実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

言文一致 実戦教師塾通信七百四十九号

2021-03-26 11:29:54 | 思想/哲学

言文一致(げんぶんいっち)

 ~明治の「言語革命」から考える~

 

 ☆初めに☆

「季刊iichiko」の言語哲学特集が、一年以上続いています。内容は面白いのですが、私のようなものにはとてつもなくハードです。でも今回は、その一端に触れたいと思います。ついでに、いま巷(ちまた)に流通している言葉が「乱れ」ているのか「革命的」なのか、にも触れたいと思います。

埼玉・所沢のいじめ事件については、少し待ってください。

 

 1 江戸/東京の真ん中で

 言わずと知れた明治期の「言文一致」は、人々の実際生活における「話し言葉」と文字、つまり「書き言葉」の乖離(かいり)を修正するものとしてあった/御触書(おふれがき)等々の文字世界を苦手とした民衆の新たな一歩、ぐらいに思っていた。そしてそのように生徒に教えてきた。これらはひどく間違っていた。昨年「季刊iichiko」秋号での言文一致特集は、野口武彦の論文(『初めに聴覚ありき』)に目からうろこが落ちるような思いだった。

 明治初期、官僚や元武士、そして庶民の生活は相互に入り乱れた状態だった。たとえて言えば、江戸末期から「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)」の浪人は傘はりで生計を立て、熊さん八つぁんとともに長屋の住まいだった。言葉も同じだったことは疑いがない。やせ我慢して「さはあるまじきことなり!」と言っただろうか。「べらぼうめ!」と言ったんではないか。つまり野口氏の言うごとく、この時期は「上は明治官僚の漢文体崩(くず)しの公用口頭言語、旧旗本・御家人の江戸弁崩れ、下は長屋の熊さん八つぁん言葉までが、ヌエのごとく勝手に入り交じった雑居状態」だった。要するに、お上は言葉を取り仕切ることも出来ず、混沌とした言葉を統括する時代を迎えていた。これが書き言葉と話し言葉のどちらを重視するかという言文一致運動として進んでいく。これは「『言』が『文』に格下げされるか、『文』が『言』に格下げされるかという選択」であり、ダイナミックに『言』と『文』が淘汰(とうた)されていく。ここで重要な役割を担ったのが「小説家」だったという。

 近代文学、そして言文一致の草分けと言われるのは、もちろん『浮雲』の二葉亭四迷である。この二葉亭に大きな影響をもたらしたのが、江戸/東京の落語家・円朝だった。それまでは、たとえば芭蕉。「一見すべきよし、人々の勧(すす)むるによって」(『おくのほそ道』)といった具合に、登場人物と芭蕉、いずれの語りも同じ高さで登場する。落語はどうか。

…………この一ト目上がり(ひとめあがり)をやってても、あれ、七福神だてんで、さげを先ィいわれることがあります。おもしろいのは先代の小勝師匠であります。ま、ご存じのかたもおいででございましょうが、ちょっと枕(「前置き」のこと)をふっておりましてな、

「……南無大師遍照金剛、なむだいしへんじょうこんごう……」

「出ねえよ、うるせえな本当に、出ませんよ」

円朝が手元になかったので、これは同時期の春風亭柳橋の『一ト目上がり』。すべて噺家(はなしか)の語りによっているのだが、ここでは噺家と登場人物の間に距離が生まれている。この語り部分が、後の近代文学にいうところの「地の文」にあたるものとなっていく。

 「言文一致」の開始に、五カ条ご誓文発布の日を「明治」の始まりと呼ぶような「施行日」はなかった。多くの階層/階級の人々が、長い時間をかけて作り上げたものだった。

 

 2 媚(こ)び、へつらう言葉

 最近違和感を感じたニュースでの言葉。

 最初の例に関しては自分でもやってないかと不安になるが、「亡くなられた方」等と言う。「亡くなった方」でいいはず。悼(いた)むことは大切だが、これだと死んだことが「尊敬」されてしまう。「死んだ方がいらっしゃる」等とも言う。「亡くなった方がいる」ではないのか。「死んだ方」と言って失敗したと思い、あわててそこに「いらっしゃる」を加えたか? こんな調子でやって行けば、「亡くなられた方がいらっしゃる」なるキモイ言葉が登場するのは必至だ。また、蜜蜂の巣を移動した後に、

「(蜜蜂が)早く新しい巣に慣れていただければと思います」

という職員の言葉。さすがにアナウンサーが驚きの突っ込みを入れた。

 先日、新聞紙上に「『生徒にわいせつ行為』男性中学教諭を懲戒免職」という記事を見いだす。新聞社に「『教諭』には敬意が含まれ資格も含まれる。『元教員』でいい。すでに犯人となり容疑者でないものは『男』で充分」と電話で指摘した。担当者が私にしたのが謝罪ではなく、お礼だった。ホッとした。

 野口武彦によれば、

「個人生活と社会生活・公と私・公用語と日常語の混乱が表面化するような時期になると、言い合わせたごとく、『耳ことば』の初心へのノスタルジアがかき立てられるように見受けられる」

と言うのだが、ここで取り上げたよろしくない傾向は、社会生活・公へのおもねりが感じられるわけである。

 

 ☆後記☆

子ども食堂「うさぎとカメ」、今月も大盛況でした。

戦闘状態の調理スタッフです。

この日は念願というか、青空の下での配布。忙しさにかまけて、最後の一食しか撮れませんでした。他の品々も無くなり、片づけを終えた段ボールが見えます。

 ☆☆

2018年に埼玉県所沢の中学生が自殺した問題で、三日前に第三者委員会から報告書が提出されました。ご存じと思いますが、この学校では3年連続して生徒が亡くなっています。問い合わせを受けてはいますが、報告書をちゃんと読まないといけません。少しお待ちください。

 ☆☆

隆の勝も照ノ富士も頑張れ!

見頃の桜は、増尾城址公園で~す。

 2018年に埼玉県所沢市の市立中学1年(当時)の男子生徒が自殺した問題で、市教育委員会は23日、第三者委員会がまとめた調査報告書を公表した。報告書は、担任教師の指導

伝言館 実戦教師塾通信七百四十八号

2021-03-19 11:29:30 | 福島からの報告

伝言館

 ~楢葉・宝鏡寺~

 

 ☆初めに☆

前に双葉町「原発事故伝承館」をレポートしたこと覚えていますか。福島の人たちは知っていますが、伝承館の展示が「今日から内容充実」(3月3日・福島民報)になりました。相当な不評を買っていたのです。私も抗議して良かったと思います。「想定外ではすまない」ことも展示されます。SPEEDI(原発立地点には流さず、米軍には流した放射能予測情報。おかげで住民が原始雲の流れる向きに避難)の概要/避難先でのいじめ/農林水産物の出荷制限/自主避難、避難しなかった住民の思い等々です。

まだありますが、これらが伝承館に展示されていなかったことを覚えておきましょう。

 

 1 宝鏡寺

 楢葉町に宝鏡寺というお寺がある。

見て分かる通り、由緒(ゆいしょ)あるお寺だ。

ここの早川篤雄住職(81歳)は、地元で学校の先生を校長までつとめた方で、教職にいた時からずっと原発には反対だったという。現役を終え住職となり、原発事故から10年を期して、境内に原発の「伝言館」を建てた。

 工事の人やホース、コンクリートなどが庭に散乱する中、境内は静まり返っており、一番奥の家屋で声をかけたら、ようやく住職の声が返ってきた。書類がうずたかく積まれる座卓の奥から、余裕の片鱗を失った体(てい)のご住職が顔を出した。

「遠方からせっかくの訪問、でも見ての通り2日後の開館に間に合わせるのに、ただ必死で」「工事だって間に合うんだかどうか、あっちもこっちも泥縄式なもんで」

確かにこのように工事の真っ最中。向こう側に見える碑には「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言の灯」と刻まれている。昨年の夏のニュースを知ってる読者はいるだろうか。広島にいた兵隊さんが広島の原爆投下直後に親族の家に残っていた火をカイロの火種として使った。その火と長崎の原爆で焼け残った瓦から採った火を合わせたものが「広島・長崎の火」と呼ばれる。これが上野東照宮にずっと灯されていたのだが、宮司が代替わりし「重文の前で火が燃えているのは危険」と移転を求めた。移転先が難航する中、楢葉の早川住職が快諾したという経過を持つ。

「お構い出来ないけど、勝手に見てってください」「土足でいい。電気つけて見ればいい」

これが「伝言の灯」。どれかが消えても大丈夫なようになのか、何カ所かに灯されていた。私のバイクシューズが映ってしまった。「伝言館」は木造一棟。広くはないがしっかりした造りとなっている。地階があり、そこには原爆関係の写真や年表が壁に展示されていた。

一階部分が原発関係、そして事故時の避難の様子は写真と時系列。また、原発を奨励するポスターは、今となっては記念碑的なものと言える。

掲げている早川住職の写真も一緒だ。

宝鏡寺から戻った私に、渡部さんが解説してくれた。

「ずっと原発反対と言っていたのが、原発事故が起こると補償問題が今は大事だと」「一度も『原発反対って言ったのに』と言わなかった」「そこがあの人のすごいところだ」

福島もそうだけど新潟の柏崎だって反対運動はあったと言う渡部さんに、私は自分の無知を知る。そして一体どうして渡部さんが、新潟のことまで知っているのかと思う。消防団やってっとよ、集まりにはいろんな人が来るんだ、東電の社員も来てたわけだしよ、と笑うのである。

 今度行ったら、昨日の東海第二原発運転差し止めの判決をどう思ったか、ぜひうかがいたい。「事故が起きるか」ではなく「事故が起きたら」という考察は、新しい踏み込みを持っていましたね。

 

 2 コロナ

 この辺りでもコロナがたまには出るんだ、コロナの話になった。

「いや、初めての感染者が出た時はひどかったらしい/役所まで問い合わせの電話がすごかった/どこの誰がかかったのか教えろと/保健所管轄のことにこちらは関知出来ないと言っても引き下がらないって」

いわれのない扱いをされた楢葉/双葉郡の人たちの中に、コロナ感染者を排していく人がいる。しばし言葉を失う。

 

 ☆後記☆

みずほ銀行に行きました。いくらか積んであるので、下ろしに行ったのです。いや驚いた。入り口の行列最後尾の看板には「受付までの時間は90分」とあるのです。ATMは人の流れもいいのですが、こっちはすごい。でも遠くに見える景色に違和感を覚え、奥にいる担当者を捕まえました。

いつも二人でする受付がどうしてひとりしかいないのか/こんな行列をひとりに任せるのが信じがたい/窓口エリアの半分がただの空きスペースになってる/ソーシャルディスタンスと言うには広すぎる/ここにいくつか椅子を置けば何人か座って待てる。

係の男の人は汗を拭き拭き、とにかく今は人員が不足してる折りでございまして、の言い訳に終始しました。なるほど、多くがシステム修復やおわび行脚(あんぎゃ)に奔走してるのか。その後、最後尾にいた私は、入り口を入った高齢女性の「受付はどこでしょうか」の絞り出す声を聞きました。私よりさらに後にいた男の方から並ぶしかないことを告げられ、その方は壁を必死に伝いながら並ぼうとします。私は再び列を離れ一番前に行き、椅子を用意してあげてくださいといいます。やっと二人になった受付のひとりがやって来て、どちらの方ですかと言いました。すると先ほどの男の方が、こっちですよ大きい声で言ってあげなさい耳が遠いんだよ、と声を荒らげました。この人は奥さんと二人連れだったのですが、この行列の原因が「解約」であること、自分も解約したいなどと話すのが聞こえてました。……これでいよいよ解約にしたのかな。

気分を変えて、我が家のはな桃。今年もかわいらしい。照ノ富士も隆の勝も頑張れ!

明日ですよ~ 皆さ~ん


10年 実戦教師塾通信七百四十七号

2021-03-12 11:20:56 | 福島からの報告

10年

 ~「ここにいる」こと~

 

 ☆追悼☆

名乗らないと、ホテルのスタッフは私と分かりませんでした。福島が3カ月ぶりで、私がマスクをしていたからです。釈明するスタッフは、思わずいわきの訛(なま)りをむき出しにしました。この懐かしさはなんだろうと思いつつ、マスクからの話はコロナだったのです。

東横インも、10年前は液状化のため一階部分の床が崩れて休館でした。

コロナがなかったら10年目の話になったのだろうと、私の胸は少しわだかまりました。でも、福島はやっぱり違ってました。

 お父さん、11日は礼服だよ、いいかい。と申しつけたのは楢葉の渡部さんの奥さん。祈念式案内状の封筒には、娘さんの手書きで「礼服」とありました。なんだ、礼服かよ、と渡部さんは相変わらずです。娘さんは花束を手向ける方に、それを手渡す大役を任されています。今年は特別なんですね、私が言う。今までは3,11に鎮魂(ちんこん)、夏には復興と分けてやってたんだが今年は違うんだ。渡部さんが言うように、この10年、福島での祈念催しが次第に見えなくなっていたと思えます。少なくとも震災から5年くらいまでは、私は3,11を福島で迎えたのですが、式に行く人行かない人と様々になっていったのは、仮設住宅のおばちゃんたちも同じでした。今年は違うようです。

 

 ☆相続☆

この10年、福島に通い続けて来ました。少しでもお役に立てればという気持ちだったと思います。良く言われることですが、私もなぜか「逆に元気をもらって」来ました。福島の人たちのそばに少しでもいたことを、私はただありがたいと思うばかりです。「変わらないもの」を、久ノ浜や豊間のおばちゃんたち、そして楢葉の渡部さんたちの中に見て来れたからです。今回もそれを感じました。土地の話になったのです。

兄弟が3人いたら土地を三等分なんてとこに相続の平等なんてのはねえんだ/農業をやるっていうのが土地を相続するんだよ/二人で分けた土地をひとりが売り飛ばしたらどうなる?/それで半分の土地は終わるんだ/先祖からの土地ってのはそういうもんじゃねえ/「あずかりもん」なんだよ。

私には渡部さんから初めて聞く「土地は大地だ」という言葉だった気がします。何度か書きましたが、渡部さんの話に数百年の蓄積を感じてきたのは、間違いではありませんでした。だから、2015年に楢葉町が帰還宣言を出すのも待たず、渡部さんはここに戻って来た。

裏の梅の隣には、たくさんの実を落とした柚子(ゆず)。楢葉は柚子の名産地でもあります。

 

 ☆後継ぎ☆

息子さんが農業短大を卒業するのは確か今年だったはず、それが10年を数えるに当たって思ったこと。確か息子は震災の時、小4だった。今年彼は20歳。社会人になる息子に「さん」をつけないことにはまずいだろうと思った私です。渡部牧場の後継ぎとしての春がスタートする。

渡部牧場の春です。牛舎の向こうに、今年も梅が満開です。

スマホゲームをしていたという息子(「さん」が消えました)は、この日ずい分してから顔を出しました。寮はすでに引き払って、自宅にいたんですね。全く気がつかなかった。この「社員」に、春からお小遣いなのか給料を渡すのか、思案していると言います。寝坊してる社員に給料は渡せないねとお母さん。じゃあ、出産立ち会いで明け方の3時ってのは特別手当だナ、と反撃する息子です。この翌日が卒業式だったのです。それでお母さん、髪をきれいにしていたのか(別に普段がいい加減だというわけではない)。

 後継ぎと言えば、今週のNHK「サンドのお風呂いただきます」見ましたか。ここにも何度か登場した蛭田牧場の蛭田さん、出てましたね。再開した牛から搾(しぼ)った乳はすべて廃棄したのです。廃棄は地面にではなく業者に依頼してやった、そうすることで安全な牛乳になって行くことがデータとして残ること、また、再開して初めて子牛が生まれた時は涙がこらえられなかったこと、あるいは120頭あまりの牛たちの無残な最期*等々は、話さなかったのか編集でカットされたのか、いつもの真っ赤なつなぎを着た蛭田さんの口からは聞けませんでした。私たちが会った頃、渡部さんは後継ぎがいていいな、オレんとこの娘は後を継いでくれるのやらと言っていた蛭田さんですが、テレビから伝わる娘さんの気持ちはしっかりしていました。

*この「無残」のひとつですが、宮沢賢治の『オツベルと象』のラスト、牛飼いの「おや、川に入っちゃいけないったら」というセリフを知ってますか。これは飼育牛の特質を示すようです。危険を知らず、平気で沼や川へ入って死んでしまうという意味合いのようです。蛭田さんに、その無残な写真を見せてもらいました。

 

 ☆10年☆

今年はたらの芽の天ぷら食べましたか、私の質問に奥さんが察したかのように「蕗の薹(とう)の天ぷら食べる?」と言うのです。猫ちゃんも一緒に庭に出たと思うと、やがてキッチンからいい音といい匂いが漂います。

「写真撮っといたら」とは、おばあちゃんの絶妙なタイミングでのひと言。

蕗の薹の隣は春菊。蕗の薹だけじゃ殺風景だからねと言って、さらに大根の漬け物も。乾いた食感のあとに、予想通りの春の苦みがじわりと滲みます。あとで気がつくのだが、自分からは皆さんも一緒に食べましょうのひと言もない。ひとりで食べている。これは酒(が必要)ですね、などと口走っている。完全にゲスト気取りなのだった。

 10年前、いわきの仮設住宅集会所で初めて渡部さんと会った。

その仮設住宅があったところ。現在の姿です。

もともとは話しが苦手なんだけど、仮設の見回りしてるうちに平気になってよと話す渡部さんだった。担当する仮設があちこちと変わる渡部さんは、ストーカーのように付いていく私を嫌がりもせず(ホントは違ってた?)、普通だったら怒りを買って当然の私の問い(補償金やゴミ出し等々)にも、静かに笑って応えた。出会ってから5年、早いもんだと渡部さんが言ったのは、母屋の離れでだったか。5年前の私の胸には、結構な感動が走っていた。

 同じく10年前の事故から半年後、原発事故は収束したと当時の首相が宣言。これで事故対応の工事単価が下がる。二年後に別な首相が、福島の原発はアンダーコントロールという発言は東京五輪の布石となる。五輪関係の工事単価は別物。福島の現場から多くの労働者が東京に流れる。でも今日も、このコロナ下で全国のナンバーをつけたたくさんの車が、福島の現場を走り回っている。そして私は10年後、渡部さんたちのご好意に甘えて蕗の薹の天ぷらを食べている。コロナの話になった。

「果たして聖火リレーやるんだかよ。去年だってリレーの三日前に『中止』だって決まったんだ」

「外食が少なくなって牛の値段も下がってる。せいぜい皆さん、接待で牛肉をいっぱい食ってもらわねえとよ」

渡部さんは笑って話すのだ。

 

 ☆後記☆

「道の駅ならは」で買い物をしました。期間限定ですね、こんな買い物袋がサービスされました。

楢葉の堀本校長先生には、あいさつだけして来ました。今月いっぱいで退職です。どうやら現場に残ってご活躍するらしい。良かった。

 ☆☆

今日は中学校の卒業式。どうやら天気も持ちこたえて良かった。式場に入れない在校生も、校庭での見送りは出来るといいます。別れのスナップくらい、マスクを外して撮るといいよ。

最後に、来週で~す。皆さん、お出でください!

 


GIGA構想 実戦教師塾通信七百四十六号

2021-03-05 11:10:16 | 子ども/学校

GIGA構想

 ~「逃げるわけには行かない」と言う学校~

 

 ☆初めに☆

東北大学・電気通信研究所教授の矢野雅文先生とは、2012年に開催された『南相馬世界会議』でご一緒しました。それ以来、顔を合わせる時は科学にまつわる話を優しく、そして易しく語るのを聞かせてもらっています。

コロナに便乗したAI讃歌を、喧騒としか思えない私です。間違っているのでしょうか。そこで今回のGIGAスクール構想を先生はどのように考えるのか、遅まきながら聞いておきたいと思ったわけです。結果、私は先生から背中を押された気がしています。このやり取りを読者の皆さんとも共有したいと考えました。

 

 ☆矢野雅文様☆

 ご無沙汰しています。ちょうど2年前ぐらいに、晶文社でお会いして以来かと記憶しています。お忙しいのに失礼します。いくつかお聞きしたいことがありまして、おつきあいください。

 学校現場でのGIGAスクール構想が進行していることはご存じと思います。現場の多忙に拍車をかけていることはニュースになっていますが、いやとにかく、研修とレポートが格段に増えているのは事実です。前例のないコロナの事態の中で、AI革命を現場にという掛け声は、今こそチャンスと言わんばかりなわけです。

現場の様子を見ていて、これから問題として出されることをふたつほど感じています。

1 格差の承認と拡大

「子どもの方が端末の使い方を知っている」というニュースが流れています。でも、あくまでそれは、「そういう環境を持っている」子どもです。現場からは「端末の立ち上げさえ出来ない」子どもがいる、という声があるのです。考えてみれば当然のことです。

 このことは、今までもあった状況、つまり、親(多くは母親)が子どものことをしっかり把握できる家庭、または塾にしっかり通わせることが出来る家庭と、「それどころではない」家庭の格差としてあったものが、今度はタブレット端末をめぐって出てくると思われました。親が家にろくろくいない家庭の問題は、このタブレット端末をめぐる陰の存在となっています。宿題や復習が自由にいつでも何度でも出来るという、「ひとりの子どもにひとつの端末」構想から出される膨大な利点と目標。しかし私には、自宅台所のテーブルに置かれているタブレットと、そばにたたずんでいる子どもの姿ばかりが目に浮かびます。欧米で本当は起こっている出来事が、日本でも加速して定着すると思えました。海外研修に行って来た管理職が、日本は欧米に数段遅れているなどと、バカな報告をしています。私はいやな顔をされながら、そんな連中には意見しています。イギリスやアメリカの、一番豊かで一番進んでいる学校を視察していることの自覚もなく、マイノリティがひしめき合うエリアの学校など頭にない。そんな道に合わせていく必要は、断じてないと思われます。

2 とりあえずの対処

 現場の危機意識をもうひとつ。タブレット端末を使った学習はゲームと同じで、その盤上の課題をクリアしないと先にいけないように設定されているといいます。これが従来ですと、教師の気づき以外に、隣の子が気がついて、または隣の子にその子が助けを求める、というスタイルで授業は進みました。つまり、修正プログラムを教室はいくつか持っていました。これが、タブレット端末を使った授業では、ずいぶん困難になるだろうと思えました。教師の方には、全員の進度が届くとは思います。これが時の経過、端末の複雑かつ精度が上がることで、隣の子の助けまで保証できるようになるのでしょうか。でも、考えてみれば、こんなことぐらい対面の方がよっぽど効率がいい。そして、教材をマスターすること以外に、対面では獲得することが遥かに多い。

 以上です。でも、このICT革命なる流れに抗するのは、とても困難に見えます。こうした問題をどうにか出来ることはないかと思い、先生の『日本を変える』を読み直して見ました。いま私の出来ることと言ったら、子どもに起こるこれからのよろしくない現実を、現場に指摘することだけです。

 「ITバブル」を奨励するかのような現在の勢いを止めるのは、子どもの切実な声(事件)以外にはないように思えました。

 アドバイスお願いします。

琴寄政人

 

 ☆琴寄政人様☆

 こちらこそご無沙汰しております。教育現場が現在の情報技術の進展に大きい影響を受けていることが分かりました。ご存知のように大学もコロナ禍の影響で、今はほとんど対面講義が行われていません。インターネットを使ったリモート講義を行っています。その準備に教員が費やす時間は膨大ですが、教育効果があるのかないのか測りかねていると口々に言っております。これは文科省が推進しようとするGIGAスクール構想では、リモート講義と同じような結果を生むことを意味しています。

 私は教育を受けることは真善美に基づいた、ものの見方や考え方の論理や法則性を学ぶことで、それには適切なコミュニケーションが欠かせません。コミュニケーションにはコンテクストの共有が必要ですが、いまのIT(AIを含む情報技術)はコンテクストを取り扱う技術ではありません。ITの表面的な利便性だけを取り入れれば、肝心の教育が疎(おろそ)かになることに早く気づいてほしいと思います。

 琴寄さんご指摘のように、現代は経済格差が教育格差を拡大していますが、教育現場ではこの格差を拡大するようなITの導入の仕方は避けなくてはなりません。家庭の情報環境に依存しないような、情報機器を準備する必要があると思います。単にタブレットを配布すれば済む問題ではありません。また教員の習熟度の差が、教育効果の差につながると思いますので、教員の教育が課題となります。児童個人の進展度に合わせて最適化した教育を行うには、人数も寺子屋式に10人が限度だと思います。筑波大の教員が文科省の委託を受けて、パイロット授業をした経験を聞きましたが、児童にも教員にも授業内容にもそれぞれ問題が山積していて、大した成果は上げることは出来なかったようです。教育の本質は教員と児童、児童と児童間のコミュニケーションにあることを理解しないで、IT導入はあまり意味があるとは思えません。教育におけるコミュニケーションツールとしてのITのあるべき姿を創ってはじめて効果が出ると思います。

 AIの使い方で、今話題の藤井聡太さんとあるA級棋士が、対比的なことを言っていました。そのA級棋士は、多くの棋士がAIを使うようになったので、自分も使ってみた。AIを使うようになるとあまり考えずに、正解が欲しくてすぐにAIの手を見てしまったそうです。このような使い方をしていたら、だんだん勝てなくなってしまったので、AIを使って練習することをやめたそうです。これと違った使い方をしているのが藤井さんで、自分の手とAIの手が異なっている場合は、AIの手の意味(コンテクスト)を自分なりに解釈して、それを生かすようにしたそうです。結果は歴然としていて、今の勝ち続ける状態が保たれていると言っていました。場面の最善手は応用が利かないということでしょう。知識の量が学力であるという評価はやめなくてはなりません。探索問題を上手に解くいまのITは必ずしも学力の向上につながらないことを肝に銘じておきたいものです。

 結論として、琴寄さんの気づきは大事なことだと思います。いまのIT,AIの本質を理解して教育に生かすことが肝心だと思います。気の利いたことは言えませんが、とりあえず私見まで。

矢野雅文

 

 ☆後記☆

「不登校の子どもにとって格好の道具になる」とは、誰もがメリットと考えているように思えます。この点でも、その子が置かれている状況(心や家庭環境)を踏まえ、顔の見える手だてをしないといけません。難しい問題です。

矢野先生、近日中に『科学資本のパラダイムシフト』(文化科学高等研究院・知の新書)を発刊します。楽しみです。

近くの梅林。満開です。あったかい/寒いが忙しい春ですね。

慌ただしい年度末の学校です。卒業式や送る会と、イベントが目白押しですが、今年は昨年ほどの混乱は見られません。今年はちゃんとやってあげないとネと言う、校長先生の表情は引き締まって明るく見えました。

私は今年、たくさんの学校を回り、授業を見せてもらおうと思っています。GIGAスクールの行く手を、見て行かなければなりません。

我が家の梅です。いつもかわいい。

 ☆☆

宣言解除になってませんが、来週は福島に行こうと思います。