実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

コロナ対策 実戦教師塾通信六百九十三号

2020-02-28 11:22:55 | ニュースの読み方

 コロナ対策
 ~基本的なこと~


 ☆初めに☆
明日の子ども食堂「うさぎとカメ」ですが、予定通り実施します。でも、無理して出かけて来ることはありませんよ。来れる方だけどうぞいらしてください。
初っぱなをくじかれた感じですが、長いこれからの中にはこんなこともある、と教えられたことにいたします。

 ☆ ☆
昨夕のテロップに驚きました。「新型」とは「未知なるもの」であることを、改めて知らされている思いです。同時に、それは「どうにもならない」ことを意味しないはずです。しかし、「全国の学校休校『要請』」は、新型コロナが「どうにもならない」という感情を、しっかり私たちにうえつけたと言えるでしょう。
 ☆ ☆
今回の政府の言明が意味することを、明確にとらえておかねばなりません。でないと、ウィルスではないことにまで、私たちは振り回されかねません。
あわせて基本的なこと、書きたいと思います。

 1 コロナの舞台
 「このことで起こった事態は政府が責任をもって対応する」とはどういうことだろう。「まだ入試などがあるところでは」なる文言に我が耳を疑い、髪を逆立てた現場は多い(と聞いている)。今朝の新聞千葉版には、公立高校後期選抜入試の倍率が発表されている。入試は3月2日。その入試を「必要最小限の人数に限る」とは一体何のことか、政府に混乱はないのか。
 これは「強制」ではなく「要請」である。あとの判断は各自治体・学校で考えてください、という意味だ。ここでは注意が必要だ。それなら「すでにやっている」からだ。特に北海道や東京など、流行が顕著な地域での学校や職場への対応は、危機感を持ってのものだ。つまり今回の「要請」は、各自治体のやっていることでいいのか、という意見表明となっている。しかも、それによって「起こりうる事態/対応」は、その中軸となる計画さえも示されていない、全く具体性を欠くものだった。「何かあったら対応する」とは、ジョークだろうか。
 コンサート・飲み会・学会など、イベント中止などで生じるダメージと、それで得られる効果が目に見えないことに、私たちは不安を抱えていた。そこに持ってきて、この「要請」である。「子どもたちの健康・安全を第一に」というメッセージは、有無を言わせない力がある。野党は桜や検事長問題の勢いをそがれるだろう。
 どうやら昨日、新型コロナ問題は、医療から政治へと舞台を移したようだ。

 2 「クラスター」
 厚労省が「クラスター」なる目新しいものを出して、危機感は募った。しかし従来のインフルエンザ対策が、この「クラスター」対応だったはずだ。クラスの欠席者4~5人を目安に学級閉鎖、そんな学級が4~5クラスとなれば学校閉鎖という流れだ。まさに「クラスター」対応だ。これらはすべて、校長の判断だ。だから校長が、おおげさと思うのか恥ずかしいと思うのか、インフルエンザによる欠席がふたけたになろうしてるのに、給食を食べてとか部活なしで下校という「ぬるま湯」対応をしたりする。子どもたちは欠席者の増減とにらめっこし、今日こそ学級閉鎖にと願い、担任の突然の「帰りの用意をしなさい」の声に歓声をあげる。しかし、世界を揺るがしている新型コロナは、学級閉鎖となって子どもたちを歓喜させただろうか。そして今度の対応は、地域のみならず全国を巻き込む。
 今回の「要請」に対し、「一体どうする気か。社会が崩壊する」と言える市長がいた。また、「要請したのにやらなかったのは、そちらの責任だ、とでも言うつもりか」と憤る知事がいた。良識ある人たちはいる。

 3 ウィルス
 知り合いの医者が、風疹の治癒証明書を出す姿を見た。こんなもの、と怒りを隠そうとせず、どしどし手書きで!発行するのだ。

「学校は自分の責任になるのが嫌なだけよ」
「それで医者に証明書を出せという」
「腫(は)れが収まり、熱もひけばそれでいいのよ」
「どっちみちウィルスが全部いなくなるなんてないんだから」

この時、私は生物体と呼べないウィルスというものについて、幾つか学習した。
 活力に差はあっても、ウィルスは死なない。ウィルスは、取りついた生体が元気な時は活動できない。こういう状態を「陰性」というらしい。だから逆に元気のない相手に、ウィルスは「陰性」でも力を出し発症させる(ニュースでは「陽性に転化」としている)。絶滅していないからだ。私のような年寄りだったらムクムクと姿を現すわけである。ついでに言えば、年寄りは大体が肺炎で死ぬんじゃなかったか。
 このあたりの話は「お化けは死なない」(水木しげる)と通ずる。ろくろっ首や雪女など、みんな一定の条件の下に現れる。いなくなったと思いきや、形を変えてまた現れる。こいつらをやっつけるのは、ピストルやナイフではだめなんですと言うのは、松田道雄(ちなみに小児科医)。やっつけるのは「人間の知恵」なんだそうです。「同居」が原則なようだ。
 同じくウィルスに「絶滅」はなく、「終息」という「共存」の状態があるようだ。

 3 王府井(ワンフージン)
 北京オリンピック直前の北京に行った。夜、屋台通りとして有名な王府井に行った。圧倒的屋台群に並ぶのは、焼いて串に刺されている、蛇を初めとするトカゲやヒトデ、あのコウモリが形もそのまま出されていた。異様に大きい芋虫が強烈なオレンジ色の串刺しで、思わず目を背けた。
 今になって、コウモリを食してるのがコロナウィルス感染の原因だなどと言う。世界のどこでも独自の食文化を持っている。日本人の「生魚を食す習慣」は、少し前まで「げてもの」扱いだった。韓国は犬を食う、と言って私たちは顔をしかめる。ペットと食用は違う扱いだ、と言っても通じまい。鯉は食べても錦鯉は食べないと言えば、日本では通じる。勝手なものだ。それが文化というものだ。

 4 生物兵器
 私の知人に、中国を仲介した商売をしているものがいる。いま品物は売り買い全く動かず、お手上げ状態だ。この人が武漢にあるという「ウィルス研究所」が、新型コロナウィルスを漏(も)らしたという説にご執心だ。なるほど、コウモリ原因説は放置されても、「ウィルス研究所」の情報は丹念迅速に削除されているようだ。
とすれば、この新たな生物兵器は、

①敵のみならず広範囲の味方にも打撃を与えてしまう
②炭疽菌などと違って、殺人兵器としては致死率が低すぎる

などが判明している現状と言える。
 いずれにせよ、このウィルスは生物兵器として有効なのか、ということだ。

 それにしても、新型ウイルスに感染して死亡したクルーズ船の女性客が入院まで1週間 かかったことに関し、某官房長官は「船内の医師の判断」などと言う。「難しい判断を迫られ」等という医者へのサポートなど頭にない。
 「桜を見る会」の推薦者名簿の一部を消す加工をした「最終的な責任者は課長」だし、文書改竄(かいざん)をしたのは財務局の局長である。内閣及び総理の関知するところではない。そして今回の「要請」だ。
 このウィルスは手ごわいですわ。


 ☆後記☆
今回の記事に関することは、すでにどなたか言及していることかも知れません。でも読者も分かる通り、すべて事実経過から言えることです。いかがわしい情報に振り回されることがないようにしたいものです。

春満開! 手賀沼・みちの駅近くを飾る河津桜です。
 ☆ ☆
繰り返します。明日の子ども食堂「うさぎとカメ」実施します。無理せずに、良かったら来てください。
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競技ではなく 実戦教師塾通信六百九十二号

2020-02-21 11:12:38 | 武道
 競技ではなく
 ~積み重なるものへ~

 ☆初めに☆
オリンピックで空手が採用されましたね、と良く声をかけられます。名前こそ出しませんが、ちゃんと分かってる人は喜びもしないし、何の期待もしていません。あえていい点を見いだそうとするなら、空手の認知度が広くなるくらいでしょうか。
 ☆ ☆
武蔵を有名にしたけれど、誤解もさせた張本人は、長編小説『宮本武蔵』を書き上げた吉川英治です。それに劣らず武蔵の名を挙げおとしめたのが、司馬遼太郎です。
「しょせん兵法は、太刀行きの早さで決まる」(司馬遼太郎『真説宮本武蔵』)
などという、スピード絶対がまかり通っている現在の、とんでもない「功労者」と言えるでしょう。
また一度、武道・武術としての唐手/空手を、道場での稽古(けいこ)を見ながら考えてみます。

 1 重心の内側へ
 古巣の道場で少し汗をかいた。厳誠流空手道厳誠塾・東京水元道場。

技の感触を確かめた。いかにも枯れた私にふさわしい、使い込んだ道着。
 組手(撃ち合い/蹴りあい)の様子を連写してもらった。どうしようもない動きもまだ多い。しかし、もしかして「進化」と言える部分も出てきたかも知れない。その辺りを考察する。

相手の攻撃をかわして前に出るところ。これほど左手と上半身を使っているのは、無駄。また、上体が少し浮き気味だ。本当なら右手で相手を制するのがベター。
 よい点もある。相手の重心の内側をここですでに攻略している。このポイントで相手が私の上段(顔面)をとらえても、決定打にはならない。またこれは、私の右足が相手に踏み込もうとする瞬間でもある。

これはすでに重心が後ろとなった相手をとらえ(制し)、対する自分の重心が落ちている。相討ち状態に入ってるようにも見えるが、相手の攻撃は体重が乗らない。私はこの時、後方から右足を前に摺(す)り足で進んでいる。以前は跳んでいた。跳ん(跳び足)ではいけない。
 次は、新陰流・武術探求会の前田英樹が見せる「十の太刀筋」より。分解写真(季刊iichiko『剣術の文化学』)。

オマエの技と一緒にするなと前田先生に言われそうだが、あえて「共通する点」として。相手が飛び込んで来る瞬間、左側の前田氏は少し踏み込みつつ身体を落とし、相手の懐(ふところ)を攻略している。相手の上体が前傾で進んで来るのに対し、前田氏の上体は沈みこんでいることに注意。

 2 太刀は振りよきほどに静かに振る
「武蔵の兵法は、武蔵ひとりに通用するものだった」(前掲『真説宮本武蔵』)
とは、呆れるほかない。武蔵の『五輪書』の書き出しを全否定する内容だ。これこそ武蔵が追求/克服しようとしたことだったというのに。何度も繰り返してきたが、これでは武蔵も浮かばれまい。
 相手が早く仕掛けて来るなら自分はそれよりも早くないといけない、というのはスポーツの世界の話だ。ひたすらスピードを求め鍛練し、体力を失った時は引退=OBとなる。少し違っていたのは、王の「球が止まって見えたので、打つのは雑作(ぞうさ)もなかった」というもの、そしてイチローの「自分の『型』を持ってないといけない」、あとは白鵬の「勝ちに行かない」ぐらいか(相撲はスポーツではないが)。
 以前も書いたが、フェンシングは身体を前方に傾け、一方の手で遠くに刀を差し出し、正面を向かない。これが自分の身を守り相手を攻撃する上でもっともいいという考えだ。しかし、古代では同じ構えをしていた日本は、戦国時代を境に刀を「両手保持」とし、むざむざと自分の身体を正面にさらす。この裏付けは、文献上でまだ解明されていないらしい。しかしこれが目指すところは、すべて武蔵の言うところにある気がする。
「……速きときも心は少しも速からず。……心は体に連れず、体は心に連れず」(『五輪書』「水の巻」)
そして刀はどのように操(あやつ)るのか。
「道筋よく知りては自由に振るものなり………太刀は振りよきほどに静かに振る心なり」(同上)
相手の太刀筋が分かれば、自分は自由に、そして静かに刀を振ることが出来る。

 唐手/空手の稽古をしていると、毎日発見がある。しかしそれは、「間違い」の発見ではない。それまでの修練に「積み重なる」ことを知る。調子のよい時でも、20分の歩行が困難となった脊柱管狭窄症の私だが、力でも速さでもない「唐手/空手」の魅力に取りつかれ続けている。


 ☆後記☆
今週は千葉県公立高校前期試験の発表でした。昼さがりに道を歩いている中学生は、3年生です。
国語のテストに、オヤと思いました。
「先輩のお気に入りのケーキを食べられるとはうれしいです」
の下線部を謙譲語(けんじょうご)、要するに敬語に直せという問題です。
正解はもちろん「いただける」ですが、けっこう多い解答に、「食べさせていただける」があったと推察します。私が良く言うところの、相手を気づかいすぎる「奴隷の言葉」です。出題者側も、言葉の現状が気になってるのだなと思った次第です。
「言葉の乱れがある」のではない、「過剰な気づかいを要する社会」なのです。

すぐ近くのお家の梅。紅と白、満開でした!

被害者像 実戦教師塾通信六百九十一号

2020-02-14 11:22:43 | 子ども/学校
 被害者像
 ~「被害者の気持ちに寄り添う」とは~


 ☆初めに☆
打ち続く不倫報道の喧騒(けんそう)とは、私たちの浅ましい好奇心の表出にほかなりません。
「ほんとうは二人しか知らない」か、「ほんとうのところなんか 誰にも分からない」(作詞 浜崎あゆみ?ってホント?)のだと思います。
 ☆ ☆
それでも、私たちは事件の当事者の姿、気持ちを追います。それが時としては、私たちがになうべき「責任」を背負っていることもあるからです。でもそこに節操が不可欠であることは、言うまでもありません。そんなことを、この間受けている報告や相談の中から考えてみます。

 1 伊藤詩織
 昨年暮れ、自らの性暴力(「強姦」ではまずいのかと、まだ思ってます)被害で、元TBS記者の山口敬之を訴え勝訴した伊藤詩織。彼女が、朝日新聞のインタビューに応えた(2月6日)。その中の、
「(『なぜもっと怒らないんだ』という自分の父親も)被害者は怒ったり泣いたりするはずというのは……被害者像の押し付けです」(下線は私)
という言葉にアンテナが立った。
 こういう「当事者の発言」を前にすると、事件当時を回避する記憶障害が起こっているとか、傷がそれだけ深いとかいう「寄り添った」考えが必ず登場する。はっきり言うが、そういう論評も「被害者像の押し付け」という言葉によって退(しりぞ)けられている。退出しなさいと言われている。記者会見で彼女が堂々と、あるいはにこやかにさえ見えたことが、周囲の違和感を招いたようだ。でもそれがなんだというのか、という切り返しにも思える言葉は、
「被害者の立場になってみなさい」
と諭(さと)す人たちには、面倒だったに違いない。

 2 「良くしないといけない」
 私はよく、「そのままでいいと思っているのか」と言われて来た。たとえば悪さを続ける子どもや、いじめへの対応で、私が「強引にやって、事態が良くなるものではない」とする時に言われる言葉だ。今でも言われ続けている。今年に入ってすでに、三回ほどあった。「なんとかしたい」と思っている人たちから、
「どうして良くしようと思わないんですか」
「どうして許せるんですか」
等という言葉が投げかけられる。私がそのままでいいと思ってるはずはない。「それでいいのか」と怒って相手が変わるなら、苦労などない。
 悪いことを許してはいけない、と言う人たちが出来ることは、申し訳ないが「絶対許せない」と「思う」ことだけだ。身近にそういう、たとえば「よろしくない生徒」がいたとして、せいぜいそいつを「問い詰めor罵倒(ばとう)」する、そして「突き放す」ことだけである。必要なことは、まず「一体何があったのか」聞くことだ。「良く出来る」かどうかは、ずっと先だ。
 少し古い話になるが、クスリ漬けになっている生徒に、どうにも打つ手を見いだせず、そいつの仲間たちに声をかけた。オマエたちなら止められるんじゃないか、という私からの「提案」は、
「いやあ、◇◇さん(同級生だが敬称だった)は、クスリでなんとかもってるんですよ。あれ止めたらもっとひどいことになってる」
と、しぶしぶ「否決」されたのだった。
 この時も私はさんざん、「アンタが甘やかしてるから、あいつは良くならないんじゃないか」と言われていた。私はサンドバッグでもないし、自分のアタマも持っている。だから、「じゃあ見てるだけのあんたたちでやってみなさい。出来やしないから」と、しっかり言わせてもらうのである。
 賢明な読者は、こいつが家庭はもちろん、警察や病院という手だても、すでに通過した生徒なのだと思ったのではないだろうか。

 3 親から捨てられた子どもの気持ち
 最近の連絡(相談)である。ある先生が、
「親から捨てられた子どもの気持ちが分かりますか」
と、当事者である生徒から言われている。こういうストレートな言葉は、こちらの態度によって生まれる。ひとつは、遠慮がちに相手に寄り添う中で、相手が心を開いた時である。ここからはさらに慎重さが必要となる。「先生なんかには分からない」と相手が迷っているからだ。もうひとつは、相手の気持ちにずかずか土足で踏み入って、拒絶された結果だ。教師の思い込みを「押し付け」たからだ。とりあえず、撤収する以外にない。

 聞かせて欲しいと思うのは大切だ。しかしそう迫るのは、傲慢(ごうまん)でしかない。「被害者」も「弱者」も、そして「加害者」も、見えない壁を相手にしている。「ならんことはならん」という場所に希望はない。


 ☆後記☆
伊藤詩織問題へのコメント、いろいろ目にしましたが、ダウンタウン松本の、
「元TBS記者が『無罪』だとか『合意の上』だとか言ってるけど、女性の方が、あの時のことを思い出したくもない、イヤらしいことだと思ってることはどうにも動かしようがないですね」
というのが、私には印象的でした。
 ☆ ☆
野村監督の訃報(ふほう)、驚きました。去年だったか、日本とアメリカをつないだテレビ(BS1だったかな)で、マー君と監督が対談しましたよね。あの時、監督が「最後の決め球は低めの外角」と言ったことに対し、マー君は「大リーグでは通用しない」と応じました。結局、それは決着がつかなかった。いつか続きを聞きたい、と思っていました。

いつも手賀沼周辺で、一番早く菜の花を咲かせる畑。それにしても今年は早かった!
春が来た!

コロナウィルス 実戦教師塾通信六百九十号

2020-02-07 11:26:37 | 福島からの報告
 コロナウィルス
  ~常磐線全線開通前に~


 ☆初めに☆
不通だった常磐線の富岡~浪江の区間が、来月のダイヤ改正(14日)でつながり、都内から仙台までの常磐線が全面再開されます。10年目でなのです。
 ☆ ☆
コロナウィルスの勢いが止まりません。日本での拡がりもそうですが、企業や生産者の胸の内もただならぬものではないと思います。楢葉でいつも元気をもらうばかりの私でも、農家の胸の内ぐらいは分かります。

 1 「お客」のタヌキ
 小雨がぱらついている日、楢葉は温かかった。渡部さんの娘さんの職場を通り掛かったら、ばったり出会った。来てるんですかの声に、なぜかホッとする。

庭先の畑。今年の白菜、やはり玉が小さくなった?
やっと雨だよ、と外を見ながらおばあちゃんが言う。関東は雨ばっかりの一月だったというのに、楢葉は全く降らなかったらしい。
「米中の貿易摩擦の影響をかぶっちまったよ」
渡部さんが、良くない和牛の入札状況を話す。でも先行きは、それほど暗いと思えないと言う。米中の緊張緩和に加えて和牛の品質を見越して、渡部さんは楽観的な見通しを持っているようだった。でも、この話は1月下旬。新型コロナウィルスは、発表からまだ二週間の頃だ。

昨年の大晦日に生まれた子牛。美味しそうにミルクに吸いついてます。牛用の粉ミルクだそうです。


牛舎の奥のケージに気がついた。イノシシ用かと思ったら、なんとタヌキを捕獲するためのものだった。
「牛のエサを食べに来るんだよ」
奥さんが言う。朝、牛と一緒に寝てたりするのだそうだ。エサには草ばかりでなく、穀物も混ぜてある。肉にサシを入れるために必要なんだという。その穀物が連中の目当てだそうだ。捕まえたらタヌキ汁にでもするんだろうか。
「いや、山奥に行って放してやるんだよ」
奥さんが笑う。タヌキにいる虫や病気の移るのが一番困るんだとか。動物同士での感染ということで、またコロナウィルスを思い出した。どこで何が起こるか分からない。

 2 「出て行け」「戻るな」
 一瞬のうちに武漢の街が封鎖されたニュースを見たら、そして住民の「出て行け」「戻るな」の罵(ののし)りを聞いたら、たまたま渡部さん家で出た震災時の話を思い出した。
 あの時、都内の駐車場に停めた福島県内の車が、出て行けと貼り紙をされたことなどがニュースになった。
「スクリーニングしねえことには、移動が許されなかった」
という渡部さんの言葉に、私は耳を疑う。スクリーニングは、被曝した住民の健康不安や、PTSDに配慮したのものだったはずだ。しかし、これも何度か書いたが、茨城県つくば市に避難で転居を申し出た福島の住民が、スクリーニングの証明書が必要だと窓口で言われた話。後にこれらはエライ人たちから「科学的根拠がない」と諭(さと)されるのである。当時、スクリーニングをしないと移動は許されないという煽(あお)り情報が大手を振っていたのかも知れない。「原爆病は伝染する」という、75年前の広島・長崎の人たちに向けられた眼差しが、60年も過ぎたあとの日本に蘇(よみがえ)ったことを思い出し、私は黙ってしまった。

昨年9月にレポートしたが、演出家・谷賢一による演劇『語られたがる言葉たち』での「近づくな、放射能!」という言葉。本当の話だ。忘れてはいけない。

 3 双葉郡
 大熊町に比べ、双葉町が話題に登ることは少ない。町の面積や人口の小ささ、そして線量の高さが災いしているという。しかし、双葉・浪江を常磐線が開通することで、仙台は一気に近くなる。
 昔、楢葉の住民が用向きで向かうのは、水戸や東京でなく仙台だった。渡部さんの話には歴史がある。つまりこれは、明治は廃藩置県以前の「藩の文化」が尾を引いている。伊達・仙台藩と、相馬氏の拮抗(きっこう)がある。相馬のお膝元が双葉郡となったのも、「楢葉郷(郡)」と「標葉(しねは)郷(郡)」の「双つ」の「葉」が合わされたからだ。そして、「楢葉と標葉の境界が夜ノ森である」(岡本哲志『奥州相馬の文化学』より)のは象徴的と思える。夜ノ森は言うまでもないが、先だって避難準備を解除された富岡町だ。
 渡部さんたちは、この標葉と楢葉の歴史を背負いこむ「野馬追祭」には、ひとかたならぬ思い入れで語るのだ。

「祭の日は、車より馬の通行が優先だ」
と渡部さんが言い、私が会場は「雀が原」でしたねと言えば、間を置かずに、
「雲雀(ひばり)が原だ」
と、おばあちゃんが突っ込むのだ。


 ☆後記☆
「春は名のみ」の寒さですねえ。春の訪れをふたつばかり。

少し光ってしまいましたが、4月柏場所のお知らせ。今年も大相撲がやって来ます。チケット入手しました。
手前の酒ですが、茨城県取手は利根川県境大橋を渡ってすぐの蔵元『君萬代』。今年も新酒が出ました。これは純米吟醸生酒。このラベルは、地元にある東京芸大の学生がデザイン。ずっしりした酒を好みの方にお勧めですよ。

藤井君、快進撃続いてますね。

春よ来い!