実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

叔父・隆の勝 実戦教師塾通信六百四十九号

2019-04-26 11:28:44 | 子ども/学校
 叔父(おじ)・隆の勝
     ~『さあ、ここが学校だ!』をめぐり~


 ☆初めに☆
二度目の巡業見学に行って参りました。入口には白鵬に並んで、隆の勝の幟(のぼり)が目立ちました。土俵正面には満員御礼の垂れ幕が下がっています。相撲日和のいい一日でした。

若い女の人が多いなあ、と感じますねえ。上位の人気力士ばかりと思いきや、まだメディア上で露出の少ない力士にも人だかりがしています。握手やサインやらで、力士専用トイレ前は彼女たちでひしめいてました。

 1 叔父・隆の勝
なんで隆の勝が叔父さんなのか。

この写真の赤ちゃん、ファンからの抱っこリクエストではなく、隆の勝のお兄ちゃんの子どもなんです。以前書いたように、隆の勝が中学二年の時だけ、私は授業を受け持ちました。でも、お姉ちゃんの時は副担任、お兄ちゃんの時は担任でした。結構な縁なのです。この写真を撮ったのもお兄ちゃん。すでに半べそをかいているこの赤ちゃんは、隆の勝から見て甥(おい)っ子(姪っ子?)にあたるというわけです。私たちの目の前には、お兄ちゃんと奥さん、それにお姉ちゃんとお父さんがいます(お母さんは、中で観戦中です)。それにしても赤ちゃんと隆の勝、似てますねえ。

 2 ラーメン注文の犯人
「ねえベンさん、ベンさんの本てぇ、なんて言う名前だっけ?」
何度か言いましたが、この「ベンさん」、柏市西原中学校時代の私のあだ名です。
こう出し抜けにお姉ちゃんが聞いてきます。この世代の連中の言う「私の本」と言えば、間違いなく『さあ、ここが学校だ!』です。こいつらの犯した数々の悪さが克明に書いてあるのですから(そればっかりじゃないけど)。
 お姉ちゃんは発売と同時に「おめでとう、そしてありがとう!」と写メくれたのですが、今は見当たらないという。
 さてそこから盛り上がり、予定通りというか「あの時は/あれは」、そして「実は」のオンパレード。この日初めて聞く話も多かったお父さんは、呆れながらも笑っています。私もこの日初めて知ったことは、ラーメン/ピザ大量注文の犯人です。ある日、学校に大量のラーメンが「へい、お待ちどうっす」と届いたことまでは本に書いてあります。この日まで犯人は男どもだと思ってた。
「あたし(たち)だよ」
お姉ちゃんが幸せそうに言うそばで、さすがにお父さんが「先生、そういう時は弁償させなきゃ」と言うのですが、ラーメン屋は学校と信じてたし、私たちも電話番号が分かれば検挙&弁償の道を開いた。
「公衆電話だったし」
お姉ちゃんの笑いは止まりません。「だって食べたかったんだもん」だと? 結局食べられなかったくせに。あの時、ラーメン屋が泣いたのか私たちが弁償したのか、もう記憶のかなたです。

 3 若い奴の生きる場所
 今もこの悪ガキどもは、定期的に集まってはおしゃべりしているそうです。でも、いい話ばかりではないようです。
「今の若い奴らは元気がないよなあ」
と言ったのは私。でも、私たちは元気だよと言うお姉ちゃんです。私は、オマエたちのようにまだガキの頃、良いことも悪いことも一杯やっておくと違うんだけどなあ、としみじみつぶやきます。お姉ちゃんはうなずき、
「それやってないからね、みんな。大きくなってからやってる」
「そうするといつまでもこじらすんだよね。特に女子」
と言うのです。これがこの日の締(し)めの会話だと思いました。
 取組は十両まで見たし、お父さんには15年前の家庭訪問で見せてもらったミニカーのコレクションを、いつか見せてもらうことを約束し、私は体育館を出ました。



 ☆後記☆
旭天鵬と話してきました。ブログ644号の「当たりと踏み込み」を確認したかったのです。

     これは高安と貴景勝のぶつかり稽古の場面です。
「力を吸収する踏み込み」を了解しつつ、
「そうしないと次の技が出せないからね」
と言ったあと、
「まあ、考えてやってるわけではないですし」
とも言った。気がついたら結構な時間がたってました。うるさがらず丁寧に話してくれて、ありがたいです。

     土俵の外で弟子にアドバイスする白鵬。土俵には上がりませんでした。
 ☆☆
外に隆の勝専用ブースがありまして、サインや撮影などで人垣がいっぱいでした。

     人が手薄になった頃を見計らってのショットです。
取組が終わったあと、隆の勝一家と中央通路で話していた時のこと。
「柏のボース!」
と連呼して通りすぎる力士。貴景勝でした。インタビューで見せる表情とは全く違ってました。そう言えば同じ千賀ノ浦部屋でした。

 いよいよ10連休ですね。

「風化」ではなく 実戦教師塾通信六百四十八号

2019-04-19 11:35:58 | 福島からの報告
「風化」ではなく
     ~8年後のこちら側で~


 ☆初めに☆
電気供給先を変えました。銚子電力、皆さん知りませんよね。この4月に供給が始まりました。

千葉の地方版ではニュースになりました。全国広域(残念ながら離島はダメみたいです)で受け付けてますよ。事故から8年、様々なお誘いがありましたが、これでようやく東電から脱退できます。風力や太陽などの自然エネルギーです。「銚子の地の利を生かした」が、うたい文句でした。
故障や停電の時が気になりますが、その時は東電が駆けつけます。つまり、あくまで銚子電力は「発電」を請け負うわけです。「送電」はまだ小売が自由化されていないため、東電が引き継いでもうけています。仕方ないか。
銚子電力で得た利益は、赤字経営で苦しむ銚子市に還元されるという、おまけもつきます。言わずと知れた「ぬれ煎」は銚子電鉄に寄与してますが、今度は地方の発電が地方自治体を救うといいです。
お値段の方ですが、従来より3~10%お得だと言います。私は零細な消費者なので、どうなのかな。

 ☆どうするかは自分で考えねえとよ☆
4月10日、福島県大熊町の大川原地区と中屋敷(ちゅうやしき)地区の避難指示が解除されました。現在、帰還する人はわずかで、帰還を希望する人は半分もいません。また病院もスーパーもありません。
私がお邪魔を続ける楢葉町は、2015年の9月5日に帰還宣言が出されました。この時も、今と同じ心配が取り上げられました。いま楢葉町の様子を見ると、整備された道や商店街に、人々や子どもたちの姿を目にします。小中学校の児童生徒数は100人を越えました。でも事故前の20%を切る数字を、どう評価したらいいでしょうか。
帰ることをためらう理由に放射能をあげる人が多いと、よく取り上げられます。でも、事故から5年以上ふるさとから離れた場所で過ごした人たちは、当然そこに新しい友だちや仲間が出来た、あるいは家を建てました。いわき市にまだ残っている仮設住宅で、ふるさとの様子をうかがいながら暮らしている人たちも多いのです。大熊町について言えば、復興住宅は大熊町ではなく、いわき市に出来ている。帰還困難という事情から考えれば当たり前ですが、避難先に建てられているのは仮設住宅ではないのです。帰らない理由は様々です。
もう何度も言いましたが、はっきりしていることは、原発事故が悲しみや憎しみを生み出し、人々や地域をばらばらにしたことだけです。あとは何にも分からない。
「『オレのことは一生東電に養わせるんだ』っていう人もいるんだけどよ」
「どうするかは自分で考えねえとよ」
楢葉の渡部さんの言葉は、これからずっと着地する場所を探し続けるのだと思っています。

 ☆入学☆
渡部さん家に着くと、息子がちょうど車で出かけるところでした。前進するというのに、前で奥さんがオーライを言っています。そこに車がいるからさと、奥さんは言うのですが、笑っちゃいました。

     家の入口で迎えてくれた猫ちゃん。いつもいい顔で嬉しい。
あの日、息子は四年生。避難は原発からではなく、地震からだった。みんな何も持たず校庭に逃げて、そのまま帰宅したあの日。翌日からは原発からの避難。だからすべて学校に置きっぱなしのまま。それから8年が過ぎたのです。
8年後の四月から、息子は農業専門学校に行きます。楢葉から遠く離れた学校です。それで車が必要で、免許もとったのです。

 ☆平凡な生活を目指して☆
立っている牛は一頭もない、あったかな日でした。

また、新しい仲間が増えてました。見慣れない奴だという顔で、こっちを見ています。

そして奥には、生まれたての子牛。

これらはみんな和牛(肉牛)、和牛でも母牛は乳を出す。一日一キロです。これが乳牛だと一日40キロだという。
「あん時はもうどうするかと思ったよな」
珍しく声を詰まらせる渡部さんに、奥さんも同じでした。地震直後に襲った停電は、乳しぼり機を止めたのです。
「お湯を沸かして、手を温めてよ」
二人で必死に乳牛30頭の乳しぼりをしたという。30頭×40キロ=1200キロ! 手では追っつくもんじゃねえ、渡部さんの話の後で、牛のつらそうな叫びが反響する。
この停電が渡部さん家の目と鼻の先にある東電のものでなく、東北電力のものだということを思い出しました。

「風化」という言葉を、私は好きではありません。当事者でない人間が使う「風化」は、遠くからえらそうです。
この日も奥さんから、ブロッコリーや菜の花など美味しい野菜をいただきます。
「洗って食べてね」
初めて言われました。奥さんは、私がほうれん草や菜の花を面倒くさがって、洗わずに炒めて食べるのを察したわけではない。でも、「気をつけて」という意味でもないと思っています。楢葉町で作られる農産物が安全ではないと、渡部さんたちも、そして私も思わなくなった。検査が繰り返され安全が確認され「手間とお金が無駄だ」という声も出て、農産物は市場に出ています。でも奥さんは「洗って」と言う。これが「普通は洗うものだ」とは違う、でも「危ない」とも違う意味だと思っています。これが8年かかって到達した地点なんだと思いました。これは「風化」とは別な物ものです。楢葉の人たちの「平凡な生活を取り戻す」いまを生きる姿なのだと思っています。
結局菜の花は、洗ったり洗わなかったり、でした。



 ☆後記☆
息子(なぜか息子には「さん」をつける気持ちにならないのです)が、私にカツサンドと「饅頭(まんじゅう)パン」を差し入れてくれました。びっくり。このパン、名前の通り大福饅頭をパンで包んであった! これがうまいんです。楢葉にお越しの際は、ぜひ食べて見てください。お薦めです。


我が家の庭に遅咲きの桜。名前が分かりました。「イチヨウ」。イチョウではありません。「一葉」なんです。
 ☆☆
先日、柏・千代田町は、ここで何度か登場した「和さび」で、「ネギま」を頼んだんです。ネギと「まぐろ」でした。知ってましたか。ネギまの「ま」はネギの間に鶏がある「間」ではなく、まぐろの「ま」がもともとだったそうです。風味が似ているということで、鶏が代用されたというんです。驚きました。

  同じくこの桜、渋滞で有名な柏市呼塚(よばづか)の交差点そばの桜公園。
  本当に国道そばです。すぐそこを車が走ってます。

LGBT 実戦教師塾通信六百四十七号

2019-04-12 11:25:33 | 子ども/学校
 LGBT
     ~社会は「窮屈」を目指す~


 ☆初めに☆
昨年暮れの心愛(みあ)ちゃん事件から相談が増えました。当然いじめに関する相談が多かったのですが、その間を縫うように「LGBT」の相談が目立ちました。失礼ながら、相談者の側に混乱が見られるケースが多いかなと思いました。
 ☆☆
この問題に対する焦点のあて方に、以前からずいぶんと不満を感じていた私としては、この機会に言いたいと思ったわけです。マイノリティの人たちに「理解ある人たち」の、いらぬすそ野の拡張と、いらぬおせっかいにもの申したいということです。
書くにあたっては、相談内容や場所が特定されないように脚色しました。ご容赦ください。

 1 相談の中から
「あなたの友だちがLGBTだったらどうしますか」
なんていう授業が、全国で始まっている。「どうしますか」だと? LGBTが「生徒には理解不能」なものとして問題が設定されている。そして「理解しないといけません」という「目標」が透(す)けて見える。何よりこの出来事が「事件」扱いされている。「この問題が解決されるためにあなたの理解が必要」なる設定で、何が変わっていくのだろう。巷(ちまた)を賑わしているLGBT「支援」にいやな臭いを感じるのは、私だけなのだろうか。
 さて、私に寄せられた相談である。とりあえず三つほど。
 ひとつ目は、息子が女物の服に興味を持ち、油断すると妹の服を身につけたがるので困っているという。実はこの手の相談は、結構多い。ちょっと前までなら、そういうことはよくあることで慌てることはない、彼の年頃なら心配の種ではない、というアドバイスで済んでいた。もうお分かりの通り、今はここに「LGBT」がからんで、心配を「増幅(ぞうふく)」させる装置となっている。
 二つ目。仲良くしていた友だちと喧嘩した。でも、それ以来、友だちが「冷たく」なった(両方とも男)。この後どうすればいいでしょうか、のあとにさらに「僕はLGBTでしょうか」という相談なのだ。「LGBT」かどうかで悩む必要はない、友だちがあなたを遠ざけるのなら仕方ない、とりあえずは距離を置くしかないですね、というのが私の回答である。これも同じく、問題回収/解決の方法に「LGBT」という迂回路(うかいろ)を設定してしまっている。
 学校現場からの相談として、生徒に「女でいることがとてもつらそうな」子がいるというもの。周囲の子どもたちもそれに気付いていて、気をつかっている様子だという。結論は見えている。この女子は、こんな先生と生徒にちゃんと見守られているのだ。

 2 新たな「禁止事項」
 LGBT問題でいま許されないあり方をあげるとすれば、告白した人を「アウティング」し、嘲(あざけ)りや笑いの対象として拡散させることだけである。でもこれは、ネットやlineで繰り返されている多くの不始末のひとつと考えた方がいい。ネットを使った誹謗中傷をやめなさい、ではなく、LGBTというカテゴリーに絞り込む姿勢は、攻撃する側のモチベーションの高まりに、おそらくは火をつける。
 そしてLGBTというカテゴリーに「特化」する解決法は、別に問題を派生する。「分かったような顔」を生む問題だ。これは障害者問題に対する態度と似ている。
 電車で、名札をつけた人の連れ添っている子どもが、何か叫んでいる。今日はお出かけですか、私は大体、付き添いの人に声をかける。ただし、彼らが近くにいたという条件で、だ。付き添いの人は、大体がホッとした顔をする。
 電車で叫んでいる子を見て、多くの人が下を向いてしまうのは、好奇の眼差しで見ることが「差別になると思う」からだ。また、視覚障害者のために交差点は音を出すようになり、車椅子のために歩道の段差もなくなった。しかし、大丈夫ですか、と声をかける人は増えたのだろうか。本当は「何も分かってない」私たちは、「分かったような顔」をするしかなくなっている。考える時間や面食らう時間を持たないまま、「◇◇してはいけない」気持ちを大きくして来た気がする。
 今またLGBTをめぐって、私たちに「禁止事項」が増えようとしている。

 3 新たな「窮屈」
 中世まで「性」の世界は、おおらかだった。ギリシア神話の「両性具有(男女両方の機能/身体を持つ)」を始め、日本でも「男色」は、中世に隆盛(りゅうせい)を極めていた。これがビクトリア王朝時代で崩(くず)れる、としたのはフーコーである(『性の歴史』から。以下「 」は同書からの引用)。ここからすべての性現象は、唯一「両親の寝室」でのみ承認され、それ以外のものは「無用で有害なもの」となった。しかしこの社会は同時に、
「様々な非合法の性行動にどうしてもその場を与えてやらねばならない時は、別な場所にいって騒いでもらおう」
という「譲歩」もする。
 罰するばかりではない、認めましょう、というのだ。これが実現されればしかし、ここには「許されざるもの」の、ある窮屈さが発生する。
 私には、いま叫ばれている「多様性の寛容」は、ここで引用した「譲歩」でしかないように見える。LGBT支援に関して言えば、少なくともそれは「性の解放」とは関係がない。ここで私たちには「◇◇しなくてはいけない」容器しか用意されていないからだ。社会がまた新たな「窮屈」を目指している。



 ☆後記☆
2月か3月頃に、男子中学生にキスをした女の先生のことが報道されたことを覚えてますか。私が違和感を感じたのは、そのスペースの、または声の大きさが格段に違っていたことです。女子中学生に男の先生がする同じ行為でもニュースにはなる、しかも結構ありますが、全く違う扱いでした。しかし、このニュース(男子生徒VS女の先生)の扱いに、抗議の声はどこからも上がらなかった。「悪いことは悪い」からでしょう。女の先生が「特に」してはいけない行為となっちゃったのですね。

        文京区・護国寺の桜です。
 ☆☆
2、3月に受けた取材の中で、先月末の私の記事(『週刊 読書人』)を目にとめて、感想/相談を寄せてくれる方もいらっしゃいました。そんな中、いじめもそうですが、セクハラ/パワハラについての悩みについても少し言及したいと思いました。今回の「社会は『窮屈』を目指す」の後編を、早めに出したいと思ってます。

   今日も寒いですね。お蔭で今年の桜、ずいぶん長いこと楽しめますね。増尾城址(じょうし)公園です。
 ☆☆
いや~ 桜田先生やめましたね~ 千葉県の方はご存じですが、あの人、地方選挙で自民党県連の選対やってたんですよ~ 頼む方も引き受ける方も、みんな自信家でいいな~ 頑張れレンポウ!

国技/白鵬 実戦教師塾通信六百四十六号

2019-04-05 11:32:22 | 思想/哲学
 国技/白鵬
     ~神事/興行/伝統芸能/格闘技~


 ☆初めに☆
あの日やっと出てきたイチローが、観客のカーテンコールに応えました。球場がこんなことになっているとは思いも寄らなかった、と言うイチローの表情は静かで、そして幸福に満ちていました。
大阪場所千秋楽での「手締め(三本締め)」を、私たちはどう受け止めたでしょう。私は、イチロー最後の場面と対照的なものを感じました。一方は観客が呼んだものでしたが、白鵬の方はそうではない。喜びや名残(なごり)惜しさの共有にあたっては、簡単に行かないものがあるのだなと、両方の姿を見て思いました。
ちなみに、
「いいんだよ、騒ぐことねえんだ。(白鵬は)日本人じゃねえんだから、わかんねえんだよ」
とは、特養ホームで暮らす大の相撲ファンの言葉です。
 ☆☆
今回は相撲の話題なのですが、カテゴリーを「思想/哲学」としました。大相撲は、歴史的岐路(きろ)にあると思えるからです。あれほど相撲を愛している白鵬の、角界やファンと繰り返されるズレに言及したいと思います。
     

 1 マナー違反か
 敬愛してやまない双葉山を、白鵬は繰り返し御参りし、あるいは「相撲の神様」能見宿禰(のみのすくね)神社を島根まで訪れる。明治維新の断髪令(だんぱつれい)の際、力士は例外となった。その時の大久保利通の尽力(じんりょく)を誰が知ろうか。白鵬の優勝インタビューで私たちは知ったのである。
 そんな白鵬が、土俵は五穀豊穣(ごこくほうじょう)の願いを米俵にしたものであることを知らないはずはない。それでも仕切りのたびに、俵を足で踏みつけている。親方も協会も注意しているのは間違いない。失礼を承知でもやめられない白鵬の理由は、おそらく土踏まずを踏みつけることによって「気」を落とし鎮(しず)める、メンタルな理由なのだとは思う。
 そして、先立っての「手締め(三本締め)」、逆上れば「万歳三唱」もあった。
 白鵬が技(わざ)ばかりでなく、作法においてもミスをしないかと手ぐすね引いて待っている連中は、残念ながら少なからずいる。始末の悪いことに、こんな連中に「にわか相撲ファン」と、何にも分かってない「ナショナリスト」が多い。連中にもってこいのチャンスを、白鵬が作ってしまっている事実はある。
 土俵の上で、あるいは外で何が起こっているのか。

 2 神社再建
 相撲の起源は、大体が古事記に記録されている能見宿禰と当麻蹴速(たいまのけはや)の対決とされている。もともとが相撲は、角力(かくりょく)と呼ばれた力比べが起源である。中世・戦国の世までこの流れは続き、相撲/角力好きの織田信長は、全国の力自慢の猛者(もさ)を集めて大会を催(もよお)したらしい。
 当初、この猛者どもは喧嘩や騒乱の「華」だった。そうするうちに花見や収穫祭などに担(かつ)ぎだされていったわけである。田舎(いなか)相撲という民衆の楽しみを、朝廷や大名は放っておかなかった。こうして相撲も、伝統芸能/歌舞伎と似た経過をたどる。
 歌舞伎の祖・出雲阿国(いずものおくに)は、大社を修繕する寄付集めのため、各地や京(みやこ)を回った。いわゆる「勧進」の元祖と言えるこの行動は、後に全国の氏子(うじこ)たちの寄付集めとして引き継がれる。それによって地方神社は修理をまかなった。田舎相撲の名だたる地元の猛者が、この機を迎えた。「無病息災」と、稲作国家に必然の「五穀豊穣」を掲げて、神社が角力/相撲を主催する。相撲は、そんな経過で「神事」が裏側にはりつく。「相撲=神事」とは、実は「地獄の沙汰も金次第」という話なのさ、と決めつけてはいけない。民衆は、ご贔屓(ひいき)力士の勝ち負けで明日の天気/幸福を占い、豊作を祈った。何より、力士の勝ち負けは力士の力によってではなく、神のご加護によっていた。力士の背後には神がいたのだ。

 3 神々の変容
 わが千葉県の柏市では、近年復活した「八朔(はっさく)相撲」が行われている。力自慢のちびっこたちが、毎年そこで強さを競っている。八朔は旧暦8月の1日を指し、現在もその習いに従って9月に開催される。お察しの通り、これは収穫を祝う行事である。中世に行われていた朝廷開催の相撲は旧暦7月頃の開催だったが、皇室専属の儀式ではなかった。やはり相撲の始まりは、国々(村々)のイベントというのが正しいようだ。
 力士は、国(村)を守る「関」であり、向こう側の「関」を止める「関取」なのである。今も豪栄道や琴奨菊が大阪や九州で喝采(かっさい)を浴び、土佐の海や隠岐の海が地元を名乗る。これが「江戸の横綱より、村の三段目」と言われる所以(ゆえん)だ。しかし今や、相撲の「お国」は山川郷村を越えた。破瑠都(エストニア)や黒海(グルジア)が、お国ならぬ「国」を背負っていたことも紛(まぎ)れない現実である。

     江戸時代に初めて認定された横綱。初代の谷風。
 たとえば宇佐神宮が、八幡神として石清水(いわしみず)八幡宮を始め、全国に神社を創建したのは七世紀である。神と仏が入り乱れ、あるいは習合して行った。その中で、保守的な農民層がそれに反撥し、地元固有の神だけを尊崇(そんすう)したという事実もあった。地方の神社にしかない習慣/習俗が今も引き継がれるのは、その辺の事情がからんでいるようだ。神々の位置にしてさえそうだ。いつの時代も単純ではない、ということだ。

 2011年の震災後、三陸の海岸で、
「神の怒りを鎮めてくれ」
人々に言われた白鵬は、言われるままに海に向かって土俵入をした。それ以来余震が収まった、と東北の人々が感謝した。テレビで見た海に向かう横綱と涙で見守る人たちの姿は、まるで時を越えた神社奉納相撲のようだった。



 ☆後記☆
ついでながら、相撲が「国技」を名乗ることになるのは、両国に相撲の常設館ができた明治の終わりです。百年しか経っていない。ちなみに「国技館」の名称にしても、本当は伊藤博文が提案する「尚武(しょうぶ)館」と決まっていたのです。相撲にからむ様々な偶然や必然、面白いですね。

     千葉県我孫子の親水公園。ここの桜、咲きが遅くて多分来週が満開です。
 ☆☆
花見に行くと、結構大きな子どもがいる。そう言えば春休みだったんですね。今日から学校が始まります。入学式まで桜は待ってくれるかな。

        同じく親水公園。河童が四匹(四人?)。