実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

全員担任 実戦教師塾通信九百六号

2024-03-29 11:33:37 | 子ども/学校

全員担任

 ~留まらない流れ~

 

 ☆初めに☆

大谷選手の続編リクエストをいただいていますが、後記で触れるにとどめます。私たちも試されているのです。

学校現場で静かに広がっているものがあります。小中学校一貫教育をめざす義務教育学校、そして学年の職員全体で児童生徒を担当する、全員担任制です。その流れは、勢いめいています。義務教育学校は大いに議論するべきもので、現場の声は一長一短を示しています。しかし、全員担任制はいかがなものでしょうか。例えば、今年度の「送る会」や卒業式を見るに、マスク着用の減少を著しく感じました。あれほどの頑なさで表情を覆っていた布切れが、子どもたちの後ろに退いています。マスクは口だけ覆っているわけではなかった。「顔が見える」とは、よく言ったものです。安心とは、私たちの五感を動員して出来上がります。その辺りから全員担任制を考えてみます。

 1 顧客管理

 少し前だが「一部上場企業」の方と話す機会があった。公務員に対し、憤ってらっしゃる方だった。公務員はいいですよね、と口火を切った。現場教員の「守られ方」を見ていると、確かにうなずくしかないものがある。休みに関しては、有給休暇や病休育休ばかりではない。乱暴に言うが、休もうと思ったらどうにでもなる、そんな多様な休暇が現在の教員を守っている。現場が悲鳴を上げるような休み方の教員がいる、現在の学校である。しかし、この方が問題にしたのは「顧客管理」だった。30数名の生徒を受け持つだけで現場の教員は手一杯だという、私の認識にひどく反発した。たかだか数十名の「客」のことだけ知っていればいいとは羨ましいかぎりですね、という。いやぁ、と私は進路の話を例に挙げて話した。倍率(実力)はもちろんだが、勉強したくない・制服の好み・仲良しと一緒に行きたい・最悪の同級生が受ける・駅が近い等々。そして、親が反対する・両親の仲が悪い・親がいない・家は貧乏だ・親が医者になれと言う等々。また、スマホと一日9時間向き合っている・自分には取り柄がない・みんなは自分をバカにしている・アンタ(担任)が嫌いだ等々。多種多様な生徒の在り方は、そのまま生徒の心身に反映している。これらはアンケートの類では、ほとんど出て来ない。それらを認知し対面も含めた対応をすることは、親からはもちろん、本人から信頼を得ていないと出来ない。学年全体150人~300人の生徒のそれらすべての事情を、学年の職員全員が把握することは不可能なのである。「一部上場」とは、何千か万単位の社員を抱えているのだろうか、営業所単位で言えば100人~500人ぐらいなのか、その「一部上場」の方の勢いが、次第に消えて行った。

 2 子どもが安心できる大人

 全員担任制が大きく動き出したのは、2015年の取手いじめ事件がきっかけである。2019年に出された報告書をうけて、「(取手)市いじめ問題専門委員会」が出した提言の中に、全員担任制はあった。ブログの繰り返しになるので簡単に振り返るが、落ち着かない学級を何とかしようとして、担任の打った対策が失敗した。しかし、そこで担任は退かず突き進む。この経過と今後の方向について、全体が共有しなかった。最悪の事態が起きたのに、学校は「重大事態に該当しない」との結論を出す。遺族の要請に応じた市の調査報告は、学校の報告に沿った内容だった。遺族は県に訴えて、再度の調査が始まる。そして、真っ当で踏み込んだ、学校の過ちを指摘する報告書が出される。顧みれば、遺族からの「自殺公表」の了解、アンケート項目の要請、聴き取りの追加要求など、学校はすべて「生徒の動揺」などを理由に「難しい」と却下する。この流れが示すのは、学校の見事な「チームワーク」だ。

 学校におけるチームワークは、このようにネガティブなケースもたくさんある。中学校は、教科担任全員でクラスを見ているようなものだ。小学校よりは風通しの良い環境にあるはずだが、なかなかそうならない。お互い大変だ/うまく行かない時もある/忙しい、からだ。報告は常に遅れる、または「ない」。ここにクラス担任の過剰な頑張りやプライドが加わると、介入や助言が難しくなる。あるいは、本人がお手上げ状態なのに、周囲(とりわけ管理職)が手をこまねいているケースなども、事態を悪化させる。取手に限らないが、これらはいじめ問題で重大な事態になる原因である。チームを作ればいいのではない。しっかりコミュニケーションを取らなければ意味をなさない。そのためには、遠慮なく言えるだけの実力を持ったスタッフが必要となる。そして、指摘されるスタッフが、安心して受け入れられる状態が不断に作られないといけない。形だけのチームが役に立ったためしはない。大変な努力の蓄積が要る。

 今週の1組担任は〇さん来週の担任は△さん、という信じがたい現実が始まっている。現場から抗議の声が出ているのが救いである。一部教科を専科でやってるとは言うものの、小学校でクラス担任が全教科を教えて来たのはどうしてか、まじめに考えた方がいい。しかし残念ながら、この全員担任制は必然的な流れと思える。家庭訪問廃止も行事の精選も、表向きは授業時数確保という理由だが、その背後には「それが嫌な」教員の姿がある。働き方改革とITの学校導入は生徒との対面を減らし、コロナ騒ぎは「対面忌避」を奨励した。子どもの目を見て話せない教員が増えたのは、当然と思える。今となっては、毎年のクラス替えは当たり前のようだ。子どもが安心できる大人の存在は、子ども自身が時間をかけて見つけていく。しかし、それが出来なくなる状況が加速度的に始まるのである。

 

 ☆後記☆

取手いじめ事件の当時の担任が、処分は不当であると訴えました。水戸地裁は、訴えを認めて処分を取り消す決定をしました。1月12日のことです。ひと月あと、県は控訴しました。早く一審の判決を読みたいと思っています。

遅かった春が、やっと来そうですね。寒かったし、雨ばっかりだったし☂ でも、早咲きの桜を見つけました🌸

曇天の花曇りって感じですね。下の写真は、手賀沼のジョギングコースで見つけた土筆で~す🚴

 ☆☆

オオタニさん、やっぱりやりました🥎 地元初戦で2安打1打点1四球&オーバーラン🏃 声援がすごい。そして、それならやってやる!と声援をがっしり受け止める笑顔☺ いよっ、待ってました🥁

会見の原稿メモぐらいあった様子ですが、紋切り型の「ご心配・ご迷惑」なるフレーズは一度もない(ニュース映像しか見てませんが)。思った通りの人だ大谷選手は、と留飲を下げた人は多かったはず。正直に生きると思えば、言葉もちゃんと生まれて来る!と励まされてる気分です。買い物から送迎にいたるまで、何から何まで水原通訳に任せるのは大人としてどうか、みたいな現地の声も聞こえます。しかし、その現地は、大谷選手を漫画からそのまま抜け出した来たようだとか、ユニコーンだとか言って来たのです。オオタニさんは「野球のために生きてる」と思ってたんじゃなかったのか? こういうのを「にわかファン」というのです。どっかのスポンサーが「期限満了のため」契約を打ち切ったというのがニュースに上がって、様々な憶測を呼んでます。こんな時こそ「契約が切れましたが、弊社は大谷選手を応援し続けます」ぐらい言えなかったのか、と思います👊


大谷・語 実戦教師塾通信九百五号

2024-03-22 11:40:28 | 思想/哲学

大谷・語

 ~「素直」の意味すること~

 

 ☆初めに☆

衝撃でしたね。晴れの開幕戦に、こんな事件が闖入(ちんにゅう)していようとは思いませんでした。水を差されるとは、このことです。水原通訳の口から、自身のギャンブル依存が公開されたのは20日の試合終了直後といいます。試合後のセレモニーが無かったのは、このことが理由だったのでしょうか。大谷選手が知らされたのは、もちろんそれ以前でしょう。でも、試合には集中していた。これはかすかであっても希望です。水原一平は通訳ばかりでなく、データ管理や運転手など、様々なマネージメントをこなしてきたわけです。あらゆる雑音を排するため大谷本人はもちろん、周囲も頑張って来たというのに、こんな特大な騒音が割り込んで来た。これからは公的で必要な機関が聴取に入るし、要らぬお世話も押し寄せることでしょう。静かに見守り声援を送るしかありません。

今回は大谷選手の結婚を巡って、改めて思ったこと・感心したことを書きます。大谷選手の積極的な言葉を巡る記事となりますが、本当は言葉の問題ではない。自分や相手との向き合い方が「今風」ではない、ということです。私たちが実は自然に使っていた言葉を、大谷選手は思い出させている。大谷選手の話に違和感がないのは、そのせいです。

 1 「自分のこと」

「皆さまに結婚いたしました事をご報告させていただきます」

大谷選手が結婚を報告したのは、2月29日だ。いつも「〇〇させていただきます」にアンテナが立つ私は、この日も反応した。この時は逆に、大谷選手の思いを感じた。私の知る大谷選手、つまりハム退団(大リーグ入団)以降に聞く、初めての言い回しだったからだ。この「させていただく」、本当はこれくらい特別な時に使うものだ。またこれは、「結婚させていただく」でなく、「結婚の報告をさせていただく」だったことに気付かないといけない。結婚は自分たちの問題であって、ひと様に「させていただく」と伝えるようなものではない。3年ほど前、嵐の二人が同時に結婚発表した時、あまりに見事な対照だったもので記事にしたことがあった。この機会に、再度取り上げます。

[櫻井翔は結婚したことをご報告申し上げます]

[相葉雅紀は結婚させて頂くことになりました](ともに自身の発言)

死語と化したかと思った「申し上げます」が、ここにはあった。本心を言えば、大谷選手もこう言って欲しかった。相葉クンの「なりました」には、ダメだしの下線が必要。さて、結婚報告を大谷選手は必要があると思っているのか。本人には「ない」。報告する理由は「周りがうるさいので」と、記者会見できっぱり言っている。

 2 「言葉」ではない

 このところ、何人か中国の人と縁がある。ひとりは台湾出身の方で、手紙をいただいた。中に「自分は小六で日本に来た者で……初めて日本語には敬語というものがあることを知りました!……敬語を使うと、相手との距離を感じて……」とあった。この方の言う通り、敬語とは相手との「距離」を教える。でも、敬語に「他人行儀」を感じている。恐らく、いま日本で使われている「敬語」とやらが、相手を上っ面に「尊敬し」ているからだ。テレビはどのチャンネルを回しても「〇〇させていただきます」と頭を下げている。「いただく」「いらっしゃる」等の多用は、日本が今まで自由に選んできた相手との距離の遠近を、のっぺらぼうにした。英語では相手が大統領だろうが、隣のおじさんだろうが、みんな「you」だ。ところが、日本語は違ってる。

あなた/あんた/オマエ/きみ/貴様/オメエ/テメエ/おぬし/貴殿 等々

もう使われてないとか、あくまで関西圏で主流とかはあるが、日本語で「you」に該当する言葉はたくさんある。これらはそれぞれ、場所や相手を選んで登場する。言葉が豊富なのではない。相手や場所はたくさんある、ということだ。かつて日本は、その場その人に向き合っていた。いまの日本は、ひとつの言葉、少ない言葉ですませる。これを「同調圧力」などと、問題視したりもする。でも、ドラマ『不適切にもほどがある』は、そうやって人のせいばかりにするなよと、言ってるかのようだ。読者は見てますか。クドカンと知ってたら、こんなに見落とさず最初から見てたのに。

 今回の賭博容疑を、水原通訳は「違法とは知らなかった」と言う。「それだけは信じて欲しい」と言うが、目の前で借金が膨れ上がっていくのを見ていた人間が言ってる。違法か合法かなど、二の次三の次だ。「知っていた」ことも関与に入るとするなら、大谷選手の関与はゼロではないのだろう。使っているのは自分の金だと考えれば、誰かが迷惑するわけではない。でも、私たちの誰も「大谷選手の勝手にしたらいい」とは思えないはずだ。お金をバカにするものは、人をもバカにしている。大谷選手はそんな民族ではないと、私たちが思っているからだ。NISAにうつつを抜かす者どもは、この事件を教訓にするといい。ダルビッシュとの初対決を迎え、大谷選手は全く敬語を使わず対戦の気持ちを語った。だが、その内容はダルビッシュへのリスペクトに満ちている。かつて私たちが相手への思いを伝える時は、こんな風ではなかっただろうか。私たちのかつての「普通」が、ここにはある。

 お母さんが岩手の地元で、未だにパート勤務を続けているのは「翔平が頑張って欲しい」からだという。今まで通りの翔平でいて欲しい、という意味なのだろう。大谷本人も周辺も、素敵でスキがない。「声援がもっと欲しい」という大谷選手を私たちは支えたいし、私たちはそんな大谷選手から支えられたいのである。

 

 ☆後記☆

もうひと方の中国の人ですが、私たち「うさぎとカメ」の利用者なんです。先日、私に「あの通信を書いているのはアナタですか」と尋ねるのです。「うさぎとカメ」に顔を出し始めた頃よりこなれたものの、まだまだ慣れない日本語です。でも、かな交じりの日本文を読めるわけです。そのシングルマザーさんに「きれいな文章ですね」と、言われました。恥ずかしさより、嬉しさが打ちあがった瞬間でした。張り合いがあるとは、こういうことですね。

近くの施設のおばあちゃんたちが、今年も丹精込めて作ってくれた給食袋や上履き入れ。今年も子どもたちにプレゼントです。ピンクが人気でした ありがとうございます❤ 私たちはお祝いのお赤飯とから揚げ

今日は修了式。みんなお疲れ様でした。明日から春休みだよ


なりわい 実戦教師塾通信九百四号

2024-03-15 11:38:19 | 福島からの報告

なりわい

 ~たくましさの場所~

 

 ☆初めに☆

賃上げが物価の値上げに追いついていないというニュースが、頻繁に流れています。確かに買い物をするたび、物価高の実感は紛れもありません。200円を切る牛乳は低脂肪乳や加工乳をのぞいて見られなくなり、安いもので220円あたりでしょうか。楢葉の蛭田牧場も大変な様子で、値上げしたところでエサ代が追い付かないといいます。

農家の人たちの副業の話をするうち、福島の生業(なりわい)が、どう変わって来たのか、改めて知ることとなりました。やっぱり原発が作られる現場を見てきた人は違うのです。渡部さんの語りは、容赦ありませんでした。

 1 「オレは自由人だよ」

 福島と新潟の原発は、ほぼ同時期、建設に向けた調査が始まっている。新潟の柏崎・刈羽原発の建設・稼働は住民の反対運動が激しかったからなのか、福島に比べ大幅に遅れた。東北での原発誘致に関して、女川の漁師を中心とした反対運動は覚えているが、確かに福島の印象は薄い。宝鏡寺・早川住職の苦労を思った。渡部さんは外を指さす。

「ここは新潟と違ってよ、諸手(もろて)を挙げて大歓迎よ」

聞けば、かつて40軒ほどあった楢葉の畜産農家の殆どは、牛が4,5頭ほどを飼う、あくまで副業の酪農だったらしい。渡部さんの家は、20~30頭ほどの牛を抱える、酪農専業農家だった。いつになく渡部さんは熱かった。

みんなやめちまうんだ、副業はあくまで生計の一部だしな、そういうこともあるだろう。でもな、本業までやめちまう。どうしてかって? 東電から仕事のあっせんは、すごいもんだった。仕事の種類ばかりじゃねえ、東電の職員や社員になれば給料が全然違うんだよ、しかも農業と違って安定した収入だ。朝から晩まで働いて、場合によっては夜の夜中まで働くんだオレたちは。それでみんなやめてった。

そこの家も、あそこもやめてったと言って、渡部さんは庭の向こうや空の彼方を指さした。でも、そんな風にどんどん歯が抜けて行くような心細さを、どうやってしのいだのだろうと思う。いつも言っている「ご先祖から受け継いだ生業であり、土地がある」からなのだろう。それもあるんだが、そして、と渡部さんが言った。「自由でいたいってことなんだよ」。それで思い出した。渡部さんが仮設住宅での仕事をやめ、家族よりひと足先に楢葉に戻る2016年の春のことだ。戻れば草刈りや土地の整備、肥料撒きや線量測定など、山ほど仕事が待っている。私が、春からの職種はなんですか?と聞いた時の渡部さんの、嬉しそうな顔で言ったことを思い出したのである。

「4月からもう、オレは自由人だよ」

 2 奇襲攻撃「真珠湾」「ハマス」

 ツグミとシジュウカラ(どっちも鳥に全く無知な私の、無責任&勝手な想像です)の声が、のどかな宝鏡寺にこだましている。墓地の頂上まで、初めて登った。今回こそは、早川住職のお墓にお参りしようと思ったからだ。

結局、見つけられず終わったが、コンクリートで固めた斜面は崖のようで、こんな転げ落ちそうな急斜面を法事や葬儀の際に親族が登っているのかと思いつつ、眼下を見下ろした。下から見れば、おびただしい数のお墓が並んでいる。

伝言館は能登地震・志賀原発の展示だったはず。いつも隣接する「平和館」が、展示場所になっている。違っていた。

ルーズベルト大統領時代の国会議員、ジャネットランキン。女性で初めて、アメリカの議員として選出。写真にあるように、第一次大戦の参戦に反対する。驚くのは、第二次大戦にも反対することだ。つまり、アメリカの参戦は、真珠湾攻撃を機にしているからだ。連邦議員470名の中でたった一人、反対票を投じた。怒り狂った群衆に囲まれ帰宅の途に付けず、警察に電話するのだ。展示パネルは50枚に及んでいたが、その中の「戦争への準備が戦争そのものへとつながるのです。平和を願うなら平和に備えなければなりません」という彼女の言葉が、心に残った。

また、ジャネットは「真珠湾攻撃の奇襲を、事前に大統領は知っていたのではないか」と、のちに調査を要求している。私はハマスの奇襲をネタニヤフは知っていたのではないか、という疑惑を思い出した。せっかくなので、国連難民救援機関(UNRWA)の職員がハマスに協力していたことについて。この機関はオープンなもので、名簿はイスラエルにも公開されている。イスラエルの高度な偵察・分析を、ハマスに協力したメンバーは免れたということになる。

 さて、私がもたもたしてたもので、能登地震関連の展示が終わったと思った。「一階の展示を見なかった?」とは、安齋先生。一階は常設コーナーとばかり思っていた私がうかつでした。石清水八幡宮に行って、肝心な本殿を見ずに帰って来た吉田兼好のことを思い出しました。

 

 ☆後記☆

子ども食堂「うさぎとカメ」、明日です。卒業・卒園・進級・進学、もろもろお祝いのお赤飯です

小豆(ささげ)の処理が面倒なお赤飯です。試しに作ってみました。もちろん炊飯器で、ですが、美味しかった👍 小さい頃は、お赤飯を美味しいとは思えませんでした。子どもの成長で、大人が感じる幸せの味なんですねぇ。

明日発行の通信(チラシ裏)です。下の写真は、手賀沼で満開の河津桜。春です🌸


かすみ網 実戦教師塾通信九百三号

2024-03-08 11:41:29 | 福島からの報告

かすみ網

 ~カラス対策~

 

 ☆初めに☆

東日本大震災、そして原発事故から丸13年が過ぎようとしています。あの時福島に来てよかったと、今年も思い返します。今回の福島入りは、去年の11月下旬に行ってから3ヵ月ぶりとなります。コロナ騒ぎが始まって以来このペースが続いてますが、今回は何故か、久しぶりですね珍しいですね、とあちこちから声を掛けられました。少し恥ずかしいような、でも有り難い気分でもありました。楢葉・渡部牧場の梅は、元気よく咲いてました。

お茶請けを御馳走になりながら、畜産農家の現状を始め、思いがけず、原発事故のその後を知ることになりました。

 1 ビーグル犬

 渡部家に着くと、いつも断りなく周辺の畑や牛舎ををうろつくのだが、私の姿に気づいたカラスどもが一斉に飛び立つ。春先の空を覆うかと、一瞬思うほどだった。カラス増大の私の気がかりは、ビンゴだった。

すぐに飛散してしまうのでカメラに収められないが、人を小ばかにしたような声が気持ちのいい空に響く。エサがあるからだろうとは渡部さんの推論だが、そうだったら前と変わらないわけで、よそでは食べられなくなったという意味だろう。ご存じかも知れないが、日本のカラスはスズメほどでないが、人間の生活に近い場所で生息している。「♬~カラスは山の~♬」といっても、大体が近場の山や森林である。なんでも食べるし、ゴミをあさるのもうまい。以前、カラスの死骸を模したフィギュアは全く効果なしだったし、本物をぶら下げた効果も一週間しかもたなかったという。カラスの頭の良さは定評がある。猟銃の資格を取ったら?という私のしょうもない思い付きは、散弾銃のことである。カラスどもの多くが傷つき退散する。しかし、近所もびっくりするし、という渡部さん。こんなに広い場所なのに?と思うが、広い静かな場所で銃声がこだまするのだ。また、今さらこの年で猟銃の資格もねえぞ、と渡部さんは笑った。ふかし芋をテーブル上に置いた奥さんが、ビーグル犬ではどうかなと、やっぱり笑った。犬ならいいかなと思ったが、なんだ、これって大谷ネタだったみたい。デコピンは「慎重だが、勇敢でもある」犬らしい。

 私はかすみ網を思い出す。かすみ網は法律で禁止されている。細い糸で作られた網を地面近くに張る、古くからの狩猟方式だ。しかし、渡り鳥などを全滅させる恐れまであった。それで戦後、法的な規制がされた。私が渡部さんにかすみ網のことを言えるのは現物・現場を見ていたからで、法制化の後もしばらくは野放し状態だったからだ。でも、今は違う。だから出来ねえよ、という渡部さんの答だ。ところが、浪江町の一部では、やってるよ、という。かすみ網を、だ。調査なんだよ、野鳥に放射能がどのくらい蓄積してるかっていう調査だよ。背筋が伸びる。我が世の春とさえずるはずの小鳥たちが網にかかる姿、そして、帰還スケジュールが見えず、空を見上げる被災者たちの姿が浮かんだ。

 2 賑わいの思い

 干物工場「ニイダヤ」に顔を出すと、女工さんが驚いた様子で、お久しぶりです!と声を上げる。売り場の冷蔵庫が新しくなっている。原発からの廃水放出が始まって半年。しかし、工場内に陰りは見えない。「県水産物 風評 見られず」(福島民友)とあるように、売れ行きは上々で、放出が始まった直後は注文が殺到した。相双(相馬・双葉)地区が立ち上げた機構の呼びかけを中心に、全国からの支援が拡がったという。常磐ものブランド名がどこでも堂々と並んでるわ、と女工さんは元気な顔を見せた。知り合いに届ける詰め合わせと、自分は好きなサバをたくさん買った。

広野・二ツ沼直売所「のらっこ」。火力発電そばの公園は、春の風が穏やかだった。店に入ると、珍しいですね、と声を掛けられる。お昼近い時間の売棚は、いつも品切れ状態となっている。聞けば、4月から開店するのは週の後半だけで、時間も一時間短縮になる。閉めちゃうんですか、私は残念な予感を伝えた。今年いっぱいやりますよという答だったが、始まってから10年間あった賑わいは遠ざかった。定期的な線量検査は、後に抜き打ちになった。やり方もそうだが、検査そのものへの不満で「のらっこ」はその都度熱くなった。おばちゃんたちの本音に座り込んで聞き入った懐かしい日々が、思いがけずよみがえった。今日はいつもいる元気な女(ひと)がお休みでねと言った後、本を書いてる人でしょ?今日は取材でどこかへ?と聞かれた。いや、こうしてするあなた方とのやり取りが、元気の源になってるのです、と思う。大変だった町に、間違いなくあなた方は元気を送っていたのです、とも思った。そうして、10年前の「あたしたちも頑張るからね!」という、元気な声を思い出す。

 

 ☆後記☆

いつも利用しているビジネスホテルでも、お久しぶりですねと声をかけてもらって、ありがたい福島行でした。やはり、渡部さんのところでは、濃い時間を過ごしました。後半部は次回、伝言館のレポートと共にお送りします。

お茶請けで頂いた芋が美味しくて、お土産を催促しました。日向に4,5日置いとくと甘さが出て来るヨと言われたので、このようにやってみました。確かに日ごとに甘みが増す。皆さんもやってみてください。ふかし芋ですよ。

 ☆☆

今日は柏市内の中学校で卒業式🌺 せっかくなのに雪、それも牡丹雪です。でも、見送りの時には止んでる感じですね。みんなと肩を並べて同じ年月のことを振り返る/心を通わせることって、実は人生の中でそんなにないことなんですよね~👬 ♬~意味のないいさかいに泣いたあの時(『旅立ちの日に』)~♬ みんなおめでとう🏫⛄

 ☆☆

オオタニさんの結婚を書かないのか、というご意見をいくつかいただきました。書いてるんです。福島に出発した後に分かったことでした。ブログはデスクトップのパソコンからアップしているため、急きょスマホからコメント欄に追記したという具合です。良かったら読んで下さい。


夢と目標 実戦教師塾通信九百二号

2024-03-01 11:48:29 | 子ども/学校

夢と目標

 ~育てる・育つ~

 

 ☆初めに☆

いやぁ、春が来たって感じです。オオタニさん、打ってしまう、打っちゃうんですねえ。ホームラン🥎 まだオープン戦だというのに、日本はもちろん、あちこちで気もそぞろの状態なんで……。オオタニさんを中心とする熱狂は、被災地まで元気を送っていると聞きます。みんな自分で分からないうちに、元気になってる。不思議です。

立てるな、やれ、立ててどこが悪いと、ずい分な論争となった京大の立て看も、こんな感じで復活を遂げたようです。「憧れているようでは落ちるぞ」というのか、もっと意味深なのか。WBC決勝戦前のオオタニ発言は、こんな所にも登場してるわけです。今回は、オオタニさんの言葉を取っ掛かりに、私たちの場所を考えてみようと思います。

 1 教員の言葉

 前も言ったと思うが、プロの選手が良く言う「皆さんに夢・希望を与えたい」とか、大谷選手は絶対言わない。「僕が打ったり投げたりすることで、皆さんが喜んでくれたり感動してくれるなら、それは嬉しく思います」と言うのだ。かなり遠回しとも言えるこの言い方は、相当な注意を払っている。一回ぐらい「普通の」言い方をするのではないかと耳をこらすのだが、それがない。自分が野球をするのは「人のためではない」と考えていないと、こうはならない。誤解を恐れつつ言えば、大谷選手は「好き勝手にやっている」だけなのだ。東日本大震災の時も、今回の能登半島地震でも、スポーツ選手の「被災地の皆さんに勇気と希望を与えたい」という激励をずい分聞いた。杉良太郎と伍代夏子夫婦は違ってたんだな、と報道を見て思った。東日本大震災の時からずっと見ていたが、ずい分寂しい思いもしただろうなとも思った。東日本大震災の年、田中マー君が東北の被災地を訪れて「『帰れ』って言われると思った」と人目もはばからず泣いたことや、嶋の「見せましょう、東北の力を!」も思い出す。彼らはこんなにも被災者のそばにいた。しかし、「被災地の皆さんに勇気と希望を与えたい」は違う。ここには「そばにいる」ことの「困難さ」が、微塵も感じられない。そして、自分が「与える」存在であることを全く疑ってない。元気な自分が、苦しんでいる人たちに元気を与えられたら嬉しいという。まさか、被災地に行って自分が元気をもらおうとは思わなかった、という多くの人たちの感想を噛みしめるべきだろう。こういう善意のもとに、一方的に送りこまれるものを「教員の言葉」という。相手をよく見ないうちに「与える」言葉がアドバイスだという勘違いを、多くの教員が犯すからだ。

 2 生活の言葉

 私たちは書く・読む前に、話す・聴くことをしている。人類史としてもそうだが、生活の基本・根底だ。そして、ふたつの行為の間や前後に、私たちは「考える」という行為を行っている。これが疎かになっている昨今だなぁと、オオタニさんを見ていて思う。私たちは何かを書く時は、話す時より「よそ行き」になっている。こん畜生とかクソ死ねと書くことは、そんなにないからだ。つまり、話し言葉は書き言葉より、ずっと豊富だとも言える。とっさに出て来るものはネイティブや方言であって、学んで得た「よそ行き」はそれに及ばない。国民的レベルの「〇〇させていただきます」や、政治家どもや経営者の「多大なご心配とご迷惑」等々の決まり切ったセリフに対し、「毎日」の「生活」の言葉が自信を持って進むためには、私たちの「考える」が、登場願わないといけない。しかしこれは、子どもたちの生活を見ていれば、そんなに難しいことではない。小さい子どもたちは、大人たちが語るたくさんの言葉に囲まれて漫然としているわけではない。おばあちゃんたちや、一定のお母さんによっても「この子はちゃんと分かってるのよ」などと言うのがそれである。そんなはずはないと侮(あなど)っている大人を、いつの間にこんなこと(or言葉)を覚えたものかと、子どもたちはびっくりさせる。私自身の経験でも、我が子が「字」に興味を示さないことが不安になり、入学前に少しでもと『あいうえ王様』なる絵本を買うなんぞということがあったことを、だいぶ前に書いたと思う。しかしある日、すべてを読んでいる。「たった一日で」というのが実は勘違いで、子どもにはそれを「知る」ことと、それを「使う」必要は別な場所にある。大人はその子どもの事情を知らないだけだ。よくいう「馬を水辺まで連れて行くことが出来ても、馬に水を飲ませることは出来ない。それは馬が決めることだからだ」に言い換えてもいい。

 オオタニさんが、記者から「子どもたちに夢を持って欲しいと思いますか」と聞かれた。

「僕が野球をしている姿を見て、子どもたちが野球をしたいと思ってくれたら嬉しいです」

この答えのどこにも、夢を与えたいとか目標は大事だ、というメッセージは見当たらない。子どもたちの「したいと思う」気持ちは「育つ」ものであって、強引に導き出す(育てる)ものではない、とでも言っているかのようだ。

 

 ☆後記☆

3月になりました。いよいよ新しい生活へ、秒読みです。学校に行くと、あちこちで「3年生/6年生を送る会」の練習、やってました。グレイの「卒業まで、あと少し」が、頭の中で始まります。♬~汗を吸ったグランドの上~♬

私たち「うさぎとカメ」でも、お祝いのお赤飯です。人気メニューのから揚げを添えます。おめでとう!です

我が家でも梅がほころんで来ました。春です🌺

 ☆☆

昨日から福島にいます。3ヵ月ぶりです🦢