実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

選挙  実戦教師塾通信三百一号

2013-07-27 16:12:56 | 福島からの報告
 福島の声

    ~選挙/復興~


 1 選挙-海水汚染


 「ニイダヤ水産」加工工場は、怒りが渦巻(うずま)いていた。
「五月には分かっでだごどだろうが」
「いや、きっともっと早くがら分がっでだんだ」
「それがぁなんだぁ、選挙の次の日に発表だもんな」
言わずと知れた第一原発からの汚染水が海に流出していた問題のことだ。22日付の『福島民報』によれば、潮位(ちょうい)や水位の変化のデータは各担当部署(かくたんとうぶしょ)が管理していたため、
「社内の情報共有が不十分だった」
という東電福島広報部の発表だ。21日に分かったことだが、発表が一日遅れたのは
「国や県、漁協への通報を優先したため」
としている。26日、まるで後出しジャンケンのように、広瀬社長は、
「漁業の風評被害を心配して公表に消極的になり、判断が遅れた」
と、これはもう原発の広報活動の常套手段(じょうとうしゅだん)とあいなった「ちょっとずつ」方式をとっている。
 21日とはむろん参議院選挙投票日だ。この21日に全国ネットで流されたら、少なくとも福島県の投票には影響があった。この事実に触れたメディアはどれぐらいあったのだろう。私はあまりみてない気がする。福島県の漁業は壊滅的打撃(かいめつてきだげき)を被っていることは、何度繰り返してもいい。「ニイダヤ」だってもちろん海産物加工をしている。なめたらアカン。
「それになんだ、四倉の海水浴場の海開きは選挙前だもんなぁ」
「これを逆に出来るかよ」
つまり、海への汚染水流出を選挙前にやって、海開きを選挙のあとに、という意味だ。出来るわけがない。汚染水流出の発表が15日の海の日の前だったら、海開きをしただろうか。「セシウムが検出されなかった海での海開き」という見出しと写真に、多くの人が喜びを感じたはずだ。
「誰が、きったねえ海で泳ぐって」
いわきでの海開きのニュースは、実に全国あちこちの局や新聞で報道された。私もこのニュースを見て、素直(すなお)に良かった、と思ったものだ。何せ、四倉から30キロ余りを北上すれば第一原発なのだ。泳ぐ人はいる。このブログで報告したこともあるが、厳寒(げんかん)の豊間の海で泳ぐサーファーのことを覚えているだろうか。しかし、近隣はもちろん、事故以前はここまで来ていた首都圏の家族が、わざわざ海水汚染を知らされたいわきの海まで泳ぎに来るだろうか。
 漁業の復興(ふっこう)も近いのかも知れないと、そんな祈(いの)りにも似た気持ちで、福島の漁協は「9月試験操業(そうぎょう)」を目指していた。このニュース直後、漁協は軒並み(のきなみ)試験操業反対に転じた。この場合の「反対」は「断念(だんねん)」という意味だ。おそらく地元福島の人しか関心がないと思うが、試験操業とは、福島県の近海での漁業のことだ。相馬や小名浜など、いくつかの漁港で魚の陸揚(りくあ)げは始まっているが、それは遠い海からのご帰還(きかん)だ。それでも、福島で水揚げされたという理由で、築地(つきじ)を始め、市場では敬遠(けいえん)されるか、とんでもない低価格で取引されていることは、ニュースで知っていると思う。
 その福島の近海で操業をするということを漁師(りょうし)は、夢見ていた。もちろん魚種は限られている。
「水ダコ、イカ、毛蟹(けがに)もいいっつうんだな」
「あとなんだっけ。メヒカリと…アワビもいいらしい」
「でも、ウニはだめだっつうんだな」
「ニイダヤ」は水産でも、あくまで加工部門のせいでなのか、その辺りの記憶や知識が不確かなようだ。ちなみにニイダヤのサンマは北海道。サバは新潟だ。もとは地元ですべてやりくりしていた。
 骨がセシウムを吸収するから、タコや蟹は大丈夫みたいね、と私が言うと、ならアワビが良くてウニがだめだっつうのは、と議論(ぎろん)はえんえんと続いた。


 2 選挙後の福島で

 首相が選挙公示当日に、福島市での第一声で
「自民党は原発の安全神話に寄り掛かり、原発政策を推進したことを反省しなければならない」
と言った。もちろんだが、そのあとで
「責任ある立場として今原発ゼロとは言えない」
と付け加えている。法的には第一原発の5、6号機、そして第二原発の1~4号機を再稼働することは、可能だ。少子化担当相で福島から再選された森雅子は、
「再稼働は新規制基準の審査を受け、地元の理解を得なければならない」
との判断だ。前にここで言った、自民党中央と福島自民県連との「ねじれ」を意識した発言となっている。
「地域や業種によってまだら模様(もよう)はあるが、一部海外需要(じゅよう)の改善や復興需要を背景(はいけい)に、全体としては持ち直しているとみている」
という発言は、この22日、福島市で開かれた県金融経済懇談会(きんゆうけいざいこんだんかい)に出席した日銀政策委員会メンバーの発言である。この「まだら」に、最悪の模様を描いているのは、福島の場合、言うに及ばず、漁業・農林水産業だ。壊滅的(かいめつてき)な打撃(だげき)を受けている彼らが聞いたらどう思うか、考えたらいえないはずの言葉だ。


 3 今は言えないが

 実は「ニイダヤ」での議論の続きで、少しばかり放置出来ないものがあった。社長の家が全壊(ぜんかい)したことは前にも言ったが、そこでなんとか住み続けていた社長は、どうやら取り壊す(とりこわす)気持ちを固めた。
「仮設住宅に移ろうと思うんだ」
ということなのだ。だったら急いだ方がいいよ、春には閉鎖(へいさ)だから、あくまで予定だけどね、と私が言う。空きはあるはずだし、と付け加える。
 ここから妙(みょう)に話が盛り上がる。
「(電気製品)六点セットももらえるし」
「仮設ならコトヨリさんが支援してくれるし」
と、社長や社員の顔がほころんでいる。この「電気製品」を覚えていると思うが、赤十字が義援金(ぎえんきん)として寄せられたお金の使い道として、2011年の秋にやっとこさ出した方針だ。
 六点でなく、五点だよと訂正したり、持っている人はもらえないよ、と私は言ったのだが、もう止まらない。たくさんもらって横流しだよ、やってる奴いたもんな、などと見苦しい。私が避難所でみていた限りでは、そんな空間的余裕はなかった。そんなもの、たった二間の借り上げアパートや仮設住宅に移ったところで、どこに置けばいいのか、ということだ。そして、余分な分をどこかに売りさばくような気持ちのゆとりを持っているひとなどいたのだろうか、と思えたことだ。当時も今もだ。今でこそそんな笑い話に出来るのかも知れないが、ちっと節操(せっそう)がないよ、とみんなを戒めた(いましめた)私だった。
 もっとはっきり言うべきだったのだが、相手は被災者なのだ。私の心に、当然のことだがブレーキがかかる。


 ☆☆
「袖無しなんかで寒ぐねえのげ。わだすなんて、三枚着ででも暑ぐねえんだ」
そう言って私を心配してくれる第一仮設のおばちゃんたちです。いや、確かにいわきは寒かった。梅雨明けはもう少し先みたいです。
 堤防(ていぼう)も家も、みんな吹き飛ばされた久之浜で、奇跡的に残ったお稲荷さん、どうやら現在地での保存が決まったようです。嬉しいニュースです。

 ☆☆
宮崎駿監督『風立ちぬ』、見てきました。映像、やはり素敵ですねえ。雲が交叉する空の雄大さ、変わらぬ姿を見た気がします。でも登場人物に入れ込んで見ると、私は「男の身勝手」、そして「女の健気さ(けなげさ)」が見えてしまってダメでした。自分のことを見ているようで(いやもちろん、私はあんなに秀(ひい)でたひとではないですよ)、なんか抵抗(ていこう)がありました。
それにしても、科学の「自然成長性」と、それが「歴史の中で果たす役割」との距離を鮮(あざ)やかに表したものだなあ、と感心しきりです。

繰り返される現実  実戦教師塾通信三百号

2013-07-22 12:07:36 | 子ども/学校
 教師の善意/親の愛

    ~補記④続「いじめ解決の困難な道のり」~


 1 検察「無罪」求刑


 あちこちのニュースで見たと思う。非常に面白い。東京国分寺市の68歳の男性が道路交通法で捕まったというものだ。ご存知と思うが、簡単に紹介しよう。この男性は、

原動機付き自転車(通称「原チャリ」。排気量50㏄以下のバイク)の免許しか持っていなかった。しかし、その規定を越えるバイクのナンバーをつけてバイクに乗っていた。ナンバープレートは原付がつける白ではなく、黄色だった。つまり、この男性にとっては「無免許運転」にあたる。捕(つか)まった後、昨年10月に罰金(ばっきん)の略式命令がおりていた。しかし、男性はこれを不服として、正式な裁判で争(あらそ)った。弁護側がこのバイクのエンジンの排気量を測ったところ、それは48㏄であったため、検察側が「無罪」を「求刑」した。今月12日のことだ。

というものだ。男性がナンバープレートを偽造(ぎぞう)したことは紛(まぎ)れもないことなのだが、道路交通法違反(無免許)ではないわけだ。検察の、おそらく苦渋(くじゅう)の「無罪求刑」が面白い。この男性が言うには、バイクが50㏄以下だと制限速度が毎時30キロであることが、この偽造のきっかけだという。確かに闇(やみ)に乗じたパトカーが、たかだか時速40キロしか出してないバイクの後から
「こらこら待ちなさい。あなたのバイク、スピードだし過ぎよ」
と言って、いきなり赤色灯(せきしょくとう)をファンファン回す、というのを聞いたことがある。
 さて、それは前置きだ。この男性が「無免許運転は不当だ」なる裁判を、一体どのような動機/理由で始めたのか、私たちは不可解ゆえに気になったように思う。その理由はきっと、
「きちんとした理由の処分ではないから」
というものではない。多分、
「無免許運転による免許取消」
がいやだったと思われる。まぁニュースでは、罰金の命令となっているので、その辺りのことは分からないのだが。それにしても、警察とご本人の間でこんなやりとりがあったことは容易(ようい)に想像出来る。
「免許を見せてください…あなた、無免許運転ですよ」
『どうしてですか?』
「だって、これ原付バイクじゃないですよね」
『いや、ナンバープレートは黄色(50㏄以上)なんだけど、実は原付なんですよ』
「なに言ってんですか。意味プーですよ、いい年して」
『だから改造したのはナンバーだけで、エンジンは変えてないんだ』
「違法行為(いほうこうい)をしたのは間違いないんだね?」
『でも、私は無免許運転じゃない』
普通だったら「まずいことをしたのは確かだし」と、警察にゴメンナサイするのだが、この人はしなかった。このこだわり方に、私たちは惹(ひ)かれている気がする。


 2 繰り返される現実

 一方、こちらの「こだわり」に、私たちは不愉快(ふゆかい)を覚えるはずだ。
 奈良県橿原(かしはら)市の中一女子が、今年の三月に自殺している。いじめによる自殺だと家族が知ったのは事件後のことで、複数の本人の友人たちが教えてくれて判明したという。事件後に行ったアンケートの開示を学校・市教委は拒否している。また、遺族(いぞく)が要求した第三者による調査委員会の設置も市教委は拒否。その理由が、
「いじめ防止対策推進法(この6月に成立)に規定がないから」
というものだ。少し言うと、この「いじめ防止対策推進法(以下「いじめ法案」と表記)」、たいした法律ではない。繰り返される暴力には警察の介入もあるとか、加害者を出席停止処分にするとか、今までの少年法/学校教育法の範囲内で納まるとしか私には思えないものだ。
 さて、遺族と学校/市教委の間でどんなやりとりがされたか考えてみよう。
「娘の自殺がどんな背景があったのか知りたい」
『アンケート調査を私たちは実施しました』
「その結果を開示してください」
『いや、できません』
「それなしに、原因や背景が分かるわけがない。だったら調査委員会をたちあげて欲しい」
『いや、「いじめ法案」では、その必要が充分に認められる場合とあるので、出来ません』
「娘は死んでいる。充分にその必要がある」
『アンケートの結果、その関連は認められない』
この「関連は認められない」という発言があったかどうか分からない。しかし、この発言がなければ「委員会設置」か、遺族への誠実な対応はあったはずだ。だから遺族は食い下がったと思われる。
「じゃ、そのアンケートの結果を開示してください」
『それは出来ません』
学校/市教委は、こともあろうに「いじめ法案」をバックに「第三者委員会設置」を拒絶したのだ。この「こだわり」を文科省が許さなかった。
「ご遺族の気持ちに寄り添って、第三者委員会を設置すべき」
であるとし、アンケートの開示についても
「遺族の心情をおもんばかった対応をすべき」
であるとした。
 ついでに記憶にとどめないといけない。この橿原(かしはら)市の教育長、遺族の要望に対して、
「望むところだ」
と言ってる。分かりましたそうしましょう、と言ったのではない。裁判をやろうってんなら、こっちは充分な材料を持ってます、やったろうじゃないか、と鼻の穴膨(ふく)らましたのである。
 しかし、残された遺族が大変なのはこれからだ。「いじめ解決への道のりの困難さ」とは、以前も書いたが、ここだ。
 この事件に、無料通信アプリLINEが絡(から)んでいる。知っていると思うが、このLINE登録者の情報は、登録者ならば不特定に開示される。このLINE上で本人が母親に殴(なぐ)られているようなやりとりがあったという。これで家庭での虐待(ぎゃくたい)ではないか、といううわさが出回った。おそらく、教育長が鼻の穴膨らませ、
「望むところだ」
と言ったのも、この辺りの事情があるのだろう。また、生徒が自殺して三カ月あまりが過ぎた7月に遺族が会見したのも、こういった複雑な事情があってのことと推察(すいさつ)できる。遺族がいじめを「知らなかった」ことが問われることも避(さ)けられない。越(こ)えないといけないハードルは多いようだ。そこには厳(きび)しい試練(しれん)が待っている。
 学校でのいじめと生徒の自殺の関連を、学校側は認めない。そのことが意味するものは、いじめはあったとしても、
「たいしたことではなかった」
とすることだ。それを遺族が、
「重大な出来事だった(出来事があった)」
と取り上げることがつらくないはずがない。例えば仮定であるが、遺族はこんなふうに例を挙(あ)げると思う。
○何月何日、服が破れて帰って来た
○遺品(ノート)に、無視されてつらいと書かれていた
○周囲(友だちや保護者)から、仲間外れや「臭い」と言われてると聞いた
○メールに「学校に来るな」とあった
しかし、ここに反論が用意される。
◎服が破れたことと、いじめの関連が分からない
◎無視といっても、どんなことがあったのか、ケンカかも知れない
◎一体だれから聞いた、どのような発言なのか
◎「来るな」と言われたとしても、本人は学校に来ていた
すべては傷口(きずぐち)をえぐりだすような展開となる。分かるだろうか。子ども/生徒の安全/安心や、何より「愛し/育てる」立場からだったら、これらの疑義(ぎぎ)に対して、普通
「そうだったのかも知れない」
となるはずだ。しかし、学校というものは、ことが大事(おおごと)になればなるほど、
「そうとは限らない」
という「冷静/客観的」な不誠実さで対応する。この子は亡くなってしまったが、生きている時の展開でもことは同じだ。本人の主張に対して、加害側は「いじめだという根拠(こんきょ)」を迫(せま)る。
「証拠(しょうこ)はなんだ」
というわけだ。本人は「生きている」のだ。そのつらさを学校に証明するのは、本人の口だ。つらかったこと、つらいことを本人が言うしかない。すると追い打ちがかかる。
「そんなにつらいのか(それくらいみんな我慢(がまん)してる」
「ふざけただけだ」
これを「生き地獄」と称(しょう)しないでなんと言う。
 よくないことには、この事件の場合、クラスの友人から知らされて初めて、遺族はいじめの事実を知ったことだ。学校が、
「どうして早い段階で学校に連絡しなかったのか」
と主張するのは見えている気がする。遺族が
「いや、連絡して欲しかったのはこちらの方だ」
という叫びになるのが悲しい。
 それにしても、と思う。館山の事件の時も言ったが、私はいじめと自殺の関連よりも、いじめがあった事実と、それに伴(ともな)ったつらい気持ちを、きちんと学校に受け止めさせることが大切だと思える。でもそれがないもので、遺族は
「自殺したのは学校のせいだ」
となるのだろう。しかし、論点がずれていく。
 そしてやはり残念だが、遺族は故人(子ども)から置き去りにされた悲しみをきちんと受け止めないといけないのではないかと思う。この子は家族を見捨てたのではない。家族を頼(たよ)りにできなかったのだ。


 ☆☆
やはり自民圧勝でしたね。原発は「ハッケヨイ」再稼働、平和憲法は「残った」というところでしょうか。でも要するに、国民は政党政治に対して「ノー」というのが一番だった気がします。やれることをやっていくしかありませんね。明日からまた福島に行ってきます。

 ☆☆
昨日は白鵬も選挙も、いい日じゃなかった。白鵬はこれから巡業(じゅんぎょう)がたくさん待ち受けてます。治療(ちりょう)に専念できればいいがと案じてます。連勝が途切れたあとのコメント。
「いい夢を見させてもらいました」
という大横綱は、やっぱり素敵です。大怪我(おおけが)でないことを願ってます。

 ☆☆
夏ドラ見てますか。私はふたつ、どちらもTBSの『名もなき毒』(月曜)と『なるようになるさ』(金曜)です。でも、この『なるように…』は、二回目にしてもうみる気を失いつつあるんです。初回のミステリアスな展開は少し期待したんですが…やっぱり古い。浅野温子のセリフが脚本家(橋田寿賀子)の主張を代弁しています。
「大人が子どもの気持ちを分かってやりさえすれば」
という視点です。やっぱり「主張」になる。この人たち(倉本聰や山田洋次)が分かっていないのは、今の子どもたちの絶望が「茫洋(ぼうよう)」としていることであって、多くが、望みのない状態にそれほどの飢餓感(きがかん)や怒りを感じてないことです。そんなはずはない、というドラマの展開はやはりいただけません。
舘ひろしのまったりとした優しさだけが、まだ見ようかな、という気持ちにさせています。

根拠/拠り所  実戦教師塾通信二百九十九号

2013-07-18 11:27:16 | 子ども/学校
 教師の善意/親の愛

     ~補記③「いじめ解決の困難な道のり」~


 1 二つのケース


 若者の殺人・自殺が相次いでいる。「誰でもよかった」(埼玉県)、または「わいせつ目的」(茨城県)と、取りつく島がない中、相変わらずと言っていられない対応が見られるのがいじめ事件だ。何度か言ってきたが、報道の問題点もこの回で触れておく。その問題点とは、「被害生徒」に対する姿勢が、原発事故の被災者に対する「腫れ物(はれもの)にさわる」かのような姿勢と似ているような気がすることだ。

①アンケート書き換え
 今月初旬、栃木県栃木市の小学校で行われたいじめアンケート調査で、三年生の担任が、児童の「いじめられたことがある」とした回答に、
「いじめじゃなかったよね」
と指導し、書き換えた(7月10日)。

②名古屋市中学校「転落死」
 当初は「マンションから転落」とされた名古屋の中学男子生徒の事件である。16日のニュースで、全校アンケートの結果に、自殺生徒が「死ね」と言われているのを聞いたことがある、あるいは「殴(なぐ)られている」のを見たことがあるという21件の回答があった、という市教委の会見があった。「そんなに簡単には死ねない」という担任の発言もあったという。ご存知の通り、三日前のニュースでは「新聞の取材」に、複数の生徒が「担任は自殺をあおるような発言をした」とあり、それに対して「やれるならやってみろ、という発言は一切していない」という担任の反論、とある。

 まず初めに、このいじめ問題の面倒(めんどう)なところは、二つのケースのように、
「『言ったかどうか、したかどうか』は核心ではない」
にも関わらず、
「『言ったかどうか、したかどうか』がめやすになってしまう」
ことだ。例えば、今日びの中学生にとって「死ね」は、あいさつのようなものだ。それらが、大人(社会)が言うような「決して言ってはいけない」意味で流通しているわけではない。それらの「死ね」をいくつかを通訳すれば、
「うるせえよ」「ほっといてくれよ」
「黙れ」「オメエは関係ねえ」
に始まり、
「分かったよ」「悪いのはオレだし」
とか穏健(おんけん)種もあるし、にこやかに
「頑張れよ」「じゃあな」
という、信じられないような使われ方もある。すべて「死ね」が使われる。こういう話を聞いて、そういうことならそういう風に言わせないといけない、という人たちには、子どもたちの姿は絶対見えて来ない。この人たちが、子どもたちに「死ね」と言われることは間違いない。この類の面倒を、名古屋の事件は抱えているように思う。付け加えれば「殴(なぐ)る」「蹴(け)る」も同じだ。その事実だけではなんとも判断がつかない。
 さて、それをおいても、①の担任によるアンケート書き換えは少しばかりおかしい。小学校三年の段階で「いじめかどうか」の判断は、確かに少し困難を伴うこともある。記入にあたっては、おそらく事前に、
「不愉快なことだった」か「仕方がなかったことだった」か
が違うことを、担任は指導したと思う。だから、その後の記入結果については、もうそれこそ
「仕方がない」
はずだ。さて、新聞記事の内容が事実である、という前提で話を進めよう。新聞(東京)によれば、「いじめられている(またはそれを見た)」と回答した児童7人を「推定した」担任が呼び出した。「推定」が意味するのは、アンケートが「無記名」だったということだ。それで7名が「多分これを書いたのはあなたたちね」と、担任から呼び出された。その後、この担任が「指導」して、2名に「いいえ」を担任自身が書き加えた、とある。この7名、あるいはこの子たちの周辺で、担任に対しての不安・不満が生じた。だから「保護者からの訴(うった)え」が生まれた。結局、子どもたちが初めに書いた回答「はい」を学校側が認めるのだが、こんないきさつもおかしい。担任と保護者(児童)の間に学校が入らないといけなくなった、ということだ。こじれたのだ。どちらも折れなかった。この場合、保護者が
「先生もこんなにこだわらなくてもいいのにね」
と、書き換えのことを笑ってすまさなかった、と考えた方がいい。担任と児童が良好な関係だったら発生しなかった問題と思える。担任が
「『言ったかどうか、したかどうか』がめやすになる」
ことを恐(おそ)れて行ったフライングと思える。
 一方、名古屋の事件は異例な展開を見せている。これも新聞の報道が事実と考えて進める。
 まず一つ目は、市教委とともに担任が記者会見をしている。通常考えられない。というか、記憶にない。あったとすれば、大阪桜宮高校の顧問(こもん)の言い訳ばかりの会見。それは事件のず~っとずっとあとだった。普通は担任(または顧問)の「出る幕ではない」。名古屋の担任は、頑強(がんきょう)に出席を主張したと思われる。こういう時の冷静さを保つ困難さもあるし、で「最終責任者」たる校長や市教委で会見はされる。しかし、担任は出席した。そして、二つ目の異例が始まる。その席上で
「悲しい・悔(くや)しい」
と、担任が言ったことだ。今までこんなことがあっただろうか。こんな当たり前のことを会見で言ったのを見たことがない。もしかしたら、今までは、記事や録画の編集で削(けず)っていたのだろうか。やはり私はそう思えない。数々の画面からは、
「厄介(やっかい)なことになった」
というエライさんの苦(にが)り切った顔しか、私には伝わって来なかった。仲間の話では、会見での校長の顔(表情)がよくなかったという。その場しのぎの言葉を校長は言ったのだろうか。それは今後明らかになるにしても、この
「悲しい」
が、今まで発せられることのなかった、という点で異例なのだ。「いじめと自殺の関係」について、校長は「一つだけに断定はできないが、可能性は高い」と言ったこともそうだ。アンケートの結果だけで、ここまで言った例を私は知らない。いつだって、
「いじめはあった。しかし、自殺との関係は分からない」
と言ってきた。


 2 『坊ちゃん』

 名古屋の生徒の遺書(いしょ)-メモを読んだだろうか。全文かどうか分からぬが、ここでもう一度確認。いやな遺書だ。

 まず自殺しようと思ったのは、なぜかですが、一つ目、自分自身に嫌気(いやけ)がした。二つ目、いろんな人から死ねと言われた、ということがあったからです。
 一つ目についてはうそをたくさんつく。提出物も出さない。そんな自分がいやになりました。先生や両親には、こんな自分を変えられなくて申し訳ないです。
 二つ目はそのままあえて名前は言いません。気付いてあげられなかったなどと後悔(こうかい)しないでください。自分から隠(かく)していたのです。大丈夫なようにふるまっていたのです。悪いのは自分と一部の人なのですから。さようなら。もし死後の世界があるなら、見ています。ありがとう。(7月13日付朝日新聞)

「(死ねといった人の)名前は言いません」なる文言(もんごん)は、今後、「誰が(言ったか)」という舵取り(かじとり)をしていく。この一週間ほどの報道から、そしてこの遺書から、確かに「死ね、うそつき」「うそじゃない、ホントに死ぬよ」というやりとりがあったことがうかがえる。今後もやはりこの世の中、「『言ったこと』がめやす」となる。また子どもたちの世界が息苦しくなっていく。
 それはいい、というか置いとく。この遺書から読者はどんなことを感じるのだろうか。私には、誰にも愛されることのなかった、だから自分を愛することもない少年の姿が露出(ろしゅつ)しているようにしか思えない。簡単に言おう。「死んでやる」と言ってホントに死んで見せる人間は、愛されていない。私は漱石(そうせき)の『坊ちゃん』を思い出す。

「小学校に居る時分(じぶん)学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。……同級生の一人が冗談(じょうだん)に、いくら頑張(がんば)っても、そこから飛び降りることは出来まい。弱虫やーい。と囃(はや)したからである」

坊ちゃんは、母が兄ばかりひいきにし、おやぢはちっとも自分をかわいがってくれなかった、と言っている。それが「愛されていなかった」理由になるかどうかは、確かに心もとない。しかし、両親の影がとてつもなく薄いことは確かだ。坊ちゃんが、小さい頃に二人を亡くしてしまうことを差し引いても、充分に影が薄い。坊ちゃんを支えていたのは「下女(げじょ)」の清(きよ)である。坊ちゃんはこの年老いた清と、将来(しょうらい)一緒に暮らしたいとさえ思っていた。漱石自身のことを書いているかに思える部分だ。
 最後に、この名古屋の生徒の両親のために言うが、ことはこの子の親のことで言っているわけではない。何度も言ってきたが、今の親の多くが「子どもを愛していない」ということだ。

○小学校の頃からカギのかかる部屋を与える

ような親は子どもを愛していない。こんなものは「子どもの自立」とか「自由」というものとは縁(えん)がない。また、子どもには「寝る時間」があり、「見てはいけないもの」があるとかいうことについて、どれだけの親・大人が自覚しているだろう。そんなことだ。


 ☆☆
結局終わりませんでした。あと一回続きます。

 ☆☆
いよいよ夏休みまであと一日。私には関係ないようですが、やっぱり嬉(うれ)しい。いろんな夏休みソングありますが、私はやはり吉田拓郎の、ずばり『夏休み』。この間もコメントに全曲入ってました。30年前の磐梯山(ばんだいさん)でのキャンプファイア、私たちのクラスの出し物が『夏休み』でした。懐(なつ)かしい。

 ☆☆
今度の日曜って選挙の日なんですね。どうします? それでお知らせしますが、自民党中央と地方がねじれてるのって沖縄だけだと思ってませんか。福島もなんですよ。ニュースになったのは今年2月16日の朝日新聞だけだと思います。前日の15日に開かれた、原発のある13道県の議長による「資源・エネルギー調査会」の席上、すべての議長が原発再稼働に賛成したのですが、それに激怒(げきど)した福島県の議長が退席したというものです。自民党の福島県議会議員は全員、再稼働に「反対」してるんです。

 ☆☆
白鵬頑張れ!

智恵  実戦教師塾通信二百九十八号

2013-07-15 11:58:23 | 福島からの報告
 引き裂かれる思い

     ~誤解と怒り~


 1 楢葉町の思い


 失礼になるかも知れないという思いはあったが、きっと私たちの方に知らないことがある方がよっぽど失礼なのだ。率直(そっちょく)なところを聞いておきたいと、私は第一仮設のあとに、第九仮設を訪れた。楢葉町の牧場主さんは、日焼けした顔をほころばせて私を集会所の中に招いた。

①乳牛
 はじめ私は、県畜産農協が解散するという『福島民友』(6,20付)の記事が気になっていたから、話をそこから始めた。聞けばこの話は「和牛」つまり肉牛のことだった。乳牛を育てていた主さんには直接関わるものではなかった。仕方がない、という顔の主さんだが、人ごとではないのだ。そして、円安の影響で国内牛向けの輸入飼料が値上げされ、結果、乳製品の値上げがされるというニュース(10月に5円の値上げが予定されている)に話になった。
 どシロウトの私の発想で聞いてみた。自分の牧場の地面と、敷地内の草の線量を計ってOKだったら、自分の敷地内の草を牛たちの飼料に出来るのではないか、という考えだ。それならば、従来通り牛のエサは自分でまかなえる。
 それは出来ないよ、と主さんは即答(そくとう)する。どうしてか読者は分かるだろうか。原乳を製品にするプラントは大型のもので、県内にいくつもないという。農家が持ち込んだ原乳は、
「製品にする時、他の農家が持ってきた原乳と全部混ざっちゃうんだよ」
だから、一軒の農家が持ち込んだ牛乳に放射能が入っていたら、
「福島県の牛乳が全部ダメになっちまう」
というのだ。主さんは優しく、さとすように聞かせてくれる。
 恥ずかしい思いではあるが、聞いて良かったと思う私だ。

②補償金
 話は、第一仮設で耳にしたばかりの「生活補償」の話になった。いや、この話は繰り返し話題になっている。どこまでもこの話はついて回ることだ。と私は思っている。しかし、勘違いもあることを主さんに知らされる。
 私は、第一仮設の「行政相談」で、職員に食ってかかった人は、
「自然災害を受け入れられない」
のだと思った。だから、そのあとの生活やその基盤を誰かが面倒見るべきではないのか、と思う。そして、災害のその後を補償されている双葉郡の人たちに、憤(いきどお)りを感じているのだ、と私は思った。それは正しい。ある程度。しかし、
「東電は原発事故による被災の補償をしてはいても、自然災害によるものは対象としていない」
ことを私たちは知っているだろうか。いや、知っていたとして、それを覚えていただろうか。私は繰り返し聞いてしまった。
「津波・地震による被害に、東電は関わっていないんですか」
私、いや、私たちはこの部分について、かなりあいまいな理解や知識のもとにニュースを行き来している。大熊町・双葉町を襲(おそ)った津波・地震は多くの家屋を破壊し、呑み込んだ。そういえば、それが原発事故との関連があるのかないのか、という議論があったことを私も思い出した。ついでに言うが、東電の賠償窓口に行った楢葉町の人が、避難する時の食事代を請求したところ、
「領収書はあるのか」
と言われたこと。そして、領収書を持参したところ
「避難するかしないかに関係なく、ご飯は食べたのではないか」
と言われたことなども思い出した。東電は「合理的」な判断のもとにお金を出している。
「それで怒ったのが浪江だよ」
と主さんは続けた。読者も覚えているだろう。津波の翌日、行方の分からない家族をすぐに探しに行けなかった家族の思いと怒りを。12日の午後、第一原発建屋は爆発する。あの時、枝野幹事長(当時)が、
「重大な事故ではない」
「格納容器は安定している」
と言った。あの時「事故」という言葉は封印(ふういん)された。「事象」!?だった。

 東電が補償しているのは、あくまで原発による被害のことだった。
○帰る家があるのに帰れない
○地震で家が全壊していても、それを修理・再建できない
ことへの補償なのだ。浪江の人たちが怒ったもので、東電はおずおずと行方不明者への賠償に動きだした。
「どっちみち行方不明になってたんではないか」
と、東電は言えなかったのだ。
 これは、思い出したというより、忘れていたと言うべきだろう。私たちは浪江の町民の要求を当然のことだ、とあの時思った。しかし、私たちは同時に、東電が補償するものは「原発事故」に関するものに限定していると、頭に刻(きざ)んだだろうか。
「どうしてあの人たちは生活が補償されるんだ」
と、繰り返される双葉・相馬の人たちに対する怒りにも似た疑問を、私たちはある承認をしている。そんな現状は、私たちが肝心なことを分かってない、忘れていることがもたらしているらしい。
 いつになく主さんの言葉は熱くなっていた。

③寄生虫!?
 最後に、ためらったのだが、住民税を払わないまま町の住民になっている、という地元の不満についてどう思うか、おずおずと聞いてみた。主さんはさらに熱くなった。
 結論から言えば、いわきに流れ込んだ大量の被災者を支援するのは国ぐるみの対策が講じられている(はずの)ことだった。確かにいわきの議員さんも言っていた。復興予算という名目で支給されるわけではない。地方交付税の中から、市の各ポストが要求して予算化していく、というシステムは、国の予算化のシステムと同じだ。その市への交付金が、いわきには多く配分される。いわき市の住民税でまかなっているわけではない。


 2 堂々巡り

 しかし、私の頭はここでまたぐるぐる回りだす。楢葉町はもちろん、双葉地区の人たちにも二種類(あるいはもっと多く)の人たちがいることを思い出すからだ。
 たとえて言えば、東電が一時見舞金を提案したのは2011年3月末だ。その時からずっと、
「東電から『見舞い』を受ける気はねえ」
と、拒絶している人たちがいる。他方で、そうではない人たちが多いことも事実なのだ。悪いが、炊き出し(たきだし)をしても、こんにちは/ごちそうになります、のひと言もなくやって来て、後片付けはもちろんのこと、ごちそうさまも言えずに、ゴミをそのままにして去って行く人たちを、私たちは、申し訳ないがたくさん見てきた。支援されるのが当たり前、と考える人はどこにもいたが、地域ごとで、その割合がまったく違っていたことは事実だ。
「上げ膳据え膳(すえぜん)で生活してきたからだろう」
主催(しゅさい)する人たちは言ったものだ。
 ひとつ例をあげて考えよう。あとで分かったことではあったが、避難先の郡山より線量の低い川内村の被災者の帰村がまったく進んでいない。村長が帰村宣言したのが2012年の1月。3000人いた村民はまだ、16%の帰還である。報道は、この原因をもっぱら「放射能への不安」と「生活基盤の弱さ」をあげている。私もそれを事実と思う。
 しかし、この帰還事業のはかばかしくない原因は、東電からの補償金だと考える人たちがいる。あまり知られていないが、
「あの補償金をどうにかしないと帰還事業は進まない」
と、昨年、村長が『河北新報』に言っている。確かに、一人当たり月10万円の精神的賠償、そして自営(農家もだ)の人たちには営業補償もされる。しかし、住民が村に帰還した段階で、その世帯/家族への補償はなくなる、と補償内容・期日の書類には明記されているのだ。もとの生活を取り戻そうとすれば、今ある生活はなくなる。
 それでも帰っていままでの生活を再開するんだ、という500人の人たちの心意気をたたえるべきなのか、働かずに「衣食住」を約束された生活を続ける人たちの心中を察するべきなのか。どう考えても「性根(しょうね)から腐る」人たちは出てくる。私はまたしても、原発のもたらしたものを考えてしまう。


 ☆☆
海の向こうの中国(広東省)で、核燃料工場計画が白紙撤回(はくしてっかい)される、という信じ難いニュースがありましたね。住民自身も「(撤回が)信じられない」と、再度デモをしたといいます。住民の安全や健康なんて、二の次三の次と思ってる国だと思ってたんですが。
方や、日本の首相は福島で選挙の第一声をあげ、
「皆さんの安全を守り、復興を約束します」
とか言ってる。いまだに毎時1000万ベクレルの放射線を空気中に放出し続ける第一原発なんですがね。ちなみに、現在の食物規制値がキロ当たり100ベクレルです。そして、いまだ出所不明の一日400トンの汚染水。でも、
「事故を克服した世界一安全な原発」
で、この首相は世界に原発を売り込んでます。恥ずかしいやら悔しいやら。まあ、事故当時の菅首相も、原発輸出を肯定してましたがね。
自民圧勝ですかね。でも、じゃあどこが、ということですね。
いい話、ないもんですかね。ちなみに、山本太郎の円形脱毛症、強烈に印象に残りました。

 ☆☆
少しは明るい話。この間「ニイダヤ」の「お魚カフェ」行ってきました。日曜限定2時までの営業で、余裕に食べられると思ったら、すでに「完売」でした。客のいなくなった「カフェ」の写真です。向こうに海が見えます。
             

行政相談  実戦教師塾通信二百九十七号

2013-07-11 13:08:28 | 福島からの報告

 被害感情

     ~行政相談/損害賠償~


 1 はじめに-吉田所長逝去


 福島第一原発事故の指揮(しき)をとった吉田昌郎所長が亡くなった。この機会に忘れてはいけないことを振り返っておこう。なぜかあまり報道されていないことを懸念(けねん)しつつ、ということだ。
 食道ガンと診断されたのは2011年11月のことだ。その後吉田氏は所長を退任し、手術・療養に入る。さて、2012年の7月に脳溢血(のういっけつ)で倒れたことが、今回の吉田氏逝去に伴(ともな)うニュースで報道されないのはなぜだろう。それを私が見落とし、聞き落としているかも知れないが、まずもって、それが見落とし聞き落とすようなレベルの報道ではまずいわけである。そして、その脳溢血の時に報道された
「家族の意向(プライバシーに触れる)で、詳細は言えない」
なることも忘れてはいけない、と先日書いた。
「もうダメかと思ったことも何度かあります」
の吉田氏の映像は、私たちが何度でも見て思い出すべきだ。先日の森なんだかとかいうマヌケ(ではすまないが)な閣僚の、
「原発事故で直接の死者は出ていない」
なる発言の時に書いたが、この吉田氏を先頭とする「フクシマフィフティーズ」の「死を賭(と)した」動きがなかったら、累々(るいるい)と屍(しかばね)を築(きず)いたことは間違いない。
 9日夜のニュース(NHK)で、原発事故調査委員(長)の柳田邦男が
「もっと事故究明に必要なことを(吉田氏は)話して欲しかった」
と発言している。当時、確かに事故に関する質問に吉田氏の口は重く、記者会見では、質問を当時の細野豪志環境省大臣が遮(さえぎ)るという一幕もあった。
 そして、次の朝の同じNHKのニュースでは、柳田のこのコメントが、同じ柳田の「事故文化の水準を高めないといけない」発言と差し替えられていたのが、印象に残った。
 おそらく遺族は、この件に関して「労災」の申請はしないだろう。事故の状況がそこで検証されるからだ。どのような扱いになるのか、それはきっと明らかにされない。
「吉田所長が浴びた放射線は70㎜シーベルトで、がんの原因とは考えにくい」
という東電広報は、せめて
「過労と心労が死期を早めた」
ぐらいは言うべきでしょ。


 2 「あなたは被災したんですか」

 第一集会所に着いた。この日は『行政相談』の看板が集会所入り口にあった。中に入ると、(県と市の)職員がテーブルに腰掛けており、相談に来た人たちがいた。コトヨリさんが来たよ、と受付さんが第二集会所からレギュラーの皆さんを呼んでくれたので、集会所はふだんにない賑(にぎ)わいとなった。私は近くのセブンで買ってきたアイスが、まったく用をなさないことに気付いた。この行政相談なるものを、私は避難所でこそよく出くわしたが、仮設住宅では初めて見た。それで受付さんに、この相談は月に二回ぐらいやってるのですか、と私は聞いたが、何カ月かに一度のことだという。以前はそれこそ毎日やっていたようなことが、今はこうして少なくなった。
 集会所の一角で、私たちはいつも通りの世間話をしていたのだが、やがてこの「相談」に巻き込まれることとなった。
「私は家族を津波で亡くしてます」
と、ひとりの方が言う。声が大きい。
 あなたは誰かを亡くしましたか、とその声は続いた。チーフらしきワイシャツ姿の職員が、いいえ、と応じる。
「じゃ、あなたは家が壊れましたか」
またその人が言った。いいえ、と同じ人が答えた。
「じゃ、あなたは今回の震災でなんの被災もしていない。そんな人が私たちの気持ちを分かるんですか」
と、その人は続けた。私の隣(となり)で、いつものレギュラーさんが、あの人はあんな言い方しか出来ねえんだよ、としかめ面をする。ご近所さんだという。
 やがて、対応していた職員が静かに話した。私たちは被災した方の相談を受ける立場で来ている。あなたのような言い方をされれば、「黙れ」と言われているような気になるだけで、相談を受けるところまで行けない、と真っ当な答をした、と私には思えた。
 話は生活補償のこととなった。同じ人が続ける。東電の地元の人間は生活も家屋(この場合「家賃」と考えていい)も補償されているのに、私たちはここを追い出されればすべて自前になるのはなぜなんだ、とまたしても激しくいった。会長さんがたまりかねたように、私を隣の小さな部屋に誘った。この場の話を解説する、というよりは私にグチをこぼしたかった、と思えた。
 一応確認のため書くが、被災者が避難所から仮設住宅に移った段階で、光熱費が被災者に発生した。今度、仮設住宅から復興住宅に移れば、家賃が発生する。これは段階的に値上げされるが、それは所得に応じて、という但し書きもある。これが、東電のお膝元(おひざもと)となれば話が違うのである。家賃は補償される。訴(うった)えは続く。
「どうしてあの人たちは別なんですか」
市長が話の分かる人だから、と双葉郡の人たちへの行政サービスを嘆(なげ)くのだ。
 この8月、中央台の仮設近くに家を建てたレギュラーさんはそこに引っ越す。第二原発の立地点である富岡町の人が、やはりとなりに家を建てているという。じゃあ、いわきの住民になるんですね、と彼女はその人に聞いたという。相手の人は「ちがう」って言うんだよなあ、金を持ってんだなあ、と彼女は言うのだ。
 私には行政の相談員に食ってかかる人も、このレギュラーさんも違うと思った。そして、このあと、第9仮設(楢葉町)に行って私の思うところを聞いてみた。
 そして思った。私は、いや、私たちはなんにも分かっちゃいないと。
 この続き、次号で報告します。


 ☆☆
いやあ、今回、茨城は友部のサービスエリアで感動のシーンを見ました。
       
ランボルギーニが2台!フェラーリが3台!ついでにポルシェカレラも。同好会のクラブではないみたいでした。写真をいいですかと言う私に、どうぞ、と気軽に応じる男性は、どう見てもせいぜい30~40代。写真の向こうに見える連中もそんな風体です。昔風にぼろアパートに暮らして必死に車に注ぎ込んでいる様子はなかったですね。きっと医者ではないですし、IT成り金ですかね。

 ☆☆
方や年金暮らしの、それでも充分に幸せな私は、昨日もセブンイレブンのくじで当たりを引きました。ここ一週間ぐらい前から始まった恒例(こうれい)のくじです。私、一回だけ外れましたが、あと四回だったか、全部あたっています。きっとはずれが少ないんだと思いますが、カルピスソーダだの、カロリーメートだのと、有り難い。