実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

復興の値段 実戦教師塾通信二百十二号

2012-09-28 13:42:30 | 福島からの報告
 絆-地元



 「くさの根」リニュアール


 「くさの根」は今、店の中央に太い柱が立ったようになっていて、店内スペースを大きく削っている。「二階を建て増し」の改装中で、その「柱」は階段になるという。二階はレストランにするのだ。
「今度から車で飲んじゃったら、そのまま二階の畳で寝ちゃってもいいのよ」

そう女将さんが笑って言う。レストランが始まっても今のスタッフの人数でやっていくというのだ。気がつくとレジのそばに、「○○さんの手焼きのクッキー・アップルパイ」とかいうコーナーがまたしても増えている。隣にはジャム、ドレッシングだ。ここは魚はもちろんのこと、野菜や手芸品まで売るコーナーがある。しかし、よく見ると魚以外はすべて個人が販売元で、ここの女将さんをあてにしてか、女将さんが拾って来るのかどっちか良く分からないが、女将さんのネットワークという印象だ。彼女は休日でもじっとしていない。あちこちで売り込んだり、予約を引き受けたりしてくる。そんなこんなで今度は「二階にレストラン」だ。その二階への階段となるところに、大きなポスターが貼ってある。落語家の三遊亭…だった。来月13日のリニュアールオープンの記念イベントだという。
 昨年の5月、震災から2カ月が過ぎて、20ページほどの月刊『ふるさとだより』(いわきエリア)が発行された。今月号に女将さんの記事が載っている。当時、道の駅に店を出していた女将さんが、そこから避難する時に置き去りにしかけた「パンダ(もちろん愛称。写真ではウサギに見える)」を取りに戻った話をしている。パンダを軽トラに乗せて走り出したが、その時は近くの側溝から水があふれてきた、という話だ。
 この日の夜、私とニイダヤ水産社長は、この「くさの根」で日替わり定食(煮魚)を頼んだ。今日は赤魚ですよ、と言われた。嬉しい。じっくり煮込んだ、かどうか分からない。火からのあげ際が難しいのであるから。まあとにかく味のよくしみ込んだ鯛のような見かけの赤魚は、私が尻尾で社長はお腹の部分であった。少し残念。そこに秋刀魚・ヒラメ・鯛の三点盛りと、香の物・サラダがつく。味噌汁は若布と油揚げ、もやしだった。これで1000円だ。社長さんはいつもサラダとお新香をまったく食べない。噛めないかららしい。
 板さんが厨房から顔を出して、試しに作ったんで食べてみてください、とサービスでだしてくれたものは、肉らしきものとゆで玉子を海苔で巻いたものだった。肉は実にあっさりとしたチャーシューだったのだが、
「ラーメンをイメージしながら作ったんです」
と板さんが解説。確かにラーメンの具を握ったものだった。美味しい。
 二人して震災からの成り行きを話してくれた。板さんはホテルサザンの展望レストランの板長。震災後、工場が流され自宅が全壊して途方にくれていたニイダヤ社長のところに、ホテルのオーナーが電話をくれたという。
「今、何やってんだ?」
オーナーはニイダヤのお得意さんだったのだ。そうしてニイダヤの社長さんは避難所となったホテルの受付をやることとなった。本当ならオーナーは恩人だが、その後がよくなかったらしい。そのオーナーも今は他界している。
 サザンの仕事場の人間としては大先輩の板長だが、人生の大先輩であるニイダヤ社長にホテルでずいぶん相談役になってもらったという。昨年の夏、ホテルの屋上にあった4トンのお風呂用お湯の入ったタンクから、突然すべての中味が下に落ちて、ホテル中が「お湯浸し」になった。真夜中だった。地震で弱っていたのが、なにかの拍子に壊れたらしい。この時も二人は後始末と再生に奔走した。
 そして最初はまったくやる気のなかった干物工場も、この避難所(ホテル)を訪れた新潟の大学生や、多くの支援者に背中を押されて社長さんが腰をあげる。また、ワゴン車であちこち回って魚を売りさばいていた後の「くさの根」の女将さんがここサザンにもやってきて、板さんに「くさの根」の助っ人に、と声をかける。避難所としてのサザンが閉鎖される少し前、二人はホテルを出た。

 私は干物の値段で悩む社長さんの相談役として、板さんに白羽の矢を立ててみた。板さんはホテルに雇われる前、自分の店を構えていたからだ。しかし、
「難しいですね」
と板さんは言う。地元の人とは、お互い顔や気心が知れている。そして原材料の「相場」も分かっている。そこに加工や調理といった「技」の値段をつけるのが難しいという。また、加工品をスーパーに出そうとすれば、そこには3~4割のスーパーの持ち分を計算に入れないといけない。道の駅だとその割合がだいぶ減るらしい。生産者がもうけるのは大変だ。よくいう、築地にみんな流れるとか、観光バスで市場に寄っていく客がお金を落としていく、とかいうことがずいぶん納得出来る話だった。ちなみに、この「くさの根」にさえ「ニイダヤ」は品を出せない。ここ「くさの根」でも店のスタッフが干物をやっているからだ。メニューに出し、売り物として店先にだしているからだ。
「始まってまだ一カ月。不安ばっかりだよ」
社長さんは背を伸ばした。


 様々な混乱

 今月3日に、放射性廃棄物が8000ベクレル/㎏を越える廃棄物(以下、指定廃棄物と表記)の最終処分場に栃木県の矢板市が候補地としてあげられ、一昨日は茨城県高萩市が名前を連ね、その後各地は一斉に反対の火蓋を切ったという印象である。しかし、私たちの方にずいぶんと混乱があるようだ。
 今年の3月に出された「指定廃棄物の今後の処理方針」によれば、
・指定廃棄物の処理は当該指定廃棄物が排出された都道府県内で行い
・既存の廃棄物処理施設の活用を最優先とする
・既存の廃棄物処理施設活用は…3年程度を目途として、(その間に)最終処分場を確保
・指定廃棄物の最終処分場を新たに建設する必要がある場合には、都道府県内に集約して設置

とある。つまり、放射性廃棄物が発生した場所で処分ということだ。

・福島県の廃棄物が他県に送られる
・被災地すべての指定廃棄物が選定された場所に送られてくる

と思っている人がずいぶん多いが、それは誤りなのだ(ただし一点目は半分あっている)。指定廃棄物の最終処理場は関係都県すべてに出来るということだ。ただし、環境省が出した報告によれば東京と岩手に関しては放射線量が低いため、既存の施設で対応が可能だという。繰り返すが、宮城・栃木・群馬・千葉・埼玉には最終処分場が出来る。そこに各県内で排出された指摘廃棄物が送られるのだ。
 では福島はどうなっているのか。まず最初に、
「廃棄物は原発のあるところに持っていけばいい」
という勝手な勘違い。
 あそこは原発を廃炉中なのだ。廃炉にしないと、その間は再臨界・爆発する可能性を持っているのが原発である。ゴミ捨て場に出来るかどうかはそれからの話だ。廃炉まで30年、それまでは福島の原発立地点はマグマの状態だと思っていた方がいい。どっかの首相は「収束宣言」をしたのだが。
 福島はすでに「中間貯蔵施設」が、大熊・双葉・楢葉の3町12地区に候補地が選定されている。そこに10万ベクレル/㎏超の廃棄物が、30年の期限内という期限で保存される予定だ。この中間貯蔵施設は他県にはない。福島にだけある。そして、30年後の最終処分場は「県外」と決まっている。このタイミングでは「福島県のゴミ」が他県に送られる、という見解はあっている。この時福島県のゴミも5万ベクレル/㎏以下に減少していようが。また、他県の最終処分場に集結したゴミの線量も半減してはいる。
 また、最終処分場の候補地として選定された自治体の長が「寝耳に水」を繰り返していたのがニュースとなっていた。しかし、議会の様子を見聞きすると、選定の作業に自治体は立ち会っている。
 やはり、ニュースは眉に唾をつけながら、成り行きは冷静に見極めないといけない。


 ☆☆
この最終処分場のことで仲間と話しました。原発事故発生以来ずっと「安全」「ただちに健康への影響はない」と言い、そしてまた言いますが「収束宣言」をした国・政府です。だったら永田町に最終処分場を建設するのはどうか、と真顔で話しました。
それにしても、細野原発相は「福島のことがあるから」として党の代表選にでなかったというのに。福島の人たちの失意は相当なものでした。

 ☆☆
秋のドラマが始まりますね。あの『誰も知らない』の監督・是枝裕和がとる『ゴーイングマイホーム』には、阿部寛と、8年前だったかの『向田邦子の日記』以来ではないかと思われる山口智子、そして宮崎あおいが出演だとか。そそりますね。今度は月9なんてみません。

双相地区の取組 実戦教師塾通信二百十一号

2012-09-24 16:01:27 | 福島からの報告
                   (写真と記事は関係ありません)

 近い日に来るニュース


 自治体ごとの差


 この9月21日、復興を見通すため開かれた福島県大熊町の議会は、五年の間帰還しないことを決定した。政府が警戒区域再編をしたあと、もっとも線量の高い帰還困難区域で、自治体が帰らないことを決めたのはこの大熊町が初めてだ。
 福島はどこも大変だが、その中でも双相地区の話は複雑で分かりづらく、重苦しい。私は楢葉の人たちの話を聞く機会があり、特に牧場主さんが嫌がらずというより、積極的に話してくれるので、少しは分かることもある。はっきりとは分からないが、ここに書いておいた方がいいと思われることをいくつか。
「よくいう『土地の価格は事故以前の時価で査定して欲しい』って言うけどよ」
主さんは言う。
 少し復習しよう。原発立地地域では、その建設前に「調査」という名の促進事業に入る。一回5000万円超が自治体の収入となる調査は、建設決定まで毎年行われる。何度かここに登場した「電源3法交付金」のほかに、広大な敷地に建設される原発の、これも膨大な固定資産税が、自治体に転がり込む。周辺自治体にも多少の「おこぼれ」があるとはいうものの、この資金のおかげで立地自治体は豊かな歳入を得る。以前ここに書いた新潟の柏崎原発のお膝元の柏崎市と私が住んでいる千葉県柏市で比べると、
○柏崎市 人口・約10万  歳入予算・約 454億 
○柏市  人口・約40万  歳入予算・約1130億 
一人当たり、という乱暴な単純計算するお許しをいただけば、柏崎市民には、一人約45万円、柏市民にはそれよりかなり少ない一人約28万があてられるということになる。歳入の7割が原発関連のお金だ。実に潤沢な立地自治体への交付金と言える。
 この固定資産税のからくり(減価償却に伴う減少)のことは繰り返さない。この原発立地区域はその殆どが「産業も観光もない」場所で選ばれてきた。地価は、
「ただみたいなもんだったんだよ」
主さんからそう言われて思い出した。そして、原発が完成→運転の後もこの地価は据え置かれた。つまり住民の固定資産税は安いままの値段だった。立地自治体には税収が満ち足りていたからだ。今は原発立地点の地価は査定ゼロだ。しかし、だ。
「事故以前のレベルまで戻す」
ことがどうだというのか、主さんは皮肉をこめて「もとの土地の安さ」を言う。
 7月下旬に東電は被災者への賠償基準を出した。それによると、土地の賠償額は1㎡あたり1万円だ。これは第一原発のある双葉町の事故前の相場と言える。ちなみに私のお邪魔しているいわき市は約6万円。東電としては「誠意ある回答」と言いたいのだろう。しかし、その調停の中で様々な声が聞こえる。
・以前のように暮らしたい
・代替地を探して欲しい
などの声だ。この声が当然だということがようやく分かった。事故以前の価格で土地を賠償したところで「前の生活」が戻ってくるわけではない、そのお金でどんな場所にどんな土地を買えるというのか、という意味だったのだ。賠償問題を「土地」に限ってもこれだけの問題がある。自治体ごとに請求内容も方法も変わって来るわけだ。双葉町民が集団賠償請求に踏み切ったのは今年の3月だ。住民の足元をうかがう東電の下心に、住民がたまらず弁護団をたてた。ニュースが言う「書類が多くて難しい」だけではない。


 賠償は売り渡しではない

 楢葉の人たち(だけではないと思うが)は休日、定期的に集会所や公共施設で弁護士と勉強会をやっている。今後をどうするかという考えのもと、町民それぞれがその勉強会に出席したりしなかったりする。その勉強会で言われたことで、オレもよく理解出来ないんだが、と主さんが言ったことだ。
 もっとも大変な帰還困難区域の不動産は、国が買い取ることを現在検討中である。さて、買い取るとは、売る方からみれば「売り渡す」ことは、権利がなくなることを意味する。しかし「賠償」はそうではない。権利が残るのが賠償だ。不動産で言えば、その一部を残してほかを売っても、権利を留保したことになる。それが賠償の意味することだ。だから、住んでいたところに家屋だけがあった人たちは、すべてを売り渡して別な場所に引っ越す人もいるが、事業(農業・商売など)をやっていた人たちは多くがそうではない。
 と主さんは言った。オレもよく理解出来なかったんだが、法律ではそうなってるってんだよなあ、と言った。
 いずれにせよ、町や人々がばらばらになる要素は、まだまだ一杯あるに違いない。


 ☆☆
前回予告した1940年(皇紀2600年)の東京オリンピック(写真では「東京オリムピック」となっています)誘致決定を祝う当時の人々の写真です。分かりますね。帝国ドイツの旗も一緒です。女の人ばかりが写っています。男はみな戦場なのでしょうか。

 ☆☆
日馬富士、全勝優勝しましたね。いや、力の入った一番でした。「横綱完敗」とかいう雑音がいやです。日馬富士が横綱相撲だったということです。横綱がひとり増えることは白鵬も望んでいたことですが、出来ることなら本割で勝っておきたかったことでしょう。横綱は今場所も後半に行くに従い、安定を欠いていました。力相撲になっていた気がします。「勝ち」を意識し「流れ」に沿うことを忘れている。勝負の高みをきちんと見据えているはずの横綱です。筋トレなどに依拠しなかった半年前までの姿に戻って欲しいものです。

みっつの「S」-舞台『egg』 実戦教師塾通信二百十号

2012-09-21 17:12:38 | 戦後/昭和
 帰る<場所>



 満州


 日本が尖閣諸島を民間人から買いつけたことで、大きな騒ぎとなっている。デモ隊がイオンや大使館を襲っている。ユニクロが会社ロゴに目隠しをしている。強化ガラスをほどこした店舗ビルの窓が無惨に打ち砕かれている。相当な破壊力だ。
 2010年12月の「ジャスミン革命」(チュニジア)に始まる「アラブの春」のことを思い起こそう。翌年、その影響は世界各国に及んで、中国でもインターネットによる呼びかけにより大規模デモが準備された。ネット(フェイスブック/ツィッター)の削除を含め、ことごとく中国ではデモが制圧されたことを私たちは覚えているはずだ。「すれ違ったら笑顔を交わそう」なる微かな行動で彼らはなんとか「抗議」をした。「大声で抗議をするものが味方とは限らない。そいつはその叫びに呼応するものを逮捕するための『サクラ』と考えていい」という民主化リーダーからの注意呼びかけもあった。
 だからひとつだけ確認する。中国では1989年の天安門事件以来、デモは出来なくなっている。正確に言えば「死を賭した」覚悟でないと、デモは出来ない。いま行われているデモは、国から許可されているデモ-国益に沿ったもの-だ。官許ということだ。デモの最中に行われている暴動と略奪は、賄賂や隔絶した貧富などの不満の源(中国当局)にいつでも方向転換する。「反日」による鬱積の放出が、「叛乱」に転化するかどうかのギリギリの駆け引きを、当局はやっている。そして18日は満州事変の日だった。
 なんのこっちゃ、と思われるかも知れない。しかし『egg』の舞台はなんと、この満州なのだ。これはかなり物語の後半で知らされる。満州の最後とは、

・真夜中、津波かと思える轟音に飛び起き、裏の山へ逃げ込んで下を見ると、巨大な黒蛇かと見まがうものが家々を取り囲むかのようにしている。まるで獲物を飲み尽くそうとしている蛇は、闇の中で叫ぶ群衆だった。
・「赤ん坊を泣かすな!」暗闇の中から、低く鋭く誰かの声。母親たちが我が子の口を塞ぐ。
・日本人避難民の一団を載せた石炭車が大連に向かって走っているという連絡が入ったらしく、この列車を待ち伏せていた群衆が、線路脇から一斉に投石で襲撃をした。列車が行く先々でこの襲撃は繰り返された。         
                  (『満州の遺産』倉本和子)

のようなものだったらしい。終戦直後の8月下旬にあったというこんな壮絶さは、一般の日本人のことで、政治家・軍閥・財閥の連中は、もちろん終戦前の7月から撤収を開始していた。


 東北

 この物語は、寺山修司未刊の遺作がもとと言われている。私は寺山修司が青森出身だということを忘れていた。主役の仲村トオルに言われて思い出した。物語は東京オリンピックが舞台だ。種目こそ架空の競技「egg」だが、選手は円谷幸吉とアベベビキラだ。いや、そう思って観ていたのだが、間違いと知る。それはもう物語が後半に入った頃だ。仲村トオル演じるのは粒来幸吉(つぶらいこうきち)で、妻夫木聡演じるのは阿部比羅夫(あべひらふ)だった。このブログで東京オリンピックも円谷のことも書いた。「幸吉はもう走れません」と書きあてた父親は、故郷の福島にいたのだ。
 二人の東北人。寺山と円谷、私はこの二人の「帰りたい、そして帰れない東北」という像をうかつにも見逃した。黄昏色の二人をもう「過ぎ去った時」-昔話に閉じ込めた。しかし、椎名林檎による劇中歌の「別れ2012」で、そうではない、とはっきりと歌っていた。

ガンバレガンバレガンバレ
それは聞き飽きたバイバイ  (作詞・野田秀樹)

「がんばろう、日本!」の声は、容赦なく鞭打ち突き放す。いま現在の東北の姿が歌に息づいていた(と思います)。この舞台は1964年から2012年、いや、だから正確には満州の時代に始まり1964年へと移り、そして2011年へと時空を越えたものだった。


 皇紀2600年

 「歴史を作るみっつの『S』」をご存知だろうか。「Sex(性)」「Sport」「Screen(映画)」である。権力者、あるいは権謀術者はこれを攻略しつつ、機をうかがう。みっつ目の「Screen」は、近いところで言うと、毛沢東が権力闘争で少数派に甘んじていた時、京劇による文化戦略を組んだこと。第四夫人の江青(チャンチン)がこの指揮をとって、文化大革命の発端となった。オウム真理教のサブリミナル手法なんていうのもある。
 1940年、神武天皇が即位してから2600年とあって、様々な国家的行事が行われた。奉祝会、観兵式、なんと万国博覧会もあり、そして東京でオリンピックだ。その昔も「悲願のオリンピック」であった。この時日本でたったひとりIOC委員をつとめた講道館の嘉納治五郎の演説が、世界の委員を動かしたと言われる(当時の写真をまたしても次回になりますが掲載します)。ついに獲得した開催地だが、戦争はこのあと一気に佳境へと突入。その真っ只中の窮乏で、万博もオリンピックも出来なかった。「朗らかに 元気に 祝へ!」という大日本翼賛会のポスターは、奉祝会のあと「祝ひ終った さあ働かう!」となる。この皇紀2600年、スポーツ(sport)と映像(screen)の力は、人々をいやが上にも熱狂へといざなう。
 なぜだろう、日本人の心の中にある「満州」というものに、私たちは繰り返し還っていくような気がしている。満州は日本のものだった、ということではない。あの頃私たち、いや日本人は何を考え何をしていたのか、それを知りたいという願いから私たちは自由になれるのだろうか。舞台では力強く台頭するものと、力なく退行していくものが交叉する。物語はそいういう意味での「故郷」をつきつける。 
「帰るところがある奴はいいよな」
そう言うのは、熱狂の中に人々を叩き込むアベ(べ)だ。故郷を持つ円谷(つぶらい)は、レギュラーポジションを外されてはうなだれる。
 そして両者を結び合わせる(と私は思ったが)のが、深津絵里演ずる苺イチエだ。もちろんこれが「一期一会」の引き合わせであることは言うも愚かだ。
 すべてはこれから始まるというラスト、でもなんて切ない始まりだろうか。

 舞台ではここで引き合いに出した話が出てくるわけではない。そこではマジックハウスのようなたくさんのロッカールームが目まぐるしく移動し停止する。そこに人が入れ代わり立ち代わりする。そして物語は進行する。観客は、奈落やそれに類似した穴があるに違いないと思ったり、さっきいたはずの人はどこに行ったのだとか、この人はどこからやって来たのだと考えている間、いつの間にか場所や時間を通過したり戻ったりしている。役者のひとりが一秒でもタイミングを間違ったら物語は止まったに違いない。ここに書いた評論めいたことは、それらの後をうごめいていることだ、そんな風に私は思った。

 この『egg(玉子)』は、始まりであり、未知であり、そして予感だ。だから『egg』なのだ。


 ☆☆
どうですか、前回ブログの東京オリンピックのポスターと、この『egg』のポスター、重なりますよね。オリンピックのポスターの方は、3月半ばの夕方、寒風吹きすさぶ国立競技場で3時間、回数は80回取り直したといいます。『egg』の方も大変だったのでしょうね。

 ☆☆
大相撲、白鵬と日馬富士一騎討ちの様相ですね。それにしても昨日の妙義龍に対して、白鵬は厳しかった。解説は「突っ張りですね」と初め勘違いしていました。どう見ても妙義龍の立ち会いを白鵬の肩が迎えをうった、ということです。土俵上で動けなくなった相手を、普通白鵬は、手で助けます。それがなかった。余裕がないというより、今は一騎討ちの状態ということなのでしょう。

野田秀樹『egg』補記 実戦教師塾通信二百九号

2012-09-18 14:56:01 | 武道
 「生業」と「客の好み」



 「剣は心なり」ではない


 舞台『egg』の感想は次にゆずる。頭にひっかかっていることから書くとする。それで今回は「補記」となる。
 終演後、私たちはまた主役のひとりと楽屋で長い時間話す幸いな機会を得た。演劇の内容がいつもすぐにつかめないため、取り留めなく様々な話題をあちこちするのだが、またしても「いい役者」の話となった。どういじってみても、結局「客の好み」の問題として収斂してしまうかのようなこのテーマの回路はどこかでなにかを回避している、そんな気がした。
 「強いお相撲さん」と「いいお相撲さん」とは違う。朝青龍は強い横綱だったが「勝つことがすべて」のお相撲さんだった。相撲は「神事」「芸能」「武道」、みっつの営みを指している。「神が降り立つ場所」としての土俵だ、「神聖で汚してはいけない場所」だとは前にも書いたが、それらを学び、身につけたものが「いいお相撲さん」と言える。朝青龍は「悪役」として土俵を盛り上げたが、「いいお相撲さん」と評されたことはない。ここで『遠野物語』(柳田國男)の一節から、

村の馬頭観音の像を近所の子供たちがもちだし、投げたり転ばしたり、またがったりして遊んでいた。それを別当(坊さん)がとがめると、すぐにその晩から別当は病気になった。巫女に聞いてみると、せっかく観音さまが子供たちと面白く遊んでいるのに、お節介したから気に障ったのだという。そこで詫び言をしてやっと病気がよくなった。

神の鎮座する神輿に乗ることを許されるのは処女だけだ、という謂われと同じく、神は子どもたちの悪ふざけとともにある、という話と思っていい。無邪気な子どものようだ、と朝青龍を評したむきもあるが、注連縄(しめなわ)を張り、紙垂(しで)を下げた「土俵上の神」横綱を、神様がどう思ったか、についてはまだ興味の尽きないところだ。
さて、演劇ももとを辿れば田楽・猿楽・お神楽、また能・狂言、そして近世の歌舞伎に連なる。その流れの源は、やはり「神事」である。自然をたたえ魂を鎮める。と、そこまで考えたが話の方向がまずくなると思えた。「神聖なつとめ」であることと、そのつとめをどのようになしきるのか、ということとは別なことだからだ。武道で言えば分かりやすい。武道のみっつの柱「心」「技」「体」の一つ目、「心」があってこその武道だ、とよく言う。

「剣は心なり、心正しからざらば剣も正しからず、剣を学ばんものは心を学べ」(『大菩薩峠』より)
はっきり言うが、これは間違いだ。技と身体を磨き鍛練することで、相手や周辺との距離や気や流れを読むことが出来るようになる。これが武道で言う「心」だ。死を前にしてなお揺るぎない気と鎮まる気、それを「心」と呼ぶだけだ。戦乱が収まり平和な世の中になって、刀を使う機会は激減した。それで主君に仕える気持ちがどうでこうでだの、「武士はただ死ぬこととみつけたり」と、いい加減で出来合いの「武士道」が幅を利かせ、生まれたものが、後に出る。これはもとより「武道」でなく「武士道」だった。この「武士道」いうところの「心」であり、「剣は心なり」だ。こんな説教染みた道徳讃歌の「サラリーマン武士道」に武の道はない。
「なにごとも切る縁と思ふこと肝要なり」(『五輪書』)
と書き遺した武蔵が浮かばれまい。
演技とはなにかという問題と、演技をよくつとめる、とは別なことをはらんでいる。それがどんなことなのかをもっと考えたいと思ったのだった。


選ぶ、または勝負する

以前「子どもを好きな先生を『いい先生』というのです」と書いたところ、ずいぶんあちこちから反響をいただいた。端的でわかりやすいというものだ。しかし、これは「子どものためを思う」スタンスがまやかしである、という点においてわかりやすいだけだ。ここには困った問題があるからだ。子どもを全員好きになれるわけではないという問題だ。ひとりにしておいて欲しい、ひとりがいい、という子どももいる。こういう子には「必要な距離」というものがあり、こちらとしてはその距離感を好きということも出来るので、問題ない。問題はあちらがこちらを毛嫌いしていて、こっちもこいつは勘弁してくれ、みたいな場合だ。こんな時の「どんな子どもも分け隔てなく付き合えるのが教師というものだ」という間抜けでバカなご託宣は、未だに学校でまかり通っている。笑ってるお面でも被ってろよ。
こういうバカは放っといて、そんな時私たちは「勘弁して欲しい」子どもに確認する。「どうして」? それを繰り返す。そして詰問したり怒ったりする。違和感から始まるその作業は相手を「好き」になる手続きでもある。前も言ったが、実は多くのいじめはこの作業からスタートしている。今の子の多くが、その手続きを大幅に省くことで悲劇は起こっている。まあ、とにもかくにも、私たちの「子どもに耳を傾ける」作業とはそういうことを指して言うはずだ。「いい加減にしろ!」という言葉はそんな作業の後だったら許される、というか仕方のないものだ。
私たちは「子どもの声に耳を傾ける」
と同時に、
「ガキの言うことなんか聞いてられっか! 」

と勝負する時があることを知らないといけない。それ抜きの「子どもの声…」は、子どもを未熟な存在として認定・承認していない。子どもは絶対的存在ではないのだ。
さて、その選択は時として事態を一気に解決に向けることもあるが、悲惨な結果を呼ぶこともある。しかし、もともと客観的かつ絶対的な選択肢などないのだ。慎重は臆病に名を借りる時があり、大胆は事態放棄であったりする。自分自身と子ども(たち)の様子を見極めながら、そしてやっぱり勝負となる。

人びとがなにを思い、そこに自分がどう投影されているのか、あるいは自分がそこになにを投企していくのか、それが芸術表現主体の悩みどころであり、楽しみどころのはずだ。それは芸術活動すべてに言えることだ。たくさんの人に観てほしい、読んでほしい、買ってほしいという思いは、不純なものではない。しかし、生き残っている、というのは聞こえが悪いな、すぐれた表現者は、多くのラーメン屋やお笑い芸人があっと言う間に消えていく理由を、彼らがどのみち客の好みに振り回されてきたからだ、ということを知っている。そしてまた、大衆の好みというものが気まぐれであるということを知っている。
自分の流儀が人びとの好みに合うかどうかは、もう「運」と言っていい。しかし、自分は天才ゆえ誰にも理解されないという嘆きは独りよがりだ。今の子どもはおかしい、狂っているから叩き直せ、という先生に似ている。気まぐれな人びとの「好み」に振り回され廃棄されたラーメン屋は、勝手気ままな子どもたちに振り回される先生たちと同じだ。表現活動に揺るぎない正しいものなどどこにもない。同時に、人の数だけやり方があるように人の好みも様々だ、というようなふやけた場所からは何も見えて来ない。じたばたともがき苦しむ中で、結局「自分にはこの道しかない」というスタイルだけが残る。「じたばたする」作業とは、結果の善し悪しに自分がどう関わっていたのか、そして今後それらに手を加えることが可能であるかどうか、を見極める辛い仕事だ。思想家吉本隆明の、
「自分は大衆にもっとも敵対的である大衆だ」
という言葉の方が、もっと雄弁に上手に語り尽くしているかも知れない。


 ☆☆
団塊の世代なら、冒頭写真を覚えているはずです。亀倉雄策の手による1964年の東京オリンピックのポスターです。明らかにこのポスターをデフォルメ(パロディ?)したのが、今回の『egg』のポスターだと思われます。本来なら横にその写真を並べるのが当たり前ですが、下手くそなものですみません。次回載せます。私なりの解釈でいうと、この『egg(エッグ)』は、『エッ!?』をもじったような気がして仕方がありません。

☆☆
「ニイダヤ水産」の干物を、このブログで何度か登場いただいた大学時代の恩師であり、『ダムとの闘い』を続けている藤原先生に送りました。お礼の電話が来ました。40年ぶりでしょうか、先生の元気そうな声。今は群馬の方に行っているが、11月には(千葉に)戻ります、ということでした。「腹の立つことばかり多いね」と言う先生は、今回の原発事故で見直されているダムについて、どんなことを思っているのでしょう。「昔話もたくさんしましょうよ」と言ってくれた先生は、80歳(傘寿)を越えたといいます。

干物「おまけじゃない」 実戦教師塾通信二百八号

2012-09-17 11:36:11 | 福島からの報告
 干物・選挙



 売り手の気持ち


 冒頭写真が闇に浮かぶ「ニイダヤ水産」工場&直販所の入り口である。社長さんのドアップの笑顔。小さな工場の入り口周辺にはお祝いの花輪がひしめいている。この日の営業・製造を終えて閉まった工場であるが、私は無理を言って開けてもらい、注文書をみせてもらった。名前の確認出来なかった注文書も多かったが、私の知っている人たちの名前を見つけて胸が躍った。ありがたい。特に「琴寄さんから聞きました」なるメモのある注文書がいくつかあり、興奮した。この場を借りて感謝します。社長さんもよろしくとのことでした。
 開店から最初の一週間だったわけで、ボランティアは地元と、福島大学、新潟大学の学生の手も借りてなんとか乗り切った。新聞・テレビのおかげは、例えば私の世話になってる「旅館ふじ滝」の女将さんが、ニュース見ました、カタログはないのでしょうか、と私に聞くということでだった。また、前号で少し触れたが、知り合いの議員さんの親類が「ニイダヤ」再開に大きく関わっていた。など、ラッキーなこともあった。前号冒頭写真の新聞記事は読めただろうか。福島県(県全体である)の被災者が、このオープンを祝って多くやって来ている。また、花輪が「ホテルサザン」で一緒だった楢葉の人から送られていた。
 避難所だったホテルサザンは、出入りも含め避難者総数100人は越えていたはずだ。そこの雇われで受付をつとめていた「ニイダヤ」社長は、実に多くの被災者の話や相談にのった。本人は借金の残っている工場を流され、自宅が全壊したというのに、だ。私に言わせれば「ニイダヤ」再開に際し、電話の一本ぐらいのお祝いしろよ、と言いたい気分だった。先月半ばぐらいから社長の口に避難所サザン時代のグチが増えた、と思うのは気のせいではない。サザン関係の人たち、これを読んではいまい。もし読んでいるのだったら言いますが、社長は待っていますよ、口にこそ出さないけれど、確かにサザン時代の楢葉の人が復興オープンに来てくれた、それは嬉しいけれどこんなに少ないのかと社長は思ってますよ。
 さて、食堂「くさの根」に移って晩飯を食べながら、私はまたしても社長にクレームをつける。期限付きオープン価格(セット料金2600円を2100円で)というのにも抵抗はあった。でも、さらにオープン期間に3000円の買い物をしてくれた人にハタハタ5匹かメヒカリ10匹をサービスしたという。社長は感謝の気持ちでそれをやる。私は地元いわきの大型銭湯でやった50%割引クーポンの失敗を説明(この話を「ニイダヤ」社長は知らなかった)。このクーポンを30%まで率を下げたところ、客が激減。仕方なく、芸人のイベントを呼び込みにした。それで結局赤字がかさみ、にっちもさっちも行かなくなった。
「最初が肝心だよ」
私は言った。今度はこれも食べてみようかと思わせる、今度はこれを食べてみてくださいという呼びかけとしての「おみやげサービス」はある。5匹も10匹もというのはそれで「完結」する一品だ。そんな量のものがなくなれば、または少なくなれば、前はもらったとか、値上げしたのかという客が出てくる。買い手は売り手の気持ちを分かっちゃいない。
 あちこちで「ニイダヤ」のことを話して思う。原材料+加工料=干物の値段だ。それを分かる人は、ちゃんと干物のことを分かる人だ。しかし、どこのとは言わないが、スーパーで「魚の切り身一切れ98円」とか「生の魚が古くなったら干物にしている」とかで頭が出来上がっている人は、値段を見て引いていく。「西京漬はこの値段だね」「銀鱈は干物がいい」などの声が嬉しかった。
 こんなに美味しいものにきちんとした値段をつけるだけだよ、遠慮してはダメだ、と強く言う私に、
「今日はお説教聞かされてばかりだ」
と、社長さんは笑う。


 「恥ずかしくないのがね」

 第一仮設で先日の市議会選挙の話になった。高齢のおばちゃんたちは、声を揃えて、
「なんでこんなに投票率が低いんだが」
と嘆いた。パオ(「自立生活センター」)でも職員が同じように言うのだった。こちらの彼女たちはまだ小さい子どもを持つ母親だ。老若の両方そろって嘆くのだ。30%ぐらい上るかと思ったのに、と彼女たちが言う市議会選挙の投票率は、ようやく50%に達しただけだった。前回より低いことはもちろん、記録的な低さだ。みんななに考えてんだが、とぼやく第一仮設のおばちゃんたちの、それでも一番の喜びは、今回の津波で亡くなってしまった久之浜の議員さんの後釜が当選したことだ。遠い親戚が久之浜に住んでいるという縁で、東京から移住して立候補した人だという。トップ当選だった。みんなの期待はひと通りではない。
 来年春の市長選挙の話になった。おばちゃんたちの口が一気になめらかになる。
「今度もあいつが立つだと!? ふざけんじゃねえ」
「今でも自宅はもぬけの殻だとよ。家に帰れるもんか」
「道歩いてても石ぶつけられるんだとよ」
「避難所だって、ここにだって一度だって来たことあっかよ」

私は昨年春、あちこちの避難所掲示板に「市長、顔出せ!」「市民を見殺しにする気か!」「市長、オメエが死ね!」という、おびただしい殴り書きを思い出した。「恥ずかしくねえのが」って言えば、あのアベってまた立つんだろ、恥ずかしくねえのがね、と自民党次期総裁にまでとばっちりが飛ぶのだった。そして、じゃあ誰が次期の市長になるのか、という話にまで及ぶと、おばちゃんたちは声を落とすのだった。


 ☆☆
相変わらず報道が渋られてますが、毎週金曜日の反原発デモはずいぶんと激しい規制が行われているようです。いつか詳しく報告したいと思いますが、顕著なのは「歩行者のために」と称して、歩道を半分にした状態でデモをするように強いていること。全区間ではないと思うのですが、これをデモが出来る状態とは言わない。また、デモ隊を細かく切り刻むようにしている、といいます。私たちは注目することを怠らないことですね。必ず見える場所はあります。

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昨日、野田秀樹の『egg』を観てきました。野田マジックに振り回されるうち、途方もない場所に導かれた、という印象でした。詳しくは後で報告します。10月28日までのロングランです。東京芸術劇場。皆さんもチャンスがあったら是非。