実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

甲子園 実戦教師塾通信八百七十五号

2023-08-25 11:38:51 | 子ども/学校

甲子園

 ~持丸監督の言葉~

 

 ☆初めに☆

久しぶりに高校野球の中継を見ました。持丸修一監督率いる、千葉の専修大学松戸高校が出ているからです。二回戦で敗退しましたが、持丸監督の姿は印象的でした。名将・木内監督の下で育ったともいう監督に注目するようになったのは、茨城県藤代高校で監督になってからだと思います。監督の表情が楽しそうだし、言葉は選手を丹念に見ている場所から出ていて、勝つかどうかは別だと言っているように見えたからです。良く言う「結果はついてくる」という言葉が、実は勝ちたい気持ちに支えられています。でも、たとえて言えば、子育てに勝った負けたはありません。一回戦を勝利した後の監督の言葉に、言ってみれば、子育ての流儀を思い出させます。

 

 1「みんな良かった」ではない

 感心したひとつ目。試合後のインタビューで、先発の投手について、何度もはっきりと好投をたたえた。

「良く投げてくれた。きょうはもう渡邉に尽きるんじゃないか」

インタビュアーは、2番手の青野投手の好投も称賛して欲しかったのだろう、そのこと振るのだが、監督の答えは「普通にあのくらいやってくれる選手だ」という淡泊なものだった。もちろん、先発が実力がないと言っているわけではないし、2番手へ「当たり前」と言っているわけでもない。はっきり見えるのは、選手への愛情である。ここには監督の時間をかけた、選手へのまなざしが裏打ちされている。その結果、すべては正直で恐らく正確なものだ。

「みんな良かった」

上記のような、実によくある流し方を監督はしない。具体的にはどの辺なのですか、と再度聞きたくなるようなものではなかった。監督はまるで、そんなことは分かり切ってる、選手がベンチに戻って来る度に自分の気持ちは伝えている、そんな当たり前のことは選手は分かっていると言っているかのようだ。仮に「みんな良かった」と言ったところで、選手はみんな一体どこがよかったのか、自分はどうだったのかと思うのは当たり前だ。すべては、選手が「監督の言う通りだ」と思えるかどうかにかかっている。いい加減な「平等感覚」とは無縁なものがある。

 

 2 エラー

 この試合で一見平凡なフライや内野ゴロに、専松は手こずった。外野フライは、強い風に思わぬ向きをとるし、内野は捕球の「あと」を考え焦ってお手玉になる。インタビュアーは、ミスに見えた多くのプレーに触れた。でも、監督は処理が難しいケースが多かった、と言った。「甲子園には魔物が住んでいる」ことを言ってる。

 私は、持丸監督が選手として甲子園に出場した年、同じ龍ヶ崎一高に在籍していた。同学年だ。しかし、学年400名ぐらいの生徒がいたはずで、話した記憶もない。3年の年、龍一高は45年ぶりだったかの甲子園出場を決めた。一回戦の相手は沖縄の興南高校だった。ニュースが「球史に残る」と伝えた熱戦は、龍一高の勝利だった。忘れもしない、一回の守備で二塁手の持丸に平凡なフライが上がる。しかし、構えた持丸の身体がバランスを失う。裏返った持丸のグラブと身体の向こうにボールが落ちた。信じられない光景を前に、スタンドは悲鳴を上げた。

 持丸監督は、しっかり覚えているのだ。そして、そこから学んだことを大切にしている。

「自分が子どもだった時のことを忘れてはいけないよ」

私は、エーリッヒ・ケストナーの、子どもたちに向けた言葉を思い出す。

 

 ☆後記☆

夏休み、一週間となりました。先日のこども食堂「うさぎとカメ」で、子どもたちを捕まえては、宿題終わった? と聞きましたが、一様に「まだ」と苦笑い。熱中症アラートが出れば中止ということになる部活動が、中学校で始まりました。猛暑のおかげで、秋の運動会が9月の第三週にずれ込むのも納得です。部活動再開は、宿題に取り組むきっかけにもなっている。そして、体育祭は四年前の形に戻ります。なんだかんだで、始まるぞ二学期

保健所との話し合いもすみ、こども食堂「うさぎとカメ」、受付簡略化を開始しました。皆さん、通信の内容をしっかり把握して下さっている様子で、全く混乱なくスムーズに進みました。写真(上)はお土産のセッティング中。下は、スタッフが冷しゃぶうどん調理中。キュウリはピーラーで薄切りにして載せました。たくさんの「本当に美味しかったです!」の声、ありがとうございます。 嬉しいです😊🙌

この時期、まんじりともせず新学期開始を「待って」いる子どもたちがいます。何年か前、「学校が始まるのが死ぬほどつらいなら、図書館においで」と、鎌倉の図書館の司書さんからメッセージがありましたね。そっとしておくこと、受け入れること、をしっかりやっているという話でした。毎年この一週間を、学校現場は心配な子どもたちに連絡を入れてコンタクトしています。切ない子どもたちに寄り添えればと思います。大切なのは、安心できる時間と場所です。「命を大切に」という、言って見れば新たなストレスは不要です。改めて書こうと思います。


夏休み・下 実戦教師塾通信八百七十四号

2023-08-18 11:21:24 | 旅行

夏休み・下

 ~清里高原~

 

 ☆初めに☆

猛暑&エアコン使わず!の家から、しばし脱出しました。宿舎は「エアコンなし」ではなく「エアコン要らず」だったのには感動しきりです。一日目は曇り二日目は快晴、そして三日目は帰りの電車に乗ると本降りの雨、という幸運にも感謝。まだ身体に余力を感じたことや、寄る年波にも負けない胃腸の強さを確認できた旅でもありました。

 ☆ご飯☆

まずは食い気ということで、食事のことから。一日目の宿舎から少し離れたところにある「やまの時間」。

多分、親子だと思います。品のいいおばあさんが注文を取り、シェフの息子さんが厨房で腕を振るう。

ビーフシチューです。とろける!というバカは放っときましょう。煮込んであるわけで、すぐに出されました。皿の上に方に見えるジャガイモの添え物がいい。茹でたのでない、明らかに素揚げだけで調理したと思える。さっくり感は見事な揚げました的ものでした。そこにシチューがじわじわと浸みこんでいく。こんにちは、夏休み🍧

二日目なんですが、写真を撮らなかったんです。コース料理で、最後の美味しそうなポークソテーの時は、お腹が破裂しそうでした。和洋の折衷コースなんですが、前半の和食は要らなかったな、本当にもったいない。全部食べたけど、最後は味も分からない状態でした。ビールを残した、おかしな完食になってしまいました。

 ☆駅・電車☆

清里へつなぐ「小淵沢」。おしゃれな電車で出発。

清里駅にはSL始め、レトロで可愛らしい車のお出迎え。スマホでの乗り越しの手続きが、ややこしくて大変でした。結局、当日清算ができず次の日まで持ち越し。清里に行かれる方は、予め調べてから行くことをお勧めします。

 ☆清里高原☆

圧巻はハイランドパークの清里テラス。標高は1500mを越えるらしいですが、気温は20度台前半であっても紫外線はなかなかで、結構焼けました。リフトで山頂に向かいます。向かいのお二人も、まぶしそうにしてます。

雲がなければ富士山まで見えるという山頂は、セミの鳴き声が時雨のようです。

「20分程度の滞在を目安にしてください」の注意書きがある、大きいソファ。10個ぐらいあったかな。人が少ない時を見計らって撮ったもの。空くのを待ってる人が大勢います。家族連れやカップルに「撮りましょうか」と、たくさん声を掛けました。嬉しそうにしてくれるのが、またいい。売店のジェラートが美味しかった。

 ☆新海監督☆

清里高原の山梨から長野に入りました。小海駅前商店街のお祭りを飾るデコレーション。シャッターが降りた商店街。でもそこは信州、ちゃんとした酒屋がありました。信州の銘酒「佐久の花」「明鏡止水」等が、種類別&然るべき場所に陳列されている。人の姿が全く見えない、お祭りを待っている橋です。でも、夜には賑わうのでしょう。

アニメの新海誠監督が、長野の小海町出身というのをごぞんじでしたか。『君の名は』は見てないのですが、舞台になったのが松原湖です。無人駅・松原湖駅の時刻表は、12時の次が2時だった。

駅から歩くこと40分。着きました。静かな湖にはカヌーが数隻、楽しそうな声が水面を伝わってきます。恐らく近くのキャンプか旅館で泊っている人たちでしょう、こんにちは、という挨拶。

湖畔の茶屋で一服。宿舎も兼ねてるようで、林間学校?の子どもたちが一杯いました。こんにちは、夏休み🚤

 

 ☆後記☆

さあ、夏休みも残すところ10日余り。あと10日もある、という子どもはいるのかな。中学生なら、もうたくさんだという子もいるのかも知れません。「こんなことを続けてていいのか」と先日は子どもの声でしたが、今度は友人の言葉。前向きな、いい言葉だなと思います。

明日は子ども食堂「うさぎとカメ」です。いつも通り、明日のチラシ裏面をお届けしてます。メニューは冷しゃぶうどんと、おむすび。冷やしてお待ちしてま~す


夏休み・上 実戦教師塾通信八百七十三号

2023-08-11 11:49:30 | 日記

夏休み・上

 ~手賀沼花火大会/柏祭~

 

 ☆手賀沼花火大会☆

四年ぶりの開催、手賀沼花火大会。人出の多さを予測し、手賀沼から少し遠く自宅からは近めの場所で眺めました。

もうすぐ始まる近場のあぜ道。すでにたくさんの人がひしめいて、狭い車道にはたくさんの車が、行列して駐車をしています。席をとったあぜ道の後ろを、「ここから花火が見えますか」と自転車の親子連れから聞かれました。四年ぶりの喜びを分かち合ってる気分です。

はじまりました。あちこち、そして遠くからもオーという歓声

スマホの性能がイマイチで、これでも良く撮れた方。シャッターを押し長い時が過ぎ、忘れた頃にようやくなんです。

そして、何と言っても花火の華、大輪。これですね。しだれ柳のように光がゆっくり降りて行く。夏休み万歳

和さびのから揚げと枝豆&スーパーの焼きそばをつまみに、カンパーイ🍺

花火大会で、蚊に刺された覚えがありません。暑いと思ったこともない。家路について、まず田んぼの生む清涼感がなくなり、住宅街に入ると一気に暑さが戻ります。舗装された道と家々のエアコンがなせるものですね~ エアコンが無かった昔、家々の窓は全開でしたもんね。冷蔵庫が放つ熱もなかった。考えちゃいます🎐

ありがとう、手賀沼花火大会🎆⚡

 

 ☆柏祭☆

こちらも四年ぶりの開催です。神輿だけは見たいと思って出かけました🥁

左側からです、来ました! この日を待ってたって顔

最後は柏神会で。下の写真、太田かずみ市長とのショットは、柏神会の若親分も

柏祭&柏神会、ありがとう

 

 ☆後記☆

今年も原爆と終戦の日がやって来ました。年を追うごとに、この時期への思いが強くなるのは加齢のせいでしょうか、情勢の変化のせいでしょうか。昨日のコラム(朝日新聞)で平野啓一郎が、

「こっちが打ったら相手も打つから、やめとこう」

とかいう核抑止論のバカバカしさを書いてました。自民党の重鎮・宇都宮徳馬(ロッキード事件後に離党)の、

「原爆で殺されるのと、原爆に反対して殺されるのと、どっちを選ぶと言われたら、迷わず後者だ」

というのも思い出します。ついでに言うと、クラスター爆弾使用が仕方ないと言い出してる欧米も同じです。大体、この爆弾はアメリカが開発して、ベトナム戦争で使い始めたってのを、本人を始めどこも知らんぷりってどうよ。

さて、オオタニさん、МLB史上初とか言っちゃって、二桁勝利を手にしました。味方が足を引っ張ったり援護したり、目まぐるしい展開でしたが、とにかく防御率があと少しで「2」点台に行きそうって……

そして、藤井君も着々と…ですよね。まぁこっちは「徐々に差を拡げられ」の展開をイメージ出来ないミーハーですけど。王座の挑戦権決定トーナメントは、豊島将之九段との決勝戦、すごかったみたいですね~

お昼過ぎ(本日)、読者から「こども食堂はどうでした?」と、連絡をされました。そうだ! 報告しなきゃ。先週初めての試みは、第一週目「うさぎとカメ」でした。吉野家さんの牛丼、あっという間に「完売」でした。皆さん、行列して「ありがとう」と。写真の一枚も撮れませんでした。ありがとうございました🐰🐢


2023 読書特集 実戦教師塾通信八百七十二号

2023-08-04 11:28:29 | 思想/哲学

2023 読書特集

 

 ☆初めに☆

夏休みの宿題、未だに読書感想文が続いてます。そんなにまでして子どもたちを本嫌いにさせたいのねと、今年も感心しています。感想は「持つ」ものです。そうならなかった本は、自分に「ご縁がなかった」のです。私にご縁があった本、今年もお届けします。いつも通りの断りですが、発行の古い書が交じるのは、私の怠慢のなせる技です。一冊につき、原稿用紙一枚を優に越えてますが、まあそこは夏休みですから、ゆっくり読んで下さい。

 

☆金原ひとみ『アタラクシア』2022年 集英社文庫☆

相も変わらず、金原ひとみに囚われてます。「アタラクシア」とは「心の平穏」という意味らしい。しかし、本書のどこにもそんなものは見当たらない。小学生の息子が、母である自分を「ババア!」呼ばわりし、それをとがめているところに、帰ったばかりの夫が玄関先から、やめろ、と怒鳴る。しかし、夫は今しがたまで別な女のところにいたのだ。また、子どもと夫と不倫相手男の全員がいて初めて、自分の必要を満たすという妻。別な章では、結婚相手の家から、突然帰宅した娘を罵る母親。しかし娘は、夫(父親)に棄てられたみじめな女から言われたくないと逆ギレする。この娘とその友人とは、同じ男を巡って争いを続けている。挙げればまだまだ切りがないが、実はこれらの人物群が会社や家族など、どこか因縁でつながっている。この場合、「因縁」は「絆」と言い換えても同じように思える。そして、憎悪はマグマのように真っ赤に渦巻く。しかし、気づくはずだ。やっぱり、憎悪とは「愛情欲求のひとつ」であることに。出たばかりの新刊『腹を空かせた勇者ども』の帯に、金原は「これまで書いてきた主人公たちとは、共に生涯苦しむ覚悟を持って来ました」と書いている。やっぱりそうなのだ。

 

☆清水潔『殺人者はそこにいる』2017年 新潮文庫☆

多くの人に読んで欲しいという強い思いで、この本は右側のブックカバーとなり、書店に出なおす。カバーを外すと、左側のカバーが現れる。もしかして、ブログ上で取り上げたことがあるかもしれないこの本を取り上げたのは、袴田さんの再審の方ではなく、別な理由がある。いつか書くと思います。

真犯人が捕まってないという理由からではなく、渡良瀬の川原で起こった足利事件は終わってなかった。菅谷さんの無実を知らされた真実ちゃんの母親・松田さんは、だったら犯人はどこにいるのですか、とは言わなかった。

「犯人でないならば、すぐに釈放しないといけません」

と言った。すぐに菅谷さんの身を案じたのである。その松田さんに、試練が訪れる。不可思議な、検察からの「遺品返却拒否」である。シャツだけは返せない、というのだ。「もう捜査は終わった」と言ったはずだ、と松田さんは猛烈な抗議をする。しかしその後、シャツは「父親から預かる許可をもらった」という連絡を受ける。松田さんはその時、離婚した元父親(夫)の連絡先さえ知らなかったのだ。この本を読んで見えてくるのは真犯人の方ではない、事件の暗闇である。事件がここのまま終わっていいはずがない背景を、この書ははっきりと示している。

 

☆鈴木雅也『エレクトリック』2023年 新潮社☆

最近、芥川賞も直木賞も読まなくなった。ある程度追跡はするのだが、大体飽きてしまう。本書は、賞の候補に挙がったものだ。舞台はオウム事件の1995年だが、父親はビンテージものの真空管のアンプ修理・制作を手掛けている。その父に「英雄」を感じ自分を後継者と言ってはばからない息子志賀達也は、東京に憧れている。息子にダンナを「泥棒された」母親のいら立ちと、隠れてタバコを吸って家族の震源地となる妹の涼子も、そこに加わる。ネット上に徘徊するいかがわしい空間や、同性愛集団なども登場するが、いつの時代だと思うぐらいに展開とキャストはノスタルジックだ。でも、同じ宇都宮を舞台にした立松和平の『遠雷』と比べれば、全く別なステージがある。通う高校で次第に作られる達也への嫌な空気は、意図的というよりは自動的に形成された暗黙の了解といったものだ。その空気が確固たるものになって、ようやく本人は気づく。しかし、空気を作っている集団にとっては、空気醸成がすでに生活習慣でしかない。「からかいでさえない いじめ行為」が、リアルに登場する。「古いけど新しい」ことも散見される。妹に「女」を見出し狼狽する達也は、我知らず「英雄」の父に反抗心を形成する。ここでは父も狼狽するのだ。宇都宮名物のオリオン通りを、夢や妄想や現実が激しく行き交う。

 

☆井上能行『福島原発22キロ 高野病院奮闘記』2014年 東京新聞☆

いわき市の北隣が広野町だ。東京新聞の連載記事が元の、事務長を中心とした戦いの記録、感謝と怒りの記録だ。内科と精神科の診療科目を持つ高野病院は、行政や政府の全避難勧告に応じない。避難できる患者は他市・他県にお願いした。引き受けたのは、顔の見える付き合いがある医師・病院だった。ずっと病院の給食材料を委託していたマーケットが、店のカギを病院に預けてから避難、という事情とも重なる。震災後、初めてシャワーを浴びる29日まで、事務長は凍てつく病院の屋上で救援要請のメールを送る。少しでも電波のいい屋上でメールの返信を夜明けまで待つ。要請のひとつ。この時、病院周辺の線量は年間50㍉シーベルト(通常は1㍉シーベルト)。それなら一回の胃透視レベルで心配はない、という院長(父)の見解と看護師補給という要請だ。自分の地元の避難所に寄った病院スタッフが、また病院に戻る気? 戻るなら二度と来ないで放射能なんだから、とは避難所の保健師。NHKの取材班は、病院スタッフがバタバタして欲しいと注文。原発事故被災病院協議会で、補償金は非課税にして下さいと申し出るも、非課税は特例なのでと言われる。こんな時が「特例」でなかったら、どんな時を言うのだ。というみんな暗い顔を後に、私の準備している法案を読んでおいて、と笑顔で退席する国会議員。森まさこ。あふれる怒りは、実名を出す躊躇がない。

 

☆五味太郎『大人〇問題』1996年 講談社☆

「この本は子どもに分かるか、この絵本は何歳ぐらいの子に向いているのか、子どもを本好きにするにはどうしたらよいか……」(まえがき)等々の声に段々腹が立ってきた筆者なのである。今という時代(いや「ずっと今まで」が正解でしょう)には、こんな人が必要だ。目次のひとつふたつを見れば、筆者の怒りが伝わって来る。「どうしても義務と服従が好きな大人たち」「他をおとしめても優位を保ちたい大人たち」「いつもそわそわと世間を気にする大人たち」「よせばいいのにいろいろと教えたがる大人たち」等々。「どうしても義務と服従……」から、少し書き抜きましょう。読んでハッとした人は見込みがあります。「雑に集められた中」で「みんな仲よし」と言われたらどうなるだろう。「うまくゆくのはかなりまれです。大雑把な性格の子は大雑把に仲よくしますので、そう問題はありませんが、少しまじめな子は真剣に仲よしに向かって努力します。仲よくすべきだと考えるわけです。……そしてみんな、なんとなく仲良しのおつき合い程度で何とかやってゆきます。……そんな中で、まじめな付き合い下手の子がいじめの対象になります。だから、いじめられないように、……一所懸命つき合う努力をして、心身をすり減らします」

 

☆小川直之編『日本の食文化①食事と作法』2018年 吉川弘文館☆

欧米で食具と言ったら、フォークとナイフだろう。しかし日本では、箸と匙(さじ)ではない。匙が間もなく死語となるのは置くとして、日本における食具とは、椀と箸なのだ。このふたつが連携することで、食物を口に運ぶのを特徴とする。このことを基本に調理法や配膳が伝統文化として根付いていく。日本の文化は、大体が室町時代に形成されると言ったのは柳田國男だと認識しているが、戦場における兵士の必要が三度の食事をもたらした。農民はそれよりも早く「三度」を開始したとも言われるが、農民が武装自衛した姿も武士である。現在より少し前に目を向けると、せめてこんな時ぐらいはという改まった「ハレ」の日は、例えばお葬式の時には米俵が飛ぶように売れたし、酔いつぶれるほどの飲酒が作法だったりした。おせちでは、子だくさんはキャビアに、粘り強い牛にちなんでローストビーフと、縁起を担ぐようになっていたりもする。何事も変化するのだ。現在使用している言葉の起源についても、興味ある分析が続く。「うたげ(宴)」は「まろうど/まれびと」=「客」を迎える儀式だ。「客」は太古の時代では「神」を意味する。神の門入りに、人々は手を打って迎えた。すなわち「うちあげ=拍ち上げ」を意味した。現在もセレモニーの名称として残っている。

 

☆江畑謙介『ロシア 迷走する技術帝国』1995年 NTT出版☆

50代半ば以上の人だったら「ベレンコ中尉」を覚えているはずだ。1976年、自分が操縦するソ連(現ロシア)のミグ・25戦闘機とともに、函館空港に緊急着陸。その後、亡命する事件だ。日本よりも西側が目の色を変えて戦闘機に群がる。ベトナムの戦場で、この戦闘機の実力はアメリカのファントムを凌駕しており、追跡も難なくぶっちぎっていたからだ。ところが、ミグ戦闘機解体の結果、機体が重い鉄製であったことや、操縦に関する電子パーツが真空管!だったことなど驚くべきことが判明する。これがソ連の兵器技術の遅れではなく、ソ連の軍事戦略上の設計にあったという分析を見せる書だ。その一方で、民衆置き去りの「走るだけまし」な車や超品薄のスーパー等々の実態も明かされる書である。ウクライナ戦争で、ロシアが放棄したT-80戦車をウクライナ軍が重宝している、というニュースがあったのをご存知ですか。かつてウクライナはソ連だった。壊れた旧ソ連の優秀な戦車を修理するノウハウを、ウクライナは引き継いでいたのである。ソ連軍の実態や突如進化する技術など、豊富な資料に圧倒されるだろう。この分析方法は、故人となった筆者から小泉悠に引き継がれている気がする。

 

☆高島俊男『「最後の」お言葉ですが……』2023年 ちくま文庫☆

中国(文学)通の著者を見つけて30年くらいだと思う。エッセイ集。流されがちな世間や世論に対する明快な批判は、相変わらず小気味がいい。「いふ」「考へる」「作らう」等の旧仮名づかいが、吉田茂総理から新仮名づかいへと強制執行される。「『広辞苑』新村出の『自序』」は、編者新村のことを書いている。これを読めば、ひと晩泣き明かして自序を書いた新村の激しい怒りと絶妙な「抗議」に触れることが出来る。「僕はウンコだ」では、主語・述語世界のインチキを暴く。「僕はウナギだ」と聞いたら、私たちは一瞬戸惑うのかもしれない。でも、ウナギがしゃべるもんか、と思う人はいないだろう。そこに展開されているのは、友人と使い慣れた飯屋で注文している風景だ。日本語は「場所」の言語なのである。本書はこうして、口語文法という輩(やから)がやらかすことにも言及する。何やってんだ的な筆者の真骨頂と言えるのが「敬語」のエッセイ。全文転載したいところだが、その一部を。「『送ってください』と言うと『おところを頂戴してもよろしいでしょうか』とぬかす。『オレの居どころを知らないで物を送れるのか』とたずねると、わけも分からず『申し訳ございません』とあやまる。ああいやだ」という具合だ。「敬語は『敬う心』ではなくて距離である」という締めもいい。

 

 ☆後記☆

ご贔屓(ひいき)というほど通ってはいませんが、和食処『和さび』のブログを少しばかり転載しますね。

皆さん、お元気でいらしゃいますか!
夏バテされてませんか?
夏バテとは関係ないように見える大谷選手!
凄すぎませんか(^o^)/
先日、ダブルヘッダーで、
初完封!
二打席連続ホームラン!
もう、どうなっているのでしょうか!
言葉がありません(^^;
人間は、あんなこと出来るのでしょうか(^_^;)

ホントですね! 今日も元気で頑張るぞ!と思えるのは、オオタニさんのお陰です。ちなみに、明日の花火大会には、和さびさんの唐揚げと枝豆を持ってくつもり。イェーイ

そうだ、こども食堂「うさぎとカメ」も明日です。今月は第一週もやるんです。お忘れなく