ミスター
~時代を凌駕する「前向き」~
☆初めに☆
誰もがこの日が近いと思っていたはずなのに、こんなにも早くと、思いました。本人の意思を分かっていた周囲は、病院の協力と共に静かな最期を用意していたのでしょう。何度も、そして静かに浄土との間を行き来したはずです。最後まですごい人だった。ミスターは東京オリンピックの聖火ランナーとして、国立競技場を王・松井と白いタキシードで現れた。それは、アトランタ五輪で現れたモハメドアリを彷彿とさせるものでした。感極まって当然のシーンでしたが、松井に支えられた長嶋は、ふたりと同様、笑みをたたえていました。おそらく、心中のボルテージは頂点だったけど、それを上回る「道行き」が強かった。すべてにおいて不自由になった分、晩年のミスターは、以前に増して周囲に気遣うようになった気がします。「みんなが心配するような振る舞いはダメだよね」と笑ってる気がします。
別な記事を投稿する予定でしたが、頭がそちらを向いて言うことをききません。ありがとうの気持ちを込めます。
☆ライク ア ローリングストーン☆
『わが巨人軍は永久に不滅です!』(写真は朝日新聞)
1974年のミスター最後の言葉を、唖然とした思いで聞いたのは私だけだったのだろうか。前田敦子の「私を嫌いになっても、AKBは嫌いにならないで!」なるシーンと重ねてしまいたくなるような感じ。いやぁ、ジャイアンツの話じゃなくて、長嶋さん、アンタの話を聞いてたんだよ、みたいな放り出されたような感じ。その時に受けた不安な感じは、結局、覆らなかった気がする。一番は監督ミスターの「解雇・クビ」だ。私たちほどの巨人ファンが、この時多く「アンチ」になり、巨人敗北のニュースに喝さいの拍手を送るようになった。長嶋が監督に再び復帰した頃の巨人は、えげつなくあちこちから四番やエースを買いあさる金萬経営だった。石が坂を転がるように無残だった。
「ヤですねぇ。ジャイアンツのホームランは……」(吉田拓郎『真夜中のタクシー』)
それでも、長嶋がイチローを「巨人に来ませんか?」と笑顔で誘う姿は、しょうがないナと思いつつ、何故か許してしまうアンチ巨人であった。ドジャースから誘いを受けても承諾される事がなかった残念な気持ちを、イチローに託せなかったのかと思いつつも許してしまう。そんなものを気遣いと大らかさのミスターは、持っていたのだろう。
☆セコムしてますか?☆
バントのジェスチャーで、監督・長嶋は審判に「代打」コールをするので、たった一球でアウトになるという失態は沢山?あった。勝利監督のインタビューも自分の考えや思い入れを語り続けるので、インタビュアーには苦労の種であった。プリティ長嶋はものマネだった(現在は千葉県議)が、ミスターはお笑い芸人のギャグネタとなった。
「いや監督、そうではなくて私が聞きたかったのは……。いや監督、それはさっき聞きました。そうではなくて監督……いや、トータルなディフィカルトって……和製英語はいいですから。いや、監督のことではなく、今日活躍した選手のこと……。いや監督、だから……いや、インタビュー続行不能! もう!聴取不能!」
本当は失礼千万のおチャラケはミスターの一方的語りに因するもの故、私たちは便乗して笑った。あの天覧試合の前夜は、枕元にバットを置いて寝たというミスター。さて、あの日のサヨナラホームランがファウルだったと、この時の阪神・村山がずっと言ってたことが、今回なぜか余り報じられないけれど、ことあるごとに村山は「長嶋、あれはファウルだったぞ」と言っていたそうだ。長嶋はそれに対し「村山クン、ナイスピッチ!」と、いつも応えていたという。すべては肯定的に、ということか。更に深く、山本哲士の言う述語的存在としてあり続けたということか。審判に抗議する実写に「セコムしてますか?」を上書きする悪ふざけのCМも、ミスターの承認なしには成り立たないのだ。
こんな時に「人となり」は出るものです。
「『ありがとうございました』で、すべてを表してくれると思います」
とは王貞治の言葉。「感謝だけですね」「ありがとうございましたのひと言です」なる無残なオンパレードに、もちろん並ぶことはしなかった。考え抜いた言葉とは、相手を真剣に思った言葉とは、そういうものです。「色々考えたんですが、結局、感謝しかありませんでした」でもいいんです、紋切り型の言葉とは違いが出る。
ラジオの向こうで躍動する長嶋に耳を傾け、私たちは収穫が終えた田んぼに走った。田起こしが始まる春先まで、そこが私たちの球場だった。グローブが5つしかなくても下駄ばきのままでも、畔(あぜ)をみっつ超えた時の「ホームラン」は、私たちのすべてだった。長嶋は私たちのすべてだった。寂しい気持ちは打ち消しがたい。ですが、どうしてか元気が出る、私たちを前向きにする、長嶋はそんな存在であり続ける人なのです。
☆後記☆
本文よりもここで書いた方がいいと思いまして。2004年に脳梗塞で倒れたニュ―スには、びっくりしました。何より、長嶋がこんなに孤独な生活を送っていたのか、という驚きです。この時まで家庭でのシビアな事情が漏れなかったのは、周囲が長嶋を心配し、何より本人が嫌った結果なのですね。太陽のような日々をミスターが送っていたと信じて疑わなかった私たちは、逆に勇気づけられたはずです。そうして、あのリハビリする姿。私もリハビリ頑張ります。
そんなわけで、次回は身体の話。目ではなく、腰の話。以前書いた「筋肉」「所作」の続きとなります。あの時の話が通じなくなるように、身体が変化・老化しているわけです。それは確実に。ではどうするかという話です。
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6月です。今月の子ども食堂「うさぎとカメ」は、定番メニューの焼きそば。デザートは「パンナコッタ」に決定🍏
先月の様子もお送りしま~す📷 中学生がたくさん手伝いに来てくれて、助かりました💛
それと、いわき信用組合の件、ご存知でしょうか。四倉の「ニイダヤ水産」なんですが、いわき信用組合からの融資で再開できたのです。心配になって確かめましたが、偽装の口座を作られることもなかった、という話でした。まったく、油断がなりません。
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ブログの引っ越し、9月になります。それまではここで、よろしくお願いします✋