実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

年末・年始(2) 実戦教師塾通信八百九十三号

2023-12-29 11:48:20 | 旅行

年末・年始(2)

 

 ☆優しさに出会う街 盛岡☆

いつか紹介した、新聞のタイトルそのままです。夏まで待ちきれず、20年ぶりで岩手に出かけました。駅前。街は大きくても、人の行き交いは静かです。駅も駅前も、音の種類は首都圏より少なく、大きさも控えめな気がします。

街中を結構散策しました。すると、いやでも気が付きます。交差点のない十字路を通ると、必ず車は止まります。歩行者が渡るかもしれないと思うのでしょう。車は、軽だろうがBMWだろうが、同じです。

駅のすぐそばに、盛岡市を縦断する北上川。開運橋から撮りました。向こうの雲の中に雄大な岩手山。川沿いにプレハブ造りの喫茶店がありました。川が見える席に座ると、外側のストーブをつけようとするので、大丈夫ですよと断りました。でも、いやぁ点けますよと笑う、オーナーらしき金髪の若者です。

東京駅を設計した辰野設計事務所が、1911年に建てたレンガ造りの岩手銀行。国指定の重要文化財だとか。

帰りはバスに乗りました。そこでまた、いいものに遭遇。四人の子を連れたお母さんが乗って来ました。すると、お年寄りがひとり立って席を譲る(男の方でした)。近くにいた主婦らしき人が、それに続く。遠慮するお母さんを気遣ってだろう、お年寄りは少し離れたところに行ってしまう。すると今度は、お年寄りが移動した先の女子高生グループが、どうぞ、とお年寄りに席を譲るのです。それはまるで、駅伝のようなリズム感がありました。

 ☆南部藩☆

岩手銀行の手前を歩くと、盛岡城跡があります。守り神とされる烏帽子岩の、正月の準備がされていました。

盛岡城と言えば、完成は江戸時代を迎えて後のこと。言わずと知れた「北の関ヶ原決戦」は、主要に南部藩と伊達藩の間で行われます。この因縁の対決は、豊臣の時代までさかのぼる。安堵(領地承認)を巡る戦いは、当然ながら境界線を巡って熾烈となる。この境界線の中でも、北上は磁場だった。言語や文化の違いが、ここでは今でも強いと言われ、例えば北上から南は米文化、北は鋳造技術とも言われます。いまも宮城と岩手の不仲は健在と言われますが、まさに境界線の北上エリアで生まれた大谷翔平は、ご多分に漏れずこの洗礼を受けているのでしょうか。もしかしたら、この世界的スーパースターは、五百年以上に及ぶ南部・伊達間の遺恨に決着をつけてしまうのではないか、などと思っています。大らかで前向きな歴史的存在は、両藩にわだかまるものを包み込んでしまうのはないかと。

 

 ☆後記☆

花巻には、翌日行って参りました。もちろん、花巻東にも言って来ましたよ。次回のレポートとなります。

夜のことです。駅ビルで、後ろから歩いて来た3人組女子のひとりが、いやぁ仙台ヤバいよ、と大きな声で何度も言いながら抜いていきます。確かに盛岡の人口は30万に満たず、我が千葉県の柏にも及ばない。片や仙台は、100万の政令指定都市。しかも、ここには高島屋もない。しかし……この盛岡という街は、ヤバいんじゃないのか。

 ☆☆

暮れの出来事はまだありますが、とりあえずひとつだけ報告して締めます。先月のことですが、泥棒と傷害の老人という、ローカルなニュースです。90歳の老人が、無人販売所から野菜を盗み、追いかけてきた男性を殴るというもの。年上のたくましい老人がいることに、大笑いしました。でも、そんなに離れていない所でこの事件が起こったことを、ニュースは知らせてました。何か支援できないものかと思って(交番ではなく)警察まで出向きました。でも、この老人の正確な居どころを教えることはもちろん、支援したいという思いも断られます。加害者を応援することは出来ない、というのが理由です。あなた方が罪を犯した人たちを全く支援して来なかったはずはないと食い下がると、たじたじとなったのですが、とうとう逃げられました。でも、まだ諦めずにいます。

皆さん、どうぞよいお年をお迎えくださ~い 来年もよろしくお願いしま~す💛❤


事故報告 実戦教師塾通信八百九十二号

2023-12-22 11:35:54 | 子ども/学校

事故報告

 ~異物混入~

 

 ☆初めに☆

一年で一番力を入れて取り組む、温かなクリスマスのイベントで、やってはいけない事故を起こしてしまいました。異物を混入してしまったのです。先週土曜の、こども食堂のイベントです。このブログでも「うさぎとカメ」の予告と報告は、毎回して参りました。利用者も読んでいるかもしれません。それも含め、今回のことはきちんと報告しなければなりません。週明け、関係諸機関(社会福祉協議会・柏市子ども福祉課・保健所)にすぐ報告・相談をしました。検証はそれら諸機関の協力の下、行っています。正式な報告は、私たちの公式ラインと来月のチラシ上で、後日行います。それに伴い、諸機関からの広報もお願いしました。そして、「今は調査中のため言えない」ではなく、いま報告出来ることをしたいと思います。まだ、私の個人的なものなので、そこには断りを入れたいと思います。

 ☆経過☆

開催は先週の土曜日です。フリーマーケット形式で行いました。無料です。近隣センターに隣接した公園の会場には、古着やおもちゃ、野菜・果物、食品・飲料、そして、施設入所者の方々の手で作り上げたくつ下など、多くの寄付された品々が並びました。訪れた皆さんは思い思いに品物を選び、私たちが手渡しました。一方、センターの調理室では、この日のメインディッシュ「ハンバーガー」を作り、同じく公園会場に運んだのです。

持ち帰らず食べていく人のために用意した、いつもの調理室隣の部屋は、多くの人でにぎわいました。そして、公園や会食会場の賑わいがまだまだ冷めない頃、片付けを始めたスタッフの下に、隣の部屋からふたりのお母さんがやって来ます。心配そうに、こんなものが出て来ました、と言うお母さんの手には、小さな「プラスチック片」がありました。慌てて隣の部屋に行き、謝罪すると共に食事の中断とハンバーガーの返却を求めました。戻されたのは四個(だったと思います)。皆さん、すでに食べた後か、食べ続けているのです。私が皆さんに食事の中断を求めたのは、恐らく初めの一瞬だけだったはずです。言って来て下さった方の顔には、心配と迷いがありました。謝るのは私たちなのに、すみませんと言われる方もいて、胸を打たれました。食べ終わった子どもたちが、調理室の入口を何人も覗き込んでいる。今までにはないことでした。笑ってはいない、でも怒ってもいない心配そうな顔。どういう顔だったのだろうと、今も思います。(デザートの)シュークリームはたべた?というスタッフの声に、まだ、という子どもたちの声は穏やかでした。子どもにはパンだけ食べさせました、というお母さん。

ほぼ同じころでした。公園で食べた人の中からふたり、同じくプラスチック片混入の指摘がありました。その後、同じく近隣センターに電話が入ります。返却していただいた分を私たちも食べました。やはり、入っている。

 ☆混ぜたものと原因☆

片付け作業の中で、プラスチック片が何だったか分かる。玉ネギをみじん切りにするフードプロセッサーは、スタッフの私物だった。調理開始の時から「フードプロセッサーの刃物にかぶせるカバー」のない気がかりが、片付け段階でも出てこないことで、プラスチック片の出所に到達する。薄手のペットボトルぐらいのカバーだった。それを外さず玉ネギと共に粉砕した。大変なことに変わりはないが、異物が何か分かった。報告・連絡が出来る。

この機械を開封し使っていたのは、今までは必ず持ち主スタッフでした。それがこの日は、そうならなかった。公園の段取りをつけてから、調理室に駆け付けるという約束でした。しかし、調理スタッフは待てなかった。初めて扱う機械でも、そんなに難しいわけではない。でも、透明なカバーがあるとは思わなかった。さらに、いつもは壁ひとつ隔てて会場があった。この日は、階下におりて外に行かないと意思疎通が出来なかった。また、外でも中でも、スタッフの取り組むこの日の作業は、いつもの数倍だった。いくつかの要因が重なって、事故は起きたと思いました。

 ☆これから☆

関係諸機関はじめ、私たちのところにも健康被害の報告はまだありません。それが一番です。その上で私個人が思うことは、温かく楽しい、皆さんとの幸せな時間を台無しにしたことが申し訳なく、そして悔しい。事故発覚のあと、多くの励ましが寄せられました。私としては、皆さんの励ましに甘えさせてもらって、この活動を継続させてもらいたいと思っています。恐らく、スタッフ全員がそう思っている。今後の対処方法として、①受付を復活する ②会食前に必ず検食する が、先週の段階で挙げられました。まだ検証中なので、訂正され増えると思います。私たちの願いでもあった「ホームレスでも来れるこども食堂」に、受付は不要でした。コロナが5類に変更となって、満を持して始めた受付廃止でした。でも、仕方ありません。今回のようなケースになった場合、緊急連絡をするには、利用者の連絡先が不可欠と知りました。でも、受付を高いハードルと感じる人をどうするか、今後も模索していきたいと思っています。

次回の活動は、チラシと受付で謝罪を行った上で再開させていただきたいと考えていますが、今の段階では私個人の判断です。追っての報告も致しますが、ブログではいたしません。よろしくお願いします。

 

 ☆後記☆

公園です。本当にたくさんの方々がいらしてくれました。受付の判断で、入場を何度かに分けて行ったといいます。

施設の方々が作ってくれた「くつ下」です。子どもと握手して手渡すところです。

 


ガザ・補 実戦教師塾通信八百九十一号

2023-12-15 11:45:57 | ニュースの読み方

ガザ・補

 ~世界の困難と因縁~

 

 ☆初めに☆

予定を変更して、ガザについて書きます。「補」なんてはずはないですが、仕方ない。何か出来ることはないのか、と思って書くことしか出来ない。これは何のためでもありません、自身のメンタルを維持するため整理しているようなものです。誰が見てもイスラエルがやっているのは、皆殺し作戦です。いまガザでは、イスラエルばかりでなく、世界中を憎悪する人々が大量に作り出されている、と言っていいのだと思います。現在の状況に何の関与も出来ませんが、西欧・東欧、そしてイスラム世界が、一体どのように共存してきたのか、振り返ります。矛盾は希望でもあります。

 1 寛容なイスラム教?

 イスラム世界が成立したあと、ついこの間(と言っても200年ぐらい前)まで、信じがたいと言っていいが、アラビア語で話すユダヤ教徒がパレスチナの地にいた。ご存知の通り、イスラム教もユダヤ教もれっきとした一神教であって、他の追随を許さない歴史がある。しかし、イスラム教の聖典「コーラン」がアラビア語というのは別に、キリスト教の前身でもあったユダヤ教の聖典・「聖書」のアラビア語訳があったのである。アラブとユダヤの世界が共存していた。驚いたついでだが、イスラム教の雄・オスマン帝国は、グーテンベルクが発明して間もない印刷技術を入手している。追放先のスペインから帰還した、ユダヤ教徒が持ち帰った技術だった。注目したいのが、ギリシャ正教(「キリスト教」)徒が印刷所の開設を、オスマン帝国から許可されていることである。そして方や、イスラム教・オスマン帝国の印刷は、何故かここから100年ほど遅れて始まる。オスマン帝国において、非イスラム(「非ムスリム」と呼ばれる)人が、ムスリム人より優先した。もちろん社会生活全般は、イスラム的様式が優先した。しかしこれらが、多様な宗教や民族が共存していたオスマン帝国、と言われる所以だ。西欧技術を使用するにあたって躊躇したせいもあったのだろうが、それなら印刷技術を全面的に禁止することも出来た。でも、しなかった。「厳格で封建的なのがイスラム教だと思ったら間違いだ」という声が届くことがある。それはこの辺りの事情から来るのかもしれない。

 2 西側と違うアイデンティティ

 ここまででも分かる通り、中東・バルカンエリアの国家事情は複雑に入り組む。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、それぞれに制圧を試み、その中のあるものは抵抗し、あるものは「敵方」に改宗した。この結果、例えば、アラブ人の中で複数の宗教が入り混じることが起きた。そして、これも例えば、ユダヤ教に西欧・東欧・中東の民族が存在するという事情が生まれた。国家や民族の境界はモザイクのようになった。しかし、部族や宗教、そして文化・言語をまとまりとする国家形態は、一定の形を保っていた。大航海時代のコロンブスやガマがすさまじい暴力で乗り込んでも、王族・部族、あるいは封建国家の根底は揺るがなかった。日本における鉄砲伝来も、ザビエルの時代も同じだ。これが変わる。産業革命後のイギリスにフランスが続き、それにドイツとロシアが必死に続こうとしたのは、それまでとはレベルを画する世界の制圧戦略だった。先端技術のもたらす、圧倒的な軍事力と財力、そしてそれらが形作る文化は、世界の到達すべき目標となるのに時間はかからなかった。アジアでの本格的開始はアヘン戦争であり、黒船だった。それでも日本は、これをひと括りのまとまりを作るきっかけとした。むしろ、文明開化のレールの下に、新たな国家形成へと向かった。しかし、バルカン・中東エリアは違った。すでに危険な均衡状態だったこのエリアは、西側の「近代」という異様な侵出によって、もっと危うい場所にさらされた。端折って(はしょって)しまって申し訳ないが、それが例えば、以前の「帝国」レポートで触れたポスニア紛争だ。ユーゴ人とムスリム人、クロアチア人の三者が混在するボスニアは、三者共存の合意で何とか対立・抗争を避けていた。不安定な中で、三者は将来の平和的解決を見据えるしかなかった。しかし、強硬なドイツがミスリードし、ボスニアの独立を認める。ついに不安定な均衡は崩れ、ボスニアが内戦状態となる。さらに、その尻ぬぐいと称して「平和のため」に、なんとNATO軍はサラエボを空爆するのである。不安定な共存という意味では、パレスチナとイスラエルの二国家共存(オスロ合意)もそうだった。アメリカやG7など西側が、イスラエルのジェノサイドを支持したのは、サラエボを空爆したNATOと全く同じ図だ。

 

 ☆後記☆

当たり前なんですが、やっぱり中途半端になってしまいます。ユダヤ人問題、そして日本が果たせる役割も、いずれ書く機会もあると思います。焦燥感と無力感が募ります。きっと皆さんも同じだろうと思っています。

 ☆☆

こんな時も勇気と元気をもらえます。幸せな気持ちになれます。オオタニさんの記者会見、見ましたか。話すべきことと出来ないことを選択する表情は思慮深いのですが、時にはユーモアを交えてさばいて記者たちの笑いを取る。何よりも、楽しそう。う~ん。エンゼルスへの配慮も感心しましたね。良かった、見れて。リタイア組バンザ~イ🎊✋

 ☆☆

子ども食堂「うさぎとカメ」、今年最後となりました。明日ですよ。天気は何とかなりそうですが、ドキドキ❤💛 初めてのフリマ風やり方です。そして、去年に続き、今年も公園でテントを張って🎪 みんなみんなおいで~。手をつないで🍩 みんなで歌おうMerryXmas🎅 HappyXmas🎄 お待ちしてま~す😊

明日発行「もしもしカメよ」№24。

岩手の別々なお二人から、蜜のたっぷり入った飛び切りのリンゴが届きました。MerryXmas🎅


年末・年始(1) 実戦教師塾通信八百九十号

2023-12-08 11:41:23 | 福島からの報告

年末・年始(1)

~福島・行く年くる年~

 

 ❄街❄

暖冬傾向は福島も同じで、いつもの底冷えを感じさせない夜です。いわき駅前通りは、富岡・夜ノ森の桜を模したイルミネーションが始まっていました。右側の写真は駅に向かったもの。さみしげですが、車のいない瞬間を待って撮ったものなので、心配無用。今年も冬を温かく演出します。左側のアップした写真を見ると分かりますが、桜(雪?)が例年よりグレードアップした感じです。雪(花びら?)が枝から静かに落ちて行きます❆❆

いわきは洋菓子の名店「ノプヤ」です。散歩中の園児たちが、この入口で飽きることなく賑やかに遊んでました。店内の色鮮やかなケーキたちは、イチゴとクリームの紅白をおりなした飾りが中心でした🍰

いつでもどこでも思いますが、シュトーレンて何故あんなに高いんでしょうね🎂

 ❄海・畑❄

四倉の「ニイダヤ水産」から、歳末は干物をいつもあちこちに送ります。すぐそこの原発から「処理水」を放出しているわけで、その影響はどうですか、と聞きました。ところが、むしろプラスになっていると言う。つまり、応援の意味あいでしょう、注文は増えたそうです。それより、海がおかしいのが気になると、話はそっちで盛り上がりました。この辺りはご存じ「常磐もの」と言われるブランドものが上がるエリア。それがすっかり獲れなくなった、そして獲れるはずのない伊勢海老が上がっている、と言うのです。この類の話がたくさん聞けました🦐

広野に北上。二ツ沼直売所「のらっこ」です。そうなんだよ、とおばちゃんがすぐ反応。相馬でフグが上がったよ、フグはいらんかね、と相変わらず元気がいい。立派な柿が四個で200円、どうしてこんなに安いの?もうからないよ、と聞くのですが、だって庭になってるのをもいで来るんだよ、ただみたいなもんさと言うもので、つい本気にしてしまうところでした。あとはエゴマも買いました。地元産だからね、美味しいよ、と最後まで元気がいい🍎

さて、楢葉です。みちの駅に寄ったら、こっちは渋柿が400円。干し柿用なんですが、さっきの「のらっこ」と比べてしまいます。そして、海の話。渡部さん、木戸川に例年のようにサケが上がらないんだよ、と。なるほど、やっぱり要注意です🐟 庭の畑にはたくさんの白菜がふくらんでました。取れ過ぎというニュースは聞いてましたが、渡部さんは、まずくて食えねえよ、と言うのです。あんなに美味しそうなのに?と聞いてみるのですが、固くて食えるもんじゃねえ、と。鍋にすれば柔らかくなる、という私の考えも違ってるみたいで。一方、テーブルの上に出て来たのは、見るからに美味しそうな干し柿。いやぁ、このシワの寄り方といい、色合いといい。外側の程よい固さを通り越すと、中にジューシーな果実。種の周りの凝縮した旨味が、またたまりません。皮をむいて茹でて、干す・取り込むを一か月ほど繰り返して出来るものだそうです。竿に干しておくと、ハクビシンがよじ登って食べていくという。貴重品。

 ❄人助け?❄

屋外での出来事です。初めに異変に気付いたのが私だったはずです。おじいちゃん何やってんの、という声が聞こえてそちらを見ると、下にしゃがみ込んでいる高齢の男性を支えている女性の方の声でした。ちゃんとしてとか、起きてという声が慌てる風ではなかったのですが、男の方の顔は蒼白で、全身から力が抜けている。一刻を要する事態だと思って、救急車呼びましょうか、は、やがて救急車呼んでいいですか、となりました。立派な大人ですが、多分お孫さんでしょう、うなずいてくれたので、連絡する運びとなりました。そうなる頃には人だかりができていました。

短い時間でしたが、様々なことを知りました。実は私、119番出来なかった。慌てていたのでしょう、最初に電話履歴を呼び出し、次に呼び出したのが電話帳! 普段あまり使うことのなくなった数字盤を取り出せなかったのです。そして、周りにいた人たちも同じことになってました。やっと四人目ぐらいの人が、出来た!と言って連絡したのです。この間、男の方の背中を介抱したのも女の方、男の人がいた記憶がない。カメラで撮っていたのが男なんです。毛布をどうぞ、と持って来てくれた二人のパスガイドさんは、救急車に連絡はすんでます!とカメラの前で厳しく言ったのです。スタバの店長さんも女の方でしたが、たくさんおしぼりを持って来てくれました。胃の中のものを吐いたのです。それからやっと呼吸が再開したのです。気が付くと、私はうっすらと涙を浮かべている。何時ごろかと記憶をたどったら、私より年上と思われる高齢の男性が、お孫さんの指に誘われて吐いた頃だったようです。安心したのです。

 

 ☆後記☆

街をジングルベルが流れ、鮮やかなイルミネーションが彩っています。このぬくもりが、たくさんの子どもたちに届きますように、と願わずにいられません。今日は真珠湾攻撃の日ですが、ジョンレノンの命日でもあります。ビートルズが新曲「Now and Then」を出したので、今年はジョンについて書きます。この新曲とともに、「Happy Xmas(War is Over)!」も聴いています。みんな来て祝おう/老人も若者も。そして、黒も白も黄色もと続きます。人種のことなんです。ジョンのリードの後ろに、子どもたちのコーラスが入ってます。「戦争は終わりさ、君が望むなら」🎄

セブンパークアリオ柏です。ガチャピンとムックのミックスですかね🎅

 ❄❄

来週は福島の続きを書く予定でいますが、ガザの続きが欲しい、という声を結構いただいてます。もしかしたら、予定を変更するかも知れません。


ガザ・下 実戦教師塾通信八百八十九号

2023-12-01 11:40:16 | ニュースの読み方

ガザ・下

 ~「両方に非がある」ではなく~

 

 ☆初めに☆

目まぐるしく変化するガザ地区ですが、恒久的「停戦」にならないものかと、気をもむことしか出来ないでいます。私たちの無力感の出所は、少なくとも100年前、遠くは紀元前にあると思われます。今回のレポートが、紀元前まで及ぶのは無理としても、民族的・文化的・宗教的・経済的、そしてこれらを統括する、いま流行りで言う地政学的事情が複雑に絡む中、暴力的に突出したのがヨーロッパ(西側)だったという結論になります。ハマスが民間人を無差別殺戮したことは、言い逃れようがありません。残念ながら「不安定な共存」が解決の入口です。

 1 「隠れ家の発見」

 11月15日、イスラエル軍がガザのシファ病院に突入。「親愛なる世界の皆さん(Dear World)」という御丁寧な挨拶の後、「隠れ家を発見した。これでも我々の言うことがまちがっていると言うのか」と、兵隊さんがのたまった。ただし、この時の映像はトンネルの入り口だけだ。このニュースにいち早く反応したのは、私が知る限りでは東大の高橋和夫だ。「自分たち(イスラエル)が作ったくせに、今さら何を……」という発言に続いたニュースは、イスラエル元首相(バラク)の「我々が作った」だった。突入の5日後である。住民の防空壕は別として、これで「病院に隠れ家」も言いがかりでないことになるが、イスラエル自ら「隠れ家」を建設した理由も明白だ。このエリアで地上のインフラが標的にされるのを、イスラエルは分かっていた。第三次中東戦争から始まり武装組織ハマスに奪われるまで(1967年~2005年)の間、イスラエルはガザを全面支配していた。地下には電気・水道・医療施設など、あらゆるものを非常時のため用意しておく必要があった。確かにこれなら、イスラエルが病院の地下を「熟知」していたのもうなずける。しかし、病院地下の「指令部」を公表するのは突入から7日後だ。その間一体何をしていたのだ。シファ病院が必死に行った地下での手術や治療のあとを撤去するとか、架空の「指令室」を設置する等々をしていたのではないか、と勘ぐっておく必要もありそうだ。「病院はハマスに電気や水を送っていた」と、内部の水道管や電線を指さしてイスラエル兵が言う。イスラエルは地上のインフラを壊滅させた。そうなれば、病院がこれらを活用するのを分かっていて言っている。何をかいわんや、である。こんな愚劣なまやかしに、だまされてはならない。

 2 全能の「反ナチ」

 アメリカばかりでなく、西側の歴史認識の中心には、ユダヤ人へのジェノサイドがある。ユダヤ人に対する不当なことは、どんな些細な出来事も、全て「ナチズム」として回収され排撃される。ユダヤ人は批判されてはいけないのだ。1881年、ドイツに接収される前のロシア・ウクライナ地方で行われた「ポグロム」で始まるユダヤ人集団虐殺は、ヒットラーが政権をとる時期を頂点とし、ヨーロッパ全土に広がる。前も書いたが、ドイツを先頭にした欧米・西側諸国は、これらの原因を、すべて「ナチスが悪かった」とする。「根本原因は我々にはなかった」という反省姿勢は、その後の行動をミスリードする。1947年、国連はこの「反省」の下、「聖地エルサレム」にユダヤ人を「帰還させる」議決を行う。翌年、イスラエルは建国を宣言。「追放されていたユダヤ人」に代わって、パレスチナ人が暴力的に追放される。現在の「入植」活動として、それは続いている。ここで少しだけでも、ユダヤ人の悲劇の歴史を振り返った方がいいだろうか。ユダヤ人の追放が始まったと言われる紀元前バビロンの時期は考えれば分かるように、民族の排除・追放は国々の戦闘数だけあった。それがユダヤ人に関しては、何故か二千年にわたって続いた。そのことを検証しなければ「ヒトラーの成功」も解明されないし「大戦の反省」も出来ない。

 武力でパレスチナを追い出す方針は当然、第一次中東戦争の引き金となる。イスラエルがなした戦闘行為は、ユダヤ人が受けた惨禍を考えれば仕方がない、と国連(西側)が考えるとすれば、それは筋違いだ。パレスチナ住民はナチスではなかったのだ。現在のガザの悲惨を前にしても、「ナチスの影」におびえる西側は、イスラエルを批判するのに及び腰となっている。思い起こすのは、先月8日に出たG7外相の「自国および自国民を守るイスラエルの権利」なる文言を含む、イスラエルの戦闘行為擁護の声明文だ。止まぬ戦火を前に、さすがにトーンダウンしているようだが、西側の「原点」を私たちは目の当たりにしている。日本人がずっと蔑視して来たアジア諸国、とりわけ朝鮮半島の人々を振り返らないといけないように、西側は何故にユダヤ人を憎んで来たのかを振り返らないといけない。平和的手立てを最近の話で言うと、韓国が15世紀頃に倭寇(わこう)に盗まれたとする対馬の仏像を巡り争われた件は、裁判と外交によって、日本への返還が決まった。また、ナチスの下で行方の分からなくなった美術品が、やはり裁判や交渉の結果、所有者や国に戻っている。あくまで成功例と言えるが、平和的手立てはあったようだ。

 3 「アラブの憎悪」

 すでに、字数がだいぶかさんだ。第一次大戦でイギリスがやらかした珍事は、知っている方も多いはず(でも、今回の戦闘に関連して取り上げる人は少なかった)。時の外相・バルフォアが国々をまたいで行った「三枚舌」外交を、簡単にでも振り返っておかないといけない。バルフォアは、①イギリスのユダヤ人同盟(シオニスト)に対しパレスチナでの国家樹立を約束。②同じくトルコ領内のアラブ人にパレスチナ国家を約束。③パレスチナ地域をイギリス・フランス・ロシアの勢力圏とする。三つの相反する外交をやってのける。第一次大戦で拡大した民族自決権運動はしかし、西側からの経済的支配下というハンディを持っていた。その弱みに付け込んだ、イギリスのしたたかな外交である。大戦後、約束は反故にされ、パレスチナはイギリスの統治領となる。翻弄されるアラブの姿の一端を、映画「アラビアのロレンス」が伝える。軍の閣僚とロレンスとの不可解な会話で、映画は始まる。西側に翻弄されたのは、ロレンスもだったのか。しかし、ロレンスがイギリスの先兵だったのか、アラブの英雄だったのか、未だに結論は出ていない。

 

 ☆後記☆

ずい分中途半端になってしまいました。日本の中東での立ち位置など、書くのはとても無理でした。民族・国家・宗教の問題も重要なのに……。近いうちに書けるといいなと思っています。「ユダヤ人」については多くが必要かなと思います。「ユダヤ教の信者がユダヤ人」という、日本人からすると不思議かなと……。イスラエルに暮らしていても、ユダヤ教の信者でないものは「ユダヤ人」ではなく「イスラエル人」という世界です。

ついに師走です! 近くの大津ヶ丘公園の銀杏も、見事に色づきました🍁

今年最後の子ども食堂「うさぎとカメ」です。メインのハンバーガーにデザート、おもちゃや古着も用意して、フリマ風にやってみようと思っています。テントも張って公園で🎪 天気にな~れ🌞 MerryXmas🎅❄🔔

 みんなみんな、いらっしゃ~い