実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

GW前 実戦教師塾通信七百五十四号

2021-04-30 11:25:35 | 日記

GW前

 

 ☆初めに☆

去年の今頃は、です。行政に所属していた後輩の「大変なんだけどヒマ」というつぶやき、また、工場の二階での「仮設学校」等々。翻弄(ほんろう)された日々を思い出します。今年は「慣れた」わけでもないでしょうが、「自粛疲れ」などとも言います。

せっかくのGWです。楽しかった、また悔しかった春のことなどを振り返りたいと思います。

 

 ☆ケーキ屋さん☆

近くに出来た美味しいケーキ屋さん。この日も立ち寄って、定番のモンプランとイチゴショートだったかを買って店を出ようとしたら、外にいる三人に気づきました。礼服の両親と、中学校の制服の女の子の胸にはお祝いのリボンがありました。入学式の帰りでしょう、ケーキ屋さんを訪れる親子のまぶしい姿に、私は思わず入口の扉を大きく開けました。

「ありがとうございます!」

思いがけない、女の子のよどみのない声が響きました。幸せな瞬間を抱きしめている人たち、春のさわやかな出来事。

ひと月ほど前の写真になってしまいますが、大津ヶ丘の桜と公衆電話です。

 ☆高島屋☆

柏駅を出た時です。腹が突然のサインを出しました。ならばの成り行きで、駅ビルにある高島屋のトイレに入ったのです。しばしの後、小さな足音が二組、トイレの私の個室までやかましく響いたのです。多分、近くにある小学校のガキンチョが、下校の際に寄ったのでしょう。用足ししているひとりの声が、

「なんか、くさくネ?」

とささやくのです。するともう一人のヤロウが声高に、

「クッセェ~!」

と叫ぶではありませんか。「「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人の いるあたたかさ」、思いもかけず、私は俵万智の短歌を思い出していました。同じ言葉の繰り返しが、共感を呼ぶのです。この野郎。私もさっさと流しながらことを進めれば良かったのですが、最後に事実を自分の目で確かめ体調を確認するという普段の習慣を、この時も守っていたのです。うかつといえばうかつでした。とにかく敵は言いたい放題。オイここに誰か入ってるぜだの、早く出ようぜだのと。そして走り去る音。おそらくは出口付近でなのでしょう、クサイところからダッシュツ成功~!という声。ふざけんな!/悪いか!/待て!等々の私の抗議、すべては実行不可能、いや、無駄で、やるわけにはいかない行動なのでした。地団太踏むとは、まさにこういう状況を言うのです。

このいまいましさの中から、ある気持ちが頭をもたげて来るのでした。なんかこのシチュエーションって、ずっと昔から変わってないぞ、パーチャルででたらめな世界に息をひそめているとばかり思ってたら、なんだ、悪ガキは健在じゃないか、日本の未来も捨てたもんじゃない、と。頑張れ、ガキンチョ!頑張らなかったら、今度こそは許さんぞ!

 

これはつい先日、我孫子親水公園から撮ったショット。見えませんが、左奥に手賀大橋、後が手賀沼です。

 ☆GT-R☆

私の見たシーンではありません。仲間の話。赤信号で停まっていると、隣になんと、日産GT-Rが停まったそうです。今やスカイラインGT-Rの名を返上し、その名を日産GT-Rとなった後は、私たちの手元からさらに遠ざかったGT-Rです。

このタイプですね。これは私のコレクション、トミカです。

どんな人が乗ってるのだろうと思って見てびっくり! 老人だったそうです。それだけではない、その老人は酸素吸入の管/器械を着けていたんだとか。それほどまでしてGT-Rに乗りたい、という老人の思いを表す言葉が見つからない、そんなもどかしさを感じます。なんて素敵な老後/余生であることでしょう。

 ☆タケノコ☆

今年も東京は檜原村から、立派なタケノコが届きました。

地元からの頂き物か山歩きで収穫したかと思いきや、道の駅での購入品でした。実はそれも違ってて、大学時代からの敬愛する先輩が言うには、国道のない檜原村には道の駅はないんだそうで、これは直販所で購入したといいます。おかげでタケノコ尽くしの一週間を過ごしました。

さて、この先輩、前立腺をわずらって手術し治ったかなと思っていたら、今度は肝臓にガンが見つかったと言います。山歩き(山道管理)で、キノコや山菜をふんだんに食べていた人なのです。それでもガンになる。私たちはもう、みんなそういう年ごろになったんだ、としみじみ思った春なのです。

 ☆和さび☆

ごひいきと言えるほど通い詰めてはいませんが、柏の和食名店「和さび」は、27日のブログから抜粋します。戸惑いと悔しさに満ちたあいさつなんです。

いつもありがとうございますm(__)m

皆様も、ご存知かと思いますが、4月28日〜5月11日の間、蔓延防止重点措置区域内の飲食店でのアルコール提供は、終日不可となりました。
要請に従い、以下のように営業いたします。……

……終日、アルコール提供は、できません。

何卒宜しくお願い致しますm(__)m

色々言いたいこともあります。
本当に疲れますね。
でも ……略……
沢山のお客様に支えられていることを、ヒシヒシと感じます。
感謝の気持ちでいっぱいで、涙が出そうな場面がいっぱいあります。
ちょっと泣くわけにはいかないので(^_^;)
何とか頑張ります。
身体に気を付けて、皆様と一緒に頑張ります。
宜しくお願い致しますm(__)m

何らかの力になりたいというお店、皆さんのお近くにもあると思います。何せ、ご馳走になってるわけですから。「和さび」の夜はテイクアウトのみです。私は「釜あげしらすの炊き込みご飯」と「春キャベツのメンチカツ」を購入、いただきました。写真です。暗くなってしまったし、パックからの直撮りで、さらに向こうに食べかけの温奴などが見えてやぼったくなりましたが、和さびの味はナイスですよ。

 いよいよ明日からGW ❣


続・家族の肖像 実戦教師塾通信七百五十三号

2021-04-23 11:50:31 | 子ども/学校

続・家族の肖像

 ~「場所」を壊す~

 

 ☆初めに☆

前回の記事に、思いの外(ほか)反響がありました。肯定的な評価をいただいているのですが、どうも伝えたいところがうまく届いてない気がします。ヤングケアラーなる扱いは、かつての「モンスターペアレント」「孤独死」や、さらに逆上れば、「M教師」(覚えていますか?)等、メディア上をにぎわして来た、いや、メディアがあおったものと同じです。危機感と「正義」を再生産して来たという意味です。

今回も、以前に受けた相談です。高齢になった親が家に入り込み、子どもたちと絡んでいく例です。今度こそ「カテゴリー」ではなく、「あなたと私」の問題として考え直していただけたらと思います。

 

 1 異なるリズム

① 台所スポンジ

 狭い古い家に暮らす母親を、息子は自分のところで呼んで一緒に暮らそうと思った。南向きの広い部屋を親にあてがう。庭も広いし、まだ学校に通う子ども(孫)たちも喜ぶ。ご近所のお付き合いは順調で、外への用足しが好きな母親の抵抗を受けたが、息子夫婦は実行に移す。

 きっかけは台所だったらしい。同居を始めた母親が、洗い物をした台所スポンジを使ってシンク(流し)を磨いた。息子の嫁は困惑し「別な物を使用すること」とシンクに張り紙をした。共働きの夫婦だ。嫁が帰宅する時には、母が炊事を終えていることも多かった。当初の「お母さんの味を教えてもらう」は、やがて「勝手に料理をしないで欲しい」になった。また、以前住んでいた家で惣菜のやり取りなどが日常だったご近所は、「嫁のいる家」には足が向かなくなった。「何の問題もない」はずの同居は、数年で破綻(はたん)する。子どもたち(孫)たちは、おばあちゃん、出て行かないでと泣いた。

 しかしその後、母親は慣れ親しんだ生活で張りを取り戻し、子どもたち(孫)の「お泊まり」も再開する。学校でいじめを受けていた孫のひとりは、家で元気を回復する。

② 公民館

 広いマンションに住み替えることとなった。息子は年老いた母親に、そこの一部屋をあてがった。新しい家は新しい家族となり、住み慣れた家を後にした母親も気持ちを切り換えた。しかしそれも初めのうちだった。家族には、それまでいなかった母親が加わったのだ。今までと空気が変化するのは、前のケースと同じだ。やがて母親は、自分の部屋にテレビやお茶の用意を調(ととの)える。どう考えても不経済だ、せっかく同居したのにという息子の気持ちは、子ども(孫)の言葉にもトゲを作った。その後、ひとりで暮らしたいという母親からの提案を受け入れたのは、それが失敗することで気が済むかも知れないと思ったからだ。

 しかし、前の家と離れたアパートでのひとり住まいを、母親は気に入った様子だった。週に何度かの「公民館通い」が、母親の大切な習慣となっているようなのだ。こちらの母親は先の例と違い、外とのお付き合いは極めて少なかった。孫たちが公民館に付き添った報告によれば、母親(祖母)は誰かに会いに行くわけではなく誰かと話すわけでもなく、談話室でひとりお茶を飲みながら過ごしていたという。母親が同居した当時、子ども(孫)が不登校になった。しかし、母親が「自立」することになって、子どもに落ち着きが戻ったという。

 一体何が起こっていたのか。

 

 2 「場所」の肯定

 これらのことに私たちは、「年寄りによくある話さ」と反応するはずだ。その通りなのかも知れない。でも、その括(くく)り方こそ、カテゴリーでの裁断だ。一方、ここで登場する子ども(孫)たちも、ひと括りで「ヤングケアラー」とされるにちがいない。この子たちがアンケートに対し、きっと「大人の世話をしている」と答えるからだ。また、この「自立した」母親(祖母)たちが亡くなれば、今度は「孤独死」という「あってはならない」出来事として報道されることは知れている。しかし、ここで登場する孫たちは祖母を煙たがるばかりでなく、頼りにもしており、また母親(祖母)たちも、それぞれに違った物語を抱えている。

 ①の母親は、自分が作って生きてきた「場所」を再認識し、そこに帰りたいそこで生き続けたいと思った。そこに見慣れた顔や手入れした庭や馴染んだ空気、何より使い込んだ習慣があるからだ。そこで彼女は、「我が家」や「近所」という密着した空間を所有したのである。②の母親の全く対照的なところは、取り立てて「我が家」や「ご近所」が必要ないことだった。彼女は家で一日中ひとりでいても良かったはずだ。しかし、彼女はそうしなかった。彼女には公民館で、いやそれは路上でもよかった、そこから聞こえて来る近隣の出来事や姿が必要だったのだ。周りから見れば「孤独」に見える彼女は、そうして近隣との折り合いをつけたというより、近隣と「共に生きた」のだ。私はこの母親から、「ぽっち」を思い出す。学生たちが教室や研修室でお昼を食べている時、一人だけ離れて「一緒」に食べる「ぽっち」のことだ。ひとりであえて、外で食べようとしない彼(彼女)は、そこでみんなと「一緒」に食べるのである。「ひとりじゃない」のである。

 これらの「物語」が示すのは、それぞれの「時」「場所」「相手」である。この「物語」を破壊しようとするものたちへ、彼女たちは反逆をしたのだろうか。そうではあるまい。②の母親は、マンションが形作る家族共同体、つまり近隣と隔絶したものと和解をしようとした。しかし、それは拒絶されたのである。残された道は、マンション家族からの一方的な取り込みか、元の場所に戻ることだった。こうして①と②の母親は、かろうじて息子や孫とともにする「場所」をつなぎ留めた。これらは示唆(しさ)に富んでいる。頻発(ひんぱつ)する言葉狩りと暴走する敬語に、私は同じ現実を見てしまう。

 

 ☆後記☆

話がいきなり飛んでしまいました? そんなことはありません。近いうちに書こうと思います。

先週のこども食堂「うさぎとカメ」、調理のショットです。雨にもたたられず、皆さんからありがたい感謝の言葉をいただきました。お好み焼き弁当、好評でした。

こちらは受け付け。会食が解禁となるまで、まだ遠いですね~

最後は若葉の光。ビオトープだそうです。


家族の肖像 実戦教師塾通信七百五十二号

2021-04-16 11:48:03 | 子ども/学校

家族の肖像

 ~ヤングケアラー~

 

 ☆初めに☆

GIGAスクール構想のことで、その後も現場の先生方や議員さんたちと話し、行政の人たちからは聴き取りをしています。びっくりするような現状だと思うばかりです。大変なお金をかけて、子どもたち一人一人の周りに固い壁を作っているとしか思えません。この不安を多くの方と共有しているのが、ほんのわずかな希望と考えます。追って報告します。

コロナの中を一年通過した私たちです。昨年の今ごろは、たとえばトイレ掃除担当は生徒、とすることが英断だった。そして一時期ですが、消毒液の経費をPTAが負担する学校もあったのです。多くの家族が、それまでは見えなかった姿を露出することもありました。むやみに「寄り添う」なる言葉を使えない、そんな現実にも遭遇したと思っています。

 

 1 「家族」という姿

 だいぶ前と言っても、コロナの騒ぎが始まった頃に受けた相談である。詳細は書けないが、報告したい。

 父親が突然倒れた。家族/子どもたちに訪れた厳しい現実。やがて父親は自宅で療養するようになる。身動きの出来なくなった父親を、専門スタッフが来て回診/介護した。長い療養生活が始まってすぐ、一番上の子が学校を休むようになる。やがて、次の子も不登校になる。子どもの多い家庭である。みんなが不登校を経験する。日々の生計は、母親の収入と父親の障害手当によるやりくりである。

 子どもたちは、父親が心配で家から出るのが不安になったわけではない。元気だった父親が、口をきくことさえままならない状態で帰宅したのだ。朝、自分より早く出かけて、夜は暗くなって帰宅していた父親が、一日中、家の空気の中に入り込んでいる。声をかけても、父親が積極的な声や動きを返すことがない。子どもが食事の介護を出来るわけでもない。起こった明確な変化は、つまり「家庭のリズム」だ。だから、不登校の原因はと言われれば、不調を来したとしか言いようがない。

 この家族は何とかなると思った。いくつかの要因がある。母親は、相方のことでは覚悟を決めた。次に、最初の子の不登校で、母親は学習した。仕方がない、本人を責めることではない、でも誰かに原因があることでもない、きっといつまで続くことではない等々。すごい母親である。だから次の子、そしてまた次の子が不登校になっても、母親はたじろがなかった。一方、父親は元気な時、強力な育児/教育方針だった。子どもたちは、父親の考えを決して歓迎していたわけではなかった。父親が倒れておとなしくなった時、子どもたちはこの不幸を受け入れ難かったと同時に、肩の荷が下りたのかも知れない。

 担任は家庭訪問をした時、学校生活への復帰を催促しないように気をつけた。十分に大変な思いをしている生徒に、身勝手と言える「お父さんのためにも頑張れ」は、最低な言葉だ。生徒はこんな担任を嫌がることはなかったが、登校への積極的姿勢は見せなかった。みんなが不登校で家にいたわけではない。母親の姿勢もあったのだろう、大体はひとりずつ順番のようだった。母親は優しく、雲のようにふんわりと。そして、みんなで支えなくてはいけない父親。しかし、それは大変な重荷であると同時に、この家族にはなくてはならない存在のように思えた。担任の話からは、しっかりと結び合った家族が、闇の中にぽっかりと浮かび上がって見えた。

 

 2 ヤングケアラー

 ヤングケアラーの存在が、堰(せき)を切ったように語られ始めている。大人の代わりに家族の世話をしている子どもが、中・高生の20人にひとりいるという。これは、実態調査に回答した中・高生(1万4千人弱)で「世話している」と答えた生徒から割り出された数字だ。私には日本の「家族問題」が、露出しているようにしか思えない。「アルコール・薬物などの問題を抱えた家族に対応している」は、家庭内虐待ではないかと思えるし、「幼い兄弟の世話をしている」も、多くが「シングル」親のケースだろう。また、元気だった両親が、ついに介護を必要とするようになり、しかも施設に入ることが出来なかったとき、息子・娘の家に転がり込む。孫にあたる子どもは、そこで「新しい家族」を迎えるのだ。

 ヤングケアラー問題に、実はひとつひとつの「家族の物語/歴史」がある。だから、ニュースは「とびっきり」な例を取り上げて啓発するのだが、どのヤングケアラーも別々な物語を持っている。ひとつとして例外がないとすれば、家族の成員が「固唾(かたず)を飲む」ような思いで過ごしていることか。不幸な家庭を私は多く見てきたし、今も見ている。しかし、それで子どもが「不当な扱い」を受けているわけではないケースも多い。「親がだらしがない」わけではないからだ。

 前項で書いた家族は、「大変」ではあっても、「不幸」ではないと思えて仕方がない。

 

 ☆後記☆

少し一服いたしましょう。おいしいコーヒーとマロンロール。向こうのテーブルに、良く見るとセナのマシンが乗ってますヨ。

子ども食堂「うさぎとカメ」、明日ですよ~ なんか雨っぽいですねえ。


所沢報告書(下) 実戦教師塾通信七百五十一号

2021-04-09 11:44:37 | 子ども/学校

所沢報告書(下)

 ~息苦しさを抱えて~

 

 ☆初めに☆

暖かな始業式のあとに、寒の戻りがやって来ました。今年も桜に感謝ですね。入学式はどこも昨年よりはオープンな形ですが、一体この先どうなるかと表情をかげらせるのは、多くの校長先生です。学校回りをしました。中学校の校庭では、ちょうど三年生が「修学旅行」を前にした集会をやってました。まだ実施は未定なんですが、心構えでしょうか。そう言えば、集会の場所が「校庭」であって「体育館」ではなかった。子どもたちの間の距離も広かった。いい年(度)になりますように。

 ☆☆

前回書きましたが、所沢の報告書は「ご遺族の合意が得られた」ものです。つまり、遺族も息子が死んだ原因を、必ずしも学校や担任に限定していません。今回は、遺族が最後に問いかけた部分、つまり、学力や体力を向上させようとする余り、もっと大切な部分を、この学校はないがしろにしてきたのではないか、という部分を中心に書きます。この学校では見えない力が、子どもたちを圧しているのは間違いありません。

 

 1 「再チャレンジ」

 国や県のガイドラインよりも、長い時間の部活動をしていたA中(当該校のこと)だった。部活動の見直しを進めている時に今回の事件は起こっている。そしてA中の、体力テスト(「新体力テスト」と呼ばれる)に関する報告に、第三者委員会は多くを費やす。A中はこのテストの成績優秀校として全国表彰されているのである。このテストへの指導のあり方が、以前から保護者に問題視されていたという。ひとつに、持久走の目標タイムに達することが出来なかった時、「再度挑戦させられているのではないか」という指摘だ。A中は、それが「生徒の自主的な申し出に基づいて」いると言う。これに対し遺族の父親は、「平均の記録に届かない生徒は、昼休みに校庭に来るよう指示された」という証言を彼(亡くなった生徒)の友人から得ている。実は、どちらの言っていることが本当かどうか、は問題ではない。基本的なところがおかしい。

 

 2 テスト実施要項

 私の現場経験から言っても、この一件があって現場に確かめた結果も、どっちも同じだった。持久走計測は「一回」しか出来ない。文科省の新体力テスト実施要項でもそうなっている。握力や反復横跳びなど、9種目の中から8個選び体力を測定する。それらの計測は多いもので二回(いい方の記録を記入する)。持久走は一回である(よろしければ拙著『さあ、ここが学校だ!』P144~ を参照していただければ、「もう一回やらせろ」などと学ラン姿で叫ぶ、わがまま放題の連中に、とうとうこちらが折れてやらせてしまう情けない話が書いてあります。要するに「もう一回」など「出来ない相談」なのだ)。「自主的な申し出」だの「昼休みに校庭」だのはあり得ない、いや、やってはいけない話だ。だからテストと言う。

 この点について、第三者委員会からの言及はない。「再チャレンジについての教師からの働きかけに対する生徒の受け止め方は様々であったと推察される」とあるだけだ。つまり、第三者委員会は実施要項を知らないか、それを逸脱しているという「認識がない」。委員の選任/選定に遺族が関与した形跡が見当たらないのは気がかりだったが、ここに来て、第三者委員の多くが所沢の、つまり地元メンバー、そして中には所沢市教委が認定したとしか思えないメンバーのいることが気になった。他の地域の人間で、しかも現場を「ちゃんと」知る人だったら、この「再チャレンジ」のおかしさを気がついたのではないか、と思う次第である。誠実に調査したあとが見えるだけに、この部分の「欠如」が悔やまれるのである。

 

 3 「進路に響く」

 亡くなった生徒は、「部活をやめたい」「(でも)お母さんが`高校のこともあるからやめたらだめだ`と言っている」と、担任に相談している。担任は「(制度として)強制ではない」「相談して」と応えたそうだ。第三者委員会は、こうしたことに、「教師の指導を『内申点』、『高校進学』といった進路の問題と結びつけて悲観的に捉えていた」のではないか、としている。しかしもうお分かりと思うが、学力/体力で全国レベルでの優秀さを称賛される学校がどんな空気を作っていた、いや、作っているのか、ということをしっかり押さえないといけない。提出物が評価の対象になるのは別段珍しいことではない。しかしA中は、体力テストの記録「向上」のため、生徒からの「自主的な申し出」で「昼休みに校庭」で走って、本当は出来るはずのない「再チャレンジ」の日常を有する学校である。提出物に関しても、それが一体どのようなものにまで及んでいたのか、考えないといけない。たとえばそれが生活日記だったり尿検査の尿にまで及ぶのか、期日は厳密だったはずだ等と考えた方がいい。子どもたちには、学力/体力抜群の学校という「ステータス」が、責任と義務とでもたとえるような重苦しさをもたらしていたことは疑いがない。教員の日常に落としていた「影」について、この事件の前年に起こった「踏み切り事故」の『調査報告書』が指摘している。

◇表面的行動にとらわれずに…………サインを感知する教職員の感受性の低さ、配慮のなさ、指導のずれ、自らの指導内容を内省的に振り返り吟味することの欠如等……

◇行動連携どころか、情報連携すら十分に行われない連携の欠如

◇生徒一人一人の内面を把握しながら指導するよりも、テストの高得点や賞などの獲得が優先される指導体制

◇不登校や課題のある一部の生徒以外、校内の相談室の存在すら知らない教育相談体制

報告書は、これらを改める前に新たな事件が生じてしまったと振り返っている。更に、「教師自身は何をすべきか、どう変わるべきかが見えてこない」、そして「それよりも、常に生徒だけを変えようとする意図が露骨ではないか」と断じている。

 A中はひどい学校だとするのはたやすい。しかし四点の指摘、そしてとりわけ最後の部分は、私たち教師全員に向けられた言葉と思える。重苦しい学校、それはきっかけの見過ごしと決断の回避が重なれば出来上がることを、私たちは知っている。

 

 ☆後記☆

名残惜しい桜の写真。カナダの桜なんです。先日、バンクーバーから送られて来ました。街並みと家並み、なんか違いますね~。

子ども食堂「うさぎとカメ」、来週で~す。初めての「チャレンジ」、お好み焼きです。お米も少しですがあるので、配りたいと思ってます。皆さん、来てくださいね~

 


所沢報告書(上) 実戦教師塾通信七百五十号

2021-04-02 11:45:52 | 子ども/学校

所沢報告書(上)

  ~「学校の不誠実さ」への指弾~

 

 ☆初めに☆

所沢の事件を考える前に、先月、流山の子どものことが、連続してニュースになりました。ずい分な紛糾(ふんきゅう)を感じる2014年の件については9日に、同じ中学の生徒が同じ踏切に飛び込んだ昨年9月の事件については29日に調査報告書が提出されました。報告書を読もうとした方はご存じですが、流山市のホームページにそれが掲載されていません。問い合わせてみました。担当室の説明は、

2014年の報告書は一度公開したが、ある事情が発生してやめた/その事情については話せない/今後どうするか話し合っている/内容の訂正も公開についても検討中

というものでした。そして同じく、昨年の事件についても「公開するかどうか検討中」なのです。つまり流山市の事件に関して知っているのは、ごくわずかな人に限られているということになります。隠蔽と断定するのは控えますが、こんなことをしていれば、要(い)らぬ憶測や噂が広まるばかりです。被害生徒と家族、遺族の方々の思いが伝わって来ないことも気にかかります。

 ☆☆

所沢の事件については、今回、報告書と遺族の見解について考えます。次回は、報告書から見える「現場」について考えます。

 

 1 「えっ。なんであの子が?」(教職員の反応) 

 2017年から、所沢では生徒が3年連続して亡くなっている。先月の23日に、2018年の事件に関する第三者委員会の報告書が提出された(52頁)。唐突だが、報告書の結論と言える部分から始める。

「これまでの調査において、彼(亡くなった生徒)を知る友人や教職員、そして家族も皆、彼の死を想像する者は誰一人いなかったと言えよう」

これほどのことを、これほど断定的に報告書が書いている。確かに報告書は、熱心さとヒステリックを併せ持った担任の資質も、両親との日常的な言い争い等も、結局は「死」に導くほどのものではなかったとしている。では第三者委員会は、報告書で学校を擁護しているのか。否である。提言の最終部分で、第三者委員会は遺族からの聴き取りを報告している。重要だと思われるので、書き抜いて引用する。まず「管理職に対して」の思い。

葬儀には、担任も管理職も、教育委員会も来なかった/我が子の生前の様子を伺(うかが)うべく担任との面談を……希望したものだが、管理職に断られた。

次が「担任に対して」である。

月命日には、担任も管理職も誰もやって来なかった/発生後、1か月と10日経って、やっと担任が部活動顧問と2人で来宅した/「私だって傷つき、死のうとさえ思った」と担任は言ったが、実際に我が子を亡くしたことで深く傷ついている親に向かって言う言葉かと思った。

そして第三者委員会からの結びは、以下のようになっている。

……事案発生直後、学校は、彼の保護者に対し、「自宅を訪問し、お線香を上げたい」との意思を何度か示したが、保護者の承諾を得ることができず、葬儀の日程等を聞くこともできなかった。また、教育委員会も学校や保護者に対し、葬儀への参列を実現するための積極的な働きかけをしなかった。その結果、学校関係者、教育委員会は誰一人、彼の死後1か月以上自宅を訪問することも、ご焼香を行うこともなかったのである。
 自分たちが新入生として受け入れ、少なくとも3か月間様々な教育的かかわりを行ってきた一人の生徒が死んだ。そうした事態に、葬儀に参加する(裏方として手伝うでもよい、少し離れたところから手を合わせるでもよい)、自宅にご焼香に伺うといった行動をとるのは、人間として当然のことではないだろうか。学校側の対応に傷つき、怒った親から「線香を上げに来てほしくない」と言われたからといって、そのまま通夜にも、葬儀にも、月命日にも、一周忌にも顔を出さないということがあるだろうか。たとえ、罵倒されても、石を投げつけられても、遺族に会うべきではなかったか。…………

 傷ついた遺族への心の支援という視点が欠如しているとしか言えない。

第三者委員会の態度は、明確であるように思われる。それでも報告書には「彼の死を想像する者は誰一人いなかった」聴き取りの結果が残った。

 

 2 トップクラスの学校

 遺族はどう考えているのか。市教委の公開文書には、遺族からの「調査報告書に対する意見」(3頁)が添えられている。報告書への感謝とともにあるのは、学校への不信感である。

 第三者委員会の調査については公平性は担保されていたと感じます。私どもが知り得なかった他の保護者の意見、担任教諭の教室や部活動での言動、アンケート内容など幅広く調査していただき、私どもが在校生から得ている証言と合致した問題点がより浮き彫りになったと思います。
 その反面、第三者委員会の調査に対する校長や教諭の回答については大いに失望しました。…………息子や息子の友人達から聞いていた話しとの乖離(かいり)が大きすぎます。3 年連続して 3 名の尊い子供の命が失われている前代未聞の学校であり、その学校の現職教諭の回答とは到底思えず、当事者意識が皆無なのではと疑わざるを得ません。

同時に遺族は、息子の友人たちの率直な言葉が、聴き取り調査の中からは「消えている」ことを指摘している。それは対面による聴き取りが原因ではないか、だからアンケートでは「命の教育が本当に必要なのは先生たちではないか」と率直な意見を述べる生徒がいたという点を、調査のあり方の提言としている。最後の「総評」では、

「学力テスト、体力テストが県内トップクラスになることより、不登校者数やいじめ認知件数が減ることの方が大事なのではないか、と思う次第であります」

と結んでいる。さて、この点が学校体制/日常として存在したのだろうか。私はあったと思う。それを私は報告書の中に見いだしたと思っている。

 

 ☆後記☆

それにしても事件直後の大変な時に、遺族と何度もやり繰りした「保護者宛てメール」、また「保護者宛て手紙」が、公開された報告書に見当たらないのが腑に落ちません。すでに公開されているものなのに、です。個人が特定される部分があるなら、削ればすむことなのです。心残りでした。

桜の見頃、明日までですね。これは手賀沼大橋の上から撮ったものです。ジョギングロードで、お弁当を食べているお相撲さんをみました。

これは北柏ふるさと公園。このそばにあるパン屋さんに行きました。

「袋はお持ちでしたか」

と来たよ。だから「お持ちでした」と言いました。少し驚いた顔をした後は「普通」の敬語になって、安心しました。