五年後の今
~分かったこと/分からないこと~
1 「出てけ」
今年は11日に出向かなかった。数々のイベントに出なかった。初めてのことだ。そのあとに行ってもいいと思えたからだ。いつも通りにこの日を迎(むか)えて、いつも通りの生活を送る福島の人たちを、ここ一、二年見てきたせいなのかも知れない。
五年を過ぎた福島は、行き交う作業員が、まるで新しい「故郷」の姿をしているかのようだ。
先月、ここ二つ沼の直販所向かいにある公園の駐車場で、「ひろのウィンターフェスティバル」が開催された。写真はモトクロスショーを伝える「広報ひろの」3月号である。
おばちゃんたちが、当日の様子を話してくれる。
「いやあ、こっからも空に飛び上がんのが見えるんだよ」
「大丈夫なのかって思うようだよ」
先月のその頃、私もいわきや広野をうろついていたのだが、見過ごしたようだ。
レジのそばに小さなテーブルがあって、きんつばや煎餅(せんべい)が置いてある。
「お茶飲めば」
おばちゃんのお誘いに、私は腰を下ろす。
原発事故があって半年、広野は警戒区域だった。五年が過ぎた今、広野は住民が半分戻っている。まだいわきの仮設住宅に住んでいるおばちゃんが、早く広野に戻って来たいと話す。病院の待合室で二度、ここ(いわき)から出て行け、と言われた話をしてくれた。
「オマエら、(補償)金もらってるくせして」
「税金も払わねえし、ゴミ出すし」
「病院だってこんなに混むようになった」
二回とも同じジイさんだったよ、と話すのだ。いきなり自分たちの会話に割り込んで来たという。見慣れない顔が待合室にいるもので、会話の様子をうかがって分かったのだろうと、おばちゃんは話した。
私は去年の秋、いわきの喫茶『パリー』の、
「あいつらいつまでいるんだ」
「私たちは何の補償もないのに、あいつらは税金も払わねえ」
「補償金、一億だってよ」
という客の口汚い会話を思い出す。
「国からいわき市に補助が出ているってことを、その人は知らないんですよね」
そんな風にしか、私には言えなかった。本当は病院のジイさんのように思う人ばかりではない。そして、警戒区域から逃げてきた人たちの中に、パチンコやアルコールに依存する人たちがいるのも確かである。そして、広野のおばちゃんたちもまた、
「広野のゴルフ練習場は、富岡/双葉の人たちでいっぱいよ」
と言って、困った顔をしていたのである。
「賠償をめぐる動きで、県民の間がぎくしゃくしてしまった。地震と津波に加え『福島が二回壊された』という思いだ」(『福島民友』3月15日)
3月5日に開店した広野町役場敷地内イオン。お弁当が充実してました。
2 コシヒカリ
いわきにある仮設校舎で、楢葉の中学校は卒業式をした。震災前、三年生は90人が在籍していた。その三分の一が参加したという。残りは避難先の中学校で卒業したのだ。証書にはその中学校名が書かれていたのだろう。しかし、その生徒の住民票は楢葉に登録されている。そして住所はいわき(または別な自治体)なのだ。こういうことが起こっている。私は改めて、こういうことを忘れてはいけないと思っている。
『福島民友』の写真中央の大きい人、誰か分かりますか。把瑠都です。楢葉は木戸川の鮭を仕入れに来たのではありません。逆です。以前から把瑠都を応援している縁で、福島市の会社が「バルト・コーポレーション」の製品・サーモントラウトを先行販売するという記事。
ちなみにこれは、把瑠都の色紙です
「今はゼオライトでセシウムを吸着するっていうのを、あんまりやってねえんだよ」
またまた、楢葉の酪農家の渡部さんの口から驚くような話が出てきた。ゼオライトがセシウムを吸収するということを、読者は覚えておいでだろうか。でも、セシウムはその後もどこからかやって来て水を汚すと思っていた。ゼオライトを追加する作業は続けるものだと思っていた。しかし、その後の調査で、セシウムの線量が上がらないデータが出たらしい。場所にもよるらしいが、ゼオライトを追加しないでいい田んぼが多いという。
「でも、セシウムが少なくなっても、カリウムは多めにやってねえといけねえ」
耕せなかった田んぼに生い茂った雑草を含んだ土は、窒素が多すぎて丈(たけ)が伸び、倒れたり病気の原因となる。栄養のバランスをとるためにもカリウムが多くいるという。
金がかかっちゃいますね、という私の心配は、
「いやあ、カリウムにかかる費用は国が負担するんだよ」
という渡部さんの言葉に、少し収まる。楢葉での稲の試験栽培で、今年度と去年、ともにセシウムは不検出である。来年度はいよいよ市場に出荷する年なのだが、
「一年目はコシヒカリは無理だなあ」
今月で仮設住宅での仕事を終え、4月から楢葉の自宅に戻る渡部さんは、気負いを抑(おさ)えるように言うのである。
「(楢葉まで)遊びに行ってもいいですか」
という私に、
「いいよ」
と、にっこり笑うのだった。
☆☆
福島の内堀知事が「山の除染」を口にしました。山をハゲにしなければ不可能と言われてきたことです。テスト事業としてやるのは、林業や椎茸で生計を立てていた飯舘・川俣地区だろうという渡部さんの話でした。楢葉の専業は農業なんだよと言い、
「原発が出来て『兼業』になったんだよな」
と、しみじみ言ってました。
先月、福島県で配られた経済産業省のパンフレットです。
☆☆
二カ月の間「ニイダヤ水産」に寄れないでいたのですが、思いがけず、その「ニイダヤ」に、沖縄(石垣島)から私宛(あて)で、古着が届いてました。
さっそくいわき高久の第一仮設住宅に届けました。さみしくなった仮設です、いいことなのでしょうか。前の会長さんも復興住宅に引っ越して、引き継いだ会長さんは体調が思わしくないためやめました。そのあとの会長さんは、この日が引っ越しのため不在でした。
みんな元気でいるかな。
☆☆
いやあ、相撲いいですね。
「結局、横綱の壁は厚かったということですよ」
「大関はまだまだ大関だということです」
という北の富士の言葉が、稀勢の里や豪栄道に容赦なくぶつけられました。私もこれでいいと思います。「強い大関」を続けないといけないですよ。簡単に「その後」に行ってもらっちゃ、大変なのは本人なんだから。
私はこのあとに「ドラマ」を期待しません。いい横綱相撲を見たいだけです。
☆☆
柏の河原教育長、退任します。まだ任期を残しているというのに、残念です。
手賀沼の木蓮、満開です
~分かったこと/分からないこと~
1 「出てけ」
今年は11日に出向かなかった。数々のイベントに出なかった。初めてのことだ。そのあとに行ってもいいと思えたからだ。いつも通りにこの日を迎(むか)えて、いつも通りの生活を送る福島の人たちを、ここ一、二年見てきたせいなのかも知れない。
五年を過ぎた福島は、行き交う作業員が、まるで新しい「故郷」の姿をしているかのようだ。
先月、ここ二つ沼の直販所向かいにある公園の駐車場で、「ひろのウィンターフェスティバル」が開催された。写真はモトクロスショーを伝える「広報ひろの」3月号である。
おばちゃんたちが、当日の様子を話してくれる。
「いやあ、こっからも空に飛び上がんのが見えるんだよ」
「大丈夫なのかって思うようだよ」
先月のその頃、私もいわきや広野をうろついていたのだが、見過ごしたようだ。
レジのそばに小さなテーブルがあって、きんつばや煎餅(せんべい)が置いてある。
「お茶飲めば」
おばちゃんのお誘いに、私は腰を下ろす。
原発事故があって半年、広野は警戒区域だった。五年が過ぎた今、広野は住民が半分戻っている。まだいわきの仮設住宅に住んでいるおばちゃんが、早く広野に戻って来たいと話す。病院の待合室で二度、ここ(いわき)から出て行け、と言われた話をしてくれた。
「オマエら、(補償)金もらってるくせして」
「税金も払わねえし、ゴミ出すし」
「病院だってこんなに混むようになった」
二回とも同じジイさんだったよ、と話すのだ。いきなり自分たちの会話に割り込んで来たという。見慣れない顔が待合室にいるもので、会話の様子をうかがって分かったのだろうと、おばちゃんは話した。
私は去年の秋、いわきの喫茶『パリー』の、
「あいつらいつまでいるんだ」
「私たちは何の補償もないのに、あいつらは税金も払わねえ」
「補償金、一億だってよ」
という客の口汚い会話を思い出す。
「国からいわき市に補助が出ているってことを、その人は知らないんですよね」
そんな風にしか、私には言えなかった。本当は病院のジイさんのように思う人ばかりではない。そして、警戒区域から逃げてきた人たちの中に、パチンコやアルコールに依存する人たちがいるのも確かである。そして、広野のおばちゃんたちもまた、
「広野のゴルフ練習場は、富岡/双葉の人たちでいっぱいよ」
と言って、困った顔をしていたのである。
「賠償をめぐる動きで、県民の間がぎくしゃくしてしまった。地震と津波に加え『福島が二回壊された』という思いだ」(『福島民友』3月15日)
3月5日に開店した広野町役場敷地内イオン。お弁当が充実してました。
2 コシヒカリ
いわきにある仮設校舎で、楢葉の中学校は卒業式をした。震災前、三年生は90人が在籍していた。その三分の一が参加したという。残りは避難先の中学校で卒業したのだ。証書にはその中学校名が書かれていたのだろう。しかし、その生徒の住民票は楢葉に登録されている。そして住所はいわき(または別な自治体)なのだ。こういうことが起こっている。私は改めて、こういうことを忘れてはいけないと思っている。
『福島民友』の写真中央の大きい人、誰か分かりますか。把瑠都です。楢葉は木戸川の鮭を仕入れに来たのではありません。逆です。以前から把瑠都を応援している縁で、福島市の会社が「バルト・コーポレーション」の製品・サーモントラウトを先行販売するという記事。
ちなみにこれは、把瑠都の色紙です
「今はゼオライトでセシウムを吸着するっていうのを、あんまりやってねえんだよ」
またまた、楢葉の酪農家の渡部さんの口から驚くような話が出てきた。ゼオライトがセシウムを吸収するということを、読者は覚えておいでだろうか。でも、セシウムはその後もどこからかやって来て水を汚すと思っていた。ゼオライトを追加する作業は続けるものだと思っていた。しかし、その後の調査で、セシウムの線量が上がらないデータが出たらしい。場所にもよるらしいが、ゼオライトを追加しないでいい田んぼが多いという。
「でも、セシウムが少なくなっても、カリウムは多めにやってねえといけねえ」
耕せなかった田んぼに生い茂った雑草を含んだ土は、窒素が多すぎて丈(たけ)が伸び、倒れたり病気の原因となる。栄養のバランスをとるためにもカリウムが多くいるという。
金がかかっちゃいますね、という私の心配は、
「いやあ、カリウムにかかる費用は国が負担するんだよ」
という渡部さんの言葉に、少し収まる。楢葉での稲の試験栽培で、今年度と去年、ともにセシウムは不検出である。来年度はいよいよ市場に出荷する年なのだが、
「一年目はコシヒカリは無理だなあ」
今月で仮設住宅での仕事を終え、4月から楢葉の自宅に戻る渡部さんは、気負いを抑(おさ)えるように言うのである。
「(楢葉まで)遊びに行ってもいいですか」
という私に、
「いいよ」
と、にっこり笑うのだった。
☆☆
福島の内堀知事が「山の除染」を口にしました。山をハゲにしなければ不可能と言われてきたことです。テスト事業としてやるのは、林業や椎茸で生計を立てていた飯舘・川俣地区だろうという渡部さんの話でした。楢葉の専業は農業なんだよと言い、
「原発が出来て『兼業』になったんだよな」
と、しみじみ言ってました。
先月、福島県で配られた経済産業省のパンフレットです。
☆☆
二カ月の間「ニイダヤ水産」に寄れないでいたのですが、思いがけず、その「ニイダヤ」に、沖縄(石垣島)から私宛(あて)で、古着が届いてました。
さっそくいわき高久の第一仮設住宅に届けました。さみしくなった仮設です、いいことなのでしょうか。前の会長さんも復興住宅に引っ越して、引き継いだ会長さんは体調が思わしくないためやめました。そのあとの会長さんは、この日が引っ越しのため不在でした。
みんな元気でいるかな。
☆☆
いやあ、相撲いいですね。
「結局、横綱の壁は厚かったということですよ」
「大関はまだまだ大関だということです」
という北の富士の言葉が、稀勢の里や豪栄道に容赦なくぶつけられました。私もこれでいいと思います。「強い大関」を続けないといけないですよ。簡単に「その後」に行ってもらっちゃ、大変なのは本人なんだから。
私はこのあとに「ドラマ」を期待しません。いい横綱相撲を見たいだけです。
☆☆
柏の河原教育長、退任します。まだ任期を残しているというのに、残念です。
手賀沼の木蓮、満開です