実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

田中原子力規制前委員長 実戦教師塾通信六百六十二号

2019-07-26 11:54:25 | 福島からの報告
 田中原子力規制前委員長
     ~いくつかの驚き~


 ☆初めに☆
いわきから福島市まで、磐越(ばんえつ)道路は激しい雨でした。でも、福島駅前についた頃には小降りとなっていて、駅前から歩いて五分の会場「コラッセふくしま」までは傘もささずに行けました。

一階のフロアは、県内産品の展示と販売場になっています。居並ぶ日本酒に、思わず喜びの声を出してしまいます。

 1 田中俊一原子力規制委員会・前委員長
 前から話を聞きたいと思っていた。出来れば話したいとも思っていた。
「福島で話を聞いて来るから、何か聞きたいことはある?」
私は、楢葉の渡部さんにそう言ったが、私にも聞きたいことがあった。残念ながらかなわなかったが。
 前にも言ったが、私が田中原子力規制前委員長(以下「前委員長」と表記)を評価するのは、原発の新規制基準のクリア宣言をする時、
「安全とは申し上げない」
と必ず言って来たことだ。このことを「無責任だ」と反発人たちがいるのだが、私にはさっぱり理解できない。「新規制基準をクリアすること」と「安全」は別なことだ。それを宣言するのがどれだけ大変なのことなのか、私も少しは分かるつもりだ。このことに関して前委員長を批判する人たちは、この「安全とは……」発言をたてに、
「原発はどうやっても安全じゃないんだよ」
と主張することが出来るのに、といつも思う。
 前委員長の自宅は茨城の日立太田だそうだ。でも、飯舘村に古民家を買って週の半分をそこで暮らし、住民とともに福島の未来を模索しているという。

 この日、会場コラッセふくしまの大会議室・定員250人は大入り満員、私は一番前の席をキープできた。写真の撮影は禁止なので、スナップはこれだけ。

 2 低線量被曝
 放射性セシウムの地球上で初めての拡散は、1945年の広島・長崎での核爆弾使用である。それ以前の地球には存在しなかった物質だ。カリウムやラドンなども放射性物質だが、地球上にずっと前からあったものと一緒には出来ない。それで私たちは常に慎重になるのである。このセシウムを外から浴びる外部被曝ではなく、食事などで身体の内側に取り込む「内部被曝」の話。
 2012年の春、それまで一般食品の規制値500ベクレルだったものを、厚生労働省は100ベクレルに変更する。まったく科学的根拠のない数字だった。これによって当時の民主党政権が、人々の「安心」を買おうとしたというのは、私の推測である。一方、放射性物質研究者の間では、セシウムが危険と考える値の「高い」傾向がある。前委員長も同様である。とてつもない被曝を日常的にしている航空パイロットとか、原子力関係の仕事に従事しているものの例をあげながら、
「そんなに大騒ぎすることではない」
と説明する。2012年の南相馬世界会議でご一緒した、東大アイソトープ研究所の児玉龍彦先生もそう言う。
「輸入食品やタバコの方がよっぽど危ない」
とも言う。しかしこの両者の言い方には、微妙な差が生じている気がしている。児玉先生に関しては、低線量なら大丈夫(アメリカのオークリッジ研究所など)なのではなく、害が生じる確率が下がるだけである、という。
 前委員長の端的な物言いは、福島の人たちが不安を払拭して欲しいという思いから出ているのだろうか。

 2 「中間貯蔵施設」
 一番の驚きは、第一原発立地点に作られつつある「中間貯蔵施設」に関する言及だった。
「中間貯蔵施設を本気で『中間』と信じている県民がどれほどいるのか」(2019,7,18『東京新聞』)
とは、福島の立憲民主党県連が今年の5月末日、国に提出した要望書の中にあるものだ。国が帰還困難地域を買い取るのは、それを最終処分地にしようという考えがあるからだという。ただ、この中間貯蔵施設なるものの設置を決めたのは、8年前の民主党政権なのだ。我々立憲民主党は民主党とは違うと言うのだろうが。
 さて、前委員長もこれと同じことを言った。満員の会場に向かって、
「セシウムが半減した廃棄物を受け入れてくれる地域があると思いますか」
あるはずがないですよ、ときっぱり言うのだ。宮城県加美町、栃木県塩谷町が候補地を拒絶したのは記憶に新しい。
 なみいる福島の県民を前に公言したのだ。こんなこと誰も言わないし言えない。
 先日、前委員長が議員会館で講演の依頼を受け、話した相手は立憲民主党だったという。
「あんたたちが作った法律なんだ、撤回しなさい」
中間貯蔵施設のことだ。そう言ったけど皆さん黙ってるんだよ、と前委員長は続けるのだった。
 これを先の低線量の被曝に「大騒ぎするもんじゃない」とあわせて考える時、前委員長は国の手先だと糾弾(きゅうだん)することも出来る。しかし、地元に戻って頑張ろうと考える人には、これが新しい指針となるのかも知れない。
「『帰って来てください』と、簡単には言えない現実があるんです」
これも前委員長の言葉だった。

 トリチウムというやっかいな物質が汚染水のタンクに満たされ、海洋に流すかどうか議論が続いている。ところが、関西電力下の原発では、トリチウムが以前から海に流されているという。これも前委員長の口から出た驚きの話。
 何も知らない知らされていない、そしてもっと知らないといけない、調べないといけない、改めてそう思った講演会だった。



 ☆後記☆
暑いですね。今夜には南の海上にある熱帯低気圧が台風になるんだとか。明日に控えた隅田川などの花火大会がどうなることか。
さて、夏は売り上げが目に見えて落ちるというコーヒー店、そんなお店にエールを送ろうかと。

私のご贔屓(ひいき)『豆壱(まめいち)』のポストカードです。「柏の名店」なんて「とんでもない」というマスターなので、「隠れた名店」としましょう。小さな店の持ち味というか、新しい豆はまさに小まめに品がわり。美味しい淹れ方も、親切に教えてくれます。この間はティーサーバーでの美味しい淹れ方も伝授されました。
「コーヒー苦手だけどチャレンジしようかと」
いう若い女の子に、だったらガテマラから始めるといいです、などというアドバイスが店の奥から聞こえてきます。
となりはこれも小さいんですが、そば屋。店の佇(たたず)まいもごく普通なんですが、お客さんは知っている。お昼時はいつも満席で、神奈川や東京からも食べに来る。のど越しが浅草の「尾張屋」を思わせます。
私はいつもお昼のそばを食べてから、『豆壱』に向かうのです。
 ☆☆
W・I・Uの動画、公開されました。今回のテーマ「校則」は30分です。よかったら見てください。

『新聞記者』 実戦教師塾通信六百六十一号

2019-07-19 11:43:46 | エンターテインメント
 『新聞記者』
     ~新しい挑戦か~


 ☆初めに☆
その頃、ドラマでは三菱を臭わす『空飛ぶタイヤ』(wowow2009年)が、映画では日本航空を標的とする『沈まぬ太陽』(角川ヘラルド2008年)がヒットしていました。それで私の口から、日本の映画やドラマも権力に一石を投じることが出来るようになって来たのかな、とついそんな言葉が出たのです。もちろん、かつてもそういう映画はありました。『砂の器』(74年)や『地の群れ』(70年)がそうですが、前者は監督スタッフ陣が私財を投げ打ち松竹を説得して出来上がった例外的存在です。そして後者は独立プロ。メジャーな流れからは遠かった。
私がつぶやいた相手は、ずっとこの世界の前線に立ち続けている人物です。この時は、いつもの静かな反応とは違い、
「先生、それは違います。二つとも、もう『終わった』ことを題材にしてるんです」
現在進行中の面倒なテーマを、大手の娯楽企業が扱えるものではないという言葉には、いつにない激しいものがありました。
 ☆☆
映画『新聞記者』が、好評のロードショーです。

まさに決着を見ていない、進行中の出来事がテーマと思えます。だからこそ後味の悪い、先の見えない終幕でした。
配給は「スターサンズ、イオンエンターテイメント」。あの時「先生、それは違います」と言ったあの人は、今度はなんと言ってくれるのでしょう。

 1 森加計問題?
 まさに森加計問題が舞台だ。なにせ原作が記者会見で官邸事務方から「同じ質問をしないように」注意を受け、
「答えてないから繰り返してるんです」
と食い下がった東京新聞の望月衣塑子(いそこ)なんだから。2017年の加計問題に関する望月のたび重なる質問で、官邸は色をなし「特定の新聞と記者への取材制限」を主張したことは記憶に新しい。

「あの人は文書改竄(かいざん)のことで死ぬような弱い人ではありません」
そう訴える、内調(内閣官房情報調査室)の若手キャリアの言葉だ。ここで私たちはもちろん、森友学園をめぐる文書改竄で自殺した近畿財務局の職員を思い出す。当時の世論は、もっぱら「公文書の改竄という許されない事態」という批判に終始した。しかしそうではないんだ、と映画は言っているかのようだ。映画はフィクションと考えるにしても、文書改竄は珍しいことではない、それよりも改竄してまでやりたいことが何なのか見極めないといけないんだと言っているのだった。映画ではそれらが、内調の送り出す捏造(ねつぞう)ニュースやデータで、混乱に導かれる。たとえば映画の開幕シーンは、女性問題を問われる学長だったか議員だったか。これが前川喜平であることは疑いがない。ある人物を抹殺するためには、一定の「真実」を通して「信頼」をつぶすことだという戦略が、映画では繰り返される。どこからがフィクションで、どこまでが事実なのか区別しにくい展開はしかし、徐々に映画を観るものの立ち位置や思いに食い込む。思い通りにされているのは私たちではないのか、と。
「これがウソかどうかを決めるのは、国会や警察ではない。国民だよ」
そう言う内調・上司の言葉はリアルだ。

 2 今日も昨日のようでありたい
 この映画が投げかけているテーマは、内調・上司の口から出されている。
「私たちの役割は、平穏な国民の生活を守ることにある。そこに波風たてるものは、速(すみ)やかに居なくなってもらわないといけない。そんなことに躊躇はいらない」
国家日本をになう意志と頭脳は、苦悩よりは平静を、そして動揺ではない無表情を選び取っている。ちなみにその人物が表出されているさまは見事だ。これを演技というのだ、映画を見ていて何度も思った。
「組織ってイヤですね」
とは、この映画を見た友人の言葉だ。そうなのか。
 人々は「今日が昨日のようである」ことを望む。それは大切なことなのだ。しかし同時に「未来を変えたい」人々が常に存在する。そして「昨日のようでいたい」と思う人々は、多くが彼らときしみを生じさせる。アメリカで公民権運動を展開して暗殺されたキング牧師が一番恐れたのは、白人至上主義者やク・クラックス・クランではない。「今までの生活習慣を守りたい」人々だった。学校も同じだ。あの坊主頭が長髪解禁となるのは、たかだか30~40年前、周囲の風景とのあまりの落差に、とうとう学校が動いた結果だ。内調・上司の言葉の「国民」を「学校」に変換するがいい。おおごとが起きると学校は一気に組織の貌(かお)を現す。また言うが、
「私たちは全校の生徒を守らないといけないんです」
と言った校長は、ひどい例ではない。「普通」なのだ。

 3 掌(てのひら)を返す
 前川喜平が2017年の加計問題の記者会見で、
「『総理のご意向』文書を認め、『行政が歪められた」』と政権批判」
したことは覚えていると思う。しかし、出会い系バーの女性と前川氏が不適切な関係にあったという読売と産経の報道が、この会見の三日前だったことを覚えているだろうか。会見前の強烈な脅(おど)し。後日談として、この女性が、
「前川とは最も親しかった。身の上の相談や就職に関する相談にのってもらった。報道については、今になって真実とは思えない報道がなされている。前川から口説かれたことも手を繋いだこともなく有り得ない」
等という証言をしている(文春)。でき損ないのハニートラップと言えようか。
 これも思い出しておきたい。元福島県知事の佐藤栄佐久の収賄(しゅうわい)事件。知事が原発容認から反対に転じたその年!収賄の疑いで逮捕される。最高裁は「収賄罪は有罪。しかし賄賂(わいろ)額は0円」という信じがたい判決である。

 その時相手は、突然「掌を返す」のだ。
 映画で、若手キャリア上杉は結局、相手の懐(ふところ)に飲まれたのだろうか。



 ☆後記☆
以前、前川氏のことを話題にしたことがあります。覚えてますか。大川小学校の第三者委員を決めるに際してのことです。佐藤和隆さんの問いかけに、結局前川氏は答えなかったのですが、やっぱり聞きたいと今でも思っています。
 ☆☆
「組織」で思います。ジャニー喜多川社長が亡くなった直後に、公正取引委員会からスマップに関する「注意」があったこと。興味深いですね。このことに関して報道が、横並びに「遠慮」していることも、です。
 ☆☆
さて、今日は終業式。いよいよ夏休み! 子どもたちもみんなもお疲れさま! 涼しい(寒い?)日も多くて、なんか楽な7月だったせいか、もうけた感じ。これから暑いぞ、楽しもうね!

     袋田の滝です。夏休みバンザイ!

初夏 実戦教師塾通信六百六十号

2019-07-12 11:23:40 | 福島からの報告
 初夏


 ☆初めに☆
この間の記事を読んで、いわきの仮設住宅まで支援に来た方々から問い合わせがありました。複雑な気持ちになると思いますが、仮設住宅の現在を紹介します。左手の空き地です。

右手が小学校ですが、プールからはあの頃のように子どもたちの歓声が聞こえます。

 ☆収穫☆
泣きだしそうな空の楢葉町でした。食事中の牛さんたち。


ちょうど梅の収穫を一区切りした渡部さん夫婦でした。大きな駕籠(かご)に、梅がぎっしりつまってます。
「今年は梅干しに挑戦しようと思って」
奥さんが上気した顔で言い、
「ヘタはひとつひとつ竹串でとらねばなんねえ」
おばあちゃんが解説します。

屋外の運動スペースがかなり拡がってました。白い梱包(こんぽう)の牧草が見えます。

牛さんたちが、またオマエか?みたいな顔してこっちを向いてる。右奥は梅の木の横に二台の脚立が見えますが、二人してつい今し方までここに登ってたのです。


生まれたての子牛ですが、母牛が見当たらない。

「子育て放棄されちゃってさ。牛の世界にあるなんてねぇ」
奥さんが困ったように言うのです。蛭田牧場の助けで、母乳をなんとかまかなっているそうで。

 ☆大熊町☆
おばあちゃんの手作り、金柑の密漬けをお茶請けに、オリンピックの話になりました。残念ながら、蛭田さんも渡部さんもランナーに推薦ならなかった。二人とも楢葉のトップランナーなのに。

写真を見て分かるように、Jビレッジをスタートした聖火のルートとして、大熊町が決定した。双葉町はまだ分かんねえ、と渡部さん。「(安倍首相は)原発事故からの復興を国内外にアピールしたい考えだ」という記事の文言は、どのような気持ちで書かれたのだろう。
コトヨリさんは戦争を知らないんだよね、おばあちゃんがそう確認したあと、
「大熊は、昔から大変だったよ」
この話、前にも聞いたなあと思いながら、私は耳をすませます。
飛行場があった大熊町は空襲を受ける。焼けて更地(さらち)になった飛行場。そこに復旧政策を受けて開拓民が入り、牧場が始まる。しかし今度は、広大な土地を求めて「原発」がやって来る。そしてそれが歴史的な事故を起こす。
「振り回されっぱなしでよ」
おばあちゃんは、ふっと息をつぐ。改めてさっきの「原発事故からの復興を………」を、私は思い起こす。

 ☆蛭田牧場☆
渡部さんの息子が「二週間の校外研修」をする。最近、この研修を受け入れる農家が減少傾向だという。それで決まったのが、蛭田牧場!なのだった。自宅からの「通学」と相成ったわけです。
「今日もよ、昼間はダメだから夕方に来いだってよ」
私も笑ってしまいます。なんだかんだ大変なやりくりをしているのだなあと。
そしてさっきの「子育て放棄された」子牛の話です。この子牛、蛭田牧場の「初乳」を飲ませてもらうのです。
「初乳は外に出して販売してはいけないって法律があるんだ」
出産直後の母牛の乳は、とても抗体が多く含まれる、だからそれは人間用ではなく子牛に与えないといけないという法律らしい。

息子が庭先に帰って来たなと思う間もなく、蛭田牧場へと「登校」するのでした。



 ☆後記☆
おっきなジャガイモ、どっさり頂きました。メークインとキタアカリ。仲間のみんなと分けました。いつもありがとうございます。
 ☆☆
田中俊一前原子力規制委員長が、福島市で講演を行いました。このブログ記事の翌日なんです。行って来たので、次回?に報告いたします。
 ☆☆
久しぶりに、いわき市の文化施設「アリオス」に用があって出むきました。

一階の割れたガラス窓や破壊された店舗を思い出しました。あの年の4月12日、震度6の激しい余震と嵐があって、ここに泊めてもらったことも、ついこの間のことみたいです。この余震のお蔭で、90%復旧した水道がみんなダメになったんです。

つかこうへいファンの皆さん、そして全共闘の皆さん、一階ホールに『飛龍伝』のポスターがありましたよ。
 ☆☆
フジテレビの月9『監察医』が始まりました。抑制(よくせい)がきいているのは演技ばかりではありません。静かなストーリーです。いやあ月9、こんなドラマを作れるじゃないか。月9見るのは2012年是枝監督の『ゴーイングマイホーム』以来です。しかもこの時は入れ込んで見ることはありませんでした。でも今度はいいぞ。ドクターXの男版っぽいテレ朝の『サイン』、太刀打ち出来るかな。
 ☆☆
今日は先月に引き続き品川のスタジオで録画して来ます。今回は『校則』です。この問題って結構入り組んでるんですよ。アップされたら報告します。

校庭100周 実戦教師塾通信六百五十九号

2019-07-05 11:14:17 | 子ども/学校
 校庭100周
     ~気になること二つ~


 ☆初めに☆
全国に届くニュースとなりましたが、わが千葉県柏の中学校で、生徒に校庭を100周させる事態が発生しました。どうなっているのですか、という問い合わせは県外からもありました。何せ地元なので、細かなものから疑わしい情報まで、色々入ってきます。私の経験から考えられることを書いてみます。
 ☆☆
もうひとつが、携帯/スマホのこと。雪崩(なだれ)をうつようなスマホ校内持ち込み公認の流れです。いいんじゃないかい、と私は思えません。。予想されることを踏まえながら、考えてみましょう。


 1 「体罰に該当(がいとう)する認識がなかった」
<千葉県教委は6月26日、男子生徒に校庭を100周走らせる体罰を加えたとして、柏市立中の男性教諭を懲戒処分にした。男性教諭は5月25日に、顧問を務めるサッカー部の2年生の男子生徒に対し、前日の小テストでカンニングをした罰として「校庭を100周走れ」と指示>(以下< >内は新聞報道)というあたりはご存じと思う。この男子生徒は<1周約400メートルの校庭を約75周、30キロ近く走った時点で足がふらつき座り込む>。
 この顧問、担任なのか小テストを実施した教科担任なのか? どちらにせよ、部活とは関係ない小テストのことを持ち出してのことだ。何やってんだよ。
 さて、学校をある程度知っている方は気がついたのではないか。一周400mというトラックは、中学校にはない。回ったのはトラックではない。5月25日は土曜日。休日だ。この日は他校との練習試合だった。つまり、この男子生徒は応援しているギャラリーの外側を走った、というあたりが「400m」の根拠だ。<この日は気温が30度前後あった。練習を見にきていた母親が男子生徒を病院に連れて行ったところ、熱中症の疑いがあると診断された>という。母親は校庭で顧問に猛抗議したらしい。当然のことである。
 顧問は途中で止めさせようと思わなかったのか、また生徒や応援の大人(保護者)は顧問に止めるように言わなかったのか、などの疑問が出ようというものだ。私の推測であるが、生徒や保護者も気にしていた。しかし目前の試合展開が、その気を削(そ)いだ。男子生徒はそれら興奮の背後を走った。まして顧問は試合中の指示やエールやで、ついつい「忘れた」。これは口が裂けても言えないことでしょう。そして、そんな顧問への恐怖のためか、逆に「不服従」を胸にか男子生徒は走り続けた。と思う。<男性教諭はほかの部員にも同様の体罰を加えていた>という。今まで問題にならなかったのはなぜか。いや、今までも問題視されていたはずだ。今回のケースがひど過ぎたか、今回の出来事でついに日の目を見たのだ。
 次。顧問は<体罰に該当する認識がなかった>と説明しているらしいが、これを分かりやすく通訳すると、
「自分は自らの信念にのっとり生徒に対した。それが法律で禁止されているものだとは思わなかった」
となる。「ひどいことだとは思わなかった」のである。まさに柏市専属の弁護士から「アドバイス」を受けて出たものなんだろう。抗議を受け入れつつ、謝罪はしていない。
「いじめ防止推進対策法の趣旨を知らなかった」
とリピートし続けた、取手いじめ事件の時の学校関係者と同じである。
 ここ数日にわたって報道されている、埼玉のバドミントン部の生徒が自殺した事件にも触れておこう。
 いつも<一度休むと外周十周というペナルティー>を課した顧問には、日常的な暴言もあったという。こうしたことに対して、部活保護者会も持たれたという。今となっては、しておくべきだった多くのことで悔やんでいるのだろう。
 柏の中学校の件とあわせて、今後を見守らないといけない。

 2 ナイキとは違う
 以前は携帯電話の学校持ち込みを否定していた大阪が、今度は一転して認可する方向をとった。今は全国的な流れとなっているわけである。きっかけは昨年発生した大阪北部地震。ブロック塀の下敷きとなった女子児童のことがあって、子どもの安否や避難するにあたってのストレートでスピーディなアクセス、が浮上したのだ。
 20年ぐらい前だと思う。ナイキのスポーツシューズが爆発的に売れた。それと同時に、学校の下足箱からナイキのシューズが盗まれるというのもニュースとなった。喜び勇んで学校にナイキを履いてくる/履きたい生徒とその保護者に対し、学校に高価なものは持ち込まないように、という指導が入った。
 スマホは、まず高価だ。ナイキをもしのぐ高価なものを、ランドセルの方が大きいと思えるような子まで、中に忍ばせる。そしてこの高価な持ち物は、それが無くなったり盗まれたりしたとき「また買えばいい」ではすまないものをどっさり抱えている。それがナイキと決定的に違う点だ。すでにOKしている学校の対策は、ロッカーに施錠なんていうことも伝え聞く。そのうち廊下や教室に防犯カメラなんて、趣味の悪いジョークか。
 <従来の指針が時代/実態に合わなくなっていた>というのが文科省の見解らしい。その「時代/実態」とは<すでに携帯/スマホを小学生でも6割近い子どもが所有>を指している。だから何だよ、という大人もまだいっぱいいるのだが。そして<災害時への対応>で必要だからというのである。有事の対応を学校には任せられない、という現実でもあるのだろう。
 私たちは携帯/スマホが学校で解禁されるにあたって、一体それがどんなことを意味するのか考えておかないといけない。子どもが携帯/スマホを所持することは、子どもの分際で真夜中の新宿歌舞伎町を歩くようなものだとたとえておこう。しかもこの歌舞伎町は、実在の歌舞伎町と違って子どもを「店」に招き入れる。うっかり中に入れば子どもは身分検査をされ、本人や家族/友人の「知られたくない」ことまで「宣伝」される。また「店の商品」を包み隠さず見せるという「サービス」も控えている。大人は夜中の歌舞伎町に入る時の警戒心を一定持っているし抜け道も知っているが、子どもはそうではない。子どもにスマホを持たせてはいけない、というのではない。承認/愛情欲求の強い人間は、遠い知らない場所を欲しがるのだ。映画化もされた『スマホ落としただけなのに』(志駕晃著)なるホラーミステリーは、結構なリアリティである。
 携帯/スマホの学校での解禁で、今後私たちは想定を越えた事態を見ることになる。スマホの容量は人間の処理できる範囲を大きく越えているのだ。ひとつ安堵したのは、学校にスマホを持たせたいという保護者はほとんどいない、という都内の小学校校長の発言である。



 ☆後記☆
つい先日の夜のことです。車だった私は、所在なさそうに歩いている中学生とおぼしき女の子とすれ違いました。思わず二度ほど戻ってしまいました。爪なんぞ見ながらたった一人、おなじ場所を行ったり来たりしている。暗い中雨も降ってたのです。
「だいじょぶかい?」
怖がられないかと案じつつ声をかけました。思いの外(ほか)明るい顔で、大丈夫です、と返事が返ってきたのにはホッとしました。家でケンカにでもなったのでしょうか。
 ☆☆
やりました! ついにホンダ悲願の優勝! 今年はやってくれると思っていました。その時は意外に早かったという印象です。ドライバーのフェルスタッペンが、ルクレール(フェラーリ)と接触したシーンは、あの鈴鹿グランプリ最終シケインでのセナとプロスト接触を彷彿(ほうふつ)とさせました。

       おめでとう、ホンダ!