実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

五年後の今  実戦教師塾通信四百八十八号

2016-03-25 11:30:34 | 福島からの報告
 五年後の今
     ~分かったこと/分からないこと~


 1 「出てけ」

 今年は11日に出向かなかった。数々のイベントに出なかった。初めてのことだ。そのあとに行ってもいいと思えたからだ。いつも通りにこの日を迎(むか)えて、いつも通りの生活を送る福島の人たちを、ここ一、二年見てきたせいなのかも知れない。
 五年を過ぎた福島は、行き交う作業員が、まるで新しい「故郷」の姿をしているかのようだ。

 先月、ここ二つ沼の直販所向かいにある公園の駐車場で、「ひろのウィンターフェスティバル」が開催された。写真はモトクロスショーを伝える「広報ひろの」3月号である。
 おばちゃんたちが、当日の様子を話してくれる。
「いやあ、こっからも空に飛び上がんのが見えるんだよ」
「大丈夫なのかって思うようだよ」
先月のその頃、私もいわきや広野をうろついていたのだが、見過ごしたようだ。
 レジのそばに小さなテーブルがあって、きんつばや煎餅(せんべい)が置いてある。
「お茶飲めば」
おばちゃんのお誘いに、私は腰を下ろす。
 原発事故があって半年、広野は警戒区域だった。五年が過ぎた今、広野は住民が半分戻っている。まだいわきの仮設住宅に住んでいるおばちゃんが、早く広野に戻って来たいと話す。病院の待合室で二度、ここ(いわき)から出て行け、と言われた話をしてくれた。
「オマエら、(補償)金もらってるくせして」
「税金も払わねえし、ゴミ出すし」
「病院だってこんなに混むようになった」
二回とも同じジイさんだったよ、と話すのだ。いきなり自分たちの会話に割り込んで来たという。見慣れない顔が待合室にいるもので、会話の様子をうかがって分かったのだろうと、おばちゃんは話した。
 私は去年の秋、いわきの喫茶『パリー』の、
「あいつらいつまでいるんだ」
「私たちは何の補償もないのに、あいつらは税金も払わねえ」
「補償金、一億だってよ」
という客の口汚い会話を思い出す。

「国からいわき市に補助が出ているってことを、その人は知らないんですよね」
そんな風にしか、私には言えなかった。本当は病院のジイさんのように思う人ばかりではない。そして、警戒区域から逃げてきた人たちの中に、パチンコやアルコールに依存する人たちがいるのも確かである。そして、広野のおばちゃんたちもまた、
「広野のゴルフ練習場は、富岡/双葉の人たちでいっぱいよ」
と言って、困った顔をしていたのである。

「賠償をめぐる動きで、県民の間がぎくしゃくしてしまった。地震と津波に加え『福島が二回壊された』という思いだ」(『福島民友』3月15日)

3月5日に開店した広野町役場敷地内イオン。お弁当が充実してました。

 2 コシヒカリ
 いわきにある仮設校舎で、楢葉の中学校は卒業式をした。震災前、三年生は90人が在籍していた。その三分の一が参加したという。残りは避難先の中学校で卒業したのだ。証書にはその中学校名が書かれていたのだろう。しかし、その生徒の住民票は楢葉に登録されている。そして住所はいわき(または別な自治体)なのだ。こういうことが起こっている。私は改めて、こういうことを忘れてはいけないと思っている。

『福島民友』の写真中央の大きい人、誰か分かりますか。把瑠都です。楢葉は木戸川の鮭を仕入れに来たのではありません。逆です。以前から把瑠都を応援している縁で、福島市の会社が「バルト・コーポレーション」の製品・サーモントラウトを先行販売するという記事。

     ちなみにこれは、把瑠都の色紙です

「今はゼオライトでセシウムを吸着するっていうのを、あんまりやってねえんだよ」
またまた、楢葉の酪農家の渡部さんの口から驚くような話が出てきた。ゼオライトがセシウムを吸収するということを、読者は覚えておいでだろうか。でも、セシウムはその後もどこからかやって来て水を汚すと思っていた。ゼオライトを追加する作業は続けるものだと思っていた。しかし、その後の調査で、セシウムの線量が上がらないデータが出たらしい。場所にもよるらしいが、ゼオライトを追加しないでいい田んぼが多いという。
「でも、セシウムが少なくなっても、カリウムは多めにやってねえといけねえ」
耕せなかった田んぼに生い茂った雑草を含んだ土は、窒素が多すぎて丈(たけ)が伸び、倒れたり病気の原因となる。栄養のバランスをとるためにもカリウムが多くいるという。
金がかかっちゃいますね、という私の心配は、
「いやあ、カリウムにかかる費用は国が負担するんだよ」
という渡部さんの言葉に、少し収まる。楢葉での稲の試験栽培で、今年度と去年、ともにセシウムは不検出である。来年度はいよいよ市場に出荷する年なのだが、
「一年目はコシヒカリは無理だなあ」
今月で仮設住宅での仕事を終え、4月から楢葉の自宅に戻る渡部さんは、気負いを抑(おさ)えるように言うのである。
「(楢葉まで)遊びに行ってもいいですか」
という私に、
「いいよ」
と、にっこり笑うのだった。


 ☆☆
福島の内堀知事が「山の除染」を口にしました。山をハゲにしなければ不可能と言われてきたことです。テスト事業としてやるのは、林業や椎茸で生計を立てていた飯舘・川俣地区だろうという渡部さんの話でした。楢葉の専業は農業なんだよと言い、
「原発が出来て『兼業』になったんだよな」
と、しみじみ言ってました。

     先月、福島県で配られた経済産業省のパンフレットです。

 ☆☆
二カ月の間「ニイダヤ水産」に寄れないでいたのですが、思いがけず、その「ニイダヤ」に、沖縄(石垣島)から私宛(あて)で、古着が届いてました。
 さっそくいわき高久の第一仮設住宅に届けました。さみしくなった仮設です、いいことなのでしょうか。前の会長さんも復興住宅に引っ越して、引き継いだ会長さんは体調が思わしくないためやめました。そのあとの会長さんは、この日が引っ越しのため不在でした。
 みんな元気でいるかな。

 ☆☆
いやあ、相撲いいですね。
「結局、横綱の壁は厚かったということですよ」
「大関はまだまだ大関だということです」
という北の富士の言葉が、稀勢の里や豪栄道に容赦なくぶつけられました。私もこれでいいと思います。「強い大関」を続けないといけないですよ。簡単に「その後」に行ってもらっちゃ、大変なのは本人なんだから。
私はこのあとに「ドラマ」を期待しません。いい横綱相撲を見たいだけです。

 ☆☆
柏の河原教育長、退任します。まだ任期を残しているというのに、残念です。

     手賀沼の木蓮、満開です

誤った万引き歴(補)  実戦教師塾通信四百八十七号

2016-03-18 12:47:23 | 子ども/学校
 誤った万引き歴(補)
     ~読者からの反応~


 1 今後明らかになる(べき)こと

広島の事件報道から一週間以上たつが、相変わらず「生徒に科せられた冤罪(えんざい)」が大きく扱われている。事件が、
「ホントは(万引きを)やってなかった」
ことに集約されている。こんなところに核心はないぞ。
「子ども(生徒)のやった不始末は、指導すべきこと」
なのに、学校が「懲罰」を手だてとしていたことが、本当は問われないといけない。相も変わらない今の流れは、そのことを見えなくさせている。非常に良くない。と、とりあえずひと言。

 前号の記事に対して、保護者真っ最中の方や一般の方、現役教師やOBの方など、様々な方から意見や感想をいただいた。多くは、
「もやもやしたものがあり過ぎる事件だ」が、
「ブログを読んで、少し理解出来たような気がする」
というものだった。それだけでも発行して良かったと思う。
 その後少しずつ明らかになっている経過を見るに、私の下した結論/推論はおおかた違ってなかったようだ。
 しかし、「生徒が自宅で倒れて」「具体的な記述のないメモ」があったというだけで、生徒を「自殺」としていることを、私たちは見落としてはいけない。当時、事件に関して分かるのはこれだけだったというのに、学校はいつもの「自殺との因果関係は不明」という筋書きにしなかったからだ。事件後、その前の月に始めたばかりの進路判定材料の「非行歴延長」方針を撤回している。進路指導と自殺の関係をすぐに認定したのである。
 つまりこのことは、事件が起きる前に、
「様子が変な」
「このままでは危ない」
生徒の様子が、学校内か保護者サイドから出ていたことを示唆(しさ)する。また先日、私たちが得た情報は、3月のものでなく、3カ月前のことであるのを忘れてはいけない。今得ている情報が「編集後」のものだと思った方がいいのである。
 前号にも書いたが、ここんとこ大切なので繰り返す。何度も話し合われた進路会議のあと、11月に「非行歴」方針を変更した結果、生徒の三年間が改めて「洗い直された」。なぜか。
「このままでは推薦したくない生徒まで枠(わく)に収まる」
からだ。
「万引き歴があったから推薦できなかった」
のではない。実際の順序は逆だったはずだ。だからこの先、
「どうしても推薦したくなかった」
「11月以前に、推薦出来ない明白な理由がなかった」
事実が、明らかにならないといけない。
 そしてまだ分からないことがいっぱいある。告別式のような卒業式だったようだが、12月の実際の告別式はどうだったのだ。担任が出席したとか、クラス生徒の様子がどうだったかということだ。そして、
「受験期の生徒の動揺を避けたいから、自殺だったと伝えないように」
と、生徒の両親が学校に願い出たという。本当なのだろうか。そんなことをしたところで、当時は「悪事千里を走る」ごとく、生徒の動揺は、噂と憶測として飛び交(か)ったと思っていい。保護者と学校との間で一体どんなやり取りがあったのだろう。私には、気味が悪いことしか思い浮かばない。

 2 「こんな生徒は入学させないで」
 寄せられた感想の中で、おそらく一般の方には耳に入らないものを紹介します。
「推薦枠に入るはずのないのが入りました。他の中の一人が、『どうしてAなの?』と聞いてきました。僕もおかしいと思いました。推薦を決めた生徒の親はPTA会長でした」
 このPTAがらみの話は、たまにあるようです。
「娘の交際相手が不良なので、交際をやめないと推薦出来ないことを『校長から言って欲しい』と、会長が願い出ました」
 あと、これは古い話ということで。
「内申書(調査書)なんて高校は読んでません。とんでもない生徒だったから、悪口をいっぱい書いて『こんな生徒を入学させないでください』と書いたけど、その生徒は合格しました」
って、昔だからこんなことを出来たのでしょう。こういう教師からの「復讐」って、みっともないことこの上ないですね。今では、こういう調査書に、校長(他の職員も)がOKを出す時代ではなくなりました。あ、でも、広島の事件、これが生きていたということなのかも知れません。
 また、
「今の生徒はがんじがらめなんですね。生徒がかわいそうです」
というのもあったのですが、そうなのかな。広島のこの学校(学年?)の生徒、多分ずいぶん「自由」にやってたんじゃないのでしょうか。いわゆる「大変な」学校だったと、私には思えます。その子どもたちへ「懲罰」で臨(のぞ)んだという、無為無策/無能が露出しているということです。

 それと言っとかないといけない。卒業式に生徒の名前が呼ばれたとき、クラスの全員が返事をしたことについて、
「みんな一緒に卒業するという気持ちだったと思います」
と、校長が涙ながらインタビューに応えていた。これってナニ? その光景を「美しい」と形容しているかのようだ。仮にそんな風に見えるとしたら、それは事件に関係ない遠くで眺める第三者ぐらいだ。本当は「悲しい」光景ではないのか。誰からの提案でやった「全員の返事」か知らないが、校長はそれを見ても、ひたすら「申し訳ない」と思うだけのはずだ、何言ってんだ。と思ったのは私だけだろうか。
 

 ☆☆
部活や病院の通院のことなど、いろいろな感想をいただいてて、ちゃんと報告したいのですが、なかなか難しい。少しばかり触れておきます。
民間のコーチのおかげで、「助かった/良かった」という意見と逆のパターンをずいぶん。うまく行かないものです。
また、○○部には入らないようにと入学前に親子で話し合ったとか、
市/町によっては、駅伝の成績を教育長まで報告に行ったとか、
懐かしい?話も聞けました。
病院の話では、
「いい加減な親でも、医者に連れて行くだけいい」
という意見。また、
「子ども(幼児)を医者に連れて行く大変さ」
を訴える人もおりました。具合が悪い中でのおむつや待ち時間のことでした。また、
「子どもが痛がらないからと、歯がボロボロになってから子どもを連れて来るんですよ」
と歯医者さんからも意見をもらいました。

夕日が沈む手賀沼の春

 ☆☆
火曜は中学校の卒業式、今日は小学校の卒業式でした。あらたまった装(よそお)いの保護者が、通りを歩いて行きます。またこの季節ですね。卒業の歌って『旅立ちの日に』とばかり思ってたのですが、今は『証(あかし)』(flumpool)なんですねえ。AKBの『桜の木になろう』そっくりさんみたいな歌だなあ、なんて思ったものですが、今となっては結構はまってます。
「僕が夢に破れたら/遠くから叱ってよ」
だって。甘ったれた歌ですね。いいですね。

 ☆☆
大相撲春場所、面白いですねえ。白鵬の出だしがバタバタするのはいつものこととするのか、やはり衰えからとするのか、それも目が離せません。そろそろ私たちが、相撲そのものについてちゃんと考えた方がいいようですね。「日本人の横綱/優勝」ということもです。
要するに、私、白鵬が好きなんです。

今年はずいぶん遅咲きの、庭の椿です

 ☆☆
震災から5年がすぎました。福島からの報告、次回やります。

誤った万引き記録?  実戦教師塾通信四百八十六号

2016-03-10 15:24:54 | 子ども/学校
 誤った万引き記録?
    ~不自然すぎるいきさつ~


 1 初めに

 広島県府中町緑ヶ丘中学校の3年生が自殺した。ニュースでご存じと思うが、生徒が本当は万引きをしていなかったことに対し、
「こんなことは信じられない」
声が、広がっている。
 来週は中学校の卒業式である。こんな時期に、事実から2カ月も遅れて公表したのだ。あちこちにたくさん、おかしな経過が散見される。私の現場感覚が立ち上がってしまう。
 今ある材料で言える結論を言うと、
「万引き歴があったため、高校の推薦を出来なかった」
というのは、
「ウソ」
である。
「推薦出来なかった生徒だったので、その理由に万引き歴を使った」
のが本当である。

 2 専願/推薦入試
 事情が分からない読者もいるので、「専願」制度を簡単に説明する。高校や地域によっては、これを「単願」とか「第一志望」と言う。
 この制度は、
「自分はこの高校をたったひとつの志望校とする」
「この高校が自分の入学を約束するなら、他の高校は受けない」
という生徒本人の意向で成立している。だから高校側はその点を考慮する。たとえば、その生徒が一般入試より少し水準が低くても合格させる。
 だから、高校側は生徒/学校側にいくつか条件を提示する。
○「人間的に優れた人物」
○「成績があてはまる」(たとえば「『4』が3個」等という指示がある)
○「学校行事で秀(ひい)でた行動」
○「各種大会で優秀な成績」(スポーツ推薦の場合)
などだ。つまり、その生徒を中学校が「推薦」出来る人物かどうか、と言うことでもある。「専願」の書類には、推薦の基準を満たした証拠として「校長印」が押される。「校長推薦」と言うとずいぶん大変な印象を受けるが、当たり前の手続きだ。
 進路に関する三者(本人/親/担任)面談は、普通、夏と秋に行われる。生徒は様々な理由で志望先に迷いが生じる。そんな時、そんな生徒とは複数回この三者面談を行う。

 3 「不自然な職員同士の確認なき行動」
 さて始めよう。おかしいのは、報道されている限り、進路指導がみんな「資料」で動いていることである。
「万引きしたという間違った記録は訂正された」
しかし、
「誤った記録が別なサーバーに残っていた」
「初めは名字だけで記録されていた」
そして、
「その資料を使ってしまった」
という。しかし、現場は普通こうは動かない。
「こんなことは信じられない」
と誰もが思うのは当然である。

 中学校は、担当学年の三年生担任を中心として、進路のための会議を何度も開く。初めは学年会議で何度も。もちろん、その経過については、管理職に報告するのは当たり前だし、校長も自分で生徒の資料と首っ引きなのだ。そして最後、校長や各学年主任、生徒指導担当教師なども同席する「進路判定(査定)会議」が開かれる。ここで、ひとりひとりの生徒が、
「果たして合格できるのか」
が話し合われるが、もうこの時は「確認」に近い状態と言える。「専願(推薦)」で受ける生徒は、
「果たして推薦出来る生徒か」
が話し合われる(確認される)。
 この生徒は、ニュースによれば「頭の良い」生徒だった。つまり、推薦条件の「人物」が引っかかったのだ。通常だったら万引き以前に、もっと基本的な「学校での様子」が話題/論点になるはずだ。しかし、この生徒の「万引き」が、何度も引き合いに出されていた。のか? そうでなかったのは間違いない。

 4 「どうしても推薦したくなかった」
 おかしいのは、この生徒の過失が、
「万引き一回だけ」
ということだ。仮に万引きが本当だとしても、普通、二年前のたった一回の過失だったら、
「もういいのではないか」
「今は立派にやってるじゃないか」
となってる。あるいは「そんなこともあったな」程度で、忘れているかもしれない。しかし、それを資料まで持ち出すという、異様なまでの固執(こしつ)である。
 つまり、私たちの感覚で言えば、この学校か、学年か担任が、または全者が、
「どうしてもこの生徒を推薦するわけには行かなかった」
という事情があったのである。

①学校が承認出来ないとする場合
 よくあることだが、
○(校長)推薦したものの、高校で問題を起こした生徒が続いた時
○校内の生徒たちの生活が良くない時
である。
 校長はこの「責任」を「再発防止策」「生徒引き締め策」として取ることを迫られる。
 進路決定の最終段階と言える去年の11月に、校長が、
「生徒非行歴の検討すべき期間を」
「今までの1年から3年に延長」
という方針に突然改めたことは、そんな事情があると考えていい。
「年度当初から検討を続けてきたが」
という校長の発言は、今までも心中が穏やかでなかったのを示している。それまでの非行歴点検は「中2の秋から中3の秋まで」だったことになる。変更後は、正確には入学前からという計算になるんだが、まあ入学時からということなのだろう。

②学年/担任が承認できないとする場合
 これも良くあることだ。
○この生徒から「迷惑を被(こうむ)った」教師がいた時、である。
 成績の良い生徒でも、ある教科担任との相性が悪いとか、担任を嫌いだとかいうケースは珍しいことではない。たまにだが、その折り合いの悪い教科担任または担任で、強硬に生徒の推薦に反対する場合がある。相当に生徒からいじめられたか、本人(先生の方だ)が意固地になっている時にこうなる。
 そんな時、
「まあそんな向きにならずに/大人げない」
と取りなす先生は少ない。
「人物に問題があることに間違いはない」
からだ。
 担任はその11月から頻繁(ひんぱん)に(5回)、「廊下」などで「万引きの確認」をとっている。万引きだけ言うのだ。本人からの「ガラス破損」の申し入れに対して、
「それは違う」
と担任は言っている。「万引き追求」は、担任/学校に言わせれば、
「明確な否定がなかったから」
「5回」だというのだろうか。普通は逆だ。「明確な否定がなかった」ら、
「やってないようだ」か、最低でも「結論は出せない」
だ。大体「確認」はやっても一度。二度は多い。そしてこの「5回」は多すぎる。担任はその都度、まるで「踏み絵」のように、
「万引きしたよね」
と言っている。
 私には「主犯格」が見える気がする。

 5 大切なのは「話し合い」だろ
 このニュースに触れて、
「推薦出来なかったのはなぜか」
という下りを、
「誰でも推薦してあげればいいではないか」
という気持ちで読み違えてはいけない。推薦できる生徒とそうでない生徒がいるのは当たり前だ。
 子どもたちはみんな、
「推薦して欲しい」「推薦して下さい」
と言ってくる。私たちはそれに対しては、たとえば、
「『4』が一個じゃ無理だよ」
という対処をする。難しいのは「人物」に関してである。「ハイレベル」な生徒は、ヤワな担任では太刀打ちできない。親をバックにしてしまう場合さえある。
「授業妨害や暴力ざたのあげくに、推薦だとぉ?」
「はっきり言うが、成績じゃねえんだ」
と断言し、相手に向かう器量がないといけない。そしてこれは、繰り返し粘り強くやらないといけない。少しばかり過激な例を出してしまったな。この例を広島の事件に並べられちゃうと困る。
 大切なことは「話し合う」ことなのだ。これを怠(おこた)れば、
「喫煙(きつえん)は三日停学」
とかいう高校のようなルール(マニュアル!)になる。
 
「正しい資料を活用していれば今回の事件はなかった」
「古い記録をサーバーに残していた」
などということは問題ではない。そんなものに頼るしかない、
「職員の意思疎通(そつう)/協力体制の無さ」
いや、
「職員の無能」
が問われているのだ。

 繰り返すが、この事件は、
「誤った非行歴がもたらした推薦漏(も)れ」
によって起こったのではない。
「推薦しない理由を探した」
結果起こったものである。
 これから毎日、現場(生徒)から少しずつ、そして、第三者委員会の調査で明らかになるはずだ。


 ☆☆
本来アップの金曜日を待ちきれず、発行します。『絶歌』以来です。我慢できませんでした。みんなは事件の核心に気づいたかな、と思った次第です。

 ☆☆
それにしても、この子の親は、今までこの子のために、どれだけ学校と直接やりとり出来たのでしょうか。出来てなかったとすれば、悔(く)やんでも悔やみきれないことでしょう。そして、この子の「頼るもののなさ/孤独」が思いやられます。

 ☆☆☆
高浜原発停止。いやあ、驚きました。ついでながら、サンケイって噂通りの新聞なんですねえ。常識が覆(くつがえ)る、いやあ、いい経験です。
とにかく悪いことばかりじゃねえ!
寒いぞ! 春よ、いい加減に来い!

手賀沼に春を告げる菜の花

今年も咲いてくれました。庭の桃?

部活、反対する?  実戦教師塾通信四百八十五号

2016-03-04 11:57:05 | 子ども/学校
 部活に反対する?
     ~問われる「実際」と「本気度」~


 1 「カッコいい話じゃねえんだ」

 今回は、「不安で、夜も学校を離れられない」教師(特に中学校の男子教員に多い)の「学校依存症」について書くいい機会だと思った。でも、趣旨がずれる感じがしたので、次の機会に譲ることにした。いつか書かないといけない。

 最初に立場を言っとこう。私は今回の、
「教員に部活顧問をするかどうかの選択権を要求する」
動きに賛成である。でも、問題はそっからだ。

これ、笑っちゃったんだけど、朝日新聞の記事(2月13日)から。こんな校長はいない。はずである。校長がこんなことを言う必要が、今の中学校にはない。笑って思わず赤いラインをひいてしまった。

 ポイントをふたつ。
○本当/実際の姿から考えよう
○ホントに反対する気ある?
である。なんかいう時の私の口癖なんだが、
「カッコいい話じゃねえんだ」(ちなみに前号でも登場。)

 2 部活の実際
 まず初め。学校での部活の「優先順位」は、実はそんなに高くない。会議(学年会・研修会など)があったらそっちが優先する。その間は子どもたちだけで部活をやってる。また、月に一度の職員会議となれば、今では大体の学校が生徒を帰してからやってる。この部活の優先順位の低さが、部活の問題視を回避して来た大きな要因と言える。
 でもここは、少しばかり「昔」のことを振り返って置かないといけない。特定の地域で、特定の部活が「優遇」された時代があった。一番分かりやすいのは「駅伝部」。顧問は職員会議に出ないで良かった。グラウンドで声を張り上げているのである。他の職員は、会議を終えたら、なんと駅伝部の顧問に、
「ご苦労さまです」
と言いなさい、と管理職に言い含められたという。暗くなった学校で保護者有志による「焚(た)き出し」もあった。でも驚くのはまだ早い。この駅伝部の子どもたちは、大会が近づくと体育の授業を「見学」した。らしい。怪我をされると困るからだ。伝聞様式で無責任に聞こえるが、本当の話だ。これらが内外からの批判とともに徐々になくなる。今は「強豪校」といえども、こんなふざけたことはやっていない、はずである。昔はそれこそ、「部活のカースト」は、さん然と輝いていたのである。
 さて次の話。授業の準備(予習など)は、部活の間でも出来るしやっている。仮にそれで、顧問がいないと文句を言うものがいるとしたら、それは部活に「命をかけている」生徒ぐらいなものだ。また、部活に出られないのは予習のせいばかりではない。万引きやケンカやテストの採点やらと、あげればきりがない。そんなわけで部活の優先順位ってそんなに高くない。メディアは「部活が日没まで」だから「それまでは教師はそこに縛られ何もできない」という勢いで「ブラック」なんぞと、今日び流行(はや)りの動きになぞらえてるが、少しばかり違う。
 一方、部活を「一番優先すべきもの」と考えている教員は、コートや体育館にはりついている。もちろんそれでno problemである。では、やりたくない教員はどうか。部活はそこそこにして、生徒から報告を受けるだけもいいのだが、私たちはどうも、そう切り換えない。そこには「責任」や「心配」ばかりでなく、部活でクラスの生徒が「別な顔」を見せたり、受け持ちの生徒とは違う生徒と、しかも「授業と違う」時間を過ごすという中で、部活への「意欲」が育ってしまったりする。
 こんなことが総合されて部活の実際がある。

 3 「生徒と向き合う」
 次に押さえて置きたいのは、メディアが好んで引用する、
「生徒と向き合う時間が欲しい」
というやつ。部活がこういう時間を奪っているという。このフレーズ、私はどうにもうさん臭くて、嫌で嫌でたまりません。部活の実際で少し話を続けよう。
 「顔だけ出す」部員もいるし、教室や廊下、また「フリースペース」を見いだして、そこに「たまる」ことは、生徒の日常である。それで仕方なく「教室に施錠(せじょう)」を方針として掲(かか)げる学校もザラである。
「部活に出なさい」
または、
「『用のない』生徒は帰りなさい」
というわけだ。これは私たちの、
「残って欲しい生徒と、残って欲しくない生徒がいる」
という思惑(おもわく)につながっていく。こんなことを言っておいて、
「生徒と向き合う時間が欲しい」
とは、カッコ良すぎじゃねえのか、と言うことなんですよ。
 さてそろそろ、何だかカッコいいことばっかり言うけど、オメエはどうなんだと言われそうなので、簡単に。私たちも「帰れ/来るな」と言いましたよ。これは、「部活に」ではない。「学校に」です。それはしつこく何度も、しかし淡々と。でも、そう言って本当に「帰る/来ない」連中だったら言わなかった。とてもとてもそうなる連中ではなかった。私たちが彼らと、
「向き合う」
ための言葉だった、ということですね(詳しくは拙著『さあ、ここが学校だ!』)。

 4 「本気」ですか?
 部活が「ほぼ全員加入」、顧問も「教員全員が原則」というのが、中学校の「承認された」現実だ。承認したことなどないという方は、一度でもはっきり、みんなの前で反対したのでしょうか。仮に今回の、
「『部活問題対策プロジェクト』に君は署名しましたか?」
なんて、校長から問われたとして(あり得ない話だが)、
「もちろんです!」とか、
「そんなことをあなたから言われる筋合いはありません!」
と言える人がいるかしら。そしてまた、石器時代を思わせる、
「(そんな質問が)不当労働行為だ!」
な~んて言う人が、署名したという23522名(昨日、文科省に届けられている)の中に、一体何人いるのだろう。大いに興味がある。
 行政が動く、または法令化/条例化されるというのは、それ以前に、裏付けとなる「現実の動き」があって始まる。だから、今回の動きがそのきっかけになればいいが、と私も思っているのですよ。ホントに。ここでまた嫌な顔をされそうな話をしようか。たとえば定期テストの時に、何時に退勤しているだろうか。部活はないし生徒は全員下校している。こんな時に校長が、
「今日は3時に退勤して結構です」
と言えるのとそうでないのがいる。ふだんの超過勤務への考えの違いが出るのだ。平気で「定時」の4時半とか5時としている校長は、
「あなた方(教員)は、勝手に残っている」
んだし、
「残ってくれと頼んだ覚えはない」
という顔をしている。私たちが修学旅行で、夜を徹して生徒どもの「自由な行動」に対処しても、だ。
 そんな時は、私の場合で言えば、初めは個人的に校長室で、
「こんなことでいいんですか」
と言う。ダメなら、もう職員室/会議で抗議する。
「普段の皆さんの頑張りには頭が下がる、と言えないのですか」
こう言って変えるしかない。最悪でも繰り返せば変わる。いや、こうしないと変わらない。今回の動きが、ホントに「現実の動き」となればいいがと思っている。
 休日の部活でも同じだ。顧問会議で提案し、乗り越えるしかないし乗り越えられる。
「練習試合を減らすとは許せん!」
という、熱烈顧問を説得する道を避けて、このことは通らない。
 桜宮高校事件(2012年)に対し、市に賠償命令がつい先日(2月24日)下された。この事件のあと、1000人をはるかに越える保護者やOBが、
「どうか(顧問に)寛大な処分を」
なる嘆願書を、教育委員会に届けたのを、私たちは覚えて置かないといけない。
 まだある。すでに始まっている部活への民間コーチの採用は、
「生徒への体罰/セクハラ」
という問題も起こしている。
 道は簡単/単純ではない。


 ☆☆☆
千葉県の方は新聞でご存じと思います。2008年に起きた中学2年生の生徒(田副勝君)が自殺した事件を調査する第三者委員が決まり、この1日に第一回の会合がありました。今まで伏せていた名前を公表したのは、
「私も子どもたちも、精神的に一区切りついたと思ってね」
と、お父さんは言ってました。これからも小さいながら力を貸せれば、と思っています。

今度はホントに咲いてます。手賀沼の河津桜。

 ☆☆
前回お知らせした「お医者さん/通院」にまつわる話、今回は書けませんでした。ずいぶんたくさん意見や感想をいただいてるので、なるべく次回に書こうと思ってますが、遅れるかも知れません。よろしくです。
それと、山本哲士氏とのyoutube対談№3がアップされました。自分で言うのもなんですが、後半が丁々発止(ちょうちょうはっし)で面白い。良かったらどうぞ。

2月は良く頑張ったなと、自分にご褒美。ポルシェ918スパイダーです。