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刀自 実戦教師塾通信九百二十号

2024-07-05 11:44:08 | 思想/哲学

刀自(とじ)

 ~改めて「敬う」~

 

 ☆初めに☆

つい先日、テレビから「親からいただいたもの」なる言葉が聞こえて来て、身体がいら立って反応します。そろそろガス抜きをしないといけないと思いました。我慢ならん言葉が「丁寧」な「敬う」言葉として、相変わらず垂れ流されています。新聞はまだしも、テレビの物言いには放置できないものがあります。ネットのジャンク本音むき出しな在り方は、まるでテレビの向こうを張っているかと思うようです。「敬い」の誕生・獲得について考えてみます。

 1 「敬い症候群」

 冒頭は「親からいただいたもの」ではない。「親からもらったもの」でいい。身内は親であっても、人前では「下に置く」のだ。改まった席で親を紹介する時、「お父様です」と言うか⁉ 「父です」か、なんだったら「オヤジです」でもいいんだゾ。とりあえず、どんないい加減な「敬い」があったか、オンパレードで行きます。

小学生がいらっしゃる⁉/犯人の人が⁉/ガラの悪い客がいらっしゃった時⁉/観戦されていらっしゃる方々⁉/町に誰もいらっしゃらない⁉/ケアさせていただいている患者さんたち⁉/盗撮した男性教諭⁉ 等々etc.

オマエら、いい加減にせえよ。ですな。こうして並べると、笑えるんで良かった。最近の「敬語」МVPは「いらっしゃる」のようで、ダントツだった「させていただく」は、二位に転落した模様。『サラメシ』でも近頃、中井貴一の「お邪魔させていただきます」が「お邪魔いたします」に変化したことなど、敏感にキャッチしてしまう(たまに復活しているので、油断がならない)。看護師だか福祉士だかの「ケアさせていただいてる」は、やっぱりダメ。前に紹介済みの「授業をさせていただきます」なる教員に「アンタの仕事なんだよ」「しっかりやんなきゃダメなんだよ」と言ったのを、そのまま差し上げたい。以上、「させていただきます」お終い。次なる「いらっしゃる」を見てると、日本民族の「敬い・丁寧症候群」の根が深いことを感じたのではないだろうか。犯罪人や不審者をこき下ろせとは言わないが、ホントに「普通」に伝えて欲しいし、子どもは子ども扱いして欲しい。そして、こっちは好きで野球(サッカー)観に来てんだよいちいち尊敬してんじゃねえよ、と観客は文句のひとつも言って欲しい。「町に誰も……」は難しいな。この違和感を言えば、歴史でジュラ紀を教える時に「人類がまだ地球にいらっしゃらない時代」って教えるか⁉

 2 自然な「敬い」

 私たち日本人がみんな文字を読み書きするようになって、わずか150年ちょっとしか経ってない。それまで、私たちの営みは「聞く」「話す」ことだった。では、私たちの言語生活は貧しかったのか、そんなはずはない。昔話と呼ばれるものは数百年にわたって語り継がれ、口承文学と呼ばれる芸術を形成した。明治の学制改革は文字を民間に開放したが、即座に多くを資したわけではない。何より、日々の生活・労働は従来のまま続いており、夜間、辺りを照らしたのは土間で起こしている火や月明かりだ。文字を読む人間は、わずかだった。でも、明かりの下や陰に寄り添う人々の耳はしっかり働いた。日が落ちた後の労働は単純で、手は動いていても耳に十分余力を残していた。年寄りや女たちの語るものは朗々と滑らかに、炉端のぬくもりを作った。家を守る女のリーダーを、皆は「刀自」と呼んだ(「おかみさん」「姉御」と言ったら分かりやすいか)。刀自もまた先祖の語りを引き継いで、いつの間にか身に着けた文芸であった。一句違わず滑らかに流れる物語を、子どもたちは騒ぐことなく聞き入った。すると、いつ練習していたのかと思うように、子どもたちの中から立派な語り部が現れる。「口承文学」と言われる所以である。私たちの「敬い」の原点がここにある。共同の思い/生活が再生産されるシステムと言ってもいい。集落や生活の在り方が、自然なふるまい(言葉も)を生んで育てた。だからこそ「よそ者」には、遠慮が発生した。遠慮がまた別な「敬い」を作った。

「道行く人は/日々を追いかけ/今日一日でも/確かであれと願う」(吉田拓郎『元気です』)

明治に大規模に展開した産業と多様な人々の交通。都市での激しい衝突と、農村での戸惑い。人々の願いは明日もきちんと食べられること、身に着けるものが備わっていることだった。移ろいゆく時や自然の気まぐれに不安も訪れるが、変わらない言葉・物語の行き交いが家族・集落の平穏を支えた。人々は迷わず「敬い」の対象を選択していた。

 3 旅先の喧騒

 旅番組に顕著だが、多くが旅先への「敬い」を忘れている。いや、はなから問題にしてない。テレビ営業マン(同行するタレントも同じだ)から見て風景や味が珍しくても、それは人々の平凡な暮らしであり、そして誇りでもある。こいつらは「見たことない!」とはしゃいだり、「生まれて初めての味!」と目を剥くことが、人々の暮らしをざわつかせていることに全く無頓着だ。人々の鼻白んだ気持ちは、そのまま中尾彬等へのシンパシーになっていく。結局のところ、安心して見られる旅(に類似した)番組は、NHKしかない(ただし月曜のは、あくまでバラエティーですね)。恐らくは、何日何か月と長回し出来る潤沢な予算に裏付けられるのだろうが、旅先での距離の取り方といい、深入りするまでの時間のかけ方といい、民放の突撃型と違って注意深い。その中で「have to(must)」というものとしての、つまり「敬わなければならぬ」思いが生んで来た、不必要で過剰な「させていただきます」「いらっしゃる」は、慎重に選んでやられているように見える。ついでだが、漱石が千円札になった頃、漱石が「漱石さん」と呼ばれることが結構に多くて疲れた。野口英世に代わってホッとしたものだが、今度は「北里さん」なのだ。いかがなものでしょうか。

 

 ☆後記☆

旭川いじめ事件のことを書きます。再調査を依頼した遺族(母親)の口惜しさと、勇気を思わないわけにはいきません。漫然と「(目の前で行わせる自慰行為を)嫌だったらやらないんじゃないですか」と言った加害生徒が、その後反省したとは聞いていません。自分たちが手を下したのではない、厳寒の公園に出向いたのは本人じゃないかと考えているのは間違いない。「あいつは勝手に自分でマットに潜ったんだ」という、1993年の山形マット死事件を思い出します。報告公開はこれからですが、前に申し上げた通り、前回の調査が否定されているとは思っていません。「いじめがあったから自殺した」という判断が要るのです。第三者委員会の野村武司弁護士に注目しています。数々のいじめを調査しており、中でも天童いじめ事件で「(加害)生徒達が、このまま大人になってしまう」危惧を訴えた弁護士です。この事件でもうひとり、精神科医・野田正彰を忘れてはいません。女子生徒の母親による手記を読んで、一体自分はこの事件の何を見て来たのか、と厳しく自問した作家・医者です。コメントが待たれます。

猛暑を避けて今日、10年ぶり?早朝のロードワークとやらをやってみました。すっかり朝日が昇った手賀沼。水面が光ってる辺りが手賀大橋です。走り始めに感じた爽やかな風と寒いくらいの空気、20度台の快適さに驚きました。はまりそうです🚴

7月になりました。今月の子ども食堂「うさぎとカメ」は、冷しゃぶうどん。お楽しみの副菜は「〇〇サラダ」です。そして何とこの日は、もう夏休み💛🌊⛰🎆 あと少し。頑張りましょう👊

あと!! 隆の勝、結婚おめでとう🎊