知らないこと分からないこと(上)
1 「警戒区域」
「東電の野郎、頭くんだよな」
私の横に腰掛けて、おじちゃんはこう言った。
第一仮設集会所で、私はおばちゃんたちとおしゃべりしていた。この日は月に二回、血圧測定や問診(もんしん)で東京からお医者さんが来る日だった。いつも男のお医者さんと二人組なのだが、この日は女医さんひとりだった。雑談の端(はし)っこにいる私の横に来て、おじちゃんが言ったのだ。私は向かいに座った女医さんとともにおじちゃんの言葉に驚く。ここは第一仮設である。双葉地区ではないいわきの人が、どうして東電まで出向いて行くのだ? そして「頭来ている」という。聞けば、東電のいわき営業所に「賠償(ばいしょう)」の手続きに行って受けた「もてなし」のことだった。お茶はもちろんだが、消しゴムやペン、トイレまですべて両脇を固(かた)めたガードマンがサポートしたのだ。そして正面からは社員の質問に答えて書類に記入したという。
「こっちがうそをついてないかって扱(あつか)いよ。ガードマンもさ」
「まるでこっちが犯罪人みてえだ」
と疲れ切ったように怒って、おじちゃんは言った。
私は去年、ようやく販売にこぎつけた広野のお米をどこで買えるのか、これまたようやく再開した広野町役場にたずねたことを思い出した。間違って入った役場のロビーは、東電の「賠償受け付け」の部屋だった。たくさんの衝立(ついたて)で仕切られたコーナーには、それぞれ係員やガードマンがおびただしい数で居並んでいた。
「申し訳ありませんでした」
入り口を入った私に、最初の係が言うのを思い出した。
広野での話をすると、おじちゃんは、そうなんだよその通りだよ、と言うのだった。私はそこで思い出した。おじちゃんはいわきでも久之浜である。何度も言ったが、久之浜はその一部が原発から30キロ圏内である。かつては「警戒区域」だった。それで賠償の対象となるのだ。しかしおかしい。一時金/見舞金として、一度だけ久之浜住民に東電が支払いをしたということはあった。しかし、おじちゃんは今も請求をしている。何が賠償の対象となっているのだ? 傍(かたわ)らでおしゃべりを続けるおばちゃんたちにも、久之浜の人たちはたくさんいる。今までそんな話を聞いたことがない。
2 「心臓疾患(しっかん)」
「どうして東電に賠償の請求に行くんですか」
私は我慢できずに聞く。
「心臓が張るんだよ。水がたまるらしいんだな」
おじちゃんは言った。味噌・醤油配布の時、おじちゃんは軽トラを出してくれる。ここで何度か登場したと思う。大工さんだったおじちゃんが、心臓を悪くして仕事が出来なくなったことも書いたと思う。それはずっと前、あるいは最近のことだと勝手に思っていたのだ。私は聞く。
「いつからですか。つまり、原発の事故のあとってことですか」
そうだった。心臓に違和感が発生したのは、原発の事故あとだったのだ。詳(くわ)しくは聞かなかったが、東電の審査(しんさ)項目の中には、事故のあとの過ごし方や場所もあったはずだ。事故のあと遠くに逃げた奴が病気になったとして、それが放射能のせいだとは言わせないぞ、と東電は対処したはずだ。さっきまで笑っていたお医者さんも、もう笑っていない。おじちゃんはきっと、「いわき市の指示」に従って、久之浜の自宅に「屋内退避(おくないたいひ)」していたのだ。
私はすぐ隣で大きな声でおしゃべりを続けるおばちゃんたちを見てしまう。おばちゃんだって、毎日こんなに薬を飲んでるよ、と両手を器(うつわ)のようにして笑っていた。しかし、
「賠償の対象になる病気とそうでないのがあるんだよな」
とおじちゃんが言う。でも私は、もう驚いた。驚かないわけには行かない。一体どれだけの人がこの事実を知っているのだろう。いやきっと誰も知らない。東電は原発事故のあと、「心臓疾患」になった警戒区域の住民に対し、賠償をしている。おそらく、これらのことについても東電は、
「因果関係は不明」
としていることは間違いない。しかし、このことについて東電は「責任の一端を負(お)って」いる。金額は微々(びび)たるものなのだ。でも、そうなる道筋もひと通りではなかったはずだ。とりあえず、だ。私達は原発事故後の「心臓疾患」を、東電が賠償していることを知らないのだ。
それにしても、メディアも国会も、一体このことをどう伝えているのだ、私は憤る(いきどおる)。そしてまた、あの『美味しんぼ』の鼻血のことを思い出す。
「ねえ、味付け、薄すぎたかな?」
この日、蕗(ふき)、竹の子とわかめの煮物を集会所に持ってきてくれた豊間のおばちゃんが、私達に言った。
☆☆
佐藤和良議員が動いてくれたせいで、足の悪いおばちゃんのところへ、それは親切な職員がたずねてきたそうです。
「連帯保証人の給与証明もいらねえってよ」
と、おばちゃんたちの安堵(あんど)した顔が嬉しいです。
☆☆
いつもの友部サービスエリアです。
真っ赤に染めてあちこちいじってあるヤマハのSR(向こうの黒いマグナが私の愛車)。浜松の若者は、これから大洗のフェリーで北海道へ、と嬉しそうに語りました。私が福島に行くと聞いて、神妙(しんみょう)な顔から、なにか聞きたそうでもありました。気をつけてね、の私の言葉に、ありがとうございます、の返事がすがすがしい。
☆☆
白鵬のことがずいぶん話題になってます。優勝翌日のインタビュー「キャンセル」というものです。その原因があれこれ取り沙汰(とりざた)されていますが、私はどうでもいいと思っています。それより、私は今場所の白鵬が、取り乱しているように見えて仕方がありませんでした。「流れ」よりは「反発する力」がきわだっていて、後味のよくない取り組みが目立ったように思えます。私が白鵬の優勝インタビューを見ずにテレビを消したのは、初めてです。白鵬は稀代の横綱です。今はじっと考えている気がしています。
1 「警戒区域」
「東電の野郎、頭くんだよな」
私の横に腰掛けて、おじちゃんはこう言った。
第一仮設集会所で、私はおばちゃんたちとおしゃべりしていた。この日は月に二回、血圧測定や問診(もんしん)で東京からお医者さんが来る日だった。いつも男のお医者さんと二人組なのだが、この日は女医さんひとりだった。雑談の端(はし)っこにいる私の横に来て、おじちゃんが言ったのだ。私は向かいに座った女医さんとともにおじちゃんの言葉に驚く。ここは第一仮設である。双葉地区ではないいわきの人が、どうして東電まで出向いて行くのだ? そして「頭来ている」という。聞けば、東電のいわき営業所に「賠償(ばいしょう)」の手続きに行って受けた「もてなし」のことだった。お茶はもちろんだが、消しゴムやペン、トイレまですべて両脇を固(かた)めたガードマンがサポートしたのだ。そして正面からは社員の質問に答えて書類に記入したという。
「こっちがうそをついてないかって扱(あつか)いよ。ガードマンもさ」
「まるでこっちが犯罪人みてえだ」
と疲れ切ったように怒って、おじちゃんは言った。
私は去年、ようやく販売にこぎつけた広野のお米をどこで買えるのか、これまたようやく再開した広野町役場にたずねたことを思い出した。間違って入った役場のロビーは、東電の「賠償受け付け」の部屋だった。たくさんの衝立(ついたて)で仕切られたコーナーには、それぞれ係員やガードマンがおびただしい数で居並んでいた。
「申し訳ありませんでした」
入り口を入った私に、最初の係が言うのを思い出した。
広野での話をすると、おじちゃんは、そうなんだよその通りだよ、と言うのだった。私はそこで思い出した。おじちゃんはいわきでも久之浜である。何度も言ったが、久之浜はその一部が原発から30キロ圏内である。かつては「警戒区域」だった。それで賠償の対象となるのだ。しかしおかしい。一時金/見舞金として、一度だけ久之浜住民に東電が支払いをしたということはあった。しかし、おじちゃんは今も請求をしている。何が賠償の対象となっているのだ? 傍(かたわ)らでおしゃべりを続けるおばちゃんたちにも、久之浜の人たちはたくさんいる。今までそんな話を聞いたことがない。
2 「心臓疾患(しっかん)」
「どうして東電に賠償の請求に行くんですか」
私は我慢できずに聞く。
「心臓が張るんだよ。水がたまるらしいんだな」
おじちゃんは言った。味噌・醤油配布の時、おじちゃんは軽トラを出してくれる。ここで何度か登場したと思う。大工さんだったおじちゃんが、心臓を悪くして仕事が出来なくなったことも書いたと思う。それはずっと前、あるいは最近のことだと勝手に思っていたのだ。私は聞く。
「いつからですか。つまり、原発の事故のあとってことですか」
そうだった。心臓に違和感が発生したのは、原発の事故あとだったのだ。詳(くわ)しくは聞かなかったが、東電の審査(しんさ)項目の中には、事故のあとの過ごし方や場所もあったはずだ。事故のあと遠くに逃げた奴が病気になったとして、それが放射能のせいだとは言わせないぞ、と東電は対処したはずだ。さっきまで笑っていたお医者さんも、もう笑っていない。おじちゃんはきっと、「いわき市の指示」に従って、久之浜の自宅に「屋内退避(おくないたいひ)」していたのだ。
私はすぐ隣で大きな声でおしゃべりを続けるおばちゃんたちを見てしまう。おばちゃんだって、毎日こんなに薬を飲んでるよ、と両手を器(うつわ)のようにして笑っていた。しかし、
「賠償の対象になる病気とそうでないのがあるんだよな」
とおじちゃんが言う。でも私は、もう驚いた。驚かないわけには行かない。一体どれだけの人がこの事実を知っているのだろう。いやきっと誰も知らない。東電は原発事故のあと、「心臓疾患」になった警戒区域の住民に対し、賠償をしている。おそらく、これらのことについても東電は、
「因果関係は不明」
としていることは間違いない。しかし、このことについて東電は「責任の一端を負(お)って」いる。金額は微々(びび)たるものなのだ。でも、そうなる道筋もひと通りではなかったはずだ。とりあえず、だ。私達は原発事故後の「心臓疾患」を、東電が賠償していることを知らないのだ。
それにしても、メディアも国会も、一体このことをどう伝えているのだ、私は憤る(いきどおる)。そしてまた、あの『美味しんぼ』の鼻血のことを思い出す。
「ねえ、味付け、薄すぎたかな?」
この日、蕗(ふき)、竹の子とわかめの煮物を集会所に持ってきてくれた豊間のおばちゃんが、私達に言った。
☆☆
佐藤和良議員が動いてくれたせいで、足の悪いおばちゃんのところへ、それは親切な職員がたずねてきたそうです。
「連帯保証人の給与証明もいらねえってよ」
と、おばちゃんたちの安堵(あんど)した顔が嬉しいです。
☆☆
いつもの友部サービスエリアです。
真っ赤に染めてあちこちいじってあるヤマハのSR(向こうの黒いマグナが私の愛車)。浜松の若者は、これから大洗のフェリーで北海道へ、と嬉しそうに語りました。私が福島に行くと聞いて、神妙(しんみょう)な顔から、なにか聞きたそうでもありました。気をつけてね、の私の言葉に、ありがとうございます、の返事がすがすがしい。
☆☆
白鵬のことがずいぶん話題になってます。優勝翌日のインタビュー「キャンセル」というものです。その原因があれこれ取り沙汰(とりざた)されていますが、私はどうでもいいと思っています。それより、私は今場所の白鵬が、取り乱しているように見えて仕方がありませんでした。「流れ」よりは「反発する力」がきわだっていて、後味のよくない取り組みが目立ったように思えます。私が白鵬の優勝インタビューを見ずにテレビを消したのは、初めてです。白鵬は稀代の横綱です。今はじっと考えている気がしています。