆後記☆

座談会で私が熱い語りをする中、お二人は興味深く聞き入るのでした。優しい子どものような表情は、今もはっきり思い出せます。次郎さんも同じく10年ぐらい会ってません。元気なのかな。

なんか一気に庭が動き出して、これは紫蘭。4,5日前までは何もない地面だったのです。

 ☆☆

先月に続き、明日も最悪の天候になりそうな「うさぎとカメ」で~す。せっかくの吉野家さんの牛丼なのに

明日発行のチラシ。裏だけお見せしますね。11日は柏市内の中学校が入学式でした

オオタニさんと藤井君に共通することを、また見つけました。本人たちの背後に両親が全く姿を見せないことです。オオタニさんがそうであることを以前書いたと思います。藤井君の父親も「天才を育てる家庭教育」とかいう本出してないはずだし、母親は「藤井聡太を育てたメニュー」なんて料理本も出してないもんね。大したものですね


尊攘 実戦教師塾通信八百五十五号

2023-04-07 11:36:53 | 思想/哲学

尊攘

 ~混沌から学ぶ~

 

 ☆初めに☆

「初めに」のコーナーですが、書きます。「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」で、坂本龍一の病状がひどく進行しているのだ、と思った人は多いことでしょう。最期は、桜が満開になるころだったのですね。YМOはもちろんですが、私はラストエンペラーで大尉・甘粕正彦を演じた坂本が、片腕で登場したのを思い出します。もちろん監督・ベルトリッチの演出ですが、エキセントリックで妖気漂う甘粕を演じる坂本は、魅力的でした。あとは、2001年アメリカ同時多発テロ事件の時、当時ニューヨーク在住の坂本が、その翌日だったか「暴力による報復をしてはいけない」と訴えたことも忘れられません。変わらない立ち位置が好きでした。十年後の東日本大震災の年、私が良くお邪魔した塩屋埼近くの避難所・ホテルサザンパシフィックに、坂本の娘・美雨が慰問に来たことも思い出されます。

陽光に健気な……。我が家の庭です。

 

 1 「戊午の密勅(ぼごのみっちょく)」

 前回取り上げた反射炉の敷地内に「山上門」がある。もとは江戸の水戸藩小石川邸にあった。

幕末には名だたる人々が、この門を出入りした。昭和初期、当時の陸軍省から払い下げ、那珂湊に移築された。

前回の最後に書いた「勅書」は、時の天皇・孝明天皇の出した「戊午の密勅」と呼ばれる。この勅書が出された時も、数々の武士たちが蒼ざめ、あるいは真っ赤な顔でこの山上門をくぐった。安政五年・六月、大老に就いてわずか二か月の井伊直弼は、屈辱的と言える日米修好通商条約を、朝廷の許可なしで結ぶ。「戊午の密勅」は、このことに憤った天皇が幕府と水戸藩に送ったものだ。直弼はこの頃、いわゆる「安政の大獄」を激走中だった。

 

 2 水戸藩の分裂

弘道館・正庁入口の藩士たちの控室には、掛け軸が下がっている。ストロボが効かず真っ暗なのだが、「尊攘」とある。本当は下の写真のように書かれている。右には「安政三年龍集丙辰春三月奉」とある。

少し前置き。武家政治を迎えた後、朝廷の力は必衰となる。これが江戸の後半に変化を見せる。それが光格天皇の影響であることは、以前に書いた。歴史がずっと「天皇」名で続いてきたかのようになっているが、第63代冷泉天皇からは「院」称号(つまりこの場合「冷泉院」)が続く。ここから約千年の間「天皇」は封印される。この「天皇」名を復活したのが光格天皇である。あとを継いだのが、戊午の密勅を出した孝明天皇だ。しかし、次々と勅命なしにことを進める幕府(直弼)の登場は、またしてもの朝廷の凋落(ちょうらく)を意味していた。ここで激怒した孝明天皇が「幕政の改革は水戸藩に」なる勅書を出すのである。それが「戊午の密勅」である。

 さて、この掛け軸は徳川斉昭が命じて書かせたものである。この頃開国へと傾いていた幕府にあって、攘夷(海外勢力排除)の斉昭は孤立を余儀なくされていた。安政三年のこの書は、斉昭の覚悟を示す。「尊攘」なのだ。案の定、閣僚会議で斉昭は孤立した。しかしこの折、水戸藩は一枚岩とならなかった。せっかくの「幕政の改革は水戸藩に」という趣旨の「戊午の密勅」は、水戸藩の結束を強めず分裂を促進した。勅書の登場は朝廷の没落を意味していたし、江戸を襲った安政地震で斉昭の腹心・藤田東湖は死んでいる。かなめの斉昭も桜田門外変の直後に亡くなった。軸を失った水戸藩内は、勅書を受領し諸藩に回達(回覧)というものと、受領拒否するものとで真っ二つとなる。勅書受領を主張する過激派の「天狗党」が、筑波山で最初に挙兵する。排除された藩の重鎮もそこに合流し、すべては那珂湊に集結。水戸藩は水戸と那珂湊を挟んで内戦の様相を呈した。

 

 3 ウクライナ

 今まで水戸藩内の抗争を耳にしないわけではなかったが、注目のきっかけは弘道館内での特別展示だった。

これは武訓場。

特別展示にあった藩内抗争への私の質問・疑問に、学芸員が対応してくれた。中には天狗党の「天狗」は、どうにも鼻持ちならないという世間の風評にもある、という話も聞けた。その後、水戸市内の本屋に行って分かったことは、水戸藩をめぐる文献が豊富であること、茨城大学の人たちが弘道館を世界遺産にするため動いていること等だった。

 ここで繰り返さない手はないので書きます。ボリシェヴィキ政権の1918年、ドイツにロシアのウクライナ地方が割譲された時、ウクライナは三つに分裂して内戦となった。ひとつはドイツに降伏する。ひとつはウクライナを捨て、ロシアの他地域に移る。もうひとつがウクライナの独立のために戦う。以上である。歴史に記録されるのは、ロシア・ウクライナ地方のドイツへの割譲だけであるが、歴史はそう簡単なことではなかった。水戸藩もそうだった。

 

 ☆後記☆

訃報が続きました。芹沢俊介です。近くに住んでたので何度か顔も合わせてましたが、もうかれこれ10年も会ってませんでした。岡崎勝さんとの共著『学校幻想をめぐって』を読んで、芹沢さんが感想をくれたことで交流が始まりました。この書で私は、結構な分量を芹沢さんについて費やしました。芹沢さんは「言葉の通じない外国で、日本人に会ったような気持ちになった」という感想くれたのです。

新学期始まりました。次週の記事は、子どもたちに絡んで芹沢さんのことを触れていきたいと思ってます。

 ☆☆

四月になりました。と言っても、こども食堂「うさぎとカメ」は、もう来週となっています。吉野家さんの牛丼には、竹の子の煮物を添えようと思っていま~す

野球も目が離せないけど、藤井君、やっぱり勝ってしまったですね(「乗り鉄」だそうですよ)。