北野武
~ビートたけしの懲(こ)りない/切ない場所~
☆初めに☆
1986年のフライデー事件では「襲った方」だったのが、襲われる方となったビートたけしでした。しかし「警察から何も言っちゃいけないって言われててさ」(ニュース7デイズ)と言いながら、たけしはやはり饒舌(じょうぜつ)でした。
ビートたけしの映画は、熱烈なファンからの支持と海外からの高い評価があって、興行的には成功することが少なくとも今日まで続いている、と思われます。役者や監督というものは、売れるか否かより「この人にしか演(や)れない撮れない」が肝心なことです。ビートたけしが演る/撮る世界は、おそらくもう出てこないのではないのでしょうか。熱烈なファンとして、ビートたけしをもう一度眺めてみます。
☆『取り返しのつかない』☆
10年以上も前の小誌に寄せた自分の文を読んだら、ここの読者にも読んで欲しいという思いが強くなった。『取り返しのつかない』と題された当時の文章を、全面的に添削した。かなり削ったのだが、それでも長文となるので、よろしくです。
◇昔……◇
すっかり装いを変えて、今は多くのテナントを抱えた駅ビルとなった(千葉県)南柏である。駅前ロータリーは舗装さえおぼつかなかったのが、レンガ風の石が敷き詰められ、街路樹と商業ビルが人々を誘っている。
ついこの間まで、東口のこちら側には長屋でトイレも汲み取り式の貸家が並んでいたもので、私は4年ほど腰を落ち着けた。駅まで歩いて五分という交通至便な立地条件の物件としては、格安だったわけだ。国道六号線をすぐそばに控えた西口の駅前のアーケード街と、それは馬の背と腹を分けるような陰と陽の顕著さがあった。
長屋に住んでいた当時、我が家に戻るには、線路伝いから少し斜めに入った暗い細い道が近道だったから、電車を使った時はその道をよく歩いた。道の曲がり角にたたずむ焼鳥の屋台。暗い道から抜けると、昔の街道の賑わいで潤ったと思われる古い商店街に出る。旧水戸街道までのわずか五十メートルにも満たない細い道沿いに、肉屋/魚屋/八百屋が、道の際まで品物や匂いをせりだしている。肉屋はクリスマスだけの特別メニューだと言って焼き豚を鍋で煮る。オーブンではなかった。八百屋は真っ赤になったトマトを持っていけと言ってくれたし、魚屋は閉めかけたシャッターを、こちらの顔を見て開けてくれた。
南柏のこの一角を「今谷」と呼び、その昔、罪人を処刑する場所だった。霊感が強く(と自分では思っている)、「時代」を信じている自分としては、この界隈(かいわい)を通る時に感じる、まとわりつくような「風」や、ぶちまけたような夕立にであうと、「今谷」は健在だなと勝手に思っている。都会・商業資本がいくら頑張っても、駅前のきらびやかさは半径二百メートルである。細い路地に入れば、手入れのされていない生け垣や枯れた井戸がある。それらは「簡単には消せないぜ」とでも言っているかのようだ。そんな時私は、切ない気持ちと、ざまあみろという気持ちをいつも交錯させる。
◇懐古趣味ではなく◇
ビートたけしを見ていると、「違和感の磁場」みたいなものを覗(のぞ)いているような気になる。映画でもテレビでも、本も雑誌もだ。居心地の悪さのような「違うんだ」と言いたげな、いつもきわどい語りをする。いつだったか17歳の少年たちが次々と凶悪犯罪を犯して世間をにぎわした時、雑誌で
「近所のオヤジやおばさんが子どもを不断にしつけた昔だったら起きないことだ」
みたいなコメントをした。私は強い違和感を持ったのだが、たけしは次のようなことも言う。まさに「違う」「面白くねえよ」なのだ。
「学校の服装検査でも、徹底的な服装検査の方が、おいらはいいと思うわけです。服装検査で、服からカバンから全部やる時、それをかいくぐって学校にナイフを持ち込んだだけで、そのワルは番長になれる。でも、全部自由でなんでも持ち込み可能だとしたら、そのナイフで人を刺さなきゃダメでしょう。そうじゃなければ、ワルとして英雄になれないんだから」(『巨頭会談』)
みんなで子どもを注意しましょう、子どもを良くしましょうという提言からは程遠い。私流に言えば「根性もねぇケツの青いガキが分不相応な事件を起こしてるだけじゃねえのか」と怒り心頭なのだ。いいも悪いもあるもんじゃねえ、と唾を飛ばしている。昔を懐かしみ肯定しているのではなかった。
昔ってそんなによかったのだろうか。「粗末な服を着ていても、お腹いっぱい食べることが出来なくても、みんな笑顔だけは最高だった」(『昭和の時代』小学館)のだろうか。『昭和の時代』に収められた写真の子どもたちが恵まれていたのは間違いない。あのフレームに入らず、撮影の様子をじっと眺めているしかなかった子どもたちの姿が、私にははっきり見える。忘れもしない。辺りが長屋で当時は貧乏というか、純朴を絵にかいたような風景の中でも、更に貧乏だった我が家。ご近所はいつも年の暮れには、崩れ落ちそうな我が家に「寄贈」の味噌と醤油を、簡単なセレモニーとともに届けてくれた。そんな習慣があの時代・あのエリアにはあった。
大卒の初任給が一万円とちょっとの時代であった。私の高校合格の祝いにと、栃木の叔父が四千円の腕時計を買ってくれた。今でいえば高校(中学)の入学祝いにスマホ、という話にしてもいい。さて、先ほどのご近所は、私が腕時計をしている、一体どうして手に入れたものかという噂をあっという間に広めた。「放っておけない」という「気遣い」は、同時に要らぬ「干渉」もした。昔ってそんなによかったのか。
◇それじゃ本当のことを言おうか◇
いつでもそうだ、ビートたけしの映画は、負けたものへの温かいまなざしがある。そして「勝った」もの/ことへの自戒と自嘲を促す。そう言うと、ビートたけしはきっと言う。
「いや、違うんだよ。『負けた』じゃなくて、『降りた』とか『抜けた』って言わなくちゃ駄目なんだよ。今の世の中、そういう奴を見かけると『偉い』って言わなくなっちまって、逆に『そんなんじゃ駄目だ』って言うようになっちまったんだ。品がなくなっちまった」
名画『キッズリターン』のラストシーン。校庭の自転車の上で、ワルのなり損ないの片割れが、マーちゃん、オレたち終わっちゃったのかなと言うシーンだ。相棒が怒鳴って返す。何度見ても胸が熱くなる。
「ばかやろう、まだ始まっちゃいねえよ!」
自分が生きていく上で、大事にしなくてはならないことに、いつだったか気づいた気がする。「忘れられない/忘れちゃいけない」ことがある。両者とも「積極的な面」ばかりでなく「消極的な面」もあることだ。陰陽の一方を称賛したり叩いたりするもんじゃない。どっちかを忘れれば、楽観的な自画自賛か悲観的なナルシストになるしかないからだ。「じゃあ本当のことを言おうか」と居直らなくなったら、何事も始まらない。
ビートたけしの映画を見ると、いつも励まされているような気がする。
☆後記☆
嵐の中の子ども食堂を中止するかどうか迷いました。でもやって良かった。
びしょ濡れになって来てくれた人。「ここ(『うさぎとカメ』)がいいんです」と言ってくれる子。
きんぴらみたいに見えますが、牛丼風豚丼です。美味しかったはず!
添え物はコーンとおかかの炒め物。おかかはカラ煎りしたんですよ!
いつもより少し少な目にしましたが、すべて「完売」です! この場を借りて御礼申し上げます。
☆☆
今週の「和さび」です。右上はジャガイモの細切りを揚げてバスケットにし、グラタンに仕上げました。ホタテではなかったけど……貝の美味しい具でした。右下がイカとナスの肝焼き!
一週間の間「和さび」は、店内改装のためお休みだそうです。ご贔屓の皆さん、リニューアルオープン楽しみですね!