実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

問われていること 実戦教師塾通信六百十九号

2018-09-28 11:16:25 | 子ども/学校
 問われていること
     ~文書開示がもたらすもの~


 ☆初めに☆
前回書きましたが、三年前の千葉県柏の中学校における事故/事件を、一部の新聞社は報道していません。「先を越された」新聞社は、後追いしないという有りがちな理由からでしょうか、それとも事実を公表するにあたって何らかの躊躇(ちゅうちょ)があったのでしょうか。
開示された文書を入手しましたが、当事者の、とりわけ怪我をした生徒とご家族の思いを考えながら、この出来事を見ていこうと思います。三年前の報道で、生徒は「頭などを打ち、意識不明の重体」だったのですから。

 1 「不開示扱いをお願い」
 この文書が開示されるまでの経過です。
 出来事から一年、柏市教委は報告書を出します。非公開の文書だったので、毎日新聞がその開示請求を行います。しかし非公開の決定がされ、不服申立を行います。二年間の審議を経て、柏市の情報公開審査会が非開示措置(そち)を取り消したのです。

 「重大事態に係る調査報告」の会議は、一昨年の3月28日に行われています。その報告資料一頁目の、最も注目すべきことは、
「開示請求があった場合、教育委員会としては(黒塗り不明)個人に関する情報として、不開示情報の扱いをお願いしたい」
とあることです。どう読むべきでしょうか。
 これを「隠蔽(いんぺい)の事実」として弾劾(だんがい)する前に、この記述があえて黒塗りにされずに文書が開示された、つまり「不開示の意思」が、ここで堂々と記されていることに注目してみましょう。不開示の理由は「個人の情報」に関わるからと書いてあります。ここで言う「個人」とは、「柏市いじめ防止基本方針」にある、
「いじめに関わったすべての子どもたちを最後まで守り抜く」(第四章 重大事態についての基本的な考え方)
から考えれば、大怪我を負った生徒ばかりでないことは明らかでしょう。つまり意味することは、
「報告が明らかになることで、多くの生徒たちに傷や混乱を与えてはいけない」
と考えていいでしょう。では、揺れ動き続けた被害生徒の保護者の気持ちとどう向き合っていったのか、見逃せないことです。
 以上のことを踏まえた上で、報告を検証してみましょう。

 2 負の積み重ねの指摘
 報告は、本件に係る対応/概要/対応/調査/調査結果など、10項目から成っています。それらはたとえば、

こんな具合です。誰にどんなことを聞き、その結果がどうだったのか、すべては黒く塗りつぶされています。しかし同時に、
「本事態は、いじめと認められる」
と、初めの部分ではっきり断定しています。
6項目目の「当該(とうがい)生徒に係る学校の対応」には、
「……事案の多くについて学校は認知しており……保護者の適格な通報や相談もあったことが判明……」
「しかしながら、学校職員自らがA及び周囲の生徒の様子から、Aに対するいじめを察知することはなかった。
 担任は、A本人やAの保護者からの相談によりいじめ事案の認知が出来たにもかかわらず、これらをいじめと認識せず……安全配慮義務を果たさなかった」
厳(きび)しい指摘が列挙されています。そして8項目目の「学校の対応から見える課題」には、
「……学校職員はAにかかるいじめ行為など情報を共有することなく……校長は本事案発生まで何も把握していなかった」
「本件については、担任・学年主任・生徒指導主任及び教頭まで情報を共有していたのは(黒塗り不明)のみであった」
「担任からの報告や定例アンケート等から得た情報……の確認や対応策……の校内組織が十分に機能しなかった」
「加害及び被害生徒の保護者との連携がほとんど図られていなかった」
おびただしいと言っていい叙述が、数ページにわたって続きます。報告不足と情報共有の意思不足が繰り返し指摘されます。最初からここまでずっと、いじめが認定されているのです。これらには、黒塗りされた部分の内容が充分うかがえます。

 柏市はいじめの検証を、市教委のリーダーシップのもとに行うことを明言しています(前記「柏市いじめ防止基本方針」)。しかし、これでは「客観的でない」ケースが必ず生まれます。私は以前にそう指摘しました。
 さて、今回も以前あった件も、この不安を払拭(ふっしょく)するような対応に見えます。柏市教委が設置した「調査員会」(耳慣れない名称です)と「検証委員会」の対応は、積極的に見えます。
 報告を読んだ今となれば、結論は明らかです。今回の中学校での出来事は、学校での生徒に「責任を負っているもの」、つまり学校長初め教職員の責任だと断じているのです。この場合、設置者たる柏市が最終的な責任を負うことになります。学校が危機的な場面を迎えると、
「最終的な責任は、私たちがとるんです」
オマエらの出る幕ではないと、よく校長に私たちは言われますが、今回の出来事にもそんな場面が生まれていたはずです。謝罪や、怪我・後遺症への補償は市が行ったことになるのです。
 「柏いじめ防止基本方針」をまた引き合いに出しますが、すべては、
「保護者の同意のもと」「保護者に報告」
となっています。一体どうなっていたのでしょう。文書が非公開となったのは、被害生徒の保護者が市教委にそうお願いしたのでしょうか、それとも逆だったのでしょうか。おそらくそんな単純なものではないのでしょう。どれだけの話し合いと打診がされ、合意にいたったのか、そこが肝要だと思えます。
 その一方で、再度押さえておきたいと思います。全国には、いじめで自殺した子の遺族の気持ちを考えずに「一方的に支援する」人たちがいました。勝利だ勝った(和解でした)と喜ぶ人たちのかたわらに遺族の姿はなく、実は他県に引っ越していたなどという例があったのも事実です。そんなそしりは免(まぬが)れないといけません。
 館山事件の遺族であるお父さんが、勝(しょう)君のお姉さんから、
「お父さん、やめて」
と直訴(じきそ)されて、裁判を断念する経過も切実でした。
 今回の問題の追求と支援を申し出ている方々の中に、
「市教委の思い通りにさせたらいけない」
と、声高にいう人たちがいます。私はそんな方々に、様々な事例があることを伝えています。



 ☆後記☆
ニュースや新聞でご存じと思いますが、連休明け、館山市長から田副(たぞえ)さんに、第三者委員会の調査報告書の全文/本編が渡されました。
しばらくしたら、報告書本編を検証しようと思います。

一昨年お邪魔した小学校の運動会です。秋晴れです。

大好きな球入れ。自分の球の行方(ゆくえ)を見ている子がかわいい。

館山報告書(下) 実戦教師塾通信六百十八号

2018-09-21 11:44:13 | 子ども/学校
 館山報告書(下)
     ~「誠意」「誠実」という観点から~


 ☆初めに☆
先週、一斉に報じられ始めた千葉県柏市の中学校のことについて、ずいぶん問い合わせをいただきました。そのことについて書かないといけません。きちんとレポートし、次週に報告いたします。
 ☆☆
前回の館山の記事に、多くの方から意見や感想をいただいてます。
「初めて気付いた」
という感想が、私には一番「通じた」感のあるものでした。
「もっと詳(くわ)しく知りたい」
「お父さんは(報告を)どのように受け止めているのでしょう」
「私も中学校で似たような経験をしました」
という方々や、
「新聞はもう終わったような書き方をしているんじゃないか」
という方もいらっしゃいましたが、何より、丹念に事件を追いかけてくれている方が多くいて良かったと思っています。
 ☆☆
前回予告したように、報告概要(以下「報告」と表記)に見える課題を書きます。まだ道はなかったのか、誠意を持って取り組んだ第三者委員会には厳(きび)しいことを言うようですが、仕方がありません。

 1 聴き取りの結果
 最初に、聴き取りが不十分にしか出来なかった結果だと思われるところです。いくつか書き抜いておきます。
「小学校における……ストレスから逃れたいという気持ち(で)……学区外通学を希望したと考える方が『合理的』である」(以下「 」は報告書。『 』記号は私がつけました)
小学校での聴き取りが、よくなかったのでしょう。
「アンケート調査……教育相談及び三者面談………が「野球部員によるからかい」であった……などを総合すると、制汗スプレー以外にも………いじめがあった『可能性は否定できない』」
前回同様ですが、野球部顧問/周辺は、聴き取りへ対応「しなかった」か、不十分だったということです。
「部活動用のバッグに対する破損(はそん)行為が………心を傷つける結果となった『可能性は否定できない』」
どうして「可能性は否定できない」という表現にとどまるのか、私には理解不能でした。それとこの部分には、
「自転車のタイヤがたびたびパンク……は、特に本件生徒を標的にした……とは認められない」
とあります。興味深い表記です。不特定多数の生徒が日常的にやられていた、ということなのでしょうか。
 さて、これらは前回指摘したくだりとあわせて、いかにも歯切れが悪い。その原因の「十年の壁」とは、当事者たちの記憶ばかりでなく、聴き取りされる側の気持ちにも「壁」が出来ていたのでしょう。その上ここには、「記録の削除」によって形成される「壁」も加わるのです。
 そんな中で記者会見の、
「記憶や事実が、鮮明というところにたどり着けなかった」(大野委員長)
「普通なら得られる事実が、余りにも不確定なものが多かった」(他の委員)
という無念の思いがあったのだと思われます。
 第三者委員会は、その上でどう先に進もうとしたのでしょうか。

 2 「全容解明」
 今年に入って「いじめが自殺の原因」という報告が、全国のあちこちでされました。でもやはり、「自殺といじめの因果関係は不明」なる報告は、続いています。
 館山においても、「因果関係はミッションではなかった」(会見)とされ、
「本件生徒が自死を決意した原因の全容は解明にいたらなかった」
と報告されました。
 先週のことです、新潟市で(2016年に)自殺した生徒に関する第三者委員会の報告がありました。「いじめを認定」したあとに、
「担任教諭や学校の対応が自殺に影響を与えた」
とあるのです。館山でもどうしてこれぐらい言えなかったのでしょう。
「本件生徒から……短期間に繰り返し相談を受けた本件中学校における対応として……は疑問が残る」
を始め、館山の報告でも「いじめを認定」し、勝君が追い込まれたと文章上では書かれているのです。「全容は解明にいたらなかったが、しかし」と続けることは出来なかったのか、残念でなりません。「文脈でそう書いてある」のと「はっきりそう書く」のとでは、まったく違います。

 3 不誠実だった当局の対応
 最後は事件当時、学校でのアンケート用紙が、その後、校長/教頭の指示で廃棄されたことについてです。
「(アンケートの廃棄が)事実の隠蔽(いんぺい)等を目的としてなされたものとは『考えられないが』」
とあります。つまり、アンケート廃棄が隠蔽目的でないことは「疑問をはさむ余地がない」としている。しかし、市教委が二度目のアンケートを開示するにあたって、一部もらしていた(当局に不利な内容だった、あの回答です)ことについては、
「市教委に隠蔽その他の意図(いと)があったことを示す『証拠はないが』」
とあるのです。これは、市教委に対する「異議」を示唆(しさ)している。報告全文の出る日が待たれます。
 さて、第三者委員会はこれらの対応に、
「不適切な対応であった」
「あまりにも慎重さを欠いたもの」
と断じています。記者会見で、市長はこの出来事に対し、
「とても残念な出来事だった。子どもの目線や遺族の立場に立ってやって来たのだろうか」
と答えました。報告のこのくだりがあって生まれた言葉なのでしょう。
「十年という年月を重ね、調査方法や内容も限られてしまった。そう思えば、調査報告を真摯(しんし)に受け止めたい」
という、田副さんの言葉が重く響きました。



 ☆後記☆
会見に先立って市長が、
「亡くなった勝君の冥福(めいふく)をお祈りいたします」
と言ったことを報告しておきます。
十年後の今、館山の現地では、校長はとうに退職し、教頭は現場に復帰している等ということが、当たり前のように耳に入るのです。市教委は一体、この報告をどう受け止めるのか、見解を待ちたいと思います。
 ☆☆
柏の中学校の事件について、朝日と読売だけはなぜか記事にしていません。だから、まだ知らない方が結構いるかも知れません。
一般読者はご存じなかったと思いますが、柏市内の学校関係者はこの出来事を知っていました。ただそれは当時、あまりにも断片的な憶測を出ない範囲のものでした。私にも問い合わせが多数舞い込んだのですが、何よりご家族の気持ちが分からなかった私としては、なんともしようがありませんでした。
「転落事故」という報道がされています。「転落」は「飛び降り」ではないのか、「事故」ではなく「事件」ではないのか気になるところです。文書も開示されました。三年前、すでに報道で学校名が明らかになっていますが、今は伏せておきます。慎重に調べています。
 ☆☆
大相撲秋場所、いよいよ大詰めです。隆の勝、勝ち越しまであと一勝!
白鵬はやっぱりすごい!

前回に引き続き、母校のショット。応援合戦のあとの、ホッとしたひとときです。

体育祭練習で、雨のときは雨宿りで、また、休憩の時は暑い日差しから守ってくれた桜の木。今日び、日除けは「テント」になったんですねえ。

館山報告書(上) 実戦教師塾通信六百十七号

2018-09-14 11:13:51 | 子ども/学校
 館山報告書(上)
     ~報告書(概要)と会見に見る第三者委員会の視点~


 ☆初めに☆
10年もの間、遺族の苦しみが続きました。でも、遺族の田副(たぞえ)さんにとって、この日がピリオドでないのは間違いありません。
会場には今まで見たことのない数のプレス(報道)が押しかけました。会見途中から、会見場・コミュニティセンターの窓に、激しい雨が叩きつけられました。勝(しょう)君の涙だったのでしょうか。
 ☆☆
第三者委員会の報告書と、記者会見のレポートをお届けします。記者会見は、市長・第三者委員、そしてその後、単独で行われた遺族との間で行われたものです。
今回は、写真撮影についての「ご遠慮」が、事前にお達しがありまして、会見場の写真はございません。市長や第三者委員、そして遺族の田副さんの表情をお伝え出来ないのは残念ですが、ニュースや新聞でご覧になったと思います。
 ☆☆
大野委員長が会見で繰り返したこと、
「余りにも厚い『時間の壁』を乗り越えられなかった」
は、言い訳というより第三者委員会の残念な思いを語っているように見えました。報告は、とりわけ行政/学校に対して不十分さはあるのです。それは次回に書きますが、委員長のこの弁明に不誠実さは感じなかったということです。
次に、遺族の田副さんが繰り返したこと、
「警察のような調査権を持たないことが無念だった」
は、報告書概要(以下「報告書」と表記)内容への思いを示唆(しさ)しています。

 1 家族との共有
 今回は、報告書に見える遺族への第三者委員会の視点、及び、事件に至るまでの、同じく第三者委員会の学校に対する考察です。
 最初は「本件生徒が自死するに至るまでの間の生活状況等」中の「本件生徒の家族関係等」の部分です。とても大事な箇所なので、全文転載します。
「本件生徒の家族関係には、本件生徒の自死に結びつくような問題は認められない。なお、本件生徒の母親は、本件生徒が人間関係に何らかの問題を抱えているのではないかとの認識を抱いていたが、そうした問題意識が家族内で十分には共有されず、また学校との情報共有、意思疎通も十分とは『言えなかった』」(『 』記号は私が入れました)
家族関係は円満だったということでしょう。しかし、その後のくだりは違っている。簡単に言ってしまいますが、
「家族はどうして勝君にもっとアプローチできなかったのか」
という内容です。これは遺族の胸に突き刺さります。「十分とは思えなかった」ではなく「言えなかった」なのです。でも多分、田副さんがこの部分をどう受け止めるか、私にはわかるつもりです。
 この部分は、第三者委員が繰り返し遺族に聴き取り、それに応(こた)えた結果出てきたものです。おそらく、苦渋(くじゅう)の決断は、第三者委員の方ではなく、田副さんの側に発生したと思われます。
 さてここで、読者に注意を促(うなが)しておきたいと思います。妙な言い方をしますが、遺族への聴き取りは可能だった、つまり「遺族は聴き取りに対応した/聴き取りは出来た」のです。でも、「初めに」で書いた、遺族の「調査権を持たない無念」を思い出していただきたい。もう一方の関係当事者に関する聴き取りがどうだったのか、ということです。記憶にとどめておいてください。次回に述べることになります。

 2 「学校が始まる」
 当ブログ上でも何度か報告したので詳(くわ)しくは書きません。でも、2008年7月の、いわゆる「スプレー(臭いぞ)事件」を初めとする野球部での出来事が、勝君を追い込んだのではないかという結論を、委員会は出しているのです。勝君を繰り返し苦しめたのは、野球部でのことだと「推定」したのです。
 「スプレー事件」後、勝君は学校を欠席。そして退部を申し出るも、学校側の「説得」によって部に留まるのですが、夏休み期間中の部活を欠席。そして二学期が始まる。体育祭における騎馬戦アクシデントは、勝君に最後の決断をさせたという点で大切なのですが、亡くなる日の朝、電話した担任に、
「学校に行けない。周囲が(部活を)さぼっていると思っているのが気になる」
と言っているのです。そういった経過を総合的に判断し、
「『学校が始まる』ということが本件生徒をして自死を実行する最後の決断をさせたと推認するのが合理的である」
と、第三者委員会が結論づけます。しかし、いかがですか。「推論するのが合理的」とは、いかにも難しい判断だったということでしょう。こういう表現が報告書のそちこちに顔を出します。その考察は次回に行いましょう。
 さて、この記事を締めくくるにあたって、私たちは次のことを押さえておきましょう。勝君が死を決断するまでの間、野球部でのつらい出来事がたくさんあったことを、第三者委員会は報告しています。しかし一貫して、そこに一度として「野球部顧問」が登場していないことを、私たちは見過ごしてはいけません。
◇「スプレー事件」後、それが「誤解」だと「説得」した席に顧問は不在
◇夏休み中の長期にわたる部活欠席には「学級担任ら」による家庭訪問
◇8月末の「部活慰留(いりゅう)」四者面談を、顧問は欠席
改めて、このことに驚きを感じた次第です。このことを報告書では、
「学年と野球部の顧問らが協働した対応が見受けられない」
と分析しています。顧問への聴き取りがどうだったのか、年内に出される予定の「本論」を待ちたいと思います。しかし現場の私から、いや、私たちから見れば、この「学年と顧問との協働」出来なかった理由は、充分に「良くある話」です。多くの教員はそう思うはずです。



 ☆後記☆
この報告書概要は、間もなく館山市の広報やホームページに掲載されます。6頁です。そして、本論は年内に発表される。つまりこの概要は、本論のためのたたき台と考えるべきでしょう。本論提出とともに第三者委員会は解散となります。また、報道にあったように、遺族は十年後の納骨(のうこつ)を行います。第三者委員会の最後の取り組みに期待せずにはいられません。

     ご近所は、収穫間近の田んぼです。
 ☆☆
最後の母校の応援合戦を観戦して来ました。

これは通りすがりです。別の中学校。こちらの応援団は「裸足(はだし)」でした。

嬉し懐かし。いいものです。応援する子どもたちの姿。

楢葉町/浪江町 実戦教師塾通信六百十六号

2018-09-07 11:32:16 | 福島からの報告
 楢葉町/浪江町
     ~Jビレッジ/笑(えみ)ふるタウン~


 ☆初めに☆
前々号と前号にレポートした北海道で、大変な地震です。まだ情報が錯綜(さくそう)としている仲間もいて心配です。お見舞い申し上げます。
 ☆☆
福島市の子ども文化施設に設置された「サン・チャイルド」像が、ニュースになりました。異論や疑義が寄せられ、一カ月で撤去されたことをご存じと思います。市長も制作者も、反対があるなら撤去は止むなし、という意見です。

せっかくですので、地元の反応。福島のテレビで取り上げた街頭インタビューは、揃いも揃って「残念」なのです。ひとりぐらい「撤去賛成」はいなかったのでしょうか。また『福島民友』によれば、来場者への意向調査、110件の回答のうち、設置に反対が75人という結果だったといいます。一方、愛称募集では小学生199人が応募していたのです。
設置にあたっての手続きに抜かりがあったのでしょうか。難しいものです。

 1 Jビレッジ
 再開して一カ月のJビレッジに行ってきました。この施設が、東電からの資金と、いわゆるハコモノ行政の賜物(たまもの)であることは、余り突っ込まずにおきます。事故直後から5年間、ここが事故対応の出撃拠点となったことをどうとらえるのか、簡単に語ることは出来ないでしょう。

向こうに見える白いドームが、全天候型練習場。この日はたまたま、この練習場の内覧会で、中は記者の人たちがひしめいてました。
千葉から来ましたというヘンな無理を言い、受付を通過しました。写真もOKだったのですが、写真アップは8日の正式開始日までご遠慮ください、と言われました。次号で案内します。

ピッチの人工芝です。

向こうはNTC(ナショナルトレーニングセンター)です。建物に入ると、

2018FIFAワールドカップ日本チームのパネルが並んでました。

コーヒーラウンジ『ムーンライズテラス』でカプチーノ。ミルクが濃厚でした。スタジアムの向こうに広野の火力発電所が見えます。

 2 笑ふるタウン
 7月30日に「みんなの交流館CANvas(キャンバス)」がオープン。これで楢葉町笑ふるタウンが勢ぞろいです。

木を基調とした交流館。いつでも誰でも来てくださいとうたっている館内には、親子連れやパソコンをする人たちが、くつろいでいました。

交流館からの笑ふるタウン全景です。スーパーにホームセンター、カフェやベーカリー、そしてラーメン屋などがひしめくエリアです。皆さんもお近くを通る際は寄るといいですよ。


 3 浪江町
 楢葉の渡部さんの畑の牧草は刈り取られ、また新しい牧草が伸びています。おばあちゃんの漬けたゆず味のキュウリをいただきながら、母屋(おもや)の話です。
「オレはトイレと風呂と寝る場所があればいいんけどな」
と言う渡部さんの横で、奥さんが壁紙のカタログを楽しそうに見ています。
 母屋の牛舎には新入りの、宮崎からやって来た牛さんが五頭。

「広報ならは」の8月号に、農業委員が座談会で楢葉の農業の未来を語っているのですが、なつかしや、酪農家の蛭田さんが語っている。
 突然、
「安倍首相をどう思う?」
渡部さんの質問でした。蛭田さんが牧場を再開したのが、昨年の1月です。4月には「震災が東北で良かった」発言で辞任することになる今村復興相を引き連れ、首相が楢葉にやって来たことを読者も覚えていると思います。

     以前掲載した昨年4月のニュース。
「今村は農業で力持ってたんだけどな」
仕方ないという口調で渡部さんは言うのです。

 6月に亡くなった浪江の馬場町長の後がまを決める選挙が、8月にありました。選挙で落選した候補が、ここで以前紹介した「希望の牧場」代表・吉沢正巳氏だったことを、私は見落としてました。事故直後、
「このままでは大切に育てた牛がみんな死んでしまう」
と首相官邸に乗り込み、今も浪江の旧警戒区域に餌を運び、東京では経産省前で演説をしている吉沢正巳氏が立候補したことを、私は知りませんでした。元町会議員の吉田数博氏の圧勝と言っていい結果は、8月の5日に出ました。
 部外者の私ごときが、何をか言わんやという問題です。しっかりと馬場町長のあとを引き継いで欲しい、それだけを思います。

「あん時は首相に握手を求められたんでしょう?」
質問された私が、逆に質問しました。苦笑いする渡部さんでした。



 ☆後記☆
遅ればせながら、秋田の金足農の話。吉田投手が「巨人が好き/巨人に行きたい」と言ったことについてです。
このブログの読者は余りご存じないと思います。東北の人たちにプロ野球チームのどこが好きかと尋ねたら、多くが「巨人」と答えるのです。私はいつも福島の新聞が、楽天より巨人のスペースが広いことに違和感を持っていたのですが、楽天が誕生する前、東北の「地元チーム」は巨人しかなかった。そんな歴史を東北は持っています。楽天誕生の後も、宮城県以外はやはり巨人という道筋があるようです。残念ですが、吉田投手の「好き/行く」発言は、その中にあるとと思われます。
 ☆☆
今年も剛柔流空手道全国大会に行って参りました。オリンピックが終わるまで代々木体育館は使えず、あと二年、この流山キッコーマンアリーナでの開催です。



宗家(そうけ)・山口先生とのツーショットなのですが、先生の方が髪の量が多いなあ。
 ☆☆
週明けの10日(月)は、千葉県館山の田副勝(たぞえしょう)君の命日です。そしていよいよ、第三者委員会の結論(要約)が出されます。