言文一致(げんぶんいっち)
~明治の「言語革命」から考える~
☆初めに☆
「季刊iichiko」の言語哲学特集が、一年以上続いています。内容は面白いのですが、私のようなものにはとてつもなくハードです。でも今回は、その一端に触れたいと思います。ついでに、いま巷(ちまた)に流通している言葉が「乱れ」ているのか「革命的」なのか、にも触れたいと思います。
埼玉・所沢のいじめ事件については、少し待ってください。
1 江戸/東京の真ん中で
言わずと知れた明治期の「言文一致」は、人々の実際生活における「話し言葉」と文字、つまり「書き言葉」の乖離(かいり)を修正するものとしてあった/御触書(おふれがき)等々の文字世界を苦手とした民衆の新たな一歩、ぐらいに思っていた。そしてそのように生徒に教えてきた。これらはひどく間違っていた。昨年「季刊iichiko」秋号での言文一致特集は、野口武彦の論文(『初めに聴覚ありき』)に目からうろこが落ちるような思いだった。
明治初期、官僚や元武士、そして庶民の生活は相互に入り乱れた状態だった。たとえて言えば、江戸末期から「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)」の浪人は傘はりで生計を立て、熊さん八つぁんとともに長屋の住まいだった。言葉も同じだったことは疑いがない。やせ我慢して「さはあるまじきことなり!」と言っただろうか。「べらぼうめ!」と言ったんではないか。つまり野口氏の言うごとく、この時期は「上は明治官僚の漢文体崩(くず)しの公用口頭言語、旧旗本・御家人の江戸弁崩れ、下は長屋の熊さん八つぁん言葉までが、ヌエのごとく勝手に入り交じった雑居状態」だった。要するに、お上は言葉を取り仕切ることも出来ず、混沌とした言葉を統括する時代を迎えていた。これが書き言葉と話し言葉のどちらを重視するかという言文一致運動として進んでいく。これは「『言』が『文』に格下げされるか、『文』が『言』に格下げされるかという選択」であり、ダイナミックに『言』と『文』が淘汰(とうた)されていく。ここで重要な役割を担ったのが「小説家」だったという。
近代文学、そして言文一致の草分けと言われるのは、もちろん『浮雲』の二葉亭四迷である。この二葉亭に大きな影響をもたらしたのが、江戸/東京の落語家・円朝だった。それまでは、たとえば芭蕉。「一見すべきよし、人々の勧(すす)むるによって」(『おくのほそ道』)といった具合に、登場人物と芭蕉、いずれの語りも同じ高さで登場する。落語はどうか。
…………この一ト目上がり(ひとめあがり)をやってても、あれ、七福神だてんで、さげを先ィいわれることがあります。おもしろいのは先代の小勝師匠であります。ま、ご存じのかたもおいででございましょうが、ちょっと枕(「前置き」のこと)をふっておりましてな、
「……南無大師遍照金剛、なむだいしへんじょうこんごう……」
「出ねえよ、うるせえな本当に、出ませんよ」
円朝が手元になかったので、これは同時期の春風亭柳橋の『一ト目上がり』。すべて噺家(はなしか)の語りによっているのだが、ここでは噺家と登場人物の間に距離が生まれている。この語り部分が、後の近代文学にいうところの「地の文」にあたるものとなっていく。
「言文一致」の開始に、五カ条ご誓文発布の日を「明治」の始まりと呼ぶような「施行日」はなかった。多くの階層/階級の人々が、長い時間をかけて作り上げたものだった。
2 媚(こ)び、へつらう言葉
最近違和感を感じたニュースでの言葉。
最初の例に関しては自分でもやってないかと不安になるが、「亡くなられた方」等と言う。「亡くなった方」でいいはず。悼(いた)むことは大切だが、これだと死んだことが「尊敬」されてしまう。「死んだ方がいらっしゃる」等とも言う。「亡くなった方がいる」ではないのか。「死んだ方」と言って失敗したと思い、あわててそこに「いらっしゃる」を加えたか? こんな調子でやって行けば、「亡くなられた方がいらっしゃる」なるキモイ言葉が登場するのは必至だ。また、蜜蜂の巣を移動した後に、
「(蜜蜂が)早く新しい巣に慣れていただければと思います」
という職員の言葉。さすがにアナウンサーが驚きの突っ込みを入れた。
先日、新聞紙上に「『生徒にわいせつ行為』男性中学教諭を懲戒免職」という記事を見いだす。新聞社に「『教諭』には敬意が含まれ資格も含まれる。『元教員』でいい。すでに犯人となり容疑者でないものは『男』で充分」と電話で指摘した。担当者が私にしたのが謝罪ではなく、お礼だった。ホッとした。
野口武彦によれば、
「個人生活と社会生活・公と私・公用語と日常語の混乱が表面化するような時期になると、言い合わせたごとく、『耳ことば』の初心へのノスタルジアがかき立てられるように見受けられる」
と言うのだが、ここで取り上げたよろしくない傾向は、社会生活・公へのおもねりが感じられるわけである。
☆後記☆
子ども食堂「うさぎとカメ」、今月も大盛況でした。
戦闘状態の調理スタッフです。
この日は念願というか、青空の下での配布。忙しさにかまけて、最後の一食しか撮れませんでした。他の品々も無くなり、片づけを終えた段ボールが見えます。
☆☆
2018年に埼玉県所沢の中学生が自殺した問題で、三日前に第三者委員会から報告書が提出されました。ご存じと思いますが、この学校では3年連続して生徒が亡くなっています。問い合わせを受けてはいますが、報告書をちゃんと読まないといけません。少しお待ちください。
☆☆
隆の勝も照ノ富士も頑張れ!
見頃の桜は、増尾城址公園で~す。