実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

通訳 実戦教師塾通信九百八号

2024-04-12 11:38:36 | 子ども/学校

通訳

 ~「覚える」「記憶する」~

 

 ☆初めに☆

うっかりしましたが、先週の始業式を忘れてました。新しい先生方の着任なども全部すみ、新しい学校の始まりです。今週は入学式でした。うすら寒い日が続いたお陰で、今年の桜は学校行事にすべり込みセーフと相成りました🌸

桜さん、今年もこんなに素敵な春をありがとう。大津ヶ丘団地(左に少し見える)のそばです🌷

一日一日がいとおしい春です。学校に出向いて考えることには、楽しいありがたいものがあります。今回は、必要なことは無理せずとも身につくし、要らぬことは無理しても身につかないものだ、ということを考えます。

 1 「日本語」の問題

 「やっと出た」オオタニさんのホームランボールを巡って、いろいろなことがあったようだ。ホームラン直後に、ドジャース側が女性とボールの交渉をしたという。女性の旦那さんの同行を球団が拒んだ等という、本当なら失礼ないきさつが報道された。問題は、このホームランボールをキャッチしたラッキーな女の方と「話して、サインボールとバットをふたつずつ(だったかな)を渡して、ボールと交換してもらった」という大谷選手の発言をめぐってである。この話し方だと、本人が直接「話し」て「ボールを受け取った」ようにも聞こえる。いや、そのように想像するのは確かに自然だ。これで「大谷は嘘つきだ」という、少しばかり騒ぎとなったようだ。私たち(日本人)の多くは、そうは思わなかったはずだ。それもありだが、ボールは球団が交渉して戻ったのか、と思うくらいだろう。水原通訳だったら、こんな結果にはならなかったのではないか、とも言われている。でも、世界のどこであろうとも「なんだ、そうだったのか。勘違いしたヨ」で終わりだ。勘違いさせるような言い方をするな、という問題の立て方が意地悪なのである。こんな中で、日本語には「主語がない」「あいまいだ」と、改めて思われたようすだ。

 2 欧米の傲慢

 水原通訳がいたら、確かに大谷選手をカバーしただろう。しかし、そのことで「未成熟な日本語は、面倒な手続きを必要とする」と言うとしたら、全くの見当違いだ。日本語で「天気がいい」は、英語の「fine」だけで済む。しかし、英語では主語の「It」を付けて「It is fine .」にしないといけないというわけだ。ところがお人よしの日本は、「今日は天気がいい」の主語が「今日」か「天気」の方かなどと相手の土俵で議論する。かく言う私も、文法の授業で「どっちだ?」と騒いだわけである。今も「誰が」「誰に」などと、妙なこだわりで頑張ってる姿を見かける。

のの子さんが「質問があります」と立ち上がって自分の椅子を机に収めつつ言う/先生が『誰がですか?』と厳かに言う/「私が質問があります」(のの子)/『誰にですか?』(先生)/「のぼる君の意見にです」(あくまで律儀なのの子さん)/『のぼる君の意見に対して、質問があるのですね?』(あくまで由緒正しい先生)

ちゃんと聞こうとする気があんのかよ! これじゃちっとも先に進めやしねえよと、のの子が啖呵を切ってもいいのだが、趣味の悪い儀式的やり取りを、今も教室で見かける。実は英語圏でも、いい天気のことを「fine」で済ませることも多い。しかし、言語に限らず、人類の目標はひとつで普遍的であると、ひたすらまい進して来た欧米の歴史は、いかんともしがたい。フランス語が最も優れているとした「ポールロワイヤル文法」が発出されるのは、17世紀だ。まあいい、日本語は「場所」の言葉だ。相手やその場での「暗黙の了解・前提」が、常に話の土台にある。青空の下で、満開の桜を前に「僕は気持ちいい。君はどうですか」なんて気味の悪い話し方を、日本人はしない。「気持ちいいね」で終わり。相手も「そうだね」で終わり。こんな話し方・暮らしを、私たちはいつくしむようにして来た。

 3 「承知している」?

 毎日の言葉とは違う正しい言葉を奨励する一方で、時代に応じた先進的と呼ばれる、極めて略式(迅速?)な意思疎通を、私たちはしている。例えば、マークシートだったり、タブレットの使用だったり。主語もへったくれもない。イエスかノーかの2進法で、ことは進む。実は、マークシートもタブレットも、日本語と同じく不可欠な前提(「条件」と言ってもいい)がある。それがなければ、作業が困難になるのだ。日本語と同じく、ITにとっても肝要なのは、前提の確認が出来ているかどうかだ。丁寧にやらないといけない。子どものことだったら、大人や教師がリードしないといけない。それをせずに、こんなことも分からんか等と、言ったり威圧的にすれば、子どもは自信をなくし無口になる。大体が今は、初めから相手をけむに巻いてやろうという意地悪な大人が大手を振るっている。

「裏金の件は承知している

だと? こいつらは、身につかない言葉(「官僚の言葉」と言ってもいい)を探しあてて、こんなことも分からんかと言っている。こんなもの、いくらやっても身につくものではない。体験に基礎づけられた「毎日の言葉」ではないのである。危険回避や道具の使い方、身の処し方は体験に基づくものだ。それを私たちは「覚える」と言って来た。毎日の言葉は、苦労して「記憶する」ものではない。知らず知らず「身につく(覚える)」のだ。「記憶する」必要は、体験がないところで生まれる。「記憶」が頼りないのは、そのせいだ。

 意味の不明瞭な「承知している」のことで言うなら、

「承認している」というのか?/「知ってるが放置した」というのか?

けむに巻く気か!と言わないといけない。しかし、追及する側の自信のなさは、無残なほどだ。こんなみっともない状態だから、欧米から「日本語は未成熟だ」と言われる。とりわけ、明治維新の激動の中で、言葉や習慣は揺らいだ。私の拙い言語学的蓄積から考えても、標準化政策や言文一致運動は人々の地盤を崩した。句読点(「、」「。」)の全面化もそうだ。私たちの「覚える」場所は、「記憶する」場所に大きく浸食されたのである。

 

 ☆後記☆

何とも中途な締め方となりました。次の機会に、句読点や漢字の弊害なども書くつもりです。それにしても、水原一平さん、無事なようで良かった。これからも大変な日々が待っていますが、なんとか乗り切って欲しいですね。

桜をもう一枚。北柏ふるさと公園、桜のトンネルです🌸

 ☆☆

子ども食堂「うさぎとカメ」、来週となりました。定番メニュー「焼きそば」です。自信もって、美味しく作りま~す。おいでください

 


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