~選挙/復興~
1 選挙-海水汚染
「ニイダヤ水産」加工工場は、怒りが渦巻(うずま)いていた。
「五月には分かっでだごどだろうが」
「いや、きっともっと早くがら分がっでだんだ」
「それがぁなんだぁ、選挙の次の日に発表だもんな」
言わずと知れた第一原発からの汚染水が海に流出していた問題のことだ。22日付の『福島民報』によれば、潮位(ちょうい)や水位の変化のデータは各担当部署(かくたんとうぶしょ)が管理していたため、
「社内の情報共有が不十分だった」
という東電福島広報部の発表だ。21日に分かったことだが、発表が一日遅れたのは
「国や県、漁協への通報を優先したため」
としている。26日、まるで後出しジャンケンのように、広瀬社長は、
「漁業の風評被害を心配して公表に消極的になり、判断が遅れた」
と、これはもう原発の広報活動の常套手段(じょうとうしゅだん)とあいなった「ちょっとずつ」方式をとっている。
21日とはむろん参議院選挙投票日だ。この21日に全国ネットで流されたら、少なくとも福島県の投票には影響があった。この事実に触れたメディアはどれぐらいあったのだろう。私はあまりみてない気がする。福島県の漁業は壊滅的打撃(かいめつてきだげき)を被っていることは、何度繰り返してもいい。「ニイダヤ」だってもちろん海産物加工をしている。なめたらアカン。
「それになんだ、四倉の海水浴場の海開きは選挙前だもんなぁ」
「これを逆に出来るかよ」
つまり、海への汚染水流出を選挙前にやって、海開きを選挙のあとに、という意味だ。出来るわけがない。汚染水流出の発表が15日の海の日の前だったら、海開きをしただろうか。「セシウムが検出されなかった海での海開き」という見出しと写真に、多くの人が喜びを感じたはずだ。
「誰が、きったねえ海で泳ぐって」
いわきでの海開きのニュースは、実に全国あちこちの局や新聞で報道された。私もこのニュースを見て、素直(すなお)に良かった、と思ったものだ。何せ、四倉から30キロ余りを北上すれば第一原発なのだ。泳ぐ人はいる。このブログで報告したこともあるが、厳寒(げんかん)の豊間の海で泳ぐサーファーのことを覚えているだろうか。しかし、近隣はもちろん、事故以前はここまで来ていた首都圏の家族が、わざわざ海水汚染を知らされたいわきの海まで泳ぎに来るだろうか。
漁業の復興(ふっこう)も近いのかも知れないと、そんな祈(いの)りにも似た気持ちで、福島の漁協は「9月試験操業(そうぎょう)」を目指していた。このニュース直後、漁協は軒並み(のきなみ)試験操業反対に転じた。この場合の「反対」は「断念(だんねん)」という意味だ。おそらく地元福島の人しか関心がないと思うが、試験操業とは、福島県の近海での漁業のことだ。相馬や小名浜など、いくつかの漁港で魚の陸揚(りくあ)げは始まっているが、それは遠い海からのご帰還(きかん)だ。それでも、福島で水揚げされたという理由で、築地(つきじ)を始め、市場では敬遠(けいえん)されるか、とんでもない低価格で取引されていることは、ニュースで知っていると思う。
その福島の近海で操業をするということを漁師(りょうし)は、夢見ていた。もちろん魚種は限られている。
「水ダコ、イカ、毛蟹(けがに)もいいっつうんだな」
「あとなんだっけ。メヒカリと…アワビもいいらしい」
「でも、ウニはだめだっつうんだな」
「ニイダヤ」は水産でも、あくまで加工部門のせいでなのか、その辺りの記憶や知識が不確かなようだ。ちなみにニイダヤのサンマは北海道。サバは新潟だ。もとは地元ですべてやりくりしていた。
骨がセシウムを吸収するから、タコや蟹は大丈夫みたいね、と私が言うと、ならアワビが良くてウニがだめだっつうのは、と議論(ぎろん)はえんえんと続いた。
2 選挙後の福島で
首相が選挙公示当日に、福島市での第一声で
「自民党は原発の安全神話に寄り掛かり、原発政策を推進したことを反省しなければならない」
と言った。もちろんだが、そのあとで
「責任ある立場として今原発ゼロとは言えない」
と付け加えている。法的には第一原発の5、6号機、そして第二原発の1~4号機を再稼働することは、可能だ。少子化担当相で福島から再選された森雅子は、
「再稼働は新規制基準の審査を受け、地元の理解を得なければならない」
との判断だ。前にここで言った、自民党中央と福島自民県連との「ねじれ」を意識した発言となっている。
「地域や業種によってまだら模様(もよう)はあるが、一部海外需要(じゅよう)の改善や復興需要を背景(はいけい)に、全体としては持ち直しているとみている」
という発言は、この22日、福島市で開かれた県金融経済懇談会(きんゆうけいざいこんだんかい)に出席した日銀政策委員会メンバーの発言である。この「まだら」に、最悪の模様を描いているのは、福島の場合、言うに及ばず、漁業・農林水産業だ。壊滅的(かいめつてき)な打撃(だげき)を受けている彼らが聞いたらどう思うか、考えたらいえないはずの言葉だ。
3 今は言えないが
実は「ニイダヤ」での議論の続きで、少しばかり放置出来ないものがあった。社長の家が全壊(ぜんかい)したことは前にも言ったが、そこでなんとか住み続けていた社長は、どうやら取り壊す(とりこわす)気持ちを固めた。
「仮設住宅に移ろうと思うんだ」
ということなのだ。だったら急いだ方がいいよ、春には閉鎖(へいさ)だから、あくまで予定だけどね、と私が言う。空きはあるはずだし、と付け加える。
ここから妙(みょう)に話が盛り上がる。
「(電気製品)六点セットももらえるし」
「仮設ならコトヨリさんが支援してくれるし」
と、社長や社員の顔がほころんでいる。この「電気製品」を覚えていると思うが、赤十字が義援金(ぎえんきん)として寄せられたお金の使い道として、2011年の秋にやっとこさ出した方針だ。
六点でなく、五点だよと訂正したり、持っている人はもらえないよ、と私は言ったのだが、もう止まらない。たくさんもらって横流しだよ、やってる奴いたもんな、などと見苦しい。私が避難所でみていた限りでは、そんな空間的余裕はなかった。そんなもの、たった二間の借り上げアパートや仮設住宅に移ったところで、どこに置けばいいのか、ということだ。そして、余分な分をどこかに売りさばくような気持ちのゆとりを持っているひとなどいたのだろうか、と思えたことだ。当時も今もだ。今でこそそんな笑い話に出来るのかも知れないが、ちっと節操(せっそう)がないよ、とみんなを戒めた(いましめた)私だった。
もっとはっきり言うべきだったのだが、相手は被災者なのだ。私の心に、当然のことだがブレーキがかかる。
☆☆
「袖無しなんかで寒ぐねえのげ。わだすなんて、三枚着ででも暑ぐねえんだ」
そう言って私を心配してくれる第一仮設のおばちゃんたちです。いや、確かにいわきは寒かった。梅雨明けはもう少し先みたいです。
堤防(ていぼう)も家も、みんな吹き飛ばされた久之浜で、奇跡的に残ったお稲荷さん、どうやら現在地での保存が決まったようです。嬉しいニュースです。
☆☆
宮崎駿監督『風立ちぬ』、見てきました。映像、やはり素敵ですねえ。雲が交叉する空の雄大さ、変わらぬ姿を見た気がします。でも登場人物に入れ込んで見ると、私は「男の身勝手」、そして「女の健気さ(けなげさ)」が見えてしまってダメでした。自分のことを見ているようで(いやもちろん、私はあんなに秀(ひい)でたひとではないですよ)、なんか抵抗(ていこう)がありました。
それにしても、科学の「自然成長性」と、それが「歴史の中で果たす役割」との距離を鮮(あざ)やかに表したものだなあ、と感心しきりです。