実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

四年前のまま  実戦教師塾通信四百五十八号

2015-08-28 13:27:39 | 福島からの報告
 四年前のまま
     ~楢葉/富岡の今~

 ☆☆

大阪の事件、「警察は何をしていたのか」の次は、「夏休みの我が子をどう守る」と来ましたよ。こんなことでいいのでしょうか。
「どこに行ってたの?」
という親の言葉と、
「お母さん(お父さん)が心配する」
という子どもの気持ちがスタートじゃないんですかね。

 1 富岡駅
      
読者は常磐線の富岡駅舎が津波で流されたことを知っているだろうか。いつ完成するのか忘れたが、ここから数百メートル上がったところに再建される予定だ。写真でうまく撮れないのだが、手前に駅舎跡がある。そこに駅舎の土台/基礎だけ、白く残っている。
 向こう側に見える白い建物は、一般廃棄物処理場である。線路も向こう側のホームも、雑草ですっかり埋もれている。
      
      
これも悔しいかぎりだ。津波のすさまじさが思ったように撮れてない。民家のリビングにトラックが飛び込んだままだったり、地面に異様な形でつぶされた車が折り重なっていたりと、津波の跡はこれらの写真よりもっとひどい。
 震災直後は、道路も瓦礫(がれき)で埋まっていたり割れていたりしたはずだ。今でこそ道路は復旧しているので、こういった状況も確認出来る。しかし、ここは今まで原発からの避難地域として、「入ってはいけない」場所だった。富岡エリアは、四年前の生々しさのまま残っていた。以前にも富岡を何度か訪れている。あの時、新築の家や古くからの家は、形をそのままとどめながら人影を見せなかった。荒れた庭も、道路に放り出されたままの車も異様だった。しかし、ここの津波の傷跡は、別な無残をさらしていた。
 私はふと、すっかり更地(さらち)となり、区画整理真っ最中のいわきを思い出した。フェンスで囲われた一帯は、工事関係車両以外、立ち入り出来なくなった。そんな景色を前に、私は四年前の記憶が薄れていたに違いない。
 「風化」とはこういうことなのかと、思い知ったような気がした。忘れていくとはこういうことなのか、と思った。また、忘れることが出来る自分なのだとも思ったのだった。
      
巡回していたパトカーのお巡りさんが、私たちともうひとつの団体に声をかけてきた。もうひとつの高齢者ばかりの団体も、たまたま千葉からの人たちだった。向こう側のあちこちでカメラを構えている。
 お巡りさんの、今日はどちらからですかに始まり、良かったら代表者の方だけでもお名前と住所を、にいたってはもう職務質問だった。やっぱりねと思いつつ、震災当時の治安の悪さを思い起こせば、仕方がないと思う私だった。代表者と言ってもねと私がためらっていると、渡部さんが免許証を提示した。
「おれ達は二枚持ってるんだよね」
と、私も初めて見る二枚の免許証。そうなのだ。いわきに仮住まいの渡部さんは、本当は楢葉の住民である。「免許が二枚」なんてことが起こっていた。
 写真は渡部さんとお巡りさんのツーショット。津波の跡をバックにするのは少しためらったが、立ってもらった。ついでに、お巡りさんのチョッキを触らせてもらった。ゴツゴツする感触を確かめていると、
「これは刃物対策でね、『防刃(ぼうじん)チョッキ』と言うのですよ」
と説明してくれた。不審者問題で大阪の事件を思い出し、
「除染している人たちの印象が悪くなってしまいますね」
と、もう一人のお巡りさんも一緒に、思わず盛り上がってしまった。

 2 楢葉町
      
楢葉総合運動公園の展望台から見える、広野の火力(発電所)である。何度見てもすごいと思う。一番波打ち際にある煙突と建屋は、もう波に吸い込まれそうだ。これが四年前には破壊された。
 公園敷地内には、野外ステージがあった。
「いろんなのが来たよ。シャランQとか」
そして、あるグループ名をあげて、ひとをバカにしたそのステージぶりを言うのだった。

 渡部さんは最初からその気だったらしく、こっちも見てったらと、自家用のダンプに私たちを乗せて、あちこち案内してくれた。
      
土手まで吹き飛ばされたコンクリート製橋板は入ってないが、楢葉町の北端を流れる川に渡した橋の跡である。橋脚(きょうきゃく)に仕込んであった鉄筋が、刃物で切り取られたような断面を見せていた。このあたりの家屋はすべて津波で流されたが、写真の奥に見えるたった一軒は、ここでは珍しい鉄筋の家だという。
 ここもやはり四年前のままの姿だ。楢葉町は9月5に帰還宣言が出される。
 川のすぐ向こうに、第二原発の煙突と建屋が見えた。
「ここから二㎞ってとこですかね」
私が言うと、
「いや、一㎞ぐらいだろ」
と渡部さんは答えた。そして、目の前にあるフェンスが原発の敷地を示すものだ、と教えた。消防団の渡部さんたちは、あの日担当区域だった家の安否を確認するため、この橋を渡った。しかし、その橋を戻(もど)らなかった。
「もう一度橋を渡ってたら、オレたちもやられてたよ」
笑いながら言うのだった。

 3 牛舎
            
渡部さんのお宅に初めてお邪魔した。私の後に見えるのがサイロ(牛たちの飼料保管庫)で、渡部さんの横にあるのがトラクター。現役である。この日も土地をうなったせいで、タイヤに真新しい泥がついていた。
      
「広い北海道やオーストラリアのようなわけには行かねえんだ」
と渡部さんは言う。「町」や「反」やと、土地の単位は良く分からないのだが、牛一頭を養うのには、陸上トラック一周200メートル分ぐらいの土地が必要らしい。だから牛を外に出すのは、餌(えさ)を食べさせるためではない。上の写真の牛舎向こうに見えるのが、牛たちの「運動場」だという。しかしそれでも、牧草地が一時増えた。
「(第二)原発の建設が始まってよ。結構みんな土地を放り出したんだな」
福島第二原発の着工は1975年、運転開始が1982年だ。
      
思いの外(ほか)、牛舎に損傷(そんしょう)は少なかった。この写真が30頭近い牛がいたところだ。この建物は、四倉(いわき)の古い中学校の教室をふたつもらい受け、移築したものだという。昔は子どもたちがここで、そのあとは牛たちがここでにぎやかに声を上げていた。そして今は、誰もいないのだ。
            
この牛舎にいた牛たちの縄は、外(はず)してあったそうだ。でも出入り口の扉は閉めてあった。
「だから、みんな餓死しちまった」
原形をとどめていない福島の牛たちの無残な写真を、私も見たことがある。牛たちは一体、どれぐらい待っていたのだろう。

 すっかり荒れ果てた母屋(おもや)の写真は撮らなかった。でも、築百年を超える家の柱や梁(はり)、そして薪(まき)で沸かすお風呂に、私たちはうなるばかりだった。お風呂から空にのびる煙突は、レンガ作りなのだ。
 驚きとため息を続け、気がつくと時計は五時を回っていた。


 ☆☆
渡部さんは、すでに夕暮れの店じまいをしている町役場敷地内の「ここなら商店街」に寄り、私たちを紹介してくれました。そして、
「(知り合って)もう四年だもんなあ」
としみじみ言うのでした。

 ☆☆
芥川賞の『火花』、読みましたか。私は雑誌で読みました。この粘着質の文章に、数頁ではまりました。「花火」だと思ってた。ホントに「火花」だった。多くのお笑いが散っていく。でもみんな必死なのです。ラーメン屋と似てるなあと思った私です。

子どもの分水嶺(上)  実戦教師塾通信四百五十七号

2015-08-21 11:24:49 | 子ども/学校
 子どもの分水嶺(ぶんすいれい)(上)
     ~新しい「退屈」の始まり~

 ☆☆

大阪で痛ましい事件が起こりました。解説者が「深夜に子どもが徘徊しているというのに警察は何していたのだ」と言ってました。でも私には、安否を気づかった形跡がまったく伝わって来ない親の方がよっぽど気になります。崩壊した家庭の様子ばかりが伝わってくる事件です。

 1 初めに
 夏休み恒例の資料整理をした。もう11年前の暮れに、池袋で行った座談会の記録が出てきた。この2004年というのは、なぜか成人式が荒れて成立しない、といったことが世を賑(にぎ)わし始めた頃である。私にお付き合いいただいた二人は、子ども問題のプロフェッショナルである。お二人に了解いただいてないので、イニシャルのみの表記とするが、お二方の意見は私に多くの示唆(しさ)を与えた。これがもとで、私の『学校をゲームする子どもたち』(三交社2005年)が、日の目を見ることになる。今読んでも多くのヒントを与える記録だと思い、一部ではあるが修正しつつ紹介しておきたい。

 2 「集団性」→「個別化」
J 
その一番のキーワードが思い出せなかったんだけど、「退屈」って言ったんだっけ?
琴寄 
退屈している子どもたち。
J 
それがすごい新鮮だったね。
琴寄 
何だろう。子どもたちの様子が変わってきたなと。それまでは反学校、反教師みたいな形で、まあ、エネルギーは怒りだった。例えば、「教室から出て行け」と言われた生徒が、「出て行けとはなんだ」みたいなぶつかり合いがあって。それがどうも違うような感じが出てきた。黒磯の先生が学校で生徒に殺される。そのちょっと前くらいからだと思うんですよね。
S 
たしか98年1月ですね。酒鬼薔薇よりもちょっと後で。
琴寄 
あの頃はまだはっきりした形をとってなかったけど、今はもう分かりやすい。「ボクらは退屈だからゲームしてるだけ」っていう。だから怒られれば「ボクらは楽しんでるだけなのに」と、いわゆる「逆ギレ」する。「なんで怒られなきゃいけないんだ」と。
 もともと生きてくってのは退屈でつらいことが多いし、だからこそやってて良かったということが価値のように思えて来る時もある。それがこの子たちは、なかなか分かっていかない、そういう経験が出来ないというか、そんな気がしたんです。
S 
今のそういう退屈をバネにして、子どもたちはいろいろやるわけだけど、集団てどうなってるのかな。子どもたちがそうやっていろいろクラスで騒いだりして、「出てけ」っ言われて、「出てくよ」っ言って廊下で寝転んでたりする。彼らは一人なの? 単独? ばらばらなの? それともなにかをやる時は集団になるの? つまり、群れるというか、おれらのイメージからすると、子どもというのは、ここはおれの場所じゃないよというふうに感じた時は、そういう連中がわりと群れる、集まっちゃうという感じが強いんですよ。今の子どもたちは群れやすいのか、それともバラバラなのか。多分、集団性、群れというところでもきっと弱いというか……
琴寄 
そうなんです。つながりも自由というのか…。寂しいっていえば寂しいんですけどね。
J 
ゲームしてるのに共通のルールでやってるわけじゃないんだね。みんなそれぞれ思い思いに。短いゲームをやってるというだけで、ドラクエみたいな長編をやってるわけじゃないってことなんだ。
琴寄 
例えば「(廊下に落ちてる)ガムを拾えよ」と言ったら、「このガムはおれじゃない」。タバコでも「これはおれんじゃない」って言ってバラバラ。おもしろい。「おれんじゃない」なんだよね。自分が食べてる吸ってることを認めてはいる。
S 
そういう、バラバラであり、個別化であり、そういう一種の集団性の解体みたいなものが相当強烈に今起きてるんじゃないかなと思ってね。ちょっと今のようなことを聞いてみたんですけど。その「退屈」の根源て、今のことと関わってるんだと思うけど、どこから来るんだろうか。
琴寄 
子どもらの場所というか、私はステージと思ってるんですけど、それがもう変わっちゃった、そこで「退屈」の質がすごく変容して見える気がするんです。

 2 衰退(すいたい)する学校
S 
健康的な退屈さというのと、そうじゃない退屈さというのがあるでしょう。けだるさというか。つまり本来、子どもというのは満たされていれば多分一人でいたって退屈じゃないんじゃないか。そうじゃなくて、なにかけだるいなという、それを一般的に理由をくっつけていけば、夜寝るのが遅くて、睡眠不足で、朝御飯も食べてなくてという理由付けが今でも結構行われているもんね。そうじゃなくて、もっと深いところから来るけだるさみたいな、投げやりというのとも違う、例えば「出て行け」と言われたら「あっ、そう」という反応、つまり、そこには応対のなさみたいなものがあるわけでしょ? 出て行くこと自体になんの抵抗もないし、出て行けと言ったから出て行くんだよという、そういう反応になると思うんだけど、いわば「手応(てごた)えのなさ」みたいなものが琴寄さんの話から伝わって来るんだけど、その「手応えのなさ」みたいなものって、子どもたちが感じている「手応えのなさ」と、琴寄さんが生徒さんたちに感じている「手応えのなさ」みたいなものというのはマッチしているのかしら。昔はもう少しこう、身体性でもいいんだけど、どこかでぶつかってくるようなエネルギーみたいなものを感じてたでしょ。今の「手応えのなさ」みたいなものとはまったく質が違う。
琴寄
私はよく言うんだけど、この前の校内暴力までの時代というのは、地域社会というものが存在した。学校も地域社会の中に根付いていて、部活というのもしっかり機能していた。それは楽しいことだし、達成感があって、言ってみれば昔の草野球のヒーローみたいなところの延長にあったんですよ。同時に高校に行くとか、まあ大学に行くことも同じで、幻想だったけど、いい学校に行くとかいい成績をとる喜びみたいのがあった。学校というのは力があって、形を持っていた。
 でもそれが崩(くず)れていくんですよ。バブル崩壊から顕著ですが、大学には行ったけれどみたいに、そのアイデンティティが大きく崩れる。学歴や大学とかについて考えちゃう、みたいなことが起きたし、部活についてもそうなんですよ。よく分かんないけど、それはスーパースポーツという、大リーグやJリーグもそうですけど、草野球の存在というものをすごい壊(こわ)してしまったように思うんですよ。つまり、やってて楽しい、広場のヒーローはあいつだという、そういう大事なものがなくなっちゃったような気がするんですよ。

体とか身体性みたいなものが等身大で見えてたような気がするんだけど、今はそれがすごく見えないんですね。
琴寄
前の校内暴力というのは、地域社会の中の学校が、請け負った責任を果たすという枠(わく)がきちっとしてて、その中で体罰をやった。だから50発ビンタなんていうものがまかり通った。こっち(学校)は正しい、悪いのはオマエだとね。そんな中で起きてたのが校内暴力だった。今は違うんだよね。今の草野球(クラブチーム)には、大人のコーチがいる。そいつが怒鳴ってて、子どものリーダーなんていない。

そういう有名クラブチームに入ってさ、いずれはJリーガーを目指すとか、相対的にたしかに学歴はあんまり力がないみたいだけど、でも東大に行けば話は別じゃんというふうに個別に考えていくと、そういうふうに将来に対して割と古いタイプといったらいいのかな、そういうふうなものを持ってる子どもは、さっきのように、退屈しないで、それはそれでまたしんどいんだろうけど、幸せとも言い難(がた)いんだろうけど、退屈しないですむ。だけど、一般的には、この道を行けば将来こういう楽しいことがありそうだな、というようなものは見えないのが普通だよね、中学生なんてね。そういうところで退屈というかさ、そういうことが起こってるのかな。


 ☆☆
いかがですか。3時間の座談会でした。なんとか要約して、これで半分くらいです。今読んでも、私の言いたいことを、お二人がうまく引き出してくれている様子が分かります。改めて感謝です。後半は、「子どもを大事にする」とか、「向き合う」とはどういうことを指すのか、という内容です。でも、次回は福島からの報告になる予定なので、そのまた次になります。

 ☆☆
今年の夏は、映画を二本(『ミッションインポッシブル』『ジュラシックワールド』)見ました。それはいいとして、予告編で見た(つまり二回見たわけです)『天空の蜂』のことを少し。東野圭吾原作のこの映画、二十年前の作品で、原発の諸問題を告発している、映像化については様々な妨害があって実現しなかったなど、実に魅力あふれるコピーなのです。私は見るつもりでした。しかし予告編を見て、その気は失せました。これが原発事故前だったら違っていたと思います。しかし、テロリストから原発を守るヒーローという設定の映画を、福島の人たちはどんな気持ちで見るだろうか、いや、絶対に見ないだろうと思いました。

 ☆☆
二十年前の卒業生が、同窓会をやってくれました。有名なお店でした。いつも記念品を用意してくれる子たち(と言っても35歳)で、今回はお箸とお茶碗セット。多分「酒場放浪記」を見ている私を知ってのことでしょう、お箸には「吉田類」ならぬ、「琴寄政人」「実践(実戦)教師塾」と刻(きざ)んでありました。
みんな、ありがとう!
      

読者への返信  実戦教師塾通信四百五十六号

2015-08-14 11:50:17 | 子ども/学校
 読者への返信
     ~相談の中で~



 ☆☆
川内原発が再稼働されました。地元の、
「これで町に活気が戻る」
「よその人は勝手なことを言う」
などの再稼働歓迎意見を聞くたび、私たちの歩んで来た道を見るような気がします。その昔、大人や老人たちは自分たちの生計と子どもたちの未来を案じつつ、都会からのまねきに、子どもたちを送り出しました。「金の卵」と呼ばれた若者たちは、涙ながらに故郷をあとにしました。それがしばらくすると、今度は簡単に故郷を捨てて行くようになったのです。残された大人たちは、きっと切ない思いを抱いて来ました。まるでそのすき間をねらいすますようにやって来たのが、原発だったんだと思います。


 1 「いじめ」とは
 ここのところ、『絶歌』や「13歳のSOS」の記事に多くの感想をいただいて、メール上で様々なやりとりが出来た。それらの質問/感想への返信を編集し直して、ここに掲載しようと思う。子を持つ親や学校現場の参考になれば幸いと思う。

 多かったのが「いじめ」についての見方/定義である。これはいじめなのだろうかという迷いや不安は、家庭でもそうだが、とりわけ現場での変わらぬ悩みの種である。
 私が今まで言って来たことを少しまとめておこう。「いじめ」かどうか、本当は問題ではない。まずそれが、
「悪意につながるものかどうか」
だ。それが「つながった」時、
「意地の悪いこと」
へと移動を始めるからだ。
 例えば、今でもよく引き合いに出される「氷が溶けると何になるか」という設問で考えてみよう。小学校の3~4年の単元だったかな。この問いに対する「名答」、
「氷が溶けると『春になる』」
というやつ。誰が言ったのか考えたのか、この名場面は40年以上にわたって、今も語りつがれているようだ。正解は「水になる」なのだが、この「春になる」の場面で子どもたちは、
「え?」「え?」「え?」
とアクションを起こす。始まりである。この「え?」が、「感動」の方なのか、より大きく「違和感」が作用したものなのか、その場にいるものは分かる。ともに生活してきたものだからだ。すべてはその子への、子どもたちの承認度が決定する。そして、その子の「吸収度」が、そこに関与する。
 子どもたちの関心が、「春」という意見ではなく、言った人物にしか関心がない時、そしてその人物を子どもたちが承認していない時、子どもたちの「違和感」は、「悪意」をはらんでいる。それは瞬時に「意地悪」へ変身をとげる。
「わけ分かんない」
「理科だし」
「さぶっ」
「春」と答えた子は、反応の意味するものを吸収すれば、うつむく以外にない。
 「春」の子は、心に大きく傷を負う。さて、これが「いじめ」かどうか、どうでもいいことに私たちは気づくはずだ。大切なことは、「意地悪」というものが、意識的にも無意識にも発生する。その時は対処しないといけない。それだけだ。

 2 大人がしないといけないこと
 この「氷が溶けると」の逸話(いつわ)がずっと語りつがれるのは、子どもらしい感性と学校的あり方が、積極的に問われているからだろう。こんな時私たちはどうすればいいのだろう。学校現場の目線で考えてみよう。
 思いがけない意見に遭遇(そうぐう)すれば、先生もしばし面食らう。子どもたちと同じく「え?」でいい。しかし、「わけ分かんない」等の否定的アクションがオンパレードとなったら、もう猶予(ゆうよ)はない。もとより、先生はこの子がクラスの中でどんな位置にいるのか知っているのだ。
「すごいねえ!」「よくもまあ!」
という先生の反応が、自然に出て来ればと思う。こういうのを私は「愛情のシャワー」と呼んでいる。「春」の子が、愛情をキャッチし吸収して欲しいと思う気持ちは、このシャワーの力を倍増させる。それに対し、
「春でいいんですか」
と、子どもからリアクションがあったりする。先生は頭をめぐらさないといけない。こう確認をした子が、ふだん「春」の子とどんな関係にあるのか。それに応じて、「春でいいんですか」なる言葉の刺(とげ)が、鋭(するど)かったり丸かったりするからだ。
 刺には刺を、とは私の定法(じょうほう)。だから、
「センスいいってのはこういうことさ、この際おかしいのはオメエだよ!」
なんてのもいいが、子どもたちの「違和感」そのものは、大体に自覚があるわけではない。この場所をきれいに言い表せれば、それらが持っている消極性はきっと超えられる。

「つい、理科の授業だということを忘れるね」

とは、おそらくかなりいい対処だ。これは春でいいのかと正した行為を承認しつつも、春という答えに対して大きく敬意を払っている。これで子どもたちに巣くっていた「違和感」が一掃(いっそう)されることもある。その場を覆(おお)い尽くす言葉があったら、私はそう思う。道は困難である。しかし不可能ではない。

 さて、いじめがあるとよく言われる。
「傍観者も同罪だ」
「どうして気がつけないのだ」
などと、子どもたちは言われる。そう言われた子どもはぼんやりしてなどいられない。しかし、こんな子どもへの批判が役に立った試しはない。窮屈にして来ただけだ。実際、子どもは子どもなんだから分かっちゃいない。今日びの子どもはなおさらだ。自分のことで精一杯で、疲れた心身は、ぼんやりしたり、それをいらだちに転化したりする。子どももみんな大変なんだというのが前提だと思われる。
 今は、ネットやlineを駆使した根回しやきっかけもあるが、結局「仕掛けたこと」は、家庭や学校や町で、出来事を引き起こす。その結果、娘がお風呂に三時間も入ったまま出て来ないとかいうことが起こる。また「仕掛けた側」は、起こっていることを確認する必要を持っている。その結果、女子グループの「話し合い」が、トイレや特別教室で、突然持たれたりということが起こる。心配は募(つの)るが、恐れることはない。「危ない」時こそ「チャンス」なのだ。
 その「危機/チャンス」のポイントを見極めること。「確信犯」に近い「違和感」は、鋭い刺を持っている。そんな時、私は容赦することはないと思っている。おそらく、その時は猶予を許さないからだ。しかし、未熟な子どものやっていることだ。すべてを大きく包んでしまう、トトロのような堂々/悠然が持てたらとも思う。だからあとで考える。反省する。うまくいった時もだ。

 3 サービス
 今年、熊野古道を歩いた。少しばかり生活道とも交差する。しかし案内標識が、細い険(けわ)しい道へといざなうのである。杉の木立に囲まれた山道は、猛暑を防いではくれなかった。汗が滝のように流れた。それでも上級クラスをクリアした。
 さて、一晩目のホテルはとても良かった。客との会話を、従業員が楽しんでいるようだった。ご飯の時、私が汁物のふたと戦っていた。気がつくと、
「お取りしましょうか」
と、若い子がそばで笑っている。
 次の日のホテルが対照的だった。
「空いたお皿を片づけてもよろしいでしょうか」
と、従業員が言う。私は、お願いします、と言おうとするが、すでに片づけ始めている。それで私は、さきのひと言も、従業員は静止せずに言ったことに気づく。
 「臨機応変」をマニュアル化したものが「サービス」である。サービスは「必要かつ不可欠」なものだ。でもそんなものは現実に追いつけない。「見守る」という「遊び」も分からずに、「身につけないといけない」と、気を張りつめているだけだ。
 「遊び」の含むものは深い。機械や道具の「ゆるみ」を「遊び」と呼んだりする。張りつめていれば、スムーズさを欠き、早く壊(こわ)れる。子どもの「遊戯(ゆうぎ)=遊び」は、子どもの生きる営(いとな)みであり、成長だ。
 「遊び」を知り「遊び」を楽しむ。そんな中で「身につく」ものは、「サービス」とは呼ばない。
            
            熊野古道の先、那智の滝です


 ☆☆
ちなみに「氷『が』溶けると」の部分を「氷『は』」にすると、この「名答」はなかったと言われています。「氷は溶けると何になる」というわけです。つまらない話ですね。

 ☆☆
岩手県矢巾町中学の村松君の担任が、自宅まで行ってお父さんに謝罪しましたね。当局/学校に促(うなが)されてとった行動なのでしょうか。私にはそう思えません。「担任」が「自宅」に出向いての「謝罪」なのです。これは今まで私たちが、いじめ事件で決して見ることの出来なかった場面だと思います。まさかひとりで行ったのでしょうか。
「村松君との信頼関係が築(きず)けていた」
という認識が誤っていた現実を突きつけられ、苦しんだあげく、連日メディアが押し寄せた自宅(病院?)を彼女は出たのです。勇気を振り絞った決断だと、私には思えました。

読書特集  実戦教師塾通信四百五十五号

2015-08-07 12:02:39 | 思想/哲学
 読書特集
     ~ここ一年で発行された本を中心に~


 夏休み

夏の読書、やっぱりいいものです。今回は少しばかりオフモードで。

1 『フォーティーン』(澤地久枝)
2 『ナインデイズ』(河原れん)
3 『持たざる者』(金原ひとみ)
4 『三角館の恐怖』(江戸川乱歩)
5 『「いま」何を考えるべきか?』(iichiko125号)
6 『思想の機軸とわが軌跡』(吉本隆明)
7 『思想を読む/世界を読む』(吉本隆明/山本哲士)

 1 『フォーティーン』集英社新書 756円

            
戦後70年。14歳の時を満州で過ごした著者の目から見えた戦争。「何にも知らなかった」「何も考えなかった」少女にとって、戦争はどんなものだったのか。同じエリアで過ごした日本人と中国人。戦争を前後して、こんな場所にいたのか、と知る。戦争が終わるころから、日本の女は見つかったら襲われる。厚い板を入り口に打ちつけた。しかし「見た目は30歳のような女になってしまった私」は、覚悟の男装で中国人の「城内」に食べ物を求める。
あとがきは、きっと川崎の事件のことだ。13歳の少年が殺され、それに対して、少年たちが良く分からないとか、別にと言う。著者のつぶやきは、きっと怒りに近い。

 2 『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』幻冬舎文庫 648円
            
東日本大震災直後9日間の、岩手県災害対策本部の取組を書いたノンフィクション「小説」。私が読んだのは文庫版で、昨年発行されたものだが、単行本は2012年に出された。
DMAT(災害派遣医療チーム)とは、阪神淡路大震災を教訓に生まれたシステムだ。災害規模が巨大で、地域で仕切れない対処を、全国規模に拡げたものだ。岩手県はこのシステムを活用し、自衛隊のヘリで、初め新千歳空港まで緊急を要する被災者を運んだ。
しかし、宮城県は、このDMATを要請しなかった。
「なぜ宮城が動かないのか。……その原因を薄々勘づいてもいた。……この災害で最大の被害を受けた気仙沼がどんな惨状になっているのか。岩手だけでなく、宮城もまだ知らずにいたのだ」
また震災から二日後、DMAT事務局から、
「(DMATを)撤収します」
という信じられない連絡を受ける。DMATは二日間だけのシステムなのだ。猛然と抗議するが、医者では相手にならない、県からの要請でないとダメだと相手が言う。比較にはならないが、私もあの2011年春の現場を思い出す。
医療関係者、あるいは養護教諭必読の書である。

 3 『持たざる者』集英社 1300円
            
10年前の『蛇にピアス』とは、まったく違っていた。「グロテスクな描写」と言えば同じものなのだろうか。しかし、ここのグロテスクな現実はリアルだ。出産を機に金原は変わった、と私は思っている。
金原は、2012年にパリに移住している。この作品で示唆(しさ)しているが、それは福島原発事故がきっかけだ。
○外国に逃げようという妻と、日本で安全に暮らす方が現実的だという夫
○災害にまったく対処出来ず途方にくれる人たちと、まったく無頓着な人たち
など、行き場のない、そして激しいやりとりで話は進む。その中で例えば、
「とんかつの肉原産地は鹿児島です」
というレストランの注意書きを読んで、福島県産ではないとでも言うのかというくだりがある。自分たちは暮らしというものを失ってしまった、と私には読めた。窓に目張りをしたこと、セシウムやヨウ素調べに明け暮れた日。どこか安全な食べ物を供給しているところはないか、じたばたしたことなど。みんな書いてある。そんな日々があったと思い出すはずだ。当時、私たちはそうして右往左往した。私たちはそして、今何をしているのか、と考えさせてくれる。
被災地まで出向いた綿矢りさだが、彼女の書いたSFまがいの『大地のゲーム』の非現実感に対し、日本を飛び出した金原のリアリティは圧倒的だ。

 4 『三角館の恐怖』光文社文庫 952円
            
夏と来たらやっぱり江戸川乱歩でしょ。昨年の夏、私は50年ぶりにこの『三角館の恐怖』を読んだ。50年前に図書室で読んだのは、『少年探偵団』ふうに編集してあったと分かった。この「大人版」にあったのは、財産や男女のいさかいの場だった。
つい先日、NHKのBSで江戸川乱歩を組んでて、見ればキャスターが壇密だった。いやあ、壇密いいなあ、DVD買おうかなと思ったのだった。

 5 『iichiko125号』文化科学高等研究院 1500円
            
山本哲士が編集する季刊文化誌である。この号は、建築/哲学/科学/歴史等々、超領域にわたって、日本と世界をめぐる切実な課題を、そうそうたるメンバーが書いたものである。原稿にして30~40枚程度の短いものであるが、どれも力が入っている。自動運転の車はなぜ出来ないかという矢野雅文。カナダで日本語/言語学を教えている金谷武洋は、日本語が世界平和に貢献する、というのである。
ついでに、私もここで平易(へいい)な表現を用いて子どもの現象と現実を書いてます。

 6 『思想の機軸と軌跡』文化科学高等研究院出版局 3900円
            
思いがけなく、この本と次にあげた『思想を読む…』を郵便受けに見つけた時、
「あ、吉本さん生きてたんだ!」
と、飛び上がらんばかりの私だった。
2000年に始まった『吉本隆明が語る戦後55年』(全12巻 三交社)の、談話部分のアンソロジーである。夏期の課題図書として読み始めているが、新鮮さをちっとも失っていないことに、今さら驚き感動している次第である。

 7 『思想を読む/世界を読む』文化科学高等研究院出版局 2700円
            
5年間のメキシコ生活から戻った山本哲士が、
「山本だよ、元気か?」
と電話をくれたのは、1979年と記憶している。東京の喫茶店で落ち合って、話を聞いた。それから間もなく、雑誌『教育の森』で吉本隆明と対談をするのだ。吉本隆明との対談は、
「学校は通過するだけでいい」(『吉本隆明 初めて「子育ちと教育」を語る』)
で始まった。


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茨城の甲子園代表、霞ヶ浦高校。感動です。ご存じないと思うが、ずっと逆上れば、この高校「カス校」、あるいは「霞ヶ浦銀行」と呼ばれてました。金さえ出せばカスでも入れる、と言われた高校でした。やがて私たちは見方を変えます。柏から土浦まで電車で小一時間、そこからバスでさらに30分以上をかけてようやく着く学校。何らかの問題を抱えるか、成績がどん尻の生徒がそこに行くのです。しかし、これがやめない。私たちはそのうち、
「先生たちがそうとう面倒みがいいらしい」
と思うようになるのです。それがここのところ毎年のように決勝に残って。
おめでとう! 感動です。

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1日。手賀沼花火大会でした。今年は水際の近くまで行って見ました。タマヤ~! 感動です。
      
      

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久しぶりに私のアドレス掲載します。コメントに直接入れてくださってもいいのですが、皆さん大体メールで感想くださるので、まだ知らない方は良かったら使ってください。
  kotoyori.masato@lilac.plala.or.jp