実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

香取神宮 実戦教師塾通信七百六号

2020-05-29 11:53:51 | 武道

 香取神宮

 ~「身は捨てても名利は捨てず」

 

 ☆初めに☆

GWの福満寺訪問後、我慢できずに香取神社本宮となる「香取神宮」に馳(は)せ参じました。廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の顛末(てんまつ)をうかがいたいと思って参ったわけですが、そこで待っていたのは、武術の祖・飯篠長威斎(いいざさちょういさい)でした。

自分の無知の反省も新たに、宮本武蔵そして柳生新陰流を改めて紐(ひも)解きました。

 

 ☆境内☆

「いやあ、普段の休日なら駐車場は30分待ちなんだよ」

と少ない人出を嘆くのは、大鳥居前のそば屋さんだ。普段は入れないという駐車場は、それでも一杯だった。

境内にお参りの人たちは、確かに多くない。いつもと比べれば、とてつもなく少ないのだろう。神職をつとめる人たちの姿は全くなく、お守りなどを扱う神楽殿が休日というのに閉まっている。巫女さんがひとり、御神籤(おみくじ)箱のお金を回収していた。廃仏毀釈どころではなかった。

 

 ☆飯篠長威斎☆

 やがて案内標識に「飯篠長威斎の墓」を見いだし、驚いた。灯籠の右手に見えるのがお墓。

「常陸国鹿島・香取の社人ども、明神の教えとして流々を立てて」(『五輪書』「地の巻」)

「香取の社人」こそ飯篠長威斎である。忘れていたというか、頭になかった。この地で飯篠長威斎が、香取神道流を開いたのは南北朝時代。百年後の室町時代、近くの常陸(ひたち)鹿島で、塚原卜伝が鹿島神道流を開いた。

武蔵の背後からの攻撃を、卜伝が鍋蓋でハッシとさばく有名な話は、武蔵が誕生した時すでに卜伝はこの世になかった、というジョークまがいの話で誰も知るところだろう。

 

 ☆武蔵☆

鉄砲が伝来し性能も向上する。しかしこの武器は、日本ではついに成長を見ない。倒幕軍の銃火器が、幕府より圧倒的に優れていたのは事実だ。しかし鳥羽伏見の戦いにおいて、近藤勇は「薩摩軍の初太刀(しょだち)にくれぐれも心せよ」と言っている。これは薩摩示現流の袈裟懸(けさが)けのことで、一気に攻め込み斜に切り下ろす攻撃は油断がならん、と言っている。大砲/銃器の戦略はもちろん欠かせなかった。しかし生身(なまみ)の白兵戦の展開があったことを、この事実は示している。

これらの事実をヨーロッパでは日本人の不可解とされ、「なぜ日本人は銃を捨てたか」が研究されて来た。戦国時代、人馬が入り乱れた局面でも、馬を攻撃することは違反行為だったり、武器のない組み打ちは敵味方を問わず見守らないといけなかったとか、多分に「していいこと悪いこと」が散見される。文献からは鉄砲が「畜生相手に使用するもの、むやみなものではない」ことがうかがえる。

『五輪書』と時を同じくする箇条書きを思い出す。

「身は捨てても名利は捨てず」(武蔵『独行道』より)

命よりも武士としての矜持(きょうじ)が肝心だという。もうひとつ。

「兵具は格別、余の道具は嗜(たしな)まず」

勝手に要約してしまえば「刀(得意技)があればいい」ということだ。これを見て私は、伝説の宮大工・西岡常一(この方の登場を願うのは、これでもう三回目か)の、

「自分に合った刃物を見つければ、仕事は変わる。どんな難しい仕事でもできる」

を思い出す。さあ稽古(けいこ)をしましょう。

 

 ☆石舟斎(せっしゅうさい)☆

最後に『正伝・新陰流』より、柳生石舟斎の「兵法百首」からふたつ。

「兵法にふしぎ奇妙はおほき世を/我のみとおもふちえぞかなしき」

謙虚に修行なさい、ということだ。

「兵法はうかまぬ石の舟なれど/すきの道にはすてもおかれず」

自分の石舟斎の名にたとえて、終着点のない修行だが修練すれば精進する、という。さあ稽古をしましょう。

 

 ☆後記☆

繰り返しますが、油断がならないのはウィルスばかりではありません。ひとつは「コロナにマスクは役に立たない」「42万人が死ぬ」等と、かつて表明した専門家たちです。この発言の「言い訳」をする責任があるのです。もうひとつは、それに疑義をはさんだ専門家もいるというのに、「予防/安全のため」なのでしょう、かたよった情報を垂れ流し続けたメディアです。人の密になる場所をあさり、密になる時間を待ち、「自粛しない人たち」を報道した姿勢も看過してはいけません。「自粛警察」の始まりは、ここにありました。

 ☆ ☆

学校始まります。生徒手帳用の写真撮影があるからと、床屋に行った頭を見せる入学前の男の子。夜更かしが習慣になったけど、ラインは途中から「切っちゃう」という女の子。そして、修学旅行をさっさと中止にする学校、何とかしようと話し合いを続ける学校。そんな学校に「必要なものがあったら」という、柏市からの要望聴き取り書が届きました。議員さんも動いてくれたようで、良かった。

若葉のお庭。柏市のケーキ屋さんです。


学校再開 実戦教師塾通信七百五号

2020-05-22 11:21:05 | 子ども/学校

 学校再開

 ~休校中の親/現場からの声~

 

 ☆初めに☆

千葉県柏市も、分散登校から本格的な学校再開へのスケジュールが明らかになりました。休校が異常事態だったのですから、再開して正常になるはずもありません。私たち大人や教師が、今のうちからやるべきこと、やるべきでないことの識別と心がけをしておかねばなりません。

この三カ月、多くの親や教師からいただいた相談や報告から考えてみたいと思います。

 

 1 学習の遅れ

 一番多かった相談内容が、学習に関することだった。ニュースでも繰り返されているように、「学習が遅れる」「宿題/課題の指導/点検が出来ない」等の間に、オンライン授業に対して「全く集中できない」「ちっとも勉強しない」「家にネット環境がない」等の不安が入っている。

 話していて感じたことは、大体が「今に始まったことではない」だった。たとえば、ある中学校の登校日、校庭に集合した時「しゃべってはいけない」のは、「うるさい」からではなかった。「感染防止のため」だという。笑える。一方、「遅れ」への悩みは切実だ。年度末の3月はともかくも、新学期の4、5月のブランクは大きい。一単元の遅れがすでに出ていると考えていい。課題を出しても、教室で「隣同士の教えあい」やら「終わった生徒から提出」が出来るわけではない。やっとアップしたラインの授業は、隣の子や先生に聞こうとしても不可能で、先生からの、

「おいコラ、シンゾウ! 聞いてねえな~」

などという声もない。校庭の元気な声や小鳥のさえずりが、合間に聞こえるわけでもないのだ。

 寄せられる悩みには、大人たちの先行きの見えない、初めて尽くしのストレスが横たわっているように思えた。たとえば、仕事を休むか仕事が無くなるかした日常のかたわらで、子どもが「特にやることのない顔」をして、夏休みより長い期間を過ごしている。これがすべての引き金になっていると思えた。

「工場を子どもがウロウロしてちゃ、危なくて仕事に集中出来ねえよ。でも怒鳴るわけにも行かねえし」

という父親のいらだちと、子どもを不憫(ふびん)に思う言葉はリアルだ。そして普段からやる気のない子は、まったくやる気がない。私は親に、

①学習の遅れや学習環境の不備はどの子も同じ。たとえば九九を、自分の子どもだけが遅れるわけではない。それぞれやる気をそがれているし、みんな教科書をろくに使えずにいる。

②ここは学校を信じて任せる方がいい。学校が出来ないことまで家庭は出来ない。それが出来る家庭は限られている。そんな格差社会のあり方は前と同じだ。

③勉強によって自分の成長があったわけではないことを、親は思い出すべきだ。いま大切なことが何なのか、親は子どもを見守る中で考えてあげた方がいい。

等と言っている。

 

 2 地域差/学校差

 さて、学校が始まると、保護者や子どもたちの前に別な不安が姿を現す。それはテレビ授業などにすでに見られる、涙ぐましい試行錯誤である。どれを見ても、「学習とは知識や理解力の獲得」になっている。今が学校におけるICTの夜明けだ、とすり替えているとしか思えない主張には許しがたいものがある。

 「涙ぐましい試行錯誤」の大々的報道が露出させるのは、地域差や学校差である。いわく、「◇◇市では模擬授業」「◇◇県はライン授業の環境を整えた」等々。それでなくとも「我が家は よその家より不足不備」な思いが、親の余裕を削(そ)いでいるという時、これらは「よそはバッチリやってます」と追い込む。また良くないことに、学校はこれら「先進例」に弱い。「ならばウチも遅れてはならじ」という追随を、今までもずっとやって来た。今度がそうならないとは思えない。付け足せば、今年の学力テストは中止となったが、来年実施の時はその結果をめぐって「自治体ごとのコロナ対策成功/失敗」と、目を覆(おお)わんばかりの報告/評価が並ぶはずだ。恐ろしい。

 ついでながら「学校差」ということで柏市内の卒業式を。これは校長の考えが明確に反映された。保護者が体育館内で参加できる学校。正面&側面扉の扱いは、全面開放し外から見ることが出来るものから、すべてシャットアウトし封鎖するという「3密違反」を侵(おか)すものまで様々だった。最後の例は、「何もしないのが一番」という校長の普段の姿勢から、保護者には「やっぱりそうか」というものだったらしい。

 さて、授業における効率性や到達度は、教師の技術が第一ではない。それは教室の「空気」、つまり子どもたちの相互関係と、教師対子どもの関係の方にある。「学びの面白さ」や、「勉強なんてあんまり向きになるもんじゃない」と思える「開かれた空間」が、そこにはある。学校生活終了後に残るのは、そっちの方だ。東大出たけどダメだったナと思う仲間や教え子は、少なくないわけである。「隣の芝生がよく見える」のは、自分が余裕のないせいである。大切なのは、自分の庭の良さを見いだすことだ。自分が、そしてメディアは心しないといけない。とりあえず、夏休みの「短縮期間」はどうあるべきか、我が胸に手を当てて考えてみよう。

 

 3 その他

(1)私たちへの警鐘

 私たちが「自ら判断する」のでなく「誰を信じるか」が大事という、よろしくない現在の状況の中で抑(おさ)えておきたい。新型ウィルスへの恐怖心が「先進国」に特徴的であることは前回書いた通りだ。同じく地球の気候変動も人類に対する警鐘と思える。ひとつ振り返る。経済白書が「もはや戦後ではない」(1956年)と言った前の年、幼児の死亡原因のトップが「交通事故」になっている。悲しい出来事と経済成長は前から同じ道を歩んできたのだ。繰り返すが、今回のことが経済やら先進国やらを標的にしているのは間違いない。子どもたちの明日を考える私たちは、「学び」「遊び」「成長」について考えるチャンスをもらったと考えたい。

(2)「FLASH」「朝日新聞」

 ゴーマニズムの小林よしのりと、今回波長があったようです。

19日発売『FLASH』より

小池都知事をチクリチクリとやった宣言。他の週刊誌でも、ようやく他の疾患や年齢による比較を始めたようだ。

 「朝日の記事(17日の1、2面)を読んだら、前回のブログが腑に落ちました」という感想をいただいた。私は安心すると同時に、もっと分かりやすく丁寧に、という思いを強くしました。

 

 ☆後記☆

驚きましたね。賭けマージャンの方もですが、若者中心にネットを通して政治が動いたことです。「政治? 関係ねえ~」ってわけではなかったのですねえ。私たち年寄りも頑張らないといけません。芸能界も頑張れ! キョンキョンのCD買おう!

そして、賭けマージャンの方ですが、どう判断したらいいでしょうか。三択で考えました。①メディアがスクープねらいでスクラムを組んだ ②世論でなく本人のスキャンダルで辞任という方向を、官邸が仕組んだ ③自分の不始末が原因で辞めるなら官邸に迷惑もかからないし、世論もトーンダウンするという本人の作戦

私はすべてが入り組んだ結果と思えるのですが、皆さんはどう思いますか。5月1日からのタイムラグと、「どうしてバレたのか」が引っかかるのですよね。

巣籠もり生活のために、というキャンペーン商品。「六花亭」です。

 ☆ ☆

今は私も、子どもたちのためにせいぜい動き回っています。この3カ月間の子どもたちの巣籠もりで、一体どんなことが起きていたのか、私たちは覚悟しないといけません。


分断と知恵 実戦教師塾通信七百四号

2020-05-15 12:39:49 | ニュースの読み方

 分断と知恵

 ~福島と重ねて考える~

 

 ☆初めに☆

聞き慣れない言葉とにらめっこする日々となってますね。一方でクラスターなる言葉があっと言う間に色あせるのは、それが今までもあった状態だからでしょう。「基礎疾患」は「持病」ではいけなかったのか、また「陽性だが無症状」なることを「元気です」と言うわけにもいかず、「知らず知らず他人に移しているかも」と、何ともおぼつかない。ウィルスが正体不明なことで、分かりやすさや判断を回避しているのでしょう。少し整理したいと思います。

 

 1 「共存」「線引き」「分断」

 2018年、被曝線量は「年間20ミリシーベルト以下」で避難指示を解除できるとし、それまでの「年間1ミリシーベルト以下」の変更に政府は踏み込んだ。そして帰還困難区域の双葉や大熊の立ち入り規制緩和を明言する。こんなことでいいのかと思うが、ここで年間被爆量について議論するつもりはない。こんな中で、福島の人たちが先行きの道筋をどう付けてきたのかを振り返りたい。

 福島に戻ると決めた人たちは、放射能を「受け入れて暮らす」ことを選択した。「安心できないなら近づかない」、あるいは「洗う」「測る」ことを怠らないで、福島での生活を再開しようと思った(放射能とウィルスと一緒にするのではないが、まるでこれは、現在私たちが毎日やっている作業だ)。「無くす」のが無理なら「安全な状態」を選ぶ、本物の「苦渋の選択」だった。これは放射能の「克服」ではない。いつしか「共存」と、私は思うようになった。この状態まで来るのに、エリアによって2~8年の開きがある。「共存」を拒む人もいた。その選択をする人しない人の間には、いがみ合いが起こった。当初は「なぜ(ふるさとから)逃げる!」「どうして今さら戻ってきた!」等という言葉で、この対立/分断は始まった。そしてその後、警戒区域の線引きが始まり、それが補償のガイドラインとなる。それは新たな対立/分断の始まりだった。

 「無くならないものとの共存」「線引き/補償」「対立/分断を超えるもの」等。今回のコロナ騒動においても、福島から私たちが学ばないといけないことは、きっとたくさんある。

 

 2 危機と不安の中で

 2011年の原発事故の際、当時の政権・枝野幹事長は「放射能がただちに健康に影響を及ぼすものではない」と、実は「原発から半径170㎞の住民を強制移動」という最悪のシナリオをバックに言っていた。他方、現在の首相は「週明け(と言ったのは木曜日)全国の小中高校の一斉休校を要請する」と、実はこれを「調査やデータに基づいて」言っていなかった。前者は「残るも地獄/去るも地獄の判断停止」、後者は「危機回避と政権浮揚への大博打(ばくち)」と思われる。そんなことはどうでもよろしい、こんな時私たちの中でどんなことが起こるのか起きていたのか、それは考えたい。

 危機や不安に陥(おちい)った時、私たちは強力な支えを必要とする。その時私たちは「強力なリーダー」を求める。しかし、リーダーへの「信頼」よりは「依存」が大きいとき、危機はより高まる。「要請」だったものは「強制」となり、「自粛」だったものが「禁止」という一人歩きが始まったのを、私たちは見たはずだ。「どうして言うことを聞けないんだ!」という人々の声は、窮屈という場所から出ているのに、もっと強い束縛を作っている。社会が危機にある時、強いリーダーが強い政策を出し、それを強く支えないといけないという気持ちを、私たちは育てるようだ。

 

 3 ふたつの「憶測」

 報道は「今やアフリカにもコロナは及んでいる」という。今年アフリカでコロナによって亡くなる人は、8~19万人と見込まれている。一方、アフリカでのマラリアによる死者は44万人(2017年)、また少し古い数字だが、エイズによる死者は240万人(2,000年)なのだ。また前に書いたが、2019年、日本でのインフルエンザによる死者は3000人(感染者は1000万人)である。検索すれば分かることだが、これらの数字を私たちは報道で目にしたことがあるだろうか。私にはこれらが、報道関係者の「自粛」によっているとしか思えない。世の中が「用心するに越したことはない」と足並みを揃(そろ)える中、「余計な憶測を生む」ようなものは「触れる(公表する)必要はない」とすることで起こっていると思える。ここで「緩(ゆる)んではいけない」と思うからなのだろう。しかし、私たちに寄せられる「危険」度が、本当は別の「憶測」に因(よ)っているのかも知れないという態度を忘れてはならない。

 都知事の動向も忘れてはいけない。政府が4月、全国に緊急事態宣言を発表すると、知事は「もっと早く出しても良かった」と言う。しかし2月段階で北海道は、独自に緊急事態を発表している。また、東京の感染者数が3月25日とは遅すぎる発表なのだが、この前日にオリンピックの延期が決定された。私は、築地の仲卸(なかおろし)の人たちの声を、都知事が突然聞かなくなったことを鮮明に思い出す。「ロックダウン」は早々と引っ込めたが、「命を大切に」という強いメッセージに思わず首をすくめるのは、私だけだろうか。

 

 4 気持ちと知恵

 古い記事がある。震災からあと2カ月で一年となる『福島民友』の記事だ。

危険な区域にまだ11人の住民が残っているという。残っている理由は、「故郷を捨てられない」「身体が悪い人がいる」等である。自治体は説得してきたが「一定の理解を示し」ている。記事の後半は「気持ちは分かる」「同情できない」という県民の複雑な思いがつづられる。写真では切れてるが、記事は「取り締まりを求める声はない」と結ばれている。「仕方がない」と思ったのは「去った」方ばかりでなく、「残った」方もなのだ。ここでお互い罵(ののし)り合うことを避ける手だては、お互い話し合うことで気持ちを確かめること以外になかった。

 これから続く「コロナとの生活」の中で、様々な「続ける/続けない」判断が迫られる。そしてそこに、「エリア」「補償」の「線引き」が続く。「分断への道」は広く開かれている。ひとつ言える。「取り締まりを求める」ことに出口はない、ということである。

 

 ☆後記☆

それにしても、私たちが不安と混乱の中にあるというのに、法解釈の変更までして司法界の定年延長など、そんなことこそ「不要不急」じゃないのか、とは誰もが思うことです。混乱に拍車をかけるねらいがあるのか、と勘ぐってみたくなります。強行するのかな。

何年ぶりだろう、久しぶりに咲いた我が家のバラ。かわいい。

 ☆ ☆

今回の記事を読んで、オマエは常磐線の全線再開を喜んでたはずなのにオカシイと思った人は、ここの読者にはいませんよね。念のため。

帰還して住み続けに、被曝線量が年間20ミリシーベルト以下で避難指示を解除できる
帰還して住み続けた場合に、被曝線量が年間20ミリシーベルト以下で避難指示を解
帰還して住み続けた場合に、被曝線量が年間20ミリシーベルト以下で避難指示を解除できる

宇都宮市立陽東中学校 実戦教師塾通信七百三号

2020-05-08 11:18:49 | 子ども/学校

宇都宮市立陽東中学校

 ~GW(下)「道徳」の授業~

 

 ☆初めに☆

コロナに便乗したヘイトや中傷がニュースになっています。私のところでもいくつか報告/相談いただいてます。原因は「ストレスを普段にため込んでいた者ども」に、「自粛に耐えがたい人々」が加わったということでしょう。

そんな報道を目にしていたら、50年ほど前のことを思い出しました。大学の教育実習での二週間が、昨日のことのように思い浮かびました。その時にやった「道徳」の授業のことなんです。

 

 1 一回の遅刻

 宇都宮市立陽東中学校2年7組。色紙は長年の時を経てシミになっているが、子どもたちがくれた文字は、今も輝いている。「捨てられない」ではなく「大切に取ってある」色紙だ。

「S47」、つまり48年前。あの子たちは私の中で14歳(中2)のまんまなのだが、単純計算すれば60の大台を越えている! 他人が読めば在り来たりのメッセージなのだろうか。しかし私が読めば、どうしてこうもと思えるぐらい「私へのエール」だ。それでいいんだよ、大丈夫だよ、という温かさが伝わって来る。

 大学の付属小学校の実習で、成績「不可」というあり得ないものを私はもらった。まあ今思うと仕方ないのだが、私は学内の大会議室で、学部長相手に断固抗議した(「偏向教育」なるものをしたわけではない、念のため)。その後、200~300人の実習生は市内の協力校に配当される。この協力校で私は実習に没頭した。楽しくて楽しくて、当然のことだが遅刻、まして早退などない。色紙に「ちこくしないで」とあるが、遅刻は一回である。自慢ではない。おそらくその一回が印象的だったのだ。私もしっかり覚えている。

 初日の朝、実習生を紹介する全校集会があった。これがなぜか、体育館でなく校庭だった。まあとにかく、この日私は遅刻した。実習はおそらく職員室での紹介や、30人ぐらいの実習生のあいさつで始まったはずだが、そこに出た記憶はない。急いで走る私の自転車は、実習生を順に呼び上げる校庭の声を聞いた。大変だと思ったのか間に合ったと思ったか、前に並んだ先生や実習生の脇に自転車を止めた時である。私の耳に「琴寄政人!」というアナウンスがはっきり聞こえた。自転車を飛び降り走って壇上に駆け上がり、その勢いのまま「はい!」と返事した。私を待ってこうなったのではない。ちょうどの頃合いに私が駆け込んだ。こんなに間のよい(みっともない)ことがあるのですねえ。秋晴れの朝だったと思う。1000人を越える生徒たちの笑い声が空にこだました。

 

 2 担当の先生

 「担当」としか書けない自分が情けない。ホントにお世話になったはずだ。実はこの陽東中学校でも、先生たちからの私の評判はよろしくなかったようで、「指導に従わずジーパンとは何ごとか」等という理由で、成績「不可」となるところだったらしい。

「私のお蔭であなたは合格になったのよ」

「あの学生は素質がありますって、私が頑張って言ったからよ」

女の先生だった。どうせ私のことだ、この時も一体どんな奴がどんなことで私を批判したのか、ぐらいしか頭になく、先生にお礼など思い付かなかったに違いない。大体が実習で「指導」を受けること自体、私は拒んだはずだ。それでも先生からいやな顔をされた記憶がない。また私でも一応授業の略案を出したはずだが、先生は「指導」しなかった。先生が言ったことで覚えていることと言えば、7組の生徒たちが市内音楽発表会で受賞した曲を聴いてみませんか、という提案。私が体育館でたったひとり、聞き入った曲は『貝殻の歌』(だと思ったが、検索しても違う曲が出て来た)。

 ある日先生は私に、あの子たち(7組の生徒だ)はだらしがない、ひとつあなたがしっかり言ってあげて欲しいと、今思っても信じられないことを言った。確かに子どもたちは先生と激しいやり合いをした。それは「議論」だった。その原因は、先生の強引さとも見えたが、もしかしたら先生のおおらかさによっていたのかも知れないなどと、後で思った。まあとにかく、私は子どもたちに感心しては、先生のいないところで激励なんぞもした。おそらくそのことを知らなかったはずがない。でも、先生はそう提案した。そして、いや、しかしと言うべきか、先生はその授業を見に来なかった。私にはその方がいいと分かっていたとしか思えない。

 

 3 「汚穢屋(おわいや)」の授業

 九州柳川の通信記事を、授業の材料とした(ブログ114号で触れた「伝習館」の地元通信)。このことで子どもたちとどんな話し合いをしたのか覚えていない。ただ、今回のブログの初めに書いたように、コロナをめぐる報道で思い出した。公園で遊ぶ子どもたちや、ひっそりと営業する商店を、コロナにおびえる人たちが怒っている報道を見ていたら、なぜか思い出した。以下、記憶にまかせた要点のみ。水洗トイレがまったく普及していなかった時代の話だ。

「僕の父親は汚穢屋(便所の汚物をくみ取る人)である。住居の便つぼから汚物をくみ取った父親たちのトラックの臭いはすさまじく、人々は声を上げて逃げた。父親が背負いこんで帰って来る臭いは、家族にも忌(い)み嫌われた。自分も学校ではオワイヤとはやされ、何かといじめられた。だから父と自分との間では言い争いが絶えなかった。

そんな父が、会社の旅行でみんなと出かけた。列車が有明の水俣を通り掛かった時だったそうだ。父や同僚は、大変だ水俣病になるぞと言って、酔った大声で列車の窓を閉めたと言う。

僕と父とは、まだまだ話し合いを続けないといけないようだ」

 

 ☆後記☆

東京・檜原村の先輩から、立派なタケノコが届きました。

いやあ、都心の連中がこっちに遊びに来たいって言うんでね、絶対来るなって言ってるよと笑っていました。

昨日はタケノコご飯と若竹煮をしました。ちゃんとタケノコの旬の味がする。ありがたいです。

 ☆ ☆

コロナの続きを書けという声をまだいただきます。なるべくそうします。


住職のお話 実戦教師塾通信七百二号

2020-05-01 11:09:34 | 思想/哲学

 住職のお話

 ~GW(上)「神仏分離」「将門(まさかど)」~

 

 ☆初めに☆

外出自粛をされている皆さん、GWをどのようにお過ごしですか。私はこんな時がチャンスだと思い、近くにあるため逆に行かずにいたところを巡っています。行って驚きました。

千葉県柏市内は将門神社も行ったのですが、今回は妙見(みょうけん)信仰を引き継ぐお寺を訪ねた時の話に絞りたいと思います。

 

 ☆柏市福満寺☆

私の家からだと自転車で10分ほど、手賀沼から少し上がった大井地区に「福満寺」があります。境内に入ると四国八十八カ所霊場をコピーしたという、居並んだ祠(ほこら)。やはりひとつひとつ、番所のナンバーがあると言います。

 

 ご本堂です。

 

 ☆神仏分離☆

ご住職によれば「火災を繰り返したため、江戸当時の姿を唯一残している」山門。

実は、この平将門の看板横に、大井の「香取神社」がある。もう寺と同じ敷地だ。

この両者の明治における確執(かくしゅう)がないはずはない。私はたまらず、福満寺敷地内の住居兼社務所を訪ねました。応対してくれた女の方は、やがて私を中に招き入れ、ご住職に通してくれたのです。住職は車椅子で補聴器を使っていましたが、しっかりした口調で時にうなずき、歴史はだから面白いと言って笑いました。

明治は神仏分離令に伴う暴力ざたの「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」運動が当寺をも襲って、それまで同居状態だった香取神社の神官たちは、容赦なく仏像や施設を破壊したそうです。しかし本堂の観音像は、当時の住職が命がけで抱いて逃げ、辛うじて壊されなかった。住職が逃げた山門の通りは「観音通り」の名で今も残っている。そしてもっと傑作、いや心温まる話が、この香取神社の本宮、つまり香取神宮での話でした。

香取神宮でも数々の仏像が破壊あるいは売りに出される中、それを「おいたわしい」と買い求めた人々が近隣のお寺におさめた。ところが大正の時代となり、十一面観音菩薩坐像を始めとする四体が国宝に指定されます(現在は重要文化財)。神宮本社は、謝罪とともに仏像の「返還」を求めたそうです。もちろんお寺の怒りが収まるはずもなく、あえなく拒否という憂き目にあうのです。

 

 ☆琵琶湖=手賀沼!☆

「『手賀沼八景』の中のひとつ『大井の晩鐘(ばんしょう)』というのは、このお寺のことなんだ」、ご住職の話は続きます。

これが「晩鐘」の鐘がある鐘撞堂(かねつきどう)、先ほどの山門です。裏手から見たところ。

「将門記(ショウモンキ)によれば」とご住職が続けます。いや、この日この時まで、無知な私は「マサカドキ」と読むものだと思ってました。驚きは続きます。京(みやこ)からの独立を考えた将門は、坂東の地に同じものを構築しようと考えた。手賀沼を見た時、これが琵琶湖に見えた(この辺は、霞ヶ浦こそ琵琶湖だという反論が、茨城県は北相馬郡からありそう)。そして琵琶湖畔の地「大津」をなぞらえて、この地を「大井」と名付けたと言います。

現在のご住職がその昔、この話を沼南町の町長にしたところ、それは面白いという話になり、町で昭和53年に入居を開始した「大津ヶ丘団地」の命名となったらしいです。大津ヶ丘の「大津」って、滋賀県の大津のことだったとは驚きですねえ。

 

 ☆後記☆

これも興味深かった将門神社のレポートは、次回でなくお盆か秋あたりにしようと思います。次号は「市内紀行」でなく、「ハート紀行(インナートリップ)」って気取ろうかと思ってます。

これは新緑、先ほどの福満寺。

 ☆ ☆

昨年日本でのインフルエンザによる死者は3000人を越えています。そして感染者は1000万人。政府諮問機関のコロナ対策専門家会議は、誰のひとりもこの事実に触れないのでしょうか。私はコロナの危険性が低いと言いたいのではありません。どっかの首相が突然宣言した「全国一斉休校」の精査をし、この先の学校への指針としないといけないということです。ちなみに未成年のコロナ感染者は約500人。死者はゼロです(4月末)。この不可解な経過を称して、専門家の政府への「忖度」と考える方たちも出ようというものですが、私には「うかつなことを言って生じる責任」を恐れる「賢者たち」の姿しか思い浮かびません。