『ふなふな船橋』(下)
~「子どもの勲章」~
1 『刑事の勲章』
『陰の季節』の続章『刑事の勲章』見ましたか。月曜だったから、おかげで吉田類の『酒場放浪記』を二週も連続して見れなかったのですが、途中でチャンネルを変えようとも思えなかったので、仕方ないです。
横山秀夫の小説はまったく読んでないのですが、2003年に見た『半落ち』のヒューマンな味を忘れられません。容疑者役の寺尾聡(ホントはこの字じゃないです)が護送される車に、柴田恭平演じる刑事が敬礼をするラストシーンは、今も鮮やかです。
さて、この『刑事の勲章』で、寺田農演じる退職目前の刑事が、
「叙勲(じょくん)なんてもんはいらねえ。オレたち刑事にとっての勲章ってのはな、オレたち刑事の先輩後輩、そいつらの家族、容疑者とその家族とどれだけ関わって来たか、そして関わり続けているかっていうもんなんだ。それが刑事の勲章だ」
というセリフがある。今週の月曜に聞いたものなのだが、ほとんど同じ意味を持つくだりを、私は『ふなふな船橋』で見たと思っている。もちろんこっちの方は、だいぶ前に見つけたものである(以下、「 」内の引用はすべて『ふなふな船橋』からのもの)。まずは、この奇妙な符合といっていい言葉から確認したい。
「私は決して自分を高く見積もってはいない。でも、私は、私でないといやだという、幸子や奈美おばさんに囲まれている。何年かかってもあきらめずに夢に出てきてくれた花子さんや、何年かかっても花子さんを悼(いた)み続ける松本さんを知っている」
物語の終盤に出てくる、この主人公・花の言葉は、言ってみれば「子どもの勲章」という形になっている。しかし、花を取り巻く人たちや現象が、花にとっての勲章だと気づくには、数々の手続きがあった。
2 「しかたない」場所
何冊かしか読んでないが、吉本ばななの話にいつも流れるものは、悲しい/苦しい出来事を、
「仕方がなかった」こととして、
「承認/肯定する」
ことだと思う。『ふなふな船橋』もそうだ。
自分が、
「アリンコくらい小さくっても、梨の妖精みたいに弱そうでも」
必要とされている、必要とする世界が必ずあるというくだりもそこに向かっている。また、そんな自分たちを支えるのは、確かな生活の感触であるというメッセージが、常に物語の底を静かに流れている。今回の『ふなふな船橋』でも、それは姿を見せている。毎日、同じ時間同じようにリビングの床に響く「母」の足音、水道から流れる水の音や身支度(みじたく)の音。すべてがすがすがしくささやかに、あたりを優しく渡っている。同じリズムを繰り返し確認する中で、花は少しずつ心を取り戻していく。
初めから終わりまで涙づくしの話だが、読む側はちっとも涙せず、どうなるのかという興味と、花へのエールを抱いて読み続ける。絶望しないしかけがこの話にはたくさんあるのだった。作者は希望のありかを教えている。
不幸が何度も花を襲うが、涙や友人や風や記憶とのやり取りの中、
「ほんとうのところ、誰も私を責めていない」
ことに、花は気づいてしまう。
私たちが取り返しのつかないことをしたとき、周囲は決まったように、自分を責めてはいけない、と言った。しかしそう言われても、私たちは自分の行き場を見いだせなかったはずだ。あいつが悪いんだと思ったり、せいぜい頑張って「運が悪かった」などいう場所に落ち着こうとした。しかしそういう場所はみんな、着地を拒絶していたように思う。
多分「仕方がなかった」とは、相当な場所である。
「なにかを失ったら、それを別なもので埋めようとせず、ないなりに生きていく」
それが「仕方がなかった」が意味することなのだ。
初めに引用した『刑事の勲章』と対比したくだりは、この物語の最後の部分である。あのあとに、
「こうなんだからしかたない、と彼らの姿は常に能弁に語っていた。『なんのために』とか『どうなるために』がない人たちだった」
と続くのである。こうして花は、
「誰も私を責めていない」
場所へと、しかも自分も責めない場所へと進んでいく。これを「成長」と言い換えていいものか、私には躊躇(ちゅうちょ)がある。とてつもなく高い場所だと思えるからだ。おそらく花はこれからも、
「どうしても消せない子どものままの部分」
「置いてきてしまった子どもの私の気持ち」
と出会うに違いない。そしてじたばたしながら「仕方がなかった」場所に行き着く。しかしその時にはまた、ちっぽけではあっても手放せない、かけがえのないものを手にしている。
頑張るぞ、私もそう思う。
3 「仕方なかった」か?
読者には唐突かも知れないが、『ふなふな船橋』を読んだ私が『刑事の勲章』を見たら、思わず若いときの自分を思い出した。
先生になってまだ数年、私は小学校に勤務していた。
あの時私は、陸上部を担当していた。ある種目の選手を決める時のことだった。一番は断トツだった。二番手は何人か競(せ)っていたのだが、5年生の時からずっと真面目にやって来たある生徒を、胸の内で私は決めていた。しかし突然、横からと言っていいだろう、
「先生、オレにもやらせてください」
と言った男がいた。秋に転校してきたそいつが、さっそく陸上部に入ってきたと思ったら、秋の大会に出たいという発言である。私は自分の気持ちを伝え、オマエを選手にはしない、と言った。しかし、この男は引き下がらず、一度でいいからやらせてくれ、と頼んだ。一度だけの約束だった。男はみんなの目の前で、とてつもない数字を出して見せた。
私の決心が揺らいだ。仮に初めの考え通りにやったとして、あいつ自身が喜ぶだろうか、などという言い訳めいた理屈が働く。そして次の日だったか数日たってだったか、私は選手の発表をする。こんなバカなとか申し訳ないとかいう気持ちばかりが、私の中を走った。
「仕方なかった」
そういう私の逃げ道だった。
卒業間際(まぎわ)、選手から外された生徒が私に、あの選手発表の日のことを話してくれた。家までどうやってたどり着いたかを話してくれた。聞いた私は、「仕方なかった」だと? 都合のいいことを言うな、そう自分に言い聞かせないわけには行かなかった。
あれから40年、自由で楽しく、しかし、生真面目で気遣い(きづかい)のあるそいつは、
「仕方なかった」
場所にいる気がしている。自分にとっての「勲章」が何であるのか、それを見いだしつつ、苦しくも楽しく頑張っているようだ。
頑張るぞ、私もそう思う。
☆☆
ゴールデンウィークですねえ。あんまりはしゃぐわけにも行かないですが、あんまり「自粛」も考えものです。普段頑張ってる自分に、ご褒美あげましょうね。
セブンパークが、柏でオープンしました。知らずに行ったのですが、北原おもちゃミュージアムが入ってた。嬉しい! 店員さんに、
「箱根まで行かなくてもコレクションが見れるなんて」
と、喜びを伝えて来ました。
☆☆
来月から現場に復帰します。思わぬところからチャンスをいただいたと感じてます。毎日(ではないですが)、子どもの姿をじかに見られるのがたまりませんね。せいぜい楽しみたいと思ってます。
~「子どもの勲章」~
1 『刑事の勲章』
『陰の季節』の続章『刑事の勲章』見ましたか。月曜だったから、おかげで吉田類の『酒場放浪記』を二週も連続して見れなかったのですが、途中でチャンネルを変えようとも思えなかったので、仕方ないです。
横山秀夫の小説はまったく読んでないのですが、2003年に見た『半落ち』のヒューマンな味を忘れられません。容疑者役の寺尾聡(ホントはこの字じゃないです)が護送される車に、柴田恭平演じる刑事が敬礼をするラストシーンは、今も鮮やかです。
さて、この『刑事の勲章』で、寺田農演じる退職目前の刑事が、
「叙勲(じょくん)なんてもんはいらねえ。オレたち刑事にとっての勲章ってのはな、オレたち刑事の先輩後輩、そいつらの家族、容疑者とその家族とどれだけ関わって来たか、そして関わり続けているかっていうもんなんだ。それが刑事の勲章だ」
というセリフがある。今週の月曜に聞いたものなのだが、ほとんど同じ意味を持つくだりを、私は『ふなふな船橋』で見たと思っている。もちろんこっちの方は、だいぶ前に見つけたものである(以下、「 」内の引用はすべて『ふなふな船橋』からのもの)。まずは、この奇妙な符合といっていい言葉から確認したい。
「私は決して自分を高く見積もってはいない。でも、私は、私でないといやだという、幸子や奈美おばさんに囲まれている。何年かかってもあきらめずに夢に出てきてくれた花子さんや、何年かかっても花子さんを悼(いた)み続ける松本さんを知っている」
物語の終盤に出てくる、この主人公・花の言葉は、言ってみれば「子どもの勲章」という形になっている。しかし、花を取り巻く人たちや現象が、花にとっての勲章だと気づくには、数々の手続きがあった。
2 「しかたない」場所
何冊かしか読んでないが、吉本ばななの話にいつも流れるものは、悲しい/苦しい出来事を、
「仕方がなかった」こととして、
「承認/肯定する」
ことだと思う。『ふなふな船橋』もそうだ。
自分が、
「アリンコくらい小さくっても、梨の妖精みたいに弱そうでも」
必要とされている、必要とする世界が必ずあるというくだりもそこに向かっている。また、そんな自分たちを支えるのは、確かな生活の感触であるというメッセージが、常に物語の底を静かに流れている。今回の『ふなふな船橋』でも、それは姿を見せている。毎日、同じ時間同じようにリビングの床に響く「母」の足音、水道から流れる水の音や身支度(みじたく)の音。すべてがすがすがしくささやかに、あたりを優しく渡っている。同じリズムを繰り返し確認する中で、花は少しずつ心を取り戻していく。
初めから終わりまで涙づくしの話だが、読む側はちっとも涙せず、どうなるのかという興味と、花へのエールを抱いて読み続ける。絶望しないしかけがこの話にはたくさんあるのだった。作者は希望のありかを教えている。
不幸が何度も花を襲うが、涙や友人や風や記憶とのやり取りの中、
「ほんとうのところ、誰も私を責めていない」
ことに、花は気づいてしまう。
私たちが取り返しのつかないことをしたとき、周囲は決まったように、自分を責めてはいけない、と言った。しかしそう言われても、私たちは自分の行き場を見いだせなかったはずだ。あいつが悪いんだと思ったり、せいぜい頑張って「運が悪かった」などいう場所に落ち着こうとした。しかしそういう場所はみんな、着地を拒絶していたように思う。
多分「仕方がなかった」とは、相当な場所である。
「なにかを失ったら、それを別なもので埋めようとせず、ないなりに生きていく」
それが「仕方がなかった」が意味することなのだ。
初めに引用した『刑事の勲章』と対比したくだりは、この物語の最後の部分である。あのあとに、
「こうなんだからしかたない、と彼らの姿は常に能弁に語っていた。『なんのために』とか『どうなるために』がない人たちだった」
と続くのである。こうして花は、
「誰も私を責めていない」
場所へと、しかも自分も責めない場所へと進んでいく。これを「成長」と言い換えていいものか、私には躊躇(ちゅうちょ)がある。とてつもなく高い場所だと思えるからだ。おそらく花はこれからも、
「どうしても消せない子どものままの部分」
「置いてきてしまった子どもの私の気持ち」
と出会うに違いない。そしてじたばたしながら「仕方がなかった」場所に行き着く。しかしその時にはまた、ちっぽけではあっても手放せない、かけがえのないものを手にしている。
頑張るぞ、私もそう思う。
3 「仕方なかった」か?
読者には唐突かも知れないが、『ふなふな船橋』を読んだ私が『刑事の勲章』を見たら、思わず若いときの自分を思い出した。
先生になってまだ数年、私は小学校に勤務していた。
あの時私は、陸上部を担当していた。ある種目の選手を決める時のことだった。一番は断トツだった。二番手は何人か競(せ)っていたのだが、5年生の時からずっと真面目にやって来たある生徒を、胸の内で私は決めていた。しかし突然、横からと言っていいだろう、
「先生、オレにもやらせてください」
と言った男がいた。秋に転校してきたそいつが、さっそく陸上部に入ってきたと思ったら、秋の大会に出たいという発言である。私は自分の気持ちを伝え、オマエを選手にはしない、と言った。しかし、この男は引き下がらず、一度でいいからやらせてくれ、と頼んだ。一度だけの約束だった。男はみんなの目の前で、とてつもない数字を出して見せた。
私の決心が揺らいだ。仮に初めの考え通りにやったとして、あいつ自身が喜ぶだろうか、などという言い訳めいた理屈が働く。そして次の日だったか数日たってだったか、私は選手の発表をする。こんなバカなとか申し訳ないとかいう気持ちばかりが、私の中を走った。
「仕方なかった」
そういう私の逃げ道だった。
卒業間際(まぎわ)、選手から外された生徒が私に、あの選手発表の日のことを話してくれた。家までどうやってたどり着いたかを話してくれた。聞いた私は、「仕方なかった」だと? 都合のいいことを言うな、そう自分に言い聞かせないわけには行かなかった。
あれから40年、自由で楽しく、しかし、生真面目で気遣い(きづかい)のあるそいつは、
「仕方なかった」
場所にいる気がしている。自分にとっての「勲章」が何であるのか、それを見いだしつつ、苦しくも楽しく頑張っているようだ。
頑張るぞ、私もそう思う。
☆☆
ゴールデンウィークですねえ。あんまりはしゃぐわけにも行かないですが、あんまり「自粛」も考えものです。普段頑張ってる自分に、ご褒美あげましょうね。
セブンパークが、柏でオープンしました。知らずに行ったのですが、北原おもちゃミュージアムが入ってた。嬉しい! 店員さんに、
「箱根まで行かなくてもコレクションが見れるなんて」
と、喜びを伝えて来ました。
☆☆
来月から現場に復帰します。思わぬところからチャンスをいただいたと感じてます。毎日(ではないですが)、子どもの姿をじかに見られるのがたまりませんね。せいぜい楽しみたいと思ってます。